2015年3月 7日 (土)

格安航空(LCC)に学ぶ「悪い模倣」と「良い模倣」

 

 

  2012年は、日本の格安航空元年だといわれる。が、この年に出そろった3社のうち、好調なのはピーチ・アビエーションだけ(2014年3月期には単年黒字を達成)。あとの2社のうち、エアアジア・ジャパンは出資元の全日空とマレーシアのエアアジアが合併を解消してバニラ・エアになってしまったし、ジェットスター・ジャパンは2年目も赤字で低空飛行のままだ

  1998年に運航を開始したスカイマークは、日本の航空産業の規制緩和によって新規参入できた航空会社の第一号だ。ピーチやバニラやジェットスターのように全日空や日航傘下にはないので第三局とよばれることが多い。が、サービスの簡素化と大手二社に比べて安い料金をウリにしているということで、(利用者視点からみれば)LCCのグループにいれてもよいだろう。このスカイマークも、2015年、経営悪化で民事再生法の申請にいたっている。

  世界のLCC(Low Cost Carrier、格安航空)は米国のサウスウェスト航空のビジネスモデルを基本として、つまり、模倣(マネ)をすることで創られたといえる。米国の航空業の規制緩和は1978年からだが、サウスウェスト航空は、それ以前の1971年から営業を開始。その年こそ赤字だったが、その後40年以上利益を計上しつづけている。固定費比率が高く利益をだすことがむずかしいとされる航空業では、非常に珍しいことだ。2014年の旅客数は8600万人で全米一位、世界でも第四位につけている。

  模倣するに値する会社だ。

  世界の航空市場に占めるLCCのシェア(座席数ベース)は25%を超え、特に欧州では35%にまで成長している。だが、各国で数多くのLCCが誕生する一方で、すでに50社以上が倒産しており、好調な会社は非常に少ないのも事実だ。同じ会社をマネしているのに、なぜ、マネのへたな会社が多いのか? その点を考えてみます。

  サウスウェスト航空のビジネスモデルの基本は次の4点にあるとされる

  1. 同じ1種類の航空機(ボーイング737)を使用⇒パイロットを含めた乗組員や整備士の訓練の簡素化(部品在庫を含め機体の維持経費の削減もできる)⇒従業員の生産性が高くなる
  2. 2つの空港をノンストップで結ぶ。しかも、中小の混雑の少ない空港を利用⇒スケジュールの遅延が少ない⇒便数を増やすことができる⇒機体の稼働率を高める
  3. 限定的な顧客サービス。食事サービスや指定席を排除⇒20分以内に発着作業を完了することで航空機の回転率を上げる⇒機体の稼働率を高める
  4. マルチタスクをこなす従業員。たとえば簡単な清掃は乗務員がこなす⇒発着時間が短くなる⇒従業員の生産性が高くなるし機体の稼働率を高める。

  サウスウェスト航空は燃料価格のヘッジングを競合に先駆けて採用している。たしかに、これも、利益をだすには重要な要素だ。が、利益を上げながら低料金を実現するLCCのビジネスモデルということでは、上の4つが基本要素としてあげられるだろう。

  4つの要素は複雑にからみあっている。たとえば、大都市の二番手空港や中都市の空港とをノンストップで飛ぶ。長距離路線は飛ばないから機体はボーイング737一種類ですむ。また、数時間の飛行だから食事を出さなくてもすむし、狭い座席でも乗客は我慢できる。目的地に着いたら乗務員が簡単な清掃をして新たな乗客を迎える。だから20分以内に離陸できる。このように4つのうち1つでも欠けると全体に問題が出てくる。

  競争戦略で有名なマイケル・ポーターは、マネしやすい企業(ビジネスモデル)とマネしにくい企業との違いを「活動マップ」を描くことで視覚的に説明した。つまり、その企業のビジネスモデルに特有な要素が(つまり、競合他社との差別化に効果的な要素が)互いに影響を与え合い複雑に「蜘蛛の巣」状にからみあっていればいるほど、簡単にはマネができない。LCCの場合、顧客サービスを排除すれば成功するというわけでもないし、機体を1種類にすればそれで成功するというわけでもない。4つの要素は互いに影響を及ぼしあい全体として頑強なビジネスモデルを構築する。

  サウスウェストは、米国で1978年から始まった航空業規制緩和が進むとともに、路線を拡大して成長していった。日本の場合は、1986年以降段階的に規制緩和政策がすすめられているとはいっても、制約はいまだに多々存在する。

  たとえば、空港における制約。

  日本のLCCでピーチだけが好調なのは、ピーチが関西空港を拠点としているからだといわれる。他の2社の主要拠点は成田空港。関空は24時間運営だが、成田は騒音問題で、夜11時から翌朝6時までは発着ができない。しかも、混雑する空港だ。1路線で安定的な黒字を出すには1日4往復(8便)の運行が必要とされるが、成田を拠点としたエアアジアやジェットスターはせいぜい3往復6便。そのうえ、午後11時の門限に遅れれば、翌朝の初便が欠航となる。

  24時間利用可能な関空を拠点にしたピーチは、2012年開始からの一年間で、平均定時出航率は83%でLCCで一番。欠航率も大手並みの1%。当然のことながら利用率もふえる。2014月までには平均搭乗率は83%へと向上した。

  そもそも、日本の大手空港のインフラ条件はLCCが利益を出して飛べるような内容にはなっていない。発着枠などの運航条件の制約もあるし、着陸料とか使用料も中国や韓国に比べると3倍くらい高い。もちろん、成田や他の空港も、海外の空港との競争を視野に、こういった制約や料金を変更する傾向にはあるが、そのスピードは遅い。(ちなみに、1座席1キロメーター当たりのコストをみると、マレーシアのエアアジアが3円台、国内LCCは8円台、国内大手航空会社は10~11円だとされる)。

  こういったような日本の航空産業にまだある「制約」が、日本のLCCがサウスウェスト航空のまねがきちんとできない大きな理由のひとつだ。だが、もう一つ、日本のLCCが中途半端に終わっている理由がある。顧客サービスの簡素化に関係することだ。これに関しては、とくにスカイマークの例がわかりやすい。

  スカイマークは2012年に消費者への苦情対策に関連して、消費者庁からそれこそ苦情を受けている。機内で配布していた文書「スカイマーク・サービスコンセプト」には、スカイマークの機内サービス方針が8項目記されていた。たとえば、「機内での苦情は一切受けつけません・・・不満がある場合はお客様相談センターあるいは消費生活センター等に直接ご連絡を」と書いてあった。苦情を公的機関に押しつける姿勢は容認できないとして、消費者庁は文書回収を指示したのだが、この文書の書き方が傲慢だと世間一般からも批判された。たとえば、荷物の収納の援助をおこないません」とか「幼児の泣き声に関する苦情は一切受け付けません」とか、LCCではこういった手厚いサービスがないのは当然だとしても、文章の書き方自体が断定的で上から目線だと批判された。

  この出来事を紹介するときの、メディアの論調には次のようなものが多かった。

  「日本の消費者には日本流のていねいなサービスが、たとえ格安航空でも必要なのではないか」とか、「海外では格安と引き換えの不便さを利用者はある程度理解して利用しているが、大手の高いサービス水準に慣れた日本の利用者には戸惑いがある」というコメントもあった。つまり、「価格」と「サービス」の両立を日本の消費者は求めている・・という意見だ。

  これは、正しい意見だろうか?

  私は、このメディアの論調は間違っていると思う。

  現に、ピーチのCEOは「関西のひとたちは合理的だから価格が安い分サービスが簡素化されていることを納得している」と言っている。関西と関東では、たしかに、消費者の考え方に違いは少しはあるだろうが、それよりも、消費者にいかに上手に事前広報をしたかどうかの違いのほうが大きいと思う。

  ピーチに関しては、関西財界が積極的サポートをして地元メディアでも大きくとりあげられた。これによって、一般消費者も、低価格であるということは低サービスだというトレードオフの関係についてかなり啓蒙されたといえる。

  日経消費インサイトの「LCC利用者の意識と行動調査2014年」によれば、2012年以降に飛行機で国内旅行した人のうち国内線LCC利用率は関東13%に対して関西30%。それだけPR効果があったということだろう。しかも、ピーチの利用者の2~3割は飛行機を初めて利用した客だ。大手のサービスがどうであるかわかっていて、それと比較してLCCのサービスを批判しているわけではない。

   サービスを研究するサービスサイエンスという学問においては、客がサービスを利用する前に抱いている期待(事前期待)を、実際に利用したあとの感想とか評価が上回れば満足する。反対に、期待が大きすぎると評価との差が大きくなり不満足度も大きくなる。つまり、顧客満足は絶対値ではなく事前期待と実績評価の相対値できまるとされる。

  そういった点でいくと、LCCのサービスについて、日本の消費者は(関西を除いて)事前に、サービスと価格との間にトレードオフがあることを、きちんと知らされていなかったのではないかという疑問が残る。つまり、LCCにはサービスを期待すべきではないという広報活動(啓蒙活動)が十分なされていなかったということだ。

  たとえば、欧州最大の旅客数を誇るLCCにアイルランドのライアンエアーがある。ここのCEOは過激な発言で、つねにニュースになる。2011年には、機内トイレをつかうにはお金を支払わなくてはいけないようにしたいと発言して話題になった。「乗客が空港でトイレをすませてくればばトイレの数を減らすことでき、結果、座席数を増やすことになり、、結果、運賃を安くすることができる」・・と有料トイレは客にとっても得になると説いた。

  実際にやるかどうかは別にして、こういった発言はメディアも面白がって取り上げニュースになる。それが客の事前期待をつくる。2006年に持ち込み荷物の有料化にふみきったときには批判もあった。だが、有料にすれば客も機内持ち込み荷物を減らそうと考える。よって、チェックインカウンタやそこで働く係員の数も減らせる。コストも減るから運賃も減らせる・・・と説明した。

  このアイデアは実行に移され、手荷物一個につき約500円徴収したが、そのぶん、基本運賃を同額値下げした。これなら客も文句がいえない。また、こういったことで、「価格」と「サービス」はトレードオフの関係にあるということを一般消費者も実感できる。そのうえ、会社経営者のコスト削減に対する真剣さも実感できる。

  ライアンエアCEOは、2012年には、立ち席をつくる計画もしたが、規制に反するとその筋から反対されたとかであきらめた・・・というのもニュースになっている。こういったニュースがメディアに登場すればするほど、ライアンエアーはドケチな会社⇒それだけ料金が安い・・・という事前期待ができあがり、実際に乗ってみると、思っていたよりは乗りごこちもサービスも悪くなかったということになる。

  ピーチが就航前に関空で開いた運賃発表会では、「大阪ー札幌4780円」「機内サービス有料」という手書きのボードがつかわれ、いかにコストをかけないように準備したかを印象づける記者会見になった。事務所の備品はネットオークションで購入したとか、1円単位のケチケチ作戦が話題になりメディアで紹介された。これも事前期待をつくるためのPR活動として効果有りだ。

  その点、スカイマークの顧客戦略というかコミュニケーション戦略は矛盾していた。

  2014年に、仏エアバスA330型機を導入したときには、超ミニスカの女性客室乗務員がA330の機体の前で写真におさまった。A330が飛ぶ路線で半年間限定でミニスカの制服が採用されるという。ところが、A330型機導入よりミニスカのほうに話題が集まってしまい、保安上の問題やセクハラの問題はないかというニュースになった。それに対して、当時の社長が「キャンペーン服として用意したものが、あまりに評判が沸き立ち、こちらも困惑している。かなり歪んだ解釈をされているのは非常に残念だ」と答えいてる。

 が、思い出してほしい。2012年に物議をかもしたサービスコンセプトには「客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なものと位置付けております」とはっきり書いてあった。ミニスカの乗務員が緊急時に主要職務とされる保安業務をどうはたすのか? 緊急時に、まず、ジャージーにでも着替えてから、対処するのか?

  たしかに、サウスウェスト航空も、最初は、ホットパンツとゴーゴーブーツをきた女性乗務員で有名になった。1971年に地方の小さな格安航空が営業を開始してもメディアはとりあげてくれない。ホットパンツとブーツのおかげで、少しは名が知られるようになった。だが、それは、70年代のことだ。当時はミニスカート全盛時代で、ホットパンツもゴーゴーブーツも乗務員の制服としては異色だったからニュースになったが、当時の流行のファッションだった。(ホットパンツは71年72年には日本でも流行している)。また、そういった制服は、Love Airline としてLoveをウリにしていたサウスウェストの企業テーマにも合っていた。(とはいえ、サウスウェスト航空も1980年には裁判に負けて男性客室乗務員を雇う結果となっている。当然ながら、女性乗務員のセクシーさを売りにすることもなくなった)。

  そういった歴史を考えると、スカイマークの2014年のミニスカは時代錯誤としかいいようがない。が、それ以前に、マイケル・ポーターが言うところの下手な模倣だ。サウスウェストが有名になったひとつの要因だけをとりあげ、他の要因とか背景との関係なしに、それだけをまねる。

  世界のLCCにマネされるサウスウェスト航空だが、実は、このサウスウェスト航空自身が忠実に模倣した航空会社がある。

  1949年から1988年までカリフォルニア州内で運行していたPacific Southwest Airlinesで、米国最初の格安航空だった。「世界で一番親しみやすいエアライン」と自称していた。ユーモアあふれる応対で知られ、ハワイのアロハシャツを着た創業者は、乗務員やパイロットに客と冗談を言い合うことを推奨した。60年代には、鮮やかな色彩のミニスカ・ユニフォームをきた乗務員で有名だった。70年代初めにはこれがホットパンツに代わっている。

  サウスウェストの創業者のハーブ・ケラハーは、PSAを徹底的に研究し、自由で親しみやすい従業員といった企業文化から、制服、その他の要素ほとんどすべてを採用した。当時のサウスウェストの社長は、「サウスウェストはPSAを完璧にコピーしたそっくりさんだった」と証言している。

  サウスウェスト航空は、航空産業におけるイノベーションの見本としてとりあげられる。イノベーションというと、それまで市場に存在しなかったまったく新しいもの(あるいはビジネスモデル)を創造したと考えられがちだが、実際には、サウスウェスト航空は模倣から生まれたものだ。だが、モデルにした会社よりも模倣した会社のほうが成功し、航空市場を変革する(破壊する)までに成長した。それは、たぶん、サウスウェスト航空はビジネスモデルの基本4要素を徹底したことと、この4要素を結びつける第5の要素、つまり、ロイヤルティの高い誇りをもった、よって生産性の高い従業員を創造・維持するのに成功したからだろう。

  サウスウェストは顧客第一ではなく従業員第一の企業文化で知られる。

  サウスウェストの従業員の報酬は米航空業界で一番高い。だが、その分、生産性も高い。たとえば、短距離で一日に何度も往復するパイロットは業界平均と比較して、一日当たり一時間多く飛んでいる。生産性が高いこともあって、サウスウェストの1座席1キロメーターあたりのコストは6.4セントでユーナイテッドやデルタの7.7セントより17%低くなっている。

  日本の模倣上手なLCCは、ピーチだろう。ピーチはLCCのビジネスモデル4要素を表面的にマネするのではなく、マクロの観点からマネしているようにみえる。たとえば、ピーチの井上慎一CEOは、「ピーチは航空会社ながら『空飛ぶ電車』のサービスモデルを志向している。お客様が遅れても待たずに出発する。チケットはお客様が自分で手配、駅の改札を通るように自らチェックインしていただく。新幹線のワゴンサービスのように機内の飲食物は有料で提供している」と語っている。

  拙著「合理的なのに愚かな戦略」にも詳しく書いたが、会社の方向性をメタファ-で語れる経営者は、マクロの観点から全体をみている。各要素がどうからみあって全体をつくっているかも理解している。だから、メタファーがつかえる。そして、メタファーで語れる経営者のコミュニケーション力は高い。社員や消費者への発信力や伝達力が高いということだ。「空飛ぶ電車」を目指しているといわれれば、どのサービスは絶対に排除できないものでどのサービスは排除あるいは簡素化してもよいのかが、社員も直感的に理解できる。同じく、どういったサービスを期待してよいのか消費者も直観的に理解できる。遅れてきた客を電車が待つはずがない。電車の乗務員は頼めばある程度親切ではあるが、自分のほうから何々しましょうかと客に寄ってきてくれるほどには親切ではない。

  イノベーションの研究で有名なクレイトン・クリステンセンは、サウスウェスト航空は航空産業に破壊的創造をもたらしたとする。安い値段で自動車やバスから客を奪い、また、大手航空会社からも客を奪った。その結果、大手航空会社の破産や合併があいついだ。

  航空産業に破壊的変化をもたらしたサウスウェストは大きく成長した。そして、いま、自分自身が岐路に立っている。業界再編成によって生まれたデルタやユーナイテッドのような大手航空会社は国内外ともに張りめぐらされた路線を誇っている。そのうえ、下からは、サウスウェストを上手にマネした新興LCCがつきあげてくる。JetBlueの1座席1マイル当たりのコストはサウスウエストよりも低く、料金もサウスウェストを下回ることが多い。

  サウスウェストは、2014年にAirTranを買収することを発表した。これが実現すれば、東海岸への路線数も増える。が、それは、混雑した空港も含まれるし、AirTranが所有しているボーイング717も利用するようになることを意味している。ビジネスモデルの基本4要素のひとつだった「同じ1種類の機体」ではなく、2種類の機体を使うようになるということだ。また、AirTranの社員が入ってくることによる企業文化の変化も懸念される。発着が遅れないように、パイロットも機内の清掃を手伝ってくれるような社風を維持できるだろうか? 

