2016年7月14日 (木)

ポピュリズムの時代にリーダーが知っておくべき脳の仕組み(大衆を説得する方法)

 

  英国の国民投票が行われたあとのニュースやワイドショーは、「英国、EU離脱」の話でもちきりだった。そのなかで、気になったのは、某コメンテーターが「理性ではなく感情だけで投票する人が多かったのは残念だった」というような意見をのべていたことだ。

  そのコメンテーターは、すでに60歳を超えているはずだが、その年になっても、まだ、人間の本性を知らないのかと驚いた。過去の歴史を振り返ってみればわかるように、戦争とかジェノサイド、あるいは、ビジネスでいえば著名企業の経営破綻――そういった出来事の原因を探れば、大きな判断ミスが見つかる。そして、そういった誤った判断をしたリーダーだけでなくそれに賛同した多数の人間は、理性ではなく感情に動かされて意思決定したことも明らかにされている。

  英国の国民投票でも、残留派が離脱することへの経済的損失を論理的に訴えたのに対して、離脱派は外国(移民、グローバル化)やエリート層への大衆の怒りを燃え上がらせることによって勝利した。英国のジョン・メージャー元首相は「経済と感情の戦い」だったとコメントしている。

  投票後、一夜明けたら、離脱に投票したのが間違いだったと後悔する人たちが続出し、もう一度国民投票をしてほしいと請願する署名が数百万人に達しているという。これに関しても、「一時的には感情にかられて離脱を選択したが、後で、理性が戻ってきたのだろう」と解釈されているようだ。

  90年代に急速に発展した神経科学により、人間が意思決定するためには感情と理性(論理的思考)の協働が必要であり、多くの場合、感情が理性の優位に立つことは科学の世界では常識となっている。この数年のハーバードビジネスレビューの記事をみても、リーダーの意思決定の問題になると、必ずといっていいほど、神経科学の知見が紹介されるようになっている。

  人間は論理的思考にもとづく理性だけで意思決定できる、感情に影響されて判断しないように意識的努力をすることができる・・・・などと思っているから、リーダー(政治家、経営者)は大きな間違いを犯すのだ。

  非常に皮肉なことではあるが、理性が働くのは安定した社会(時代)であり、本来なら一番理性をもって考えなくてはいけない時代(社会)には感情が意思決定の中心になる。なぜなら、もともと感情というのは、人間を含めた動物が生きるか死ぬかの非常時に素早く行動がとれるように生まれたものなのだから・・・。

  最初に生まれた感情は「恐怖」だといわれる。人類の(哺乳類の)祖先といわれる1億5000万年前ごろに生息していた小さなネズミのような哺乳類も「恐怖」の感情はもっていた。恐れの感情がなければ危険を察知して逃げることができない。当時地球上を闊歩していた恐竜の足音がきこえれば恐怖を感じてすぐに逃げる。嵐や火事が迫りくるのを察知して「恐怖」を感じて安全な巣に潜り込む。

  400万年前にアフリカのサバンナを二本足で歩いていた人類の遠い祖先は、自分達を食べようと近づいてくる肉食獣を見ると恐怖を感じた。恐怖を感じると、脳が特定の化学物質を放出し、その結果、血圧が上昇し心拍数が増加し、大きな筋肉への血流が増え、いつでも逃げられる準備が整う。恐怖の対象がはっきり見えるように瞳孔も拡大し、大量の酸素が吸入できるように気管支も拡張する。

  こういった説明でわかるように恐怖の感情は無意識のうちに生まれる。大脳辺縁系という進化的には古い脳のなかの扁桃体と呼ばれる部位が、恐怖という感情の生成に関係している。大脳辺縁系で恐怖の感情が生まれたとき、私たちはそれを意識することができない。大脳辺縁系を覆うようにしている(200~300万年前の霊長類において格段と発達した)大脳新皮質に情報が伝達されて、初めて、恐怖を感じることができる(自身が感じることができる感情と異なるという意味で、大脳辺縁系で生まれる感情を情動として区別することもある)。

  恐れを意識する前に「逃げる」というとっさの行動がとれるように脳はつくられている。感情(情動)は生存率を高めるためにつくられた仕組みなのだ(詳細は、拙著「売り方は類人猿が知っている」を参照してください)。

  こういった基本を理解したうえで、不安な時代に、なぜポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭するのかを考えてみます。

  不確実な時代に、私たちが常に感じているのは「不安」だ。

  不安は、恐怖の変形だ。英語で、よく使われる言葉に「Flight or Fight」がある。「逃げるか戦うか」。恐怖を感じたら生きるために逃げる。だが、逃げるだけの時間がなかった場合はどうするのか? 残された選択肢はただ一つ。 たとえ相手が獰猛な肉食獣でも、自分の命をかけて戦うしかない。

  たとえば、ネコという動物を例にとってみる。動物は基本的に危険を察知したら逃げる。無駄な戦いはしない。だが、壁際に追い詰められたらどうするか? 爪を出して飛びかかる。恐怖という感情は、逃げるのを優先させるが、逃げられないときには戦う選択を迫る。

  しかし、実際には、逃げるべきか戦うべきか迷って選択できないときが多い。ネコが自分より大きくて若いネコが近くにいることを察知する。このまま、じっとしていれば気づかれないかもしれない。逃げればかえって気づかれて追いかけられるかもしれない。でも、相手はどんどん近くにやってくる。これ以上近くに来る前に逃げたほうがいいかもしれない。ああ、でも、もう遅いかもしれない。決断がつかなくて金縛りにあったように身動きできない。

  このあいまいな心の状態が不安だ。

  短時間で現れ消える不安という感情も、もともとは、生存に必要な感情だった。自分が置かれた状況(まわり)への警戒心をもたせ、次の行動への準備をするという意味でも、生存に必要だった。問題は、いまのような不確実な社会に住む人間は、この不安感を数か月、場合によって、数年から数十年、ずっと感じつづける状況に陥っていることだ。生理学的にいえば、大脳辺縁系の扁桃体が常に活性化していて、本来なら、逃げるとか戦うのに必要な化学物質(ノルアドレナリン)を放出しつづけていることになる(その結果、免疫力や記憶力の低下、うつ病などをもたらすストレスホルモンが体内で増えることになる)。

  不確実であいまいな状況において意思決定をしなくてはいけないとき、人間の脳は不安を感じ扁桃体が活性化することを証明した実験がある。

  米国カリフォルニア工科大学での2005年の実験で、被験者には、実際に金銭を賭けて、自分が次に引くカードが赤か黒かのギャンブルをしてもらう。第一の実験では、最初に赤と黒それぞれのカードの枚数が明らかにされることにより、被験者は自分が赤のカードあるいは黒のカードをひく確率を計算することができる。が、第二の実験では、最初に赤のカードと黒のカードの枚数を知らされないので、確率計算ができない。各実験をするときの被験者の脳の動きをfMRI(磁気共鳴機能画像法)でスキャンしてみると、カードの確率を計算できない曖昧な状況である2番目の実験では、扁桃体が高く活性化する。

  不確実性の定義については、米国の経済学者フランク・ナイトの1921年の論文が有名で、彼は、確率で予測できるものをリスクとし、確率でも予測できないものを真の不確実性とした。

  フランク・ナイトの定義にしたがえば、2005年の実験は、確率でも説明できない不確実な状況下では、人間は脳の扁桃体が活性化して不安を感じる傾向が高くなることを証明した。

  もっとも、数字で表現できれば安心できるというわけではない。地震予知でもわかるように、今後30年以内に地震が発生する確率は80%といわれるのと50%といわれるのと、どちらが安心か? 50%だからホッと安心というわけでもないだろう。 

  そういった人間心理を明らかにした2016年の英国UCL大学での実験がある。

  45名の被験者がコンピュータゲームに挑戦する。スクリーン上の石をひっくり返すと蛇が隠れているかもしれないというゲームで、もし、蛇が出てくると、痛みをともなう電気ショックを手に受けることになる。電気ショックを避けるため、被験者は、さまざまな手がかりから蛇が隠れていない石を選択しようと考える。

  この実験で明らかになったのは、電気ショックを受けるとわかっているよりも、受けるか受けないか曖昧な状況にあるほうがストレスが大きいということだ。石をひっくり返すときに蛇が隠れているかどうかの予測がまったくつかないときは、電気ショックを受ける確率が50%となる。そのとき感じるストレスは、確率0%や確率100%のときよりも大きくなる(ストレスの度合いは自己申告や、皮膚の発汗、瞳孔の大きさなどでチェックした)。

  この実験で驚くべきことは、いまひっくり返そうとしている石の下に蛇が隠れている確率は100%だと思っているときに感じるストレスよりも、どちらか明確でない曖昧なときに(確率50%のときに)感じるストレスのほうが高い・・・ということだ。

  どんなに否定的な結果であろうと、先行きが見えないときよりもストレスが少ない(余談になるが、不良在庫処分を小出しにする経営者が多いが、投資家の心理からいえば、まだ在庫があるのではないかという不安材料があるよりは、一気に在庫の評価損を出しきってくれた方が、株価への悪影響は小さくなることが多い)。

  紹介した2つの実験からも、いまの不確実な社会に生きる人間の不安度、そしてストレスがどれだけ高いかがよくわかるはずだ。

  不確実な状況において、人間は理性より感情や直感に基づく行動をとりがちになる。なぜなら、恐怖の変形である不安を感じており、「いつでもすぐに『逃げるか戦うか』の行動を早急にとらなくてはいけない」という心理状態になっているからだ。じっくり論理的に考えるときではないと脳は判断している。論理的思考なしに判断を迫られているわけだから、他人の言動に左右されやすく、状況次第で大きく行動を変える傾向が高い。あいまいな状況を脳は一番嫌う。早く黒か白か決着をつけたいと思っているのだ(だが、自分で決めることができないので、誰かにきっかけを与えてほしいと思っている)。

  不確実な時代にリーダー(政治家、経営者)は、どういったメッセージを一般市民に(あるいは消費者に)発信すべきなのか? 

  ポピュリズムは、その時代や社会状況によって、異なる意味合いをもつ言葉だが、最近では、「大衆迎合主義」とか「衆愚政治」と訳されるように、悪い意味合いで使われることが多い。辞書によっても説明が微妙に異なるが、「知恵蔵2015」では、「政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動をポピュリズムと呼ぶ」と解説されている。

  次いで、「民主主義は常にポピュリズムに堕する危険性を持つ」として、「そのような場合、問題を単純化し思考や議論を回避することがどのような害悪をもたらすか、国民に語りかけ、考えさせるのがリーダーの役割だ」とつづく。

  この説明はちょっとおかしい。不確実で不安な時代に、じっくり考えよとか問題を単純化してはいけないとか、人間の脳の仕組みとは真逆のことを言っていること自体、危機の時代のリーダーとは思えない。これでは、扇動家の思うつぼだ。

  理性(論理的思考)を重んじるという人たちは、ポピュリズムをあおる扇動家を非難する前に、彼らが使っているコミュニケーション手法を学び、一般大衆を説得できるメッセージを送るようにするべきではないだろうか? 

  大衆を説得できるコミュニケーションの特徴を3つにまとめてみた。

  1. 感情に訴える・・・抽象的表現は避ける。具体化、具象化を心がける。
  2. 曖昧にしない。黒か白か明確にする。
  3. 複雑なことを単純化する・・・シンプルに表現する

  この3点について説明してみます。

  感情に訴えるために必要なのは、抽象的表現ではなく具体的表現を使うことだ。英国の国民投票を例にとれば、残留派リーダーは、EUメンバーであることの経済的恩恵を語った。世界に開かれた市場になることがどういった恩恵をもたらすか、多くの数字を並べた。だが、統計数字は抽象的すぎて、暮らしが貧しくなったと具体的に感じている聴衆の感情にはアピールできない。

  それに対して、離脱派をまとめたのは、怒りの感情だった。怒りの対象は具体的に頭に浮かべることができた。移民(グローバル化という抽象的概念を具象化している)やEUや英国の政治を支配しているエリート層だ。

  スピーチで他人の言動に影響を与えることが上手なひとは、メタファー(隠喩)を使う。メタファーは聴衆に具体的イメージを提供する。だから、メタファーを巧みにつかったアップルのスティーブ・ジョブスは、聴衆の心に感動を与えることができ、プレゼン上手と評判をとった。

  日本でポピュリズムという言葉をが使われるきっかけを作ったと言われる小泉元首相もメタファーの使い方が上手だった。メタファーを使うことで、聴衆は彼が言いたいことを一瞬のうちに(直感的に)理解できる。たとえば、小泉元首相は総裁選で「自民党をぶっこわす」と発言した。自民党を革新するとかいわれても、「革新」という言葉は抽象的で具体的イメージがわかない。だから、聴衆の感情に訴えることはできない。だが、「ぶっこわす」と言えば、壁や建物が崩れ落ちる具体的なイメージが浮かぶ。

  米国のトランプ大統領候補でいえば、メキシコから不法移民が入ってくるのを止めるために、「メキシコとの国境に壁を築く」と発言した。「国境の壁」という言葉は、不法移民を防ぐための法律をつくるとか警備を厳しくするといった話よりも具体的イメージを浮かべやすい。移民によって不公平な扱いを受けていると考える人達には大いに受けた。

  考え方を具象化することで感情にアピールすることができる。メタファーで自分のアイデアを具体化、具象化することで、どんな教育レベルの人や異なる環境にある人とも同じ概念を共有することができる。ポピュリズムの扇動家を批判する前に、リーダーはこういったコミュニケーション手法を学ぶべきだ。

  ついでに付け加えれば、英国のEU残留派は論理的思考にもとづいて理性をもって残留を選択した人達だと思われているようだが、これは真実だろうか? 

  「Flight or Fight/逃げるか戦うか」でいえば、離脱派は国内外のエリート層に怒って戦うという行動を選択した人たちだ。行動の結果がどうなろうと失うものはない。つまり、自分たちが置かれている今の状況は最低だから、なにをしてもこれ以上失うものはないと判断したのだ。それに比べて残留派は、EUの将来は明るいと考えて残留を選択したわけではない。自分たちが置かれた今の状況は必ずしも良いものだとは思っていない。だが、離脱すれば現状より悪くなる可能性がある。離脱派よりはましな暮らしをしているぶん、失うものがある。だから、行動経済学でいうところの「損失回避性」で、自分たちが今持っているものを失うことに恐怖心を感じたのだ。経済的恩恵を示す統計数字を論理的に判断したわけではない。

  残留派も、やっぱり恐怖心、今持っているものを失うことへの恐れの感情に影響されたということができる。

  話を元に戻します。

  大衆を説得するためのコミュニケーション手法の2番目です。

  第二に、曖昧にしない。黒か白か明確にする。TVのコメンテータの言葉やマスメディアの論説は、放送規制もあるだろうし、言質をとられないようにしているためもあるだろうが、すべてがあいまい。黒白を明確にしないから説得力がない。

  だからこそ、「保育園おちた日本死ね」といったブログが短期間に世論に影響力を行使することができるのだ。

  不確実な時代に一般市民は不安であいまいな心理状態にいる。これ以上、エリート(たとえばコメンテータや政治家、経営者)の論理的説明は耳にしたくない。自分自身迷っているのだから、誰かに決めるきっかけを与えてほしいと思っているのだから。

  第一次安倍内閣で失敗した安倍首相が学んだことは、黒白を明確にすること。あいまいなままにしておかないこと。それを学んで実行しているから、強いリーダーのイメージを維持することができる。なんだかんだと言いながら支持率が高いのは、不安な時代には強い(強いイメージを持った)リーダーが好まれるからだ。

  皮肉な言い方をすれば、黒白がはっきりしない曖昧な表現をするのは、エリート(コメンテータや政治家、経営者)自身が意思決定できていないからだといえる。行動を起こすためには、いくつかの選択肢のなかから一つを選ばなければいけない。黒白つけられないということは、自分自身が行動するつもりがない・・・ということだ。

  そして、最後に、シンプルに説明すること。複雑な説明は曖昧さをもたらす。複雑になるのは、多くの場合、言い訳を付加しているからだ。選択するということは行動を起こすことであり、行動自体の説明が複雑になるはずがない。小泉元首相はワンフレーズポリティックスと揶揄された。が、彼は、他人を説得するためには単純でなければいけないことを知っていたともいえる。

  「保育園おちた日本死ね」は、具体性、曖昧のなさ、単純性において、一瞬のうちに多くの人たちの共感をえた。それに反発した(とくに言葉使いに反発した)人たちもいたようだが、こういった人たちはポピュリズムの扇動家の説得力に勝つことはできない。

  紀元前4世紀に弁論術の古典を著したアリストテレスは、聴衆を説得するためには次の3つの要素が必要だとした。

  • logos(ロゴス) - 論理的な説得
  • pathos(パトス)- 感情に訴えることよる説得
  • ethos(エートス)- 話し手の人柄(人格)による説得(信頼できると直感できる話し手)

  他人を説得するための3要素の必要性はいまでも変わらないだろう。日本では、人柄もよく理性的で論理的説明ができる人は多い。だが、惜しいことに、その多くが、相手の感情にアピールする術を知らない。ポピュリズムに懸念をもち、それを阻止しなくてはいけないと思っているのなら、人間の脳の仕組みを知り、感情に訴える方法を学ばなくてはいけない

  日本は伝統的に黒白をつけるのを避けあいまいさを尊ぶところがある。だが、他の先進国と同様に、経済格差や世代格差が進むなか、そういった考え方も変化してきている。あいまいな社会では必要なかった他人を説得するテクニックは、今後は、とくにリーダーになる人には、必須のコミュニケーションテクニックとなるはずだ。

  最後に、米国のトランプ旋風でのエピソードをひとつ。

  米国のトランプ大統領候補を支持するのは学歴の低い白人で低所得者で労働者階級が多いといわれる。海外ニュースを聞いていたら、トランプ候補が支持者の集まりで、支持者をたたえるような口調で「きみたち教育のない人達をボクは大好きさ」と発言しているのでびっくりした。教育がないと言われた人たちも、それに傷つくわけでもなく声援をおくっていた。思うに、日本人は、大卒じゃないのは恥ずかしいことだと感じている人たちが多いということか。それに対して米国人は、「教育がないのがなにさ」と開き直っているのか・・・? グローバル化で、とくに先進国は多くの点で類似してきているが、ときどき、日本との違いをみせつけられて驚くことがある。

 

 

参考文献:1.ルディー和子「売り方は類人猿が知っている」日本経済新聞出版社、2.ルディー和子「合理的なのに愚かな選択」日本実業出版社、3. Computations of uncertainty mediate acute stress responses in humans, Nature Communications 7, March 2016, 3. EU Referencum: a contest between economics and emotion, Financial Times 6/23/16

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2016年5月30日 (月)

エンゲル係数では説明できない「人類の究極の快楽は食べること」

  エンゲル係数(家計の消費支出に占める食料費の割合)が高くなったと、最近、話題になっている。それに関連して、イオンの岡田社長が、4月の決算発表の場で、「エンゲル係数が上がっている。今の日本社会では食べることにしか楽しみがないようだ。本来はもっといろんな楽しみがあるはずだが、それを受けとめる商品がない」とコメントしたという。

  そのコメントに関して、朝日新聞編集委員が「刺激的な言葉だった・・・。今の社会が求めている小売業やサービス業とはどのようなものか? それに対しての答が見つかっていない」といったような内容の記事を書いていた。

  岡田社長も、この編集委員も、食べること以外の楽しみを企業は提供しきれていない・・・という考えのようだ。朝日新聞の記事によると、岡田社長は「(食べることしか楽しみがないということは)国家が抱える課題でしょう」とまで言い切ったそうだ。

  この考え方は根本的に間違っている・・と思う。

  「食べることしか楽しみがない」のではなく、「人間は一定レベルの欲望が満たされたとして、それでも、最後まで残るのが食欲だ」といったほうが正しいのではなかろうか? 

