ポピュリズムの時代にリーダーが知っておくべき脳の仕組み(大衆を説得する方法)
英国の国民投票が行われたあとのニュースやワイドショーは、「英国、EU離脱」の話でもちきりだった。そのなかで、気になったのは、某コメンテーターが「理性ではなく感情だけで投票する人が多かったのは残念だった」というような意見をのべていたことだ。
そのコメンテーターは、すでに60歳を超えているはずだが、その年になっても、まだ、人間の本性を知らないのかと驚いた。過去の歴史を振り返ってみればわかるように、戦争とかジェノサイド、あるいは、ビジネスでいえば著名企業の経営破綻――そういった出来事の原因を探れば、大きな判断ミスが見つかる。そして、そういった誤った判断をしたリーダーだけでなくそれに賛同した多数の人間は、理性ではなく感情に動かされて意思決定したことも明らかにされている。
英国の国民投票でも、残留派が離脱することへの経済的損失を論理的に訴えたのに対して、離脱派は外国(移民、グローバル化)やエリート層への大衆の怒りを燃え上がらせることによって勝利した。英国のジョン・メージャー元首相は「経済と感情の戦い」だったとコメントしている。
投票後、一夜明けたら、離脱に投票したのが間違いだったと後悔する人たちが続出し、もう一度国民投票をしてほしいと請願する署名が数百万人に達しているという。これに関しても、「一時的には感情にかられて離脱を選択したが、後で、理性が戻ってきたのだろう」と解釈されているようだ。
90年代に急速に発展した神経科学により、人間が意思決定するためには感情と理性(論理的思考)の協働が必要であり、多くの場合、感情が理性の優位に立つことは科学の世界では常識となっている。この数年のハーバードビジネスレビューの記事をみても、リーダーの意思決定の問題になると、必ずといっていいほど、神経科学の知見が紹介されるようになっている。
人間は論理的思考にもとづく理性だけで意思決定できる、感情に影響されて判断しないように意識的努力をすることができる・・・・などと思っているから、リーダー(政治家、経営者)は大きな間違いを犯すのだ。
非常に皮肉なことではあるが、理性が働くのは安定した社会(時代)であり、本来なら一番理性をもって考えなくてはいけない時代(社会)には感情が意思決定の中心になる。なぜなら、もともと感情というのは、人間を含めた動物が生きるか死ぬかの非常時に素早く行動がとれるように生まれたものなのだから・・・。
最初に生まれた感情は「恐怖」だといわれる。人類の(哺乳類の)祖先といわれる1億5000万年前ごろに生息していた小さなネズミのような哺乳類も「恐怖」の感情はもっていた。恐れの感情がなければ危険を察知して逃げることができない。当時地球上を闊歩していた恐竜の足音がきこえれば恐怖を感じてすぐに逃げる。嵐や火事が迫りくるのを察知して「恐怖」を感じて安全な巣に潜り込む。
400万年前にアフリカのサバンナを二本足で歩いていた人類の遠い祖先は、自分達を食べようと近づいてくる肉食獣を見ると恐怖を感じた。恐怖を感じると、脳が特定の化学物質を放出し、その結果、血圧が上昇し心拍数が増加し、大きな筋肉への血流が増え、いつでも逃げられる準備が整う。恐怖の対象がはっきり見えるように瞳孔も拡大し、大量の酸素が吸入できるように気管支も拡張する。
こういった説明でわかるように恐怖の感情は無意識のうちに生まれる。大脳辺縁系という進化的には古い脳のなかの扁桃体と呼ばれる部位が、恐怖という感情の生成に関係している。大脳辺縁系で恐怖の感情が生まれたとき、私たちはそれを意識することができない。大脳辺縁系を覆うようにしている(200~300万年前の霊長類において格段と発達した)大脳新皮質に情報が伝達されて、初めて、恐怖を感じることができる(自身が感じることができる感情と異なるという意味で、大脳辺縁系で生まれる感情を情動として区別することもある)。
恐れを意識する前に「逃げる」というとっさの行動がとれるように脳はつくられている。感情(情動)は生存率を高めるためにつくられた仕組みなのだ(詳細は、拙著「売り方は類人猿が知っている」を参照してください)。
こういった基本を理解したうえで、不安な時代に、なぜポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭するのかを考えてみます。
不確実な時代に、私たちが常に感じているのは「不安」だ。
不安は、恐怖の変形だ。英語で、よく使われる言葉に「Flight or Fight」がある。「逃げるか戦うか」。恐怖を感じたら生きるために逃げる。だが、逃げるだけの時間がなかった場合はどうするのか? 残された選択肢はただ一つ。 たとえ相手が獰猛な肉食獣でも、自分の命をかけて戦うしかない。
たとえば、ネコという動物を例にとってみる。動物は基本的に危険を察知したら逃げる。無駄な戦いはしない。だが、壁際に追い詰められたらどうするか? 爪を出して飛びかかる。恐怖という感情は、逃げるのを優先させるが、逃げられないときには戦う選択を迫る。