  イノベーションを起こした企業が成熟することで、普通の会社になってしまうのはよくあることだ。、普通の会社になって、新興企業の破壊的創造の波をうけて、新興企業にとってかわられることもよくあることだ。サウスウェストは今後も成長しつづけることができるのか? サウスウェストには、もはや、模倣する先輩企業はない。どちらにしても(成長しつづけても、あるいは、しなくても)、サウスウェストの今後10年の動向は、後輩企業にとっては模倣すべき、あるいは、模倣するべきでないビジネスモデルの模範となることだろう。

参考文献: 1.Jad Mouawad, Pushing 40, Southwest Is Still Playing the Rebel, The New York Times, 11/20/2010, 2.武政秀明、「ミニスカ導入で一悶着、スカイマークの誤算」東洋経済online, 3/8/2014, 3. 「苦情は公共機関に」スカイマーク社長に聞く真意 日経新聞電子版ニュース6/10/2012, 4.「LCCピーチ、けちけち作戦、手書きボードで発表会」大阪讀賣新聞 2/7/2012, 5. LCC 利用者の意識と行動調査2013、日経消費インサイト2014年9月、6.スカイマーク、文書回収、日経新聞6/7/2012, 7. David Mitchell, It's Michael O'Leary's biggest PR gagge-he wants us to like him . Guardian, 11/10,2013, 8. LCC 2年目の岐路(下)、明暗分けた日本流サービス、日経新聞7/24/2013, 9.クレーム噴出、目立つ欠航…成田発格安航空の実態、日経新聞電子版ニュース,3/11/2013、10.「世界の空大争奪線、エアライン&エアポート」週刊ダイヤモンド、11/19/2011、11.「日本の空はLCCで変貌、価値は安さだけじゃない」週刊東洋経済 12/28/2013~1/4/2014

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2015年2月 4日 (水)

米国オムニチャネルの本質はビッグデータにあり

  Attention!

「明日のマーケティング」のURLが変わりました⇒https://newmktg.lekumo.biz/ 

 

  ウォルマートのような米国小売業のオムニチャネル戦略を歴史的にふりかえってみると・・・といっても、この10年くらいの短い歴史だが・・・、最初のころに比べると、その中身が変化してきていることがわかる。

  第1段階は2000年代半ばで、O2O(Online To Offline)、つまりオンラインからオフラインへといわれていたころ。ウォルマートでいえば、2005年からの2年間のテストをへて、2007年にネットで注文した商品を店舗で受け取れるサービスを全店で始めたころだ。ウォルマートのテストによれば、ネットで注文した客の3分の1が店舗で受け取ることを選択する。そして、そういった客の60%が店舗に来たついでに60ドルの付加購買(衝動買い+ついで買い)をする。

    だから、店舗受取りサービスを提供することで付加売上が期待できるリアル店舗のほうが、アマゾンのようなネット専業よりも競争優位にたてる・・・というのが当時の評価だった。

  アマゾンが、年会費79ドル払うプライム会員に、無料で2日以内に配送というサービスを始めたのは2005年1月。それまでは25ドル以上注文の場合は配送料無料・・・というよくある常識的サービスを提供していた。無料配送サービスは期待以上の効果を発揮し、プライム会員は通常顧客よりも150%も多く購買し、よって、会員になってから(サービス開始前に予測した)2年ではなく、3か月で損益分岐に達することが明らかになったという(現在では、プライム会員の平均購買金額は通常顧客の2倍だといわれる)。

  こういったアマゾンに対する対抗策として小売店も自社サイトで無料で迅速な配送サービスを進めざるをえなくなったわけだ。が、なにせ経費がかかる。それだったら客に店に受け取りにきてもらおう。これが、O2Oが始まった理由だといわれる。

  (店舗受取りサービスが始まった理由が店舗側の経済的理由であったとしても、一言つけ加えておきたいことがある。米国における店舗受取サービスは、日本で考える以上に、消費者にとって便利なサービスだということ。日本の宅配便サービスと違って、米国では細かい時間帯指定はできないし、不在の場合、電話したらすぐに指定した時間帯に再配達してくれるなんてこともない。再配達も2・3回くらいはしてくれるようだが、いずれも運悪く不在だった場合は、自ら配送センターまで取りにいくはめになる。だから、、自分に都合のよい時間に、自分が選択した店舗に受け取りにいくほうがよほど便利・・・ということになる)。

  2005年からプライム会員に無料で迅速な配送を始めたアマゾンは、毎年平均34%という驚異の売上成長をつづけていくが、営業利益率は2004年の6%をピークにして、その後は下がり続け、2011年には2%にまで落ち込んだ。小売業の利益率は米国でも低いが、それでもウォルマートは6%くらいを維持している。アマゾンの場合、売上高の9%くらいだといわれる配送経費と物流センター構築への投資が負担になっているのだ。つまり、無料配送と迅速な配送は、売上増には大きく寄与していても、経費は確実にかかり、アマゾンの利益を圧迫しているわけだ。

  (ZOZOTOWNを運営しているスタートトゥデイの社長が「配送するにはそれだけ金がかかるのだ」と無料配送を支持する客を叱咤して炎上した事件があったが、怒る気持ちはよくわかる。アマゾンが無料サービスを提供しながら利益も出しているのならともかくも、利益もださずに無料配送をつづける会社のまねをするなんて・・・・と言いたくもなる。もっとも、アマゾンを創立する前にウォールストリートで働いていたベソスCEOは数字に強く、利益よりもキャッシュフローのほうが重要なんだと投資家たちに説いているくらいだ。その言葉どおり、アマゾンは営業利益は少なくても現金は常に潤沢に保有している)。

  米国大規模小売業は、その後も、リアル店舗の強みをいかすために、スマホやタブレットといったモバイル端末の利用をすすめ、店舗の発信力を高めていった。これが第2段階だ。たとえば、(こういったことは日本の小売業でもやっていることだが)、スマホにアプリをダウンロードした客は、自分がいま現在いる場所から一番近い店に欲しい商品があるかどうか調べ、在庫を確認してからその店を訪れることができる。事前に店内のレイアウトがチェックでき、その商品がどこにあるか棚の位置さえも調べることもできる。

  まあ、こういったサービスは消費者にとっては、それほど魅力あるものでもない。だが、次のようなサービスは大切だろう。

  たとえば、目当ての商品を実際に手に取ってみたら色が気に入らなかった、あるいはサイズが合わなかった。そんなときには、店員がタブレット端末で、あるいは客が店内設置の端末で、色違いやサイズ違いの在庫が他店舗にあるかどうかを調べ、場合によって、取り寄せてもらう、あるいは、直接自宅に配送してもらうなどの選択ができる。

  こういったことを可能にするためには、在庫情報、つまりリアルタイムに更新される一元化された在庫データベースが存在しなくてはいけない。こういった在庫データベースを構築した小売店は店舗のネットワーク化を進めることにより、アマゾンと、少なくとも互角に戦えるプラットフォームをもつことになる

  そして、ここで、オムニチャネル戦略の第3段階にはいる。

  ラストマイルの戦いとかラストマイルの問題とかいった用語を最近よく耳にする。もともとは電話などの有線通信サービス業で使われた言葉だ。幹線を構築するのはよいとして、問題は(つまり、一番経費がかかるのは)、たとえば、電話局(加入者局)から各家庭に線を引っ張るところにある・・・という意味で、最後の1マイル問題といわれた。ネット通販では、物流センターまではよいとして、そこから各顧客の自宅まで個別に荷物を配送するロジスティクスの問題が一番悩ましい。いかにして、あまり経費をかけずに、しかも、早く届けられるか?

  いま、ネット専業のアマゾンと大規模小売業とは、このラスト1マイルをめぐって戦いをくりひろげている。宣伝上手なアマゾンは、無線操縦する模型ヘリコプターのような「ドローン」を飛ばして、近いうちに・・・米連邦航空局の許可がおりれば2015年ごろには、物流センターから30分以内に顧客宅に配送するとPRしている。あるいは、都市部ではバイクをつかって有料で一時間以内の配送、プライム会員なら無料の2時間配送テストも開始している。

  その一方で、大規模小売店はリアル店舗をつかってラストマイルの問題を解決しようとしている。Ship from Store(店舗からの出荷)だ。

    たとえば、ウォルマートなら、顧客Aさんが商品をウォルマートサイトで注文したとして、早く届けるためにはいくつかの選択肢がある。Aさんの自宅がどこにあるかで、物流センターが近ければそこから業者をつかって直接配送する。だが、Aさんの自宅に近いところにX店舗があるとしよう。そのX店舗に在庫があればその日のうちに届けられる。だが、あいにくX店舗に該当商品の在庫がない。次に考えられるのが、X店舗に一番近いY店舗で、ここに在庫がある。①Y店舗からX店舗に届けて、X店舗から自宅配送(あるいは店舗受取り)。②Y店舗から直接配送、③物流センターから配送。この3つの選択肢のなかから、どれが経費が安いか、そして、どれが一番早く顧客のAさんちにとどけられるかという2つの条件を考えてベストな選択をする。コンピュータが最適化分析をして、1つの選択肢を指示してくれる。

  Ship from Store(店舗から出荷)戦略においては、アマゾンの米国内で60以上ある物流センターと、たとえばウォルマートなら4400店舗、メイシーグループなら・メイシーやブルーミングデール百貨店で850店舗を物流拠点として、どっちがコストとスピードで優位にたつかということだ。

  現在、ウォルマートの83件の大型店舗スーパーセンターでは、ウォルマートサイトで注文された商品の5分の1を出荷しているそうだ。これに、店舗に受け取りに来る客を含めると、ネット注文の半分は、店舗受取か店舗出荷ということになるようだ。

  一元化された商品在庫データベースと最適化分析をしてくれるソフトウェアプログラムとが、注文がオンライン、店舗、コールセンター、カタログ・・・と、どのチャネルからであろうとも、リアルタイム在庫、場所、注文状況を提供してくれる。在庫、物流コスト、人件費やサービスレベルなどを考慮して、どこから出荷すべきか決定してくれる。ウォルマートはこういったデータベース・プラットフォームを構築するのに4億3000万ドル投資したという。

  物流拠点としてのリアル店舗をネットワーク化をすることで、ネット専業アマゾンに、物流コストと配送速度で対抗しようというわけだ。が、このアマゾンとの競争において、リアルタイム在庫データベースの構築を進めている大規模小売業は、結果として、小売業の3大ロス(損失)といわれる値引きによるロス、廃棄によるロス、そして販売機会ロスの減少を実現することになる。危機感がなければ、これほど厖大な努力や投資はできない。アマゾンの脅威が米国小売業のムダを排除し利益の向上を生むわけだ。

  オムニチャネルの本質は、店舗小売業が一元化されたリアルタイム在庫のデータベースをもつようになることにある。これは、小売業の利益を向上することに直接つながり、長年の小売り業の悩みをかなりのレベルで解決してくれる。ネット専業と競争するなかで、店舗小売業の財務体質は頑強なものになっていくはずだ。

  考えてみれば、アマゾンが日本に進出した2000年、書店は全国で23000店舗ほどあった。この書店と取次店が協力して在庫のリアルタイム一元化をはかり、朝注文したら夕方には店舗で受け取れるというシステムを構築していたら、書店数が14年間で10000店近く減ることはなかっただろう (もっとも、タブレット端末も存在していなかった当時のIT環境では、無理だったと考えるのが妥当かもしれない)。

  話は突然変わるが、アマゾンは配送料無料サービスをずっと維持していくことができるのだろうか?

  アマゾンが利益も出さないのに積極投資を続けることができたのは株価が高かった。つまり、投資家たちがアマゾンの将来性を信じてついてきたことにある。「アマゾンは消費者利益のために投資家たちによって支えらえている慈善団体だ」と揶揄したアナリストもいるくらいだ。だが、さずがの投資家たちも20年間これといった利益が出ないのにはうんざりしてきたらしく、2014年に入ったころから株価も下がる傾向がみられ、さずがにこのままではいけないと思ったのだろう。アマゾンも利益を上げる意志をみせるために、2005年開始以来初めて、プライム会員費を79ドルから99ドルへと値上げした。

  その後、会費の値上げにもかかわらずプライム会員数が増大したということで、(数字を公表しないアマゾンだが、世界市場で53%増加したといわれる)、下がった株価はまた上がった。だが、これは本当にグッドニュースなのだろうか?

  FacebookやGoogleが無料サービスを広告収入で支えているように、サービスにかかる経費による損失は、どこかで埋め合わされなくてはいけない。購買客の45%を占めるというプライム会員の年間購買金額が非会員客の2倍だとしても、それで配送経費や物流センターへの投資をカバーすることは無理だろう。 

  FacebookやGoogleはアクセス客が増えても、それに合わせてサービス提供費用が相関関係的に増えるわけではない。しかし、アマゾンの配送経費は、プライム会員がふえればふえるほど相関関係的に増える。どこまでいっても、いたちごっこだ。いくらクラウドコンピューティングサービスや広告といった他の収入が成長しているといっても、アマゾンの無料ビジネスモデルで大幅に利益が増大する可能性はあるのだろうか?

  そもそも、90年代後半にネット関連サービス企業が登場するとともに無料が当然のような風潮になってはいるが、この風潮は10年後もつづいているだろうか? 言葉を変えていえば、無料のビジネスモデルは10年後も存続しているだろうか? 欧州では、フランスのようにアマゾンの無料配送を法律で禁止した国もある。また、Google やFacebookのように個人データにもとづいて広告収入をあげるビジネスモデルへの反対も根強くある。

  わたし的には、10年後に配送料無料サービスがなくなっていたとしても驚かない。誰もがそうしたくないのに、アマゾンという企業一社にひっぱられてやっているだけなのだから。そのアマゾンが、今後10年間も、これまでの20年間と同じように利益を出さずに投資家を魅了しつづけていられるとは思わない。株価が下がれば、アマゾンだって配送料を有料化せざるをえないだろう。それに、消費者も、タダでサービスが受けられるのに慣れてしまうことはよくないことだと思う。タダより高いものはない。結局、どこかで支払っているのだから。どこで支払っているのかが明確になっていたほうがいい。(・・・・などと評論家ぶっておえらいことをいいながら、ほとんど毎日、アマゾンで買ってまーす。だって、ペットフード一個買うだけでも配送料無料なんだもの。この便利さ、一度慣れたらやめられなーい~)。

  

 

  

  

  

 

 

参考文献:1. David Streitfeld, Amazon Reports a Profit, Citing Prime as the Key, The New York Times, 1/29/2015, Austin Carr, The Real Story Behind Jeff Bezos's Fire Phone Debacle And What It Means For Amazon's Future, Fast Company , 1/6/2015, 3. Shelly Banjo, Can Wal-Mart Clerks Ship as Fast as Amazon Robots?, The Wall Street Journal, 12/18/2014, 4.Steve Banker  Amazon vs. Walmart: E-Commerce vs. Omni-channel Logistics, Forbes, 10/4/2013

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2014年12月21日 (日)

IT企業や小売業が決済サービスを始める理由

 

 

 Attention!

「明日のマーケティング」のURLが変わりました⇒https://newmktg.lekumo.biz/ 

  最近、ビジネス誌を読んでいると、「決済サービス」という言葉がやたら目につく。商品やサービスを買った時にお金を支払うことを決済といい、決済サービスといったら、たとえばクレジットカード会社が提供しているサービスをさす。

  国語辞典によれば、、「商取引が成立すれば、一般的に、品物をを引き渡したり、金銭を支払ったりする権利(債権)や義務(債務)が生じる。決済とは、これらの債権や債務のうち、金銭にかんするものについて、実際に金銭の受け渡しをおこなって債務や債券を解消すること」だそうだ。

   こういった決済サービスは、銀行やクレジットカード会社といった金融サービス業が提供するものであった。が、最近は、小売業やIT企業の新しい決済サービスが続々と登場している。そのうえ、新しい決済サービスは、いまのプラスティックのクレジットカードより、ずっと使いがってがよくセキュリティも高いとされる。

  コンビニで買い物をしていると楽天のEdyやJR東日本のSuica(いずれもプリペイド形式の電子マネー)で支払っているひとをみかけたりするので、少額の支払いの多くは電子マネーで・・・と思ってしまうが、日本は、まだ、現金大国である。

   日本銀行の調査「決済システムレポート2012-2013」によると、日常的なショッピングにおける現金以外での支払いにおいては、1万円以下の支払いでは97.6%が現金で、電子マネー7.9%、クレジットカード4.7%となっている。1万円~5万円の支払いになると現金66.3%でクレジットカード50.5%、電子マネー1.2%。5万円以上の買い物になって初めてクレジットカードが現金を超えて57.6%、現金52.4%、電子マネー1.0%となる。

  (ちなみに、日銀のレポートにおいては、電子マネー = 一般的には電子的なリテール決済手段のうち、利用する前にチャージを行うプリペイド方式を採用したものと定義している)

   消費者(人間)には保守性があり、長年の習慣からなかなか離れられない。長い歴史がある現金やクレジットカードをつかう習慣が根づいている先進国全般にいえることだ。世界的調査(World Payments Report 2014)においても、非現金による決済金額の伸びの50%以上は新興国や開発途上国で発生している。グローバル全体で、クレジットカードやデビットカードの利用は継続して伸びてはいるが、スマホやタブレットといったモバイル端末による決済の急激な伸びが(モバイル端末による決済は2015年まで毎年60%余の成長が予測されている)、決済市場に大きな影響を与えている。世界でモバイル端末による決済をしている人の5人に1人は中国人だという調査結果もある。反対に、中国ではクレジットカードは10人に1人くらいしか普及していない。このままの傾向がつづくと、5年以内に、非現金取引において、中国が世界で最大の市場になる可能性が高い・・・と報告されている。

   日本には「代引き」というヤマトとか佐川といった宅配業者が提供する決済サービスがある。①ネット通販の利用が増大しているため、また、②商品の受け渡しと代金の支払いが同時に行われることによる安全性の確保といった利点があるため、2012年度には約2億件で2兆円規模に達している(ヤマトと佐川の合計)。

   このように各国の市場状況にあわせて特異な決済サービスが生まれるもので、中国では、eコマース最大手アリババが、「アリペイ」という決済サービスを提供している。顧客が不正な業者にだまされたりしないように、顧客から代金を一時的に預かり、商品が客に届いた時点で代金を販売業者に支払うことで、取引の安全性を確保するのに成功。これが、アリババが急成長した要因のひとつだとされる。

   非現金による決済サービスに注目が集まっている理由は、最近、GoogleとかApple とかAmazonといった著名IT関連企業がこの分野に進出してきているからだ。とくに、2014年秋にAppleがアップルペイという日本の「おサイフケータイ」に似た機能をiPhone 6やApple Watchに搭載したことで、決済サービスの話題に火がついた感がある。

   だいたいにおいて、こういったIT企業が決済サービスを提供することで、どんなメリットがあるというのか?