  WHO(世界保健機関)は、2014年には世界中で19億人が太りすぎで、そのうちの6億人は肥満と認定されると報告している。この数字は20年前の2倍となっている(肥満の定義は文末の参照をチェックしてください)。

  肥満は高血圧、高コレステロールで心臓病を患いやすく、糖尿病になる率も非常に高い。結果、医療費の増大、生産性の減少をもたらす。肥満は世界的に大きな社会問題となっているのだ。

  肥満は、生活レベルも高く安定していて娯楽も多い先進国でも悩みのタネだ。米国を筆頭に、ヨーロッパではドイツや英国で、体重過多は社会が取り組むべき課題とになっている。デンマークは、ドイツや英国のようにならないように、飽和脂肪酸を多く含む食品に余分の税金をかけるという荒業を採用した(だが、この世界最初の「肥満税」は物価上昇と企業の売上減少につながるということで一年後にとりやめられた)。

  生存するために食べる・・・というレベルをはるかに超え、死に至る病になってまで食べたいという欲望は世界の民族が共有しているようだ。

  「そりゃそうだ。だって、食欲は本能的欲望なのだから」という答は十分ではない。なぜなら、同じく本能的欲望の一つである性欲のほうは、先進国においては食欲とは反対に減少傾向にあるからだ。

  夫婦間のセックスレスの問題は日本が世界一。頻度が低いほうで世界一(大手避妊具メーカーの世界42か国調査)。だが、日本ほど頻度が低いわけではないが、米国でも1989年からの調査(シカゴ大学のGeneral Social Survey)によると、一か月に一回以下のセックスレス夫婦は、毎年0.5%ずつ増加しており、過去23年間で68%の増加となっている。英国においても、2013年に発表された16歳から44歳の15000人を対象とした調査によると(National Survey of Sexual Attitudes and an Lifestyle)、1か月平均で5回以下(男性4.9、女性4.8)だった。同じ質問を10年以上前にしたときは約6回(男性6.2、女性6.3)であった。

  どうも、食欲は性欲より欲望度が高いようだ。

  その理由を探る前に、エンゲル係数に関する誤解をいくつか説いておきたい。

  エンゲル法則は、ドイツの統計学者であるエルンスト・エンゲルが1857年に発表したもので、収入が上がれば、その収入のなかで食料品に費やす割合(これがエンゲル係数)は下がるというものだ。つまり、収入の少ない貧しい世帯は、高所得者世帯よりも、エンゲル係数が高いということになる。エンゲル係数は、国の生活水準を表す指標としても使われるようになり、エンゲル係数が高い国は生活水準も低く貧しい国ということになる。

  国連が採用しているエンゲル係数水準では、59%以上は貧困国(ちなみに、終戦直後の日本は2人以上世帯で66%前後だった)。50~59%は最低限のニーズを満たすやや貧困、40~50%がややゆとり、30~40%が富裕国、そして30%以下が超富裕国・・・ということになる。

  日本で最近さわがれているのは、2015年5月以来、エンゲル係数25%台が続いているからだ。25%台は1990年前後の水準で、それ以降は、ずっと23%前後で推移していた。が、2011年から上昇傾向にある。

 上昇傾向にあるとはいっても30%以下なのだから、依然、超裕福なレベルにとどまっている。が、それでも、他の先進国に比べると日本のエンゲル係数は高い。たとえば、米国は8.6%、英国は13%、フランスは16.7%(2010年ないしは2011年)。しかし、どの国も、2007年ごろから少しずつ上がってきていることは事実だ。

  日本を含めた先進国でエンゲル係数が上がっている理由として次の2点がある。

  1. 共稼ぎや高齢者を含めた単身世帯が増えたことにより中食、外食が増大、 
  2. 2008年のリーマンショック前後からの収入減少。

  日本の場合は、上記2点以外にも、

  1. 食品自給率が低く輸入に頼っているため、食品価格が高い。最近はとくに円安が進んだために食品の値上げがつづいている。
  2. 長期にわたる給与所得の伸び悩み、

 ・・・といった計4点が理由としてあげられている。長期にわたるデフレで給与所得も低いままだったところに、ここにきて輸入に頼っている食品価格が上昇したというところか

  とはいえ、エンゲル係数をつかって国の富裕度を比べることは、世界的に貧富の差がひろまっている今、あまり意味をなさなくなっている。たとえば、米国では、高額所得者のエンゲル係数は2004年からほとんど変わらず6%台だが、中流層は11~12%台、低所得者層の数字は、30%をこしており、2009年には35.6%になっている。日本でも、収入を5分割して、各層のエンゲル係数を調べてみると、平均は23.6%だが、収入が一番低い層では26.1%、一番高い層は21.9%となっており、その差は大きい。

   貧富の差が開いているいま、平均の数字をつかって批評することは、あまり意味をなさない。

  さて、話を戻して、岡田社長の「今の日本社会では食べることしか楽しみがないようだ」というコメントへの反論を書いてみます。

  さきに結論を書いてしまうと、人間はある程度お金持ちになって、欲しいものも買えるようになって、旅行とかもろもろしたいこともできるようになったとしても、食べることの楽しみは究極の快楽として残る・・・ということだ。だから、食べることしか楽しみがないのではなく、いろいろやりつくして、それでも、なおかつ、最後まで残る欲望が食欲だということだ。

  ローマ帝国の貴族は、財産を浪費することがステータスでもあり、宴会には当時の世界中の珍味が並べられ数時間延々と続いたといわれる。有名な話なのでご存知の方も多いだろうが、満腹になるとクジャクの羽根でのどをくすぐることで、嘔吐して食べたものを吐く。胃をからっぽにしてまた食べたといわれる。空腹を満たすとか栄養を摂取するのとは無関係に、食欲という本能を満足させ快楽を得るために食べたのだ。

  このローマの貴族の宴会を思い起こさせるフランス映画「最後の晩餐」は73年に制作された。内容は、4人の社会的地位もあり金持ちの中高年の男たちが(つまり、満足できる人生をある程度やりとげた男たちが)、パリの高級住宅の一室に集まり、死ぬまで食べつくす・・・グルメ料理を食べて食べて、間に嘔吐して、それでも食べて、最後にみんな死んでしまう・・というグロテスクなものだ。その年のカンヌ映画祭ではあまりの不快さゆえに映画館内はブーイングの嵐、審査員長だった女優イングリッド・バーグマンが、映画を観終わって嘔吐したというウワサもある。

  この映画が2013~15年にかけてヨーロッパやアメリカで再上映された批評は、73年にはショッキングな内容かもしれないが、今の時代では「それほどでも・・・」といったものだった。

  外国に行けば、グロテスクにまで太った人が、気持ち悪くなるくらい大食いしているのをフツーにみられる。食べることへのむきだしの欲望に嫌悪感を感じる傾向は、もう、ないのかもしれない。

  なぜ、人間は、生存に困らないくらいには食べられる現代にあっても、食べることがまるで最高の快楽を得られる行為であるかのようにふるまっているのだろうか? その答えを探ってみます。

  食欲は本能的欲望だ。人間は食べなければ生きてはいけない。だから、脳は、脳の所有者が食べ物を必死になって探すように、食べることで快感という報酬が得られるような仕組みにつくられている。食べると脳の報酬系が刺激され、ドーパミンという化学物質が放出され、快感を感じる(詳しいことは、拙著「売り方は類人猿が知っている」を参照)。

   一万年前に農耕生活が始まるまでの数百万年という気が遠くなるくらい長い間、人類とその祖先は飢餓と戦ってきた。人間の脳には、飢餓の時代のころのことが記憶としてあるいはDNAとして残っている。だから、高カロリー食品が大好物なのだ。飢餓の時代の先祖が、脂肪分とか糖分が多く含まれている高カロリー食品を発見したら、絶対に全部たべる。このチャンスを逃がしたら、次にいつ食べられるかわからないのだから、とにかくありったけ詰め込む(映画「最後の晩餐」を思い起こさせる)。これが生存率を高める方法だから。

   狩猟採集生活の祖先の中で、脂肪の形でエネルギーを効率的に蓄えられた人は、少ない食べ物でも生存率が高くなる。こういう「倹約遺伝子(Thrifty Gene)」を持っている人ほど、生存率が高くなり、結果、その遺伝子をもつ子孫の数も多くなる。

  が、かつては生存に適した遺伝子は、飽食の時代では、邪魔になる。肥満や糖尿病になりやすく、生存のためにはかえって不利な条件となる。人種的にはアフリカ、東南アジア、ポリネシア出身の人たちはこういった倹約遺伝子を受け継いだ割合も高く、日本人もこの遺伝子を欧米人の2~3倍も高くもっているといわれる(だから、日本人は日本食を食べるべき)。 

   世界肥満度ランキングで、上位を占めるのは、ナウル、クック諸島、サモア、トンガといった太平洋諸島で、それを説明する理由として倹約遺伝子説がつかわれる。つまり、長い航海を耐え生存して島にたどり着いた人たちは、脂肪の形で十分なエネルギーを保存することができた人達だ。そういった代謝システムをもった遺伝子をうけついでいる子孫が伝統的に島でとれる食物だけを食べていたころはよかった。が、西洋から伝わった肉や甘いものを口にするようになると肥満が寿命を縮めるようになる。

  現代人が高カロリーな食品に抵抗できないことを説明する説はたくさんある。たとえば、日本語でも「別腹」という言葉があるように、欧米でも、どれだけ満腹でもデザートのためには「第二の胃」があるという。甘いものに含まれる砂糖には、胃の反射神経を刺激して胃壁を拡張させる作用がある。そういった意味では、フルコースの食後に甘いものを口にすることは、胃の満腹感を和らげるので理にかなっている。問題は、ついつい食べ過ぎてしまうことだ。

  甘いもののなかでもチョコレートにはPEA(phenethylamineフェネチルアミン)が多く含まれている。PEAは快楽感をもたらすドーパミンが脳内に放出されるのを促進する性質がある。だから、1600年代には媚薬とみなされ、修道士などが口にするべきものではないと禁止されていた。

  報酬系を活性化してハイになる(快感を感じる)覚せい剤や麻薬が依存症や中毒をもたらすように、甘いものも、次第に食べる量がふえ、食べないとイライラする症状をもたらす傾向がある。結果、甘いものを食べれば太るとわかっているのに、止められない。

  このように、飢餓の時代に、必死になって食べ物を探す動機づけをするためにつくられた脳の仕組みは、いまでは、健康を妨げるものになっている。

  米国の心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求を5段階の階層に分け、生命維持のための食事・睡眠・排泄などの本能的・根源的な欲求を第一段階として、そういった欲求が満たされれば、次に、安心で安全な環境を欲求する第二段階に移る・・・とする理論を、1943年に発表している。

  マズローの欲求五段階理論は、ピラミッドの形で説明されることが多いので、ご存知の方も多いであろう。

  1. 生理的欲求 (Physiological needs)
  2. 安全の欲求 (Safety needs)
  3. 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
  4. 承認(尊重)の欲求 (Esteem)
  5. 自己実現の欲求 (Self-actualization) 

 

  映画「最後の晩餐」の4人の登場人物やローマ帝国の貴族たちは、4番目の承認の欲求、つまり、地位、名声、注目などを獲得し、自分が属する社会集団で価値ある人物であると認められるところまで到達した者たちだといえよう。だが、それでも、食欲という本能的欲求の力には勝てなかったようだ。4番目から5番目の「自己実現」に移行するという欲求がそれほどない人達(実際には大半の人達が5番目に到達できないといわれる)は、3と4の段階をある程度達成すると、次に何をしてよいのか、人生を生きることへの動機づけがなくなってしまうようだ。

  また、テロや戦争に対する恐怖、地球温暖化による自然災害(日本には地震災害もある)、資本主義経済への信頼度低下・・・といった不安度の高い社会においては、2番目の安全・安心への欲求すらおぼつかない。将来への確固たる希望が持てない不安定な情勢のなかでは、内向きにならざるをえない。家でおいしいものを食べること以外に快楽を求める欲求度は低いのかもしれない。それが、先進国の肥満度の増大につながっているのかもしれない。

  最近、シェアリングエコノミーといって、自動車、住居、洋服、、その他を所有しないでシェアする傾向が高くなっている。化粧品のような消耗品ですらシェアするようだ。だが、食品はどうだろうか? 大きな袋づめの菓子を数人でシェアすることはできるだろうが、ケーキとかアイスクリームとかステーキとか、食べ物は食べれば消えてしまうし、生鮮度の問題もある。食べ物はシェアしにくい。

  ものを所有しないシェアリングエコノミーの時代になろうと、あるいは、ある程度の裕福度を達成しようとも、食べるものへの欲望は減少することがない。好きな食べものへの中毒とまではいかなくても依存度は強い。

  人類の究極の快楽は食べること。

  だから、クルマやファッションとか売れなくなっても、おいしい食べ物だけは、必ず売れる。

*参照: 肥満であるかどうかは体脂肪量による。世界的に広く使われている指標はBMI(Body Mass Index)。WHOによる肥満の判定基準は、BMI30以上が肥満で、25以上が太りすぎ。 BMI=体重kg/(身長m)2

参考文献: 1.「食べる以外の楽しみを売るには」朝日新聞4/26/16、2. Denmark's food taxes/A fat chance, the  Economist, 11/17/12, 3.Survey examines changes in sexual behaviour and attitudes in Britain, UCL News, 11/26/13, 4.Japan, The Sexless Nation, Tokyo Business Today, 12/19/14, 5.Sexless marriage in america keeps rising, new study reveals, Breitbart connect 2/1/15, 6.La Grande Boufe: the ovie that shocked Cannes, 40 years ago, The Same Cinema Every Night 5/17/13, 7. エンゲル係数については、日本の場合は、総務省統計局家計調査による。米国の場合は、USDA, Economic Research service based on the data from the Bureau of Labor Statistics consumer Expenditure Survey 2004-09、8.「先進国で上昇する「エンゲル係数」 背景にあるのは」 日経新聞 9/18/12、

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2016年5月 1日 (日)

無敵Googleが恐れるボット・プラットフォーム

  

  ネットの世界では、「会話型ボットをつかったメッセンジャー・アプリ」が話題になっている。これが、ネットの次世代のプラットフォームになるだろうと予測されているのだ。

  ・・・といっても、一般的には、「それが何なの?」的な反応しかないと思う。「だいたいボットとかメッセンジャー・アプリって何なの?」という読者は、文末に簡単な説明をいれておきましたのでご覧になってください(ちなみに、LINEは2億人が利用しているメッセンジャー・アプリです)。

  ネット上で、プラットフォームが変わるということは、たとえば、マイクロソフトがネットの世界における王座をGoogleやAppleに奪われたように、GoogleやAppleが他の新興企業にいまの地位から引きずりおろされる可能性を意味している。

  浮き沈みの激しいテックの世界の人達にとっては、とっても重要なことなのだ。

  会話型ボットはデジタル秘書とかデジタル執事といったほうがわかりやすいかもしれない。でも、映画やマンガに登場するデジタル執事を想像したら、実際の会話型ボットにはかっがりするだろう。Facebook のザッカーバーグCEOが、「映画『アイアンマン』に登場するデジタル執事ジャーヴィスのようなAI(人工知能)を、自分用に構築したい」と、今年の新年の抱負として書いていたように、現実はフィクションにはまだ追いついていない。

  ジャーヴィスのように音声で問いかければ音声でなんでも正確に答えてくれるようなAIボット(人工知能ロボット)はいまだ存在しない。AppleのiPhoneやiPadなどに搭載されているSiriはデジタル秘書だといわれ、そのAIは使えば使うほど進化していくとされる。が、ジャーヴィスのようにどんな難問にでも正確に答えることができるわけではない。そのかわり、面白い会話ができるような性格づけを最初にしておくことで、能力のなさをごまかしているところがある。

  たとえば、Siriに「0÷0は?」と質問したら、「0個のクッキーを友達0人で分けるとします。一人当たり何個になりますか? ほら、無意味な質問であることがわかりますよね。 それに、友達がいないとさびしいですよ」というような答が返ってきた・・・と、世界中で話題になった。

  このように、デジタル秘書とか執事は、まだ、話のネタのレベルだ。

  いま、ネットの世界で話題になっている「会話型ボット」は、音声ではなく、文字をつかう。LINEのようなメッセンジャーアプリで知人と短いメッセージのやりとりをするように、ボットとテキストベースのメッセージを交換することを「会話型」といっているのだ。

  そのぐらいのレベルで、なにがそんなに注目されているのか? 

