2009年9月29日 (火)

ワンコイン健診とリテール・クリニック

 中野ブロードウェイにある4坪の店舗。白い壁に白いカウンター。ここで健康診断が受けられる。

 500円からチェックしてもらえる「ワンコイン健診」については、マスコミでも最近よく取り上げられている。医師はいない。でも、看護士はいる。でも、医師の指導なしに看護士が血液検査をすることは医師法に抵触してできない。だから、客がみずから自分の血を採取する(糖尿病患者が自己採血するように作られたキットがあるから、簡単にできる)。そして3分ほど待てば、「血糖値」、「総コレステロール」、「中性脂肪」などの数値がわかる。その他、「血圧、肥満度、骨密度」などもチェックしてもらえる。

 1項目調べるのに500円。だから、ワンコイン健診。客の80%は4項目すべてを調べるという。合計2000円になる計算だが、セットで頼めば1500円。来店客(というか、受診者)は、フリーター、主婦、健康保険証を持たない外国人など。客層は最初の狙いどおりで、健康診断を受ける機会の少ない人たちが中心。2008年11月にサービスを始めて2009年8月までの受診者は述べ5000人だという。

 こういった簡易クリニックを始めた川添氏は元看護士で、研修のために訪問したアメリカでスーパーやドラッグストアのなかに診療所があったのを見て、アイデアを思いついたという。

 アメリカで、リテール・クリニック(Retail Clinic)と呼ばれる簡易診療所は、大規模チェーン店や空港などにあり、週7日、つまり毎日開業しているし、夜も8時ごろまで開いている。基本的に、医師は常駐しないで、ナース・プラクティショナー(Nurse Practitioner)と呼ばれる上級実践看護婦がいて、一定レベルの診断、処方、投薬をする。風邪、気管支炎、中耳炎、尿道炎、膀胱炎、アレルギー、ワクチン注射・・・提供できる医療サービスには限度がある、だが、待ち時間はないし、あったとしても店内でショッピングをしていれば、順番が来ると呼び出してくれる。病院のように、書類に記入しなくては手続きそのものが始まらないという面倒くささもない。

 最大手チェーンにワン・ミニット・クリニック(One minute clinic)という名前がついているように、1分は無理だが、10分単位で素早く終わる。非常に便利。しかも、安い。どの診療の場合はいくらという価格表も明示されている。1回の診察当たり(処方薬を除いて)$45~$75。保険も使える。

 安くて便利。

 2009年9月1日現在、アメリカには、1110件のリテールクリニックがある。そして、こういったクリニックで診察を受ける患者は、米人口の7%から(2007年)、2009年には14%に増大している。しかも、9月に発表された第三者機関による調査によると、消費者の満足度は90%を越えている。

 ヘルスケアサービスのマクドナルドを目指している・・・ということで、こういった簡易クリニックを例にとって、サービスにおけるアート(Art)とサイエンス(Science)について考えてみたいと思うのです。

 サービス・サイエンスの主要テーマというか目的は、サービスを提供するプロセスを標準化することにある。プロセスが標準化されれば、プロセスすべてを機械化する(つまり機械にやってもらう)ことができるかもしれない。ないしは、パートやアルバイトという経費の低い従業員によっても達成できるかもしれない。プロセスの標準化のために、現在、多くの企業で採用されているのは、工場の製造プロセスで使われたシックスシグマとか「ジャストインタイム」に代表されるトヨタの生産方式だ。たとえば、アマゾンのベソスCEOはシックスシグマを採用して、客が人間、つまり従業員とコンタクトする必要が(ほとんど)ないビジネスモデルを実現した。標準化かかつ機械化できたプロセスはサイエンスの部分だ。標準化かつ機械化できなかった部分が、FAQでは自分の問題は解決されていないと考える顧客と、eメールや電話でコミュニケーションする部分だ。そこには、どうしても、人間が登場しなくてはいけない。これが、アートの部分だ。

 サービス・プロセス=アート + サイエンス

 サイエンスは科学でよいとして、アートをどういった日本語にするか、ちょっと悩む。アートの部分においては、プロセスのインプット、アウトプット、ともに一定ではない。「サービスを科学するシリーズ(3)」でも書いたように、「ばらつき(Variability)」がある。そして、ばらつきがもたらされる原因は顧客あるいは従業員にある。よって、アートがアートであるゆえんは、そのプロセスに関わっているというか、そのプロセスを構成しているのが人間だからだ。・・・ということで、アートを人文系として、プロセス=文系(人文系) + 理系(理工系)というのはどうでしょうか? あるいは、アートを人間系としてもよいかもしれない。

 多くのサービス企業が、人文系プロセスと理工系プロセスの境界の線引きをどこにするかを再評価することによって、より安い、より便利なサービスを実現しようとしている。たとえば、医療サービスでは、サービス提供者が圧倒的に人間である(しかも、提供する側の医者、看護士は高経費でかつ人数には限りがある)という制限があった。したがって、サービスを提供できる時間が限られ、待ち時間も長かった。

 医療サービスの標準化をはかるためには、まず、提供するサービスの内容を分轄する。

 そして、医者の半分の報酬で雇用できるナース・プラクティショナーが提供できるサービス内容に絞ることで、リテール・クリニックが実現した。一人のナース・プラクティショナーだけで機能できるようにするために、コンピュータの助けを借りる。IT機器を使うことで、ナース・プラクティショナーは、受診者の過去のカルテ・データをチェックし、処方箋や請求書を印刷するまで、一人でやる。最近では、患者が長期にわたり定期的に来訪してくれる可能性の高い生活習慣病、たとえば、糖尿病、喘息などの患者も診察できるように、つまり、より高度な診療がナース・プラクティショナーでもできるように、意思決定支援のソフトウェアを開発している。このソフトウェアは、看護士が、段階を追いながら、正確に診断を下し、治療をし、処方薬を出すことができるようにつくられている。

 顧客を感動させるサービスを提供する模範とすべき企業として、リッツカールトンがよく紹介される。が、これは、明らかにナンセンスだ。

 リッツカールトンはサービス・プロセスのなかで人間系(人文系)を強調することで他ホテルとの差別化をはかっている。そのために、リッツカールトンの現場の、つまりフロントラインの従業員は、顧客に満足してもらうために、どういった対応をしたらよいか、独自で判断できる裁量権がある程度のレベルまで与えられている。具体的にいえば、従業員は顧客の抱えている問題を解決し満足度を高めるために2000ドルまで使える権限が与えられているという。もちろん、その経費がそれなりの効果をもたらすように、企業の理念にそった行動がとれるよう、最初の一年のうちに4~5週間の訓練をする。

 こんな経費がかけられるのは、リッツが、高い宿泊料金や高級レストランで食事をするのをいとわない客をターゲットとしているからだ。顧客一人当たりの粗利益率も利益金額も高いビジネスだからできる人間系サービスだ。つまり、リッツのような売上単価も利益金額も高い企業が素晴らしい人間系サービスを提供しているからといって、売上単価も利益率も低い企業がそれを理想モデルとして目指すのはバカげている。

 そういった意味で、リッツカールトンをサービス業の模範とするのはナンセンスだと思う。リッツは、アートの部分を強調することで差別化をはかっているサービス企業なのだ。

 重要なことは、アートのコストとアートがもたらす顧客への価値との比較をしながら、アートのなるべく多くの部分をサイエンスに転換できるかどうかを考えること。アートのプロセスのなかでも、テクノロジーを利用して、なるべく少ない人間、それも経費の低い人間を使う可能性を考えること。これが、サービスを科学することだと思う。

 マクドナルドはアルバイトやパートを上手に使うことで有名だ。上手に使うためのノウハウとして、やる気を引き起こす人事制度とか訓練、それから、マニュアルなどが挙げられる。マニュアルは、サービスの標準化をもたらすために作成されているわけだが、その標準化を嫌う声もある。たとえば、「バーガーを買えば、フライはいかがですか?と誰もが同じ事を尋ねる」とか。「コーヒーを買うと、必ずデザートを勧められる」とか。何を勧めるかはあらかじめ決められている。それが標準化である。誰もが、同じことを繰り返すのは仕方がないことだ。

 でも、そこであきらめない。ここでテクノロジーを利用してみる。

 たとえば、アメリカのファストフードチェーンが実験的に使用しているレジ搭載のソフトウェアでは、顧客が注文した金額によって、店員が勧める商品が異なってくる。たとえば、日本円に直していえば、注文金額が830円だとして、1000円札を出せばおつりは170円。そこで、すかさず、レジ画面に定員への指示が出る。「200円のコーヒーを170円にいたしますが・・(そうすれば合計1000円でおつりは出ません)」。注文金額が710円で1000円札を出せばおつりは290円。この場合は、レジ画面に「330円のパフェを290円にしますが・・・」というセリフが出てくる。注文した商品とつり銭の金額をチェックしながら、どの金額のどの商品を勧めるのが最適かソフトウェアは分析して教えてくれる。

 消費者は、お札の価値を同額のコインの価値より高くみる、そして、コインがポケットや財布にたまるのをいやがる。アメリカの大学での実験では、25セントコインが4個ある場合は71%の学生がそれでチョコレートを買うが、1ドル紙幣の場合は29%しか買わないという結果が出ている。

 そういった消費者心理に基づいて開発された「つり銭無用」パッケージソフトだ。ファストフード店における使用実験では、35%の客がオファーを受け入れ、売上が3%から5%増大し、利益は30%増大したそうです。

 各国のお札とコインの発行事情や、顧客別に価格を変えることへの規制とかいろいろあって、どの国でも実行可能なソフトウェア・プログラムではない。この例で強調したかったことは、サービスプロセスを標準化するといっても、テクノロジーの利用の仕方によって、そこにある程度のパーソナライゼーションも実現できるということ。「つり銭無用」プログラムを紹介したハーバードビジネスレビューの記事には、一番最初に、「レジで、顧客に衝動買いをさせるということは、サイエンスというよりはアートの問題だった」と書いてある。つまり、各店員のセールス能力の問題だったということだ。しかし、新しいテクノロジーのおかげで、多くの店員も衝動買いを促すことができるようになった。サイエンスとアートが結びついたということだ。

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参考文献: 1.Terri C. Albert & Russell S. Winer, Capturing Customers' Spare Change, Harvard Business Review 2005, 2. Jullies Schmit, Could Walk-in Retail Clinics Help Slow Rising Health Costs? USAToday 8/28/06, 3.Greg T. Spielberg, Wal-Mart Medical Clinics Stunble, Business Week 7/17/09 4. Katherine Harmon, Sore Throat on Aisle 4: Retail Clinics Match Quality of Doctor's Office, Scientific American 9/1/09, 5. Joseph M. Hall and M. Eric Johnson,  When Should a Process be Art, Harvard Business Review March 2009, 6. ケアプロの簡易検診サービス、日経消費ウォッチャー 9/10/09 7.ケアプロ株式会社、日本の健康診断費をワンコインにする男、週刊東洋経済 8/29/09

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2009年9月11日 (金)

東京ガールズコレクション

 TGC(東京ガールズコレクション)が9月5日に開催されて、10~20代の女性約2万人が参加。開幕24時間以内のケータイやPCを通じてのネット販売と会場内での販売を合計した売上が約5900万円だった・・・・・こんなふうに、NHKのニュースでも取り上げられるようになったのでは、「ちょっとメジャーになりすぎ!」って思った女の子たちも多かったのではなかろうか? 