   小売業が、たとえば、楽天とかイオンが自ら決済サービスを提供したい意図は理解できる。クレジットカードや他の決済手段を使われれば、手数料を払わなくてはいけない。とくに、単価が低く粗利益率が数%しかないスーパーのような業種において、他社のカードをつかわれて手数料を支払うことは利益に大きく影響する。だから、小売業は金融サービスに進出し、願わくば銀行をかかえ、お金とモノが自社グループ内でぐるぐる回る環境をつくりたいと考える。

   よくいう、「XX経済圏」である。

   中国のアリババも、オンラインファンドMMF「余額宝」を2013年に始め、半年で4900万人から2500億元(≒4.5兆円)の預金を集めるのに成功している。銀行の定期預金より2倍も高い6%くらいの金利を提供しているのが人気の理由だ。アリババのECサイトでショッピングした客が、余額宝への預金をもとにアリペイ決済を利用すれば、自社グループ内でお金とモノが循環する。「アリババ経済圏」がつくられたことになる。

   楽天が自社カードを決済につかうのを促すためにポイントを提供するように、アリババも、たとえばスマホで決済すればキャッシュバックがあるようなインセンティブを提供して、経済圏への消費者の囲い込みを積極的に行っている(中国ではクレジットカードは10人に1人くらいしか普及していないので、スマホでの決済が多い。よって、スマホにタクシー配車、レストラン予約等の便利なアプリを無料配布し、そういったサービスへの支払も自社決済機能を使ってもらう。だから、スマホで顧客を囲い込む形でアリババ経済圏をつくろうとしている・・といわれる)。

   日本では小売業で銀行をかかえているところが多いが、米国ではなかなか難しいようだ。現に世界最大の小売り業のウォルマートは2005年に銀行を買収しようとしたが、反対する銀行団体のロビー活動によって2007年にはあきらめている。

  そのうえ、米国では、クレジットカードと、預金口座にリンクづけされているデビットカードで個人の決済方法の40%以上を占める。それに小切手を足すと60%を超す。よって、」eBay傘下のPayPalにしても、Googleにしても、Appleにしても、既存のクレジットカードに頼った形で決済サービスを提供している。

  Googleの決済サービス「グーグル・ウォレット」は、マスターカードをそれぞれのスマホに割り当てている。スマホの所有者がマスターカードを申し込むわけではないので、信用調査をする必要もない。買い物をすれば、グーグルはすぐに、その金額を利用者が選んだクレジットカードかデビットカードに課金するという2段階方式を採用している。

  アップルの場合は、利用者は最初に自分のクレジットカードの必要事項を入力しなくてはいけないが、あとは、スマホを専用カードリーダーにかざすだけで支払ができる。カード番号は店側にはわからないから、通常のクレジットカードよりセキュリティ度が高いことを売りにしている。

  Google が決済サービスを提供する目的は、消費者の購買データがほしいからだといわれている。だが、Apple は購買データは収集しないとはっきり宣言しているので、新製品の機能を高めることだけが目的かもしれない。

  こういった著名IT企業と一線を画しているのがTwitterの創業者の一人が始めたスクエアで、事業ターゲットは中小規模の小売やサービス店舗だ。スクウェアが提供するシステムを使えば、スマホやタブレットをレジ代わりにつかいクレジットカードで決済ができる。スマホのイヤホンジャックに500円玉大の専用カードリーダーを取りつけ、クレジットカードを通せば決済できる。店側にとっては、レジ端末やクレジットカード専用端末がいらず、無料配布するアプリと専用カードリーダーだけで初期投資がほとんどない。しかも、スクウェアは小売店が業績を上げるために必要なデータ管理や分析ツールも提供する。たとえば、顧客が一番多く来店する時間帯はいつかとか、雨天と晴天では売上はどれほど下がるかなど、個人商店がこういったデータをもとにマーケティング効率を向上することができるような無料アプリを提供する。

  Amazonも同じく中小の店舗や屋台とか移動店舗のようなサービス業者をターゲットに、スクエアと似たような決済ツールを、2014年夏に発売した。しかし、コーヒーショップなどが重宝する、こういった決済サービスは利益率が薄く、米スクウエアは2013年には1億ドルの損失をだしたといわれる。もっとも、Amazonの目的は、消費者の店舗における購買情報を収集することにあるそうだから、決済サービスでもうけなくてもよいのだろう。

  日本でも、楽天やコイニ-のように、スクエアやアマゾンと似たようなサービスを提供している企業がいくつかある。こういった企業は、目的はさまざまであっても、POSレジメーカーの脅威となることにかわりはないだろう。

  さて、ウォルマートの話に戻ろう。米国小売業や外食産業は、ウォルマートが中心となりMerchant Customer Exchangeという団体を設立し、2015年から、カレントCというスマホ決済サービスを開始しようとしている。そのため、Apple Payによる支払を拒否する店舗や外食チェーンも登場して、「消費者のことを考えているのか?!」と非難されたりしている。 カレントCの場合はクレジットカードではなくデビットカードを使い、アプリでQRコードを表示して既存のPOSレジで決済できる。これだとカードリーダー専用端末も必要ないし、クレジットカードにくらべて手数料が低い。当然のことながら、企業は利用者が識別できるショッピング情報を獲得できる。

  米国では、クレジットカードの手数料が高すぎるということで、店舗側が集団訴訟を起こす例もあり、カレントCには期待が寄せられている。その意味で、アメリカでは、新しい決済サービスは、銀行 対 小売や外食産業といった対決が背景にみられる。

   ウォルマートは以前から銀行を設立したいという願いがあり、2005年に申請したが、銀行業界から反対されて取り下げている。だが、2014年になって、金融サービスの提供に積極的になっている。たとえば、米国全土にある4200店舗に客が割安に送金できるサービス。ついで、地方銀行と提携して、スマホで利用できる、デビットカードにひも付された預金商品を発売したりしている。

   歴史的にみても、小売業が金融サービスをグループ内にかかえたいと願うようになるのは自然のなりゆきだ。前述したように、支払に他行のカードを使われて手数料を払っていては利益率が落ちる。そのうえ、購買客を決済手段で囲い込めば、そのあと、自動車保険とか他の金融商品を販売することが容易になる。

  利益率が非常に低い、とくにスーパーのような小売業に従事していると、固定費の小さい利益率の高い金融サービスが魅力的にみえるらしい。米国でいえば、70年代から80年代にかけては世界一の小売業だった「シアーズ」という会社は、銀行、保険、証券会社まで傘下にいれ、当時でいうところのコングロメリットとなった。最近の例では、英国のスーパー「テスコ」も同じような道を歩んできている。だが、シアーズは本業の小売業が低迷するとともに、客数が減ることにより、金融サービスもうまくいかなくなり、結果的には、すべての金融サービス子会社を売却することになった。そのうえ、本業の小売業のほうはいまだに低迷したままだ。

   英国のテスコも最近になって本業のスーパーの売上低迷、それに関連して不正経理の疑いも出てきて、株価が1年間で50%も下がっている。本業を盛り返す資金を捻出するために、傘下のテスコ銀行を手放のではないかとウワサされている。

   こういった歴史をふりかえると、本業の顧客ベースをもとに金融サービスに手をひろげた企業は、金融サービスの利益性に目をうばわれ、本業の小売業をついつい無視というわけではないだろうが、努力を怠ってしまう傾向があるようだ。コツコツ努力して1%や2%の利益率を上げるのを、無意識のうちにバカらしく思うようになってしまうのかもしれない。また、本業の売上が落ちても、金融サービスからの利益をあてにしてしまうので、危機意識がすぐには出てこない。

  

  「XXX経済圏」をつくったり、つくろうとしている企業は、そういった落とし穴に落ちないよう気をつけたほうがよいかもしれない・・・って、これ、老婆心のおせっかいだよね。失礼いたしました~

              楽しいクリスマスとお正月をお迎えくださいませ!

参考文献: 1. 「決済システムレポート2012-2013」 日本銀行2013年10月、2. World Payments Report 2014, Capgemini & RBS 、3.「アリババ、市場最大は最強なのか」日経ビジネス 9/29/2014、4.「中国スマホ決済、AT戦争が激化」日経ビジネス 3/3/2014、5.「スマホ決済の「本命」、米スクエア、CEOが語る日本戦略」 日経新聞電子版6/12/2013、6.Kamal Ahmed, Tesco, what went wrong?, BBCNews 10/22/2014,7.Mark Friedman, Wal-Mart's March into Financial Services Unsettling to Some, Arkansasbusiness 5/12/2014, 8. Ben Marlowm, Tesco eyes 1bn from bank sale, Telegraph 11/1/2014, 9.Greg Bensinsger, Amazon Unveils Mobile-Payments Service for Local Shops, WSJ 8/13/2014

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2014年10月23日 (木)

New! 「合理的なのに愚かな戦略」出版しました

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  新刊「合理的なのに愚かな戦略(日本実業出版社)」を出しました。ブログを通じてつながっている皆様に読んでいただければとてもうれしいです。「はじめに」の一部抜粋と、目次を紹介させていただきます。なお、「はじめに」をクリックしますとアマゾン書店にリンクいたします。

    はじめに

  ソニーやシャープ、日立やパナソニックといった日本を代表する企業の業績が急激に悪化して市場を驚かせました。あるいは、資生堂や吉野家のように、ブランドとか価格といった重要な要素でつまづき業績が低迷する例もみられるようになっています。こういった失敗や失速の原因を分析したビジネス誌の記事などを読むと、過去の成功体験から脱却できず傲慢になっていたとか、経営者が特定の部署やプロジェクトに愛着があったとか、過去のしがらみにとらわれていたとか・・・どれも人間の感情に深く関係する要因ばかりです。日航のような大手企業が倒産すれば、官僚的体質になっていた、つまり、大企業病にかかっていたと評されます。大企業病はリスクを取るのを嫌い現状維持をつづけたがる人間の本源的性向から生まれます。

  経営やマーケティングの戦略を立てるということで思い浮かべるのは、膨大な量の情報を前に、高度な学習教育を受け広範囲にわたる教養を身につけた経営者が、他の経営陣と議論を重ねたうえで論理的かつ理性的に熟考して判断をくだす・・・という光景でしょう。しかし、これは、意思決定プロセスのすべてではありません。知識、記憶、学習、思考を含む認知活動だけでは人間は決断を下すことはできません。認知は行動を起こすためのプロセスではないのです。

  一流企業の頭脳明晰であろう経営者が、なぜ、同じ間違いを繰り返すのか? 米国ビジネススクールの著名な学者によって書かれた経営書を熱心に読む経営者たちが、なぜ、誰からも指摘されるような単純な間違いを犯すのか? 理由は簡単です。ほとんどの経営やマーケティング戦略に関する本は、読者が論理的に考え意思決定を下すことを前提として書かれているからです。

 データや資料にもとづいて戦略を立てるまでは論理の世界です。でも、それを実行するかどうかの決断は理性だけでは決められません。過去の経験に基づくひらめきや、成功体験から生まれたしがらみ、プライドや功名心、執着心といったよう要素が大きな影響力を行使します。優秀な経営者であるからこそ、自分が理性以外の要素で判断しているとは思ってもみない。これが、有名企業が経営ミスを犯す最大の理由です。

 本書では、ビジネス上の重要な決定が論理的思考だけでは決められていないこと、それが、企業が失敗する真の原因だということを、具体的例をあげて解説させていただきました。

 また、ビジネスの世界で正しいとして常套句のように使われている言葉やそれに関係する考え方にも異議を唱えさせていただきました。たとえば・・・、

  • 日本の消費財メーカーの多くは、真の意味で消費者と真正面から向き合ってきませんでした。流通チャネルの確立に成功することでNo.1の座についた企業が多く、顧客は消費者ではなくて販売店でした。B2C(対消費者ビジネス)をしていたつもりでも、実際にはB2B(対企業ビジネス)しかしてこなかったのです。ですから、不特定多数の数百万人とか数千万人の消費者と双方向のコミュニケーションをするのは実は得意ではない。ブランディングとは何か理屈でわかってはいても、感覚的には理解していないのです。
  •  「女性が輝く社会」という化粧品会社の宣伝みたいなスローガンで、女性の社会進出促進活動が活発です。でも、ビジネス社会でいえば、いくら女性や外国人の雇用・登用を進めようとも、肝心の企業の中核にいる日本人男性の画一性が変らない限り、女性や外国人の力が活かされることにはならないでしょう。多様性が必要なのは、企業の中核にいる日本人男性なのです。
  • グローバルな時代だというのに、若い世代が内向きで困る。海外に留学する学生の数は減る一方だ・・と嘆くのは、前の世代の考え方です。いまの若者たちが地元志向で自分の家族や友人との関係を重要視するのは、グローバルな時代にそった賢い選択です。こういった世代が生まれたことを千載一遇のチャンスと捉え地方再生の原動力とする考え方が必要です・・・・・(以上、「はじめに」から一部を抜粋)

 

  全編にわたって、次のような企業の具体例が満載です・・・・《サッポロビール、サントリー、ベネッセ・コーポレーション、キヤノン、ゼロックス、アップル、ソニー、東芝、ダイソン、パナソニック、サウスウエスト航空、吉野家、松屋、アマゾン、トヨタ、ファーストリテイリング、シャープ、資生堂、楽天、野村證券、ホンダ、ナイキ、YKK、富士フイルム、日立、三菱ケミカルホールディングス、IBM・・・その他》


目次

第1章 「顧客志向」と「売上」との相関関係は低い

  • 「顧客志向」は経営者を安心させるための言葉
  • 「おもてなし」と「顧客を知ること」の大きな違い
  • 優良企業は顧客の声に耳を傾けて競争に負ける
  • きれいごとで終わっている「お客様第一」主義

第2章 「勇気」がなければ価格は変えられない

  • 価格を上げられないのは憶病だから?
  • 人間のあやふやな数字感覚(消費者のあやふやな価格感覚)
  • 十年間を棒にふった牛丼戦争
  • 名経営者でもおちいる認知プロセスの罠

第3章 過去の成功がもたらした「しがらみ」がブランドをつぶす

  • レクサスが高級ブランドになれない理由
  • トヨタにはチャネル戦略はあってもブランド戦略はなかった
  • 企業ブランドしかつくれなかった資生堂
  • 消費者の購買選択:意識選択は無意識のうちに準備される

第4章 日本企業がコミュニケーション下手な本当の理由

  • 日本人のコミュニケーションの特徴
  • 日本企業は社交が苦手
  • 暗黙知は無口であることを正当化しない
  • ストーリー(物語)が注目される理由

第5章 会社組織には「規模の経済」は通用しない

  • 「選択と集中」は普通の会社になること
  • 適切な規模は経営者の資質によってきまる
  • 大企業であり続ける確率は低い
  • 経営者の無意識の心理(シャープの場合)

第6章 幸せを感じるために敢えて小さな会社で働く

  • 大(大企業)は小(小企業)を兼ねない
  • 経営者の資質を神経科学から考える
  • 優秀な経営者はトリアージができる人
  • 大企業は不自然な存在
  • 地方再生をになう中小企業の存在

 

 もし、上記宣伝文句につられて(?)、本を読んでくださったとして、感想など、この記事にコメントとして送ってくだされば、さらにさらにうれしいですm(-_-)m

2014年9月23日 (火)

アマゾンと戦うヨーロッパ

 

  世界中の小売業が大魔神アマゾンに押しつぶされるのではないかと戦々恐々としているわけだが、ヨーロッパでは、大魔神に対抗して戦いを挑んだりもしている。そんな動きをちょっとまとめてみました。

  なんといっても、「やっぱり文化の国だ」と再確認させられたのがフランス。アマゾンの市場参入は2000年。売上は明らではないが、仏国における本のネット販売売上の70%を占め、すでに、4つの物流センターを開設している。

  フランスでは、ネット販売のせいで毎年数百件の書店が消えている。書店がつぶれるということはフランス固有の文化がなくなることを意味するとして、政府がアマゾンの活動を規制する法律を2014年1月に成立させた。アマゾンが書籍を安売りしたり、配送料無料にしたりすることを禁じたのだ。

  ヨーロッパでの戦いは、金銭的なものもあるが、それと同じくらい文化的な要素もある。本と本を売っている場である書店は、フランスにとっては文化そのものだとみなされる。グローバル化によってフランスの文化が、たとえば、ハリウッド映画や英国の音楽(ロック)によって荒らされるのを嫌い、自国の芸術や文学に対しては例外として補助金や税務上の優遇措置をとってきているお国柄だ。アマゾンが市場に参入する以前に、すでに1981年には、小さな書店を大きな書店チェーンから守るために、5%以上の割引をするのを禁じた法律をつくっている。