  どうやら、注目されているのは、「会話型ボット」と「メッセンジャー・アプリ」の組み合わせであり、この結合が、10年に1度の大きな変換(パラダイム・シフト)を意味するというのだ。なんの変換かというと、コンピュータとユーザーとの接点にあたるインタフェースの大きな変換だ。

  コンピュータのユーザー・インタフェースの歴史においては、10年ごとにパラダイム・シフトがおきている。デスクトップPCの時代には、90年代半ばまでは、マイクロソフトWindowsが標準OS(基本ソフト)となり90%以上の市場シェアを誇った。が、2000年代半ばにモバイル端末が急速に普及し、モバイル端末のOS市場はAppleのiOSとGoogle のAndroidの寡占状態となる。そして、アプリの時代へと突入。だが、ゲーム好きな日本や韓国を除いて、アプリの黄金時代は2010年に終わったといわれる。

  スマホ用アプリはあまりに数がふえすぎて、実際にダウンロードされるアプリ数は減る傾向にある。AppleのiOS用アプリは150万個、GoogleのAndroid用には160万個のアプリが発売されている。だが、米国では、実際に使っているアプリはわずか3個だ(2015年調査)。

  日本はAndroidのアプリ収益が世界一であるようにアプリ大国。だが、ダウンロードされるアプリは圧倒的にゲームアプリ。日本のユーザーがスマホゲームに費やす時間は米国の4倍で、アプリストアにおける収益のうち90%がゲームアプリとなっている。月に10回以上利用するアプリは9個と、米国より多くなってはいるが、利用するアプリの種類をみると、ゲームを含めたエンターテイメント系の割合が一番高い(ニールセン2014年調査)。

  ゲーム以外のコミュニケーションやサーチ、ソーシャルメディア系アプリに関しては、日本でも利用するアプリの数は減る傾向にある。多くのスマホユーザーは自分の気に入ったアプリを使うだけで終わっているようだ。そして・・・

  1. 複数のプラットフォーム(たとえば、iOs, Andoroid, Windows)で動くアプリを開発して維持するコストに比べると、テキストベースの会話型ボットにかかるコストは低い。また、ボットを作るのは比較的簡単だし開発スピードも速い。
  2. メッセンジャーアプリが世界的に普及している。たとえば、日本では圧倒的にLINEだが、中国ではWeChat(アクティブユーザー数6億5000万人), 西欧ではWhatsApp(9億人)。だから、一般ユーザーはテキストベースの短いコミュニケーションのやりとりに慣れている。

  ・・・ということで、2016年からは、メッセンジャーアプリ内でボットをつかったテキストベースのインタフェースが中核となり、これが次世代プラットフォームとなると予測されている。

  つまり、お気に入りのメッセンジャーアプリ一個だけをダウンロードする。そうすれば、たとえば、母の日に花を贈りたいとして、わざわざ、Google検索して通販サイトにアクセスしたり、あるいは、花の通販会社のアプリをダウンロードしたりする必要はない。いつも使うメッセンジャーアプリ内の花の通販会社のボットと直接やりとりをすればよい・・・と、FacebookのザッカーバーグCEOは4月12日に発表している。

  Facebookは、4月12日に、世界で8億人が利用している自社のメッセンジャーアプリのオープン・プラットフォーム化を発表した。Facebook MessengerのなかでAIを採用したボットと呼ばれるソフトを簡単に作れる仕組みを、無償で提供することにしたわけだ。すでに、通販会社や旅行予約など30社以上が契約を結んでいるという。

  花の通販サイトの場合、ボットを呼び出すと「花を注文しますか?それとも、顧客サポートと話しますか?」と文章で問いかけてくる。「注文する」を選択すると、花の種類、配達先情報、支払情報を順番に聞いてくるので、テキストベースのやりとりをして、注文完了となる。

  Google検索してサイトにアクセスしたり、いくつかのアプリをダウンロードするのではなく、ひとつのメッセンジャーアプリだけをつかい、そのなかで、ボットと会話するだけで、すべてのタスク(検索から選択、注文、決済サービスを提供している場合は支払まで)をこなしてもらう。

  メッセンジャー・アプリ上で様々なサービスを利用できる仕組みで先端を走っているのは日本のLINEとか中国のWeChatといったアジア勢だ。2016年1月時点で6億5000万人のアクティブユーザーをもつWeChatでは、100万件以上の企業がアカウントを開設していている。タクシーやレストランを予約、ネット通販で購買、出前の注文、請求書支払、すべてを、WeChatアプリから離れることなくできる。

  ただし、アジア勢の企業アカウントすべてがAIを搭載したチャットボットを採用しているわけではない。タクシーやレストラン予約といったような会話内容がきまっていて、シナリオを描きやすいものであれば、AIを採用する必要はない。WeChatにしてもLINEにしても、アプリ内に埋め込まれた各企業のウェブサイトが、会話形式に見える形で、あるいは、選択肢ボタンをタップする形で、ユーザーとやりとりしているだけ・・という例が多い。WeChatでは、むつかしい話になったら人間とリアルタイムに会話できるようなシステムも採用されいてる。

  重要なことは、他のアプリや他のウェブサイトに移行する必要がないということ、そして、日常の会話に近い自然な形でコミュニケーションできるということだ。

  アジア勢のメッセンジャーアプリにみられるようにチャットボットは新しいものというわけではない。が、FacebookのAI技術とユーザー規模とを考えると、インタフェースを変える点での影響力が大きい。ユーザーのコンテンツへの欲求は拡大する一方で、モバイル端末のスクリーンは狭い・・・となれば、チャットボットは最適。単語を入力して検索するより、よほど便利。しかも、ボットはアプリと違って、個人データにもとづいてパーソナライズされたコンテンツやサービスを提供することができる。

  FacebookやMicrosoftがメッセンジャーアプリのプラットフォーム化を進めているのは、これまで、スマホ向け基本ソフトを牛耳ってきた、そしてその結果、スマホのアプリ市場を牛耳ってきたGoogle(Andoroid)やアップル(iOS)に対抗するためだ

   検索をする場合、探している答(リンク)が1ページに10件くらい出てくる。だが、実際の生活のなかで誰かに何かを尋ねた場合・・・たとえば、「近くにドラッグストアがある?」と尋ねた場合、相手が「クスリを買いたいの? それとも、他のもの?」と逆質問をしてくる。それに返事をすることによって、相手はドラッグストアではなくて、近くにあるコンビニの場所を教えてくれるかもしれない。自分が探したいものを明確にさせるためのやりとりをボットとする。多くのユーザーが慣れているテキストメッセージの形式で、ボットと会話をするのは、実生活で人間同士がやりとりをしているのに近い。

  企業はボット時代を歓迎するはずだ。なぜなら、消費者や客に到達するためにウェブサイト、SNSページやアプリを構築し維持するのは経費も時間もかかる。

   AIを採用したボットが増殖すれば、Gooleで検索する人は少なくなるかもしれない。また、アプリの必要性も減るかもしれない。そして、そういったアプリを販売するアプリストアの重要性もなくなるかもしれない。多くのウェブサイトも時代遅れの無用なものになるかもしれない。サイトなどなくしてしまい、ボットに情報を与え、メッセージアプリから提供すればよいのだ。

  Googleもメッセージサービスを提供してはいるが、いまのところ、ユーザー獲得には成功していない。2014年に世界で9億人のアクティブユーザをかかえるWhatsAppを買収しようとしたが、Facebookに先を越され100億ドルで買収されてしまった。それで、いまは、自前で、AIと機械学習の技術を利用した優秀なAIボットの開発をすすめ、そのボットが活躍するメッセージサービスを提供する予定だと報道されている。

  検索の王様の座を、優れたAIボットを開発しなければ守り抜くことができないことを、Googleも自覚しているのだ。

  FacebookやマイクロソフトなどがAI化を進めているといっても、まだ、試行錯誤の段階だ。たとえば、マイクロソフトが3月にTwitterで公開したAIボットTayは差別的発言を連発するようになり、わずか一日で、「話し疲れたので眠ります」とツイートして休止となった。

  Tayは一般ユーザーとの会話を繰り返すことで学習し、成長していく仕組みになっていた。が、悪意あるユーザーたちが協力しあって差別的で不快なメッセージを繰り返し送り、こういった反社会的意見を学習させ、その結果、Tay自らが人種差別、性差別、暴力的な発言するようになったのではないかと推察されている。マイクロソフトは、Tayの弱点を狙う悪意ある攻撃を想定していなかったと認めている。

  日本で一番人気のメッセンジャーアプリのLINEは、今年3月に、モバイル通信サービスに参入することを発表。月額500円からの格安スマホを販売することと、LINEによるチャットや電話は使い放題の無料にすると発表した。会社側は日本のスマホ普及率は50%に満たないが、それは、月額料金の高さやデータ通信料の上限などに原因がある。そういった顧客の不満を解消しスマホの普及につながるような新サービスを始めたと言っている。

  だが、本音は、「安いスマホを購入して、LINEサービスだけを使ってください。それですべてが完了しますよ」・・と、ユーザーに訴えているのだ。「Line Mobile をつかってくれれば、あらゆるサービスの利用ができ、ショッピング、予約、検索、すべてが完了しますよ」とアピールしているのだ

  ネット体験はLINEをとおしてだけ・・・というユーザーがふえてもおかしくない。

  メッセンジャーアプリがモバイル端末のOSになる日がくるかどうかは、会話型ボットが従来のアプリより優れたユーザー体験を提供して、一般的ユーザーに受け入れられるかどうかにかかっている。そして、会話型ボットとメッセンジャーアプリの合体は、簡単・便利を重要視するいまのユーザーに気に入られるのではなかろうか・・・・。

  かつての王者マイクロソフトのように、Googleが「かつての王者」になることは、おおいにありえる。2001年、EUの政策執行機関である欧州委員会はマイクロソフトに「OSの支配的立場を違法に乱用している」と指摘する異議告知書を送った。そして、2016年4月、「ネット検索で圧倒的に優位な立場を利用した独占禁止法違反の疑いがある」と同じような異議告知書をGoogleに送っている。独占法をめぐる法的争いには年月がかかる。最終判断が出る前に(マイクロソフトの場合は10年かかっている)、モバイル端末のプラットフォームがアプリに代わってしまっているかもしれない。そして、Googleの支配的地位は新興勢力にとってかわられているかもしれないのだ。

  テックの世界の変化のスピードには、政治も法律もついていけない。

*ボット(bot)=「ロボット」の略称。もともと人間がコンピュータを操作して行っていたような処理を、人間に代わって自動的に実行するプログラムのこと。 検索エンジンなどが導入している、Webページを自動的に収集する「クローラ」もボットの一種(IT用語辞典から編集引用)

*メッセンジャー・アプリ=対話アプリともいう。主にスマートフォン向けのアプリケーション・ソフトウェアのうち、テキストメッセージのやり取りや無料IP電話などによるメッセージの交換機能を提供するアプリの総称(IT用語辞典から編集引用)

参考文献: 1.対話アプリが主戦場、日経新聞 4/14/16、2. Learning from Tay's Introduction, Official Microsoft Blog 5/25/16, 3. Microsoft's racist robot and the problem with AI development, Daily Dot Tech 5/25/16, 4. Get Ready for the chat bot revolution: they are simple,cheap and about to be everywhere, Forbes 2/23/16, 5.2016could see google challenge WhatsApp with chat bots, Forbes 12/23/15, 6.2015年最新版スマートフォンアプリ関連の最新調査データ、Ferret 7.It's operating systems vs. Messaging Apps in the battle for tech's next frontier, 8/11/15, Techcrunch.com. 8. The Search for The Killer Bot, Casey Newton, The Verge. com. 1/6/16、9.「LINEが無料で衝撃! LINE MOBILEに見えるユーザーの不利益」、 日経トレンディネット、3/30/16、10.「スマホ利用は27個のアプリで利用時間の72%を占める」、Nielsen 10/1/14、「グーグル、検索優位いつまで」、日経新聞 4/26/16

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2016年3月23日 (水)

オムニチャネルの未完成のビジネスモデル

  オムニチャネルという言葉は5年後にはもう使われていないだろう。なぜなら、小売業が店舗やネット(ウェブサイト、携帯端末サイト、ソーシャルメディア)、紙媒体(カタログ、DM、雑誌、新聞)、TV、その他複数のチャネルで販売するのは当たり前になっているからだ。アマゾンも、2015年11月に米国シアトルに店舗を開けており、近いうちに店舗網を構築するであろうと予想されている。

  アマゾンが店舗を開ける理由というか、小売業がオムニチャネルを進める理由は2つある。

  1. 消費者の選択肢をふやすことで優良顧客を育成・・・複数のチャネルで購買する客はひとつのチャネルだけで購買する客よりも購買金額が高くなることは、日本でも海外でも、データで裏づけされている。ウォルマートCEOも2015年に、店舗だけで購買している客の年間累計購買金額は1400ドルだが、ネットでも買っているマルチチャネル購買客の累計購買金額は2500ドル、そして、ネットだけで買っている客の場合は200ドルだと発言している。
  2. 物流拠点として店舗を利用することによる経費削減・・・即日か翌日配送、そして配送無料という威力あるオファーをコスト安に実現するためには、客自身が注文した商品を店舗まで取りに来てくれるのが一番。また、販売企業も、物流センターからではなく店舗から顧客自宅に配送する方法もとれる。

  だから・・・、一定規模の小売業であれば、オムニチャネル戦略を採用しようと思うはずだ。

  だが、これまでネット通販をしたことがない企業が、既存のビジネスモデルの妥当性を検討することなく、異なる顧客セグメントに到達できるとか、チャネルがふえることで売上が付加されるとか期待してネットを利用する場合、かなりの年月と資金を無駄な試行錯誤に費やすことになる(もちろん、逆の場合にも同じことがいえる)。

  日本のB2Cネット通販売上ランキングをみれば(2015年6月日本流通新聞発表)、アマゾンジャパンがダントツ一位で7000億円、2位 千趣会 831億円、そのあとは、ヨドバシカメラ、デル、ニッセン・・・と続く。楽天はモールで販売している小売業者からの出店料や手数料が売上となっているので順位は低いが、流通総額では2兆円(2014年度)くらい。衣料品販売サイトで有名なスタートトゥデイ(サイト名はZOZOTOWN)も楽天と同じく手数料ビジネスが中心なので、ランキングでの順位は低いが、流通総額は1300億円くらいだといわれる。

  日経MJは、2015年6月に発表した小売業調査において、「14年度にネット販売で『利益が出た』とした企業は回答者の34.2%にとどまり、ネット通販でも利益確保が難しいことを示している・・・・(配送費の上昇もあり)『稼げるモデル』はまだ構築されていない」と書いている。

  ネット通販に進出した多くの企業が目標としているアマゾン・ドット・コム自体が、創業後20年以上たっても、いまだに継続的に利益を出していないのだから、日経MJのコメントは驚くべきことでもない。

    「稼げるビジネスモデル」ということで、大手eコマースを比べてみると、アマゾンにしても楽天にしても、在庫リスクの低いビジネスモデルだということに気がつく。楽天にいたってはモールのオーナーとして出店料と売上高の一定割合を徴収するだけで、自社の在庫リスクはゼロだ。

  最近はモール全体の売上が落ちていると騒がれているが、いまの楽天は、営業利益の2割を稼ぐまでになっている金融サービスのほうに力をいれているのではなかろうか。モールを運営するのにかかる人件費や時間と比べて、金融サービスは手間暇かからないわりに利益率の高いビジネスだ。モールビジネスで獲得した会員を金融サービスに循環させる。これが、楽天の利益を稼ぐ仕組み(ビジネスモデル)だといえる。

  ZOZOTOWNのスタートトゥデイは2000点以上のブランドを販売しているが、そのうち買い取り商品はわずか4%で、受託商品が80%を超えている。受託商品の場合は売れなかったら返品できるから在庫の問題はない。そして、スタートトゥデイも、他企業のサイトの設計から運営までを請け負う事業が、売上の14%近くを占めている。

  つまり、両社とも、在庫リスクのない手数料ビジネスを中心とし、そのうえ、本業の小売業で獲得した顧客ベースや自社ノウハウを活用したサービスで損失を補う、あるいは利益を押し上げているといえる。

  アマゾンのビジネスモデルは、楽天やスタートトゥデイに比べると、破天荒なところがある。前人のなしえなかったことを初めてするだけあって、「なんでも有り」感がある。

  システム投資、物流センターへの投資、データセンターへの投資とつづき、利益が出る年度は数えるほどしかなく、2015年度に営業利益が出たといっても、わずか2.1%だ。それも、自社のために構築したシステムをクラウドサービスとして提供する事業が急成長しているおかげだといわれる。

  利益を出してはいないが潤沢なキャッシュフローと投資家に夢を売るのが上手な天才的CEOのおかげで株価を高どまりで維持できる。これを、eコマースの理想のビジネスモデルといえるのだろうか?

  もっとも、アマゾンが潤沢なキャッシュフローを生み出すことができたのには、たしかに、それなりの仕組みがあった。

  アマゾンが最初に書籍を取り扱うことにしたのは、① 消費者が品質の違いを懸念する必要がない(どこで買っても同じだという安心感)、② アイテム数が3百万点にのぼり大きな書籍チェーン店でもすべてを取り扱うことはできない・・・といった大まかな理由があった。が、そのうえに、もう一つ、アマゾンを利する重要な理由が存在した。

  当時の米国には、書店は書籍が入荷して90日後に代金を出版社に支払う慣習があった。その一方で、ネット販売では客がクレジットカードで支払ってくれれば、入金は2日以内になされる。

  交渉の結果、出版社への支払いは、58日にせざるをえなかったが、それでも、在庫回転率を高めることで(当時の回転率は40~50)、書籍を在庫として持つ日数を平均17日に短縮することができた。結果、平均して支払いの41日前に入金される体制がつくられた。つまり、アマゾンは、顧客が支払ったお金を平均41日間、キャッシュフローとして手元に置くことができたわけだ。

  これは、たしかに、フリーキャッシュフローを生み出すための優れた仕組み(ビジネスモデル)だといえる。

  書籍以外の多種多様な商品を販売することで在庫回転率は落ちてきている(最近は、9.5くらいで、8弱のウォルマートより少し高いくらい)。だが、アマゾン取扱い商品の多くは受託販売やドロップシッピングだから、顧客からの入金とサプライヤーへの支払いとの間には、書籍ほどではなくても、ある程度の日数はある。 また、キャッシュフローに悪影響を与える在庫が膨らむ率も低い。

  このように、eコマースで大きく成功しているといわれる企業は、在庫に悩まされないビジネスモデルを採用している。

  小売業は常に3つの在庫ロス(在庫からくる損失)に悩まされてきた。① 少なく需要予測したために、本来なら売れるべきものが在庫がなくなって販売機会を失う損失。② 販売機会ロスを避けようと多くつくりすぎてしまったために値下げをしなくてはいけなくなる値下げロス、③ あるいは、値下げしても残ってしまったために廃棄しなくてはいけなくなった廃棄ロス。売上は上がっても、需要予測がまちがって、値下げロスや廃棄ロスが出て利益が下がってしまったという例はよくある。

  とくに、ファッションという食品と同じように生鮮さがウリの衣料品小売業においては、在庫ロスを小さくすることが、ビジネスの成否を決めるカギとなる。3つの在庫ロスのうちの一つをあきらめることによって利益をあげようとしたのがZARAやH&Mのファストファッションだ。よくいう「売り切れ御免」の方針で、流行している鮮度のよい商品を少量生産。売れても無理な補充はしない。そのかわり、ZARAなどは、1週間に2回新商品を店舗に並べる。機会ロスを最初からあきらめることによって、残りの2つの損失である値下げロスや廃棄ロスを避けることができる。

  ZARAのビジネスモデルが有名になった2000年代初めの調査によると、競合企業が全商品の30~40%を値下げして販売する結果となっているのに対して、ZARAの場合は15~20%。売上高における利益率が高くなるのは当然だ。

  定番商品の大量生産による低価格を売りとするファストリーのユニクロブランドは、正確な需要予測や変化に迅速に対応できるサプライチェーンマネジメントで、3つの在庫ロスと戦ってきた。が、地球温暖化による予測を超える気候変動に対処することはむずかしい。昨年の冷夏や暖冬で売上が下がれば、値下げで在庫をさばこうとするために利益が低下する。