 2008年春の第6回からは外務省が後援してるし。ここらへんがピークかもしれない。おりしも、ケータイ恋愛小説「赤い糸」を330万部も売りまくったゴマブックスが、9月7日に民事再生法を東京地裁に申請。そういえば、ケータイ小説の話って最近あまり聞かない。10代20代って、昔から気移りしやすい世代なんだから・・・。

 どちらにしても、あれだけの数の人気モデルに芸能人、人気歌手を登場させる一大イベントというか大規模ショーなんだから、5900万円くらい売れて当然。・・・というか金銭上の損得だけを考えたら、まったく割りが合わないくらいでしょう。

 TGCのことについてとやかく書くつもりはないのです。TGCのニュースをみて頭に浮かんだことを2点書いてみたいと思います。まず、最初に「日本中からブスをなくしたカワイイ・マジック」について。それから「高級って退屈なことなのか?」について・・・。

 ちょっと前までは、ブスと呼ばれる女性たちがいた。彼女たちは最初っから化粧することもトレンディーな服を着ることもあきらめていた。ファッションは自分たちにとって無縁なものだと思い込んでいた。ところが・・・・だ。「カワイイ」という摩訶不思議な言葉に背中を押され、バッサバサのつけまつげに目を3倍は大きく見せるデカ目メークとてんこ盛りヘア・・・・宝塚の舞台化粧顔負けの厚塗り化粧で素顔が消える。一昔前なら、お水のお姉さん。それも、仕事場は銀座や六本木の高級クラブでないことだけは間違いなし。それでも、下品とはいわれず、「カワイイ」といわれる。

 デブだって「カワイイ」のだ。ピシッときまったシャネルのスーツとかは着ない(正確には『着られない』)。ユニクロやH&Mとかフォーエバー21で、安くてファッショナブルなパーツを買い集めて重ね着する。デブがフリルのワンピを着たら、「もっとデブに見える~」。そう言われたのは昔のこと。いまなら、「わー、パンダみたくにカワイイheart04!!」。

 東京の街から「ただのブス」や「ただのデブ」が消えた。

 読者をモデルにした読モファッション誌や、ストスナ(ストリートスナップ)写真を満載したファッション誌が人気を呼び、誰もが自分の個性的(?)な容姿に自信が持てるようになった。NHKのTV番組「TOKYOカワイイ」に登場するカリスマ読モとかストスナでは著名人なんていう男女の多くは、「ええ、どこが~?」と驚くくらいにどぉってことない目鼻立ち。きつい照明ライトの下で撮った写真は化粧栄えしてステキかもしんないが、実際には、はっきりいって、全然美人でも美男子でもない(もちろん、読モ出身者には、本当の意味での美男美女も、数少ないが存在する。で、この生まれながらの美に恵まれた一握りの幸運児たちは、読モ出身からキャリアアップしてドラマやバラエティ番組などでも活躍する)。 

 要は、ブスでもデブでも、いまは、化粧とファッションで「カワユク」なれるのだ。

 ちなみに、語源とか言葉の由来とかを調べてみると、「かわいい」は「かわいそう」の親戚で、もともとは、「気の毒だ」とか「いたわしい」という意味だったらしい。ということは、ブスにつける形容詞としてはピッタシだったんだ(って、差別主義者って非難されない前に断っておきますが、私は、もともと、女性にブスは存在しないと固く信じています。美への執念とか努力の足りないひとがブスになっているだけだと思っていますから)。

 NHKの「TOKYOカワイイ」TVで「日本のファッション大好きでーす」とかいう外人が登場して、カリスマ・メークアップアーティストなどにデカ目をつくってもらったり、スタイリストに洋服を選んでもらったりするのだが、これが全然かわゆくならない。「カワイイ」というのは、鼻も低くて凹凸がはっきりしていないモンゴル系が化粧をするときに実現できる「アニメ」顔かもしれない。

 同じように、西欧のデブはただの醜いデブからなかなか這い上がれない。柳原可奈子とか天道よしみのような、ちょっと触って見たいとか、テディベアみたいにハグしたい思わせるようなカワユイ系デブにはなれないのだ。

 これも語源辞典によると、「気の毒だ」の意味をもつ「かわいい」が、いまの「愛らしい」という意味に変わっていった過程を調べると、小さいものや弱い物に対して「気の毒で見ていられない」という感情を抱き、それが、いつのまにか、小さいものや弱いものをいとおしむ気持ちから、いまの「かわいい」に行き着いたらしい (あくまでひとつの説です)。

 ここまでのところを独断的に要約すると、小柄の草食系人種じゃないと、「カワイイ」は実現できないのかも。

 いずれにしても、若い日本人は、生来の容姿にかかわりなく、誰でもかわゆくなれることが証明された。結果として、10代20代の女性の、たとえば40%が、自分がファッショナブルになることなどハナからあきらめていたとして、その40%までもが、ファッションに興味を持ちお金を使うようになった。その結果を象徴するのが渋谷の109でありTGCだ。

 だからといって、自分たちも、このセグメントを狙おうなんて、まさか、デパートのひとたちは考えていませんよね?

 本題の「高級=退屈なのか?」の話に入ります。

 百貨店の売上が落ち込んでいる。

 といっても、経済危機以前から、その傾向はあった。デパートの売上高は11年連続して前年割れしている。その理由については、「消化仕入れ」と呼ばれる返品できる仕入れ手法が8割を占め、リスクをとらない甘えの精神が革新の邪魔になってきた・・・・とか、その他いろいろ挙げられている。が、その話はまた別の機会に。ここでは、TGCの話題に関連して、「なぜ、デパートの高級品売り場は退屈なのか?」という疑問を提示したいと思います。

 たとえば、デパートの顔ともいうべき、一階の化粧品売り場を例にあげてみます。

 化粧品は不況に強いといわれている。

 日本でも、「原料が手にはいらなくなった第2次大戦中を除き、化粧品の出荷量はほぼ一貫して伸びてきた。金融恐慌中の1927年でさえも、化粧品の出荷額は前年比2割増しだった」そうだ。アメリカでも同じことがいえて、世界恐慌真っ只中の1933年においてさえも、化粧品の(インフレ調整済み)売上は、恐慌が始まった1929年以前よりも高かった・・・というデータがある。

 日本では、今回の経済危機が発生した2008年度のスキンケア用品の出荷量は前年度比ほぼ横ばい、口紅などのメーキャップ用品は1.8%のプラスとなっている。ポーラ文化研究所が首都圏の15~64歳の女性を対象にした調査(2009年4月実施)では、景気の影響で生活費を減らすと答えた人は45%、外食の出費を減らすは50%。だが、化粧品の出費を減らすと答えた人は30%に満たなかった。70%強が、これまでと同等か、それ以上出費すると答えている。

 女性は不況時だからこそ、化粧品にお金を使う。これは、アメリカでも同じで、口紅インデックスなんて言葉さえある。高級化粧品会社エスティローダの前CEOが2001年の不況時に言い出したもので、景気が悪くなるほど口紅が売れるというものだ。女性は、社会状況が暗くなり、気分が落ち込むと、ちょっとした出費で気分転換できる口紅を買う。もっとも、2008年発生の経済危機では、口紅ではなくファンデーションの売上が上がっているらしい(これは、日本でも同様の傾向がある)。口紅インデックスではなくファンデ・インデックスだ。

 問題は、デパートの化粧品売り場だ。化粧品の売上は全体的には落ちてはいないのに、全国の百貨店化粧品売上高は2008年12月に前年同月比でマイナス。それ以降、前年同月比割れが続いている。消費者は、化粧品を百貨店ではなく、ドラッグストアで買っているのだ

 ドラッグストアで化粧品が売れるという話題になると、すぐに、「安いからだ」と金銭的な理由づけがされる。デパートで売っている化粧品は高級すぎるとか高すぎる、だから売れないのだ・・・という話になる。

 それは違うと思う。

 ドラッグストアに行って見れば違いがわかる。ドラッグストアの化粧品売り場には、ディズニーランドのようなマジックが感じられる。ドラッグストアを探せば、自分をプリンセスに変身してくれるマジカルな化粧品が見つかるような気がする。手作りのPOPに書かれたコピーはおまじないのよう。お姫様になるのにふさわしいカワユイパッケージ。魔女に合ったおどろおどろしいパッケージもある。ドラッグストアは魔法の国なのだ。

 それに比べると、デパートの化粧品売り場のつまらないこと! どの売り場も同じように品良く、静かで、活気がない。店員も夢を売っているひとたちには全然見えなくて、(歯を見せて笑うことは下品だと思っているようで)笑顔が見られない。(他人の笑顔を見ると、つい自分も笑ってしまう。それによって、自分も明るい気持ちになる・・・ということを証明する数多くの心理学の実験結果があるのを知らないのでしょうか?)。

 メーキャップ用品でも買って気分転換しよう。元気になろう!・・・と考えても、デパートではそんな高揚した気分にはなれない。20代後半、30代、40代、いや、それ以上の年齢の女性だって、変身願望があるのです。夢をいつも見ていたいのです。ブスでもカワイクなりたいのです。でも、デパートの化粧品売り場はその(ひっそりと内に隠した)欲求には全然答えてくれていない。

 デパートでは店員がカウンター外に出てセールスをしないように規制している・・・ことはわかっている。しかし、高級でも退屈である必要はない、高級でもエキサイティングになれるはずだということを、じっくり考えて見る必要がある。TGCはイベントをすることで人を集め、興奮させ、そして、まわりがみんなケータイを出して注文するから自分もそうする(コンサートでも、まわりが立ち上がってタオルを振るから自分もする。まわりの熱気に影響されて自分もエネルギッシュに変身する。集団意識の利用によってモノが売れる)。

 おりしも、ぴあ総合研究所の9日の発表によると、消費不況のなかでも、エンターテイメントのチケット売上は前年比1.2%でした。「経済環境が厳しくても、人気公演のチケットがすぐ売り切れ状況は変わっていない」そうです。コンサートや劇場、映画、スポーツ・・・みんな数時間の間でも、夢をみさせてくれるのです。

 ドラッグストアには夢がある。でも、デパートの化粧品売り場には商品はあっても、夢もエネルギーも感じられない(今の自民党みたいなものです。そして、総選挙では、選挙民は、民主党が提供する夢を買ったのです)。

 ついでに、化粧品メーカーの広告についても書いてみます。

 以前にも書いたことですが、正月用とかクリスマス用、新学期用の広告があるというのに、なぜ、不況時の広告はないのでしょうか? 化粧品のTVコマーシャルをみても、機能中心のものが多い。社会が閉塞して不安感が漂っているときには、消費者は気分転換とか気分高揚ができるものを探している。上品で退屈なコマーシャルではなく、「ああ、あれを使えば楽しい気分になれそうだ」と思えるような、夢を与え、エネルギーを与えてくれるようなコマーシャルを求めているのです。

 不確実な時代こそ、企業は消費者に夢を提供してあげなくてはいけない・・・と思うのです。民主党が選挙に大勝したように、一般市民は、(実現できるという保証がなくても、それでも)夢を見せてくれるもの(政治組織、企業、商品)が好きなのですから。

 デパートの化粧品売り場は、まず、美容部員を変えることから始めましょう。そこそこの若さで、そこそこの容姿の同じような個性のない店員を並べるのを止めましょう。デブでブスのおばさんは、いまの美容部員のお化粧法をまねしたって、全然変身できません。美輪明宏みたいな、まっ黄色の髪でド派手なメークをした小太りのおばさんが立っていたら、「かわゆい~」といって、あらゆる年代の女性が集まってきます。そして、魔女のような店員に魅せられて、彼女が進める化粧品を、なんとなく買ってしまうこと間違いありません(半分、マジです)。

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参考文献:1.「なぜ化粧品だけ不況知らず(エコノ探偵団)」日経新聞07/12/2009 2、「エンタメ市場健闘」 日経新聞 09/10/2009

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2009年8月26日 (水)

ばらつき問題(サービスの品質)

Ilm06_ca07034s_6 工場で製品を製造するときの品質管理は、サービスにおける品質管理より、ある意味、ずっと簡単だ。なぜなら、管理者である企業が目標を決め計画して実行努力すればよい。だが、サービスの場合は企業が勝手に管理できるものではない。サービスの製造(生産)過程には顧客がからんでくる。マクドナルドの店員がマニュアルに従って客に応対するとして、どの店でも同じような応対であることに安心感を覚える客もいれば、非人間的だと嫌悪を感じる客もいる。まったく同じサービス内容でも、そのサービスを受ける客によって、知覚される品質が変わる。良いサービスとなることも、まったくその反対の悪いサービスになることもあるのだ。

 サービスは企業と顧客との協働作業で完成するわけで、そのぶん、品質管理がむずかしくなる。

 工業製品の製造過程においては、「ばらつき(標準偏差)」をなくすことが品質管理につながる。つまり、2mmの厚さの鋼をつくることが目標だとして、0.1mm薄いものや厚いものができれば、厚さに「ばらつき」が出ているわけで、この出現率を一定以内に抑えることが品質管理の目標となる。だが、サービスにおいては、そのまったく反対で、この「ばらつき」を排除しないことが良いサービスだと知覚される要因となる。なぜなら、サービスの生産過程に「ばらつき」をもたらしているのは、顧客自身だからだ。

 美容院の開店時間帯ひとつをとっても、出勤前にシャンプーセットをしてもらいたいので朝8時に開店してほしいという客もいれば、仕事が終わった8時過ぎにカットをして欲しいという客もいる。すべての客の要求を満足させようとすれば、7-11タイプの美容院になってしまい、人件費を含めた経費が増大して利益が出なくなる。あるいは、人気美容師が過労死することになる。

 サービスの品質は、客がもたらす「ばらつき」にどれだけ応えるかによって決まる。そして、また、「どれだけ応えるか」によって、サービスを提供する企業の利益率や利益額も決まってくる。なのに、(サービスは企業と顧客との協働作業によって生産されるといいながらも)、顧客は企業の損益にはまったくもって無関心で無頓着なのだ。

 このように、サービス業は、「出来うる限り『ばらつき』を排除しない、だが、利益は出さなくてはいけない」という製品製造業とは異なる大きな課題にチャレンジしていかなくてはいけない。

  美容院の例は、「時間」に関するばらつきだ。店舗小売業というサービスでは、この時間のばらつきの管理は大きな問題となる。開店や閉店の時間を決めるために、なるべく多くの客の要望に応えなくてはいけない。また、各時間帯における店員の生産性の問題もある。午前中は客数が少なくて手持ち無沙汰の店員がいるかとおもえば、午後の6時ごろからは混雑して「質問しようとしても店員が見つからない」と客が苦情をいうようになる。

 来店数の「ばらつき」を100%近く予測できればよいのだが、はずれることもある。コールセンターでも同じような問題は常に発生して、客の待ち時間が長くなると苦情が出る。