しかし、実際には、逃げるべきか戦うべきか迷って選択できないときが多い。ネコが自分より大きくて若いネコが近くにいることを察知する。このまま、じっとしていれば気づかれないかもしれない。逃げればかえって気づかれて追いかけられるかもしれない。でも、相手はどんどん近くにやってくる。これ以上近くに来る前に逃げたほうがいいかもしれない。ああ、でも、もう遅いかもしれない。決断がつかなくて金縛りにあったように身動きできない。
このあいまいな心の状態が不安だ。
短時間で現れ消える不安という感情も、もともとは、生存に必要な感情だった。自分が置かれた状況(まわり)への警戒心をもたせ、次の行動への準備をするという意味でも、生存に必要だった。問題は、いまのような不確実な社会に住む人間は、この不安感を数か月、場合によって、数年から数十年、ずっと感じつづける状況に陥っていることだ。生理学的にいえば、大脳辺縁系の扁桃体が常に活性化していて、本来なら、逃げるとか戦うのに必要な化学物質(ノルアドレナリン)を放出しつづけていることになる(その結果、免疫力や記憶力の低下、うつ病などをもたらすストレスホルモンが体内で増えることになる)。
不確実であいまいな状況において意思決定をしなくてはいけないとき、人間の脳は不安を感じ扁桃体が活性化することを証明した実験がある。
米国カリフォルニア工科大学での2005年の実験で、被験者には、実際に金銭を賭けて、自分が次に引くカードが赤か黒かのギャンブルをしてもらう。第一の実験では、最初に赤と黒それぞれのカードの枚数が明らかにされることにより、被験者は自分が赤のカードあるいは黒のカードをひく確率を計算することができる。が、第二の実験では、最初に赤のカードと黒のカードの枚数を知らされないので、確率計算ができない。各実験をするときの被験者の脳の動きをfMRI(磁気共鳴機能画像法)でスキャンしてみると、カードの確率を計算できない曖昧な状況である2番目の実験では、扁桃体が高く活性化する。
不確実性の定義については、米国の経済学者フランク・ナイトの1921年の論文が有名で、彼は、確率で予測できるものをリスクとし、確率でも予測できないものを真の不確実性とした。
フランク・ナイトの定義にしたがえば、2005年の実験は、確率でも説明できない不確実な状況下では、人間は脳の扁桃体が活性化して不安を感じる傾向が高くなることを証明した。
もっとも、数字で表現できれば安心できるというわけではない。地震予知でもわかるように、今後30年以内に地震が発生する確率は80%といわれるのと50%といわれるのと、どちらが安心か? 50%だからホッと安心というわけでもないだろう。
そういった人間心理を明らかにした2016年の英国UCL大学での実験がある。
45名の被験者がコンピュータゲームに挑戦する。スクリーン上の石をひっくり返すと蛇が隠れているかもしれないというゲームで、もし、蛇が出てくると、痛みをともなう電気ショックを手に受けることになる。電気ショックを避けるため、被験者は、さまざまな手がかりから蛇が隠れていない石を選択しようと考える。
この実験で明らかになったのは、電気ショックを受けるとわかっているよりも、受けるか受けないか曖昧な状況にあるほうがストレスが大きいということだ。石をひっくり返すときに蛇が隠れているかどうかの予測がまったくつかないときは、電気ショックを受ける確率が50%となる。そのとき感じるストレスは、確率0%や確率100%のときよりも大きくなる(ストレスの度合いは自己申告や、皮膚の発汗、瞳孔の大きさなどでチェックした)。
この実験で驚くべきことは、いまひっくり返そうとしている石の下に蛇が隠れている確率は100%だと思っているときに感じるストレスよりも、どちらか明確でない曖昧なときに(確率50%のときに)感じるストレスのほうが高い・・・ということだ。
どんなに否定的な結果であろうと、先行きが見えないときよりもストレスが少ない(余談になるが、不良在庫処分を小出しにする経営者が多いが、投資家の心理からいえば、まだ在庫があるのではないかという不安材料があるよりは、一気に在庫の評価損を出しきってくれた方が、株価への悪影響は小さくなることが多い)。
紹介した2つの実験からも、いまの不確実な社会に生きる人間の不安度、そしてストレスがどれだけ高いかがよくわかるはずだ。
不確実な状況において、人間は理性より感情や直感に基づく行動をとりがちになる。なぜなら、恐怖の変形である不安を感じており、「いつでもすぐに『逃げるか戦うか』の行動を早急にとらなくてはいけない」という心理状態になっているからだ。じっくり論理的に考えるときではないと脳は判断している。論理的思考なしに判断を迫られているわけだから、他人の言動に左右されやすく、状況次第で大きく行動を変える傾向が高い。あいまいな状況を脳は一番嫌う。早く黒か白か決着をつけたいと思っているのだ(だが、自分で決めることができないので、誰かにきっかけを与えてほしいと思っている)。
不確実な時代にリーダー(政治家、経営者)は、どういったメッセージを一般市民に(あるいは消費者に)発信すべきなのか?