  そして、ここにきて、ビジネスモデルとしては、ファストファッション方式のほうがユニクロ方式より競争優位に立てるのではないかという要因がもうひとつ出てきた。

  消費者は、先回の記事でも書いたように、時間に対して「せっかち」になっている。「待つ」ことが大嫌いになっているのだ。

  欲しい洋服を見つけたら、「すぐに着たい!」

  「すぐ手に入らないなら要らない」という消費者には、世界的に著名なデザイナーですら影響を受けている。2016年2月に発表されたNYコレクション(秋冬用)は、ファッションショー150年の歴史を塗り替えたといっても過言ではないと報道された。従来、プレタポルテは、コレクションの発表から店頭での発売開始まで半年待つのが常識だった。だが、ショーを鑑賞した業界人やセレブがソーシャルメディアでリアルタイムに発信することにより、一般消費者も最新コレクションを見て知ることができる。デザイナーのトミー・ヒルガ-は「若い世代は見たものをすぐに手に入れたがる」と語っている。結果、著名デザイナーのなかには、ショーで披露した商品のいくつかを直後に販売したり、トム・フォードのように春に秋冬もののショーを開催するのではなく、9月にすぐに買えるえるコレクションとして披露する方針に変更する人も登場してきている。

  だいたいにおいて、気候の問題だけでなく、世の中の変化が目まぐるしい時代において、半年も前にコレクションを発表すること自体が時代遅れだ。ZARAは、9・11の大参事発生後、2週間以内に、店頭商品を乗馬をテーマにした洋服から黒を基調にしたものに変更することができている。

  ユニクロのファーストリテイリングは、需要予測のブレからくる在庫ロスを減らすため、また、変転するファッショントレンドに対処するために、IoTを駆使した新しいビジネスモデルを模索しているようだ。ビッグデータのコンサルティングを強化しているアクセンチュアと2015年に合弁会社を立ち上げたのも、その一環だ。

  柳井CEOは、これまでの同じ商品を大量生産する手法を見直し、2020年までには、客が好みの柄や素材を選んで自分だけの商品を注文できるようにするとして、「世界中のだれもが体験したことがないような買い物ができるようにしたい」とコメントしている。また、「現在約5%のeコマースの売上を将来的には30~50%に拡大する」とも発表している。

  データに基づくパーソナライゼーションを採用してセミオーダー感覚の洋服を提供するってことだろう・・・と要約してしまうと、それほど大したことでもないように思える。まあ、ある程度の方向性は決まっていても、具体的な内容は、試行錯誤の過程をへて出来上がっていくのだろう。すでに、その試行錯誤のステップは始まっている。2016年になって、オンラインストアで、2112通りの組み合わせから、客の体型や好みにぴったりあったものを選べるメンズジャケットの販売を始めている。サイズや色の組み合わせで2112通り。しかも、最短7日で、指定の場所に配送できるという。

  ユニクロが思い描くような洋服と洋服の提供の仕方が消費者の心をとらえることができるかどうかは、疑問が残る。が、いずれにしても、SPA(製造小売業)のユニクロのeコマースのビジネスモデルは、ITプラットフォームで売り手と買い手とをつなぐ仲介業の楽天や、受託販売や仲介業を中心とするアマゾンとは異なったものになるはずだ。

  ・・・と、ここで、オムニチャネルのビジネスモデルに話を戻します。

  eコマース企業の成功例としてあげられるアマゾン、楽天、スタートトゥデイは、すべて、在庫ロスのリスクの小さいビジネスモデルを採用している。この事実は、3つの在庫ロスが発生しやすいタイプの商品を取り扱っている企業が、ネットというチャネルを付加することの難しさを示唆しているのではないだろうか? 3つの在庫ロスをかかえる既存のビジネスモデルを変えることなく、ネットというチャネルを付加することは、在庫リスクをかえって高めることにならないだろうか?

  たとえば、カタログ通販の例をみてみます。

   カタログ通販は1980年代に大きく成長した。が、91年のバブル崩壊後は衰退がつづき、売上上位をしめていた千趣会、ニッセン、セシールも業績停滞や悪化により、他企業に買収されたり、資本業務提携を結んだりする結果となっている。

  カタログ販売の中核商品は衣料品だ。そして、90年代初め、ファストファッションやユニクロのような低価格帯アパレルの登場で大きな打撃を受けた。対策として、自分達も低価格帯商品を出さなければいけないと考えたが、商品企画からカタログができるまで、少なくとも8か月から12か月かかる。ZARAやH&Mのようなファストファッションのまねは到底できない。

  ユニクロのマネはできるのではないかと考え、ある程度のSPA(製造小売業)化を進め、一定の品質の定番商品の低価格化は実現した。だが、数か月間、同じ商品しか見せられないカタログという媒体は、常に新鮮なものを求める消費者の欲求には答えられない。また、めまぐるしく変化する環境(気候、世の中の雰囲気)のなかでは需要予測がはずれることが多く、在庫ロスが発生する。

  カタログ通販の問題は、基本的ビジネスモデルが時代の変化に合わなくなってきていることにあった。だが、衰退の原因は「カタログという紙媒体からデジタルメディアへの移行が遅れたから」と理由づけされた。

    問題はメディア(チャネル)にあったわけではない。生鮮度が重要な商品カテゴリーを企画・販売するカタログ通販のビジネスプロセスが、世の中の変化のスピードにそぐわなくなってきたことが本当の要因だ。もともとのビジネスモデルに問題があるのだから、同じモデルでネット販売をしたからといって、根本的問題解決にはならない。結果、ネット販売に力をいれるほど、全体の売上、あるいは、利益がさがっていく結果を招くこととなった。

  その点、さすが、ユニクロ。ファーストリテイリングは、自社の現在のビジネスモデルがいまの時代にそぐわなくなってきたことを理解している。そのうえで、ネット販売を付加するのではなく、いまのビジネスモデルを変えるためにネットを利用することを考えている。「(ビッグデータの分析をとおして)グローバル市場のトレンドを的確にとらえたシンプルで高品質な洋服を、高スピードで開発し、しかも、携帯端末を使って柄や素材、サイズなどから自分好みの組み合わせが選べる選択肢も提供する」ということは、定番の大量生産化ビジネスモデル + ファストファッションのビジネスモデル + 個人に訴求するパーソナライゼーション= ユニクロ独自のビジネスモデルをイメージしているようだ。

  最後に、アマゾンの衣料品PBについて最新ニュースを一言。

  キャッシュフローを重視するアマゾンは当然のことながら、キャッシュフローに悪影響を与える在庫の数字を重要視している。よって、これまで、新鮮さをウリとする商品カテゴリーは不良在庫になる可能性も高いので、自らが在庫をもたなくてはいけないようなやり方はなるべく避けてきた。しかし、最近になって、ファッションでプライベートブランドを開発するらしいと話題になっている。世界一の小売業を目指すアマゾンとしては、衣料品を手掛けないわけにはいかないのだろう。 もっとも、ファッションのPBではファストファッションのビジネスモデルを採用するようだから、不良在庫を避けることにはこだわっているようだ (2014年に独自開発のスマホFire Phoneを発売して、失敗して、8300万ドルの余剰在庫を出した経験もあるし・・)。

  

  

参考文献: 1.第48回小売業調査、日経MJ 6/24/15, 2. ネット通販売上高調査、日本流通産業新聞 6/11/15、2.「すぐ手に入るコレクション、変容するファッションの現場」FMAG 2/18/16、3. Clayton M. Christensen & Richard S Tedlow, Patterns of Disruption in Retailing, HBR january-February 2000, 4.William A. Sahlman and Laurence E. Katz, Amazon.com-Going Public, HBSP 1998,5. Polka Dots Are In? Polka Dots It Is !, Slate com. 6/21/12, 6.Phil Wahba, Walmart CEO's plan to fight Amazon: Win with Stores, Fortune 10/16/15、6.「ファストリ、ビッグデータで提案販売、アクセンチュアと新会社」、日経新聞 電子版 6/16/15, 7. 「ユニクロ柳井会長が掲げたインダストリー5.0」 日経ビジネス 11/18/15, 8. Rapid-Fire Fulfillment, Harvard Business Review, November 2004, Alibaba vs. Amazon: An In-depth comparison of two ecommerce giants. ecommercefuel. com 10/24/14、9.Amazon quietly rolls out private label fashions,WWD 2/22/16、10.「zozotownなdの年間商品取扱高が12.5%増の1290億円に」、ネットショップ担当者フォーラム、5/8/15, 11. Amazonis killing off the Fire Phone, forune 9/9/15

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2016年2月14日 (日)

世界の消費者の最新動向とコンテンツマーケティング

  1月に発表された、ユーロモニターのレポート「世界の消費者、2016年の動向」を読んでみた。「ユーロモニター」はロンドンを拠点とするリサーチ会社で、世界210か国781都市の消費者や産業データを1997年から蓄積・保存し分析している。

  このレポートを読むと、グローバル化が進むなか、どの国の消費者も考えることや行動が似てきている・・といった感想をもつ。もう少し厳密にいえば、どの国でも、ある程度の規模の都市の住民は、消費者として同じような傾向を示すようになっているということだ。

  レポートでは、最新動向として、① 矛盾する購買行動、② 時間を買う、③ 高齢化(エイジングに挑戦する消費者たち)、④ 社会問題への関心 ⑤不明瞭になる性差、⑥ 安全で自然な食べもの(また、食品廃棄をなくすようなグリーンな行動)、⑦ 精神的健全さ(心の問題)、⑧ デジタル機器依存症 ⑨ 安全を守るための消費、⑩ 旺盛な消費をみせる独身者(一人用の旅行パッケージの人気。姪や甥に浪費する叔父、叔母)・・・など10点をあげている。

  似ているとはいっても、地域によって程度の差が出てくるものもある。たとえば、⑨番の「安全を守るための消費」では、ガードマンを雇うのはブラジルとかメキシコその他の中南米諸国が圧倒的に多い。空気清浄器を買うのは中近東やアフリカで世界平均の2倍以上だ。日本は、こういった面での消費は少ないほうだろう。

  アパレルメーカーや小売業者の関心を呼ぶのが、⑤番のジェンダーの境がぼやけている点だ。女優のメリル・ストリープは映画祭の授賞式にフェミニンタッチの黒のタキシード姿で登場し、「アンドロジニアス・ルック」だと話題になった。アンドロジニアスは両性具有と訳される。ユニセックスのことじゃないかと思うかもしれないが微妙に違う。ユニセックスというと余り性を感じさせない。が、いまの性差がない洋服というのは、セックスアピールを強く感じる。だから、ユニセックスと思ってデザインすると、メーカーは大きな間違いを犯すことになるだろう。

  アパレル産業だけでなくおもちゃにも男女の差がなくなってきている。これも、男女共用のものを作ればいいかというとそうでもない。女の子用のサイエンスおもちゃとか、兵器好きの女子のためのピンク色の銃器とか・・・。ミクロセグメンテーションが進み、一つひとつのセグメント規模はますます小さくなる。

  レポート②番の「時間を買う消費者」について、ちょっと詳しく考えてみます。 

  世界の都市に住む消費者に共通することは、とにかく「時間がない」こと。都市部で働く人たちは給与も高いが労働時間も長い。共稼ぎ率も高いから家事を専門にする家族はいない。日本で「おせち料理」をつくるのではなく買うことが主流になってきているように、英国でも、全世帯の三分の一が時間の節約と料理することのストレスから解放されるためにクリスマス料理を小売店で買うとされる。インドの18歳から35歳の富裕層の70%は、「贅沢」とは購買力ではなく自由な時間をどれだけもっているかだと考えているそうだ。(ちなみに、同調査で、同じように考えている人は中国では59%だった)。

  留守の間に掃除をしてくれるロボット掃除機は世界中で人気だし、最近では、ロボットシェフなるものも登場している。イタリアやポルトガルでiPadを超える売上だというBimbyは、ロボットというよりは、マルチタスク調理器といった感じだが、2018年に英国のベンチャー企業が発売予定だというロボッティック・キッチンは、ロボットアーム付きのシステムキッチン。著名シェフが実際に調理しているところを3D化し、ロボットアームがシェフの動きをそのまま再現。現在は、「蟹のビスク」しかつくれないが、2018年には2000種類のメニューから選択できるという。

  今の消費者は、自分では料理する時間はない。だが、できあいの惣菜がはたして健康に良い材料を使っているかといった安全性への不安も抱えている。その意味で、ロボットシェフは絶対売れると、この会社経営者は考えている。

  時間への意識は、「オンデマンド経済」を促進している。オンデマンド経済は、消費者の要求があり次第、即、商品やサービスを提供する経済活動を指す。ネットスーパーを含めたオンラインショッピングの世界的人気は、これにあてはまる。アマゾンの配送日数というか配送時間も、ますます短縮されている。最近では、都市部において一時間配送を始めた。この場合は有料なので、消費者はまさに時間が買えることを実感することとなる。

  アマゾンが朝注文したら夕方には届く即日配送を始めたときは、消費者は最初は驚いて感動した。が、慣れてしまった今は、それが当然のように思う。自分が欲求している、まさにそのときに、欲しいものを手にいれられないとストレスを感じるようにまでなっている。

  たとえば、パソコンの反応が遅いとイライラする。

  アドビ(米国ソフトウェア会社)が2015年末に実施した日本を含めた6か国の調査では、インターネットで情報を得ようとするときの消費者の待ち時間への耐性が低くなっていることが明らかになった。たとえば、デジタル機器を使っていて、我慢できないことがあって、見るのをやめる人は、米国で92%、ドイツ92%、フランス92%、オーストラリア90%、英国89%、日本80%となっている。我慢できない理由をみると、① 表示に時間がかかっているので見るのをやめたのは41%、② 表示された内容が長すぎるのでやめたのが41%、となっている。

  サイトにアクセスしてから内容が表示されるまでに8秒以上かかるとユーザーは他のサイトに行ってしまうという「8秒ルール」は、もはや通用しない。実際にはその半分の4秒でなくては・・・という声もある。

  常に時間を気にし、イラつきやすい消費者の姿が実感できる数字だ。

  時間に追われる消費者は、また、心の問題(自分の精神的健全さが損なわれていること)を懸念する消費者でもある(ユーロモニターのレポートで⑦番目にあたる)。心の平安を保つために、シンプルな暮らしにあこがれる人たちもいる。

  ミニマリストになることが世界の都市部で流行している。モノを所有する欲を捨て、シンプルな暮らしをし、精神的により充実した生活をする。Less is Moreで、「少ないことがより多いことにつながる」というわけだ。

  ミニマリストにあこがれる理由にはいくつかあるが、時間に対する観念もその一つだろう。あまりに多くのモノを持つことは掃除、整理整頓に時間がかかる。また、ミニマリストになろうと決断すれば、モノを買わなくわるわけで、ショッピングにかかる時間も減る。日本で流行している断捨離は、人生を追えるまえに身辺整理をしなくてはと切実に考える高齢者が実行した感もあるが、近藤麻理恵著の「人生がときめく片づけの魔法」が世界的ベストセラーになったのは、年齢に関係なく、シンプルな暮らしを促進するためであろう。

  モノだけでなく人生のごたごたを片づけることはミニマリストになる第一歩だから。

  心の問題(精神の健全さ)を追求する傾向は、それだけ世界の経済的レベルが向上したからだともいえる。衣食住の心配をしなくてもよくなり、社会的にもある程度の成功を収めると、人間の次なる欲求は精神的なものになる。その証拠に、ミニマリストとして本を書いたりメディアに登場したりする人たちの経歴をみると、一度は欲しいものは何でも買えるくらいの金持ちになって、そして、物質的欲求が満たされても幸福感はもたらされないことに気がつき、ミニマリストに転向した・・・というような共通点がある。

  つまり、同じモノを持たないシンプルな暮らしをしていても、こういった人達は、買おうと思えば何でも買え、食べようと思えばキャビアやステーキでも食べられるといった点で、低所得者とは違う。皮肉な言い方をすれば、お金持ちだからこそ、クールでかっこいいミニマリストになれるのだ。

  たとえば、アップルの創業者の故スティーブ・ジョブスはミニマリストだといわれる。その理由の一つに、彼がジーンズと黒のタートルネックばかりを着ていたことが紹介される。逸話では、三宅一生にタートルネックを100着注文したといわれるが、これって、忙しくて何を着るのか考えるのがめんどくさいというだけのことではなかったのか?(ジョブズは、自分自身をブランド化する手段のひとつとして、いつも同じ服を着ていたともいわれる。もちろん、彼は禅への造詣も深い。会社経営も製品デザインもSimplicityをモットーとしていた。だが、ブランドとは何かもよく理解していた)。

  ミニマリストもシンプルライフも、ある程度の経済レベル以上になって、初めて、登場してくるタイプのライフスタイルなのだ。スティーブ・ジョブズが、どこにでもある黒のタートルネックではなく、三宅一生のものを選択したことを覚えていないと、メーカーや小売業者は都市部の一定の所得者たちのシンプルライフには対応できない。

  テロ、不安定な経済、地球温暖化。日本には自然災害があるように、多くの国には戦争がある。先行き不安の世界において、モノをもっていることは重荷となるだけだ。3.11をニュースを通じて間接経験したひとたちでさえ、家や家具、自動車、その他の物が一瞬に破壊されるのを目のあたりにみた。また、戦火に見舞われた地域の住民は、命からがら身一つで逃げる。

  シェアリング経済が登場した背景がここにある。

  だからといって、先行き不安のなかで誰もが物欲をなくすとは限らない。

  同じ経験をしても、異なる反応はある。たとえば、9.11のテロをニュースを通じて間接体験した米国人のなかには、人生の無常さを実感した結果として、好きなように生きようと決めた人たちもいる。ダイエットしてウェストが細くなったとして、それが何なの? どーせ死から逃れられないのなら、好きなものを食べたほうがいいじゃないか!と達観(?)した人たちもいた。だから、脂肪分の多いアイスクリームが売れ、ステーキや大きなハンバーガーが人気を呼んだ。

  同じことを経験しても反応は人それぞれだ。

  ここで、ユーロモニター調査の①番目の「矛盾する購買行動」の出番となる。

  今の消費者の購買行動は矛盾しているように見える。将来への不安が漂うなか、所得レベルに関係なく、誰もが節約しなければいけないという思っている。でも、自分が気に入ったものは買いたい。こういった心の葛藤を解消して、かつ、自分の行動を正当化するために、「価格が安かったから買うことにしたのだ。お買い得だったのだ」と自分自身に言いきかせる。でも、そういった言い訳を本音ととり、今の消費者は安くなければ買わないと考えるのは早トチリ。どんなに低価格でも、欲しくないものは買わないのだから。