 しかし、混雑したり行列が長くなって待ち時間が長くなることが悪いことかというと、そうでない場合もある。店が混雑したり行列をつくって待つからといって、それを苦に思わないどころか、一種の快感や興奮を感じる客もいる。H&Mのようなファストファッションの店舗では、こういったターゲット客の心理を利用して、行列ができるように、また店舗が混雑するように、わざと仕組む。それによって、客の消費意欲がわき、購買したことへの満足感がわくようになる。これは、「時間のばらつき」ではなく、「客の選好のばらつき」を考慮したマーケティングだ(ちなみに、マクドナルドは、アルバイトを雇って行列に並ばせるというやらせ行為をしてマスコミに批判された)。

 ハーバード大学でサービス・マネジメントを教えるフランシス・フレイ教授は、客がもたらす「ばらつき」を5つに分類している。

  1. 時間・・・・・顧客は自分が好きなときに来店したり電話をかけてきたりする。企業側としてはヒマなときも応対しきれないときも出てくる。業種によっては、予約制度を採用できる。美容院のなかには、予約どおりに来店した場合にはいくらか割引し、予約を変更した場合には割引なしという賞罰制度をとって、客が予約を守ることを促すところもある。コールセンターにおいて「時間のばらつき」は頭の痛い問題だ。アマゾンの場合は、客がサイト上で望む時間を(いますぐ、10分後、15分後・・・に電話して欲しいと)指示すれば、オペレータのほうから連絡してくる。こういったシステムを採用することで、「時間のばらつき」の管理調整権の一部を企業側が持てるようにする。
  2. 要求内容・・・・・高級レストランでは、客の好みによって、使用材料や味付け、その他を変えてくれる。しかし、そういった要求に答えることはコスト高になるから、値段の低い飲食業は、要求内容の「ばらつき」には基本的には応えられない。ファストフード店舗では、客に一定レベルの選択肢を与えることによって、サービスレベルが高いと錯覚させる仕組みを採用しているところがある。たとえば、アイスクリームにナッツ、チョコレートシロップ、マシュマロ・・・など、8種類くらいのトッピングを用意し、そのなかから選べるようにする。実際には、選択肢の数は決まっているのだが、客は自分に選択権があるという事実だけで、自分の好みに答えてもらえる、楽しい良いサービスだと錯覚する。そのうえ、企業は、いくつかのトッピングには+50円として付加料金を課すことさえもできる。
  3. 知識や能力のレベル・・・・・この「ばらつき」は、ITサポートのコールセンターに深く関係してくる。たとえば、PCの操作や不具合に関する質問を電話してくる客がいたとして、その客のコンピュータ・リテラシーの高低によっては、説明の仕方や時間がまったく違ってくる。高度な知識をもっている客には基本的項目を省いてすぐに本題に入ることもできるが、イロハから説明しなくてはいけない客には時間をかけないと、「説明が不親切だ。なんてサービスの悪い企業だろう」という苦情になる。知識や能力レベルで分けて、「初心者用」「上級者用」とかける電話番号を変える。そして、応対する担当者のレベルを変えることで、人件費の効率化をはかることができる。
  4. 積極的に協力・参加してくれるレベル・・・・・サービスにかかるコストを削減するために、ITシステムを取り入れるにしても、そういった企業側の提案に客がどのくらい協力してくれるかによっては、大きな違いが出てくる。銀行がATMを導入して窓口取引を減らし、人件費を下げようとしたとき、客によっては積極的にATMを利用してくれるひともいれば、いつまでたっても使ってくれない客もいた。日本では、ATM機のそばに行員が立ち、客に呼びかけ、使い方を説明する方法をとっていた。アメリカでは、短期間に利用客が増えれば、それだけコスト削減が早く可能になるということで、ATMを利用してくれれば、記念の一ドルコインを進呈するというインセンティブを提供することにし、新規の行動を促すDMを出した銀行もあった。                            (ATM利用に関しては皮肉な話もある。ヨーロッパの銀行では、あまりにATMが便利なので、窓口を利用しているときにくらべると、取引回数が増えてしまった。つまり、以前なら、開店時間内に店舗を訪問しなくてはいけないし、順番を待つ時間も長い。だから、入出金にしても、客のほうである程度まとめて来店頻度を少なくした。だが、いまでは、ATMを気軽に利用できるようになった結果、利用頻度が多くなり、全体としての取引コストが以前より高くなってしまった・・・という銀行側の最初のもくろみとは逆の結果も出ている)。
  5. 顧客の選好・・・・・お金を払ってでも、細かいところまで気の利いたサービスをしてほしいと望む客もいれば、基本だけきちんとしてくれれば安いほうがよいという客もいる。たとえば、美容院でも、シャンプー後にマッサージをしてくれたり、途中でコーヒーを出してくれるのを喜ぶ客もいれば(もちろん、値段は高くなる)、反対に、余分なものはいらない、カットだけしてくれればいい・・と考える客もいる。こういったすべての顧客の選好に答えながら利益を出すことはむつかしい。だから、市場をセグメンテーションしてターゲット顧客の好みだけに答えることで安値を実現する企業もある。1000円カットの美容院や、エステ器機をセルフサービスで使えるようにするセルフエステが良い実例だ。

 「客の好みの違いにおけるばらつき」では、ターゲットを絞って、ニッチ市場の好みに応えることで成功している企業がある。とくに航空業では、提供するサービスを単純化することで安値を実現して成長した会社が欧米にはいくつかある。そのなかでも有名なのは、アメリカのサウスウェストエアライン。2007年度調べでは、年間の搭乗客数は世界一、2009年1月現在で過去36年間連続して利益を出し続けてきた利益性の最も高い航空会社のひとつとなっている。(ちなみに、日本でも90年代末に規制緩和で安値を売り物にした航空会社の新規参入が続いた。だが、そのうちいまでも残っているのは、スカイマークだけである)。

 こういった格安航空会社は、食事や飲み物を出さないとか、乗務員がユニフォームを着ていないとか、全席自由席だとかいったようなことが象徴的に強調される。が、それだけで安値が実現できるわけではない。

 サウスウェスト航空が安値を実現できるのには主に6つの理由がある。

  1. ボーイング737という一種類の飛行機だけを使用することで、維持費を年間数百万ドル節約することができる
  2. ノンストップの直行便だけで乗り換え便をなくす。それによって、混雑する大空港を避けることができる。結果、飛行機が地上に留まる無駄な時間を短縮することができる。そのうえ、出発時刻や到着時刻が遅れることなく、他のどの航空会社よりも高い割合で(2008年6月には定刻どおりだった割合は78%だった)守ることができる。
  3. 座席のクラスもなく指定席もなく、スナックと飲み物だけのシンプルなサービス。それによって、荷物の搬出、掃除、荷物の搬入、客の搭乗に他の航空会社が90分かかるところを、20分ですませることができる。
  4. 片道料金しかないし、その料金も基本的に同じ。他の航空会社のようにいくつかの条件によって割引率が異なる複雑な料金体制をとっていない。シンプルなぶん、管理費が節約できる。
  5. 比較的ハッピーな従業員。業界で給料は最も高い。ストライキもしない。飛行機一機あたりの従業員数は他の競合相手よりも30%も低い。よって、一マイル当たり一席当たりの(燃料費以外の)コストは、他の大手航空会社のなかで最も低い額になっている。 
  6. 燃料をヘッジングすることで燃料費の削減をしてきた。もっとも、最近の石油価格の乱高下で、さすがのサウスウェストもヘッジングがうまくいかなくて損失を出すこともある。

 このサウスウェストエアラインで興味深いのは、苦情がすべての航空会社のなかで最も少ないことだ。米航空業界全体では、客10万人当たりで0.88件の苦情。サウスウェストへの苦情は最も少なく、2006年には10万人当たりで0.11件だった。理由のひとつは、サウスウェストが、「サービスをしないかわりに安い」ということを広告その他で強調してきており、そのイメージが定着しているからだろう。つまり、客は最初から期待をしていない。いないから、そのぶん、「思ったより良いサービスじゃないか」と考える。フルサービスを売り物にしている通常の航空会社の場合、客によっては期待するレベルも内容も違う。だから苦情が出やすくなる。

 サウスウェストが値段が安いのは上記にあげたように6つの理由がある。しかし、新規参入したときにピーナッツしか出さないことを象徴的に強調することで、「サービスをしないかわりに安い」というイメージを消費者に植えつけるのに成功した。

 サービスに関する金言をひとつ: 客の期待より良い、あるいは悪いかがサービスの品質のよしあしの判断となる。そして、客の期待の基準をつくるのは、企業側の広告、PR,そこから発生する世評である。

 ばらつき問題とは違う話だが、サービスに対しての苦情を少なくするもうひとつの方法は、客に選択権を持たせる、あるいは自分が選択権を持っていると感じさせるようにすることだ。たとえば、レンタルビデオ。店舗を使っての通常のレンタルサービスの場合、延滞すれば料金をとる。それどころか、「早く返却してください」と催促の電話をしてくる店もある。客にしてみれば、「延滞料金をとるんだから、そっちは得するくらいじゃないか。返却の催促をするなんて失敬だ」ということになる。最近、TVでもさかんにコマーシャルを流しているツタヤオンラインのレンタルサービスの場合は、毎月一定料金を払えば、3日で返却するか、1ヵ月後かは、客が決める。損得を計算すれば、短期間で返却すれば、一ヶ月にまったく同じ料金で最大16本の映画が見られる。だが、見る時間がなかなかみつからなくて、1ヶ月に2本しか見られないこともある。自分にとって何が得なのか、決めるのは客だ。選択権が自分にあれば(たとえ、それが、錯覚だとしても)、苦情は少なくなる。

 サービスに関する金言、その2・・・客に選択権を持たせる、ないしは、選択権を持っていると感じさせる(錯覚させる)。自分に選択権がある場合には、結果が悪いのは自分の責任ということで苦情が少なくなる。

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参考文献: 1. Frances X. Frei, Breaking The Trade-Off Between Efficiency and Service, Harvard Business Review November 2006 , 2.Barry Meier, A No-Frills Airline Has Few Complaints, The New York Times, February 8,  Complaints, The New York Times, February 8, 1992, 3. Joe Brancatelli, Southwest Airlines's Seven Secrets for Success, Portfolio.com 7/8/08

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2009年8月17日 (月)

コールセンターの恋人

Ilm06_ca07034s_6 「コールセンターの恋人」という小泉孝太郎(heart01 けっこう好きです。弟もイケメンだし、私が川崎に住んでいたら、絶対、清き一票を入れます。「政治家は顔かよ~?」「あったりめーさ。顔以外に何があるってゆーのさ」)・・・その小泉孝太郎主演のTVドラマが放映されています。テレビショッピングや通販会社にしてみればオーバーなところもあって心外に感じるところもあるかもしれません。でも、基本的には、電話でお客様の相談を受ける部署がいかにお客様を大事にしているかがエピソードの中心になっている。企業の人間性が強調され、業界に好意を抱いてもらえる内容になっていると思います。しかし・・・です。あんなふうにお客様一人一人にパーソナルなサービスを提供していたら、生産性なんて上がるわきゃない!と、つくづく考えてしまう内容でもあります(ドラマでも小泉くんが「マニュアルに従って電話にかける時間はX分以内にしてください!」とよく叫んでいます)。

 不況にもかかわらず乳酸菌飲料ヤクルトの販売本数が増えていることが、朝日新聞(7/29/09)に掲載されていた。ヤクルトレディーが取り扱う宅配専用品「ヤクルト400」の2009年(4~6月)の一日当たり平均販売本数は約300万本。経済危機以前の2007年度の平均より30%は増大している。反対にヤクルトレディ-の数は73年度の6万700人をピークに減少傾向にあり、現在は約4万2500人。つまり、人数を増やさずに販売本数を増やしたことになる。もっとも、販売員のやる気を起こすために、企業内保育所を設けたり、配達が楽になるように電動アシスト自転車を特注したり・・・ということで、販売経費が少なくなったわけではない。

 不況でもヤクルトの売上個数が増大している理由は、人間(販売員)と人間(お客様)との信頼関係が築かれていることがあげられる。地道に築いたネットワークだ。

 世界的調査会社ギャラップが日本医科大学に協力してもらい、東京の都心デパートの顧客のなかで、そのデパートに感情的つながりを感じていると(アンケート調査に基づいて)判断された顧客の脳の中を機能的MRIを利用してチェックしました。顧客がデパートついて考えているときに脳のどの部位が活性化するかを調べたのです。デパートについて質問されているとき、顧客の脳のなかでは、感情に関係する部位(詳しく言えば、大脳辺縁系にあって感情と論理的思考とを統合する役割があるとされる前頭葉眼窩皮質)の神経細胞が活性化していた。それとともに、側頭葉にある紡錘状回と側頭極も活性化していた。紡錘状回は顔を見分ける機能があり、側頭極は顔認識や記憶、また、話し言葉の記憶に関係していると考えられています。

 つまり、デパートと感情的に結びついている顧客は、自分がよく訪れるカウンターで応対してくれる特定の店員さんたちの顔、そのひとたちとの言葉のやりとりを思い出しているのだとみなすことができます。

