2010年4月11日 (日)

フェースブックも楽天も「同じ釜の飯」は無料 

 春です! 4月です! 新入社員です!

 ・・・・というわけで、組織マネジメントについて書いてみたいと思います。

 NHKの「サラリーマンNEO」って番組見たことがありますか? 木曜夜。シーズン5が4月8日に始まったばかりです。この番組では、2005年から、「世界の社食」シリーズが放映されています。記念すべき第1回は、もちろんGoogle。だって、グーグルの社食は世界一グルメでしかも無料(タダ)。本社(Mountain View)に散在している18件のレストランは、伝統的アメリカ料理とかエスニック料理とかスシとか・・・テーマ別になっている。そのうえ、いつでも手軽にスナックやコーヒーを飲み食いできるコーヒーカウンターが、社内に40件以上もある。朝、昼、晩、いつでも好きなときに、料理本まで出している有名シェフ(グーグルの社食を調理しているから有名になった・・・ともいえるけど)がつくった食事をタダで食べられる。

 問題は経費。2009年には毎日18000食が提供されたというけど、その費用はいくら? 2007年にワシントンポストの記者が、一人一日10ドルとして一日当たり10万ドルは使っているだろうと計算している。 

 この莫大な経費が負担になって、2008年には、さすがのGoogleも無料社食を止めるのではないかというウワサが流れた。1)景気の悪化、それと、2)社員がグルメの誘惑に負けて体重過多になり健康も悪化・・・などとジョークまじりの(でも、マジに、新入社員はあっという間に5kgは太るらしい)ニュースが流れた。同じシリコンバレーの有名企業シスコが、ミネラルウォーターや清涼飲料水を無料で社員に提供する制度を、経費節約ということで、2008年に中止した(それまで年間2000万ドルかかっていた)。そういう背景もあって流れたウワサだが、グーグルに関しては、ただのゴシップで終わったようだ。

 不安定な経済環境にもめげず、2009年になって、Googleに負けないくらいのグルメ社食を無料提供し始めたのがFacebook。著名シェフをグーグルから引き抜いたくらいだ。

 シリコンバレーの企業が社食にこだわるのは、社員が長時間働くことを促すためだという声もある。長時間働かせるというのが搾取的に聞こえるなら、「従業員が仕事に集中できるようにするために会社ができることは何か?と考えたら無料でかつグルメな(高品質でバラエティに富んでいて飽きさせない)社食になった。もちろん、(従業員が食事をするために外出して帰ってくる時間を考えたら)生産性向上にも貢献する」とフェースブックの広報担当者は語っている。

 生産性の向上という観点からみると、工場をもつ製造業にとって社員食堂は大切。NHKサラリーマンNEOの「世界の社食」でも、中国の太陽電池メーカーの24時間フル稼働の工場では、8時間勤務は1食、12時間勤務だと2食がタダになる。インドのタタ自動車の工場でも食事は無料。日本でも、社員食堂を設置している企業は製造業が多い(2008年10月産労総合研究所調べによると、全国3000事業体のうち35.3%が社員食堂を設置。このうち、製造業57.0%で非製造業の23.4%よりかなり高くなっている)。

 生産性向上といっても、フェースブック、グーグル、そして日本では楽天とかソフトバンクのようなIT系サービス企業になると、どちらかというと、数字では表現しにくいアイデア創出とか創造性を促すために社食が利用されている。たとえば、フェースブックでは、エンジニアが集まって夜を徹してワイワイガヤガヤしながら、通常業務ではできない、何か新しいプログラムやプラットフォームを開発するハッカソン(hackarthon=hack《プログラムの開発・改良》 + marathon《マラソン》)を定期的に実行する。こんなとき、深夜3時でも夜食を食べたり、朝食を食べられる・・・と書くと、「だから社食は便利」と続く文章になってしまう。が、本質は、便宜性のよしあしよりも、仲間といっしょに飲んだり食べたりしながらワイワイガヤガヤするところからアイデアがひらめくということが大事なのだ。(もっとも、社員の大半が20代だからできる完徹だけどね)

 楽天も2007年に六本木ヒルズから品川楽天タワーに移ってから、社員食堂は握りずしのような一部メニューを除いて無料。楽天タワーには約2500人が勤務しており、一日計3100人が利用。日経MJは、昼食の食材費だけでも年間約2億円。人件費などをいれても約3億円かかっているのではないかと見積もっている。それでも、全社員3300人(2008年2月現在)に年間10万円支給するより社員の満足度は高いはずと判断したようだ・・・と書いている。

 たしかにそうだろう。若手独身社員は朝食目当てに早く出勤するようになり遅刻が減った。また、他の社員と話す機会がふえた。めったに会えないトップ経営陣と会えるチャンスもある・・・等々。2005年ごろから、社食のメリットを見直す企業は多くなっている。

 たとえば、ソフトバンクは、無料ではないが、本社の巨大食堂は娯楽施設もありイベント用のスペースもある。東京湾の花火を見たり、福岡ホークスの野球をみんなで応援したり、社員がいっしょになってワイワイガヤガヤできるようにつくられている。リクルートも社内コミュニケーション促進を考えて、2008年に9年ぶりに社食を復活させた。

 昔からのことわざに「同じ釜の飯を食う」とあるように、「食事を分け合った」仲間は信頼できるのだ。もともと、英語で仲間とか会社という意味のcompanyの語源はラテン語でcum(と共に) panis(パン)、つまり、パンと共に(食事をしながら)という意味なのだ。信頼できる仲間になるには、まず、いっしょに食事をしなければいけないということだ。

売り方は類人猿が知っている」にも書いたが、人類の祖先である霊長類はもともとは果物とは葉っぱとか木の実を好んで食べた。だが、気候の寒冷化が進んだ結果として、森から出て、狩をして肉食をするようになる。肉は腐るから分かち合う必要が出てきた。また、狩は男のほうが上手にできるために、男が獲物をとり、それを、ある程度の期間持続的関係を持つ女や、その女との間にできた自分の子供に分配するようになる。つまり、食べ物を分け合う最小単位として「家族」が誕生したのだ。

 世界中のどの文化においても、一緒に食べることは、その集団に属しているという帰属意識を表している・・・と人類学者はいう。ということは、楽天の三木谷社長が、タワー13階にある社員食堂について「従業員は家族のようなもの。(だから)家にいるような居心地のよい空間にした」と語ったのは、まさに、的を射ていることになる。

 いっしょに食事を分け合って食べることで「家族」という集団の最小単位が生まれ、食卓での会話から伝説がつくられ(ひいおじいさんは、呉服屋の小僧の時代にタバコを我慢して貯めた金で土地を買った。それが、いまのXX不動産会社のはじまりだ)、ジョークが語り継がれ(製糖会社に勤めていたおじいさんの弟は、砂糖の売上をふやすために、コーヒーに砂糖を10個いれて、かきまわさないようして上澄みだけ飲んだ。甘くなりすぎるとか言っていた)、そして家族の価値観で外の世界を査定するようになる。 つまり、家族のアイデンティティや文化が構築されたということだ。

 企業のアイデンティティや文化も同じようにしてつくられる。だから、最近、社員食堂の重要性が再認識されているのだ。

 社員のチームワークを尊重する企業についての記事を読んでいると、たとえ、それが外国企業でも、「日本式チーム経営を採用している」と「日本式」とか「日本的」とか形容されることが、いまだに多い。しかし、現実的には、チームワークを促進するために様々な仕組みを工夫しているのは、いまは、日本よりも海外の企業のほうが多いかも? もともと、シリコンバレーには社員を大切にする伝統があった。1939年に設立されたヒューレット・パッカード社は50年代には、結婚したり子供が生まれた社員にギフトを贈ったり、無料のコーヒーやスナックを提供したり、家族も招待したピクニックを開催した。こういった社員のロイヤルティを啓発する方法は、H.P.Way(H.P方式)とよばれていた。社員が満足すれば生産性が向上するという考え方は、シリコンバレーの新興企業にも受継がれており、これがカジュアルフライデー(職場における階層の撤廃、官僚的雰囲気からの脱却を象徴)や、ストックオプション(IT企業に働くエンジニアは契約社員が多く、労働組合もなく、企業の提供する健康保険もなく、長時間働いても残業代はつかない。各自がある意味で起業家である)が生まれた背景にある。

 バブル景気とその後景気低迷が続き、日本企業が社員との家族的チームワーク構築を無視してきた間に、海外の企業に、お株をとられてしまった感がある。

 顧客志向のマーケティングで急激に伸びて話題になったザッポス(靴のネット販売から始まって・・・)のシャイCEOのインタビューを読むと、「えっ? もしかして、一昔前の日本人社長?!」と勘違いしてしまう。2009年に35歳だったシャイCEOは、自分の使命は従業員と顧客に幸福を広めることだと口にする人で、当然のことながら、社食は無料(ただし、フェースブックやグーグルのようなファンシーなものじゃない)。でも、彼は、仕事が終わったあと、社員をレストランやバーにつれていったりする。それは、彼お酒が好きだからというわけじゃなくて、「ボクは、社員が仲間同士つるんで仕事帰りに飲んだり食べたりする、そんな会社が好きなんだ」と言っている。社員が毎日出勤したくなるような会社、稼ぐためだけの仕事じゃなくて、楽しく仕事ができる会社をつくりたいと考えているのだそうだ。

 ザッポスでは、社員同士が仕事の流れでそのまま飲みにいったりするのを奨励するために、中間管理職のマネジャーは、自分たちの時間の10~20%は部下たちとそういったつきあいに使うようにという指示がでているほどだ。シャイCEOは企業文化はそういった職場の外でのつきあいで構築されると信じているらしい。日本では、仕事帰りに同僚と飲みに行くサラリーマンは仕事人間だとかいわれて批判されたが、シャイCEOに言わせれば、「仕事をするのが楽しくて、職場にいるのが楽しくて、毎日出勤したくなる会社をつくれば、みんなで食事にいったりするのは自然の流れだろう」ということになる。

 ザッポスの新入社員は会社の歴史について4週間続くコースを受ける。2週間の全体的訓練を受け、次いで2週間、コールセンターで顧客の電話を受ける。そして、最後に、ザッポスの企業文化に合わないと判断された者は、4週間分の時給総額と2000ドルを受け取って会社を辞めてもらう。(2005年に始めた制度で、当時は、会社を辞めるときにもらえる金額は100ドルだった)

 シャイCEOはアジア系アメリカ人なので、仏教思想などに深い関心があるのかもしれない。「ハピネスを伝える」なんて本まで出しているくらいだし。幸福の伝導師みたいでちょっと宗教がかっている。ザッポスは極端な例かもしれないが、社内チームワークを重要視する海外企業は多い。日本の高度成長が話題になった80年代ころから、日本式マネジメントについては、かなり徹底的に研究され、現在、会社をひきいているトップ経営陣は「日本的チームワーク経営」についてビジネススクールで学んでいるはず。だから、チームワークは日本の企業の特許だなんて古い考えはもう捨てたほうがよい。

 日本でもこの数年は、社員運動会とか独身寮の復活とかが叫ばれ、いまの若者の意識も変化して社内イベントへの参加意欲が高まっているといわれている。これには、いくつかの理由があると思う。たとえば・・・1) 以前にも書いたように世代が変わると前世代の悪が善になる。なぜなら、子供は親や祖父の世代に対してある種の反抗心をもって大人になる。よって、世代が交代することによって、かつて否定されたことがらが少し形を変えながらも再度よみがえる。また、2)どんなに良い社内イベントでも制度化・習慣化してしまい、経営陣にも社員にも、それに対しての情熱がなくなってしまえば、効力はなくなる。大切なことは、ワイワイガヤガヤなのだ。インターナルマーケティングといわれるように、熱意とか情熱、つまり、(いまの流行語でいえば)パッションを伴わない社員旅行や社員食堂は、企業文化構築を促すことにはつながらないということなのだ。

 ITサービス企業は離職率が高いとよくいわれる。だが、最近のネット関連の新興企業は個性(企業文化)も強い。ザッポスのような企業は、自分たちの企業文化に染まないひとは、辞めてもらったほうがいいと思っている。そして、いろんなノウハウをマスターしたあとに辞められるよりは早いほうがいい。だから、一ヶ月の査定期間が終わったところで、2000ドル払って辞めてもらう。このお金の意味は「きみは優秀だ。だけど、残念ながら僕らの会社の文化には馴染まない。採用できない理由は相性の問題だ。ごめんね」って、気持ちもこめられてるんだろうね。きっと。

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参考文献: 1.社食、今どき事情「味見」、日経MJ 2/25/08、2.2万人が一体感味わう、日経新聞 2/01/10、3.社内行事の効用、日経ビジネス7/17/06 4.「一緒に食べる」の革命性、日経ビジネスオンライン2/5/09、5.教えてランチ特別編、asahi.com 11/01/07 6.Sara Kehaulami Goo, At Google, Hours are long but the consomme is free, The Washington Post 1/24/07, 7. Frances Dinkelspiel, With high-end meal perks, Facebook keeps up Valley tradition, The New York Times 12/25/09  8. Max Chafkins, The Zappos Way of Management Jake, Inc. 5/1/09

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2010年3月23日 (火)

iPhone、iPad から iCar へ・・・・。

Stnd007sアップルがアメリカで4月3日、日本でも4月末にはiPadを発売する。今年1月にCEOスティーブ・ジョブズが製品発表して以来、さまざまなメディアで玄人素人(プロアマ)が批評をくりひろげている。