  フランスには3000軒の独立書店があり、これは、22000人の市民に書店1軒の割合だそうだ。(ちなみに、アメリカのアマゾン本社のあるワシントン州では7万人に1軒。日本では2014年5月現在で書店数は13943軒あるから、9000人に1軒くらいのようだ.・・・ただし、13,943店には大手チェーンの店舗数も含まれているかもしれない。ちなみに、アマゾンが日本市場に参入したのが2000年。前年の1999年の書店の数は22296店。これが、2014年には13943店に減っているから、15年で8353店消えたことになる。毎年平均550店舗以上閉店したことになる)。

  アンチ・アマゾン法と一般的に呼ばれるこの法律が、フランスの独立書店を守ってくれるとは楽観できない。アマゾンは、その後、配送料を0.01ユーロにすると発表した。0.01ユーロなんて無料ではないが、無料のようなものだ。

  楽観できない理由はもう一つある。フランスの一般市民はフランス文化を守ることには心情的には賛成でも、実際には便利さを選んでしまうだろうとみられている。書店にいって目当ての本がなければ、自宅に戻ってアマゾンで注文してしまう。顧客なんて「不実な愛人みたいなものだ」と書店店主はフランス的なメタファーをつかって、アマゾンは今後も成長していくのではないかと憂えている・・そうだ。

  アマゾンのドイツ市場への参入は1998年。2013年売上は105億ドルで、9つの物流センターを開設し、9000人の従業員をかかえる。ドイツにおけるアマゾンの問題は、「文化」ではなく「労働組合」だ。もっとも、ドイツにおいては、労働組合は伝統ある文化のようなものだ。

  米国や日本だと、労働組合はビジネスをするにはどちらかというと邪魔。存在しないに越したことはないと考えられる傾向が高い。が、ドイツの経済学者の多くは、自国の戦後の復興や、世界的景気低迷のなかドイツ経済が強いのは、経営陣と労働組合との「ソーシャル・パートナーシップ」にあると考えている。従業員代表者が経営上の重要な決定に参加することも多いし、取締役会のメンバーとなっている例も多い。労働組合は、経営者グループと同様に敬意をもって遇されるべきだと考えられている。

  一番最初に、2か所のアマゾン物流センターで400人ばかりの従業員がストライキをしたのは、より高い報酬を要求する目的もあるにはあったが、そもそもの問題は、従業員が労働組合をつくり団体交渉をする権利を会社が認めなかったことにある。アマゾンのドイツの物流センターで働くフルタイム従業員の9000人のうち2000人は、ドイツで2番目に大きい労働組合に属し、2013年から時々ストライクを実行していた。だが、アマゾンは、労働組合と交渉の場につくことを拒否している。

 「労働組合はドイツの文化であり、労働者と経営者の協力体制が産業界での特徴だ」とする従業員側。それに対してアマゾンは、「アマゾンの成功はネット小売業の急激な変化に適応する融通性にある。労働組合と交渉することにより物事が迅速に進まなくなるようなことがなかったから成長できたのだ」と反論している。

  アマゾンは、物流システムに支障をきたさずに、物流センターを組合員の少ない地域とか、あるいは隣国に移すことができる。それがわかっているから労働組合も、そこまで追い込むことはしないようにしている・・・というのが現状のようだ。

  アマゾンの英国での問題はお金だ。英国市場への参入は1998年、8つの物流センターをかかえ7000人の従業員が働いている。アマゾンの英国における売上は2013年に71億ドルだったにもかかわらず、700万ドルの税金しか払っていない。本社が税金の安いルクセンブルグに置かれているからだ。ヨーロッパのどの国からアマゾンに注文しても、ルクセンブルグの会社から購買したことになる。

  英国は、景気低迷がつづくなか、 国家予算をまかなうために、節税をはかろうとする企業へのしめつけを厳しくしている。スターバックスとかグーグルも、税率の低いオランダとかアイルランドに本社を置いていると批判された。スターバックスは、アマゾンに比べて気が弱いというか、税金逃れをしていると非難されるとブランドイメージによくないと思ったのか、あまりに厳しい(しつこい)追求にとうとう負けて、2014年以内に、本社をオランダのアムステルダムから英国のロンドンに移すことにしたと発表している。

   アマゾンはそういった妥協をしないので、英国でブランドイメージを落とすことになるのではないかと危惧する人たちもいる。だが、ブランドイメージが落ちても、売上は伸びるということもありえる。 日本でもアマゾンが日本の税金を払っていないと問題になったことがある。心情的にはアマゾンで買いたくないと思っても、即日・翌日配送は、やっぱり便利なので利用してしまう。なにせ、他に代わりになる小売業が存在しないのだから仕方がない・・・筆者を含め、多くの消費者は(独仏英国の消費者も含め)、なんだかんだといっても結局は購買し続けてしまうのではないだろうか?

  それにしても、アマゾンの強気というか我が道をいく、その徹底さぶりには感心してしまう。

  これは衆知のことだが、アマゾンは売上の割には利益率が極端に低いことで有名だ。2012年には売上が300億ドルから2倍の610億ドルになったにもかかわらず損失を出した。物流センターなどへの投資や配送料無料が原因だ。それにもかかわらず株価は高いので、ベソスCEOは強気をつらぬくことができる。アマゾンは、「消費者の利益のために、投資家グループが支えているチャリティ組織」だと、皮肉を込めた呼び名をつけたジャーナリストもいる。

   だが、2013年度(2013年12月期)の決算(売上745億ドルで純利益が2億7400万ドル)が発表されたとき株価は10%下がった。売上の伸びが第四四半期に下がっていたからだ。特に、海外の売上の伸びが13%と、米国での26%に比較すると低いことが投資家を失望させたらしい。

  それもあって、プライム会員費を、今年の4月に、これまでの79ドルから99ドルに上げた。2500万人いるとされるプライム会員の年間購買金額は通常顧客の2倍だといわれ、2012年の売上の10%を占めているとされる。今後、更新日がくると各会員は値上がりした会費を払ってまで会員でいつづけるかどうかの選択を迫られることになる。半年くらいすればはっきりするだろうが、プライム会員の脱会率がどのくらいになるか注目されている。

 いずれにしても、1994年創業以来、これといった利益もあげることなく、積極的投資をつづけることができたのは、将来性というか将来の夢に賭ける株主のおかげであり、そういった意味で、アマゾンはアメリカ型資本主義が支えているといってもよい。株価が下がらない限り、アマゾンは積極投資を続けることを株主に許可されたとみる。株主にとってみれば、物流システムに積極投資をし配送無料をするということは、市場から競争を排除することを意味するわけで、将来性は高くなる。とくに、売上の伸びが高い限りは、即日・翌日配送で配送料無料というアマゾンのオファーを顧客が支持していることを意味するから、株価は下がらない。

  アマゾンというかベソスCEOは「すべては顧客のために・・・」と強く信じている。だから、フランスで敵対的法案ができてもひるむことなく0.01ユーロの配送料金を課すという大胆な行動に出る。ドイツで労働組合と交渉したくなければ、物流センターの場所を変えても、即日配送と配送料無料を維持しようとする。売上が伸びるということは顧客の賛同を得ているとするぶれない信念があるようだ。

  米国の経営者は戦略をたてるにおいてシンプルと言う言葉をよく使う。アップルのスティーブ・ジョブスは、自分のモットーはSimplicity(シンプルであること)とFocus(一つのことに集中する)だと言っていた。アマゾンのベソスCEOも、顧客満足というたった一つのことに集中して、政府が介入してこようが、その国特有の文化であろうが、決してぶれない。これは非常にむずかしいことで、実際には大半の企業が状況によって妥協している。

 

  大企業だから妥協せずにすんでいる・・・ともいえるが、妥協しないでやってきたから大企業になった・・・ともいえる。まあ、どちらにしても、ぶれのなさには、やっぱり感心する。

  ベソスやジョブズ両氏をまねて単純に考えてみると・・

  先進国の消費者を、お金と時間で単純に分けると、お金を持っている人は(忙しく働いていいるので)基本的に時間がない。反対に時間がある人は(フルタイムの仕事でないか報酬の低い仕事なので)お金がない。そして、お金を持っていて時間がある人は少ない(働かなくても資産を親から受け継いだタイプの富裕層)。お金も時間もない人は、いわゆる、「働けど働けどなおわが暮らし楽にならざり、 ぢつと手を見る」の層で、ある意味、申し訳ないが、ターゲット顧客としては魅力がない。つまり、アマゾンは、お金と時間という20世紀後半から人間の暮らしや人生をつかさどる二次元軸の両方でアピールすることで、消費者の大半を魅了することに成功した。21世紀のこれから、この二次元軸にエコロジーが加わって三次元軸になるかどうか・・・?

  しばらくブログを休んでおりましたが、再開いたします! 

  これからは、まめに更新したいと思っておりますので、時々、読んでいただけますよう、どうそ、よろしく、お願い申し上げますm(_ _)m

参考文献: 1.Matthew Yglesias, The Pfophet of No Profit, Moneybox, 1/30/14 , 2.Jay Greene, Special Reports, The Seattle Times,8/23/14, 8/23/14, 8/25/14,3.Amazon's Revenue Growth Slows Down, Forbes 2/3/14,

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2013年12月10日 (火)

未来のお金は統一通貨じゃなくて、ビットコインとその仲間たち

 

 

  お金(貨幣)は人類が生んだ最大の抽象概念だという。貝殻や金(ゴールド)や1万円と印刷した紙切れを、モノやサービスとの交換媒体として利用するという発想は、高度な認知機能が発達した人間だからこそできる考え方だ。

  だが、金(ゴールド)とか紙幣はまだましだ。形がある。見ることができるし触ることもできる。

  ビットコイン(Bitcoin)は無形だ。見ることも触ることもできない。仮想貨幣(Virtual Currency)ともデジタル貨幣(Digital Currency)ともいわれる。オンライン上で暗号技術を利用して匿名性を維持しながら取引きできる。また、音楽ファイルを簡単にコピーするように、同じ貨幣が何回も使われるというネット特有の問題をも、暗号技術で解決している。だから暗号貨幣(Cryptocurrency)とも呼ばれる。

  2009年、ビットコインの価値は15セント以下だった。2010年くらいから、取引きが活性化するとともに価値が上がり、2011年には1ドルくらいになった。アップダウンをしながら、2013年11月には1ビットコイン=750ドルになった日もある。

  2008年に、Satoshi Nakamotoという謎の人物がネット上で9ページの論文を発表し、銀行とかクレジットカード会社といった金融機関を通さずに、一人からもう一人に(ネット上ではコンピュータを操作している人間を識別するわけではないので、対等の関係の端末から端末へという意味でPeer to Peerといわれる)・・・つまり、P2Pで直接オンライン支払いができるビットコインと呼ばれる電子貨幣の提案をした。

  この論文では、政府や中央銀行の介入を受けない貨幣であることが強調され、2008年末の金融危機における政府や銀行の無策ぶりに嫌気がさしていた特定グループを魅了した。

  だが、ビットコインが注目を集め価値が上がるようになった最大の要因は、ヨーロッパにおける経済危機だ。とくに、政府が発行している貨幣への信頼がゆらいでいる地域では、ビットコインの所有率は高くなっている。たとえば、、キプロスのような国では、ユーロ圏から支援を受けるために、政府が銀行預金課税として富裕層の預金の25%を徴収しようと考えた。それを知った市民は、銀行から預金をおろし、マットレスの下に隠したり、ゴールドを買ったり、ビットコインを買った。

  インフレーションが年率25%のアルゼンチンでは、一般市民が伝統的通貨やゴールド、あるいはクレジットカードで海外に支払いをすることは規制されている。政府や中央銀行なんか信頼できないと市民が思っている国では、ビットコインを持っている人の割合は高くなる。

  中国検索大手の百度(バイドゥ)は一部サービスの決済手段としてビットコインを受け入れることを発表している。人民元の換金や資本移動が厳しく管理されている中国だからこそ、政府支配をうけない通貨への関心が高いのかもしれない。

  2013年には、世界中で、1100万個、つまりおよそ10億ドル以上のビットコインが流通している((コインという名称からつい1個、2個と数えてしまうが、無形のものを個数で数えてよいものか、ちょっと迷う。今後は、単位とする)。この金額は、リビアやブータン、その他18か国の小国が所有する貨幣金額より大きい。カナダのバンクーバーには世界最初のビットコイン用ATMがある。クレジットカード会社やPayPalに数%の手数料を払うことを嫌い、手数料がゼロに近いビットコインを取引に使う業者はオンライン上で1万件あるし、リアル店舗でも1000件あるという(もっとも大手小売業は入っていない)。政府や企業のマル秘情報を公開するウィキリークスもビットコインでの寄付金を受け入れている。

   ビットコインは、手数料ゼロで、簡単、迅速、かつ匿名で送金できるということで、最初に人気を得た。だが、いまでは、保存(富を低コストで維持保存する)や投資にも利用されるようになっている。

  しかし、いくらデジタルマネーや電子マネーに慣れているといっても、たとえば100万円をビットコインに交換する勇気は、あなたにはあるだろか?

  現金は持たない、デジタルマネーに慣れている・・・といっても、それは、ただたんに、決済手段としてケータイを使うというだけのことが多い。他国に先駆けて「おサイフケータイ」を始めた日本では、2012年3月にはケータイをもっている6人のうち1人はケータイでショッピングや飲食店の支払いをしている。

  アフリカのケニアではケータイで預金、送金、支払いができる。1500万人がこのシステムを利用して、ケニヤのGDPの三分の一のお金がこのシステムで流通している。モバイルル通信会社サファリコムが2007年に始めたM-Pesaサービスの利用者がここまで増えたのは、ケニアの多くの国民が、① 銀行口座やクレジットカードを持っておらず、② 他の送金手段は料金が高い、③ 内戦の多い地域では銀行に預けるよりも安全・・・といった理由がある。似たような状況にある国、例えば、タンザニア、アフガニスタンやインドでも、同じようなシステムの導入が進んでいる。

  米国、英国、ドイツ、フランスといった国も遅ればせながら、ケータイによる決済サービスを導入し始めた。たとえば、グーグルも2011年にGoogle Walletを開始した。

  決済(支払)にケータイを使う例は、キャッシュレス社会が進むことをしめしてはいる。が、「ケータイさえあれば現金はいらない」というセリフは実際には正しくない、ケータイが貨幣になったわけではない。ケータイは支払を満たすだけの現金がどこかに存在するという証明をしてくれているだけだ。

  キャッシュレス社会を促進したい国は多い。

  現金は物理的に形があるがゆえに経費がかかる。米国での研究によると、新しい紙幣の印刷、武装したトラックなどによる移動、ATMの補充・・・など、現金流通システムを維持するためにGDPの1%くらいの経費がかかるという。巷に出回る現金を少なくしようという動きもあり、オランダでは、現金が使えるレジは一日のうち数時間しかあかないというスーパーがある。スウェーデンでは、政府と労働組合が協力して現金がなるべく多く流通しないように工夫している。店舗や銀行から現金を少なくすれば、店員が強盗に襲われるリスクも少なくなるし、警察の負担も少なくなるというわけだ。

  このように、キャッシュレスが進む社会において、伝統的通貨への経済的または心理的依存は弱くなっているといえる。だから、疑似マネーのようなものが登場する。

  たとえば、ポイント。

  ポイント天国といわれる日本でのポイントの年間発行額は1兆5000億円を超える。国民一人当たり1万円以上になる。ポイントが疑似マネーといわれのは、いくつかのポイント交換を経なくてはいけないかもしれないが、最終的に、現金に還元できるようになったからだ。ポイント交換サイト「ポイント探検倶楽部」を利用する人の年間獲得ポイントは平均で8万円分を超えるという。

  オンラインゲーム上で使われる仮想通貨やアイテムも現金に換えることができる。そういった行為に批判があるとしても、換金できる仮想通貨やアイテムも疑似マネーと呼ぶことができる。

   ビットコインBitcoinは、こういった疑似マネーとは違う。最初からリアルマネーとしてつくられている。

  ビットコインは、金(ゴールド)に非常に似ている。・・・というか、金を念頭につくられた貨幣だ。金を採掘するには時間も労力も必要だ。しかも、金の埋蔵量には限りがあり、浅いところにある金を採掘するのは簡単でも、深い所にいけばいくほど採掘もむずかしく、また経費もかかるようになる。ビットコインは、金と同じように、全採掘量(全鋳造量)は決められているし、鋳造すればするほど1単位のコインをつくるのがむづかしくなるように、あらかじめ定められている。

  1. ビットコインの鋳造量は2100万単位と定められている。2140年までにはすべてを鋳造しおわると予測されている。
  2. ビットコインを鋳造するということは、ソフトウェアに組み込まれている数学パズルを解くことで、成功すれば報酬として、最初のころは50単位獲得できた。が、報酬額は鋳造量が一定レベルに達するごとに半減するようにプログラムされている。すでに、2012年には25単位に半減している。2017年には12.5単位になるはず。
  3. ビットコインが鋳造されればされるほど、パズルを解くことがむつかしくなっていくようにプログラムされている。

  こういった仕組みによって、ビットコインの流通量は、最大2100万単位になるまで、少しずつ減少するペースで増量する。他の伝統的通貨のように政府や中央銀行が通貨を増やす政策をとることでインフレーションを引き起こすリスクはビットコインの場合ない。ビットコイン通貨量の成長が減少し、価値が上昇するとともに、ゆっくりとではあるが徐々にデフレーション傾向になっていくようにつくられている。