 テレビドラマの「コールセンターの恋人」でも、ギャラップの調査においても、人間である顧客に感動を与えるとまではいかなくても、少なくとも感情に訴えることができるのは、やっぱり人間だ・・・という結論が導かれているわけです。

 これは当然の結論ではありますが、サービスの生産性を上げようという意気込みを萎えさせる結果でもあります。

 約3ヶ月前に書いた「サービスを科学するシリーズ1」では、サービスにおける大きな問題点として、サービスを提供するのもサービスを受けるのも人間。サービスは「人間」という管理しにくい要素から成り立っている。よって、1)感情の問題、2)品質のばらつきの問題、3)経費の問題・・・がサービスの生産性向上を妨げていると書きました。

 当然のことながら、こういった問題を少なくして生産性を上げるために人間とICTとを組み合わせようとしているわけですが、このバランスがなかなかうまくいきません。(株)アイ・エム・プレスの調査によれば、消費者の企業の電話対応への不満のトップに上がっているのが、電話がつながりにくい(71.4%)。二番目が用件に見合った窓口にたどり着くまで何度もプッシュボタンを押さなくてはいけない(61.6%)。つまり、セルフサービスシステムへの不満と、そういったシステムを積極的に採用しても、顧客ベースが増大すれば、人間(オペレータ)の数も増大しなくてはいけない(そうしなければ、電話がつながりにくいという問題が発生する)・・・ということなのです。

 不況になって、企業が最初にコスト削減しようとするのは、「儲けにならない」コールセンターです。米国でも、デルのように、顧客サービスの質の低下を招くとわかってはいても、やむなくコールセンターを閉鎖している企業が多く、日本でもコールセンターの閉鎖、人員削減、時給の低下が進んでいます。ちなみに、コールセンターの就労者は国内で70万~100万とされますが、2007年に企業が採用したオペレータのうち正社員はわずか7.1%でした(「コールセンター白書」リックテレコム)。

 しかし・・・・です。不況のなかでも、人間を前面に押し出したサービスを提供することで、顧客サービス・ランキングでトップに躍り出るだけでなく、売上を伸ばしている企業もあるのです。顧客サービスで優秀な企業といえば、一対一の対面コンタクトを中心とする高級ホテルとか高級高額品販売企業の名前が挙がります。こういった企業は、きちんと訓練された人間をおしげもなく使っても、粗利益率も粗利益額も高いのでコスト的に問題ありません。しかし、2009年度のビジネスウィークの「米顧客サービス・チャンピオン」では、リッツカールトン(5位)やジャガー(3位)、レクサス(4位)を尻目に、ネット販売企業2社がNo.1とNo.7の座を獲得しました。

 ネット企業が人間を前面に押し出すとしてもコールセンターくらいしかありません。そのハンディにもかかわらず、一対一の対面コンタクトを採用している高級ホテルや高級自動車販売企業と比較されたうえで、アマゾンが1位、ザッポスが7位と、ネット企業が勝利をおさめたのです。

 アマゾンは、つい5・6年前では、電話番号を公開しない、もしくは、よほどの決意をもってサイト上を探さないと見つからない・・・と批判され、どちらかといえば、顧客サービスの劣る企業とみなされていました。が、数年後のいまは、文句のつけようがないサービスを提供しています。創業者でCEOのジェフ・ベゾスは、最近では、「顧客の欲求に答えるのに執念を燃やす男」とすら形容されるようになっています。

 今から考えると、投資の順番があったのでしょう。まず、サイトの使い勝手とかフルフィルメントの迅速さ正確さに投資した。コールセンターまでお金がまわらなかった・・・ということだったのでしょう。ジェフ・ベゾスがアマゾンのシステム全体を構築するにあたって目指したのは、「従業員(人間)とコンタクトすることなしに、顧客は自分が望むものを手に入れることができる」環境であり、「どうしても、人間と話す必要があるような問題が発生したときだけ」従業員と話すことができる。そういったシステムを実現することでした。

 数年前には電話番号も公開し、現在では、それがうまく機能している。私も、間違った本が届くという問題が発生して米アマゾンに電話をしたことがあります。電話のオペレータが返品したら本代と返送料を返却するというので、「そちらが間違った処理をしたのだから、先に料金を返金してほしい」といったら、上司と話した後にすぐにOKがでた。そのときの印象では、マニュアルというものはあるが、顧客が不満足で強く抗議するようだったら、客の言うとおりにしろ・・・というすべての事項を超越する基本ルールがあるようだった。アマゾンもコールセンターは人件費の安い地方や海外に置かれている。細かいマニュアルはあっても、顧客が不満足なら相手の言うとおりにしろ・・という大雑把なルールは、ある意味、一番、問題が大きくならない即効法である。

 ジェフ・ベゾスCEOは「顧客サービス/Customer Service」ではなくて、「顧客経験/Customer Experience」という言葉を使う。顧客経験は、低価格、迅速な配送、膨大な種類の商品を提供することによる豊富な選択肢、信頼できるシステムだから人間とコンタクトして話す必要はない・・・といった要素から成り立っている(その基準からすると、日本のアマゾンは、商品検索の的確さがいまいちいまに、いま三時・・・で、サイト上での顧客経験がまだまだ劣る)。

 ベゾスCEOを含めて、アマゾンのすべての社員は、二年に一度、二日間、電話口でオペレータとして働くことが義務づけられている。そのベソスが敬意を表して「学ぶことがたくさんある」とするザッポスの顧客サービスとはどういったものなのか? ベゾスが「顧客の欲求の答えることに憑りつかれた男」と形容されるとしたら、ザッポスのCEOのトニー・シェイの顧客中心主義は「狂信的」で「オカルトの域にある」とさえ評されています。

 1999年に創業したザッポス(Zappos/スペイン語で靴という意味)は、最初は靴のネット販売から始め、現在では、ハンドバッグ、衣料品、アクセサリーなど1136ブランドで300万アイテムを取り扱っている。2000年の160万ドルの売上が2008年には10億ドルを超えるという急激な成長をとげた。すべてが「信じられないくらいの顧客サービス」のせいだという。注文の50%は既存客からのもので、20%は既存客から紹介された新規客からだ。

 配送費、返品配送費、ともに無料。リピート顧客のほとんどに、航空便による翌日配送が無料で提供される。コールセンターは「非常に重要な部署なので」本社と同じところにある。コールセンターの従業員はマニュアルに従う必要はない。ただし、4週間の訓練と24時間年中無休で稼動している物流センターで一週間訓練を受ける。従業員の福利厚生は非常に良いもので(医療保険は100%会社負担)、グーグルと同じく、ランチやスナックはすべて会社が提供している(日本でも、昔から「同じ釜の飯を食った仲」とか「一宿一飯の恩義」とかいうけれど、アメリカでも食べ物を無料で提供するということは、従業員の会社へのロイヤルティや従業員同士の絆を強くするものらしい。これは、研究に値するテーマかも?)。

 無料配送が利益を圧迫することは当然のことで、アマゾンも無料配送を始めたときには、営業利益率は3%の低さになり、2000年半ばには、キャッシュフローに困るだろうと予測するアナリストもいた(ちなみに、2007年度に本来なら客から配送費として入ってくるべき現金は6億ドルだったという)。しかし、顧客ベースと売上が伸びることによって、1)R&D費用の増大が売上の増大よりやっと低くなった、2)粗利益率の高いマーケット・プレイスの運営やウェブサービス・ビジネスの成長により、営業利益率は6%まで上がっているとされる。顧客ベースと売上が伸びたのは、「顧客経験」の向上によるとされるのだから、配送費を無料にするだけの価値ある結果を得ることができたわけだ。

 話をもどして・・・・アマゾンは今年7月にザッポスを8億4700万ドルで買収しました。アマゾンのCEOジェフ・ベゾス氏は創業以来最大の買収をした理由として、「ザッポスの顧客サービスの素晴らしさ」を上げています。が、もちろん、業界アナリストとしては、それ以外の理由を詮索したくなるものです。たとえば、急激に伸びてきたネット販売企業、しかも、アマゾンがうまくいっていない靴、バッグ、アクセサリー、衣料品で成長している。ザッポスが強敵になる前に先手をうって味方につけておいたほうがよい・・・・・それがベゾスの判断だといった見方もされています。

 だらだら続いた話をまとめると・・・

1) 対面コンタクトはなくても、企業の人間性を強調することができる。アマゾンやザッポスの場合、顧客は企業を無機質なコンセプトとしてではなく「人間」として捕らえることができ、それによって、企業と人間(顧客)との間に感情的絆が築かれている。

 もっとも、ベゾスやシェイが自分の個性を企業方針に強烈に発散することができるのは(だから、人間性の強い企業が実現できる)、彼らがある意味オーナー社長だからだ。ザッポスは非上場だし、ベゾスはアマゾンの1億株を所有しており、個人としては最大株主だ。ザッポスのシェイは、また、Twitter愛用者としても有名で、彼の書き込みには100万人がリンクしているという。会社やブランドをPRする箇所はまったくない、ごくフツーに自分の日常の出来事を書いているだけだが、セレブの記事並に読まれている。シェイ自身はただたんにTwitter大好き人間であったとしても、結果として、ザッポスという企業の人間的要素が強調される結果となっている。

2)アマゾンは本という問題が余り発生しないタイプの商品を最初に取り扱った。だから、最初はコールセンターを採用する必要度が低かった。また、ザッポスが最初に扱った靴は(日本の事情はよく知らないが、アメリカでは)粗利益率が50%と高い。ブランドロイヤルティも高いので、リピート率も高い。ザッポスがネット販売を始めた当時はSEMが登場しはじめたころで、ブランドロイヤルティの高い靴の購買客をSEMを先駆的に利用することでコスト安に集客できた。だから、ザッポスは最初からコールセンターを強調するだけの経済的余裕があった。(日本でも、日経ビジネス2009年度アフターサービス満足度ランキングのネット通販部門では、オルビスとかファンケルといった化粧品会社が1位、2位を占めている。化粧品は粗利益率が高いので、それだけ、サービスにお金がかけられる)。

 企業に「人間性」が感じられるようになると、顧客の感情を喚起しやすくなり、ブランド・ロイヤルティが確立され、結果、顧客ベースが増大し、顧客サービスをコスト安に提供しやすくなる・・・・。だが、株式会社で大企業で経営者が個性を発揮できない企業では、企業の「人間性」を「売り」にすることは難しい。また、たとえ個性的な経営者がベンチャー企業を始めたとしても、黒字になるのを10年近くも耐えて待ってくれるような投資家はなかなか見つけられない(アマゾンの場合は、夢を売ることが上手なベゾスのおかげで、投資家は待ってくれた)。短期的に利益を出そうとすれば、顧客サービスはおざなりになってしまうのだ。

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参考文献: 1.「堅調ヤクルトレディー」、朝日新聞7/27/09、2.「不況期はサービスで」、日経ビジネス8/3/09、3.「コールセンターに見る「消費者重視」の真実」、日経ビジネス2/16/09、4.Joe Nocera, Put Buyers First? What a Concept, New York Times 1/5/08, 5 Kinberly Weisul, A Shine On Their Shoes, Business Week 12/5/05, 6. Heather Green, How Amazon Aims to Keep You Clicking, Business Week 2/19/09, 7. Amazon.com Tops BusinessWeek's List of Customer Service Champs, Reuters, 2/19/09, 8. Pete Blackshaw, IsCustomer Service a Media Channel? Advertising Age 7/23/09

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2009年5月 7日 (木)

製造業の人間はサービス業には移れない!