 2007年秋に発売され(そして、2009年末までに300万台販売したといわれる)アマゾンのキンドル(Kindle)と比較されることが多いために、日本では電子書籍用の端末だと紹介されるむきもあるようだ。が、ご存知の方はご存知のように(当たり前か・・・)、それは違います。iPadは書籍はむろん映画もダウンロードできるし、ウェブ・サーフィンもメールもできるマルチメディア端末です。が、そのなかでも、とくに・・・。

 アメリカでは、iPadは部数が減り息も絶え絶えになっている新聞や雑誌といったメディアを再生させるのではないかと期待されています。

 新聞「ニューヨーク・タイムズ」はiPad用のアプリを作成しました。たとえば、iPad画面に、ごくフツーの紙の新聞の体裁で第一面が表示される。トップニュースは「国民皆保険法案成立!」。大見出しと本文テキストが続き、そばに、オバマ大統領がインタビューに答えている写真が掲載されている。iPadでは、その写真をタッチすれば、動画になり、オバマ大統領の記者とのやりとりや法案が成立したときの議場の様子がTVニュースのように再現される。

 ニューヨークタイムズ担当者がプレゼンしているのを見て、デジャヴ(既視感)に襲われた。

 待てよ。こういった場面をどこかでも、以前に見たことがあるぞ。

 きっとSF映画で見たんだ・・・と思ったが、どの映画が思い出せない。でも、スティーブ・ジョブズがiPadを紹介するときに、「真にマジカルで革新的な製品」と語ったのを聞いて思い出した。

 マジカル(magical)=魔法。

 そうだ。ハリーポッターだ。

 ハリポタの魔法新聞だ。

 ハリポタ映画では、ハリーが紙の新聞を読んでいると、新聞に掲載されている写真の人物が突然動き出し喋り始めたりする。なんとなくこれに似ている。

 たしかに・・・。ネットの登場により、絶滅種とみなされるようになった新聞・雑誌は、iPadの動画と音によって蘇った感はある。スポーツ雑誌「スポーツ・イラストレイテッド」のiPad用のデモをみても、表紙が画面に表示されると、(その表紙にはアメフトでキックオフ寸前の選手の顔が大写しになっているのだが)、観客の歓声やタックルするとき体のぶつかる音が聞こえてきて迫力が増す。(雑誌や新聞の電子版でも音付きの動画はあった。ここでのミソは、フツー紙の新聞や雑誌のようレイアウトのなかでインタラクティブな操作ができることです)。

 iPadは「携帯メディア」だ。

 そして、むろん、電子書籍もダウンロードできる。だから、iPadが発売されたら、電子書籍端末に特化したキンドルは大きなダメージを受けるのではないかと懸念されている。もちろん、キンドルはアマゾンのジェフ・ベソスCEOが「情報のつかみどりではなく・・・本一冊をじっくり読むために作った」と言うとおり、文章テキストだけを考えてカラーではなく黒白、長時間読んでも目が疲れないように、また、リゾート地の明るい日光の下でも読めるように、パソコンやiPadに使われている液晶画面でなく、電子ペーパーをディスプレイ画面に使っている。新書版の大きさのキンドル2なら価格もiPadの半分だ。だから、電子書籍端末に特化して勝負できる。

 でも、キンドル・デラックスはiPadと値段がほとんど変わらないので、機能を比較されると弱いのでは?なんといってもアマゾンは、1995年に書籍のネット販売を始めてから15年間、取り扱い商品を数百万点にふやし、読者のフィードバック機能を充実し、中古品の第三者販売を始めるなど、ビジネスモデルにおいては革新を続けてきた企業だが、アップルと違って、ハードウェアを設計して制作する経験はほとんど無いのだから。

 日本では、2008年に電子書籍市場は464億円の規模になっているが、マンガが中心。マンガにはカラーや画面の大きいiPadのほうが適しているという説もあるが、マンガは大半がケータイで読まれているので、しいて新しい機器を買う必要などないのでは・・・? どちらにしても、コンテンツが問題で、アップルもキンドルも日本語ヴァージョンの書籍を出すには、日本の出版社と交渉をまとめなくてはいけない。

 しかし、基本的に、iTuneやケータイ電話によって、音楽のCD販売がデジタル配信システムに取って代わられたように、紙の本がデジタル配信に変わっていく流れを止めることはできないだろう。なんといっても、エコ的にもコスト的にも、デジタルのほうが良いわけだし、読者にとっても紙媒体として保存しておきたい本は限られている。

 米アマゾンは、キンドルの宣伝も兼ね、モダンホラー作家スティーヴン・キングに直接依頼して短編を書いてもらい、キンドル独占で配信した。出版社を通さないこの流れだと、1)紙代、印刷代、物流コストを省くことができる、よって、2)作家により多くのロイヤルティや前金を払うことができるし、3)読者への料金も低くできる。アマゾンが作家と直接取引きするようになれば、出版社の役割は大きく変わらざるをえなくなる。

 ここまできてなんなんですが・・・、出版とか書籍業界の将来を描くのは、このブログを書いた本来の目的ではないのです。

 実は、日経新聞で「技術経営論からみた電気自動車」という香川大学の柴田教授の記事を読んで以来、私の頭にちらついているのは、かじりかけのリンゴのマークがついたシルバーメタル色の自動車なのです。iCar(あるいはiAutoとかiViecle?)なのです。

 ハイブリッドではなく100%電気自動車になり、エンジンからモーターになると、(エンジン周りの部品数は自動車全体の30~40%を占めるので)全体で3万点もある部品が、その十分の一になるそうです。しかも、電池やモーターといった主要部品が電気系部品となり、それらをケーブルで連結すればよいので、主要部品間の相互依存関係が単純になる。よって、モジュール化が進む。つまり、設計思想がパソコンのようになり、デルやアップルがしているように、主要部品はOEMで調達し組み合わせるだけでよい。アップルはそのアセンブリーさえも中国の工場でしている。

 極端な言い方をすれば、デザイン・設計さえきちんとすれば、誰でも自動車がつくれるようになるのだ。げんに、2009年に日米よりいち早く(家庭用電源で充電できる)プラグイン電気自動車を発売した中国のBYD(リチウムイオン電池の製造では世界大手)のCEOは、「電気自動車だから新規参入企業でもトヨタやGMと競争できる」と語っている。伝統的なガソリン自動車を製造していなかったから、へんな先入観にとらわれていないぶん、また、伝統的製造工場を所有していないぶん、かえって、競争優位に立てるというわけだ。

 電気自動車では、クルマのデザイン上の制限が少なくなるという。従来のガソリン自動車では、大きく重いエンジンを設置する場所が自動的に決まってしまう。ガソリンをいれるタンクの設置場所もだいたい決まってしまう。電気自動車でエンジンにあたる重い部分は電池しかない。電池はたしかにかさばるし重いが、設置場所の制限はそれほどないし、縦に束ねたり一面に敷き詰めることもできる。

 パソコンのような設計思想。そして、デザイン上の制限が少なくなった・・・・といったら、やっぱり、アップルの出番ではないでしょうか? (スティーブ・ジョブズは少なくとも2008年にはメルセデス・ベンツに乗っていたらしい。このデータは、彼の電気自動車への関心度を予測する重要変数になりえるのでしょうか? クルマオンチの私には判断がつきかねます)。

 この提案はそれほどワイルドなものでもありません。アメリカのまあ有名な投資家が2009年にオバマ大統領宛の公開書簡で、「アメリカの自動車産業を救うのは、スティーブ・ジョブズだ・・」と書いているくらいですから。彼は、「自動車産業の将来はエレクトロニクスとソフトウェアだ・・・アメリカには、その分野で才能ある人材がたくさんいるはずだ」と説明しています。

 ところで、電気自動車のネックは電池にあります。ノートパソコンやケータイ電話に使うリチウムイオン電池に一番期待がかけられていますが、値段が高い。しかし、生産量がふえることによって、価格も2015年にはいまの半分、2020年にはいまの四分の一くらいになることが予測されている(いまは、電池の価格は1キロワット時当たり10万円前後)。電池のもうひとつの問題は、一回の充電で走れる距離が100キロから160キロくらいと短いこと。そして、フル充電に10時間前後、急速充電でも30分かかるという問題。そのうえ、ケータイやパソコンでオーバーヒートして発火する問題を起こしたりした安全性の問題もあります。

 それに関連して(ここでまたiPadに話が戻ります)、アップルはiPadの電池交換に新しい方針を採用することを発表しています。これまでのように、ユーザーが新しいバッテリーを購入して古いのと自分で交換するのではなく、アップルに使っているiPadそのものを送る。そうすれば、一週間以内に、アップルが新しい(というかきれいにした中古品)iPadを新しい電池入りで送り返してくれるそうです。もちろん、交換に出す前に、データは保存しておかなくてはいけません。リチウム電池の安全性を考えて、消費者に交換してもらうよりは、製品の点検もかねて電池は企業側で交換したほうがよいと判断したのだろう・・といわれています。

そこで、また、思ったのです。iCarの場合も(また、一口齧りのリンゴ・マークがついたクルマの話に戻ります)、充電に長時間かかるから短距離しか電気自動車は使えないというのではなく、長距離の場合は、途中でガソリンスタンドならぬApple Stationに立ち寄って、丸ごと新しいiCarに変えてもらう・・・ってえのはどうでしょうか? 「え~、じゃあ、車の中にある私物も一々入れ替えるの? めんどくさい~」という苦情を考えて、車の内部だけまるごとスライド方式で取り出して、新しい車に数分のうちにカチッと組み込むっていうのは? あるいは、充電済み電池とモーターをカートリッジ方式で入れ込むっていうのは? なんといっても、アップルは独創的なデザイン力に定評があるんだもの。きっと、魔法のようなクルマを設計してくれるのではないでしょうか?

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参考文献: 1.EVが未来を変える、産経ニュース10/25/09、2, The Future's electric for auto industry but barriers may shortcircuit the sparks, says PwC, Pricewaterhouse Coopers 12/10/0 sparks, says PwC, Pricewaterhouse Coopers 12/10/09, 3. Norihiko Shirouzu, Technology Levels Playing Field in Race to Market Electric Car, The Wall Street Journal 1/12/09, 4.「活字のKindle」vs「マンガのiPad」 電子書籍端末の勝者は? 日経トレンディネット2/02/10、5.Alison Flood, Stephen King writes ebook horror story for new Kindle, Guardian.co.uk 2/10/09、6.技術経営論からみた電気自動車ーー香川大学教授 柴田友厚氏、日本経済新聞11/18/09, 6.  Adam Penenberg, Amazon Taps Its Innter Apple 7/01/09、7.電子書籍、日本でも普及?日経新聞3/16/10

 

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2010年3月 7日 (日)

「若者」は本当に変わったのか?

Stnd007s最近、「若者」本が流行っている。「今の若者たちが以前とは変わった」ことについて書いてる本で、きちんとした調査にもとづいて今どきの若者像を明らかにしている本もあるし、ケータイ世代の若者たちの生活をルポルタージュ風に描写している本もある。

 調査も突撃ルポもしないナマケモノの私は、そういった本を読んで勉強するだけなのだが、数冊完読して、ふと気がついた。

 どうして、私たちは、若者たちのことがこれほどまでに気になるのか?

 この風潮はいまに始まったことではない。80年代初めには「新人類」という言葉が流行って、いまの「草食男子」に負けないくらいマスコミに騒がれた。この2つの新語ほどには注目されなくとも、その年の新入社員の特徴に「カーリング型」とか「エコバッグ型」とかニックネームをつけるのは毎年の恒例だ。また、ゆとり教育を受けた「ゆとり世代」とか、「バブル世代」「氷河期世代」とか、新しく社会に参加してくる世代に名称をつけて、その特徴を列挙するのも大好きだ。

 しかし・・・だ。

 マーケティングの観点からいえば、いまの日本の人口統計や消費支出を考えると、シニア層のほうが圧倒的に重要だ。電通が2000年に発表しているシニア市場の規模推計によると、2015年には、50歳以上の日本人の消費支出は日本人全体の消費支出の52%を占める。65歳以上に絞っても24.6%を占めると予測されている。

 2009年9月現在の人口統計をみても、持ち家率が85%になり子供もある程度独立して可処分所得も多くなり始めるヤングシニア(50歳~65歳の15歳の幅)の人口は総人口の21%。これは、若者(高校生の15歳から34歳までの20歳の幅)の22%とほとんど変わらない。だが、こういったヤングシニアやオールドシニア(総人口の23%)について書かれた本がベストセラーになることはないだろう。新しく年金をもらい始める60歳や65歳に、今年の新老人世代の特徴をうまく表現するニックネームをつけるなんて習慣も始まらないだろう。

 高校生が自分たちだけに通じるようにつくった新語(メアド、キャラ、マイミク、ガチ、マジ・・・)を使ってぺちゃくる会話が紹介されているページを物珍しげに読むことはあっても、60代後半の夫婦の、自分たちだけに通じる「あれ」とか「これ」が多頻度で登場する間(マ)の長い会話が紹介されているページを、あなたは興味を持って読むだろうか?

 女子大生がケータイ電話を3台持っていて、1台は親から支給されたもので料金は親持ち。2台目はカレシとの専用で親にナイショだから料金は自分で払う。3台目はケータイ費用を稼ぐためにバイトしているスナックのお客さんとの会話用・・・・・そういった女子大生の実態を読むのはちょっと面白い。だが、70代の老人がケータイを2台もっていて、そのうち1台は同居している息子夫婦にはナイショでつきあっている(デイケアセンターで知り合った)老女と話すためのケータイ・・・といったシニアの暮らしの実録を、あなたは、女子大生に対するのと同じくらいの関心をもって読むことができるだろうか?

 そういった本を、自分の今のビジネスに直結でもしない限り、お金を出して買うだろうか?