  2008年に、ビットコインの生産や交換の仕組みを説明した文書を発表したSatoshi Nakamotoは、2009年にはその仕組みをつかってビットコインを交換するオープンソース・ソフトウェアを発表した。このソフトウェアは、現在、数人の中核チームによって運営されている。

  オープンソースソフトウェアをダウンロードすると、ビットコイン利用者が使うコンピュータ数万件からなる分散されたネットワークにつながり、他人とビットコインを交換するのに必要な二つのカギも生成される。カギの一つは私的なカギで自分のコンピュータ内に隠される。もう一つは公的カギでビットコインアドレスとして使われる。どんなに威力あるコンピュータを使っても、公的カギから私的カギを解くことはできない。よって、誰も自分のふりをすることはできない

  ビットコインアドレスは数字とアルファベットがつらなる27~34字からなる。取引相手がこのアドレスを送ってきたら、そこあてに支払いをする。取引をすると、ソフトウェアは、相手の公式カギとあなたの私的カギ、そして支払われたビットコイン金額を数学的に組み合わせ、その結果を、ビットコインネットワークに伝達する。

  つまり、ビットコインの正体は、取引き証明書のようなものなのだ。そして、この証明書はネットワーク内に公開されたことになる。

  こういった証明書が公開されることにより、いま現在誰がどれだけビットコインを所有しているとか、これまでどういった取引があったかといった詳細なデータすべてがネットワーク内で共有されることになる。(誰が・・・と書いたが、むろん、個人を識別するもののではない)

  この方法では、同じビットコインを何度も使ったりするというような不正行為は不可能となる。

  ビットコインを採掘するには、数学的問題を解かなくてはいけないと書いた。もう少し詳しくいえば、ビットコインのハッシュ・アルゴリズムが適用されると特定のパターンを生み出すような一連のデータを見つけることが解答を得たことになる。マッチングができれば、採掘者(鋳造者)はビットコインを報酬として得ることができる。

   ビットコインのような仮想貨幣は、ビットコイン誕生以前にもそれ以後にも、いろいろつくられている。その中でも、ビットコインは最も完璧に近い貨幣だといわれる。

  その証拠というわけではないが、米国で、11月18日に、仮想通貨の将来性や危険性について議論する上院公聴会が初めて開催された。もしかして、ビットコインは違法といわれて規制されるのではないかと懸念されていた。が、ふたを開けてみると、その逆だった。合法性にある程度のお墨付きが与えられたのだ。

  匿名性が保たれるビットコインが、マネーロンダリングとかドラッグの売買といった犯罪に利用される危険性についても、政府代表者は、「仮想貨幣でもモニターして取り締まる自信がある」と証言。経済犯罪の専門家も、「今でも、マネーロンダリングには現金が最適な手段であることに変わりはない」と証言した。FRB(米連邦準備理事会)のバーナキン議長も、上院公聴会に送った書簡で、ビットコインの一定のリスクを認めながらも「今後のイノベーションによって、より速く、より安全でより効率的な支払システムがもたらされるとしたら将来的に有望かもしれない」との見解を示した。

  その日に、ビットコインは1ドル=750単位にまで高騰した。

  政府の後ろ盾のない貨幣を使うなんて、あくまで少数派に限られると思うかもしれない。だが、これまでの貨幣の歴史を見れば、人類は大胆なリスクをとる経験をしてきている。

  13世紀の中国を訪れていたイタリア商人のマルコポーロは、紙切れが金、銀、真珠と交換され、一般庶民も紙切れと日用品を交換しているのを見て目を丸くして驚いている。中国は8世紀に世界に先がけて紙幣を発行している。が、それが一般的に流通するには500年かかっている。

  お金は電子化されて数十年たっているだけだ。私たちが、まだ形ある現金、あるいは形あるカードを捨てきれないのは当然だろう。考えてみれば、紙幣はむろんのこと、金や銀、それ以前の貝殻だって、すべて、本源的価値などない。金(ゴールド)にしたって、私たち全員がそれに価値があると認めているから価値があるわけで、食糧危機におちいって食べものがなくなったら、金のノベ棒にはサツマイモ一個の価値もない。

  バーチャルマネーはむろん、ポイントのような疑似マネーだって、みんなが認めれば、ドルや円といった伝統的貨幣と同等だ。

  遠くない未来・・・・日本円、ドル、ユーロといった伝統的貨幣、ビットコインやそれに似たような新デジタル貨幣、あるいはツタヤポイントやゲームで使う疑似マネーなど、数百種類のマネーが自分のスマホの財布の中に入っている。どれだけ入っていようとも、どこで何に支払うかによって、スマホがどのマネーを使うのが一番お得かを一瞬のうちに計算して教えてくれる。その指示にしたがって、交換率が一番よくて、送金料や、手数料が一番低いマネーをつかう。

  つまり、将来は、何十、何百、何千といったリアルやバーチャルな貨幣を国籍に関係なく一般市民が日常的に使うようになる。欧州で一つの通貨ユーロを使うなんて、かつて、それが最善のように考えられた概念は、もはや存在しない。

  Google のビッグデータに基づく翻訳手法のような考え方が進化する結果として、モバイル端末やウェアラブル端末をつかって、異なる言語を話していると意識することもなく互いに会話や議論を進めることができるようになる。言語がとくにひとつの言語に集約される必要がなくなるように、通貨も一つにまとめる必要はなくなる。

  まあ、そこまで過激でないとしても、「貨幣間での競争は良いことだ」と考える経済学者はいる。ビットコインがたとえ小規模でも、政府や中央銀行の介入なしに、経済的に成功することができれば、それは伝統的貨幣に良い影響を与えることになるだろう・・・というわけだ。

  1999年に欧州統一通貨ユーロが導入された。二度と大きな戦争を起こさないという悲願とともに、戦後世界支配を続ける米国とドルに対抗できる経済圏をつくろうという野心のもとに統一通貨はつくられた。だが、その結果が、いまの混乱だ。人間の(自分中心、自国中心の)利己的本能は変わらない。

  だったら、自分自身でお金の管理をするのがよい。

  それぞれの貨幣の供給量の制限の有無とか為替(交換率)とか、そういったことに関して政府や中央銀行に頼ることは、もうやめよう・・・というわけだ。ユーロのような統一通貨も必要ない。アジア経済圏の統一通貨も必要ない。

  政府の介入がないかわりに、ネット社会のP2Pの関係においては、どの貨幣を使うかは自己責任となる。

  もっとも、私たち人間には複雑な計算はできない。その時々の市場状況や各貨幣の特徴を考慮したうえで、どの貨幣を使うか瞬時に判断できる端末がなければ、私たちには判断できない。・・・ということは、政府や中央銀行とかに頼らないかわりに、私たちのコンピュータ依存度はますますというか非常に高くなるということだ。

  結局、何かに頼らないと、生きていけないんだ。人間は・・・・。

 

参考文献: 1. John Matonis,Bitcoin's Promise in Argentina, Forbes 4/27/13, 2. Stephen Filder, 一からわかるキプロス問題, The Wall Street Journal 3/22/13, 3. Ryan Tracy, Authorities See Worth of Bitcoin, WSJ. com, 11/18/13, 4.What Bitcoin Is, and Why It Matters, MIT Technology Review, 5/25/11, 5. James Surowiecki, A Brief History of MOney, IEEE Spectrum, 5/30/12, 6. Morgen E. Peck, Bitcoin: The Cryptoanarchists' Answer to Cash, IEEE Spectrum, 7.Mikolay Gertchev. The Money-ness of Bitcoins, Mises Daily 4/4/13, 8. Why does Kenya lead the world in mobile money? , The Economist, 27/5/13, 9. Kat Ascharya, See How One Man Destroys the Need for Paper Money...With a Single Mouse Click, MOBILEDIA, 7/8/13, 10.「ポイント活用、年8万円得?」 に日経新聞 24/11/13, David G.W. Birch, There's No Stopping the Rise of E-Money, IEEE Spectrum, 11. Noam Cohen, Speed Bumps on the Road to Virtual Cash

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2013年10月23日 (水)

「おもてなし」は顧客戦略を必要としない。真の顧客志向でもない。

 

 

 

  東京オリンピック招致が成功して以来、「おもてなし」が手ぶりつきで流行している。滝川クリステルがした手ぶりだからチャーミングだったが、猪瀬都知事がしていたらギャグ漫画だ。

  あれ以来、滝川クリステルはすっかりCMの人気者になった。そして、「おもてなし」の定義とか語原とかも熱く論じられるようになっている。接客マナーを教える人は、「表裏なし」という語原を強調し、表裏のない気持ち、真心をもって客を迎えることだと説明する。が、これは、かなり後世になっての意味づけだ。客商売をする人たちが、「商い(あきない)」=「飽きない」とゴロ合わせをして、商売は飽きずに辛抱強くつづけるものと言い伝えたのに似ている。

  実際には、国語国文学の専門家が説くように、「おもてなし」は、「もてなす」という動詞が名詞化された「もてなし」に丁寧語の「お」がついたもの。そして、「もてなす」という言葉は、「そのように扱う」とか「そのようにする」といった意味の「成す」に、その動詞を強調する「もて」という接頭語がついたもの。本来は、「とりなす」とか「取り扱う」「待遇する」といった意味でつかわれ、接待するような意味合いでつかわれるようになったのは中世以降になってからだそうだ。

  いずれにしても、「おもてなし」はあくまで受け身の言葉である。つまり、店にやってきた客、旅館やホテルにやってきた客を「そのように扱う」、この場合、「VIP客であるかのように扱う」ということになる。

  日本人が大好きなピーター・ドラッカーは、著書「マネジメント:務め、責任、実践」で、世界で最初に近代的マーケティングを実行したのは、17世紀半ばの日本の「越後屋」だと書いている。いまの日本橋三越の前身である越後屋が、江戸時代に、世界にさきがけて、革新的マーケティングを始めたというのだ。それまでは、商売は自分がつくったものを売ることだった。が、越後屋は京都をはじめ日本各地からさまざまな呉服物を仕入れて顧客に提供した。しかも、現金で買う客は、武士であろうと町民であろうと正札の値段どおりに販売した。現在の価値で年商100億円の売上をあげ、店員(小僧)は300人以上。規模からいっても世界最初の大型量販店だったといわれる。

  この越後屋時代の接客精神を、1904年(明治37年)に日本最初の百貨店といわれる株式会社三越呉服店が設立してからも受け継ごうということで、1907年(明治40年)につくられたのが「三越小僧読本」。小僧、つまり店員に配られた書には、商人道とそれを実践する店員の接客心得が10か条にまとめられている。

  「お客様は神様」という考え方の源となっているような箇所もみられる・・・・「そもそもお客本位といふは、御客様大明神のことなり、お客様一大事なり、御客様の御無理を御道理とするにあるなり」と書いてある。

  これが、日本の接客精神「おもてなし」の基本だ。

  小僧読本には次のような箇所もある。現代語に訳すと「お客様は子供のようなものだと思え。三越の小僧はその相手だと思えば間違いがない。だから、どんな無理難題も受け流して、店内にいる限りは、楽しく愉快に過ごしてもらうことが大切。入店の時には、家庭に不幸、悩み、怒り、不機嫌などがあろうとも、店を出るときには『ああ、気持ちがさっぱりした。三越で遊んだので心の底まで愉快になった』と思っていただくようになれば、三越の繁栄は今日とはくらべものもないほどの高みを達成するはずだ。・・・・だから、三越の小僧は、一瞬間とも油断せず、いちいちお客様の脈を取らぬまでに、親切、用意、慇懃、正直、機敏、あらゆるさじ加減をもちいるべきである」

  まさに、これが、いまの日本の接客業における「おもてなし」の精神の基本である。店内にいる間は、すべての不快感を忘れて(というか、それを小僧にぶつけることで忘れて)、さっぱりした快の気分で出て行っていただく。

  ここには、顧客セグメンテーションとか顧客戦略などというものは厳密には存在しない。来る者はこばまず。来店あたり10万円つかう上客であろうと1000円しかつかわない客であろうと差別なく、「お客様はみな神さま」。店舗という販売形態においては、1日の来店客数が100人だろうと1000人だろうと、人件費を含めた固定費に変わりない。店を1日開けているのに必要な経費が、客の数に関係なく同じであれば、1000円でも多く売上があったほうがよい。来店客はその質よりも量が重要になる。

  気配りするのに余分の経費がかかるわけではない。だから、お客様は差別なく、むずがって駄々をこねる子供だと思ってもてなす。

  お客様は平等に神様として待遇される。

  客を差別しないのなら顧客戦略は必要ない。

    顧客戦略が必要になるのは、売り手側から買い手側である客にコミュニケーションをしかけるとき。つまり、受け身ではなく、売り手から能動的に客に働きかけるときだ。TVや新聞、雑誌といったマス媒体を通じて広告メッセージを送るときにも、ターゲットとなる顧客セグメントを決め、それに合わせたメッセージ内容やデザインにするといったクリエイティブを考える。おおざっぱな顧客戦略は必要だ。だが、歴史的にみて、顧客戦略を発展させたのは通信販売を含めたダイレクトマーケティング企業だろう。

  顧客セグメントに合わせて営業部員が訪問する(銀行や保険なら外交員、デパートなら外商にあたる)、あるいは、ダイレクトメール(カタログ)を送ったり、電話をしたり、eメールを送る。要は、顧客がもたらしてくれる利益に合わせて、つかうチャネルやコミュニケーション内容(コンテンツ)を変える。それによって、投資利益率の最適化をはかる。ダイレクトマーケティング企業が精通しているのは、顧客をその現在や将来の利益性によってセグメンテーションし、それに見合った投資をするという顧客戦略だ。

  こういったデータに基づく顧客戦略は、競争市場がネットに移行することで必要なくなった。ネット販売におけるダイレクトマーケティングでは、顧客戦略は必要ない。

  ネットは、古い販売形態である店舗販売と同じように受け身のチャネルだ。アクセスしてくる客に対応するネット販売は、店舗販売以上に顧客戦略を必要としない。ネット上での「おもてなし」はデータに基づく。過去データやリアルタイムのアクセスログデータに基づいて、アクセス客一人一人にパーソナライズされたメッセージを提示する。こういったことを実現するために初期のシステム投資はかかっても、パーソナライズされた「おもてなし」を100万人に提供しようとも1000万人に提供しようとも付加経費は発生しない。店舗と同じように、アクセスしてきた客が1000円購買してくれる客か10万円購買してくれる客かには無関係に、誰にも平等なサービスを提供することができる。店舗では、一人一人にパーソナライズなサービスを提供するにはより多くの数の店員を配置しなくてはいけない場合もある。が、オンライン上では、すべての客は(店舗販売以上に)公平かつ平等に「おもてなし」を享受することができる。

  だから、オンライン上では、顧客戦略はいらない。戦略などなくても、つまり、投資利益率を考えることなく、一人一人にパーソナルなサービスを提供できる。

  来店客(アクセス客)に差別なく、「ご無理ごもっとも」で待遇する「おもてなし」に、本当の意味での顧客志向は存在するのだろうか? 三越の小僧読本には、どんなに無理難題をふっかけられても相手は子供だと思って、ご無理ごもっともとはぐらかし、とにかく気分よく帰ってもらえ・・・と書いてある。「一瞬間とも油断せず、いちいちお客様の脈を取らぬまでに、親切、用意、慇懃、正直、機敏、あらゆるさじ加減をもちいるべきであり」とも書いてある。

  こういったやり方を非難しているわけではない。私もサイト上や店舗内で、こういうふうに待遇してもらえば、さぞかし気分がよくなるだろうと思う(もっとも、客を子供だとみなすから、客も自分は子供みたいにダダをこねてもよいという気持ちになる。だから、店員に暴力をふるったり土下座させたりといった、大人らしからぬふるまいに及ぶのだと考えることもできる)。

  「おもてなし」の顧客志向はホンモノなのだろうか?

  ちょっと古い本だが、1980年代初めに出版され世界的ベストセラーになった「エクセレント・カンパニー」のなかに、「超優良企業の価値観は、いつもかならず強い顧客志向に基づいている。言い換えれば外部志向が人一倍強い。したがって、超優良企業は、環境の変化には並はずれて敏感であり、競争会社よりも適応力に勝るということがいえる」という箇所がある。

  「おもてなし」の心理は受動的である。来店してきた客、アクセスしてきた客に、その時の気分を含めてパーソナライズされたサービスを提供し、満足してお帰りいただく。これを外部志向が強いといえるだろうか? 自分たちが創り管理する世界にやってきた客を満足させ外に送り出す。自分たち独自の世界観をつくるプロセスは、どちらかといえば内向き志向であり、外の環境の変化に並はずれて敏感だとはいえないのではないか?