  都市部の消費者は、教育レベルも高く、またネットのおかげで情報だけは一杯もっている。しかも、不確実な社会において常に不安を感じている。不安があるということは、選択できなくて迷うことだ。だから、消費においても、自分の購買行動を正当化して自分を納得させる理由を必要とする。ちょっとしたきっかけで、そういった理由が見つかれば、購買を決める。そのきっかけ(動機づけ)が、低価格やポイント付与だけでは、企業として知恵がない。自分は社会に善いことをしている(ユーロモニターのレポートでいえば④番や⑥番)。自分や家族の安全を守るには必要(レポート⑨番⑦番⑥番)。こういったふうに思ってもらえるような価値を提供するのも重要なきっかけ(動機づけ)となる。

 では、こういった価値提供(動機づけ)が効果ある消費者を見つけるにはどうするのか? その答えがコンテンツマーケティングであり、コンテンツマーケティングが注目されている理由でもあります。

 とらえどころのない消費者を見込み客として捕まえるのがコンテンツマーケティングだ。ターゲットとして余りに規模が小さくて、マスメディアでは効率が悪い。そういったミクロなセグメントの場合は、企業が客を見つけるのではなく、客のほうから企業を見つけてくれるような仕組みが必要だ。コンテンツマーケティングが力を発揮する。

  レポート⑩番に、「旺盛な消費を見せる独身者」とありました。これに対応して、ヨーロッパのクルーズ会社は、一人用の船室を増やしている。ホテルも一人用のシングルだけどスペースも広く設備も贅沢な客室をふやしている。しかし、独身者といっても若いとは限らない。配偶者に先立たれた夫や妻もいる。また、独身者でも30代半ばになると、ある程度の年齢になった甥とか姪がいる。こういった甥や姪を連れて旅行に出ることもある。それぞれが、ミクロなセグメントをつくる。各セグメントの客のプロフィールやライフスタイルを想像して、彼らがするであろう旅に役立つ情報やストーリーを、ブログとかサイトに掲載する。

  一人旅を考えている某客は、次のようなキーワードで検索する。「一人旅、大阪、静かなホテル、広いシングルルーム、24時間ルームサービス」。この検索で、某ホテルを訪れた30代の女性の経験談が1ページ目の上位に紹介される(このホテルは泊まり客の感想文を募り、読み物として面白い感想文はサイトに掲載し、書いてくれた客には宿泊券を提供している)。自分と同じような好みをもつらしい女性の経験談を読んで、このホテルは自分にぴったりだと思った某客はサイトの予約ページにアクセスする。

  (株)エコンテがコンテンツマーケティングを実施している企業のマーケティング担当者600人を対象に調査したところ、76.3%が効果を実感していると答えている。フェイスブック、ツイッター、ライン、ユーチューブといったメディア、ブログ、自社サイトにおいて情報を提供することで、ブランド認知、見込み客獲得につながっているということだ。

   経済的レベルが一定以上となり、衣食住に関する基本的欲求(生理的かつ安全に関する欲求)が満たされると、人間は精神的満足度を求めるようになる。この段階になると、何に価値を感じるかは人によって大きく違ってくる。社会的に認められたい欲求といっても、それが大きな家を建てることやエルメスのバッグを所有することを意味する人もいるだろうし、そうではなくて、高齢者を助けるボランティア活動を意味する人もいる。何に価値を感じるかは人によって違う。だから、市場は小さなセグメントに分割される。

  花王の吉田専務は「スモールマス」という造語を使う。「マス市場がなくなり、スモールマスと呼ぶ一定の規模を持つ市場が数多く生まれている」と語っている。すでに花王ではスモールマスと位置づける商品群の売り上げ合計がマス商品を上回ったそうだ。スモールマスの時代は、特売は減り、シェアより顧客の声を丹念に追うマーケティングになると説明している。

 あ~、やっと終わり。なんて長いコンテンツ。アドビの調査でいったら、「表示された内容が長すぎるので見るのをやめた41%」に絶対的にあてはまりますね。

 

 

参考文献: 1.Daphne Kasriel-Alexander, Top 10 Glocal consumer Trends for 2016, Euromonitor International, 2. The State of content  Rules of Engagement 2016,Adobe com. 3.「経営の視点、学歴と肩書きでは生き残れぬ」日本経済新聞 2/1/16 4. 「変革の好機 到来」日経MJ 1/4/16、5.「EC関連リサーチ、76.3%がCマーケの効果を実感」日本ネット経済新聞5/28/15

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2015年12月15日 (火)

ユニクロとハローキティの限界

  

  キティちゃんとユニクロとの間にはなんの関係もないように思えるが、実は、共通点はかなりある。どちらも海外で、とくに、アジアでは知名度の高いブランドだ。欧米を含めて世界的に名の知れたハローキティに比べると、アジア中心のユニクロはちょっとローカル。だが、米国にはニューヨーク五番街の旗艦店をふくめて約40店舗あるし、、欧州でもロンドン、パリといった大都市を中心に19店舗ある。

  そして、ユニクロが米国市場で苦戦をしいられ、進出してからの10年間で赤字が増大しつづけていることが問題となっているように、ハローキティもディズニーの「アナ雪」人気におされ、米小売店の棚スペースの半分くらいを(アナ雪キャラに)うばい取られたことが話題となっている。

  とはいえ、決算の数字を見る限り、ユニクロのファーストリテイリングもキティのサンリオも好調である。ファストリーの2015年8月期の連結業績は、売上高、利益ともに過去最高。売上高は1兆6000億円を超え前期から21.6%増。純利益は前期比47.6%増の1100億円だ。

  サンリオにしても、2015年3月期で売上高(745億円)、営業利益ともに減少はしたが、2014年までは毎年のように最高益を更新していた。2015年度でも、その営業利益率はなんと23%の驚異の高さだ。

  つまり、どちらも、他の多くの企業にしてみればうらやましい限り。だが、好調が続いているからこそ市場の期待感も大きく、かえって、ちょっとした不安材料で株が下がったりする。たとえば、ユニクロの国内既存店売上高が2015年6月から8月までの第四四半期に前年比で下がったと騒がれた。サンリオも、2014年5月に、利益率の高いライセンスビジネスの見直しをするのではないかと株価が6000円台から2000円台に急落した。

  サンリオの場合は、ビジネスモデルを変えるかもしれないという大きな話で、「ちょっとした不安材料」には含められないかもしれない。しかし、両者ともにブランドに陰りが出てきていることを市場は感じ取っており敏感に反応しているといえる。

  ブランドに陰り・・・と書いたが、これは、売上の原動力となるブランド力が落ちたと言っているわけではない。そうではなくて、ユニクロやハローキティのブランドの個性というかアイデンティティがあいまいになってきたという意味。満月に雲がかかって暗い空との境界があいまいになっているという意味での「陰り」です。

  ブランドに陰りが出てきたことが、すぐに、売上に直結するわけではない。だが、ブランドのアイデンティティがあいまいになると、ブランド価値が落ち、結果、売上が下がる例は多い。

  だとえば、2013年、イタリアの自動車メーカー「フェラーリ」の当時の会長が、高級車フェラーリの生産を年間7000台以下に抑えると語った。2012年のフェラーリの生産台数は、中国の富裕層の購入などもあって、過去最高の7318台を記録。「これは多すぎる。フェラーリを買うのにふさわしい洗練された金持ちは世界に7000人以上はいないはずだ」というのが、会長の主張だ。この発言は、フェラーリのアイデンティテイを明確にし、イメージを確立するのに役立つ。そして、また、購買客に「自分は世界中で選ばれたわずか7000人の一人だ」と満足感を与えることもできる。「そのためだったら4000万円払うのも惜しくない」と思わせるには非常に効果的な発言だ。

  だが、生産台数を限定するということは、売上に上限をつくることになる。

  フェラーリの90%の株を所有している米自動車大手FCA(フィアット クライスラー オートモービルズ)は、新興国市場がのびているのだから9000台~1万台に増産してもよいのではないかと、反対意見を表示。結局、フェラーリのラグジュリー性を強調したかった会長は辞任した。というか辞任させられている。

  このように、ブランドアイデンティティやブランドイメージの維持と売上とのバランスはむずかしい。

  キティちゃんの場合は、売上や利益が上昇するなかで、アイデンティティが損なわれてきているのは明らかではないだろうか。

  ハローキティは1999年に女子高校生を中心にブームとなり、サンリオは、過去最高となる188億円の営業利益を出した。、当時、サンリオは、キティー関連商品をみずから企画し直営店で販売する手法をとっていたので、ブームが去ると、直営店の経費や商品在庫がコストとなり収益が急激に悪化。業績不振がつづくサンリオを蘇らせたのが、2008年に入社した鳩山玲人氏と、その手腕を買って三菱商事から引き抜いた創業者の息子で副社長だった辻邦彦氏だ。

  二人が採用した戦略は、自ら商品を企画販売するというコストも在庫リスクも高い従来のビジネスモデルではなく、企業にライセンスを供与して使用料(キャラクター使用のロイヤルティーとして売上の数%~10%程度)をサンリオが徴収するという非常に利益率の高いビジネスモデルに変換することだった。

  その効あって、2009年からは、営業利益が急増し、12年には1999年の営業利益を超えるようにまでなった。しかし、その一方で、「キティは仕事を選ばない」と揶揄されたように、キティーちゃんは過剰労働を強いられ(?)、文具、アパレル、家電はまあよいとして、ありとあらゆるところに顔を出すようになる。

  コンビニでキティ顔の肉まんが売られ、工事現場の単管ゲートもキティー顔。イメージがどうこう言う前に、はっきりいって、これだけあちこちで働いていては、飽きられる。

  鳩山氏は「オープンイノベーションの考え方を導入して、外部の知恵を活かすようにした・・・可愛い、仲よく、助け合いの精神にのっとっていればあとは自由」と語っていたが、オープンイノベーションの意味を自分の都合のよいように解釈して、キティーちゃんで(短期的に)もうけることしか考えていないのではないかと非難されても・・・・仕方がない。

  ミッキーマウス、シンデレラを含める3人のプリンセス、その他の多くのスター・キャラクターを抱え、ライセンスビジネスではNo.1の売上を上げているウォルトディズニーは、他者によるデザイン変更はダメ、使い方も制限し、イメージを慎重に守る方針をとっている。しかも、一業種一社が常識。だが、キティは、ファストファッションの分野で、H&M, フォーエバー21、ZARAにも使用を許可している。経済紙Bloomburgによれば、2014年現在で、世界中で5万個のキティ商品があふれているという。

  いくら可愛くても飽きるだろう。それに、キャラクターのイメージの統一感が失われる。

  アナ雪のキャラクターに米国で売り場をとられたのは、あれだけ映画がヒットしたのだから仕方がない。だが、欧州においても、2010年度がピークで、180億円あったライセンス収入は下降線をたどっているという。やっぱり、キティちゃんに飽きがきているからではないだろうか。

  ウォルトディズニーは、ライセンス供与先を多くすることには慎重だ。売上が多くなることは分かっているが、長期的に考えるとミッキーマウスの寿命を縮めることになる。すでに87歳のミッキーの不老長寿を実現するためには、その商品やサービスがミッキーのストーリーに忠実で、ミッキーがその商品に姿を現すことが意味あることでなくてはいけないと考えている。

  ブランドに価値があるとしたら、そしてその価値を守りながら売上を上げるとしたら、それ以外に最適な方法があるだろうか?

  サンリオは、レディーガガやキャメロン・ディアスといった世界的に有名なセレブがキティーちゃんのアクセサリーやドレスを身に着けた時点(2009年~2010年)で、ライセンス供与先を引き締めるべきだった。売上を上げたいのをぐっと我慢しながら、一流企業とか一流ブランドを供与先とする。あるいは、(ネット上を含め)メディアで話題となるような提携の仕方に制限すべきだった。

  もう、手遅れかもしれない。が、御年41歳のキティが、いまのミッキーマウスの年齢である87歳になったときに、ネズミの先輩のように輝いていてほしい・・・・サンリオ創業者はそう願っているようだ。あまりにオープンすぎたラインセンスビジネスのやり方を変える方針を発表している。

  次期社長とみなされていた副社長が2013年に急死し、自分が当分の間社長をつづけることになった段階で、辻信太郎社長は見直しを表明している。ラインセンスビジネスをある程度制限し、みずから商品を企画し、それをキティの世界感を伝える店舗で販売する。これによってブランド認知を進めると語っている。

  キティーちゃん、がんばってね!

  さて、ユニクロである。

  ユニクロというブランドはファッション衣料品というよりは、どこか、トヨタ自動車を連想させる。機能性とか品質管理とかカイゼンといった言葉を思い出させる製造業的イメージがあるブランドなのだ。これは、けなしているのではなく、褒めているつもり。

  「製造業的イメージをもつアパレル商品」なんて世界にたった一つだろう。

  ユニクロは、誰もが買える「普及価格」で品質の良い自動車や電機製品を世界に提供した、かつての日本企業を思い出せるアパレル・ブランドなのだ。

  そういった意味で、いま、ユニクロが、日本の電機メーカーが経てきたのと似た道をたどっているように見えるのは、当然のことなのかもしれない。

  たとえば、ヒートテックが登場したときは画期的であったが、機能的製品なのだからマネはできる。競合他社が模倣品を出す。ユニクロは、それよりもっと機能的に優れた製品をつくろうと、絶え間ないカイゼンをする。だが、品質のレベルは、すでに、もう、消費者には見分けのつかないレベルとなっている。(ソニーやパナソニックのAV製品に関する2000年頃の調査では、その品質の良さは、世界の消費者にはすでにもう違いがわからないレベルになっていることが明らかにされた。それでも、日本のメーカーはカイゼンを続けた。そして、デザイン性に長けたダイソンや、安価な新興国メーカーの製品に負けた)。

  ユニクロがザラを抱えるスペインのインデティックスやスウェーデンのH&Mの売上を抜くには、ファッション性が必要だといわれる。だが、それはどうだろうか? ユニクロは、ジル・サンダーやクリストフ・ルメールといった著名デザイナーがデザインした服を販売したが、PR的な話題作りを提供はしても、それが、ユニクロにファッショナブルなイメージを与えたというわけでもない

  ユニクロはファッション性を採用したいといろいろ努力をしても、これまでのところ、成功していないのだ。

  ブランドパーソナリティという用語がある。ブランドアイデンティテイとかブランドパーソナリティとか、似たような意味をもつカタカナ用語を微妙な違いで使いわけるのは、あまり好きではありません。でも、この場合、ブランドパーソナリティ(性格)という言葉をつかうと、言いたいことがわかりやすく説明できるので、あえて使ってみます。

  製造業のパーソナリティをもつブランドが、ファッション産業のパーソナリティも合わせ持つということは可能なのか? 二重人格とまではいかなくても、かなり矛盾した性格をもつブランドということになる。

  ユニクロがファッショナブルであろうと幾度か試みたのは、そうでないと、インディテックスを売上で抜けないと考えていたからだ。が、どうも、最近は、その路線はあきらめたようでもある。代わりに、柳井会長兼社長は、3Dプリンティングを含めたITを駆使したマスカスタマイゼ―ションみたいなことを考えているといわれる。

  いずれにしても、ユニクロブランドはファッション路線はやめて、徹底的に機能性を追求すればよい。だが、ヒートテックという機能性だけで世界市場を魅了するのはむつかしいようだ。寒さ対策の機能性が人気があるのは、冷え性という概念があるモンゴル系だけなのではないか? 白人系は基本的に体温が高いので、暖かい下着をありがたがる傾向は少ないのではないか? あるいは、また、暖かい下着をつけてもスリムな外観は保ちたいという気持ちを持っている消費者は、欧米には少ないのではないか?という意見もある。

  たしかに、そういった傾向はあると思う。とくに、欧州に比べると暖房費節約の意識が低く、移動といえば自動車の北米では、日常着に寒さ対策はあまり考えないかもしれない。だが、温暖化が進むなか、消費者の意識は変わるし、啓蒙活動によって変えることはできる。問題は、ユニクロが、そのためにどれだけ投資(時間とお金)をかけられるかだろう。

  ヒートテックという機能性が欧米にはすぐに受け入れられないとして・・・

  世界に通用する機能性とは何か?といえば、やっぱり環境だろう。焼却してもCO2がほとんど出ないとか、土に埋めたら土に帰るとか、いや、私などが思いつかないような点で革新的にエコロジカルな洋服を作り続ければいい。それが、ユニクロというブランドのパーソナリティであり、アイデンティテイだと思う。

  ただ、勝手なことをいわせてもらえば、定番製品の色とかデザインを、工業製品の美しさを表現するようなスマートなものにはしてほしいとは思う。いまのユニクロがガラケーのデザインなら、、iPhoneのようなデザインにして、洗練された機能性を表現したスマホのユニクロSをつくってほしい。ついでにいえば、ユニクロSは、価格も高くする。欧米の旗艦店はニューヨークの五番街とかの一等地にあるが、こういった地では、価格が安いことがかえって商品を理解してもらうことの邪魔になることがある(いくらヒートテックの機能性を説明しても、値段が安いと、NYの消費者にマジメに考慮してもらえない)

  最初に、ユニクロとハローキティの限界というタイトルをつけたが、これは、二つのブランドが拡大したくても限界があってこれ以上は広がっていかない・・・という意味ではありません。反対に、ブランドとしてのアイデンティテイやイメージを確立し、ブランド価値を向上したいのであれば自らが限界をつくらなければいけないという意味で、「限界」という言葉をつかわせていただきました。

  消費者市場においては、強烈な個性がなければ無数の商品のなかで埋もれてしまう。「二兎追うものは一兎を得ず」のことわざどおり。自分のブランドの個性を選択しなければいけない。あれもこれも追うことは、それがたとえ短期的に売上を上げることであっても、ぐっとこらえて我慢しなくてはいけないのでは?