 「いまどきの老人は以前とは変わった」という本は、若者本ほどには売れないだろう。

 なぜなら、人間は・・・というか動物は・・・というか生物は、自分の親より上の世代には関心がもてないようにできているのだから。

 進化生物学者のリチャード・ドーキンスが主張するように、人間は(生物は)自分の遺伝子を後世に遺すようにプログラムされているわけで、結果、自分の遺伝子を後世に繋いでくれる子孫たちの世代の言動に非常に関心があるのだ。親が、子供の結婚を望み初孫を望むときに、「早く安心させておくれ」という言葉を使うのは、まさに、その言葉どおりの意味なのだ。自分の遺伝子が受け継がれたことに安心して、「これで、いつお迎えがきてもいい」とある意味本心でそう思うのだ。

 ・・・・ここで、やっと、「今の若者たちは本当に変わったのか?」の本題に移ります。

 親や祖父の世代が、「ちかごろの若者ときたら・・・」と嘆息まじりにグチるのは世の常だ。子供は(とくに男子は)親に(とくに父親に)反抗する形で育つ。よって、先行する世代の特徴への反動の結果として次ぎの世代がつくられる。だから、単純にいえば、保守的世代の後には革新的世代が、そして、革新的世代のあとには保守的世代が続く・・・・という説がある。そういった説に沿った調査で、アメリカには、1620年に英国からの移民が始まってから現在までの約400年の間に19の世代が存在している。が、それは4つの元型に分類することができ、それぞれが1回の例外を除いて同じ順番で続いている・・・・という研究も発表されている。つまり、Aタイプの世代の後にはBタイプが続き、Bタイプの後にはCタイプが、そしてその後にはDタイプの世代が続き、その後、またAタイプに戻り、前と同じサイクルが続くということだ。

 2009年に発表された米論文では、18歳から24歳のころに不況を経験することは、その世代の価値観や態度に生涯にわたる影響を与えることが調査で明らかにされている。いまの日本でも、経済的理由で大学進学をあきらめる18歳、あるいは、就職できない高卒や大卒の若者が多い。彼らの生涯にわたる価値観や態度は、こういった経験によってつくられる・・・わけだ。

 上の2つの研究をまとめると、新しい世代は15歳くらいまでには、親の世代への反動の結果としての特徴をはぐくむようになり、そして、18歳から24歳の時期にどういった景気サイクルに直面したかによって、その後の生涯にわたる価値観や態度、ライフスタイルをつくりあげる・・・・ということになる。

 考えてみると、現在30歳のシニアの若者は、1992年にバブルが崩壊したあとの1998年に高校を卒業している。30歳以下の若者たちは、バブル崩壊以降、20年にわたる景気低迷の中で(2002年から5年ほど続いたいわゆるイザナミ景気は好況感なき景気といわれる)、18歳から24歳を過ごしている。一方で、その若者たちに先行する上の世代は、高度成長時代やバブル景気に大学進学や就活を経験してきている。そういったイケイケ世代が、今の若者たちをみて、「元気がない」とか「保守的だ」とか「消費に積極的でなくて貯金に熱心だ」と、自分たちが若かったころと比較して思うのは当然だろう。

 ブランドを買わない、ブランドに関心がない・・・と言うけれど、たしか、バブルのころの若者たちは、その上の世代に、「日本人は10代20代の若者が高級ブランドを平気で買う。こんなことは欧米先進国では見られない。欧米では、自分の金で買えるようになる本当の意味での大人になって、初めて、高級ブランドを買う。日本も、もっと成熟した大人の文化を・・・・」と批判されたのではなかったのか? 上の世代に批判された世代が、いま、「最近の若者はブランドを買わない」とか「貯金が好き」と不思議がるのは、ちょっとおかしい。大学生はむろんのこと、社会人になったばかりの若者が安いモノを買うのは当たり前。将来のことを考えて貯金するのも当たり前。ある意味、これでやっと、「欧米先進国」の若者たちのライフスタイルや価値観に近づいた。いまの日本の若者は「大人」になったもんだ・・・・と誉めるべきところだろう。

 男が甘いものを食べるようになったと騒がれているようだが、これも、おかしい。男は・・・というか人間はもともと砂糖は大好物なのだ。人間の脳はどの臓器よりも多くのエネルギーを消費し、その主要なエネルギー源はぶどう糖。砂糖は分子構造が単純で、食べると小腸で消化吸収され、成分のぶどう糖は数十秒後には血液を介して脳にすばやく供給される。日本には甘いものを好きなのは男らしくないという文化的制約が存在していたから(そういった文化的制約がないアメリカでは、男は朝から甘いものを食べる)、「オレは甘いものが好きだ」と公言しなかっただけだ。昔から、家では、母親や奥さんが買いおきしていた甘いものを家族といっしょに食べていた。

 江崎グリコが職場に100円菓子の入った専用ボックスを設置して購入者は代金をボックスに入れればOKの置き菓子システム「オフィスグリコ」を始めたのは2002年。2008年の売上は30億円で、利用者の7割が男性とか。が、ここで、男が甘いものを食べ始めた!と早合点をしてはいけない。昔、オフィスでは休暇帰りとか出張帰りにお土産を買ってくる習慣があり、3時のおやつどきになると毎日のように自分のデスクの上に地方のお菓子が置かれていたものだ。だが、泊まりの出張が少なくなったいま、配給されるお菓子の数は激変しているという(オフィスグリコの売上は、1月の第2週にぐっと落ちる。お正月に帰省した人が土産のお菓子を持ち帰るからだ)。昔は、また、お茶くみ専用の女子社員がいて、部長が「お菓子でも買ってきてみんなに配って」とか言ってお金を渡す習慣もあった。だが、お茶くみ専用の女子社員がいなくなったいま、そんなお茶の時間もなくなった・・・という。

 つまり、男性は自分でお菓子を買わなくてはならなくなったのだ。だから、置き菓子を買うし、コンビニで甘いものを買うようにもなった。男も甘いものは昔から食べていた。違ってきたのは、自分で購買しなくてはいけなくなったことだ。だから、男とスイーツの関係が以前よりも目立つようになった。

 ・・・・こんなにふうに、「いまどきの若者の特徴」の多くは、経済的理由とか文化的制約、習慣の変化などで説明できる。が、ただひとつ、説明のつかない特徴があり、それは、若者が根本的に変わったかもしれないことを意味している。

 いまの若者は「異性との交際に興味がなくなってきた」という。この特徴は、景気サイクルや文化的制約や習慣の変化では説明できない。リチャード・ドーキンスを再度引用すれば、人間は(生物は)次ぎの世代を残すために生まれてきているのだ。異性に関心がなくなり、セックスをしなくなれば、当然のこと、子孫は生まれなくなる。異性との交際に無関心ということが事実なら、いまの若者たちは生物の(人類の)本能を持っていないことになる。これぞ、まさしく、本当の意味での「新人類」の登場だ。そして、新人類は絶滅の道をたどる運命にある。

 歴史人口学を専門とする鬼頭宏教授によると、日本が人口減少社会に入るのは、歴史上、4度目のことだそうだ。

  1. 縄文後半(気温が下がり食糧が減少。ピーク時には26万人あった人口が8万人まで減少)
  2. 平安時代中・後期(人口が増えない状態)
  3. 江戸時代中・後期 (人口が増えない状態)
  4. 現在(幕末に3200万人だった人口は明治時代から一貫して増え続ける。が、2005年から減少し始める)  

 比較経済史専門の川勝平太教授の説によると、人口が増大する時期は新しい文化やシステムが導入され、男性の労働力が価値を持つ荒々しい時代(たとえば、江戸前期の都市建設や明治時代の富国強兵から戦後の重工業産業推進政策)。反対に、人口が減少する時代は平和で文化が成熟する時代(たとえば平安中期の女流文学の隆盛、江戸時代中期からの町人文化の成熟)。人口減少時代にはハードよりもソフトの発展。産業でいえば、工業からサービス産業への転換。よって女性の役割が大きくなる・・・・そうです。

 その説にそえば、ひとあたりがよくて繊細な草食系男子は、今の時代、サービス産業中心の時代への適応化現象のひとつだということもできる。最近、本当に思うのです。男性店員の態度のよいこと! 電気やガスの修理の男性だって、無愛想でつっけんどんだった昔に比べたら本当に愛嬌がある。

 って、話がそれましたが・・・・、たしかに、人口が減少しているいま現在、文化が成熟しているといえないわけではない。東京はミシュランガイドブックの星の数の合計が世界一多い都市。つまり食文化は成熟しているってこと。それに、アニメやオタク文化に原宿や渋谷発信のカワイイ・ファッション。

 問題は、再び、男らしさが求められる荒々しい時代がやってきて、人口が増加に転じるかどうか?ってことですね。あるいは、これまでの歴史を塗り変え、女性が活躍する平和な時代においても人口が増加するような新しい現象が生まれるかどうか?ってことですね。

 どちらにしても、今日はここまで・・・。こんなに長いブログ、書くほうも疲れましたが、読むほうも、ほんとにどうも「お疲れさま~」でした。

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参考文献:1.川勝平太「女性の活躍で人口減克服」、日本経済新聞 4/17/09 2.亀頭宏「減少期に文明は成熟、女性の役割大きく」、日経新聞01/07/10、 3.「タバコ代わり、男性、息抜き」日経新聞 2/1/09, 4.Paola Giuliano, Antonio Spilimbergo、The long-lasting effects of the economic crisis、VOX 9/25/09

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2010年2月12日 (金)

P&Gがアマゾンになる日。そして百貨店の衰退。

 ついに、「その日」がやってきた。 

 P&Gが決断したのも当たり前だ

 店舗小売業者が割安なPBを積極的に販売し、棚に置くメーカーのブランド品の数を減らす。あるいは値段を下げるように圧力をかけてくる。アマゾンさえもが本や家電製品だけ売っていればよいものを日用雑貨品にまで手を出す。あげくに、ネットスーパーまで開店してニンジンや肉まで売り始めた。

 我慢するのも、もう、限界だ!

 そう思ったかどうかは知らないが、日用雑貨品メーカーとしては世界No.1のP&Gがネット販売のサイトを1月に開けた。とはいっても、まだ、実験段階。最初は会社の従業員を対象に、次いで5000人の消費者だけにテスト販売したあと、2010年春にはアメリカの消費者向けにネット販売を始める。

 欧米の消費財メーカーのなかには、ブランディング用のサイト上で、「よろしかったらどうぞ」くらいのレベルで、サイトで紹介している商品を直接販売している企業もかなりある。だが、P&Gだけは、どちらかというと、自社商品を取り扱っている小売業者に配慮して、直接販売はほとんどしていなかったのだ。

 もっとも、P&Gは、新しいサイトを開ける目的は、消費者に直接販売するためだ・・・なんてことは言っていない。競合相手となってしまうお得意さんの店舗やネット小売業への刺激を避けるためか、「このサイトは、消費者調査の実験場である。 消費者がオンライン上でデジタル広告やクーポン、販促活動にどういった反応を示すかのテストをする。結果としてわかったことは、小売業者にも還元される。だから、このサイトは小売業者にも役立つはずだ」と語っている。

 そんな言い訳、信じてくれるかなあ?

 P&Gの全世界における売上79億ドルのうち、アマゾンやウォルマートのサイトからの売上を主とするネット販売が占めるのは、わずか0.6%。したがって、P&Gは、今すぐ、自社サイトが大きな売上を上げるとは思ってはいない。だが、将来は? ネットのダイレクトチャネルは店舗と同じくらい重要な位置を占めるようになるだろう。だから、いまのうちに、自らネットに進出し、オンライン購買に効果的な商品の組み合わせ、ソーシャルメディアとのリンクづけ、直接販売に最適な包装梱包などについて調べておきたいのだ。そして、ネットから、いまの10倍の売上を上げるようにしたいというのが目標らしい。

 P&Gは2008年にネットスーパーの実態を勉強するために、英国の(店舗をもたない)ネットスーパー専門のOcado(オカド)に投資をした。また、Googleとの間で、社員20人くらいを数週間交換して互いにまったく異なる業種でのビジネスのやり方を学ぶという面白い試みもしている。

 つまり、ネット小売業について、慎重に準備をしていたということだ。

 欧米では、いくつかの消費財メーカーから成るネット販売サイトを運営する試みは、すでに2009年の夏に始まっている。Alice.com(www.alice.com/)には、ジョンソン&ジョンソン、ネスレ、ゼネラルミルズなど29のメーカーが集まっている。このサイトを運営している会社代表は、「P&Gのように数百種類もの商品を製造しているメーカーは、独自でサイトを開けることができます。しかし、多くのメーカーが集まることによって、消費者への魅力度はずっと増すはずです」とコメントしている。

結局のところ、消費者にものを直接販売できるダイレクトチャネルということになれば、店舗か(PCやモバイル端末の)サイトしかない(一応、電話もダイレクトチャネルではあるけれど・・・)。そして、結局のところ、利益を高めようと思えば、どこかが製造したモノを仕入れるのではなく、製造(生産)プロセスそのものにも関与したくなる。タイトルにP&Gがアマゾンになる日と書いたけれど、これは、アマゾンがP&Gになる日でもある。実際、米アマゾンは、この2年くらい、家庭用品、アウトドア家具、OA周辺機器で、(宣伝していないので気づかないが)PBを発売している。2009年秋には10種類のPBが確認されている。様子を見ながら、他のグローバル市場にも拡大していくつもりだろう。

 10年後どころから5年後には、メーカーとか店舗小売業とかネット小売業とかの区別は消えているかもしれない。衣料品や家具だけでなく、日用雑貨や飲食料品分野においてもユニクロのような製造小売業化が進む。元メーカーとか元店舗小売業とか元ネット販売業と呼ばれる企業が、ネットを含めたいくつかの販売チャネルを抱える。そのとき、競争優位に立てるのは、どの企業か? 元メーカー、それとも元店舗小売業? それとも元ネット専業企業?