  エクセレント・カンパニーに取り上げられた企業のいくつかが、その後の、不安定な経済状況を乗り切ることができなかったのは、彼らの顧客志向がホンモノでなかったからかもしれない。

  おもてなしのメンタリティはあくまで受け身。外に出て客を引っ張ってこようという能動性はない。

  日本企業はマーケティングが下手だという評判は、海外ではすっかり定着しているらしい。最近でもAdvertisingAgeに「日本企業はマーケティングがなんであるか理解していない」と書かれていた。それは、日本企業に外に出て客を引っ張ってくる能動性、店舗やネットにアクセスする気がない客の考えを変えてアクセスするように仕向ける積極性がないことを指摘していることに他ならない。やってきた客には考えられうる限りの気配りサービスを提供するのに、やってくるように仕向けるプロセスには無関心なのだ。そういったプロセスにはそれなりのテクニックもいるのに、それを修得し使用する気がないということなのだ。

  だから、不景気になって消費者がひきこもるようになり、自分たちの世界(領域)にやってこなくなると、手のうちようがなくなり、一番知恵のない方法、つまり安売りに走る。

  マーケティング上手といわれる韓国の自動車メーカー「ヒュンダイ」は、2008年の金融危機後、米国における自動車の売上が下がるなか、巧妙なキャンペーンを始めた。ローンを組んでクルマを買ったとして、失業したら、どうやって残りのローンを払うのか?・・・不安から買い控える消費者たちに「ヒュンダイの安心保証」を提供した。ヒュンダイのクルマを買った後1年以内に失業した人たちに、自動車を買戻すことを保証したのだ。結果、2009年の売上は、他メーカーが軒並み落ちたににもかかわらず8%伸びた。実際に買戻す結果となった客数は350人だった。GMのようなメーカーも、その後、同じようなキャンペーンを実施したが、ヒュンダイほどには成功しなかった。

  東日本大震災が発生したわずか1か月後。不要不急な商品を買い控える消費者が多いなか、デビアスのフォーエバーマークは8万円もするダイヤ入りコードブレスレットを販売するのに成功した。コードブレスレットには愛情や安心感をいだかせるストーリーがあった。また、代金8万円の一部を被災地の子供を援助するNPO法人に寄付する仕組みもあり、贅沢品のジュエリーを買うことへの罪悪感も消し去ることができた。わずか6か月で1800万円近くの寄付金が集まったというから、価格の5%を寄附したとして、20倍の3億6000万円(4500本のブレスレット)を販売したことになる。

   2つのケースは、顧客の心理を深く洞察し、積極的にメッセージを送ることで、買うのをやめようとする気持ちを変えるのに成功した例だ。そのうえ、消費者をハッピーにした・・・とまでいかなくても、当時一番必要だった安心感を提供することに成功した。これは「おもてなし」ではない。だが、売り手が顧客に注意や意識、考えを専念させた結果だろう。ホンモノの顧客志向である。

  おもてなしを批判するつもりはさらさらない。だが、あくまで受動的な「おもてなし」を顧客志向だと考える風潮はいただけない。企業はもっと積極的に外に出て、自分の領域に客をひっぱってくるくらいの気持ちでなくては、マーケティングに上達することはない。

  東京オリンピック招致のために、日本チームが日本人らしからぬ積極的態度でのぞんだように・・・。

 

 

2013年8月18日 (日)

「デザイン思考」とエジソンとアップルの系譜

 

 

 「デザイン思考(Design Thinking)」という言葉を耳にするようになった。アメリカでも、今年の1月にTV報道番組「60 ミニッツ」でデザイン思考の特集が組まれてから、一般的に知られるようになった。

 日本でも朝日新聞が8月6日に、デザイン思考を授業として教えているスタンフォード大学の工学部長とのインタビュー記事を掲載している。

 スタンフォード大学で教えられている「デザイン思考」のパイオニアとしてあげられるのは、シリコンバレーにあるデザイン会社「IDEO」創立者のデイヴィッド・ケリー。そして、そのケリーが、「デザイン思考の授業は彼なしには誕生しなかった」として名前を上げるのがアップル創立者の故スティーブ・ジョブズだ。

 1978年、ケリーがIDEOの元となる会社を創立したときの最初のクライエントは、当時PCメーカーとして急成長していたアップルのスティーブ・ジョブズだった。アップルの最初のマウスは二人の協働作業でつくったようなもの。TV番組「60ミニッツ」で、ケリーは当時をなつかしんでこう語っている・・・・ 「あのころは、二人とも独身だったからね。いいアイデアが浮かぶとスティーブは夜中の3時でも電話をしてきた。挨拶もなにもなく即本題。あの二つのパーツをつないでるネジのことが気になるんだ・・・って。それから、また、マウスの真ん中のボールがテーブルに置かれたときに出る音が気になるって言うんだ。彼の要望に応えるためにゴムを巻くことにしたんだけど、これが技術的に大変むずかしい作業で・・・」

 スティーブ・ジョブズの要望に応えるのはいつも大変だった。でも、そのおかげで、デザインチームは成長した。「ある意味、IDEOをつくったのは、スティーブだったよ」

 それから30年、二人は友人になっていた。ケリーの妻はスティーブが紹介してくれた女性だ。スティーブがガンで闘病生活をおくっているとき、ケリーも同じくガンであることがわかり、二人の友情はますます堅固なものになった。

  ケリーは病気になったことで、これからの人生、何かもっと大きな意味あることをしたいと考えるようになり、スタンフォード大学に、「人間を中心に置くデザイン」を教えるスクールをつくることをもちかけた。ハッソ・プラトナーという富豪が3500万ドルを寄附してくれ、Hasso Plattner Institute of Design が2005年に創設されることとなった。

  これが、「イノベーションをもたらすツールとなるデザイン思考」を教えることを専門とするアメリカで最初の教育プログラムです。

 ビジネススクールのb.schoolに対してd.schoolと呼ばれるが、このプログラム(クラス)を修了しても学位はもらえない。この点に関しても、「スティーブ・ジョブズの意見を採用した」とケリーは言っています。「おまえのわけのわからないプログラムを修了したやつを採用したいなんて思わないね。でも、コンピュータサイエンスとかMBAとか、そいういった学位をもったうえで、デザイン思考の考え方も学んだというのなら、僕は、そんなやつを雇うことに、とっても興味があるね」と言われたそうです。

  現在、スタンフォード大学では、MBA, 法学部、医学部、エンジニアリング、芸術などを専攻する修士課程の学生たちが、このプログラムに参加したいと押しかけてくる。年間700人が受講する超人気クラスとなっています。なぜなら、P&G、Google、ナイキ、フィデルティ投信のような一流企業がプログラム修了生を積極的に雇用しているからです。

 結果、他の大学でも似たようなプログラムをこぞって提供するようになり、なかには修士課程を創設した大学もあるくらいです。また、スタンフォード大学を含めて多くの大学が、ビジネスマン向けに、高額な料金を徴収する4時間コースとか4日間コースとかを提供しており、教育機関にとってもお金を稼げるドル箱コースとなっています。

 肝心のデザイン思考のクラスの内容をつぎに簡単に説明します。最初に警告しておきますが、説明を読んでも驚きはないと思います。「ちょっと変わった問題解決法かもしれないが、結局は、グループでブレインストーミングするっていうことじゃないか」と思われることでしょう。人間行動をデザイン(立案・企画と辞書には出ていますが、ここでは一応アイデア創造としておきます)にとりいれた革新的アプローチだと、気負って言うほどのことはないという感想をもたれることでしょう。

 たしかに、その通りなのですが、最後まで辛抱強く読んでいただければ、「ふん、なるほど」と思う瞬間(?)もあるかもしれません・・・。

 デザイン思考は4つのステップからなります。実例として、スタンフォード大学の学生が、「途上国において、2000万人の未熟児が生まれ、そのうちの400万人が一か月以内に死ぬ。保育器があればそのうちの多くを助けることができるのに」という問題をデザイン思考で解決した方法を紹介します。

  1. 問題を定義する・・・解決すべき問題を正しく定義する。異なる観点から何度も執拗に質問をする。本当の問題点が明らかになるまで、まるで子供のように「なぜ?」「なぜ?」をくりかえす。未熟児問題では、このプロセスをとおして、課題の本質は赤ちゃんの体温を保つこと。高価な保育器もなく停電が常にある条件下において、電気をつかわずにいかにして赤ちゃんの体温を保つか?・・・これが真の問題なのだと定義されました。

  2. 多くの選択肢をつくりだして考える・・・重要なことは人類学者のように「観察」すること。問題となっている人間が置かれている「コンテクスト(文脈)」を観察すること。赤ちゃんが置かれている貧困やインフラの問題など環境を観察して考えること。正しい答えだと思えたとしても、他の選択肢も考える。複数の観点やチームワークが重要。このとき、アイデアを言葉で説明しようとしないでビジュアル化するようにする。

  3. いくつかの選択肢をより洗練させる・・・過去の経験からそれはダメとアイデアをつぶさないで、それを育てるようにする。

  4.  繰り返す・・・ステップ2とステップ3の間を行ったり来たりしてくりかえす。

  5. 勝者を選択して製作する・・・スタンフォードの学生は、赤ちゃんをくるむ寝袋をつくり、背中のパウチに、(いったん加熱すれば)常に37度の温度を保つワックスのような素材をいれるやり方を考案。保育器は1台2000ドルかかるが、この簡易保育寝袋ならコストはわずか20ドルですむ。

 

 「この方法のどこが革新的? やっぱり、昔からあるブレインストーミングでしょ?」 「まあ、そうなんですけど、違うところもあります。次のように・・・」 

  1. 多様性・・・異なる様々な経歴をもつ人をメンバーとする。日本の企業で、営業とか経理部、企画部、生産とか各部門から人を集めて多様性があるといってもダメ。日本生まれで日本育ちで会社で働いている限り人生経験とかが似通っている。「重要なことは文化の違いがあること」だとケリーは言っている。IDEOでは、エンジニア、マーケッター、人類学者、産業デザイナー、建築家、そして心理学者を雇うそうだ。アメリカ西海岸であれば、国籍も人種も異なる混成チームに自然となっていることでしょう。チームメンバーの協働作業を通じ様々な意見を積み上げていくことで創造力をうながす。スタンフォードでは、堅いイスとか小さなテーブルを用意して、座って話すのではなく仲間とまじりあい動作で自分のアイデアを表現することをうながしている。

  2. 答えをビジュアル化する・・・パワポでの言葉によるプレゼンはダメ。白板に自分が想像する製品を絵で描いてみるとか、手元にある紙とかボードでプロトタイプをつくってみせる。病院での患者へのサービスを課題とするなら、患者体験をビデオ化してみせるといった具合。言語に頼らないことで、右脳、左脳ともに利用する。

  3. 重要なことは観察とユーザーへの感情移入(共感)・・・人類学的手法で、そのコンテクストにおいて何が本当の問題かを洞察する

 

  デザイン思考による問題解決法をビジネスに利用する可能性についての議論が活発化するなか、デザイン思考など必要ないと批判するわけではないが、この考え方は新しいものでもないし、その効果はすでに証明されているものだという意見も多くあります。

 たとえば、ハーバート・サイモン。

 ハーバート・サイモンは1978年にノーベル経済学賞を受賞していまが、その一方で、人口知能のパイオニアでもある。天才的頭脳の持ち主ですが、彼は、1969年に出版された著書「(日本語訳)システムの科学」においてデザイン・シンキング(Design Thinking)についてすでに語っています。

 まず、最初に、デザインという言葉を「既存の状況から望ましい状況に変容させること」だと定義してから、「よって、デザイン・シンキングは、常に、改善された将来につながるものだ。分析プロセスでありアイデアを分解するクリティカル・シンキングとは異なり、デザイン・シンキングは、アイデアを積み重ねる創造的プロセスである。デザインシンキングでは評価・判定はしない。それによって、失敗の恐れを排除し、最大限のインプットと参加をうながす。ワイルドなアイデアが歓迎される。なぜなら、こういったアイデアが往々にしてもっとも創造的な答に導くからだ。誰もがデザイナーであり、デザイン・シンキングのやり方なら、現場のどの状況にもデザイン方法論を適用することができる」

 19世紀後半から20世紀初めにかけて数多くの発明をしたトマス・エジソンも、デザインシンキングを実践していたパイオニアだといわれます。エジソンは電球を発明したことで知られていますが、彼は、電球を発明しても、発電機とか送電システムがなければ一般市民はそれを利用することができないとわかっていて、どちらも創造しました。つまり、彼は、一つの装置を発明することだけではなく、市場を頭に描いたうえで発明をしたのです。つまり、人間(市場)を中心においてイノベーション活動を実践していたのです。

 エジソンの実験室は、従来からある「天才発明家は孤独なものだ」のイメージをくつがえすものでした。チームが一緒になって実験をくりかえしてイノベーションを求めるものでした。数千種類の実験材料を使って数千回の実験を行い、その全てが失敗に終わっても、彼はこれを決して無駄とは見なさず、「実験の成果はあった。これら数千種類の材料が全て役に立たないという事がわかったのだから」と語ったそうです。「99%の汗と1%のひらめき」というエジソンの天才の定義にあるように、試行錯誤をくりかえしてイノベーションを求めるものでした。エジソンは、芸術、工芸、科学、ビジネス感覚、そして、顧客や市場についての洞察力が混ざり合った結果としてイノベーションをもたらしたのです。

 エジソンは狭義の専門的科学者ではなく、鋭いビジネス感覚をもったゼネラリストでした。ニュージャージーの彼の実験室には、さまざまな分野の人間が集まっていて、チームでイノベーションをおこしていました。彼のアプローチは仮設を証明するタイプのものではなく、新しい試みをくりかえすことで何か新しいことを学ぶようにするものでした。

 

  スティーブ・ジョブズが率いるアップルも同じです。アップルには「デザイン」が先にありました。人間がコンピュータに何を求め、何を必要とし、何を欲しているか、コンピュータとどういったやり方で接したいか(インタフェース)を決めることに集中しました。デザインを決めたあとで、それを技術的にどう達成するかを考えた。デザイン・ターゲットがあり、それに到達するためにエンジニアリングをしたのです。スティーブジョブズは、「アップルには問題解決のシステムはなかったがプロセスはあった。・・・・答えは1000の選択肢にノーということからやってくる。最も重要なことに集中するためにはノーということが必要なのだ」

 このプロセスが、「正気とは思えないほど素晴らしい製品」を創造したのです。

 さて、ここで本題です(って、いまごろ、本題かよ?!)。エジソンが19世紀後半にすでに実践していたデザイン思考。ハーバート・サイモンが理論的に説明したデザイン思考。それが、なぜ、いまアメリカの大学で注目されているのでしょうか?

 まず、第一にあげられるのは、金融危機以降、批判にさらされたビジネススクールの論理的思考方法からはじまってパワポプレゼンテーションなど、こういったものへの反省と反発です。

 「デザイン」という言葉は日本語では名詞として、「デザインが優れている」とか「デザインがダサい」とか、モノを形容する時に使われる。が、英語ではデザインは動詞として使われることも多く、その場合、立案するとか企画するとか何かを作り上げるプロセスや行動を指す。そして、エジソン、ハーバート・サイモン、スティーブ・ジョブズの例からもわかるように、デザインという言葉は「行動する」ことを強調しています。シンキング(思考する)ことだけを中心においたビジネス・スクールへの反省として、思考して行動するのではなく、行動しながら考えることを重要視しているのです。人間をその人が置かれたコンテクストのなかで観察してデザイン・シンキングするのです。

 そういった意味でいけば、デザイン思考の教育を最も必要とするのは日本の大学でしょう。

 朝日新聞の記事では、東京大学監事で元東芝研究開発センター所長の有信睦弘氏が、意味ある発言をしていました。「(自分自身の)企業と大学での経験から、日本の場合、イノベーションは企業でしか起きないと改めて感じました・・・日本の大学は共同作業が苦手です。(なぜなら)他人と違うことが学問的鋭さであり、それを論文にして評価を得るいわば論文至上主義に支配されているからです。異分野間で協力して新しいものをつくっても論文になりにくいので評価されません。だから技術者はどうしても、より速く、より高密度に、という方向にどんどんすすんでいきがちです」。でも、この方向にイノベーションはない。だからこそ、企業との連携が必要だという発言はまさに核心をついていると思います。

 さて、デザイン思考がアメリカの教育で重要視されているほかの理由もあげてみます。

 自動車産業に象徴されるような製造業の衰退から、アメリカをけん引してきたIT機器産業が、新興国の台頭によっておびやかされてきたことも、もう一つの要因かもしれません。アメリカが今後も新しい産業のパイオニアとして経済成長をつづけるためには、アメリカの最大の強みであるイノベーション能力を再度強化する必要があると考えたからかもしれません。

 アメリカでデザイン思考の教育が熱をもって語られるのは、もちろん、それが教育機関にとって金儲けができる「商品」であることです。この商品をスタンフォードに最初に提案したのはIDEOのケリーでした。そして、そのケリーはスティーブ・ジョブズがいたから、デザイン思考のクラスは実現したのだ考えています。デザイン思考はスティーブ・ジョブズと自分とが多くのイノベーションを生み出した(厳しかったけれど楽しい)協働作業を意味します。それを後世に伝えたいと考えるケリーの思いが、d.schoolを誕生させたものかもしれません。

 TV報道番組「60ミニッツ」のインタビューで、レポーターはケリーにこう尋ねました。「スティーブ・ジョブズの要望に応じることができなくて、『きみの欲しいものを創りり出すことはできないよ。無理だよ』・・と、あなたが言ってたとしたら、ジョブズ氏はなんと答えたと思いますか?」。ケリーは楽しそうに笑って即答しました。「僕は、君たちは優秀だと思って雇ったんだ。がっかりしたよ・・スティーブなら、そう言ったんじゃないかな。君たちは僕の期待を裏切ったよって・・・」

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

参考資料: 1.Charlie rose, Design Thinking: Ready for Prime-Time, Rotman Manaagement Fall 2013, 2. Melissa Korn, Forget B-School, D-School Is Hot, The Wall Street Journal, 6/7/12 3. Design Thinking...What is That?, Fast Company Com 3/20/06, 3. Tim Brown, Design Thinking, Harvard Business Review June 2008, 4. Stefan Thomke, Design Thinking and Innovation at Apple, Harvard Business School May 2012, 5. 「技術革新生む異才育てよ」朝日新聞8・6・13

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2013年7月 8日 (月)

Facebookのビジネスモデルに暗雲!?