ポピュリズムは、その時代や社会状況によって、異なる意味合いをもつ言葉だが、最近では、「大衆迎合主義」とか「衆愚政治」と訳されるように、悪い意味合いで使われることが多い。辞書によっても説明が微妙に異なるが、「知恵蔵2015」では、「政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動をポピュリズムと呼ぶ」と解説されている。
次いで、「民主主義は常にポピュリズムに堕する危険性を持つ」として、「そのような場合、問題を単純化し思考や議論を回避することがどのような害悪をもたらすか、国民に語りかけ、考えさせるのがリーダーの役割だ」とつづく。
この説明はちょっとおかしい。不確実で不安な時代に、じっくり考えよとか問題を単純化してはいけないとか、人間の脳の仕組みとは真逆のことを言っていること自体、危機の時代のリーダーとは思えない。これでは、扇動家の思うつぼだ。
理性(論理的思考)を重んじるという人たちは、ポピュリズムをあおる扇動家を非難する前に、彼らが使っているコミュニケーション手法を学び、一般大衆を説得できるメッセージを送るようにするべきではないだろうか?
大衆を説得できるコミュニケーションの特徴を3つにまとめてみた。
- 感情に訴える・・・抽象的表現は避ける。具体化、具象化を心がける。
- 曖昧にしない。黒か白か明確にする。
- 複雑なことを単純化する・・・シンプルに表現する
この3点について説明してみます。
感情に訴えるために必要なのは、抽象的表現ではなく具体的表現を使うことだ。英国の国民投票を例にとれば、残留派リーダーは、EUメンバーであることの経済的恩恵を語った。世界に開かれた市場になることがどういった恩恵をもたらすか、多くの数字を並べた。だが、統計数字は抽象的すぎて、暮らしが貧しくなったと具体的に感じている聴衆の感情にはアピールできない。
それに対して、離脱派をまとめたのは、怒りの感情だった。怒りの対象は具体的に頭に浮かべることができた。移民(グローバル化という抽象的概念を具象化している)やEUや英国の政治を支配しているエリート層だ。
スピーチで他人の言動に影響を与えることが上手なひとは、メタファー(隠喩)を使う。メタファーは聴衆に具体的イメージを提供する。だから、メタファーを巧みにつかったアップルのスティーブ・ジョブスは、聴衆の心に感動を与えることができ、プレゼン上手と評判をとった。
日本でポピュリズムという言葉をが使われるきっかけを作ったと言われる小泉元首相もメタファーの使い方が上手だった。メタファーを使うことで、聴衆は彼が言いたいことを一瞬のうちに(直感的に)理解できる。たとえば、小泉元首相は総裁選で「自民党をぶっこわす」と発言した。自民党を革新するとかいわれても、「革新」という言葉は抽象的で具体的イメージがわかない。だから、聴衆の感情に訴えることはできない。だが、「ぶっこわす」と言えば、壁や建物が崩れ落ちる具体的なイメージが浮かぶ。
米国のトランプ大統領候補でいえば、メキシコから不法移民が入ってくるのを止めるために、「メキシコとの国境に壁を築く」と発言した。「国境の壁」という言葉は、不法移民を防ぐための法律をつくるとか警備を厳しくするといった話よりも具体的イメージを浮かべやすい。移民によって不公平な扱いを受けていると考える人達には大いに受けた。
考え方を具象化することで感情にアピールすることができる。メタファーで自分のアイデアを具体化、具象化することで、どんな教育レベルの人や異なる環境にある人とも同じ概念を共有することができる。ポピュリズムの扇動家を批判する前に、リーダーはこういったコミュニケーション手法を学ぶべきだ。
ついでに付け加えれば、英国のEU残留派は論理的思考にもとづいて理性をもって残留を選択した人達だと思われているようだが、これは真実だろうか?