 日本では、店舗小売業とくに百貨店とかイオンやイトーヨーカドーのような総合スーパー(GMS)の売上の落ち込みがひどい。が、だからといって、消費者へのダイレクト・チャネルとしての店舗の価値が落ちたわけでは決してない。

 たとえば、ファッションサイトとして日本最大のZOZOTOWNがある。2009年1年で約60万人が利用し、会員数は2009年11月で約163万人。ブランド商品が中心で、20代の若者が(利用客の平均年齢は28歳)そこそこの値段の商品を購入している(年間購買金額は4万6000円)。ZOZOTOWNを運営している会社社長は「ウキウキ感やワクワク感を感じられるように・・・・売り場が楽しそうになっていること、いつ来ても何かやっているような華やかさや活況感、ライブ感を大切にサイトをデザインしている」と、いくつかのインタビューで語っている。

 たしかにZOZOTOWNは非常に上手にデザインされていると思う。でも、正直いって、サイトを訪問してウキウキ、ワクワクするとしたら、エンターテイメントにまったく縁のない人生を送ってきた若者でしょう。ZOZOTOWNサイトがどう頑張ってみても、五感を刺激することができる店舗には負ける。とはいえ、情けないことに、ウキウキワクワク心がときめかない店舗が多いことも事実だ。とくに、デパートはひどい。日本のデパートは小売業をしているのじゃなくてテナントに場所貸しする不動産業を営んでいるだけ・・・という批判記事にもウンウンとうなずきたくなってしまう。

 最初に断っておきますが、私はデパート大好き人間です。デパートに行くだけで気分が高揚してついお金を使ってしまう。憂鬱なことがあっても、一歩店内に入ると忘れてしまう・・・はずだったのに。

 去年のクリスマスはひどかった。クリスマスの華やかな雰囲気などまるでない。クリスマスソングは流れていない、サンタもいない。「お客様より私たちのほうがよほど貧乏です。だからクリスマスでも華やかに着飾るお金などありません」といった感じ。経費がないならないで、メタボでお腹の出た部長がサンタのかっこうをして売り場を歩けばいいだろう。クリスマス音楽を流すくらいなら、お金はかからないだろう。店舗に流れるバックグラウンドミュージックによって購買金額が違ってくるという心理学の実験を知らないのだろうか? 今日は絶対必要なものしか買わないぞと誓っても、いったん店にいくと、その雰囲気につられて、つい財布の紐がゆるくなる・・・ここに店舗の強みがあるのに。

 2月10日の朝日新聞夕刊に、明治大の鹿島教授がデパート不況とその再興について書いていらした。鹿島教授はフランス文学の先生で、デパート第一号店といえるフランスのボン・マルシェを始めた夫婦についての本を出版している。朝日の記事では、デパートが150年もの間、小売業の王様として君臨できたのは、それが「文化」を提供したからだと結論づけられている。文化とデパートというと、私などは、西武百貨店、文化、堤清二という図式が浮かんできてしまう。文化の定義にもいろいろあるだろうけれども、しかし、デパートは商業空間であると同時に文化空間であるといわれても、いまいちいまに・・・。でも、そこから続く鹿島先生の説明には100%賛成です。

 

 

  • ・・・デパートとは、必要を「満たす」ための場ではなく、そこに行って初めて必要を「発見する」場である・・・・いいかえると、消費者をデパートに「来させてしまえ」ば、もう「勝ち」なのである。デパートに入ったとたん消費者はそこれまで意識していなかった「欲望」を見出し、これを「必要」として後から合理化するからだ(以上は、引用です)

 去年のデパートにお歳暮を買いに行った客は、ウキウキもせずワクワクも感じることなく、必要な要件であるお歳暮をすましたら、そのままデパートを去っていったことででしょう。クリスマスだけではない。多くのデパートはこの10年以上の間に、リアル店舗だからこそ提供できる活況感やライブ感を高級という名前のもとになくしていた。高級ということは品の良いことで、品がよいということは退屈なことだと、経営者は理解していいたようだ。消費者が離れていったのも当然だ。

 店舗は五感にアピールしウキウキ感ワクワク感を提供できれば、大きな力を発揮する。それは、化粧雑貨中心のドラッグストア、渋谷の109(最近、少し元気がない?)、ルミネのような駅ビル店舗が元気なことからもわかる。ファッションに限らない。不況でも好調な花屋の青山フラワーマーケットでは、文化祭のノリで元気な店員が、季節や流行にあわせてめまぐるしく品揃えを変え、店舗の雰囲気をいつも新鮮に保っている。1日のうちに店のレイアウトが変わることも珍しくない。目(視覚)を楽しませ、匂いや音楽が嗅覚や聴覚に刺激を与え、脳を満たす化学物質が入れ替わって気分が高揚する。本気になれば、店舗が提供できる五感刺激に勝てるネット上のサイトはないはずだ。

 

 デパートの衰退の理由は、あちこちですでに書かれているし、原因は企業組織とか企業体質に由来するものが多いので、ここでは深入りしません。ただし、もうひとつだけ、日本のデパートがカタログやネットという通信販売チャネルを採用できなかったことについて書いてみます。

 米高級百貨店ニーマンマーカスでは経済危機発生後の2008年のクリスマスシーズンに店舗売上は26.4%落ちたが、カタログやネットのダイレクト部門の売上の落ちは9.2%ですんだ。「巣ごもり」する消費者は外出する気は起こらなくても、自宅で選択できる便利な通販なら買う気も起きたのだろう。同じく高級デパートのサックスの2009年前半の売上をみると、店舗の売上が19%落ちたのにネット販売は9%増大している。どんな不況でも高額品を買える客層は存在する。通販なら世間の目をきにせずに贅沢品を買うこともできる。

 日本のデパートが通信販売をずっと前から採用できなかったのは、ひとつには縦割り組織で、通販をすれば店舗の売上が落ちるという奇妙な神話に固執するひとたちを説得できなかったこと。よって、通販を採用していたデパートでも、店舗とは異なる商品しか販売できす、店舗との連動がなく相乗効果を発揮できなかった。また、ブランド店に場所を貸すだけの不動産屋でおさまってしまって、ポイントカードを発行しながらも、お客様とのコミュニケーションはテナントまかせ。 テナントと密に協力しあわないから、通販と店舗販売商品を連動させることもできない・・等々。

 しかし、それでも、2月10日の日経MJによれば、第22回日経企業イメージ調査において、信頼性があるという項目では、デパート3社(髙島屋、伊勢丹、三越)がトップ3を守っている。欧米でも、ブリック&モルタルは消費者の信頼度を高めるといわれている。つまり、店舗というリアルな場は、信頼性と五感刺激という意味で、ネットよりも優位にたつ。

 だから、小売業を極める限りは、(たとえ元メーカーでも)店舗というチャネルを無視はできないはずだ。

 最後に、とりとめのない意見を3つ。

  1. セブン&アイは2300億円投じてそごうや西武というデパートを買収してが、相乗効果を出すことに苦労している。店舗が店舗を買ったということが間違い。やっぱり、ネット企業を買うべきだった。あるいは、日用雑貨や飲食料品のメーカを買うべきだった・・・って、後悔していたりするのかなあ?
  2. そういった意味で、これからの企業買収は「規模の経済」の論理ではなく、なるべく自社と離れたところに位置する企業を選ぶ。たとえば、ユニクロブランドの特徴はデザインとかファッションではなく工業製品みたいに革新性にある。だから、世界市場で成長するためには、たとえば、古くなったら土に埋めれば土にかえる服。身に着けているだけで血液中の某化学物質が吸収されて血圧が下がるとかホルモンが増大する下着・・・といったタイプの衣料品を製造していけばよい。よって、買収するのは高級ファッションブランドではなくて、化学繊維メーカーとか化学研究所みたいなところ。
  3. 最後に、意見じゃなくて感想です。想像と創造のゾウを組み合わせたZOZOTOWNという名前は大好きです。でも、サイトにアクセスして町の風景をみて、ボッボという機械音をきくと、なぜか、バットマンとかスーパーマンに登場する架空都市ゴッサムシティを思い浮かべてしまいます(私だけ・・・?)。そして、バットマンが住んでいるゴッサムシティのイメージって、なんか暗いんだよね。
 

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参考文献:1.デパート文化空間必要、朝日新聞夕刊2/10/10、2.日経企業イメージ調査、日経MJ2/10/10、3.青山フラワー、やる気で開花、日経MJ1/08/10、4.小売の基本、ネット貫徹(トップの戦略)、日経MJ 12/21/09、5.Jack Neff, More CPG Players Embrace E-Commerce, Advertising Age 2/21/10, 6.Dan Sewell, P&G Jumping Into Retail Online, Testing New site, Boston.Com 1/14/10

 

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2010年1月24日 (日)

アバクロと草食系男子

 

 昨年末からお正月にかけて2つの新聞記事が目につきました。

  1. 米国のカジュアル(でも、値段はちょっと高めの)ラグジュアリー・カジュアル衣料品チェーン「アバクロンビー&フィッチ(通称アバクロ)」のアジア1号店となる旗艦店が、昨年12月15日、銀座6丁目に開店した。アバクロのシンボルともなっているシャツから胸をはだけた、ないしは、シャツなど身につけていない半裸のイケメン・ストアモデル(店員のことをストアモデルと呼ぶ)も勢ぞろい。初日は、(最近の新規開店ではおきまりのようになっている風景だが)閉店まで行列ができた。
  2. 1月11日に成人式をむかえる男女1300人にネット調査をしたところ(マクロミル調べ)、男性の53.9%が自分のことを草食男子だと「思う」「どちらかというとそう思う」と答えた。自分は肉食系女子だと思うと答えた女性は11.8%。 男女ともに、恋愛に関しては50%強が「消極的」「どちらかというと消極的」と答えた。

 この2つの記事の間に、どういった関係があるのか? 男性肉体美のセクシーさを売り物にしたようなアバクロと、異性とのセックスに関心がないといわれている草食系男子との間には、「無関係」という関係しかないようにみえる。ところが、実は、この2つの間には、(週刊誌的な書き方をすれば)衝撃的な共通点がひそんでいたのだ!

 アバクロ店内でひときわ目立つのは、半裸の男どもが運動会をやっている大壁画(ちゃかしてごめんなさい。きっと、紀元前のギリシアで全裸の男たちがスポーツを競った古代オリンピックをイメージしてるんだよね)。こういった店舗の内装や、半裸の男性モデルがやたらと登場するカタログ(ネットでも見られます)から、アバクロンビーは「メトロセクシャル(Metrosexual)」のイメージそのものだとマーク・シンプソンは書いている。

 マーク・シンプソンは英国の一風変わったジャーナリスト。彼が、1994年に造語したメトロセクシャルという言葉は、2002年にアメリカで注目をあびるようになり、しばらくの間流行語になっていた。

 日本では、メトロセクシャルとは「都会(メトロ)に住み、女性のようにファッションやスキンケアに関心をもつ洗練されたライフスタイルの男性」といったような意味合いで紹介されている。が、これは、この言葉が造られた背景をまったく無視したものだ。マーク・シンプソンは、メトロセクシャルの代表的人物として、当時人気絶頂だったデビッド・ベッカムを例に挙げた。それは、彼がイケメンだとかセクシーだとかいった単純な理由ではなく、彼が、男性的(マッチョ)であるということはどういうことか?・・・という欧米のそれまでの基準を、公共の場で破った最初の有名人だからだ。

 ベッカムは、2002年に、男のなかの男であるべきサッカー選手が絶対してはいけないタブーを破り、ゲイ雑誌のグラビアに登場し、インタビューでも、「自分はストレートだけど、ゲイのアイコンと呼ばれることは嬉しい。他人から憧れの目で見られるのは大好きで、それが女性だろうと男性だろうとかまわない」と答えている。ベッカムは爪にピンク色のマニキュアを塗ったり、巻きスカートをはいて公共の場に登場した。また、奥さんのビクトリアが、「彼は私の下着をつけることが好きなの」などとも発言している。

 メトロセクシャルという言葉を造ったマーク・シンプソンによれば、メトロセクシャルな男は、異性ではなくて自分自身を一番愛している。ナルシストであり自意識過剰。だから、自分の外見やファッションに強い関心を持つ。こういった性向は元来はホモセクシャルのものであったが、ストレートの男性もこういった性向を示すようになった・・・・と書いている。 

 男女両方の憧れの対象となりたいと言うデビッド・ベッカムは、男性的とか女性的とかいう境界線を超え、「女みたい」と従来から言われてきたようなことでも、自分が好きなら平気でする。その結果として、メトロセクシャルの代表格として選ばれたのです

 当時、英国のマーケティングリサーチ会社が市場調査をしたところ、女性用に開発したスキンケア化粧品の10~15%を男性が自分のために買っていることがわかった。このセグメントをさらに詳しく調査したところ、ナルシズムやファッション意識が高いことに加えて、より優しく穏やかで、より繊細で、より家庭的で、仕事での競争や出世にはあまり関心がないことを発見した。(ここらで、やっと、日本の草食系男子との共通点が見えてきた)。

銀座のアバクロ店を訪れたゲイのひとが、ここはゲイのための店か!と喜んだという。また、女性客のなかには、女性専用の男性ストリッパーの店か?!と、これも喜んだという。ゲイの男性も女性も引き寄せる。だが、アバクロが具現化していることの本質は、欧米の若い世代にみられるナルシズムの世界なのだ