 

  「広告は美しさを損なうだけでなく、ユーザーの知性への侮辱であり思考の流れを妨げるものである。広告を販売する企業のエンジニアは、高度なデータ分析を駆使し、ユーザーのデータを収集するためのプログラムを書くのに大半の時間をついやしている・・・・そして、こういったすべての作業の結果は、デスクトップ型PCやモバイル画面に表示される広告なのだ。広告が関係してくるとき、ユーザーであるあなた自身が商品となることを忘れないでください」

  これは、いま、米国以外の地域で人気が急増し、スマホでのフェイスブックの強力なライバルになるのではないかとウワサされるWhatsApp(ワッツアップ)の創業者たちの宣言です。「なぜ、自分たちは広告を販売しないのか」の理由を説明したブログ記事の一部です。

  WhatsAppは日本のLINEと同じようなスマホ用のインスタントメッセージ用アプリです。LINEと同じように、写真、動画、音声メッセージなどマルチメディアを送ることもできます。LINEユーザーが世界市場で1億5000万人を超えたといいますが、2009年にサービスを開始したWhatsAppはツイッターの2億人ユーザー数をこえ、2012年8月には1日平均200億件以上のメッセージが送られたといいます。

  WhatsAppが、LINEや他のインスタントメッセージ用アプリはむろんのこと、フェイスブックやグーグル、ツイッターといったメディアと大きく違うのは、広告を掲載しないこと。その代りにサービス料金を請求することです。

  創業者の2人はヤフーで長年(2人合わせて20年)働いた経験があります。そして、一時はネットの寵児だったヤフーが、より効果的な広告を提供できる(つまり、ユーザーが何を検索しているかというデータを集めることでより効果的な広告を提供できる)、よってより多くの利益を稼ぐことができるグーグルに取って代わられるのを体験しました。広告スポンサーへのサービスが第一になり、ユーザーへのサービスは二の次になることを実感しました。だから、もう、広告を売るビジネスにはへきえきした・・・と言っています。

  無料でサービスを提供するために、ユーザーのデータを収集し、そのデータを利用して広告を売るビジネスモデルはもうやめようと決め、WhatsAppを始めました。だから、料金を徴収します。1年間で99セント(ただし、iPhoneとかアンドロイド系スマホとか、どのプラットフォームをつかっているかによって、1年目は無料試用できる場合もあるし、アプリのダウンロードに99セント必要な場合もあります)。

  WhatAppの創業者たちは、ユーザーのデータにはまったく関心がないと断言しています。

  WhatsAppは、個人情報保護に厳しいヨーロッパはむろん、インドや南米でも人気を呼んでいます。「ソクラテスはネットの無料に抗議する」という本で、個人データと広告が交換されるビジネスモデルの問題を指摘した私としては、ちょっぴり天狗になっています(って、まあ、ほんのちょっと鼻が伸びたくらいの子天狗です)。

  フェイスブックやグーグルが買収したがっているというウワサがありますが、いまのところWhatsAppにはその気がないようです。これまでのシリコンバレーの企業は、無料にすることで最初から驚異的に成長し、そのあとで、どう収益を上げるかを考える傾向にありました。が、WhatsAppは最初から収益計画をたてていたし、ビジネスモデルがシンプルなために、エンジニアも50人以下。クチコミでユーザーを増やしており広告費用は一切かかっていない。こういった事情もあり、将来、上場することはあっても、身売りすることはないのでは?・・・と考えられています。

  WhatsAppのような新しいタイプの企業が現れる以前に、フェイスブックのビジネスモデルには暗雲が立ち込めるようになっていました。理由は2つあります。1つは、ユーザーの使用媒体がデスクトップ型からスマホやタブレットといったモバイル端末に移行していること。2つ目には、個人情報保護の問題です。個人データを保護しようとするグローバルな動きはもはや止めようもない流れになっており、2番目の問題はとくに深刻です。

  まず、最初に、ユーザーのデスクトップ型PC離れと、それに関連して、若者のフェイスブック離れの問題です。

  スマホはその小さなサイズのために、フェイスブックに限らず、多くのスポンサーにとって魅力的な広告媒体とはいえません。そのうえ、ウェブブラウザで使うクッキーは多くのスマホでは使用不可に設定されているし、スマホのアプリにクッキーを使うことは技術上不可能。ウェブ上なら、クッキーをつかってユーザーのオンライン上の行動を追跡することで、ユーザーの関心事にあった広告をタイミングよく表示することができる。こういったリターゲティング広告をスマホで採用することは、現在のところ、むつかしい。結果、スマホ広告への需要が低くなり広告料金も安くなる(PCの3分の1から5分の1といわれる)。

  スマホは電話をかけたりメッセージ送るという行動志向の媒体であり機能重視の媒体なので、スマホをつかっているときのユーザーは、広告メッセージに注意を払う心理にはないといわれる。だから、PCやタブレットと比較すると、ユーザーがどういった状況下にあるかというコンテクストがより重要になる。たとえば、ゲームをしているときに、ゲーム内容に適した広告を出すのはコンテクスト的に適切かもしれない。また、GPS機能をつかってロケーションを限って、その場所に関係ある広告を表示するのも、コンテクスト的に適切かもしれない(とはいえ、消費者は、ときと場合によって、自分のモバイル媒体が自分がどこにいるかを教えるトラッキング機能を提供していることを思いだし、プライバシーを侵害されているとイヤな気持ちになることもあります)。

  つまり、消費者の使用媒体がデスクトップ型PCからスマホに移行することは、フェイスブックのようなソーシャルメディアには不得意な環境に移ることを意味する。同じソーシャルメディアでも操作も機能もシンプルなツイッターとかFoursquareのようなメディアなら移行はスムーズにいく。LINEやWhatsAppのようなインスタントメッセージ用アプリにも有利な環境となる。

  若者のPC離れとともに、フェイスブック離れも懸念されています。

  米国の10代の若者にとって、フェイスブックはもはやクールではない。「メンドクサイ」メディアになってきているとする調査結果もあります。投稿した内容を友人や両親が見る可能性が高く、あとでなんだかんだと言われる。フェイスブックにはプライバシーがないとストレスをかかえる若者が増えている。こういった点は、日本でも、上司に友達申請され、しぶしぶ承知したけど、「いいね!」をつけられるたびに監視されているような気がして、ストレスを感じるようになったという社会現象に共通するところがあります。ユーザー数が増えすぎたメディアの、ある意味、贅沢な悩みです。

  「フェイスブックは上場してから変わった」とアメリカではよく言われます(この言葉のひびきが「あなたは結婚してから変わったわね」に似ているのでちょっと笑えます)。フェイスブックは上場以降、株価の低迷に応える形で広告の威力をあげるために全力をあげています。広告スポンサーの気に入るように、一か月に4本以上買うワイン好きとか、ハワイ旅行の価格をチェックはしたがまだ購買していないユーザーとか、細かい条件でターゲティング広告を表示できる技術を開発しています。でも、その一方で、ユーザーよりも株主のほうに目が向いているのではないかという批判があります。

  たとえば、2012年に、フィード購読ボタンを設置すれば、友人にならなくとも多くの人が自分の投稿を読むことができるサービスを始めました。が、2013年になって、フェイスブックは広告を優先して、その分、どのニュース(投稿)を流すかフィルターをかけて選択しているのではないかという疑惑が発生しています。

  このように、株主重視、広告スポンサー重視と非難されていますが、フェイスブックはしぶとく頑張っています。この1年は、「モバイルで成功しなければ未来はない」というスローガンのもと、ニュースフィードのデザインをモバイルでも見やすく使いやすいように変更し、スマホ用のアプリも開発しました。2013年3月期の第一四半期の決算では、広告収入は前年同期比で43%の増収。しかも全広告収入の約30%はモバイル広告でした。この決算報告をみて、アナリストや投資家は、「おや、あんがい、やるじゃないか」とフェイスブック経営陣を見る目もちょっと変わったようです。

  しかし、安心するのはまだ早い。

  フェイスブックが今のビジネスモデルを続けることへのもっとも大きな障害は、ヨーロッパを中心として厳しくなっている個人データ保護の問題です。もちろんグーグルにとっても重要な問題で、両社ともに、すでに、いくつかの国でプライバシー規約の書き直しを命じられたり、個人データ保存期間に制限を設けられたり、米国で提供している機能の削除を命じられたりしています。

  ヨーロッパでは、いままさに、世界で最も厳しいデータ保護法を採用することについての会議が継続審議中です。その法律が通れば、ターゲティング広告を提供するためにウェブ上でトラッキング(追跡)することは、消費者が事前に明示的に同意しない限りは禁止されることになります。この法律は、また、ヨーロッパの消費者に、新しい基本的権利としてデータポータビリティ(個人の投稿や写真や動画を一つのオンラインサービスから他のサービスに簡単に移すことができる権利)を授けることも含まれます。

  つまり、この法律は、サービスを無料で提供する代わりにユーザーにターゲティング広告を出すことで収入を得ているグーグルやフェイスブックのビジネスモデルを無用化してしまうのです。

   米国企業や広告会社がヨーロッパでの法規制の成立を妨げるためのロビー活動を展開するなか、2013年1月にスイスで開催された世界経済フォーラム(通称ダボス会議)で、個人データ保護に関するまったく新しい方向性をしめす提案が発表されました

  ビッグデータの時代に沿った新しい考え方です。

  ビッグデータ環境においては、これまでのように企業が個人データを収集すること自体に制限をかけようとしても無理。そうではなくて、そのデータがどう使われるかに焦点をあて、自分のデータの利用について個人みずからが選択権を行使できるようにすべきだと提案しています。

  30年前に個人情報に関する原則がつくられたときには、個人が調査に答えたり会員登録したりとか、書類に自ら記入することでデータは収集されました。が、いまでは、ウェブ上の行動データが自動的に収集され、ケータイのGPS機能によってローケーションデータが集められる。厖大な量の個人データが、人間の介在なしに、M2M(Machine to Machine)、つまりコンピュータ間で収集・交換されるようになっています。

  70年代のコンピュータシステム環境における個人情報保護とは、データが収集される時点で個人が規約に同意するかどうかにあった。だが、どういったデータが収集されるかわからないビッグデータ環境では、こういった手法はもはや適切なものではない。また、テクノロジーの発展によって、データは分析・加工されて新しい情報を提供するようになる。収集される時点で、データの利用について同意をしたとしても、そのデータが隠しておきたい情報に変身する可能性も考えなくてはいけない。

  たとえば、個人の識別ができない非個人情報だと思われていたデータでも、複数のデータを組み合わせると個人の識別ができるようになる。米国のDVDレンタルやオンライン映画配信をしているNetflixが、顧客のし好にあった映画をレコメンデーションするアリゴリズムのコンテストを2006年に開催したとき、テストデータとしてユーザーの購買履歴データを匿名化してコンテスト参加者に提供した。ところが、テキサス大学のグループがこのテストデータを分析することにより(オンライン上の行動をパターン化することにより)、一部の個人を特定することができた(結果、プライバシー侵害で会社は訴えられ、その後、このコンテストは中止になった)。

    経済フォーラムが、消費者みずからが個人データ利用についての選択権を行使するためのひとつの方法として推薦しているのは、「パーソナルデータ保管庫」の利用だ。その保管庫にデータを集合し、保存し、自分のデータを欲しがる企業とは安全にシェアし、データ価値に見合った報酬を得る(パーソナルデータ保管庫については、「ソクラテスはネットの無料に抗議する」で具体的に説明しています・・・と、さりげなくというかあからさまに宣伝する)。

  マイクロソフトは、広告収入に頼るグーグルやフェイスブックとは異なり、世界経済フォーラムで提案された方向性に強く賛同しています。すでに、Window 8に搭載されたExplorer10では、Web上の行動追跡拒否の意思を示す「Do not track」機能をデフォルトで有効にしています。マイクロソフトCEOのシニアアドバイザーは「プライバシー問題をかかえる現在のビジネスモデルは、個人情報保護の観点やテクノロジー上の観点からも、存続することはできないと考えています。新しいモデルが必要です。データの収集や保存を管理(コントロール)しようとするのではなく、その使用を管理することに移行すべきです」

  消費者みずからが自分の個人データの使用を管理するという点からいえば、グーグルはフェイスブックより有利な立場にあります。検索データをつかって広告を出すということに限っていえば、こういった使用方法に同意する消費者はかなりいることでしょう。だから、グーグルはこういった使用方法に限れば、データと広告を交換するビジネスモデルを続けていくことはできる。しかし、ソーシャル(交際)な活動の中で発信されたデータと広告を交換することには賛同できない消費者が多いのではないでしょうか? いっそのこと、WhatsAppのように料金を徴収する。あるいは、パーソナルデータ保管サービスをフェイスブック自らが管理し、その管理料を消費者からとる・・・こういった方向性に向かわざるをえないのではないでしょうか?

  フェイスブックの2012年度の広告収入は約43億ドル。そして、アクティブユーザー数は約10億人。年間8ドル徴収すれば、ユーザー数が半減するとしても40億ドル。広告販売しなければ、それだけ業務がシンプルになるので、人件費も減り、十分の利益が出ることでしょう。問題は、ユーザー数が減ることに経営者が耐えられるかどうかです。「アラブの春」を体験し(実際には、春じゃなくて冬の終わりくらいでしたが)、自分たちが世界に民主主義を広めることができるという高揚感を体験した経営者としては、有料にすることで世界中のユーザー数が減ることには大きな心理的抵抗を感じるかもしれません。

  

参考文献:1. Microsoft Debuts New Commercials on Privacy, With Google in the Crosshairs Bringing up Privacy to Draw a Distinction With Rival, AdvertisingAge 4/22/13, 2.Microsoft wants new model for online privacy, says current one'can't survive', Geekwire 3/7/13, 3. Firms Brace for New European Data Privacy Law, The New York Times, 3/13/13, 4. Google and Privacy: European Data Regulators round on Search Giant, The Gurdian 6/20/13, 5. Rise of WhatsApp could Slow Facebook's Quest for Mobile Growth,AdvertisingAge 6/10/13, 6.Facebook Still Seems On Track To Disappear in 4 Years From Now, Forbes 6/6/13, 7.Mobile Ads Help Propel Earnings at Facebook, The New York Times, 5/1/13, 8.Teens Tire of Facebook, but not enough to log off, Time 5/25/13, 9. Smartphone Ads and Their Drawbacks, The New York Times 9/15/12, 10, Disruption: As User Interaction on Facebook Drops,Sharing Comes at a Cost, The New York Times 3/3/13, 11. Facebook vs Twitter, Want Your Feed filtered or Unfiltered? Bloomberg Businessweek 3/8/13, 12, Mobile marketers race to offer true smartphone regargeting, Retargeting News 6/26/12

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2013年6月 2日 (日)

シャープの問題を行動経済学から考えてみる

 

  テクノロジーのコモディティ化が進み、つい最近まで栄華をほこっていた企業がアッという間に蹴落とされる。日経新聞の記事「勝者なき主役交代劇」によると、世界市場で圧倒的な強さをほこった日本企業のシェアが低迷するまでにかかった時間は、DRAMで15年、液晶パネルは10年、そして太陽電池は5年だったそうです。 しかも、2010年に太陽電池市場シェアNo.1の地位を奪いとった中国企業のサンテックパワーは、太陽電池が供給過多になり価格が半分以下になったことで、2013年3月に破産している。

  わずか3年。

  ここまでくると、「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常のひびきあり・・・・ おごれる人も久しからず、 ただ春の夜の夢のごとし」。平家物語の一節をつい思い出してしまう。が、先端技術が長期にわたる安泰をもはや保証してくれない競争市場のまっただなかで、多額の借金をかかえるシャープには、平家物語の一節をうそぶいている余裕はない。

  2007年度(2008年3月期)決算で、3兆円を超す過去最高となる売上と1000億円を超す純利益を上げたシャープは、その1年後の決算で、上場以来初めての赤字をだした。そして、現在、1兆円を超える負債をかかえている。

  しかし、2004年度の決算をみるかぎり、(このころ、すでに、8000億円を投資して液晶パネルやTVの製造工場を4つもつくっていたが)、負債額を上回る現金や有価証券をもっていたので、シャープは事実上無借金企業でした。2001年に発売した液晶TV「アクオス」はあいかわらず人気も高く、吉永小百合のコマーシャルでブランドイメージもあがり、シャープは日本のモノづくりを代表する優良企業だとマスコミにもてはやされていました。

  財務的にもイメージ的にも優良な企業が、今年の9月に2000億円の社債が償還できなければ破産?とウワサされる。この間のシャープの経営戦略の是非については、ビジネス誌や新聞で毎号のように記事が書かれ、経営者の判断ミスが問われ、その裏にある理由として、代々の社長の血縁関係とか役員間の派閥争いまでもが取りざたされています。

  シャープのジェットコースター的急降下は「人災」としか思えない・・・というコメントもありました。

 考えてみると、ある程度の歴史やある程度の規模の会社が一つの失敗だけでつぶれるものではない。そんな会社が破産の瀬戸際までいくときには、為替や製品価格の変動だけでは説明できないものがあるはずです。どんなに優秀な経営者でも間違いはする。予測がはずれることはある。一つの失敗がすぐに修正されれば、損失はこうむっても、ある程度の規模をもった会社であればなんとか立ち直れる。が、その失敗が放置され、そのうえに新たな失敗が重ねられることになれば、その結果は、明らかに経営者が起こした「人災」なのです。