 先進国における第三次産業(サービス業)のGDP(国内総生産)に占める割合が60%を越したということで、今世紀に入ってからのサービス業への関心には高いものがあります。

 日本においても金融や通信サービス業を除く狭義のサービス業は2005年にGDPの23.2%となりました。製造業は22.7%で、5年前に比べると、立場が逆転したことになります。 

 問題は、日本のサービス業における労働生産性が他先進国に比べると見劣りすることです・・・・と、これまでは、こう続くのが通常でした。そして、次ぎのような統計数値が紹介されます。

  • 経済協力開発機構(OECD)の調査によると、1995年ー2003年のサービス業の生産性の伸び率を製造業の伸び率と比較してみると、日本は製造業で年率4%強で米国の3%強や英国の2%強より高い。しかし、同じ期間のサービス業の伸び率は、日本は年率0.8%で2%強の米国や1%強の英国より低い。

 つまり、日本は製造業での生産性は他国よりも高いが、サービス業では落ちる・・・というのが定番のコメントでした。ところが、最近の発表をみると、2000年前後から他の先進国のサービス業における生産性が落ちており、1991年から2005年の統計数値をみると米国(マイナス0.5%)、英国(マイナス0.4%)、フランス(マイナス0.1%)で、15年間、ほとんど成長なしという結果になっています。

 どの国もサービス業の生産性向上には苦労しているということです。だからこそ、サービス・サイエンスといったサービスに科学をとりいれることで、もっとコスト効率がよくならないか?という研究は、国家的プロジェクトにまでなっているわけです。

 このサービス業について、最近読んだ面白いコメントをいくつか紹介します。

1. 劇作家・演出家の平田オリザ氏(朝日新聞2009年4月29日)・・・「政治家を演じる」という寄稿のなかで、製造業に従事していた非正規社員が失業すると再就職が難しいことに関して、次ぎのように書いています。

 「・・・なぜ他の産業に転職がきかないかといえば、それは端的に言って、コミュニケーション能力の問題なのだと思う・・・・産業構造が大きく変わったにもかかわらず、日本の教育制度は工業立国のスタイルのままではないか・・・・派遣村の問題は、だから根本的には、コミュニケーション教育を放棄してきた教育行政の失政であり、その失政のつけを、個々人が払わされる由縁はない・・」

2. みずほ総合研究所チーフエコノミスト中島厚氏(日本経済新聞2009年1月9日)・・・日本の過剰サービス社会を批判して、次ぎのように語っています。

 「(過剰サービスを廃止すれば)まずコストを低減できます。さらに手厚いサービスには追加的な出費が必要だと皆が了解すれば、高付加価値型のサービス産業が今より成り立ちやすくなるでしょう。いずれもサービスの生産性を上げるのに役立ちます・・・・過剰サービスは日本人をひ弱にしてはいないでしょうか。手厚いサービスや気配りに満ちた日本社会は住み心地が良い・・・しかし、世界の標準は違う・・・あらゆるサービスは本来、有料なのです。そう自覚したほうが、気配りが身に染み、今のように『サービスは無料で与えられて当然』と考え続けるよりも他人への思いやりの心も育つのではないでしょうか」

3. ビジネスウィークは2007年10月22日に「急成長の煽りで顧客サービスが低下? 米アップル、評判に陰り」という見出しの記事を掲載した。そして、アップルは熱狂的なファンがいることで有名で、そういったファンはアップルがたとえ欠陥商品を販売しようがそれを許してくれた。が、iPhone人気で顧客ベースが急激に増大し、以前ほどにはアップルのすることに寛容ではない顧客が増えた。それにともない、苦情も増え、顧客満足度も落ちている・・・と指摘しました。

 ですが、つい最近発表された調査によると(Forrester Research)、PC産業におけるアップルの満足度は80%で第二位のゲートウェイの66%に大きく差をつけています。しかし、この満足度は、他の産業に比べて非常に低いもので、PC産業よりも低いのはインターネット接続業、ケーブル/衛星TV,保険サービスだけだそうです。

 ちなみに、すべての産業をひっくるめての顧客満足度ランキングで晴れてNo.1に輝いたのはバーンズ&ノーブル(書籍のチェーン店兼ネット販売)で、3位のアマゾンを抜きました。アップルは23位、ウォルマートが35位、デルが93位になっています。

4. 読売新聞2008年1月27日「電話窓口を閉ざす企業」では、ヤフーやミクシィーといった著名ネット企業が消費者に電話番号を明かさず、苦情や問い合わせの窓口をメールを限定していることについて特集記事が書かれていました。ヤフーオークションに苦情のメールを出してもその返答に一ヶ月以上かかったという顧客の経験を紹介し、ヤフーは「電話が殺到すると業務の混乱をきたす」として今後も電話番号を公開する予定はないとしていると伝えています。読売新聞が大手IT企業26社を調べたところ、ヤフーやミクシィーなど6社が公式サイトで電話を掲載せず、うち、5社は番号案内(104)にも登録していなかったそうです。

 顧客ベースの大きいところは、電話で受付を始めれば、莫大な経費がかかるようになります。不況のなか、これまで電話での対応を顧客サービスの一環として積極的に取り入れていた企業のなかでも、コールセンターの閉鎖、人員削減をするようになっています。

 昔はコスト・センターと厄介者扱いだったコールセンターがCRMとか顧客サービスとか叫ばれるようになってプロフィット・センターになった・・・・などと言われたものですが、不景気になると、やっぱり、コスト・センターに戻ってしまうようです。

 いずれにしても、利益を生み出す「顧客サービス」は、多くの企業にとって「永遠の課題」です。サービスを提供するのも人間(なるべく機械を使いたくても、いまのところ品質の良いサービスは人間の介入なしには成り立っていません)、サービスを受けるほうも人間。どちらも人間というややここしい要素から成り立っているために、1)感情の問題、2)品質のばらつきの問題、3)経費の問題・・・がサービスの生産性向上を妨げています。

 ということで、サービスを科学するシリーズを書いて見たいと思っています。海外でのいろいろな新しい試みとか研究例をご紹介できたら良いなと思っています。でも、二回目はもしかして一ヵ月後になってしまうかもしれません。夏に公開する映画をいまから宣伝する予告編みたいな感じになってしまい・・・・ホントにどーも、スイマセン(三平ふうに・・・・)

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2009年5月 2日 (土)

ユニクロと環境と不況用のコマーシャル(マーケティングNOW11)

Stnd007s今日はゴールデンウィークの最中でもありますから、軽くよもやま話的なものを書きます(って、ていのよい言い訳です。きちんとしたものを書く時間がないだけです)。

1.ユニクロとエコ

 「もったいない」と「エコ」とは別物だと、いまごろになって気づいたおバカな私の話です。

 ユニクロ製品を買ってお洗濯を繰り返していると、シーズンが終わるころには、なんとなくダレた感じになる。ヒートテックのような下着でも、繊維が疲れてきた(?)感じになる。値段からいったら当然のことだが、また次ぎのシーズンに新しいものを買う面倒くささがいやなので(洋服を買うのは大好きですが、自宅や近所で着る普段着を買うのは好きではない)、つい、まわりの人間にグチを言ったら、一笑に付された。

 「ユニクロの服は、一シーズン着たら捨てるのよ」・・・働いている若い女性が言うならともかくも、70代の人(母です)にも、あったりまえのようにそういわれた。戦後のモノがない時代に育ち「もったいない」精神がしみこんでいるはずの70代の人は、「みんな(親戚や友人のこと)そうしてるわよ」と付け加えた。

 それでハタと気がついた。

 水と電気と洗剤を使って洗濯を繰り返せば、それだけCO2が排出される。ジャケットなどの場合、ユニクロ価格なら、数回のクリーニング費用でジャケット一着買えるかもしれない。そのうえ、ドライクリーニングに出すということは、CO2が出るということでもある。だったら、毎年、新しい商品を買ったほうがよい。

 ユニクロ無印良品、それからチープシックとかファストファッションと呼ばれるH&Mなどは、一シーズン着て捨てたほうが、それをきれいにして来年まで維持していく工程から出るCO2排出量を考えると、ずっとエコ的であり、グリーンなことかもしれない。つまり、「もったいない」と「エコ」や「グリーン」はまったく別のことなのだと遅まきながら気がついた・・・というわけだ。

 ユニクロは、2007年から本腰をいれ、3月と9月に全商品の回収、リサイクル活動をしている。リサイクルは3段階に分かれていて、1) 発展途上国への寄贈、2)繊維に戻して軍手や断熱材として再使用、3)それもダメな場合は発電用燃料として使用・・・となっている。

 リサイクルを案内するユニクロ・ホームページには、「お客様に長く着ていただける『本当に良い服』を製造し販売するだけでなく・・・」と書いてある。しかし、ユニクロの低価格を考えると、長く着てもらえる服などつくらないほうが、地球環境には良いのかもしれない。一シーズン、洗濯やクリーニング屋に出す回数を可能な限り最低にして、CO2を排出しないで捨てる、あるいはリサイクルするために店舗に持っていく。

 ところで、最近、買い控えをする消費者の購買を促すために、「リサイクルする」といって、不要商品を引き取る小売業が出てきた。引き取るためには幾ら以上買わなくてはいけないという条件をつけたり、反対に、リサイクルに出せばクーポン券を渡すところもある。どちらにしても、「まだ使えるのに、新しいものを買うなんてもったいない」と躊躇する消費者の罪悪感を、「リサイクル」という言葉で消してあげることによって、購買行動を促すわけだ。だけど、こういった企業は、ユニクロみたいに本当にリサイクルしてるのかなあ? ひきとったものをそのまま燃えるごみに出したりしてないよね?

 もっとも、消費者のほうも、自分が罪悪感を感じなくてすむ限りにおいて、他人ががどうリサイクルするのか、気にしているひとなんて余りいないのが現実だろうけど・・・。

2.不況用のコマーシャル

 不況で巣ごもる消費者が多くなっているところに、新型インフルエンザ。これでは、ますます巣の奥深くに入り込んでしまいそうだ。5月1日に発表された全国消費者物価指数が一年6ヶ月ぶりに減少に転じたということで、今度は、デフレの懸念が高くなったと報道されている。それでも、小売業は、まだ、低価格路線を続けるつもりなのだろうか?

 前回にも書きましたが、博報堂生活総合研究所が2008年末に不安を感じる日本人は72.4%もいると発表している。いま調査したら、もっと高くなっているかもしれません。不安という感情は恐れの変形だ・・・とか、不安は、敵の正体がはっきりせず、逃げるべきか、戦うべきか、行動を選択できないときのあいまいな感情だ・・・ということも、前回(マーケティングNOW10)に書きました。

 不安というのは、なにをすべきか決められないから不安なのであり、自分が無力であることに不安を感じているともいえる。そのせいもあってか、不安な気分状態にあると、人間は、見知らぬひとをネガティブに胡散臭く見るのではなく、反対に、通常のときよりも親近感を覚えやすくなるという実験結果がある。

 不安が人をより友好的な気持ちにさせ、感情的に結びつけるのは、たぶん、何十万年とづづいたアフリカでの狩猟採集生活での経験が、脳にそのほうがよいと判断させているのだろうと進化心理学者は考える。つまり、自然災害や大型肉食獣から身を守るときには、なるべく多くの人数が群れになって集まっていたほうがよい。不安を感じたときは数が多いほうがよい・・ということだ。

 だから、消費者が不安に感じているときに、安心感を与えるような広告メッセージを送ることは、消費者と感情的に結びつくビッグチャンスなのだ。

 クリスマスやお正月用のTVコマーシャルを製作するのに、なぜ、不況用のコマーシャルっていうのはないのでしょうか? 

 長い歴史のあるブランドなら、「あなたのお母さんも、おばあさんも、そのまた、お母さんも、ずっと使ってきた。戦争も、大震災も、すべての時代の荒波を乗り越えてきたブランドです」と安心感をあたえるような内容のメッセージ。

 消費者は、自分で行動できないあいまいな状態にいるのです。信頼できる相手の指示を期待しているのです。こんなときは、企業が自信をもって強いメッセージを送るべきなのです。いま、小売業がしていることは、「低価格商品(だけ)を買いなさい」と強く指令しているようなものです。

 しつこく書きます。

 お正月やクリスマス用のコマーシャルがあるのに、なぜ、不安な時期用のコマーシャルがないのでしょうか?

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2009年3月15日 (日)

エビスビールの新しい広告は不可解

 Stnd007s「エビスは時間をおいしくします」というエビスビールの新しい広告は、はっきりいって理解に苦しむ。広告の基本にあるブランド戦略がまったくもって不可解。長い年月と広告費用をかけて築いた「ぜいたくなビール」というブランドの位置づけを捨て去るつもりなのだろうか?

 新しい広告の「時間をおいしくするビール」には他のブランドとの差別化などまるでない。どのビールだって、時間をおいしくする・・・と主張できる。小泉今日子と竹内結子を取り替えたら、サントリーのザ・プレミアム・モルツのCMかと思ってしまう。「ぜいたくなビール」といえば、ビールを飲まない人たちだってすぐにエビスを思い浮かべるだろう。消費者の心に占めるエビスブランドのポジションを--長い年月とお金で築いた貴重なポジションを、どうしてこうもあっさりと捨て去ってしまうことができるのだろうか? 

 日経新聞(2009年2月5日)の記事によると、「08年には主軸のエビスをはじめ、販売量を落としましたが」という記者の質問に、サッポロビール社長がこうコメントしている・・・「エビスでいえば『ちょっとぜいたくなビール』という宣伝が、この生活防衛の時代に『うんとぜいたくなビール』と思われた反省はある。見せ方の変化が必要で、年明けから『エビスは時間をおいしくします」という新しいCMにしたところ、これまでとまったく違うお客様の反応を感じる。エビスは前年より11%伸ばす計画だ」と答えている。

 麻生首相は「新聞は間違ったことを書く」と、新聞を読まないのは漢字が読めない(happy01)からじゃなくて、新聞が発言を正確に報道していないからだと批判したようだ。サッポロビールの社長のコメントも、すべてがきちんと書かれていない可能性はある。だが、もし新聞記事に近い発言があったとしたら、はっきりきっぱり反論したい。「ちょっとぜいたくなビール」が、エビスが長年努力して勝ち取ったブランド・イメージであり、ブランドのポジションではなかったのか? 