 さて、ここで、マーケティングNOW15(2009年10月12日)に書いた「宝島社女性誌とナルシズム」の記事を読んでいただきたいのです。その記事では、異性をひきつけるためではなく、同性の目を意識してお洒落する日本の若い女性たちのナルシズムについて書きました。そして、異性とのセックスに余り関心がないという要素だけでひとくくりされている「草食系男子」のなかにも、欧米のメトロセクシャルに共通するナルシストたちが存在すること。また、自信を喪失したナルシストたちはオタク化しやすい・・・ということも書きました。

 つまり、1万年くらいの間に構築された異なる社会や文化の枠組みによって、世界の各地域での表面的な違いはあっても、いまの新しい世代にナルシズムや自意識過剰な傾向がみられることは、先進国に共通しているようなのです。

 自己愛(ナルシズム)が余りに強くて異性に無関心になる。そしてまた、セックスそのものに無関心であるがゆえに、異性に無関心になる。

 英国の2009年の調査では、18才~59才の男性の15%がセックスに興味がないと答えています。これは10年前にくらべて40%の増大だそうです。男性が異性への関心をなくしている理由のひとつに、社会における男女平等の考え方がひろまったからだという説があります。

 進化の歴史をたどってみると、人類は過去20万年以上(いや、その前の類人猿の時代からいえば過去数百万年以上)、男女の役割は異なっていました。女は妊娠して子供を生み独立できるまで育てる。そういった役割を果たしてもらうために、男は、食べ物や安全を提供する。食糧や安全を継続して提供することができる「強い」男は、自分の遺伝子を遺すチャンスをそれだけ増やすことができる。人間に一番近い親戚の野生のチンパンジーの群れでの行動を観察して、メスに肉をプレゼントするオスは、他のオスよりも2倍も多くセックスしてもらえることがわかっています。これが、人類の数十万年の歴史の99.9%以上の期間において、男女の間で公平だとみなされたギブ&テークの関係だったのです。

 だが、日本でも1985年に男女均等雇用法がつくられ、欧米先進国ではそれよりも早く、女性が社会に進出した。結果、アメリカでは共稼ぎ夫婦の3分の1において、妻のほうが夫よりも多くの給料をもらっているのです。男からしてみると、そういった現状を、理性ではOKと思ってはいても、何十万年、いや類人猿の時代からいえば何百万年続いた、「男は女を養い守る強い存在でなくてはいけない。そして、強い男に守られる女は弱いもの」という本能がNOと拒否します。そういった本能が理想とする従順な女性は、ネット上では見つかっても、現実には存在しない。だから、アメリカでも、男性の25%がセックスに関心がないという調査結果が出ているそうです。

 いまの男女の役割に本能が適応していないのは女性も同じです。家の掃除や皿洗い、料理、みんな平等に手伝ってもらいたいと思いながら、本能的に、「男は男性的じゃなければセクシーじゃない」とも思ってしまうのです。職場では男女平等を主張しながらも、割り勘デートとか、クリスマスにプレゼントをくれない相手にうんざりしてしまうのです。

 いまの若い男性は、家庭で強い存在にある母親をみて育ち、学校でも多くの女性教員に教えられて育ち、男女平等をリアルに体験してきた世代です。なのに、なぜ、食事をこっちが払わなくてはいけないのか? なぜ、男がプレゼントをあげなくてはいけないのか? と思うわけです。

 高級ブランドを買うメトロセクシャルな男性たちは、2008年の経済危機以降、影をひそめました。しかし、自分の女性的側面を表に出すことをためらわない男性は、欧米でも日本でもふえてきています。女性の社会進出が進むとともに、男性は昔の意味で「男性的(マッチョ)」である必要はなくなっているのです。男が強くなった女には性的魅力を感じないと戸惑っているのと同じように、女もフェミニンな面を隠さない男を優しくてよいとは思いながらも心がときめかないのに、やっぱりちょっと戸惑っているのです。

 こういった男女間のちぐはぐな関係は 進化の歴史上における適応問題だとする考え方があります。男女ともに、新しい役割に適応していないことが、セックスへの無関心、そして結婚しない男女が増大し少子化が進む理由なのです。新しい世代は、新しい男女の関係に、果たして適応できるのか? できるとして、どのくらいの時間がかかるのか? その間に、異性間の交配回数が減り、人類は自分たちの遺伝子を遺すことができなくなり、滅亡に追いやられるのでしょうか? それとも、SF映画にあるように、互いに惹かれあうことがなくても子孫を産むことができるように、精子と卵子を人工的に交配するような制度を採用せざるをえなくなるのでしょうか?

 未来の話はさておき、こういった新しい現象の結果、男性用身だしなみ製品が売れるようになる。が、女性をナンパ(この言葉も死語の運命にあります)するのに必要な自動車が売れなくなる。男女ともに、一人で旅行、一人でコンサートや演劇鑑賞。もっと新しいところで、ストレートな男同士が2人で海外旅行に出かけるといった目新しい消費現象が見られるようになる。しかし、やっぱり、異性の目を意識して異性をひきつけるためにする消費のほうが、ナルシストが自分のためにする消費よりは、金額が高くなるのではないでしょうか?

 皆さま方のコメント、お待ちしております。

 ここで、宣伝です。この記事のテーマをより深く理解するためには、日経プレミア新書「売り方は類人猿が知っている」の第4章を読まなくてはいけません。買ってください。1章くらいすぐに読めるだろうと、本屋で立ち読みなどしないように・・・。やってみるとわかりますが、新書版を立ち読みするのって、けっこうツライものがあります。

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参考文献: 1.「自分は草食男子」5割超 新成人は恋愛に臆病」 産経ニュース1/10/10, 2.Why UK men are losing interest in sex? TopNews Health 02/10/09, 2. Mark Simpson, Meet the Metrosexual, Salon. com. 07 Simpson, Meet the Metrosexual, Salon. com. 07/22/02, 3. Who are the Metrosexual? Louis A. Berman, NARTH 03/09/08

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2010年1月 3日 (日)

Twitter(ツイッター)はクチコミ媒体ではない。

 

 Twitterはソーシャルメディアではない・・・というタイトルにしようかとも思い迷いました。というのは、ツイッターのユーザーは、じつは、それほどソーシャル(社交的・・人が互いに交わる)ではないのです。

 ツイッター創立者の一人であるエヴァン・ウィルアムズ自身こう言っています・・・「ツイッターはもともとは放送媒体に近いものとして設計されました。一件のメッセージを発信すれば、それが全員に配信される。自分も自分が関心あるメッセージだけを選んで受信することができる。特定の人物や特定のメッセージにだけ返信できる機能がつくようになった(つまり、双方向性あるコミュニケーションができるようになったのは)、ツイッターに人気が出てからのことです」。

2008年から2009年にかけて利用者数が1000%以上増加(ニールセン調べ)という驚異的数字が発表されるとともに、ツイッターの利用実態があいつで調査された。そして、クチコミ媒体というイメージが強いツイッターだが、意外にも、その特徴は、「昔ながらのマス媒体的性格」にあることが明らかにされたのです。

 たとえば、ハーバード大学の学生が2009年5月に無作為抽出した300,542名のユーザーの利用実態を調べたところ・・・

  1. 投稿メッセージの90%以上は上位10%のヘビーユーザーが発信しているもので、これは、他のソーシャルメディアにおいて、上位10%がメッセージの30%を投稿しているのに比べると、かなり偏っている。
  2. 利用者一人当たりの「生涯」における投稿数の中央値はわずか1回。ツイッター利用者の半分以上が74日ごとに1回以下しか投稿していないことになる。  *ところで、投稿する(tweet)ことを日本では「つぶやく」と訳しているのはなぜ? Tweetの本来の意味は小鳥が鳴くとかさえずること。「つぶやく」というからオタクっぽいイメージになるのでは?

 いずれにしても・・・調査結果が明らかにしてくれたことは、ツイッター流行におくれまいと一応登録はしてみたが、実際には利用していないひとが多いこと。その証拠に、ニールセンの調査によると、2008年1年間において、ある月のツイッター利用者が、次ぎの月に戻ってくる率は30%以下、つまりリピート率が下がっている傾向がみられました。

 ヒューレットパッカード研究所の調査結果では、他のソーシャルメディアに比べると、ツイッターは1対1の双方向コミュニケーション・ネットワークというよりは、1対多数の一方通行の発信サービスであることが、より強く浮き彫りにされました。調査した309,740名のうち、誰かをフォローするだけのひとや、反対にフォローされるだけのひとが圧倒的に多く、特定の相手とダイレクトメッセージのやりとりをする「友人」と呼べる関係は非常に少ないのです。ヒューレットパッカードの調査では、特定の人に最低2回メッセージを発信した場合に、この相手を「友人」とみなしました(つまり、メッセージを互いにやり取りしているわけでもない。通常なら友人とも呼べない関係をあえて友人と定義した)。それでも、この「友人」の数をフォローしている数で割ると平均して0.13で中央値は0.04.つまり、フォローしている人数にくらべて友人の数は1人以下で極端に低いことになるのです。

 この調査結果をふまえて、ヒューレットパッカード研究所は、「ソーシャルメディアはクチコミの研究に適した媒体だと考える傾向があるようだが、少なくとも、ツイッターにおいては、二人の人間にリンクがあったとしても、必ずしも二人の間に相互作用があるわけではない」と結論づけている。

 たしかに、アメリカで、ツイッターをマーケティングに利用して成功した実例を見てみると、どの企業もツイッターをマス媒体のように使っている。

 たとえば、世界第2位のPCメーカーのデルと、米大手家電量販店のベストバイ。

 デルは2007年にツイッターにアカウント(DellOutlet)を登録し、過去2年間で650万ドルの売上を上げ、フォロワー(デルをフォローしているユーザー)の数は60万人(2009年6月現在)で、最もフォロワーの多いアカウント上位100のひとつだ。そりゃそうだろう。デルは2週間に6~10回投稿して(投稿と訳したけれど、tweetしていること。これを「つぶやき」と訳したらおかしいよね?)、その大半がクーポン付きかセールスサイトにリンク付けされている。そして、こういったオファーの半分くらいがフォロワーだけへの特別オファーなのだ。

 デルがしていることは、一方方向的に特典つきメッセージを流し、それに引き寄せられたフォロワーが反応して購買する。DMやeメールの使い方と変わらない。違うところは、たった一件のメッセージ発信で、一瞬のうちにグローバルに到達でき、リスポンスを獲得することもできる。しかも、DMに比べたら経費がかからない。

 案外知らない人も多いようだが、Twitterは現在までのところ、アカウントを登録する企業から登録料を徴収したり、そのアカウントから売上をあげても1円も手数料をとっていない。実際のところ、Twitterは収入のほとんどない企業なのだ。ベンチャー投資家たちから集めた5500万ドルのうちまだ使われていない数百万ドルをよりどころに存続している会社なのだ。どういったビジネスモデルを採用して売上を獲得するのか・・・「まだ考慮中」だと創業者たちは言っている。そのうち、デルのような販売活動に従事している企業から売上の何%かを徴集するようになるだろう・・と推測されているが・・・。

 他のソーシャルメディアであるフェースブックとかミクシーもツイッターに類似したサービスを登録者に提供するようになっている。だが、企業が料金その他の制約なしに販売活動に従事できるのは、ツイッターだけ。どうりで人気が集中するはずだ。

 ベストバイは顧客サービスにツイッターを利用している。2009年6月からTVCMで、質問とか苦情とかあったらツイッターのアカウントに返信してくれと宣伝し、4ヶ月間で2万件の質問に答えている。こういったフォロワーのメッセージに答えているのはベストバイの2500人余の店員たち。オンライン顧客サービスを、店舗店員が時間があるときに提供していることになる。

 デルでは100人の従業員が投稿(tweet)に従事しているという。通常の仕事時間の20%を投稿に使うとして、100人の従業員の給料合計の20%、つまり、1年間に50万ドルを投稿作業に費やしていることになる。よって、投資の見返りは1300%になると計算したジャーナリストもいる。ベストバイでも、ツイッターを顧客サービスに利用することにより、コールセンターの人員削減にどのくらい貢献しているのか計算したうえでやっているのだろう。

 ツイッターだけでなく、他のソーシャルメディアでも、1)実際に利用しているのは少数派。つまり、ソーシャルメディアは思っていたほどソーシャルではないということだ。よって、一時話題になったようなクチコミマーケティングへの利用を夢想するよりは、リアルタイムに大規模ターゲットに広告メッセージを送ってリスポンスを獲得したり、顧客へのサービスを提供する場だとわりきったほうがよい、2)デルやベストバイの例からもわかるように、常にアップデートしてオンライン上で生存していくためには、人件費がかかる。非常に労働集約的なサービスだ。従業員の手のあいたときに投稿(tweet)してもらうというけれども、実際問題として、従業員の時間の管理や動機付けなどむつかしい問題がある・・・といった意見がよく聞かれるようになってきている。

 最後に、ソーシャルメディアにおける「友人」に関して、ちょっと面白いエピソードを・・・。

 日本でもオックスフォード英語辞典で有名なオックスフォード大学出版局が、2009年の「今年の言葉」としてunfriendを選んだ。そして、Unfriendは動詞として使われ、「フェースブックのようなソーシャルネットワーキングサイトにおいて、誰かを『友人』から削除すること」と定義した。

 Unfriendという言葉はdefriendとともに、ソーシャルメディア利用者の間では2004年ごろからすでに使われていました。が、この言葉を有名にしたは、米バーガーキングです。2009年1月に大きなサイズが売り物のワッパー・ハンバーガーの販促に「ワッパーの生け贄(犠牲)」キャンペーンを始めた。フェースブック上での友人のうち10人との関係を絶てば、ワッパー1個が無料で食べられるという、前代未聞のキャンペーン。開始して10日間で234000人の犠牲者リストが集まったところで(ということは、23400人がワッパー無料クーポンをもらうために友人たちを犠牲にしたわけだ)、フェースブックの異議申し立てで、あえなく終了。