  リーダーシップの研究で有名なシドニー・フィンケルは、ビジネス上あるいは政治上の大きな失敗は、ほとんど例外なく、組織で影響力の高い個人、つまり、トップの人間の判断ミスから発生していると結論づけています。そして、判断ミスの原因を調べてみると、想像以上に単純な理由であることが多い。しかし、この単純な理由は、人間の心理とか本能に密接に関係しているがために、非常に大きな力をもっているとも書いています。

  たとえば、① 過去の自分の体験から得た思考や分析の枠組みを現在や未来にあてはめようとする、② 自分の評判やプライドを守ろうとする、③ 自分が始めたプロジェクトとか事業に愛着を感じるように、なにかに感情的に固執する。 問題は、こういった自分の心理的傾向に、本人が気づいていない。あるいは、なんとなく気づいていても、それを無意識のうちに論理的に正当化しようとする。そのために、かえって、ものごとが複雑になってしまうことです。

  このブログでは、シャープにおけるリーダーシップを例にとりながら、行動経済学の観点から人間の意思決定について考えてみたいと思います。まず、最初にサンクコストと人間心理です。

  シャープは家電メーカーとしては中位でした。そのシャープが、液晶技術を中核として、日本で90年代後半に流行した競争戦略理論にある「コスト・リーダーシップ」と「選択と集中」の戦略を選択したのは、4代目の町田社長の時代です。

  1998年、町田社長は「ブラウン管TVすべてを液晶におきかえる」と宣言。

  液晶パネルから液晶TVまで一貫生産する戦略で継続して優位にたつためには、どこよりも早く「規模の経済」を実現する必要がありました。2005年までに8000億円かけて液晶用の4つの工場を建設。「世界の亀山」のコピーで有名になった亀山工場も町田社長のもとでつくられました。

 ここまでは、よかった。たしかに、積極的投資のため、純資産は低下し、2006年度決算ではキャッシュフローはマイナスになっていました。しかし、新興国が追い上げてきている当時の状況を考えれば、積極投資をして規模の経済を早期に実現しコスト削減をはかることは、戦略的には間違っていなかったし、ある程度のリスクをとることも必要でした。

  問題にされているのは、2007年に堺工場建設のために4000億円をこえる投資を決めたことです。この投資に疑問が投げかけられている理由は・・・

  • 液晶パネルは当時すでに供給過剰になっていた。31インチTV用パネルは、2004年に$865だったのが、2007年には$300前後に急降下(この値段は、2011年には$149、2013年には$124にまで下落している)。液晶TVの価格自体も米国では2007年には2005年の半分になっていた。

  この時点で、液晶に集中投資をするのをやめていれば、破産のおそれまでにはいかなかったであろうと批判されているわけです。

  経済学でいうところのサンクコスト(埋没費用)。サンクコストは過去にすでに発生した費用であり回収することはできない。現時点で、どのような行動を選択しようとも、つかってしまったコストが減るわけではない。よって、合理的な経済人は、サンクコストは無視して意思決定をする・・・はずだと、伝統的経済学では教えます。

  が、現実の世界においては、サンクコストはいま現在の意思決定に大きな影響を与えます。ダム建設などにみられるように、すでに使った投資額が大きければ大きいほど、ダムの有用性が疑問視され、(八ッ場ダムのように)建設がいったんは中止されても、「これまでの投資が無駄になってしまう」という理由で建設が続行される。この論理は、戦時にもよくつかわれます。2005年米ブッシュ大統領は、「すでに2000人のアメリカ人がイラクで命を落としている。我々がこの任務を達成しなければ亡くなった2000人の米兵の命が無駄になる」とスピーチして、戦争を続行しました(コストにはお金だけでなく時間や労力も含まれます)。

  行動経済学は、伝統的あるいは標準的経済学と異なり、人間が不合理な行動をとることはよくあることで、それには一定のルールがあるとし、そのルールやパターンを明らかにしました。たとえば、経営者が過去のサンクコストに影響されて不合理な意思決定する場合によくある理由は、自分の評判を傷つけないため。あるいは過去の選択が間違っていることを隠すために、さらなる投資をつづけるというものです。また、そのプロジェクトや事業に感情的に固執しているという理由もあります。

  シャープでいえば、3代目から5代目までの社長すべて「液晶組」出身者であることが指摘されています。液晶事業の礎は1980年代末に奈良の天理工場で始まったプロジェクトにある。このプロジェクトは、社内横断的にメンバーが招集され短期間に事業化を進める緊急プロジェクトの1つであった。よって、かかわった100人あまりのメンバーの多くが後にシャープのいくつかの組織の長となり経営に関与するようになった。結果、辻社長、町田社長、片山社長と歴代3代の社長が「液晶組」出身者。液晶事業への思い入れが人一番あったとしても不思議ではない・・・というわけです。

  とくに、4代目の町田社長は液晶でシャープを日本を代表する電機メーカーにまでした貢献者であり、また、有名な亀山工場の建設にもかかわった人です。液晶事業への愛着には大きなものがあったのでしょう。財務状態が悪化したために出資先を探し、台湾のホンハイ精密工業と交渉しているときに、当時相談役だった町田氏は、「亀山工場は俺の”子”だから渡せない」と言った(日経ビジネス2013/4/8)そうです。

  液晶事業に子供に対するのと同じ愛着心を感じていたのでしょう。

  また、3代目の辻社長と4代目の町田社長は二人とも、2代目の社長の娘婿。親しいといえば親しい。が、親しいがゆえにライバル意識があるといえばある。へんな遠慮もあったりと微妙な関係だったかもしれません。

  2008年、5代目片山社長は「既存のパネル工場だけで年間2000万台以上の生産能力がある。うちのアクオスの販売台数を考えたら、それで今は足りる」と発言しています(週刊東洋経済9/1/12)。供給過多の問題はわかっていたのでしょう。わかっていても、堺工場への出資をやめられなかったのは、町田会長への遠慮があったのかもしれません。シャープの栄光を導き10年君臨した町田社長は、5代目片山社長にバトンタッチしたあとも、代表権のある会長として残りました。新社長にしても、液晶事業の軌道を修正するとは言いづらかったかもしれません。町田会長の過去の選択を否定するようなことを避けて、堺工場への投資をつづけたというわけです。

  いやいや、シャープの経営者はそこまでバカじゃない。堺工場をつくるときには、シャープにはTV販売だけではなく、パネルを他企業に販売することで生きていく計画があった・・・という説もあります。

  たしかに、堺工場への4300億円の投資のうち、34%をソニーに出資してもらう話はありました。ソニーとは、その出費比率に応じたパネルの引き取り義務を課す合意までして、安定需要を確保するとともに、自社の出資額を減らすという、けっこう慎重なリスク対策もとっていたのです。だが、その後の対応をみると、シャープには他企業にパネルを販売するという部品メーカーとしての立場や役割への自覚がなかったとしか思えません。

  2009年、エコポイント制度導入で、国内で、液晶TVが爆発的に売れた。その時、シャープは自社への供給を優先して、ソニーとか東芝といったパネル販売先のクライエントにはたびたび納入遅延を起こしています。エコポイントが終了し、液晶パネルへの需要が減るとともに、クライエントはシャープから去っていきました(供給先としてのシャープに見切りをつけたソニーは、2009年末、1000億円で堺工場の株7.04%を取得しましたが、2012年にはその株もシャープに売却しました)。

  「外販のノウハウに乏しかった」という言い訳もあります。が、そうではなくて、部品メーカーになることへの感情的こだわりがあったのかもしれません。本来なら、部品メーカーとして仕入れ先をお客様として取り扱わなくてはいけないのに、液晶TVだったらうちのほうがおたくより売れている・・・という態度がつい出てしまったのかもしれません。たとえば、ソニーの元役員は、片山社長の「どこの誰だ?といった偉そうな態度にげんなりした」と語っています(週刊東洋経済2012.9.1)。

  2012年、片山社長を継いだ第6代の奥村社長は、労働組合本部を訪れ、2000人の希望退職を募集することを告げるときに、当時を振り返って、「エコポイントでTVが売れたために市場が回復したと判断を誤った」とコメントしています(日経9/15/12)

  このコメントをそのまま素直に受け入れるべきではないかもしれません。たんなる言い訳で本当は他の理由があったかもしれません。が、まあ、このコメントが本当だとして、「市場が回復したと思った」なんて、誰が聞いても、楽天的な判断としか思えないでしょう。しかし、「確証バイアス」は誰にでもある認知バイアスなのです。

  認知バイアスとは・・・・?

  人間は外界の出来事を五感をとおして情報としてとりいれる。そして、脳の中で、情報処理し、考え、反応し、記憶したりする。その情報処理の過程を認知といいます。この情報処理過程において、とくに、感覚を通して出来事を把握する段階において、事実をゆがめてとらえたり、非論理的な解釈をしたりすることがある。結果、不合理な判断をする傾向が人間にはあります。正しい判断基準から逸脱する現象には一定のパターンがあり、これを認知バイアスといいます。こういった情報プロセスにおける歪みは無意識のうちになされることが多いため、ほとんどの場合、本人は自分がしている間違いに気づきません。

  さまざまな認知バイアスがありますが、仕事上でよくみられるのが「確証バイアス」です。自分の主張を支持するような証拠だけを選択して、そうでない証拠をしりぞけるというか無視してしまうのが確証バイアスです。エコポイントでTVが売れた! このとき、エコポイントが終了すれば売れなくなるというデータや情報があっても、それを無視し、不況が底をついたとか、景気が良くなるようなことを裏付けてくれる証言とかデータばかりに注意を払ってしまう。シャープの経営陣がそういった確証バイアスで判断を誤ったという可能性はあります。

  確証バイアスは自分にとって都合のよい情報ばかりに注意を払うようになるため、不安を軽減することができます。将来を楽天的に考えられるようにしてくれます。だから、不安な状況にある人間ほど、確証バイアスにとらわれやすくなるのです。

  「選択と集中」と「規模の経済」は当時の電気メーカーが採用すべき戦略でした(米国に10年くらい遅れて、日本では90年代後半に流行)。また、日本企業の欠点は、思い切りのよい積極投資をしないこと、リスクをとらないこと、ともいわれていました。シャープは、松下とかソニーのような電気メーカーに比べるとちょっと格下とみなされていました。が、日本発の電子レンジ、世界初のオールトランジスタ電卓、業界初のカメラ付き携帯電話・・・など、チャレンジ精神あふれる製品を開発してきた企業です。その企業が「液晶技術」で松下とかソニーを超える可能性をかいまみたとき、それに固執したくなるのは理解できます。液晶パネルの販売で、ソニーなどに、どこかぎこちない態度をとったのも、劣等感と優越感があいまざった複雑な心理からきているかもしれません。

  後になって、パネルから製品まで一貫生産する垂直統合モデルの時代は終わリ始めていたとか、為替リスクを少しは考慮するべきだったとかいうのは簡単です。が、それは、行動経済学でいうところの「あと知恵バイアス」です。経営には運も不運もある。たとえば、シャープは円高がつづいたために新興国の液晶メーカーに負けたといわれます。そのときは不運だったとして、アベノミクスで円高になったことで、2012年度下期が営業黒字になり、よって、銀行から融資を受けられるようになった。今年秋の社債償還をなんとか実施することができます。同じ為替で運が悪かったこともあれば、運よく助けられることもあるのです。

  シャープで起こったことを「大企業病」という言葉で説明する人もいます。シャープは小さいときには、新しいことに果敢に挑戦する企業でした。日本初とか世界初といった製品を開発する会社でした。大企業になってそれができなくなるのは、「損失回避性」という認知バイアスにとらわれやすくなるからです。

  損失回避性は、行動経済学では、人間の不合理な行動の多くを引き起こす重大な認知バイアスです。人間は、損失を利得よりも大きく感じる傾向があります。失うものが少ないときには、経営者もダメモトでやってみようと、大胆にリスクをとる傾向がでてきます。が、大きくなって、守るものがたくさんある、つまり、失うかもしれないものがたくさんあるようになると、損失回避性は強い影響力をもち、経営者がリスクを取ることに躊躇するようにさせるのです。

  これが大企業病です。

  海外のビジネス誌では、「日本企業には戦略がない」とよく書かれます。日本企業の経営陣に戦略がつくれないとは思いません。ピーター・ドラッカー、フィリップ・コトラー、マイケル・ポーターの本が世界で一番熱心に読まれている国なのです。戦略がつくれないわけがない。世界的コンサルタント会社マッキンゼーが日本のハイテック業界について書いた記事では、「日本のテクノロジー企業は戦略に明瞭さがなく、また、勝利に導く戦略を遂行する経営陣の強い意志の力がない」と書かれています。戦略に明瞭さがないのは選択するのがコワいからです。2つの選択肢があったとしてその一つを選ぶのがコワいのです。だから、あいまいになる。

  そういった点では、シャープは偉かったと思います。一つの戦略を選択してまっしぐらに遂行したのです。

  戦略は、その言葉通り、戦(いくさ)のはかりごとです。英語Strategyの語源はギリシア語で軍隊の指揮官です。勝つつもりで始めた戦でも、途中で形勢不利になったら、軍の指揮官はその場で決断をしなくてはいけません。引き返すのか、援軍を待つのか。どちらにしもて5000名の命を助けるために、ここで500名の犠牲をよしとするか・・・。それとも、このまま進んで全員討ち死にするか? このときの選択(決断)は、戦を始める前に戦略をきめることよりも、よほど大変な決断です。このとき、指揮官はすべての認知バイアスにとらわれることなく、組織にとってベストな判断をしなくてはいけません。

  経営者の仕事は「決断することだ」とよく言われます。私ごとで恐縮ですが、私の父は地方の中小企業で働き40代で社長になりました。それまではまったく信心深いところなどない人でしたが、社長になった途端、その地の有名な神社に毎月1日に参拝するようになりました。その変身ぶりに驚いて理由をきくと、(わずか100名たらずの従業員でしたが)、「社長になって、自分の決断が、社員とその社員の家族、すべての人たちの人生を変えてしまうかもしれないことに気がついた。その責任に気づいて身が震える思いがした」。自分が正しい決断ができるように神にすがりたい思いになったのでしょう。

  話はいっきにアメリカの大統領に飛びます。第40代レーガン大統領はナンシー夫人の影響で、重大な決定をするときに占星術師の指示にしたがったとウワサになったことがあります。ことの真否はとにかくも、もし、2つの選択肢があったとして、あらゆる角度から比較しても、どちらにも同等のメリット、デメリットがある。が、どちらかを選ばなくてはいけない。そんなとき、それが国家にとって非常に重要な決断だとしたら、アミダくじではなくて、評判のよい占星術師に選んでもらったほうが良いと思う気持ち。このせっぱつまった気持ちは、組織の上に立つ人間なら理解できることでしょう。

   そのくらいに経営者にとって「決断する」ことは肉体的にも精神的にも大変なことのはずです。その点から考えると、欧米の経営者が日本の経営者に比べて莫大な給料を手にするのは許せるような気がしてきます。もちろん、米国のウォールストリート関連企業はもらいすぎだと思うし、自分のせいで会社が傾いたら退職金は減るシステムにすべきだとも思います。でも、経営者の判断ミスが企業が失敗する主な原因であるのなら、莫大な給料を払っても、戦略を遂行する強い意志、そして、認知バイアスにとらわれず間違いを修正することができる人に上に立ってもらいたいと思います。

  先に紹介した、リーダーシップ研究者のシドニー・フィンケルは、経営者が認知バイアスにとらわれない方法をいくつか紹介しています。

  1. 過去の自己体験にとらわれたパターン認識をしないように・・・顧客や仕入れ先、そして現場への訪問をつうじて常に新しい体験をする
  2. 認知バイアスにとらわれないように・・・・重要事項に関しては、慎重に選ばれたメンバーとグループディスカッションをする
  3. ガバナンス・・・意思決定者が当該プロジェクトに深く関係している場合は、とくに、組織が自らを健全に管理・運営できるような指揮系統や取締役会の構成になっているようにする
  4. モニタリング・・・重要な意思決定がもたらした結果の成否を決定する基準を明確にし、結果をチェックし、報酬を決定する

 1番目2番目は、経営者が自己反省として自らを律するために利用することができます。問題は、トップ経営者には、自分は認知バイアスなどにとらわれない、誰よりも理性的な人間だと思っている人が多いことです。他人はどうであれ、自分だけはそんなバイアスなどないと自信をもちすぎている人が多い。そんな人には、3番目4番目のチェック(抑制機能)が必要です。が、これは社外取締役の仕事です。

  シャープには社外取締役はいませんでした。2009年になって、初めて、1人の社外取締役が選任されています。0人ではもちろん、1人でも、チェックの役目を果たすことはできなかったことでしょう。

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参考文献:1.「勝者なき主役交代劇」、日経新聞4/1/13、2.「儲かる電気、堕ちる電気」、エコノミスト2/12/13、3.「液晶の呪縛、解き放て」、日経ビジネス4/8/13、4.「栄光と挫折の10年」週刊東洋経済9/1/12、5. 「命運握る部品事業」、日経新聞9/15/12、6.危機の電子立国 シャープの混迷」、日経新聞11/20/12-11/24/12、7.「シャープ経営体制刷新」日経新聞5/15/13、8.Sydney Finkelstein, Why Good Leaders Make Bad Decisions, HBR Feb.2009, 9.Ingo Beyer von Mongenstem, et.al., Rebooting Japan's High-tech Sector, McKInsey Quaeterly June 2011、10.「崩壊した液晶王国 本業不振の憂鬱」 週刊ダイヤモンド9/1/12、11.「トップ決断にノー言えず」 日経新聞 5/26/13, 12.「シャープに列強の租借地」日経新聞3/24/13、

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 液晶えきしょうき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。けき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。けき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。