 不況で社会の様子が景気の良いころとは変わっていることは事実だ。だが、定額給付金の使い道を尋ねた日本経済新聞の調査によれば、31%は旅行・レジャーに使うと答えている。日々の生活費の補填が27%、ローンの返済が6%、貯蓄や投資が23%となっている。つまり、旅行・レジャーと貯蓄・投資にまわした54%はある程度生活に余裕があるひとたちだ。将来への不安から、洋服やバッグを買うのは控えても、グルメな高級飲食料品を買うお金くらいはある。たしかに、(昔のエビスの広告に登場したシーンのように)高級料亭に通うなど、あまりに目立つ消費をするのには罪悪感を感じるかもしれない。だったら、、小泉今日子に「(いろいろあるけど)たまには、ちょっとぜいたくなビールを飲もうよ」と言わせればいい。あるいは、「ぜいたくなビール飲んでもいいかな? いいよね?(許されるよね。だって頑張ってるんだもの)」でもいい。(たまには自分にご褒美あげて、そして、明日から頑張ろうよ!)と、不確実な社会に生きる我々日本国民にエールを送るメッセージにすればいい。

 「ちょっとぜいたくなビール」はエビスのブランド・スローガンだ。長寿ブランドは、よほどのことがなければ、ブランド・スローガンを変えないものだ。1965年に発売されたオロナミンCは「いつもハツラツ」だし、1962年発売のリポビタンDは「ファイト・一発!」。1926年発売で最も長寿なのは「チョコレートはめ・い・じ」・・・だ。ブランドスローガンを変えるということはブランド・イメージやブランド・ポジションを変えることであり、それは、ブランドを保有する企業にとっては非常に重大な決断のはずです。景気がよくなったら、「ぜいたくヴァージョン」に変えればいいなんて、まさか、まさか、そんな軽いノリじゃないとは思うけど・・・・。

 サッポロビールが今回したことは、マーケティング史上の大失敗のひとつに挙げられるコカコーラの失敗を思い出させる。コカコーラは生誕100年を迎えた1985年4月に、コーラの味を変え「ニューコーク」として発売した。これに対して、消費者が大反対運動を起こし、結局、3ヵ月後には、元のコークを再発売するハメになっている。なぜ、こういうことになったかとえいば、ライバルのペプシが60年代にヤングなイメージを強調したキャンペーンを展開し、コカコーラを年寄りが飲むコーラだと消費者に思わせるのに成功した。なおかつ70年代後半には「ブラインド・テストで味比べをすると大半のひとがペプシのほうがおいしいと答える」というキャンペーンを始め、コカコーラの市場シェアが徐々に侵食されるようになってきた。あせったコカコーラ経営陣は、「消費者の味覚が変わったのかもしれない」と考え、新しい味のコークを発売したのです。

 コカコーラのNo.1の地位に迫りくるペプシ・・・この図式は、エビス対サントリーのザ・プレミアム・モルツの関係にちょっと似ている。プレミアムモルツに比較して、エビスは「おじさんが飲む高級ビール」のイメージになっていることがエビスを不安にさせたかもしれないとしたら、この点も、ペプシ対コカコーラの対決に似ている。いずれにしても、ザ・プレミアム・モルツは積極的な広告投資が効いて、2008年には前年対比で21%と売上を伸ばし、反対にエビスの売上は9.7%減少してしまった。経営陣としてはあせったと思います。

 コカコーラはニューコークを出す前に、むろん、大規模な消費者調査をした。そして、後から分析すると、消費者は味を変えることに反対していたことを示唆するようなデータもあった。が、問題は、調査をする前から、コカコーラの経営陣は、「味を変えないとペプシには勝てない」というメンタリティに陥っていたことだ。よって、変えることを支持するようなデータばかりに注目してしまったのです。こういった行動経済学でいうところの確証バイアスは消費者調査にはよくあることです。

 2008年にプレミアム・モルツが勝ったのは、ただ単に、広告投資を多くしたからだけかもしれない。そして、エビスビールの売上が今度のキャンペーンで上がるとして、それは、ただ単に、積極的に広告投資したからだけかもしれない。資生堂のツバキが大々的にマス広告を展開して市場シェアを増大したように・・・。問題は、キャンペーンをやめた後のことです。

 コカコーラは、「味を変えることへの反対運動」騒動のおかげで、アメリカ市民がコークのブランド価値に目覚め、「瓢箪から駒」で、陰がうすくなっていたブランドをよみがえらせるという幸運な結果を手に入れることができた。エビスはどうでしょうか? 消費者がエビスはぜいたくなビールだということを忘れてしまわないうちに、スローガンを復活することを切に祈ります。

 続いて・・・

 サッポロビール社長が言うところの「この生活防衛の時代」には、「エビスは時間をおいしくします」なんてまだるっこい曖昧なメッセージではなく、安心感を与える強いメッセージを送ることの必要性について、書いてみます。

 博報堂生活総合研究所調査(2008年12月発表)によると、不安に感じている日本人は74.2%でこれは過去最高だそうだ。「不安」という感情は「恐れ」という感情に関係している。人類の祖先である二本足で歩いた猿人が登場したのは400万年前ごろではないかといわれている。そのころにはすでに発達していただろう基本的感情には4つあるといわれる・・・1)恐れ、2)嫌悪、3)怒り、4)親が子供に感じる愛。こういった感情が発達したのは、当時の猿人たちの脳(大脳辺縁系)にとっての関心事は、1)生存することと 2)子孫を増やすことの2つだったから・・・。たとえば、「恐れ」の感情は肉食の大きな動物の危険を察知して逃げるために、そして、「(ムカムカするような)嫌悪感」は身体に毒になる食べ物を体内にいれないために必要だった。

 「不安」という感情は「恐れ」の前段階だ。たとえば、狩をしていたら背後でゴソゴソ音がする。もしかしたら、自分たちを襲おうとする野獣?それとも風で揺れる木の葉?いやもしかしたら、毒ヘビかも? 恐れるべき正体がはっきりしないから、逃げるべきか、「怒り」を感じて攻撃すべきかわからない。だから、足がすくんで動けない・・・これが不安の状態だ。

 現在の経済危機下にある消費者は身がすくんだ状態にある。だから、安全な巣である洞窟にこもる。こういう状態にある消費者に企業がすべきことは、「大丈夫だよ、ただの風の音だよ。安心して外に出たらいい」とか「外にライオンがいる。でも、きみなら大丈夫。他のみんなと力をあわせればライオンをきっと倒すことができる」と肩をポンと押して足を一歩踏み出させてあげることだ。

 こういう時代だからこそ、心強いメッセージを頻度多く送ることが重要だ。消費者は身がすくんだ状態にずっといたいわけではない。肩を押してくれる誰かを待っているのだ。その誰かになれれば、消費者とその一瞬だけでも感情的につながったことになる。不況は長寿ブランドを確立するビッグ・チャンスなのだ。「このご時世に『うんとぜいたくなビール』と思われた反省はある」というサッポロビール社長のコメントからは、どこか不安と弱気が感じられる。弱気になった企業には心強いメッセージは送れない。

 ぜいたくに思われていいじゃん。だって、それがエビスの売りなんだもの。

 1929年に始まった大恐慌に成長した企業は、マーケティングNOW4で書いたように、「不景気などまるで存在していないかのように、一般大衆が消費できるお金を以前と同じくらい持っているかのようにふるまった会社」なのだ。きっと、消費者は、そういった態度をとる会社からのメッセージに安心感を感じとることができたからだと思う。

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参考文献:1.「小規模でも魅力ある商品を」日本経済新聞2/5/09、2.「定額給付金、使い道は」日本経済新聞1/29/09、3.リタ・カーター「脳と心の地形図」原書房、4.スティーブン・ピンカー「心の仕組み」日本放送出版協会、5.ルディー和子「マーケティングは消費者に勝てるのか?」ダイヤモンド社

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2009年3月 2日 (月)

ノキア「ヴァーチュ」と不況下の価格戦略 

Stnd007sノキアの最高級ケータイ・ブランド「ヴァーチュ」銀座店が2月19日にオープンした。端末価格は最低でも67万円。最も高いので600万円・・・だとか24時間対応のコンシェルジェ・サービスが話題になっている。コンシェルジェといっても、ドコモのようにヒツジさんメールじゃなくて、人間のシツジ(執事)が電話口に出てくる。もっとも、2002年に欧米で発売されたときには、「こんな高いケータイを買うようなひとだったら、秘書とか部下とか召使とかいっぱいいて、レストランの予約だろうと奥さんに花を贈る手配だろうと何でもしてくれるはず」とコメントするアナリストもいた。でも、「ナイショの愛人に花を贈る手配は、自分でこっそりヴァーチュのシツジに電話する」こともできます。

 さっすが、金持ちのやることは違う。

 「日本は世界で最大の市場になるだろう」というヴァーチュ側のコメントはリップサービスかと思ったがそうでもないらしい。ファッションや時計などの高級製品における日本の市場規模は世界の18%を占め、アメリカについで第二位だそうだ(インターナショナル・ラグジュアリー・ビジネス・アソシエーション調査)。直営店としては19件目となる日本第一号店がオープンして最初の週末・・・来店客の9割は男性だったという。なぜか「時計好き」の遺伝子をもつ男性陣をひきつけることはできても、宝石好きの女性の間ではいまいち話題になっていないようだ。海外で発売されたときには、女優のグウィネス・パルトロウがまっさきに買い、歌手のジェニファー・ロペスは3つも持っている。マドンナやマライア・キャリーもファンだというウワサがありましたが・・・。

 ヴァーチュの売上は公表されていませんが、フィナンシャルタイムズの2008年6月の記事によると、世界市場で一年間に100万個から200万個売れているそうです。

 ノキアは、日本市場においては、フツーのケータイ端末の販売を2008年11月で終了している。海外では「ノキア、日本市場から撤退」と報道されたが、価格競争の厳しい日本の端末市場で利益率の低いあるいはほとんど利益の出ない端末を売っても仕方がない。それよりは、140万人いるという富裕層セグメントにターゲットを絞り、超高級端末を売るという賢い選択をしたわけだ。高級端末を取り扱っていれば、ノキアのブランドイメージや知名度は高いまま維持できる。そうすれば、いつか、また、日本の市場環境が変わったり、ノキアが革新的新商品の開発に成功したときにカムバックすることもできる。

 不確実な時代において、高級・高額品と低額品と両方の価格帯の商品をあわせ持つことは、企業の生存を左右する重要な選択だ。最近の決算発表で話題になった「不況でも利益を出した企業」の多くは、この「高低二段構え価格戦略」を採用している。

 たとえば、サントリーとマクドナルド・・・

 サントリーは低価格の第3のビール「金麦」をヒットさせた。また、2008年前半に他社がビールの価格を上げたときに、缶ビールは秋まで価格据え置きをして追随しなかった。これだけみると、サントリーは低価格戦略をとっているように思える。が、高額・高級ビール「ザ・プレミアム・モルツ」もヒットさせた。2008年、すべてのビール銘柄のなかで、前年対比で売上を伸ばしたのはサントリーの「ザ・プレミアム・モルツ」唯一つだけだ。21%の成長を達成している。佐治社長は「ブランド価値を高めるために、あえて積極的に広告費を投入した」と語っている。

 これは、アメリカの大恐慌やそれ以降の不況時に成長した企業が採用した戦略と同じだ。不況時に競合他社が広告宣伝費を削減するときに敢えて積極的に宣伝することによって、ブランドイメージを向上し市場シェアを増やす(マーケティングNOW第4回『大恐慌時代のマーケティング戦略』参照)。高級ビールの代名詞だったエビスの売上は2008年には9.7%減少している。このまま手をこまねいていたら、今回の不況が終わるころには、プレミアム・モルツに取って代わられてしまうことだろう。

 マクドナルドは100円商品の低価格戦略だけで利益を上げるのに成功したわけではない。100円コーヒーやバーガーを揃える一方で、ダブルだと490円もするクォーターパウンダーも販売している。そして、重要なことは、高額品クォーターパウンダーを広告宣伝すればするほど、100円商品の割安感が出てくるということだ。

 ネスレも同じような戦略をとっている(小売とメーカーのバトルロワイヤル第7回、『ネスレはマシンで勝負する』参照)。ネスプレッソという高級・高額ブランド・コーヒーを広告宣伝することによって、コーヒーメーカーとしてのネスレのブランドイメージがあがり、ひいては、スーパーで販売しているネスカフェブランドの価値が上がる。よって、ネスカフェは安いPBに対抗できるし、小売店からの値下げ圧力に(ある程度)抵抗できる。

 不況時には高額品と低額品、両価格帯(場合によっては、中価格帯の商品を含めて高中低の3つの価格帯)の商品を売る必要がある。なぜなら・・・

  1. 従来から販売している高額品の売上が落ちたからといって、値下げをすれば、ブランドイメージが下がる。ブランドの知覚価値がいったん下がったら、景気が良くなったからといって値上げすることはできない。
  2. 高額品を愛用していた顧客のなかには、不況時の不安感から、あるいは本当に可処分所得が減ったことにより、愛用していた高額品に類似した価値をもちながらも値段の少し安い代替品を探すセグメントがある。このセグメントが競合他社に移っていかないように、少し値段の安い価格帯のものを発売する。こういったタイプの顧客は、景気がよくなると、また、高額品を買うようになる。だから、顧客の数が減ったからといって高額品の値段を下げることだけは絶対にしてはいけない(この例はハンドバッグとかその他のいわゆるブランド品をイメージしてください)。
  3. 低価格帯の商品を売らなくてはいけない状況になっった場合は、それに対抗するように高価格帯の商品も発売する。そうすれば、1)高価格帯の商品を広告宣伝することにより、低価格品の知覚価値を向上できる、2)結果、低価格帯の商品の割安感が出てくる、3)低価格商品をいくら売っても利益が少ないかほとんどない。それを利益性の高い高価格商品で補うことができる。