参考文献: 1.「ユニクロ、トレンド読めず大量欠品の深刻度」 日経ビジネスオンライン10/9/15、2.「サンリオ感性経営試練の時」 週刊ダイヤモンド11/1/14、3.「キティは仕事を選ばない」日経ビジネス 5/20/13, 4. Bruce Einhorn, Hello Kitty, a Victim of Disney's Frozen Jugggernaut, BloombergBusiness 10/31/14、5.「サンリオ、物販シフトへの真意」東洋経済オンライン 6/19/14、6.「海外が好調なユニクロ、北米で見える弱点」日経ビジネスオンライン 9/18/15, 7.「米国市場で苦戦続くユニクロ」The Economist, nikkei bijinesu 12/7/15, 10. Kim Bhasin, Inside Uniqlo, The Japanese Compnay With Designs On Dressing The World, Huffingtonpost.com 11/26/14

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2015年10月21日 (水)

多様性で生産性は上がるのか?・・・「男性が輝く社会」の実現

 

   「女性が輝く社会」とか、「一億総活躍社会」の実現がスローガンとして叫ばれている。女性や外国人の雇用・登用を促進するだけでなく、高齢者を雇用することも、職場の多様性の範疇に入れることができるはずだ。もちろん、転職者の中途採用は、ともすると「井のなかの蛙」になりやすい日本企業において、即効力をもつ多様性だ。

  が、ここでは、性の違いによる多様性に話をしぼり、多様性を進めることで生産性が上がるかどうかを考えてみたいと思います。

  日本人の、とくにホワイトカラーの生産性の低さについては常に指摘され、耳タコの感がある。とはいえ、基本となる事実を明確にしておくため、一応、よく紹介されるOECDの調査結果を並べます(耳タコの人は飛ばしてください)。

 2013年度のOECD34か国調査によると、一人当たりの労働生産性では、日本は22位で73,270ドル(758万円)。1位はルクセンブルグで127,930ドル、米国が3位で115,613ドル、ドイツが15位で86,385ドルとなっている。これを、時間当たりの労働生産性でみると、日本は20位で42.3ドル(4,272円)、1位のノルウェイは87.0ドル、4位の米国は65.7ドル、9位のドイツは60.2ドルとなっている。

  OECD2012年の調査にに基づく平均年間労働時間ランキングをみると、加盟国の平均は1765時間で、20位の日本は1745時間。1位のオランダは1381時間で、23位の米国は1790時間となっている。面白いのは、ドイツに「怠け者」よばわりされたギリシアが2000時間以上働いている。ドイツの平均労働時間は1400時間だが、時間当たりの生産性は、ギリシアより70%高い。

  ギリシア人は怠け者だと非難されたというニュースが流れた後で、「私が観察したかぎりギリシア人はよく働いている」という、ギリシアを訪問したり住んでいる日本人の反論が新聞やネットでよくみられるようになった。だが、ここではっきりしたことは、ドイツの「怠け者」の定義は、労働時間ではなく生産性だということ。

  ドイツ人の定義で行くと、日本人と韓国人(年間労働時間はギリシアより長く、OECD加盟国で1位となっている)も、怠け者の部類にはいるのかもしれない。

  経済学者ケインズは1930年に書いたエッセイ「孫のための経済の可能性」において、2030年までには、週15時間以上働く必要はなくなっているだろうと書いている。ということは年間一人当たり780時間ということなるから、1位のオランダですら、達成不可能な数字。ケインズの予測は当たらなかったわけだ。

 OECDの労働時間ランキングをみるかぎり、米国人はけっこうな仕事人間で、日本人より年間45時間多く働いていることになる。スタンフォード大学の経済学者が2014年に発表した研究によると、一週間の労働時間が50時間を超すと生産性が急激に低下し、55時間を超すと崖から落ちるように落下し、70時間働いている従業員は、50時間働いていたときと同じくらいしか生産していないことが明らかになっている。

  日本人の生産性の悪さについては、長く働くことが美徳とされる文化において、仕事がすんでも上司や先輩を残して先に退社はできない。だから、だらだらと長時間働くことになる。あるいは、また、家族よりも仕事を優先する価値観にあるといわれる。こういった企業文化や価値観は、高度成長時代のとくに製造業においてつくられたものだろう。製造業においては長時間働くことが、即、生産量につながる傾向が高い。だが、ホワイトカラーの場合は違う。

  長く働いたから革新的アイデアが生まれるわけでもない。

  リクルートワークス研究所の2012年度調査によると、日本の一般労働者の年間平均労働時間は2030時間でOECDの調査結果よりも多くなっている。、そのなかでもホワイトカラーの労働時間は2238時間。これを男女別にわけると、男性ホワイトカラーは2300時間、女性は2094時間となっている。

  最近・・・というか、この10年くらい、女性のほうが男性より元気がよく積極的だと評価する企業経営者が多い。社内結婚が多いという某会社の社長が、「イクメン大いに賛成。女性のほうが優秀だから、夫が家でイクメンして、奥さんのほうには早く職場に戻ってきてほしい」とコメントしていた。

  「優秀でなくて元気のない男性社員」が多いとしたら、それは、高度成長時代の製造業で構築された「男社会」の働き方が残っているからだ。日本の有給休暇日数の20日は他国に比べてそれほど少ないというわけではない。たしかに世界平均の25日よりは少ないし、スペインやフランスの30日とは大きな差がある。だが、米国の19日よりは多い。問題は有給休暇の消化日数が低いことだ。有給休暇をとるのを躊躇させる企業文化がある。

  こういった調査をしたオンライン旅行業者エクスペディアによると、「有給休暇をとるとき罪悪感を感じるか?」という質問に対しては日本人の26%が「はい」と答えている。これは、調査対象25カ国のなかでNo.1だ。

  男性は、「男は世帯主で働いて家族を養う責任がある」という「男の役割」を、子供のころから刷り込まれている。そのうえ、日本社会は雇用の流動性が低いから、会社をクビになったり左遷されては困るという恐怖心が高い。だから、同僚や上司とうまくやっていくこと、つまり同調することに過分に気を使うようになる。

   反対に、女性は、とくに若い女性には、仕事をやめても結婚するという選択肢がある。親と同居していれば可処分所得も高いので、旅行、観劇、趣味、外食、・・・・その他、好奇心に応じてさまざまな経験をする自由度も心の余裕もある。豊富で新鮮な体験をすればいろいろなアイデアも生まれてくる。

  男はこうあるべきで女はこうあるべき・・・といった男女の伝統的役割に関する刷り込みは、時代が変わっても、自分が思っている以上に心に頑固に残存している。

  たとえば、最近の例では、マンションデータ改ざんで旭化成の社長が涙を流して謝罪した場面が、TVで放送された。男性社長だから、「男が泣くなんてよほどのことだよなあ」とちょっと同情というか憐憫の情を抱く人もいるだろう。あれが女性社長だったら、「いいよなあ、女は。泣けば許されると思ってるんだろう」と非難めいた目で見るのは男性だけではない。「女は泣けばいいと言われるんだから、泣かないでよ」と働いている女性も思うことだろう。

  昔からある男女の役割に、男性も女性も束縛されているのだ。

   長時間労働をして、自分の生活の大半を職場で過ごす男性社員には、精神的余裕もないし、自分の会社以外の人達とつきあう時間の余裕もない。「井の中の蛙」になりやすい。男性社員が元気もなくアイデアも浮かばないのは当然だろう。

  だからといって、いくら多様化を進めても、雇用された女性が、男性と同じような働き方をするようになれば、結局、「元気で積極的で優秀な女性社員」が「元気なくアイデアも浮かばない」男性社員予備軍になるだけだ。

  日本企業の社員のモチベーションというか、仕事へのやる気が他国に比べて低いという調査結果がある。

   組織・人事コンサルティング会社のタワーズ・ワトソンは、社員の会社への自発的貢献意欲をエンゲージメントと呼んでいる。2014年の世界調査によると、日本企業でエンゲージメントレベルが高い社員は全体の21%(世界平均は40%、米国39%)、ある程度高い社員は11%(世界平均19%、米国27%)、低い社員は23%(世界平均は19%、米国14%)、非常に低い社員は45%(世界平均24%、米国20%)だった。

  たった一つの調査では納得できないという人達のために、もう一つ同じような調査結果を紹介します。

  米国の人事コンサルティング会社ケネクサ(Kenexa)は、エンゲージメントを「会社の成功に貢献しようとするモチベーションの高さや、会社の目標を達成するために努力しようとする意思の強さ」と定義している。この定義にしたがった調査の結果が2012年に発表されているが、世界各国の従業員エンゲージメント指数は、インドが77%で1位、米国が59%で5位、英国、ドイツ、フランスといった先進国も40%台後半であまり高くない。が、日本の社員のエンゲージメント指数はそれより低く最下位の31%だった。

  どちらの調査結果をみても、会社への忠誠心が高くマジメで一生懸命働くといわれた日本企業の社員のかつての姿は見られない。

  職場での多様性を進めることが、社員のモチベーションを高め生産性につながることになるのだろうか?

  何度もいうようだが、なんだかんだといっても、日本企業の中核は男性社員がつくる「男社会」にある。この男社会に女性が同調するようでは、多様性にはつながらない。

  だが、マジョリティの男性の「男社会」にマイノリティーの女性が融合され、男性の視点や観点でモノゴトを判断するようになるのは簡単なことだ。最近、それを実感したのは、安保法案の採決でもめた国会での出来事だ。野党の女性議員はピンクのハチマキをつけ会議場に入れないように通せんぼをし、排除しようとした自民党議員に「さわったらセクハラだ」と抵抗した。これは、すでに、自分達女性を男性の視線で見ているし、出来事を男性の観点から判断している。

  多様性は消え、男性議員と男性のように考える女性議員がいるだけだ。

  だから、男性社員自身がその働き方を変えなければ、女性社員を雇用・登用しても、真の多様性にはつながらない。

  最後に、性の違いによる多様性が生産性を上げることにつながっているか?という海外の調査があるのでご紹介します。

  MITの経済学者が、1995年~2002年の7年間、米国および海外に60件の事務所を開けているホワイトカラーからなる大手企業を調査しました。その結果報告には、「性別の多様性は職場の生産性を向上するのに貢献したが、従業員の満足度は低下した」と書かれています。男性ばかりとか女性ばかりといった同質性の高いオフィスほど、協力、信頼、そして職場における楽しさといったソーシャルキャピタル(社会関係資本)のレベルが高いと結論づけています。

  全員男性ばかり、全員女性ばかりのオフィスから男女半々くらいの職場に転換することにより、収益が41%向上したということで、これを、生産性が向上した根拠としています。研究者は、多様性があるということは、さまざまな技能や経験をもつことにつながり、それによって組織がより良く機能し、組織全体の集合的知識が高まるからだろうとしています。

  面白いことに、自分の働く職場が多様性をもつようになるという認識自体は従業員に満足感をもたらすが、実際にそういった職場で働いている従業員の満足度はかえって低くなる。つまり、会社が多様性を採用するというアイデアというか期待感は従業員をハッピーで協力的にさせるが、実際に多様性が普及して収益も上がっているオフィスでは、そういった満足感は低下するということです。

  自分が働いている企業が多様性を採用する・・・ということを認識する段階において、期待もあるのだろう。従業員はハッピーで協力的である。だが、実際の運用段階になると、従業員の満足度は落ちるようだ。

   実際、多くの女性上司は、「女性の部下は男性上司のほうが格が上だと考えて、女性上司の下で働くことをいやがる」と嘆いているという調査結果もある。また、論理的かつ理性的に自分の意見を述べると、男性上司の場合は「優秀でやり手」だと評価されるが、女性上司の場合は「冷たい」と評価されると苦情も言っています。こういった調査は、男女均等雇用法が日本より20年早く施行され、職場での男女平等が進んでいると思われる米国その他の先進国での調査結果なのだから、多様性ある職場で働くことのむつかしさを推測することができる。

  女性の輝く社会を促進するなかで、男性の輝き度がさらに落ちないことが肝心だ。女性がいくら輝いても、男性も輝かなければ多様性が職場の生産性をもたらすことはつながらないでしょう。そういった意味で、性別による多様性は、雇用の流動性を伴わない限り、生産性を向上するのには結びつかない・・・・と結論づけてもよいのではないかと思います。

  雇用の流動性を高めることで、男性社員を束縛感や不安から解放する(人間は選択肢が与えられることで自分が主導権をもっていると感じることができる)。中途採用の男性社員が増えることで、男性社員の働き方を変える。そういった多様性が促進されなければ、いくら女性や外国人を雇用・登用しても、革新的アイデア創出をふくめた生産性の向上はむつかしいのではないでしょうか?

 最後に宣伝です。

 最近出版しました「格差社会で金持ちこそが滅びる(講談社+α新書)」では、こういった内容をさらに具体的に書いています。ご興味がありましたら、読んでみてください。

参考文献:1.「世界に通ずる働き方に関する企業経営者の行動宣言」 経済同友会 2015年、2.竹井善明昭「世界でダントツ最下位!日本企業の社員のやる気はなぜこんなに低いのか?」ダイヤモンドオンライン 1/15/2013,3.Study:Workplace diversity ca help the bottom Line, Science Newsline Psychology, 10/6/2014, 4. Get a Life, The Economist, 9/24/2013, 5.Bob Sullivan, Memo to work martyrs: Long hours make you less productive, CNBC 1/26/2015

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2015年6月11日 (木)

100年続いた価値観が変わるとき・・・マクドナルドとコカコーラの場合

  米国のアイコンともいえる2つのブランドが、いま、大きな転換期を迎えている。マクドナルドとコカコーラは、20世紀の、とくに第二次世界大戦後の米国の繁栄を象徴するブランドであり、米国の覇権が世界に広まるとともに世界市場に広まっていった。だが、21世紀の新しい環境のなかで、変化に対応することの難しさが表面化している。

  日本市場を例にとれば、たしかに、日本のマクドナルドの売上が急落したきっかけは、2014年7月に、中国工場で期限切れの鶏肉の使用が発覚したこと、ついで、追い打ちをかけるように、2015年初めにチキンナゲットにビニール片が入っていたといったような異物混入の苦情があいついだことにある。だが、こういったことは、消費者が納得するかたちで問題がすみやかに解決され、消費者の信頼を取り戻せば、一時的な売上減少ですむ可能性もある。

  しかし、マクドナルドの問題は、もっと根本的なところにある。消費者の食べ物に関する価値観が変わってしまったことだ。

  世界の先進国市場において、健康志向が高まり、国民の3割が肥満といわれる米国でも2014年には過去10年間で最大の売上減少が起きていた。米調査会社テクノミックによると、毎月マクドナルドに通う19歳~21歳の割合は、この3年間で、82.4%から69.5%に減っている。

  高カロリーの肉中心のファストフード・チェーン店に代わって人気を呼んでいるのが、食の安全や健康志向を強調しているファスト・カジュアルと呼ばれるチェーン店だ。ファストフードとカジュアルレストランの中間といったような意味でファストカジュアルと呼ばれる。2000年代末ごろから、とくに18歳~34歳くらいの若者層の人気を得るようになった。そのなかでも一番人気の「チポトレ・メキシカン・グリル」は、抗生物質不使用の肉や有機栽培の野菜を積極的につかい、新鮮な素材をその場で調理する。1993年の創立だが、2015年現在1700店舗を展開し、2014年度の売上は40億ドルを越した。2010年度の売上は18億ドルだから毎年20%前後の売上増を達成していることになる。

  皮肉なことに、このチポトレを育てあげたのは、マクドナルドなのだ。1998年当時、まだ16店舗しかなかったチポトレに出資し、その後、筆頭株主になっている。マクドナルドの資金のおかげでチポトレは2005年には500店舗を展開するまでになり、2006年に上場。IPOは大成功で、そのタイミングで、マクドナルドは持ち株を売却している。結果的には、約3億6000万ドル投資して15億ドルを手に入れたことになる。投資としては良い投資だったかもしれないが、マクドナルドはチポトレを買収して子会社とするべきだったと考えるアナリストもいる。

  なぜなら、マクドナルドが低迷している業績を改善するためにどのような再建計画をたてようとも、価値観の変わった消費者を取り戻すことはできない。たとえば、米国マクドナルドの再建策には、① 直営店を売却し、フランチャイズの割合を現在の81%から90%に引き上げることによるコスト削減、 ② グローバル市場の管理体制を、現在の地域別から、市場の状況別(成熟市場とか新興国の成長市場といったような状況)に変える ③ 客が具材を自分で選べるパーソナライズされた(オーダーメイドの)ハンバーガーの提供 ④ 抗生物質を投与した鶏肉の使用を2年以内に停止、成長ホルモン剤を投与していない乳牛の牛乳に切り替える・・・などが含まれている。が、こういった再建策は根本的問題解決にはならないというのが一般的意見だ。

  20世紀には、まだ、肉が富のシンボルだった。肉がたくさん食べられるということは、金持ちである証だった。所得の少ない家庭は、収入が上がることで、一週間に一回しか食べられなかった牛肉が、週に2回食べられるようになるといいなあ・・・と願っていたものだ。

  歴史をもっとさかのぼれば、多くの文化において、肥満体が富の象徴であり、「やせた人間はすなわち貧乏である」という一般化が通用した。中国の唐の時代では、理想の美女はふくよかに肥えていなくてはいけなかった。渡辺直美が当時にタイムスリップしていれば、第二の楊貴妃になっていたかもしれない。西洋でも、19世紀から20世紀初めには、まだ、ルノワールが描いたような太った女性が美の基準だった。1825年に「美味礼賛」を出版したフランスの美食家ブリヤ=サヴァランは次のように書いている・・・「肥満は未開人には見られない。同じく、食べるために働き、生きるためにのみ食べる階級の人間にもありえない」。

  開発途上国や新興国でも、経済レベルが上がる最初の段階では肉を食べることがお金持ちの証となり肉の消費が急激に伸びる。その段階を超して経済レベルが上がると、こんどは肉を食べないことが洗練されたお金持ちの証となる。世界の先進国どこもが通ってきた道だ。太っていることではなく、スマートに(健康的に)痩せていることが、美の基準となる。こういった価値観の変化にマクドナルドの再建策では対抗できない・・・と、市場関係者の多くが考えている。

  たしかに、それでも肉が好きなセグメント、ジューシーなハンバーガーには目がないセグメントはどの時代でも必ず存在する。たとえば、日本のモスバーガーは、安全で安心できる高品質のハンバーガーを食べたいセグメントにアピールしている。ただし価格はマックより高い。マックは100円バーガーを売っているが、モスバーガーはいちばん安くても2倍の220円だ。そして、両社の売上の違いは大きい。2014年度の売上2200億円を超えるマックに対して、モスフードは約660億円。3倍の開きはある。

   同じように、米国で高級グルメバーガーとして人気を呼ぶファストカジュアル・チェーン店「シェイク・シャック」は自然の環境で放し飼いの牛の肉をつかうことで急成長しているといわれる。しかし、2014年度の売上は1億1900万ドルで、売上が減少しているとはいえ270億ドルの売上をたたき出すマクドナルドとのギャップは大きい。

   21世紀の消費市場には、異なる価値観をもったさまざまなセグメントが存在する。モスフードにロイヤルティの高いファンのセグメントが存在するとしても、マクドナルドにはなれない(まあ、なろうとも思っていないだろうが)。シェイク・シャックとかチポトレのような新興勢力がいくら急成長しようとも、マクドナルドの売上に追いつくことはできないだろう。

   しかし、また、マクドナルドのファンのセグメントが縮小し売上が減少することを止めることができないことも事実だ。だからこそ、豊富な資金が残り少なくなる前に異なるブランドを買収して傘下におさめ、異なる価値観をもついくつかの消費者セグメントにアピールすることにより、(先進国における)今後の成長をつづけていくしか方法がないのではないか。M&Aによる多様化で価値観の変化に対応するというわけだ。ところが、マクドナルドはそれとは全く反対の戦略を実行した。2006年ごろに、チポトレを売るとともに、同じくファストカジュアルの有望株であったボストン・マーケットを売り、ピツァチェーンも売り、英国のサンドイッチ・チェーン店の株も売却した。

  マクドナルドは、なぜ、戦略的に間違ったとみなされるような決断をしたのか?