 クチコミを拡大したかったのだろう。バーガーキングは、友人リストから削除された元友人たちにまで、「あなたは誰々さんの友人リストから削除されました」と通知を送ったのだ。「ハンバーガー1個、正確には10分の1個より価値無しと仕分けされた」元友人たちが猛然と抗議し、フェースブックはプライバシーの侵害にあたるとしてキャンペーンを即時中止するように要請した。

 このキャンペーンは、ソーシャルメディア上の友人とは何か? 友人との関係を絶つ(unfriend)ときの正しいマナーとか何か? やりとりなどまったくない相手で、自分だって友人などとは思ってもいない相手なのに、unfriendされると、自分でも驚くくらい心が傷つくものだ・・とか様々な議論を誘発しました。

 このエピソードですぐに思い浮かんだのが、映画「二十世紀少年」(私は漫画は読んでません。映画ヴァージョンしか知りません)。「二十世紀少年」では、「ともだち」に絶交されることは、ともだちの一味に殺されること。日本の中高生などでは、友人リストから削除されたことで自殺するケースもある。オンライン上でも、絶交される(unfriend)ことは、非常に感情的な経験だということが明らかになった。バーガーキングは、「数百人の友人リストを整理する良いチャンスを提供しようとしただけだ」とキャンペーンの正当化をしながらも、人間関係はたとえデジタルな関係でもデリケートなものだといまさらながら驚いたようだ。

 前述したヒューレットパッカード研究所の調査によると、ツイッターでどれだけフォロウィーが増えても、友人の数はある一定のレベルで止まってしまう。人類学者のロビン・ダンバーの主張する150人のレベルを超えることはないようなのだ(150人の制約についての詳細は、12月に発売した拙著「売り方は類人猿が知っている」を読んでください・・・と、ここでさりげなく新刊書の宣伝をする。えっ? 『さりげなく』じゃなくて『あからさま』だって?)。

 言葉が生まれることによって、友人・知人の数は150人に増えた。そして、ソーシャルメディアのような「ソーシャル・ソフトウェア」が登場したことによって、ロビン・ダンバーの150人の制約を越えることができるのではないか? という期待もあった。だが、いまのところは、そうはいっていないようだ。テクノロジーは発達しても、人間の脳がそれに適応していないということらしい。

 実に面白い~(「ガリレオ」の福山雅治ふうに独りごちてみる)

 突然ですが、2010年です。新しい年が明けました。

 不確実な時代を「強い心」で乗り越えましょう!

 皆様の2010年が素晴らしい年になりますように!!!

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参考文献: 1.Douglas Quenqua, Friends, Until I delete you, The New York Times 1/29/09, 2. Clare Baldwin, Twitter helps Dell rake in sales, Reuters 6/12/ 09, 3. Gne Markes, Beware Social Media Marketing Myths, BusinessWeek 5/26/09, 4. Bill Heil and Mikolai Piskorski, New Twitter Research: Men Follow Men and Nobody Tweets, The Conversation 6/1/09, 5. Saul Hansell, Best Buy Plans a Very Twittery Christmas, The New York Times 10/1/09, 6.Kit Eaton, Twitter Really Works: Makes $6.5 Million in Sales for Dell, Fast Company 12/8/09, 7.Bernardo A. Huberman, et al., Social networks that matter: Twitter under the microscope, First Monday, vol 14, no.1-5 January 2009

 

Copyright 2009 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

 

 

 

 

 

2009年12月 8日 (火)

ユニクロの行列

  以前は、一日の販売個数が限定されたバームクーヘンだからといって、行列に並んでまで買うひとは少なかった。まして、洋服を買うために列をつくるなど、いわゆるファストファッション企業がネットを利用したクチコミ・マーケティングをしかけるようになってからではないかな? 昔もセールを目当てに開店前に店先に並ぶ人たちはいたけど、いまのように、行列をつくることをイベントとして楽しむといった雰囲気はなかったような気がする。

 でも、いまは、食べ物やファッションを求めて、行列に並ぶことはクールなことらしい。TVニュースでも話題になる。最近では、ユニクロ・ブランドを販売しているファーストリテイリングが創業60周年への感謝祭と銘打って、11月21日に午前6時からの早朝セールを開催。銀座店に2000人、新宿西口店に1200人、大阪梅田店には650人が行列をつくったという。

 先着100人にあんパンと牛乳が無料で配られた。クロワッサンとコーヒーじゃないところが、そこはかとなく、ユニクロらしい。以前にも、ユニクロは製造業のメンタリティをもった会社であり、ヒートテックのような機能的製品を開発するのには優れていても、デザイン性を強調したファッション製品に成功するメンタリティは持ち合わせていないのではないか?・・・と書いたことがあります。1984年に広島にユニクロ1号店が開いたとき、朝早くから並んでくれたお客様への感謝の気持ちを込めて、アンパンと牛乳を配った。それを再現した・・・・ということだけど、ジル・サンダーがデザインした服を売り始めたんだから、せめてクッキーとコーヒー、いや、経費がかかりすぎというのならカフェラテ一杯でもよかったのに・・・。

 誤解を招くといけないのでしつこく説明すると、アンパンがダサいといってるのではないのです。シャネルがアンパンとグリーンティーを提供すればクールだけど、いまのユニクロの「安い衣料品を売る店」のイメージでは、アンパンと牛乳はあまりにはまりすぎ。セール目当てに並んだひとたちにアンパンを配るなんて、どことなく「みすぼらし~」感じじゃないですか。そのせいか、ニュースで「お祭りみたいで楽しかった」とコメントしていたひとは、お洒落には縁のなさそうなおっさんみたいなお兄さんだった。

 デザインにも優れたファッション衣料品を売っていくのなら、お願いだから、配るものにも神経を使ってほしい・・・・って、この話をしたいわけじゃなかったんだ!

 行列の話をしようと思っていたのです。

 なぜなら、サービス・システムを説明するときに、「行列」を例にとって説明すると非常に理解しやすくなるのです。サービスの場合は、サービスの提供者(医療サービスの場合は、医者や看護士その他の医療機関に働くひとたち)とサービスを受ける客(患者)の協働作業によって価値(患者の健康)が創造される。実際には、検査や治療に関係するテクノロジーもこの協働作業にかかわってくるわけで、よって、サービスは、こういった互いに作用しあうテクノロジーと人間の相互システムとみなされるわけです。だから、サービス・システムの設計や運営をするときには、1)エンジニアリング、2)人間社会のあらゆる側面を研究する社会科学、そして、3)マネジメントの3つの科学が必要だといわれます。

 行列を例にとって考えて見ます。

 何かを得るために列をつくって待つことは基本的に苦痛です。だから、行列をつくっている客をなるべく楽しい気分にさせる。少なくとも、苦痛を軽減させるような対策を、サービス提供者はとらなくてはいけません。対策は2つに分けることができます。

 まず第一に、実際の待ち時間を減らすようにする。これは、エンジニアリングとマネジメントとの問題です。

  1. エンジニアリング・・・たとえば、銀行がサービス向上をめざして調査をしたところ、待ち時間を減少してほしいという要求がトップだった。同じ調査によって、顧客の満足度は待ち時間が1分減るごとに急激に向上するが、待ち時間が10分を切ると、それ以降は、待ち時間が減る割には満足度は向上しないことがわかった。そこで、待ち行列理論を使って、平均待ち時間を10分にするためには、窓口の銀行員が何名必要で、ATMは何台必要か計算する。ついで、その目的を達成するためにかかる投資や経費、満足度が向上することによる売上や利益といった効果も算出して、短期的あるいは長期的に最大利益をもたらすように、つまりコストと効果の最適化をもたらすようなサービス・システムを設計する。
  2. 需要のマネジメント・・・たとえば、旅館やホテルを含めた旅行業者がやるように、需要が集中するのをふせぐために、ピーク時(お正月や夏休み)の価格を高くする。あるいは、また、待ち時間を表示することで、すいている時間に来ることを促すようにする。年金問題の相談を受ける社会保険庁では、年金の記入漏れなどが大きな社会問題となっていたときに、曜日や時間帯別に最近の待ち時間をネット上で公開し、混雑しないときに来訪するよう促した。

 そして、二番目の対策は待つという経験をできるだけ楽しいものにする。少なくとも、行列をつくっている客がイライラして怒り出したりしないようにする。これは、社会科学(心理学、哲学、政治学、人類学、その他人間社会を研究するもろもろの学問)の問題となる。

 たとえば、時間を長く感じるとか短く感じるとよく言うように、時間の長短は実際の長さではなく知覚の問題となる。だから、役所で30分待つのと、ディズニーランドで30分待つのとでは、同じ30分でも、役所で待つほうが非常に長く感じられるのだ。つまり、待ち時間が短く感じられるような対策をとればよいとこうことだ。有名な実験に、ホテル内でのエレベータでの実験がある。

 ある著名なホテルチェーンでエレベータがなかなか来ないという苦情が客からあいついだ。エレベータの台数を増やせばよいわけだが、投資が大きすぎるし、すぐになんとかできる問題ではない。そこで、エレベータホールに全身が映る大きな鏡をつけた。エレベータを待っている客は、自分の服装やヘアスタイルなどをチェックする結果として、待ち時間が短く感じられ、苦情は少なくなった。

 ティズニーのようなテーマパークでは、行列を短く感じさせるために、直線の長い列ではなく、階段を上らせたりコーナーを曲がらせたりして、目に見える列の長さが短くなるように工夫する。

 行列が進む速度が速いことも錯覚を起こさせる。たとえば、チケットを販売する受付窓口が10あるとして、それぞれに行列がつくられているとしよう。この場合、列の長さは10分の一になるが、1列に並んでいるときに比べると、行列が進む速度も10分の一になる。どちらの並び方も、結果としての待ち時間は同じになるが、実際に並んでいるときには、進み具合が速いほうがイライラしない。また、列が10列あると、他の列の進み具合が気になる。他の列の進み具合が早いような気がするのが人間心理で、これも、また、イラつきの原因となる。結果、銀行のATMの前でみられるような「フォーク並び」・・・1列で待ち、先頭から空いた機械に向かうという並び方が一般的によく利用されるようになっているのです。

 最近流行の食べ物やファッションをゲットするための行列は、1)客自身が価値あるものを獲得することができるという期待感を抱いている、また、 2)1人よりもグループで待つほうが短く感じられるし、いっしょに待っているひとたちの間で共同体意識が生まれやすい・・・・という要因によって、行列を作ること自体がイベントになり、行列に並ぶこと自体が目的となっている傾向が高い。だから、企業側は価値を感じさせるような企画を考えることに集中すればよい。

 とはいえ、グループで待つほうが時間が短く感じられるという2番目の要因を達成するためには、イベントがクチコミでひろがるように工夫する必要がある。そのほうが、広告でしらしめるより、共同体意識をもちやすい類似したタイプのひとたちが自然と集まるようになるからだ。広告というよりは広報活動が中心になる。2008年にマクドナルドがバイトをやとってやらせで行列をつくった・・・と非難されたことがあった。クチコミを促すための広報活動を強調すると、こういった勇み足になりやすいから気をつけなくてはいけない。

 価値を感じてもらえば行列が苦にならなくなるといっても、「価値あることが低価格だけでは淋しすぎる。・・・・というか、行列待ちの苦痛を軽減するには、セールスだけでは不十分だ。なぜなら、お金に余裕があれば、安売り商品を求めて寒い朝に早起きしてまで並ぶ必要などない。ある意味、仕方なく並んでいるのだ。だから、セールス目当てで行列に並ぶひとたちは、目当ての安売り商品が自分たちが店内に入ったときには売り切れていた・・・というとプッツン切れて怒り出したりする。著名デザイナーがデザインした服の限定販売とか、低価格だけでなく、それに+アルファがつくことによって、初めて、楽しい雰囲気が出てくる。

 あっと、また、なにげに、ユニクロの陰口になってしまった。

 陰口ついでにいえば、ユニクロは最近安いことを宣伝しすぎ。ユニクロ人気にあやかろうとする模倣商品ぽいものが次から次へと登場してマス広告で大きく宣伝もしているから、こういった恥ず知らずの会社にユニクロの実力を思い知らせてやろうという気持ちもあるかもしれない。でも、マス広告で余りに宣伝しすぎると、いくら機能的商品といえども消費者は飽きる。60周年で安売りを大々的に宣伝しすぎると、ユニクロ=安い商品というイメージがあまりに明確になりすぎてしまう。ファッショナブルな服を売るときの妨げになるのではないだろうか?