 P&Gは2009年2月に乳幼児用紙オムツで一枚当たりの価格が通常品より6割も高い高級紙オムツを発売した。オムツ市場は、2008年12月にユニチャームが実質値下げに踏み切り価格競争が厳しくなっている。高級品を出すことによって、1)P&Gのオムツのイメージが上がり、低価格品の値ごろ感が増す。また、2)よぎなく低価格品の値下げに踏み切ることにした場合でも、高級品が利益に貢献してくれる。

 このように、低額品と高額品と二つを揃えることにより、ブランドイメージ、知覚価値、割安感・・・などを戦略的に操作することができる。これが、不況のときに好況のときを考え、好況のときに不況のことを考える・・・つまり不確実な時代に合った価格戦略だ。グッド/ベター/ベスト(Good/Better/Best)の売り方は、19世紀末にカタログ販売を始めたシアーズが考案したものだという。日本でも、おすし屋さんでは、特上、上、並という売り方をしているが、これは、消費者心理を上手に利用した価格づけなのだ。

 消費者は価格と価値をそれぞれの絶対的値で比較して「割安」だとか「値ごろ」だとか判断しているわけではない。あくまで、他のなにかと比較してヒューリスティックに判断しているだけだ。比較対照となる参照価格は、「以前の価格」、「競合他社の価格」、「同じブランドの高中低の価格」・・・ということになる。企業は価格は市場が決めるもの、だから自分たちにはコントロールできないものだと思い込んでいるところがある。「値ごろ感」は消費者が感じる感覚だと思っているふしがある。

 とんでもない。

 「値ごろ」だと感じさせるのは、ある意味、マーケティングの技である。値ごろ感を感じさせるために、比較対照となる高価格帯の商品を強調したり、反対に低価格帯の商品を強調したりする。そして、いずれの場合も、高級品を広告宣伝することで、低価格品の知覚価値を向上させる。

 消費者の買い控えが顕著になると、商品の値段を下げたくなるのは、経営者の本能的選択である。つまり、消費者がヒューリスティックに購買決断をしているとしたら、同じ人間である企業の意思決定者たちも、「安ければ売れるだろう!」あるいは「こんな時代には安くするしかない」とヒューリスティックに決断しているだけだ。

 買い控え問題を解くカギは低価格だけではないはずだ。 

 最初のノキアのケータイの話に戻ります。ノキアは新興国では電話をするだけの単機能の低額品を販売している。もっとも、インドで最も売れた機種は、目覚まし時計、ラジオや電卓、そして懐中電灯付きのものだ。電気の通じていない村、そして都市部でも停電が多いことを考えると懐中電灯機能付きのケータイは非常に便利なのだ。そして、重要なことは、こういった低価格の機種からヴァーチュのような高級品までを揃えることによって、消費者は自分の所得が増えるごとに機種を変えていくことができる。これはある意味、夢のあることだ。ヴァーチュを使っているセレブの記事を読むたびに、一般市民は憧れを感じ、自分もそれに近づきたい、あるいは近づいているという喜びを感じることができる。それが、ノキアのブランドイメージを上げ、ブランド価値を高める。そして、ノキアは顧客を長期にわたって維持していくことができる。

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参考文献: 1.「自分を捨て「新星」をはぐくむ」、日経ビジネス2008年12月22日・29日号、2.「宝飾ケータイ異次元に誘う」、日経MJ2/25/09  3. 「低・高額品の二段構え」日経MJ 1/12/09  4. The Origins of Vertu, The Economist, 2/20/03,  5.  Simon de Burton, Mobile Phones with a Swiss Twist, FT. com 6/13/08 6. How Did Nokia Succeed in the Indian Mobile Market, While Its Rivals Got Hung Up? 8/23/07 Knowledge@Wharton

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2009年2月13日 (金)

ソーシャルメディアの進化心理学 

Stnd007sソーシャルメディア(Social Media)の定義についてはまだ明確に定まったものがないようだ。でも、ソーシャルメディアを使った例を挙げろといわれれば、ブログ、Wikipedia 、SNSのFacebook、 MySpace、 Mixi 、動画共有の YouTube、そして、マイクロブロッギングとSNSのTwitter、仮想世界のSecond Life・・・・・などの名前が浮かんでくるはずだ。

 マーケッターなら一番関心があるのはSNSを使ってのクチコミだろう。TVというマスメディアの威力が落ちているなか、コスト安に数百万人、数千万人にメッセージを到達できる可能性は魅力的だ。ただし、到達数はわかっても、その効果の程度がわからない。効果的な測定方法もわかっていないのが現状だ。クチコミ・マーケティングに注目が集中しているせいか、欧米大手企業のマーケティング担当役員からなるMENG協会の調査(2008年10月)によると、会員の75%が「ソーシャルメディアはユーザー間の会話に基づくメディアである」という定義で満足しているそうだ。

 日本では、携帯電話で「リアルタイム日記」と呼ばれる簡易ブログを使って、1・2行くらいの短い「ひとりごと」や「つぶやき」を書き込む女子高校生のことが話題になった。アメリカでも、FacebookTwitterを使った若者同士のコミュニケーション、とくに、自分の一挙一動をリアルタイムに絶え間なく書き込む行為については、「そういうことをする意味がとんとわからん」と「大人」たちが悩ましげに首を振っている。

 だが、こういったデジタル・コミュニケーションに関する記事のなかには、大人たちからみた「無意味さ」に重要な意味を見出そうとする内容のものもある。

 まず、「進化心理学者はソーシャルネットワーキングについて何を語っているか?」と題された記事を紹介しよう(参考文献1)。進化心理学は、限りなくサルに近かった我々の祖先たちが、アフリカの大草原で生存するために獲得したメンタリティを研究することで、現代の我々がなぜそう感じなぜそう行動するのかを理解しようとする学問だ。たとえば、英国の人類学者であり進化心理学者としても有名なロビン・ダンバーの本(日本語訳は「ことばの起源-猿の毛づくろい、人のゴシップ」青土社)には、ゴシップ(うわさ話)の起源は毛づくろいにあるという説が展開される。

 旧石器時代に登場したサルに近い我々の祖先にとって、グループのなかにおける自分の「位置」を知っていることは生き残るための必須条件だった。グループのメンバー同士の関係、たとえば、誰と誰がセックスし、誰と誰が仲良しで、誰と誰がケンカしたといった情報を知っていることは、組織のなかで生存し、自分の地位を維持し、あるいは権力の階段を上がっていくためには欠かせない知識だった。それがゴシップ(ウワサ話)の始まりだ。だが、当時、彼らは、まだ言葉を持っていなかった。言語が生まれる前にゴシップはどう伝達されたのか? 互いに毛づくろいすることによって情報が伝達された・・・とダンバーはいう。いまでもチンパンジーは互いにシラミをとりあうのに一日の20%を費やすという。毛づくろいは太古の昔のソーシャルネットワーキングなのだ。

 だが、ある時点になると、グループのメンバーの数が余りに大きくなりすぎて、いかに元気で出世意欲マンマンの若手でも、メンバー全員の毛づくろいをすることが不可能になった。それが言語の始まりだ。言語が生まれたのは50万年から100万年くらい前。きちんとした話し言葉が使われるようになったのは25万年前だといわれる。言語によって情報交換できるようになったおかげで、情報は早く伝達されるようになったし、また、同時に多人数に伝えることもできるようになった。

 つまり、人間のゴシップ好きは祖先の祖先である猿人から遺伝的に受けついだものなのだ。

 この観点からMixiとかFacebookとかいったソーシャルネットワーキング・サービスにおける友人の数を調べてみると面白い。

 ダンバーによると、言語が生まれる前の人間たちにとって適切なグループの規模は50人(ヒヒやチンパンジーの群れのサイズと同じ)くらいだったが、言葉が生まれることによってこれが150人ほどまで増大したという。150人は新石器時代の村の規模だが、この数は、いまでも、ひとつの組織(たとえば、軍隊や企業内の機能単位)に適切なサイズだと考えられている。つまり、グループ内のメンバーがほどよく適当に接触できる最適規模は、過去1万年の間、まったく変化していないのだ。

 しかし・・・・だ。ネット上で最も社交的な人間は、数百人、いや1000人を「友人」として持っている者もいる。もっとも、よくよく調べてみると、「友人」の中身は2つに分かれていて、親密な「友人」グループの数は余り変化しない。が、それ以外の「弱いつながり」のゆるやかな関係にある知人の数は制限なく増える。それが、「友人」1000人の実態なのだ。ネットワーク理論によれば、この「弱いつながり」というのが、ある意味、非常に役立つネットワークとなる。なぜなら、親密な「友人」は社会的階層、職業、趣味などで共通している点が多く、結果、自分の友人の友人のそのまた友人が自分の友人だった・・・ということが多い。だから、たとえば、仕事を探しているとして、親密な「友人」ネットワークに「誰かコネを紹介してくれ!」とメッセージを送っても、紹介された人物を自分はすでに知っていたとか、同じ人物を紹介されるとかいうことになる。反対に、「弱いつながりの友人たち」にメッセージを送ったほうが有力な情報が得られる確率が高い。クチコミによる流行においても、「弱いつながり」が存在しないと流行には至らないことが理論化されている。

 ・・・ということは、我々人類は、テクノロジーの助けを借りて、グループの効率的規模を増大することに成功したといえるのか? いやいや、「弱いつながり」であるゆるやかな関係においては、メッセージの伝達スピードや広がりは偶然に左右されることが多く、それを自分が効率的に管理運営できるグループだとみなすことはできないだろう。しかし、「弱いつながり」ネットワークにおけるメッセージの伝達とその結果(効果)を数値化できるようになれば(つまりクチコミの管理ができるようになるということだが)、それは、マーケティング上の革新的進歩であるとともに、人間が過去1万年の間に超えることができなかった限界を超えたということになるのではないだろうか・・・・?

 ちなみに、「Journal of Computer-Mediated Communication」に2008年に発表された調査結果によると、アメリカの大学生はFacebookで友人の数が302人と申告している人間が交際するには最もクールな相手だと見ているようだ(Facebookで、友人の数以外はまったく同じプロフィールの人間が紹介され、誰が社会的に最も魅力的に思えるかのランクづけをしてもらったのだ。友人の数は102、302、502、702、902人となっていた。302人より上になるとSNS依存症と思われ、302人以下は社会的対応能力のないやつとみなされた)。少なくとも、大学生たちは、自分たちが無理なく取り扱うことができるグループの数は150人を超えていると考えているようだ。

 (2006年に実施された日本のMixiに関する調査(参考文献5)では友人数は平均81人となっていたが、Mixiモービル利用の若い世代だけを対象にした調査ならもっと多くなっていたかもしれない。SNSの友人数というわけではないが、2004年に博報堂が実施した「首都圏に住む10代後半の男子」を対象とした調査では、ケータイの登録人数の平均は71.66人で、350人という例もあったという)。

 紹介したいもう一つの記事は2008年9月にウォールストリートジャーナルに掲載されたものだ(参考文献2)。ここでは、FacebookやTwitterにおける友人関係を「大人」たちが実際に数ヶ月間経験してみて、若者たちがなぜ魅了されるのか、なんとなく理解できたという経験が記されている。

 「まるで、小さな村の人間関係が再現したようだ」・・・・と、SNSを利用し始めたジャーナリストはコメントしている。Twitterで自分がいま何をしているか短いメッセージを継続的に書き込む。もちろん、それをきちんと時系列で読む友人はいないかもしれない。だが、「風邪をひいたみたいだ」という10日ほど前に書いたコメントをなにげなく見ていた友人がいて、その後のコメントをなんとなく気にしていて、最近書き込みが少なくなったような気がしたからと、「どう?風邪のぐあいは?」とメールしてくる。あるいは、場合によっては、家まで見舞いにきてくれるかもしれない。実際、その友人とは一年ほど会ってはいなかったのに、互いにネットを通じて、なんとなく相手の動性がわかっていたので、一年間の無沙汰などなかったように、すぐに話が通じる。こういった絶え間のないコンタクトが生む意識は、「ambient awareness」だと説明される。

 ambient awareness・・・なんとなくまわりの空気とか雰囲気といったものに気がつく、あるいは意識する・・・といったような意味。

 たとえば、アガサ・クリスティの探偵小説シリーズ「ミス・マープル」を思い出してしください。ミス・マープルが住んでいる小さな村では、誰もが他の誰が何をしているのかなんとなく知っている。退役軍人Aはいつも9時には家を出て一時間散歩する。未亡人Bは毎週水曜日にはパン屋でパンを買う。だから、未亡人Bが水曜日にパン屋に通じる道を歩いていなかったら何かおかしいと気づく人たちが幾人かいる。あるいは、また、その村に生まれ育った男がいたとすれば、その子が三歳のときに隣の女の子にケガをさせたとか、6歳のときに川におぼれそうになったとか、彼の半生についての情報を知っている人間がたくさんいる。