  それについて考えるのはあとにして、先に、コカコーラの場合を考えてみよう。

  コカコーラもマクドナルドと同様に、世界の先進国における「ヘルシーであることオーガニック(ナチュラル)であること」に重きを置く価値観の変化によって、打撃を受けている。コークのような炭酸飲料水に代わって、スポーツドリンク、レッドブルに代表されるエナジードリンク、そしてミネラルウォーターが人気となっている。米国に限っていえば、2009年には米国民1人あり当たり92.5リットルのコーラ類ドリンクを購買したが、それが、2015年には72.5リットル、2019年までには64.7リットルに、つまり10年間で30%減少すると予測されている(Euromonitor調査)。コカコーラの営業利益の半分は米国市場で生まれているわけだから、影響は大きい。

  しかも、人工甘味料の健康への悪影響を訴える報告があいつぎ、カロリーを気にするセグメントのために開発したゼロカロリーやシュガーフリーのダイエット・コーラに対する消費者の不安が増大している。結果、ヘルシー志向の消費者に応えるためのダイエット商品の将来性に期待がもてなくなってしまった。

  どちらにしても飲み物の甘さへの価値観は、肉と同様、経済レベルで変わる。私が子供のころ、田舎にいくとジュースにお砂糖をいれて出され、甘すぎて飲めなかった覚えがある。いまでも、開発途上国や新興国に行くと、コーヒーやお茶にとてつもなく多くの砂糖を入れて出すところがある。砂糖は貴重なエネルギー源であり、しかも体への吸収が早い。経済レベルが低いときには、ケーキやチョコレートといったスイーツがあふれているわけでもなく、農作業のような過酷な肉体労働に従事したあと、甘い飲み物を摂取する必要があった。だが、さまざまなスイーツがあふれるいま、飲み物は甘くないほうがよいのだ。

  コカコーラの場合は、海外市場では、すでに対策をとっている。ジュースとかコーヒーとかお茶を販売すればいい。日本市場全体として、どのブランドが売れているかの情報を手に入れることはできなかったが、西日本の販売を担当するコカコーラウェスト(株)のIR資料によれば、2013年の販売数量実績で、一番売れたのはジョージアで約4400万ケース、ついで、アクエリアスで2200万ケース、三番目がコカコーラで1500万ケース、これにぴったりくっついているのが綾鷹の1400万ケースだった(ちなみに、コカコーラゼロは700万ケースだから、コカコーラとの合計で2200万ケースになる)。

  缶コーヒー「ジョージア」や緑茶「綾鷹」のTVコマーシャルをみてもコカコーラの社名が出てくるわけでもない。自動販売機で買うときには、コカコーラと綾鷹がいっしょに販売されているとしても、、綾鷹はコカコーラが製造しているんだとか爽健美茶はコカコーラが販売しているんだ・・・とか知らない消費者はたくさんいることだろう。

  コカコーラはこういったブランドポートフォリオ戦略が実行できる。世界の各地域の消費者が要望するブランドを開発すればよい。だが、ライバルのペプシコーラを販売している会社ペプシコのグローバルでの炭酸飲料水の売上に占める割合はすでに半分以下になっているが、コカコーラはいまだに75%だ。

  世界市場、とくに先進国における価値観が変化してきているというのに、コカコーラの反応は遅い。やはり、歴史の重みとそれからくるプライドが邪魔をしているのだろうか。

  コカコーラはいま世界市場でコカコーラ生誕100年を象徴する広告を展開している。たしかに、私を含めて一定以上の年齢層にとっては、エルビスやマリリン・モンローがコークのボトルを手にとって飲んでいる写真はそれなりにノルタルジックな感情を喚起する。だが、コカコーラが将来の売上を託す世代には、エルビスとかモンローは過去のスター。「って、誰?」という若者が多いことだろう。あの広告キャンペーンは、コカコーラという企業が、自分自身のための、自分達のプライドを満足させるために展開しているキャンペーンにしか思えない。

  100年間、米国のアイコンでありつづけた誇りを抱いているだけでは、価値観の変わった世界市場、とくに先進国市場に対処していくことはできないだろう。

  それは、マクドナルドも同じだ。

  先に書いたように、マクドナルドは2006年前後に、それ以前の90年代末から進めてきた多様化のためのM&A努力をムダにする形で、チポトレやボストンマーケットといった人気を集めている新しいタイプのファストカジュアルレストランの持ち株を売却した。ハンバーガービジネスに集中するという名目のもとに・・・。

  マクドナルドはコカコーラほどの歴史はないが1940年に創立した75年の歴史ある企業だ。歴史とプライドがここでも変革のさまたげになっているのだろうか? マクドナルドと別れたチトポレの創業者は、サスティナビリティに関心をもち、良質な原材料をつかうという考え方は、加工した材料や冷凍した材料をつかい、生産性一辺倒の機械化されたプロセスを採用するファストフードの企業文化とはあいいれなかったと言っている。「ドライブスルーを採用したらどうか」とかいってくるマクドナルドのアドバイスに「ノー」を繰り返しているうちに、両社のあつれきが大きくなったと語っている。

  価値観や企業文化が違うブランドを傘下におさめるからこそ、異なる価値観をもつセグメントが乱立する世界市場でも全体として売上をあげていくことができる。自分たち親会社とな異なる価値観をもった子会社(ブランド)の個性を認め管理していくことは、忍耐と理性を必要とする非常に難しい仕事だ。が、それに成功すれば、21世紀の異なる価値観をもった複数のセグメントにアピールして成長していくことができる。

  そう判断できなかったのは、やはり、歴史に裏打ちされた誇りだろう。いや、変化への不安感のせいかもしれない。

  だが、たとえば、フランスのマクドナルドは、米国のマクドナルドとは異なる方針でチェーンを経営している。朝食には、フランスパンにジャムとコーヒー、あるいはクロワッサンにカフェオレ。また、食材も地産地消の考え方で、抗生物質や成長ホルモンをつかっていない高品質の肉が提供されるという。郷に入れば郷に従うということなのだろう。

  日本でも月見バーガーとか、最近では、とんかつバーガーとか、日本特有のメニューに力を入れている。とんかつバーガーはまだしも、カマンベールチーズとバケットを食べていて、それでも、「私はいまマクドナルドで食べているわ」と思えるだろうか? 緑茶「綾鷹」のTVコマーシャルに、赤いコカコーラのロゴが大きく出てくるような違和感を感じないだろうか?

  いずれにしても、同じマクドナルド・ブランドで、これだけの個性の違いを、文化が違うのだからと認めることができるのなら、なぜ、チポトレやボストンマーケットも同じように管理運営できなかったのか?・・・やはり、首をかしげてしまう。

  

参考文献:    1.マック世界で苦境、読売新聞5/5/15、2.米マクドナルド、内憂外患、日経新聞9/11/14、3.米、野菜主役の外食台頭、日経MJ 5/8/15, 4. George Arnett, How Coca-Cola is fighting against a US public losing the taste for it, the guardian, 2/13/15,5. McDonald's tried to turn Chipotle into another McDonald's, Money, 2/3/15, 6. Joe Satran, Steve Ells, Chipotle Founder, Refelcts On McDonald's, Huffingtonpost, 7/12/2013, 7. Lara O'Reilly, The end of the Coke eram Business Insider 8/4/2015, 8. Andrew Ross Sorkin, McDonald's said to weigh an arches-only strategy, The New York Times 28/3/03, 9. 高遠弘美、肥満の文化史「ポッチャリ礼賛」、現代社会における肥満の実態に迫る

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2015年4月 5日 (日)

生産性を下げたインターネットと生産性を上げるロボット

   

   いま、ロボットに注目が集まっている。といっても、ソフトバンクのペッパーのような人間の形をしたロボットではない。私たちは鉄腕アトム以来のコミックの影響をうけてか、ロボットというと、つい、人間型のヒューマノイドロボットを思い浮かべてしまう。だが、いま、第四次産業革命をもたらすと期待されているロボットは、AI機能を備えた機械、器具、装置と考えたほうがいい。

   人類の歴史上4回の産業革命を、それぞれを象徴するキーワードでまとめれば、18世紀末の第一次産業革命は蒸気機関、次いで、18世紀末から20世紀にかけての第二次産業革命は、石油、化学、そして電化(電気の利用)。1970年代からの第三次産業革命はコンピュータやインターネットに代表されるデジタル革命。そして、いま、ロボットが第四次産業革命を引き起こす!

   ・・・・・というような記事が、最近、ビジネス誌をにぎわせている。そのなかで、「そーいえば、そうだよなあ!」と、妙に納得させられる記事があった。英国の新聞「The Telegraph」に掲載された、「インターネットは生産性を向上することはなかったが、ロボットは生産性を向上するだろう」というタイトルの記事だ。

   過去20年間における最大の技術進歩は何かと問われたら、大半の人はインターネットだと答えることだろう。なぜなら、私たちの日常生活に大きな変化をもたらした技術だからだ。「アラブの春」のような歴史的イベントを引き起こしたこともあって、インターネットの力を過大評価する傾向もある。だから、それが生産性を向上しなかったどころか、どちらかというと生産性を下げた・・・といわれると、ネットを生産性の観点から考えてみたことがなかったことに、ふと、気がつく。

   考えてみれば、eメールで仕事のやりとりが便利になった面もあるが、やたらにCCのついたメールが届くようになり、過剰な情報にふりまわされるようになったきらいはある。そのうえ、Facebook, Twitter,あるいはLine のようなソーシャルメディアが、職場での生産性を下げている具体例もよく耳にする。職場ではネットを個人的に利用しない人でも、日常生活においては、ソーシャルメディアやゲームにかなりの時間を費やしており、ネット中毒とまではいかなくても、生活に時間の余裕がなくなっている人は多いはずだ。

   ネットでの交流やゲームが楽しみや癒しになっている人は、暮らしのなかでの生産性を考えるなんてバッカじゃない・・・と思うかもしれない。ふりかえってみれば、1950年代に登場したテレビも、子供が勉強しなくなったとか、主婦が怠け者になるとかいって、当時は批判された。反対に、50年代に一般家庭に普及した電気洗濯機は(その他の家電製品といっしょになって)、家事に費やす時間を大幅に減らし、女性が仕事をもち社会進出する促進要因のひとつとなった。

   暮らしのなかにおいて、電気洗濯機は個人の生産性を向上し、テレビは下げた・・・と比較することはできる。

   インターネットはテレビみたいなものなのだ。「アラブの春」に象徴されるように、ソーシャルメディアは多くの人を結びつける。ネットが革命をもたらしたとあまりに騒がれたために、わたしたちはインターネットはメディアであること、つまり何かと何かを結びつけることが、その役割であるという事実を忘れていた。人が集結した結果が民主主義に結びつかなかったのはネットのせいではなく、結びついたあとのフォローができなかった人間のせいなのだ。

   インターネットが生産性に結びつくようになったのは、つい、最近、それがモノ(物理的世界)と結びついてIoT(Internet of Things、モノのインターネット)といわれるようになってからだ。さまざまなセンサーを装備したモノがネットによってコンピュータに結びつく。

   たとえば、GEは140万の医療機器と2万8000基のジェットエンジンに対し、1000万のセンサーを取りつけ、日々5000万件のデータを収集し分析している。これにより総額一兆ドルの資産である設備や機器を効率よく安全に稼働させ、機械の維持や事故を未然に防ぐのにも役立てている。

   ネットはモノに結びついて初めて実質的というか他産業に波及する経済効果をもたらすことができるようになったと聞くと、ある意味、ホッとする(デジタルな世界にとどまったままのネット・ビジネスで富を得たのは、GoogleとかFacebookとかいった企業とその創業者に限られている)。人と人とがソーシャルメディアで結びつくだけでは、民主主義が実現されなかったことからも明らかなように、私たちは、ネットという目にみえないヴァーチャルなものの威力を、(たぶんヴァーチャルだからこそだろうが)、力のスケールという意味では過小評価しすぎ、力の本質という意味では過大評価しすぎていた。

   インターネットは私たちの生活に便利さという素晴らしい贈り物を提供してくれた。が、ネットが物理的世界とつながることなく、ヴァーチャルなデジタル世界だけでものごとを完了しているときには、社会の不安定さを増長する傾向がある。

   たとえば、2008年の金融危機・・・。

   2008年に金融危機が発生した要因のひとつに、インターネットによる過剰な相互結合や相互依存をあげることができる。ネットが存在していなかったら、信用危機の問題は発生したであろうが、その地域範囲も規模も限られたものになっていたことだろう。ネットのせいで、ポジティブフィードバックと呼ばれる投資行動が瞬時に全世界に感染伝播した。株を例にとれば、本来なら、株価が上がれば多くの投資家は株を売る。こういったネガティブフィードバックによって、株式市場は自己調整がなされ常に均衡が保たれる。が、ポジティブフィードバックが発生すると、株価が上がると、他人の行動につられて理性的に判断することもなく、その株を買い、株価が下がればその株を売るという異常な状況に陥る。株でも土地でもチューリップでも、投資行動にポジティブフィードバックが発生するとバブルが起こる。

   情報がデジタル化された金融サービスに、これまたデジタルでヴァーチャルなインターネットが結びついた結果が、2008年の金融危機だといっても、過言ではないだろう。こう考えると、ネットがリアルな物理的世界と結びつくことで初めて生産性を上げることができるようになった・・・という事実は、社会の健全性を証明するようで、なんだかホッと安心できる。

   ここで、「ネットと違ってロボットは生産性を上げる」という、そもそものテーマに戻します。

   「機械との競争」といった本に代表されるように、技術(イノベーション)は常に雇用を破壊するという考え方もある。もちろん、著者エリック・ブリニョルフソンは、技術は常に雇用を創出するともいっている。ただし、最近は、デジタル技術のあまりに急速な進化のために、それについていけない多くの人が仕事を失うようになったとも書いている。

   IT分野の大手調査会社ガートナーは、10年以内に、現在の仕事の三分の一は自動化によって失われると予測する。ボストンコンサルティングが2015年2月に発表した調査結果では、世界の25の製品輸出大国において、製造業における自動化は労働コストを平均16%押し下げるであろうとしている。韓国、中国、日本、ドイツ、米国で世界の産業用ロボット購買の80%を占めているが、こういった国では、2025年までには、自動化機能の25%をロボットが分担するだろうとしている。ボストンコンサルティングは、最先端のロボットテクノロジーへの初期投資は大きなものだが、長期的にみれば、ロボットの運用維持費用は、先進国で人間を雇用するよりも安くつくだろうとしている。

   人間は機械との競争で仕事を失うのか?

   米国シカゴ大学がトップクラスの経済学者にアンケート調査したところ、88%が、歴史的にみて、自動化がアメリカの雇用を削減することはなかったと答えている。自動化によってコストが削減され価格が下がることによって、需要が伸び、結局は、仕事が増える・・・ということもある。また、製造業の自動化によって製造業にかかわる仕事がふえることはないかもしれないが、そのぶん、他のタイプの仕事、たとえばmechatronics(=electrical +mechanical )engineer/メカトロニクス・エンジニアのように5年前には存在しなかったような職業名や仕事がふえる・・・ということもあるわけだ。

   高齢化、少子化の進む先進国、そのなかでも先端をいく日本にとっては、機械に仕事を奪い取られる心配よりも、ロボット工学の進歩が人手不足の解消に役立ってくれる可能性に明るさを見出すことができる。ボストンコンサルティンググループの会長は、日経新聞のインタビューで、「日本は人口減の問題を移民ではなく、自動化によって乗り切ろうと選択しているようにみえる」と答えている。

   人手不足が心配されている介護事業でも、マッスルスーツのような装着型ロボットにより介護される人間の自立を促すことができるし、また、腰痛をかかえる高齢者でも他人を介護することが可能になる。年をとったらできなくなるとみなされていた肉体労働も、装着型ロボットの利用で、50を過ぎても続けることができる。視力の衰えや手先のふるえをロボットで補うことによって、ベテラン外科医の寿命を延ばすことにつながる。自動運転自動車になれば、運転手の人手不足も解消できる。 

   多種多様なパーソナルアシスタント機能をもった生活支援ロボットは、高齢者や子育て中の母親など、従来は職場から離れていく人達をも仕事場に戻す役割を果たしてくれる。

   戦時中の国家総動員法じゃあるまいし、年をとっても働かせられるのか!と嘆く人もいるかもしれない。だが、日本人には、仕事に生きがいを見出す人が多い。そういった人達にとって、ロボットは大きな希望を提供してくれる可能性がある。

   ロボットが人間に取って代わると懸念される。たしかに、人件費の安さで産業誘致をしている開発途上国ではそういった問題もあるだろう。が、日本の場合は、悪影響よりも好影響のほうが高いだろう。少子化、高齢化問題で暗くなるのは、まだ、早い。

   話は変わるが、長崎のハウステンボスが、ロボットが接客する「変なホテル」(これは本当の名称)を今年の7月に開業すると発表している。まあ、今の段階では、ペッパーを接客に採用するという日本ネスレと同じように、ロボットは客寄せパンダ的要素が強い。が、試行錯誤をしながらもAIが進化していくロボットをサービス業でも利用していく動きは進んでいくことだろう。

   私は、いまよりずっと高いAIをもったペッパーがいわゆるモンスター顧客にどう対応するかを見たいものだと思う。土下座しろといわれたらするのか? ロボットの場合も、土下座を強要したとして客は逮捕されるのか? CMでのペッパーは、北大路欣也にけっこう生意気に言い返しているが、実際には、ロボットに言い返されたら「アッタマにくる」から、客は、つい、ド突きたくなるかもしれない。その時、ペッパーは反撃に出るか? それとも、スタートレックのドクター・スポックと同じように、暴力を感情がもたらすムダな行動とみなすのだろうか? ちょっと楽しみ・・・。

 

 

参考文献: 1.Timothy Aeppel, What Clever robots Mean for Jobs, The Wall Street Journal 2/24/15, 2. Andres soergel, Robot could Cut Labor Costs 16 Percent by 2025, U.S.News, 3. Matthew Lynn, The internet hasn't boosted productivity, but Robots will, Telegraph 2/23/15, 4.「特集、AI 革命 ロボット」 ダイヤモンド社 2014年6月14日号 5.戦慄の人口知能、日経ビジネス 2015年3月30日号, 6, Dbill Davidow, How the Internet Powered the Financial Crisis, Forbes 3/23/11, 7.「人口減、生産性向上で対応」 日経新聞 3/9/15

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2015年3月 7日 (土)

格安航空(LCC)に学ぶ「悪い模倣」と「良い模倣」

 

 

  2012年は、日本の格安航空元年だといわれる。が、この年に出そろった3社のうち、好調なのはピーチ・アビエーションだけ(2014年3月期には単年黒字を達成)。あとの2社のうち、エアアジア・ジャパンは出資元の全日空とマレーシアのエアアジアが合併を解消してバニラ・エアになってしまったし、ジェットスター・ジャパンは2年目も赤字で低空飛行のままだ