「Flight or Fight/逃げるか戦うか」でいえば、離脱派は国内外のエリート層に怒って戦うという行動を選択した人たちだ。行動の結果がどうなろうと失うものはない。つまり、自分たちが置かれている今の状況は最低だから、なにをしてもこれ以上失うものはないと判断したのだ。それに比べて残留派は、EUの将来は明るいと考えて残留を選択したわけではない。自分たちが置かれた今の状況は必ずしも良いものだとは思っていない。だが、離脱すれば現状より悪くなる可能性がある。離脱派よりはましな暮らしをしているぶん、失うものがある。だから、行動経済学でいうところの「損失回避性」で、自分たちが今持っているものを失うことに恐怖心を感じたのだ。経済的恩恵を示す統計数字を論理的に判断したわけではない。
残留派も、やっぱり恐怖心、今持っているものを失うことへの恐れの感情に影響されたということができる。
話を元に戻します。
大衆を説得するためのコミュニケーション手法の2番目です。
第二に、曖昧にしない。黒か白か明確にする。TVのコメンテータの言葉やマスメディアの論説は、放送規制もあるだろうし、言質をとられないようにしているためもあるだろうが、すべてがあいまい。黒白を明確にしないから説得力がない。
だからこそ、「保育園おちた日本死ね」といったブログが短期間に世論に影響力を行使することができるのだ。
不確実な時代に一般市民は不安であいまいな心理状態にいる。これ以上、エリート(たとえばコメンテータや政治家、経営者)の論理的説明は耳にしたくない。自分自身迷っているのだから、誰かに決めるきっかけを与えてほしいと思っているのだから。
第一次安倍内閣で失敗した安倍首相が学んだことは、黒白を明確にすること。あいまいなままにしておかないこと。それを学んで実行しているから、強いリーダーのイメージを維持することができる。なんだかんだと言いながら支持率が高いのは、不安な時代には強い(強いイメージを持った)リーダーが好まれるからだ。
皮肉な言い方をすれば、黒白がはっきりしない曖昧な表現をするのは、エリート(コメンテータや政治家、経営者)自身が意思決定できていないからだといえる。行動を起こすためには、いくつかの選択肢のなかから一つを選ばなければいけない。黒白つけられないということは、自分自身が行動するつもりがない・・・ということだ。
そして、最後に、シンプルに説明すること。複雑な説明は曖昧さをもたらす。複雑になるのは、多くの場合、言い訳を付加しているからだ。選択するということは行動を起こすことであり、行動自体の説明が複雑になるはずがない。小泉元首相はワンフレーズポリティックスと揶揄された。が、彼は、他人を説得するためには単純でなければいけないことを知っていたともいえる。
「保育園おちた日本死ね」は、具体性、曖昧のなさ、単純性において、一瞬のうちに多くの人たちの共感をえた。それに反発した(とくに言葉使いに反発した)人たちもいたようだが、こういった人たちはポピュリズムの扇動家の説得力に勝つことはできない。
紀元前4世紀に弁論術の古典を著したアリストテレスは、聴衆を説得するためには次の3つの要素が必要だとした。
- logos(ロゴス) - 論理的な説得
- pathos(パトス)- 感情に訴えることよる説得
- ethos(エートス)- 話し手の人柄(人格)による説得(信頼できると直感できる話し手)
他人を説得するための3要素の必要性はいまでも変わらないだろう。日本では、人柄もよく理性的で論理的説明ができる人は多い。だが、惜しいことに、その多くが、相手の感情にアピールする術を知らない。ポピュリズムに懸念をもち、それを阻止しなくてはいけないと思っているのなら、人間の脳の仕組みを知り、感情に訴える方法を学ばなくてはいけない。
日本は伝統的に黒白をつけるのを避けあいまいさを尊ぶところがある。だが、他の先進国と同様に、経済格差や世代格差が進むなか、そういった考え方も変化してきている。あいまいな社会では必要なかった他人を説得するテクニックは、今後は、とくにリーダーになる人には、必須のコミュニケーションテクニックとなるはずだ。
最後に、米国のトランプ旋風でのエピソードをひとつ。
米国のトランプ大統領候補を支持するのは学歴の低い白人で低所得者で労働者階級が多いといわれる。海外ニュースを聞いていたら、トランプ候補が支持者の集まりで、支持者をたたえるような口調で「きみたち教育のない人達をボクは大好きさ」と発言しているのでびっくりした。教育がないと言われた人たちも、それに傷つくわけでもなく声援をおくっていた。思うに、日本人は、大卒じゃないのは恥ずかしいことだと感じている人たちが多いということか。それに対して米国人は、「教育がないのがなにさ」と開き直っているのか・・・? グローバル化で、とくに先進国は多くの点で類似してきているが、ときどき、日本との違いをみせつけられて驚くことがある。
参考文献:1.ルディー和子「売り方は類人猿が知っている」日本経済新聞出版社、2.ルディー和子「合理的なのに愚かな選択」日本実業出版社、3. Computations of uncertainty mediate acute stress responses in humans, Nature Communications 7, March 2016, 3. EU Referencum: a contest between economics and emotion, Financial Times 6/23/16
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