 同じようなことがSNSで起こっている。ネットが存在しなかったころと比較すると、いまでは、一度知り合ったら縁が切れるということがない。小学一年の同窓生とフェースブックで再会して、その後、相手の書き込みを時々なんとなく読んだりしているから、互いになんとなく相手の生活がわかっている。出張先で知り合ったビジネスマンも、いったん「友人」の中に入れば、一生ある程度の弱い関係は維持される。

 100人~300人くらいの「友人」たちと、絶え間なく、Ambient Awarenessの関係を保つ。Ambient Awarenessには、日本語でいうところのKY空気を読む」と共通点があるかもしれない。互いに相手の空気を読むことができる関係を多くの友人たちと築くことができる。「友人」同士は、空気を読んでタイミングよく適切な内容で連絡する。こういった関係では、昔の「わずらわしいこともあるけれど淋しくはない村の暮らし」が再現される。SNSの人気は社会的孤立への反動だとウォールストリートジャーナルの記事は主張する。

 「いまの世代は友人との関係が切れるということがありません。これは歴史的にみてごく普通のことなのです・・・人類の歴史をたどれば、転々とした人生を送り、新しい関係から新しい関係へと放浪を続けるということは、非常に新しい20世紀特有の現象なのです。・・・心理学者や社会学者は人間が都会における匿名の存在に適応することができるかどうかを問題にしてきました・・・・」 。が、ネットの登場によって、歴史が逆戻りしはじめている。

 日本でも、「ネットを通じてしか関係性を持てない若者たち」的見方しかしない「大人」が多い。が、こういった観点から見直してみると、なんだかまったく明るい・・・というか牧歌的人間関係の未来がみえてくる。

 もっとも、それを、進化とみるかどうかはむつかしいところだ。産業革命後の一世紀のうちに増大した社会的孤立や都会におけるわびしい個人の存在から、テクノロジーを使いこなすことで脱却し、昔の村の生活をとりもどす若者たち・・・果たしてこれを「進化した」と形容することができるだろうか? それとも、結局、我々21世紀の人間は、石器時代の祖先のおサルさんたちと比べて精神的にはなんら進化していない・・・とみるべきなのか?

 いずれにしても、ソーシャルメディアの登場は、マーケティングにおいても、テレビが発明されたのと同じくらい非常に重要な出来事であることは明らかだ。最初にあげたMENG協会の調査でも、会員の67%がソーシャルメディアをマーケティング目的に利用することにおいては初心者だと答えながらも、同じく67%が2009年には予算を増大すると答えている。多くの企業は、クチコミの試みはいまだヒットする場合と失敗する場合があり、その試みのなかに規則性を見出すまでに至っていない・・・と答えている。

 ミス・マープルは、小さな村のゴシップとAmbient Awarenessを利用して殺人事件を解決した。同じように、PCかケータイを手に、いくつかのSNSに会員登録をしている人物が、「友人」302人からの情報をもとに、世にも不思議な殺人事件を、部屋から一歩も出ることなく解決する・・・・・そんな探偵小説がいつかきっとベストセラーになるだろうと私は推理します。えっ? もう、とっくの昔に出版されてるって!?

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参考文献:1. Michael Rogers, What evolutionary psychology says about social networking, MSNBC.com, 9/10/07, 2.Clive Thompson, Brave New World of Digital Intimacy, The New York Times, 98/7/08 3. Matthew Hutson, What's the Optimal Number of Facebook Friends?, Brainstorm, 1/28/09 4. Social Media Practices Still in Infancy Stages Says Marketing Executives Networking Group, 11/6/08、5.山内みどり、SNSにおける自己開示度・類似度が対人的魅力に及ぼす効果

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2009年1月29日 (木)

ユニクロのアキレスけん

Stnd007s個人消費が瞬間フリージングしてしまったなか、ユニクロだけが一人勝ちしている。2008年夏にはブラカップ内蔵型キャミソール「ブラトップ」がヒットし、冬になって発熱保温肌着「ヒートテック」が2800万枚完売したという。ユニクロ・ブランドを抱えるファーストリテイリングの株価は上昇して、売上高は5864億円と小売業トップのセブン&アイ・ホールディングスの10分の一だが、時価総額はセブンの2兆2389億円の二分の一の1兆1646億円となっている(読売新聞調べ。1/26/09)。

 不況に悩む企業にとってはうらやましい限りの実績によって、ファーストリテイリング柳井会長&社長は、2008年の「社長が選ぶ今年の社長」に選ばれた(産業能率大学による調査で、回答に応じた経営者365人のうちの20%が、最も優れた経営トップとして選んだそうだ)。文句なしのバンバンザイ状態ではあるが、完璧だといわれるものに欠点を見つけたくなるのが、野次馬根性である。

 ユニクロについて書かれた新聞・雑誌記事を読んでみてください。

 「低価格」で「高品質」。消費者の声を聞きながら毎年、改良とカイゼンを積み重ね、より高い機能を備えた完成品を4・5年かけてつくる・・・・・これって、ファッションブランドというよりは家電製品について書かれた文章みたいじゃありませんか?

  1. ヒートテック」は2003年に最初に発売されたときは発熱・保温だけの機能。それに、抗菌機能や保湿効果を加え、さらに、薄い生地で軽量化を実現した。
  2. ブラトップ」は、「Tシャツ風の服を着るときにブラジャーはつけたくない」という顧客の要望にこたえようと毎年改良を重ねてきた。2008年になってやっと自信をもって提供できる製品ができたので、TVコマーシャルを流して大量販売を開始。
  3. マシンウォッシャブルニット」は「洗濯機で洗っても縮まないセーターがほしい」という要望に答えて開発。2年間かかって2008年12月に商品化にこぎつけた。

  三洋電機が2001年に「洗剤のいらない洗濯機」を発売するまでには4年の年月がかかっている。1997年に洗剤のいらない環境にやさしい洗濯機をつくろうというアイデアが生まれ、99年に超音波で洗うために洗剤が少なくてすむ洗濯機を開発、ついで洗濯槽を斜めにすることで汚れ落ちが数倍高くなることを発見して「超音波斜めドラム洗濯機」を開発。そして2001年、ついに、完成品の販売にこぎつけた・・・・こういった家電メーカーの製品革新手法に、ユニクロ製品の開発物語はよく似ている。

 だいたいにおいて、ユニクロでヒットしているのは、最初のフリースからブラトップ、ヒートテックまで機能中心の衣料品ばかり。柳井社長もインタビューのなかで、「一流メーカーの製品は使い勝手も機能も毎年確実に向上している。技術革新と消費者ニーズの徹底的追及だ。それに対抗できる製品を出せなければ顧客は家電や自動車にいってしまう・・・・」などと語っている。名前を伏せたら、工業製品メーカー経営者の発言だと誰もが思うことだろう。ファッション業界に身をおく経営者とのインタビューだとは推測できない(まったくもって余計なことだけど、柳井社長自身、ファッション業界に身をおいているひとには見えない)。

 カジュアル衣料品分野では米ギャップを抜いて1位になりそうなスペインのザラ(親会社名はインディテックス)も、製造過程をふくめたサプライチェーンシステムにおいては、トヨタ自動車のアドバイスを得てジャストインシステムを採用したという。だが、トレンディなファッションを二週間以内に店頭に並べることを特徴とするザラとは違い、ユニクロという会社には工業製品をつくっているようなメンタリティが感じられる。2000年にフリースが2600万枚売れたあと、過剰在庫の問題もあって業績も下がり、将来の方向性を模索するときがあった。そのときには、製品のデザイン性を高める努力をするということだったが・・・・結局、機能重視の方向に舵取りを変更したようだ。

 衣料品で機能を強調するのが悪いというわけではない。「ブラカップ内蔵型キャミソール」なんて解説は、近未来ゲームでの戦闘服を思い出してしまうけれど、少なくとも、カジュアル衣料品ということで同類視されているギャップ、ザラ、H&Mでは、高機能戦闘服は開発できないだろう。

 日本人は職人気質でコツコツ丹精こめて完璧なモノをつくるのに長けている・・・といわれる。その気質のせいもあってか、日本の工業製品は技術志向になる傾向が高い。ブランドのイメージや個性を築くことを考えるよりも、なるべく低い価格内で高機能を付加しよう・・・と考えてしまう傾向がある。そういった傾向が、ファッションブランドでも発揮されているのがユニクロというブランドだ。

 衣料品に機能が付加されること自体はOKだ。だが、工業製品製造業的メンタリティは諸刃の剣で、ユニクロの弱点でありアキレス腱になりうる。

 「機能」というものは、それがどういったものであるかが具体的に説明できるし理解もしやすい。だから、マネしやすい。柳井社長は小手先だけではマネできるものではないと言っているが、日本の家電やエレクトロニクス製品メーカーだってかつてはそう思っていた。

 機能は新興企業や競合企業も目標として掲げやすい。あそこの製品より高機能なものをあそこより安く売るという目標は、具体的なぶん、達成しやすい。ソニーやシャープ、NECが開発製造した高品質・低価格製品を超えるモノをつくれるメーカーが国内外から登場したように、ユニクロ人気が続けば、必ず、競合相手が出てくる。そして、消費者が知覚できる品質の違いには限りがあるから、結局は、低価格競争になる。これは、工業製品の宿命だ。

 家電製品でいえば、英国ダイソンやデンマークのバング&オルフセンはデザイン性を強調することで、他社との差別化をはかり価格の高い製品を販売することに成功した。ファーストリテイリングも、2010年までに連結売上高で一兆円達成の目標を達成するためには、機能中心の低価格で工業製品的衣料品ブランドを販売しているだけでは無理だろう。高級ファッション・ブランドを持たなくてはいけない。もちろん、そんなことはわかっているから、ファストリは世界市場に通用するブランドを買収しようとしているわけだ。2007年にはバーニーズ・ニューヨークを買収しようとして中東系ファンドに競い負けした。が、今回の経済危機はユニクロにとって大きなチャンスだ。潤沢な現金をもとに、割安な値段でヨーロッパの高級ファッションブランドを買収することができる可能性は非常に高い。

 そして、そのブランドをファーストリテイリングの工業製品製造業的メンタリティ(企業文化といってもよいかもしれない)で染め変えようとしない限り、一兆円どころかもっともっと成長することができるだろう。不況に強い機能重視の高品質で低価格のユニクロと、好況時に利益をもたらしてくれる高級高価格ファッションブランドの2つを持てば鬼に金棒。好況・不況の景気サイクルが短期化する不確実な時代で持続性ある成長をとげていくことができる。

 ところで、ユニクロって、アジアはべつにして、北米やヨーロッパでも人気が出るブランドなのだろうか? クールジャパンのイメージでいけば、ユニクロよりは「MUJI無印良品」だ。禅やミニマリストの哲学を表現した製品だと受け取られている。つまりブランドのイメージや個性が認識されているということだ(もっとも、欧米では衣料品よりは日曜雑貨のほうが人気があるらしい)。ユニクロのような機能的衣料品は通信販売のほうが売りやすいかもしれない。

 だいたいにおいて、ヒートテックのような防寒肌着って西欧人に売れるのか? どちらかというと暑がり体質で日本人のように冷え性のひとって余りいないのでは?・・・と思っていたら、あにはからんや。いま、アメリカでヒットしているのが「袖のついた毛布のスナギー」。修道院の僧衣のような形の毛布で、10月にテレビ通販で発売され、3ヶ月で400万枚売れ、中国での製造がまにあわなくて、現在では注文してから4~6週間待たされるらしい。「スナギー Snuggie (Snuggleというのは,暖かさとか愛情を求めて寄り添うとか気持ちよく横たわるといった意味)」は読書用電灯がおまけについてわずか$19.95。家でそれを着ながらソファーに寝っころがってテレビをみたり読書したり・・・不況で巣ごもり状態になっている消費者にはぴったりだというわけだ。しかも、暖房の温度を下げて暖房費を節約できる。

 スナギーってどんなものか知りたいかたは、下のページにアクセスするとTVショッピングのビデオが見られます。https://www.getsnuggie.com/flare/next

 念のために強調しますが、以上のコメントはユニクロを批判しているわけではありません。ユニクロがファッション・ブランドとしては非常に稀有なブランドだということ、そして、ユニクロをつくった企業メンタリティがあるとしたら、それが、果たして高級ファッション・ブランドとあいまじわることができるかどうか?・・という疑問を投げかけてみただけです。そして、最後に付け加えます。私もヒートテック愛用してまーす! 冬の初めに買ってみてよかったので、もっと買おうと再度お店を訪れたら、もう、私のサイズはありませんでした。来年は早めに買いにいきまーす!

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参考文献:1.「ユニクロ方式寒さ知らず」 読売新聞1/26/09. 2.「ユニクロ快走どこまで」、日経新聞 10/3/08、3、 「衣料、ユニクロ一人勝ち」 日経新聞 8/25/08, 4.Jack Neff, Marketing's New Red-Hot Seller: Hunbule Snuggie, AdvertisingAge 1/26/09 5. Kerry Capell, Zara Thrives by Breaking All the Rules, Business Week, 10/9/08

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