 行列の例でもわかるように、サービス・システムが複雑で面倒くさいシステムなのは、システムをつくっている人間とテクノロジーのうち、人間を管理することがむつかしいからです。人間社会を研究する社会科学を総動員しても、人間を理解し管理することが難解だからです。行列でいえば、行列に並ぶ体験を楽しくするのも苦しくするのも、並ぶ人間の感情であり心理の状態にかかっている。これを企業側がマネッジメントすることは非常にむつかしいのです。

 行列の話はまだまだあります。行列の話は奥が深いのです。

 また、次回に続けさせていただます。

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参考文献: 1.ユニクロ・早朝セールに大行列、毎日新聞 11/21/09、2.Richard C. Larson, Holistic Trinity of Services Sciences: Management, Social & Enfineering Sciences, 3. David Maister, Management, Social & Enfineering Sciences, 3. David Maister, The Psychology of Wairing Lines, Harvard Business School

 

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2009年12月 2日 (水)

売り方は類人猿が知っている(お知らせ)

  表紙
12月9日に、日本経済新聞出版社より「売り方は類人猿が知っている」という本を出版いたしました。日経プレミアシリーズでいわゆる新書版ですから、安いです。850円です。だから、買ってください(わっ、これじゃあ、ブログで散々批判してきた「芸のない安売り」と変わりありませんね)。

 ・・・では、今度は、「品質」でアピールしてみます。

 「自動車の売上とセックス頻度の関係」を解き明かす章もあります。S・E・Xの3文字を見ただけで、もう、買おう!って決めてませんか? なんといっても、エス・イー・エックスは売れるって、昔から広告関係者は言ってましたものね。この3文字に関係する実験とかエピソードはたくさん出てきます。でも、早とちりして買うとガッカリしますよ。基本的には、日本で自動車の売上が落ちているのは、世界各国のなかでも際立つセックスへの無関心が関係しているという、進化心理学や人類学にもとづくマジメな話です。

 不況になるとお金に不自由していない層までもが買い控えをする現象を、神経経済学の実験や進化心理学から、じっくり解明する章もあります。章のタイトルは「金持ち父さんは貧乏父さんのことがとても気になる」(白状します。他の本のタイトルをパクってます)。11月22日の読売新聞に、山梨大学の研究で、社会の所得格差が大きくなると、貧困層だけでなく、中間層や高所得者層でも死亡する危険率が高まることが明らかになった・・・という記事がありました。ストレスが高まることが原因らしいということです。不況になると、なぜ、高所得者層のストレスが高まるのか? その結果、なぜ、お金をもっているひとたちまでもが「巣ごもり」してしまうのか? この本を読んでいただければ、すぐにわかります。(宣伝ムード満開!)。

 不確実な時代には、不安なホモサピエンスはモノを買いません。

 それは、お金がない・・という理由よりも、いま所有しているものを失いたくないからです。現状を維持したいからです。人間は、予測できない世界に耐えられません。だから、無意識のうちに意味のないものに意味を見ようとするのです。だから、予測不能な不確実な時代には、よりいっそう、「ちゃらんぽらん」で「ちぐはぐな」消費行動をとるようになるのです。

 人間がそういった行動をとることを、神経科学や行動経済学、そして、その2つをプラスした神経経済学での実験が明らかにしてくれました。でも、その理由を教えてくれるのは90年代から注目を浴びるようになった進化心理学です。

 数十万年前から数百万年という太古の昔にもどって、私たちの祖先がしたことや学んだこと、環境の変化に心の仕組みが適応してきた歴史を知れば、現代の不可思議な消費行動が明らかになります。企業は、こういった研究成果をじっくり考えることによって、これからも続くであろう不確実な時代に生きる消費者たちに、どう対処したらよいのか?・・・ヒントを得ることができるはずです。

 わからないことはご先祖さまに聞いてみる。

 私たちの遠い祖先である類人猿や原人たちが教えてくれる「消費学」を1冊の本にまとめてみました。

 クチコミの歴史は数百万年前にサルの毛づくろいにさかのぼる・・・という話もあります。人間はゴシップ好きなDNAを受け継いでおり、また、他人といつも「つながっていたい」願望を、4百万年前に集団生活を始めるようになったころから持っています。だから、ケータイやTwitterでゆるくつながる現象は全然新しいことではない。ある意味、工業文明が始まることで崩壊した「村の暮らし」を、個人の自由が束縛されるといった欠点なしに再現することができたぶん、ホモサピエンスの歴史上、画期的なことかもしれない・・・などという話もあります。

 人間の進化の歴史をふりかえることで、現代の消費者とどう向き合うべきか、なんらかのヒントを得ていただくことができればよいなあ・・・というのが筆者の願いです。

 新しいアイデアを得られるかどうかは保証できません(逃げてる~)。でも、ミステリーを解読するみたいに、面白く楽しく読んでいただけることは、確率85%で保証できます(ちょっと宣伝しすぎだよ~)。ウソだと思ったら、買って読んでみてください(ああ、そうくるのか~)。

 本を読んでいただいた方で、ご意見、ご感想、ご質問とかありましたら、このページのコメント欄にコメントを寄せていただければとても嬉しいです。私もコメント欄で必ずお返事させていただきます。

 ・・・ということで、よろしく、よろしく、お願い申し上げます(見えないかもしれませんが、土下座しています)。

 

「売り方は類人猿が知っている」 日経プレミアシリーズ 

日本経済新聞出版社¥850

  目次
  1. 不安なホモサピエンスはモノを買わない
  2. 人間もサルも「得る」よりも「失う」を重く考える
  3. 金持ち父さんは貧乏父さんがとても気になる
  4. 自動車の売上と孔雀の羽の関係
  5. 感情と記憶が長寿ブランドをつくる
  6. 人間も進化の歴史から逃れられない

 

 

 

 

 

 

 

2009年11月17日 (火)

アマゾンが目指すパラレル型物流センター

 先日、某通販業のカタログを見て4個の商品をファックスで注文した。ファックスを使った理由は深夜で電話での受付は終了していたから(なぜ、ネットで注文しなかったのかって? その理由はあとで・・・)。 1週間後に電話がかかってきて、注文した4個の商品の1個の商品番号が1ケタ抜けているので確認したいとのこと。「なぜ、もっと早く電話をかけてこないの? ネットでの注文なら、とっくの昔に配送されているわよ!」と、昔ならプッツン切れて怒鳴っているところだが、年齢を重ねたぶん丸く(?)なっている。まあ、そのぶんズルくもなっていてるわけで、タラタラ文句をいってから、「おたくの注文処理の効率が悪いんだから、そのぶん、特別の配慮をもって早く送って」と強く言ったら、数日後には4個とも配達された

 やろーと思えばできるんじゃない~~。

 そのとき、そもそも、なぜ、この企業のウェブサイトで注文しなかったのかを思い出した。一度、試みたのだが、ネット注文する場合は、あらためて会員登録をしなくてはいけないのだ。すでに長年、注文していて、「お客様番号」だって持っている。なのに、ネットは別物だからと、再度、住所・氏名、その他を記入しなくてはいけない。めんどくさいから途中で止めたのだった。

 アマゾン創立者のベゾスCEOが好んで使う言葉は顧客体験(Customer Experience)だが、それでいえば、この某通販企業の顧客体験は余り良いものだとはいえない。

 ネット通販が伸びているのは、必ずしも安いからだけじゃない。アメリカでも日本でも、ユーザーは価格を比較はしても、多くの場合、常日頃使っているサイトに戻って購入していることが多い。①使い勝手が良いインタフェース、②迅速な配送、③安い(顧客は商品の安さよりも、配送費無料のほうを好むという報告がある)、そして、④商品の選択肢がたくさんあること。顧客志向どころか顧客にとりつかれているといわれる男をCEOに持つアマゾンは、この4点を提供することを目標として、(そして、⑤その過程で問題が発生したときには迅速に対応することによって)、顧客に安心感・信頼感を与えることでリピート購買率を高めることに成功している。

 この5つの顧客体験を満足いくものにするためには、かなりの先行投資が必要で、米アマゾンは、①ウェブサト(インターフェース)、②物流センター、③サーバー、④顧客サービスセンター(コールセンター)にお金をかけたために、1995年の創業から、利益を出すまでに10年かかっている。2000年には20億ドルの借金があり、そのくせ、配送費の低減化を積極的に進めたために、ウォール街のアナリストのなかには、現金がなくなって会社はつぶれるだろうと予言する者さえ登場したくらいだ。

 さすがのベゾスCEOもこのままではいけないと思ったのだろう。フルフィルメント・プロセスの効率や生産性を上げるための人材を外部からスカウトした。客から注文を受けてから商品の配達を完了するまでのフルフィルメント・プロセスにかかる経費は、ネット販売企業にとって販売管理費で最も大きな割合を占める。人件費ひとつをとっても、米アマゾンの物流センターに働く従業員は、全従業員数の40%を占める。当時、フルフィルメント経費は売上の15%。そのせいもあって、アマゾンの営業利益率は2000年にはウォルマート並みの3%。とてもハイテック企業の利益率とは思えないほど低いものだった。

 シックスシグマと在庫管理の専門家としてジェフ・ウィルケがオペレーションの最高責任者としてスカウトされた。ウィルケは、ばらつきをなくす従来のシックス・シグマに、無駄をなくすトヨタ方式(リーン方式)を組み合わせたリーン・シックスシグマを採用して、フルフィルメント・プロセスの効率化をはかり、フルフィルメント経費の割合を売上の15%から8.9%に落とし、結果、営業利益率も2000年の3%から2008%年には6%にまで増大した。

 コスト削減に成功した結果として、配送費を無料化に限りなく近づけ、また、利益を出しながら商品を安く売ることができるようになった。もちろん、フルフィルメント・プロセスの効率を上げることで、翌日配送も可能になった。

 ネットで注文してから商品が客に届くまでのプロセス全体をみると、フロントエンドとバックエンドの大きなギャップに驚かされる。フロントエンドでは処理能力の高いコンピュータ・システムに支えられ、使い勝手のよいパーソナライズされたインタフェースが実現されている。だが、その後に続くバックエンド、とくに物流センターでの作業は基本的に昔のまま。ピッカーが商品が置いてある棚に出向いて、商品をピックアップして、ベルトコンベアにのせ、パッカーが梱包して発送する。バーコードやスキャナーを使いIT化が進んだとはいえ、基本的な作業の流れは100年前と変わらない。つまり、ネット販売会社を含め通販会社の物流センターは、1908年にヘンリー・フォードがT型フォードを大量生産するために開発した流れ作業方式(ベルトコンベアに部品をのせ順番に単純作業を加えていくシリアル方式)をいまだに使っているのだ。

 だから皮肉なことに、ニューエコノミーの代表格のアマゾンすらも、在庫管理やシックスシグマの教えを乞うためには、オールドエコノミーの企業で在庫管理やシックスシグマを専門としたジェフ・ウィルケの力を借りたのだ。

 フロントエンドはWeb2.0でも、バックエンドは、チャプリンの映画「モダン・タイムス」の「オートメーション」のままなのだ。

 商品をベルトコンベアで運ぶシリアル方式は、膨大な種類の商品を膨大な数の個人客にコスト安に同日発送することへの限界壁となっている。もちろん、アマゾンもそれなりに工夫している。たとえば米アマゾン物流センターのなかには、複数商品の一括配送に特化しているセンターがある。そういった倉庫の棚には、本が置いてあるかと思うと、その隣にはスターウォーズのフィギュア、その下には寝袋といった具合。カテゴリーのまったく違う商品が同じ棚に置いてあるデータ分析して、一人の顧客がいっしょに買う確率が高いものを近いところに置く。そうすれば、ピッカーがピックアップしやすい。そして、センター内の異なる場所で異なるピッカーによってピックアップされた商品アイテムが、ベルトコンベアにのり、最終的に同じシュートに到着することを可能にする高度なソフトウエアが開発されている。シュートで待機しているパッカーは一人の顧客が注文した複数商品が集まってくるのを待ち、それを梱包して、発送用のベルトコンベアにのせる。

 基本的にはシリアル方式だが、まあ、少しは、パラレル型に近づいている。

 2003年、本当の意味でシリアル方式から180度転換したパラレル方式の物流センターを提供できる企業が創立された。ボストンに本社を置くキーバ・システム(Kiva Systems)だ。創立者のミック・マウンツCEOは、インタビューで、21世紀型物流センターの仕組みを思いついた理由を次ぎのように話している。

「ブレインストーミングで、労働力の安い中国で物流センターを作るとしたら、どうするか?って話になったんです。そのとき、ボクはこう言ったんです。数百人の人間を大きな倉庫に並ばせ、一人一人に異なる商品を持ってもらう。そして、ボクが注文データを見ながら、倉庫中にひびく大声で叫ぶんです。商品番号112番と、1500番と561番の商品をもっているひと、ボクのそばにきてくれ!って」

 彼は、安い労働力の人間を、オレンジ色の「お掃除ロボット」のようなモバイル・ロボットに変えた。そして、数百個のロボットがコンピュータの指令に基づいて、物流センターのあちこちにおいてある小さな棚の下にもぐりこみ、棚をひょいと持ち上げて、ピッカーがいる場所まで持ってくる。人間が在庫を取りに行くのではなく、在庫のほうから人間のほうにやってくるのだ。そして、棚を戻すときにも、どこに戻すべきかは、スピードや生産性が上がるようにコンピュータが制御する。回転の速い在庫がのっている棚はピッカーの近くに置かれ、回転の遅い在庫棚は倉庫の片隅に配置される。下のURLで紹介ビデオを見れば、英語の説明がわからなくても、ピンと理解できる。http://www.kivasystems.com/demo/index.html ピッカーのそばに、棚がやってきて自分の順番を待つ。行列の先頭の棚から商品がピックアップされてその棚が去っていくと、待ちかねたように後ろの棚がしゃしゃり出る。棚が生き物に変身したみたいでカワイイ。

 シリアルじゃなくてパラレル・プロセス・・・つまり、複数の作業が同時に進行するのだ。

 ベルトコンベヤーのような固定された自動化設備を設置する必要もなく、一人の従業員で一時間当たり2~3倍の注文を処理することができるから、従業員数も少なくてすむ。高度な制御ソフトウェアで動くモバイルロボットを数百個必要とするだけだ。通常なら完成するのに一年以上かかるのに、キーバ・システムだとコンクリートづくりの倉庫を4ヶ月で稼動可能な物流センターに変えることができる。