  1998年に運航を開始したスカイマークは、日本の航空産業の規制緩和によって新規参入できた航空会社の第一号だ。ピーチやバニラやジェットスターのように全日空や日航傘下にはないので第三局とよばれることが多い。が、サービスの簡素化と大手二社に比べて安い料金をウリにしているということで、(利用者視点からみれば)LCCのグループにいれてもよいだろう。このスカイマークも、2015年、経営悪化で民事再生法の申請にいたっている。

  世界のLCC(Low Cost Carrier、格安航空)は米国のサウスウェスト航空のビジネスモデルを基本として、つまり、模倣(マネ)をすることで創られたといえる。米国の航空業の規制緩和は1978年からだが、サウスウェスト航空は、それ以前の1971年から営業を開始。その年こそ赤字だったが、その後40年以上利益を計上しつづけている。固定費比率が高く利益をだすことがむずかしいとされる航空業では、非常に珍しいことだ。2014年の旅客数は8600万人で全米一位、世界でも第四位につけている。

  模倣するに値する会社だ。

  世界の航空市場に占めるLCCのシェア(座席数ベース)は25%を超え、特に欧州では35%にまで成長している。だが、各国で数多くのLCCが誕生する一方で、すでに50社以上が倒産しており、好調な会社は非常に少ないのも事実だ。同じ会社をマネしているのに、なぜ、マネのへたな会社が多いのか? その点を考えてみます。

  サウスウェスト航空のビジネスモデルの基本は次の4点にあるとされる

  1. 同じ1種類の航空機(ボーイング737)を使用⇒パイロットを含めた乗組員や整備士の訓練の簡素化(部品在庫を含め機体の維持経費の削減もできる)⇒従業員の生産性が高くなる
  2. 2つの空港をノンストップで結ぶ。しかも、中小の混雑の少ない空港を利用⇒スケジュールの遅延が少ない⇒便数を増やすことができる⇒機体の稼働率を高める
  3. 限定的な顧客サービス。食事サービスや指定席を排除⇒20分以内に発着作業を完了することで航空機の回転率を上げる⇒機体の稼働率を高める
  4. マルチタスクをこなす従業員。たとえば簡単な清掃は乗務員がこなす⇒発着時間が短くなる⇒従業員の生産性が高くなるし機体の稼働率を高める。

  サウスウェスト航空は燃料価格のヘッジングを競合に先駆けて採用している。たしかに、これも、利益をだすには重要な要素だ。が、利益を上げながら低料金を実現するLCCのビジネスモデルということでは、上の4つが基本要素としてあげられるだろう。

  4つの要素は複雑にからみあっている。たとえば、大都市の二番手空港や中都市の空港とをノンストップで飛ぶ。長距離路線は飛ばないから機体はボーイング737一種類ですむ。また、数時間の飛行だから食事を出さなくてもすむし、狭い座席でも乗客は我慢できる。目的地に着いたら乗務員が簡単な清掃をして新たな乗客を迎える。だから20分以内に離陸できる。このように4つのうち1つでも欠けると全体に問題が出てくる。

  競争戦略で有名なマイケル・ポーターは、マネしやすい企業(ビジネスモデル)とマネしにくい企業との違いを「活動マップ」を描くことで視覚的に説明した。つまり、その企業のビジネスモデルに特有な要素が(つまり、競合他社との差別化に効果的な要素が)互いに影響を与え合い複雑に「蜘蛛の巣」状にからみあっていればいるほど、簡単にはマネができない。LCCの場合、顧客サービスを排除すれば成功するというわけでもないし、機体を1種類にすればそれで成功するというわけでもない。4つの要素は互いに影響を及ぼしあい全体として頑強なビジネスモデルを構築する。

  サウスウェストは、米国で1978年から始まった航空業規制緩和が進むとともに、路線を拡大して成長していった。日本の場合は、1986年以降段階的に規制緩和政策がすすめられているとはいっても、制約はいまだに多々存在する。

  たとえば、空港における制約。

  日本のLCCでピーチだけが好調なのは、ピーチが関西空港を拠点としているからだといわれる。他の2社の主要拠点は成田空港。関空は24時間運営だが、成田は騒音問題で、夜11時から翌朝6時までは発着ができない。しかも、混雑する空港だ。1路線で安定的な黒字を出すには1日4往復(8便)の運行が必要とされるが、成田を拠点としたエアアジアやジェットスターはせいぜい3往復6便。そのうえ、午後11時の門限に遅れれば、翌朝の初便が欠航となる。

  24時間利用可能な関空を拠点にしたピーチは、2012年開始からの一年間で、平均定時出航率は83%でLCCで一番。欠航率も大手並みの1%。当然のことながら利用率もふえる。2014月までには平均搭乗率は83%へと向上した。

  そもそも、日本の大手空港のインフラ条件はLCCが利益を出して飛べるような内容にはなっていない。発着枠などの運航条件の制約もあるし、着陸料とか使用料も中国や韓国に比べると3倍くらい高い。もちろん、成田や他の空港も、海外の空港との競争を視野に、こういった制約や料金を変更する傾向にはあるが、そのスピードは遅い。(ちなみに、1座席1キロメーター当たりのコストをみると、マレーシアのエアアジアが3円台、国内LCCは8円台、国内大手航空会社は10~11円だとされる)。

  こういったような日本の航空産業にまだある「制約」が、日本のLCCがサウスウェスト航空のまねがきちんとできない大きな理由のひとつだ。だが、もう一つ、日本のLCCが中途半端に終わっている理由がある。顧客サービスの簡素化に関係することだ。これに関しては、とくにスカイマークの例がわかりやすい。

  スカイマークは2012年に消費者への苦情対策に関連して、消費者庁からそれこそ苦情を受けている。機内で配布していた文書「スカイマーク・サービスコンセプト」には、スカイマークの機内サービス方針が8項目記されていた。たとえば、「機内での苦情は一切受けつけません・・・不満がある場合はお客様相談センターあるいは消費生活センター等に直接ご連絡を」と書いてあった。苦情を公的機関に押しつける姿勢は容認できないとして、消費者庁は文書回収を指示したのだが、この文書の書き方が傲慢だと世間一般からも批判された。たとえば、荷物の収納の援助をおこないません」とか「幼児の泣き声に関する苦情は一切受け付けません」とか、LCCではこういった手厚いサービスがないのは当然だとしても、文章の書き方自体が断定的で上から目線だと批判された。

  この出来事を紹介するときの、メディアの論調には次のようなものが多かった。

  「日本の消費者には日本流のていねいなサービスが、たとえ格安航空でも必要なのではないか」とか、「海外では格安と引き換えの不便さを利用者はある程度理解して利用しているが、大手の高いサービス水準に慣れた日本の利用者には戸惑いがある」というコメントもあった。つまり、「価格」と「サービス」の両立を日本の消費者は求めている・・という意見だ。

  これは、正しい意見だろうか?

  私は、このメディアの論調は間違っていると思う。

  現に、ピーチのCEOは「関西のひとたちは合理的だから価格が安い分サービスが簡素化されていることを納得している」と言っている。関西と関東では、たしかに、消費者の考え方に違いは少しはあるだろうが、それよりも、消費者にいかに上手に事前広報をしたかどうかの違いのほうが大きいと思う。

  ピーチに関しては、関西財界が積極的サポートをして地元メディアでも大きくとりあげられた。これによって、一般消費者も、低価格であるということは低サービスだというトレードオフの関係についてかなり啓蒙されたといえる。

  日経消費インサイトの「LCC利用者の意識と行動調査2014年」によれば、2012年以降に飛行機で国内旅行した人のうち国内線LCC利用率は関東13%に対して関西30%。それだけPR効果があったということだろう。しかも、ピーチの利用者の2~3割は飛行機を初めて利用した客だ。大手のサービスがどうであるかわかっていて、それと比較してLCCのサービスを批判しているわけではない。

   サービスを研究するサービスサイエンスという学問においては、客がサービスを利用する前に抱いている期待(事前期待)を、実際に利用したあとの感想とか評価が上回れば満足する。反対に、期待が大きすぎると評価との差が大きくなり不満足度も大きくなる。つまり、顧客満足は絶対値ではなく事前期待と実績評価の相対値できまるとされる。

  そういった点でいくと、LCCのサービスについて、日本の消費者は(関西を除いて)事前に、サービスと価格との間にトレードオフがあることを、きちんと知らされていなかったのではないかという疑問が残る。つまり、LCCにはサービスを期待すべきではないという広報活動(啓蒙活動)が十分なされていなかったということだ。

  たとえば、欧州最大の旅客数を誇るLCCにアイルランドのライアンエアーがある。ここのCEOは過激な発言で、つねにニュースになる。2011年には、機内トイレをつかうにはお金を支払わなくてはいけないようにしたいと発言して話題になった。「乗客が空港でトイレをすませてくればばトイレの数を減らすことでき、結果、座席数を増やすことになり、、結果、運賃を安くすることができる」・・と有料トイレは客にとっても得になると説いた。

  実際にやるかどうかは別にして、こういった発言はメディアも面白がって取り上げニュースになる。それが客の事前期待をつくる。2006年に持ち込み荷物の有料化にふみきったときには批判もあった。だが、有料にすれば客も機内持ち込み荷物を減らそうと考える。よって、チェックインカウンタやそこで働く係員の数も減らせる。コストも減るから運賃も減らせる・・・と説明した。

  このアイデアは実行に移され、手荷物一個につき約500円徴収したが、そのぶん、基本運賃を同額値下げした。これなら客も文句がいえない。また、こういったことで、「価格」と「サービス」はトレードオフの関係にあるということを一般消費者も実感できる。そのうえ、会社経営者のコスト削減に対する真剣さも実感できる。

  ライアンエアCEOは、2012年には、立ち席をつくる計画もしたが、規制に反するとその筋から反対されたとかであきらめた・・・というのもニュースになっている。こういったニュースがメディアに登場すればするほど、ライアンエアーはドケチな会社⇒それだけ料金が安い・・・という事前期待ができあがり、実際に乗ってみると、思っていたよりは乗りごこちもサービスも悪くなかったということになる。

  ピーチが就航前に関空で開いた運賃発表会では、「大阪ー札幌4780円」「機内サービス有料」という手書きのボードがつかわれ、いかにコストをかけないように準備したかを印象づける記者会見になった。事務所の備品はネットオークションで購入したとか、1円単位のケチケチ作戦が話題になりメディアで紹介された。これも事前期待をつくるためのPR活動として効果有りだ。

  その点、スカイマークの顧客戦略というかコミュニケーション戦略は矛盾していた。

  2014年に、仏エアバスA330型機を導入したときには、超ミニスカの女性客室乗務員がA330の機体の前で写真におさまった。A330が飛ぶ路線で半年間限定でミニスカの制服が採用されるという。ところが、A330型機導入よりミニスカのほうに話題が集まってしまい、保安上の問題やセクハラの問題はないかというニュースになった。それに対して、当時の社長が「キャンペーン服として用意したものが、あまりに評判が沸き立ち、こちらも困惑している。かなり歪んだ解釈をされているのは非常に残念だ」と答えいてる。

 が、思い出してほしい。2012年に物議をかもしたサービスコンセプトには「客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なものと位置付けております」とはっきり書いてあった。ミニスカの乗務員が緊急時に主要職務とされる保安業務をどうはたすのか? 緊急時に、まず、ジャージーにでも着替えてから、対処するのか?

  たしかに、サウスウェスト航空も、最初は、ホットパンツとゴーゴーブーツをきた女性乗務員で有名になった。1971年に地方の小さな格安航空が営業を開始してもメディアはとりあげてくれない。ホットパンツとブーツのおかげで、少しは名が知られるようになった。だが、それは、70年代のことだ。当時はミニスカート全盛時代で、ホットパンツもゴーゴーブーツも乗務員の制服としては異色だったからニュースになったが、当時の流行のファッションだった。(ホットパンツは71年72年には日本でも流行している)。また、そういった制服は、Love Airline としてLoveをウリにしていたサウスウェストの企業テーマにも合っていた。(とはいえ、サウスウェスト航空も1980年には裁判に負けて男性客室乗務員を雇う結果となっている。当然ながら、女性乗務員のセクシーさを売りにすることもなくなった)。

  そういった歴史を考えると、スカイマークの2014年のミニスカは時代錯誤としかいいようがない。が、それ以前に、マイケル・ポーターが言うところの下手な模倣だ。サウスウェストが有名になったひとつの要因だけをとりあげ、他の要因とか背景との関係なしに、それだけをまねる。

  世界のLCCにマネされるサウスウェスト航空だが、実は、このサウスウェスト航空自身が忠実に模倣した航空会社がある。

  1949年から1988年までカリフォルニア州内で運行していたPacific Southwest Airlinesで、米国最初の格安航空だった。「世界で一番親しみやすいエアライン」と自称していた。ユーモアあふれる応対で知られ、ハワイのアロハシャツを着た創業者は、乗務員やパイロットに客と冗談を言い合うことを推奨した。60年代には、鮮やかな色彩のミニスカ・ユニフォームをきた乗務員で有名だった。70年代初めにはこれがホットパンツに代わっている。

  サウスウェストの創業者のハーブ・ケラハーは、PSAを徹底的に研究し、自由で親しみやすい従業員といった企業文化から、制服、その他の要素ほとんどすべてを採用した。当時のサウスウェストの社長は、「サウスウェストはPSAを完璧にコピーしたそっくりさんだった」と証言している。

  サウスウェスト航空は、航空産業におけるイノベーションの見本としてとりあげられる。イノベーションというと、それまで市場に存在しなかったまったく新しいもの(あるいはビジネスモデル)を創造したと考えられがちだが、実際には、サウスウェスト航空は模倣から生まれたものだ。だが、モデルにした会社よりも模倣した会社のほうが成功し、航空市場を変革する(破壊する)までに成長した。それは、たぶん、サウスウェスト航空はビジネスモデルの基本4要素を徹底したことと、この4要素を結びつける第5の要素、つまり、ロイヤルティの高い誇りをもった、よって生産性の高い従業員を創造・維持するのに成功したからだろう。

  サウスウェストは顧客第一ではなく従業員第一の企業文化で知られる。

  サウスウェストの従業員の報酬は米航空業界で一番高い。だが、その分、生産性も高い。たとえば、短距離で一日に何度も往復するパイロットは業界平均と比較して、一日当たり一時間多く飛んでいる。生産性が高いこともあって、サウスウェストの1座席1キロメーターあたりのコストは6.4セントでユーナイテッドやデルタの7.7セントより17%低くなっている。

  日本の模倣上手なLCCは、ピーチだろう。ピーチはLCCのビジネスモデル4要素を表面的にマネするのではなく、マクロの観点からマネしているようにみえる。たとえば、ピーチの井上慎一CEOは、「ピーチは航空会社ながら『空飛ぶ電車』のサービスモデルを志向している。お客様が遅れても待たずに出発する。チケットはお客様が自分で手配、駅の改札を通るように自らチェックインしていただく。新幹線のワゴンサービスのように機内の飲食物は有料で提供している」と語っている。

  拙著「合理的なのに愚かな戦略」にも詳しく書いたが、会社の方向性をメタファ-で語れる経営者は、マクロの観点から全体をみている。各要素がどうからみあって全体をつくっているかも理解している。だから、メタファーがつかえる。そして、メタファーで語れる経営者のコミュニケーション力は高い。社員や消費者への発信力や伝達力が高いということだ。「空飛ぶ電車」を目指しているといわれれば、どのサービスは絶対に排除できないものでどのサービスは排除あるいは簡素化してもよいのかが、社員も直感的に理解できる。同じく、どういったサービスを期待してよいのか消費者も直観的に理解できる。遅れてきた客を電車が待つはずがない。電車の乗務員は頼めばある程度親切ではあるが、自分のほうから何々しましょうかと客に寄ってきてくれるほどには親切ではない。

  イノベーションの研究で有名なクレイトン・クリステンセンは、サウスウェスト航空は航空産業に破壊的創造をもたらしたとする。安い値段で自動車やバスから客を奪い、また、大手航空会社からも客を奪った。その結果、大手航空会社の破産や合併があいついだ。

  航空産業に破壊的変化をもたらしたサウスウェストは大きく成長した。そして、いま、自分自身が岐路に立っている。業界再編成によって生まれたデルタやユーナイテッドのような大手航空会社は国内外ともに張りめぐらされた路線を誇っている。そのうえ、下からは、サウスウェストを上手にマネした新興LCCがつきあげてくる。JetBlueの1座席1マイル当たりのコストはサウスウエストよりも低く、料金もサウスウェストを下回ることが多い。

  サウスウェストは、2014年にAirTranを買収することを発表した。これが実現すれば、東海岸への路線数も増える。が、それは、混雑した空港も含まれるし、AirTranが所有しているボーイング717も利用するようになることを意味している。ビジネスモデルの基本4要素のひとつだった「同じ1種類の機体」ではなく、2種類の機体を使うようになるということだ。また、AirTranの社員が入ってくることによる企業文化の変化も懸念される。発着が遅れないように、パイロットも機内の清掃を手伝ってくれるような社風を維持できるだろうか? 

  イノベーションを起こした企業が成熟することで、普通の会社になってしまうのはよくあることだ。、普通の会社になって、新興企業の破壊的創造の波をうけて、新興企業にとってかわられることもよくあることだ。サウスウェストは今後も成長しつづけることができるのか? サウスウェストには、もはや、模倣する先輩企業はない。どちらにしても(成長しつづけても、あるいは、しなくても)、サウスウェストの今後10年の動向は、後輩企業にとっては模倣すべき、あるいは、模倣するべきでないビジネスモデルの模範となることだろう。

参考文献: 1.Jad Mouawad, Pushing 40, Southwest Is Still Playing the Rebel, The New York Times, 11/20/2010, 2.武政秀明、「ミニスカ導入で一悶着、スカイマークの誤算」東洋経済online, 3/8/2014, 3. 「苦情は公共機関に」スカイマーク社長に聞く真意 日経新聞電子版ニュース6/10/2012, 4.「LCCピーチ、けちけち作戦、手書きボードで発表会」大阪讀賣新聞 2/7/2012, 5. LCC 利用者の意識と行動調査2013、日経消費インサイト2014年9月、6.スカイマーク、文書回収、日経新聞6/7/2012, 7. David Mitchell, It's Michael O'Leary's biggest PR gagge-he wants us to like him . Guardian, 11/10,2013, 8. LCC 2年目の岐路(下)、明暗分けた日本流サービス、日経新聞7/24/2013, 9.クレーム噴出、目立つ欠航…成田発格安航空の実態、日経新聞電子版ニュース,3/11/2013、10.「世界の空大争奪線、エアライン&エアポート」週刊ダイヤモンド、11/19/2011、11.「日本の空はLCCで変貌、価値は安さだけじゃない」週刊東洋経済 12/28/2013~1/4/2014

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