 商品棚がやってくると、ピックアップするべき商品がどれかセンサーが光るようになっているから、間違いも減る。スピードも正確性も向上する。商品棚の動き(つまり、モバイル・ロボットの動き)を制御をしているサーバーには、顧客が注文をすればそのデータがリアルタイムで入ってくる。顧客のコンピュータと物流センターのコンピュータが直結しているのだ。すでに、ウォルグリーンやステープルなど大手企業が採用しており、キーバシステムは2009年にアメリカで最も急成長している企業500社のうち6位にランクされた。

 このキーバシステムを採用した物流センターを、靴のネット通販としてこれまた急成長しているザッポスが2008年に採用した。そして、このザッポスをあのアマゾンが2009年7月に買収してる(ザッポスについては、『サービスを科学するシリーズ2』を参照してください)。結果、ザッポスのモバイル・ロボット方式のパラレル型物流センターをアマゾンが利用するようになるだろうといわれている。ベゾスは、2009年夏に、自分の資金700万ドルを、産業用ロボットを作っている会社に投資したとも報じられている。つまり、モバイル・ロボットをつかった物流方式の将来性を強く感じているということなのだろう。

 フルフィルメントは通販企業にとって、コスト的にも時間的にもボトルネックだった。ネット通販において、よりいっそうの、1)配送時間の短縮と、2)商品アイテム数の増大が進む中、この二つをコスト効率よく実現するパラレル型物流センターは、やっぱり注目度No.1なのではないでしょうか・・・

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参考文献:1.Zappos.com Implements Kiva Mobile Fulfillment System in Four Months, Business Wire 6/24/08, 2. Mick Mountz, Fulfillment: The Unexpected Key to Successful E-Commerce, E-Commerce Times 2/11/08, 3. Nick Wingfield, Amazon Prospers on the Web by following Wal-Mart's lead, The Wall Street Journal 11/22/02, 4. Joe Nocera, Put Buyers First? What a Concept, The New York Times 1/ What a Concept, The New York Times 1/5/08, a Concept, The New York Times 1/5/08, 5. Brad Stone, Can Amazon be the Wal-Mart of the Web? The New York Times 9/20/09参考文献:1.Zappos.com Implements Kiva Mobile Fulfillment System in Four Months, Business

Copyright 2009 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

 

2009年10月12日 (月)

宝島社女性誌とナルシズム

 

 出版不況のなかで、ひとり勝ちしているのが宝島社。発行している女性誌は軒並み前年対比60%増。なかでも「sweet」は2009年5月号の部数が60万部で、昨年より150%以上の伸びだという。

 そして、その数字を誇るかのように2009年9月24日に、朝日、日経、読売、毎日など全国紙に前面見開きカラー広告を出して、話題になった。雑誌が売れているのは付録がついているからだとか、経営者も出席するマーケティング会議に秘密があるとか、いろいろ話題になっている。

 が、ここで、取り上げたいのは、新聞広告に掲載された「女性だけ、新しい種へ。」というコピーについてです。

 「この国の新しい女性たちは」、自分のファッションを考えるときに、「もう、男性を意識しない。彼女たちは、もう男性を見ない。もう、自分を含めた女性しか見ない」から始まって、「このままいくと、女性と男性はどんどん別の『種』に分かれていくのではないか」と続き、「いつか、女性は男性など必要とせずに、自分たちの子孫を増やし始めるのではないか」と予言します。そして、女性たちが新しい種として、これからますます飛躍していくのに、男性たちは、どうするんだろう・・・と、男よもっと強くなれ!と叱咤激励(?)しているかのようなエンディングとなっています。

 異性を意識していないのは、女性だけではなく男性も同じ。草食系男子というセックスに余り興味のない「新しい男性」もすでに登場してきているらしい。世界的ベストセラー「利己的な遺伝子」を書いたリチャード・ドーキンスによれば、人類、動物、いや、地球上に住む生物はすべからく、繁殖して自分の遺伝子を将来にのこすように仕組まれプログラムされているのです。その繁殖に必要なセックス、そして、そのために必要な異性への関心がない・・・などということは、「この国の新しい女性たち」だけでなく「この国の新しい男性たち」どちらも、地球上の生物であることを放棄しているようなものです。ホモサピエンスから枝分かれした新種です。80年代半ばに流行した言葉を使えば、これjこそまさに「新人類」なのです。

 ただし、残念ながら、人類というか哺乳類は、異なる性同士の交配、つまり精子と卵子の受精以外には正常な固体は生まれない仕組みになっています。単為生殖するミジンコ、雌雄同体のカタツムリ。魚類とか爬虫類の仲間にも、新しい環境の変化に適応して、メスやオスが異性なしに自分だけで繁殖する種も発見されています。しかし、哺乳類である人類は、どれだけ気の遠くなるような時間をかけても、異性同士のセックスなしに繁殖はできない遺伝子の仕組みになっているのです。クローン人間をつくる以外、異性間のセックスなしに、新しい生命を誕生させる可能性はないのです。したがって、いくつかの国際的調査によって、世界で一番セックス頻度が少ない日本国においては、「強くなった女性」も「弱くなった男性」も、どちらも新種どころか絶滅種となる運命にあるのです。

 30世紀への予言はこのくらいにしておいて、宝島社の女性誌や東京ガールズコレクションを支える女性たちのナルシズムの話に移ります。

 アメリカでは、1970年代以降に生まれた世代にはナルシストが多いと言われます。共稼ぎ夫婦の間に生まれ、豊かな生活のなかで、兄弟姉妹も少ないために、まわりの注目を浴びることが当たり前のような環境で育ってきた。しかも、欠点を指摘されるよりも、良いところを見つけて誉める教育を受けてきた。こういったことが、ナルシスト世代を生んだ原因だそうです。

 日本人の新世代も似たような環境で育ってきてはいるかもしれないが、ナルシストとはいえない。人生経験が少ないがゆえに謙虚さのない若者は多々存在する。でも、そんな若者ですら、自信過剰というよりは、どちらかというと自信過少気味なのが日本の特徴だ。ナルシズムは日本には無縁のものだ・・・・と、最初は考えました。でも、ナルシズムについて、もう少し調べてみると、東京ガールズコレクションや宝島社女性誌に人気が集まる理由がガッテン!できたのです。

 「そうか!これでいまの若い女性たちが、自分たちのファッションの基準として、異性の気を引くよりも、同性である自分たちの仲間うちの目を意識することが理解できる。また、自分たちの仲間うちから生まれたスター、つまり読モやストスナ・セレブに注目する傾向もわかったぞ!」

 ・・・・ということで、70年代よりずぅずっと前に生まれ親には欠点を批判されて育ったくせに、なぜか自信過剰気味のナルシストの私は、絶対的に正しいと信じて疑わずに自説を発表したいと思うのです。

 まず、第一にナルシズムは「自己愛」と訳されたりしますが、ナルシストは自分を愛するために、自分を誉めてくれるまわりの人間を必要とします。

 ナルシズム(narcisism)の語源はギリシア神話にあることはご存知でしょう。美青年のナルキッソス(Narcissus)は自分に恋焦がれている妖精エコーを拒絶します。それを見た復讐の女神ネメシスは罰として、ナルキッソスが自分だけしか愛せないようにします。ある日、ナルキッソスは、水の面に映った自分の姿を見て、恋に落ちてしまいます。が、どれだけ恋焦がれても、その恋は成就しません。その場所から離れられないナルキッソスは憔悴してやせ細りついに死んでしまいます。その後に咲いた花はナルキッソスの名前をとってnarcissus(水仙)と呼ばれるようになりました。

 水の面(鏡)に映った自分の姿しか愛せない・・・この鏡がまわりの仲間うちのひとたちです。ナルシストは、自分自身を映し出している(反映している)仲間に認められ誉められることを必要とします。当然ながら、自分の価値基準をまわりにも求めるし、また、反対に、まわりが価値あると認めるものが自分の価値基準になります。ゴシック&ロリータ好きとか、お姫様好きとか、いろんなグループがあってつるむのです(女の子たちは小学生のころからトイレにいくのもつれだっていきますよね。西洋でも、女性のナルシストはグループで行動する傾向が男性よりも高いといわれます。もっとも、TVドラマ「セックス&シティ」で女性4人が何をするのもいつもいっしょ・・・くらいのレベルのことかもしれませんが)。

 ナルシズムのひとたちは、愛しているのは鏡に映っている自分であり、本当の自分への自信はありません。だから、グループとつながっている必要性があります。ケータイもSNSも、そして、宝島の女性誌も、この「つながり」を提供してくれているのです。ナルシストは本当の意味で(昔の伝統的な意味での)友人が必要なわけではなくて、自分を映し出してくれる鏡が必要なわけですから、「つながり」だけで充分なのです。ファッションの基準、趣味、そういったものでつながっているグループが存在すればよいのです。そして、このグループの価値を認めることは、自分自身の価値を認めることです。ですから、女性誌を読み、その価値をクチコミし、雑誌の人気が出ることは、自分にとっても喜ばしいことなのです。

 ついで、自分の仲間うちから出たスターに注目しあこがれる理由も書いてみます。宝島の女性誌やTGCのファッションは、基本的に、ストリートファッション中心だといわれる。ストスナといって、街を歩いているちょっと個性的な女性の写真を撮る。そういったスナップ写真ばかりで作られたストスナ・ページが人気を呼ぶ。「マーケティングNOWシリーズ12」で書いたように、それほど美人でもないのに、自分流(?)なメークやファッションでストスナ雑誌に登場し、読者(仲間うち)で注目され憧れの対象となっている読モも多い。

 こういった現象を理解するために、アメリカの「セレブ崇拝シンドローム」についての研究をチェックしてみます。

 アメリカでも最近のセレブ人気は異常だといわれ、2002年の英米での心理学調査では、アメリカ人の3分の1がセレブ崇拝シンドロームにかかっているという結果が出ています。このセレブ人気について、2つの説があります。

1) 進化心理学者の説・・・人間は太古の昔からゴシップ好きだった。現世人類が生まれて25万年のうち99%以上を私たちは150人くらいの村落グループで暮らしてきました。そこでは、ゴシップは、つまり、「その場にいない互いに見知った誰かについて評価すること」は、社会の秩序を守り生活を円滑にするために必要な手段だったのです。誰と誰が仲良しだったが最近ケンカしたとか、誰と誰が最近密会していたとか・・・いまでも、こういった情報を知っていることは、会社、業界、政界、どの人間グループにおいても、自分の地位の安泰をはかり権力を得るための最重要事項です。

20世紀になって工業文明が始まり、村が崩壊し、人類はある一定のグループからグループへと渡り歩くようになりました。住居を変える、職場を変える、学校を変える。そのときどき、どの新しいグループに入っても、共通して知っている馴染みある顔はセレブです。だから、誰もが、セレブのゴシップに夢中になるのだそうです。ちなみに、これも心理学調査によると、男女の違いとか、社会的地位の違いに関係なく、現代の我々も会話の3分の2をゴシップに費やしているそうです。

2) ナルシズムの観点からみた説・・・・セレブについて話すことは、自分自身について話すことでもあります。社会における自分の立ち位置や価値基準を決めるためにセレブを利用しているのです。自分は誰なのかを明確にし、自分の価値観を再認識するために、自分の仲間とのネットワークをより強固なものにするために、セレブについて話すのです。自分が憧れるセレブはナルシストの水の面(鏡)と同じなのです。そして、そのセレブが仲間内からの出身者であることは、自分の価値基準に自信がもてることです。だから、ファンとしてより強くサポートするのです。

 こう考えていくと、女性たちは、新しくなったわけでもなく、強くなったわけでもない。ある意味、不確実で不安な時代において、自信を喪失しているがゆえにナルシズム傾向が出ている・・・ともいえる。「自分流のファッション」といわれるけれども、それは本当の意味での自分だけの個性ではなく、自分の仲間うちでカッコイイとかカワイイとみなされている個性なのです。

 男性にもナルシズムが侵食している傾向は見られます。女性のようにグループをつくり、同性の読モやストスナ・セレブに憧れる男性もいるようです。しかし、多くの男性は女性ほどつるまないせいか(つまり、自分を誉めてくれる仲間がいないせいか)、自信を喪失しやすい。そういった挫折したナルシストによく見られる行動が、内に引きこもりオタク化したり、反対にすべてをまわりのせいにして攻撃的になったりする。

 うっ、なにか、ちょっと暗くなってしまったぞ。

 「二十世紀少女」としては、もうちょっと明るい未来を予言する形で、この話を終えたいと思います。たとえば、宝島社が、女性カリスマ読モと男性ストスナ・セレブとが結婚して、2・3人子供を生んで、幸せに暮らす生活を見せる雑誌をつくる。収入の格差、愛情表現の行き違い、うまくいかない性生活、そして、子育ての大変さ・・・こんなことを、(TVのリアリティー番組ならぬ)紙面リアリティー・ページみたいに展開して、それでも、「二人はやっぱり幸せheart01」だと読者に思わせれば、ナルシスト同士のカップルがたくさんできて、日本人も絶滅種になることは避けられるかもしれない。

 でも、私が一番好きなアイデアは、宝島社が、「主婦と生活」の復刻版みたいな思いっきりレトロな雑誌を出版し、家計簿と白いかっぽう着を付録につけるっていうものです。

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参考文献:1. A Field Guide to Narcissism, Psychology Today, 12/9/05, 2.Seeing by Starlight: Celebrity Obsession, Psychology Today, 7/15/04, 3.Carol Brooks, What Celebrity Worship Says about Us, USAToday 9/14/04 4. Raina Kelley, Generation Me, Newsweek 4/18/09 5. Lucy Taylor, The Ego Epiemic: how more and more of us women have an inflated sense of our own fabulousness, Mail Online 9/14/09, 6. Christine Rosen, Virtual Friendship and the New Narcissism, The New Atlantis , Number 17, Summer 2007

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