2011年1月 3日 (月)

フェイスブックはメディアなのか? (無料より高いものはない)

フェイスブックは果たしてメディアなのか?

 フェイスブックはメディアである・・・・と言うのは、グーグルが検索サービス会社であると言うのと同じくらい、正しいようで正しくない。

 フェイスブックは、2010年4月に「オープングラフ」を発表しました。そのオープングラフ構想に対しては、

  1. 地球規模の「行動ターゲティング広告」が実現するかもしれないことへの驚異と脅威、この2つの感情がいりまじった意見があいついでいます。
  2. 当然のことながら、プライバシー侵害についての議論も続いています。

 オープングラフとは、フェイスブックの創業者でCEOのマーク・ザッカーバーグが2007年に造って発表し流行語にもなった「ソーシャル・グラフ」がオープンになったもの。・・・・ということで、まず、ソーシャル・グラフとは何かということから始めます。

 ソーシャルグラフは、オンライン上での個人の関係(リレーションシップ)を(ノードとエッジと呼ばれる線で)描いたグラフで、実社会のソーシャル・ネットワークのヴァーチャル版です。フェイスブックが提供するSNS(Social Networking Service)を利用するユーザー間のソーシャルネットワークは、ソーシャルグラフです。

★下の図は、6人の関係をノード(サークル)とエッジ(線)で表現したソーシャルグラフです(Wikipediaから引用

                            6n-graf
 オープングラフは、このソーシャルグラフをオープンにして、フェイスブック以外のサイトを含め、究極的には、ウェブ上のすべてに広げようというものです。つまり、「世界中の人間が、デジタルの世界においては、(フェイスブックが提供する)ひとつのプラットフォームでつながるようにする!」というものなのです。

 そのために、フェイスブックは新しいソフトウェア(ソーシャルプラグイン Plugin)を開発しました。フェースブックにつながりたいサイトは、この無料のソフトを使って、「いいね!」ボタン(Like Button)やログインボタンを自分たちのサイトに貼りつければ、それだけで、簡単に、フェイスブックとつながることができます。

 「つながる」ということは、たとえば・・・

  1. ユーザーにとっては・・・・フェイスブックのユーザーが「つながっているサイト」を訪問すれば、小さなウィンドウがポップアップして、友人の顔写真入りで、友人の誰がどのページにアクセスして、どの記事とか商品にどうコメントしているかの情報が表示される。また、ユーザーは自分のプロフィールデータを携帯して他のサイトを訪問しているようなものなので、商品を買うときに、住所・氏名などを新たに書き込む必要もない。
  2. 他のサイトにとっては・・・・初めての訪問者でも、フェイスブックから提供された情報をもとにパーソナライズされたサービスを提供することができる。よって売上が向上する。
  3. フェイスブックにとっては・・・・ユーザーが他のサイトで見たもの、買ったもの、コメントしたこと等々、すべての行動データを獲得することができる。こういった情報武装によって、ユーザーに最適化された広告を出すことができる。よってスポンサーに高い広告料金を請求することができ広告収入が向上する

 「ユーザーは、オープングラフによって、ウェブ上のどこにいっても、パーソナライズされたオンライン経験を楽しむことができる」とか、「ウェブ上をサーフィンしていて、面白そうな店があるので立ち寄ってみた。そしたら、そこに友人数人が来ていて、どの商品を買うとよいとか教えてくれるようなものだ」とか、いろんなコメントがある。

 広告に話をしぼると、フェイスブックのサイト内での広告は、他の大手サイトと比べて、CTR(クリック率)が低いことがわかっています。サイトを訪問するユーザーのクリック率は、平均して、0.04%くらいしかないといわれる。かたや、「犬、ドライフード」というキーワードで検索すれば「ペットフード」の広告が出てくるグーグルの場合は、検索したひとたちの8%が、最初に出てくる広告をクリックしているといわれる(そのぶん、グーグルの広告料金は高い)。

 フェイスブックとしては、ライバルに対抗して広告収入をふやすためには、サイトにアクセスしてきたユーザーに、1)他のサイトで、犬を購入したという情報をもとに、ドッグフードの広告を出す、2)そこに「いいね!ボタン」がついていて、クリックすると友人の一人が、「このお店の商品は他よりダントツ安い」とコメントしていた・・・・というようなパーソナライズされた広告を出そうというわけだ。

 当然のことながら、プライバシーへの懸念がある。オープングラフは個人情報の流出だと猛烈な反論もある。だが、フェイスブックは、1) 知人情報はユーザーだけに表示される、2)自分のプロフィールに公開したくない情報は書かなければいいと反論する。そして、他のサイトでの行動情報が自動的につつぬけになってしまうじゃないかという抗議に対しては、3)いやならオプトアウトすればいい・・・と答える。

 ここで問題なのは、オプトアウトをする・・・・ということだ。

 フェイスブックのユーザーは、フェイスブックが他サイトと情報を共有することに対して、ユーザーになった時点ですでに了承していることになっている。つまり、デフォルトで(初期設定でそうなっているので自動的に)オプトインしているということなのだ。

 ユーザーとして登録するときに登録ボタンをクリックすると、利用規約およびプライバシーポリシーに同意することになる。これは、ほとんどどこのネット企業でも同様なやり方をしている。そして、細かい字で書かれた利用規約とかプライバシーポリシーを読むひとなんてほとんどいないだろう。

 調査によると、フェイスブックのプライバシーポリシー(英語)の長さは、5830字(2004年には1004字だった。そして、ツイッターは現在でも1203字)。ニューヨークタイムズの記事によると、フェイスブックでは個人情報を第三者と共有しないようにするためには50もの設定をチェックしなくてはいけない。よって、オプトアウトするために必要な手続きは非常に煩雑なものになるそうだ。

 私自身は、マーケッターの一員として、他のサイトに自分のある程度の情報が流れることに目くじらは立てないつもりだ。だが、デフォルト(defoult)でオプトインになっているというネット業界のやり方には異議というか、原理的(?)コメントをいいたくなる。

 日経新聞に林紘一郎氏(情報セキュリティ大学院大学学長)が、グーグルの書籍の電子化に関して次のように書いてる。「・・・現行の著作権制度に従えば、書籍は事前に権利者の許諾を得ないと複製できないこと(つまりオプトイン)のが常識だが、(グーグルが)採った態度は許諾なしに膨大な複製を行ったあとで権利者団と和解するという、世間からみれば破天荒なものであった・・・」。つまり、「グーグルの行動様式は、オプトアウト(関係者の同意を得ないで処理を行い、異論がある場合には、退出できるオプションを用意しておけば許される)をデフォルト(初期設定)と考えるものである」。

 フェイスブックCEOのザッカーバーグは「ウェブの世界では、デフォルトがソーシャルである」といっている。この発想からいけば、初期設定が個人情報をオープンにすることになっていることは当然だ。

 グーグルは、「世界中の情報を誰もが簡単にアクセスできるようにする」ことが創業時からの目標だ。そして、フェイスブックは、「世界中の人間をつなげる」ことが今の目標のようだ。 

 すでに5億人集まっているから、そんな目標をたてる気にもなるんだろう。昔、人類皆兄弟なんてスローガンもあったし、DNA的には祖先は同じで、みんなつながっている。だが、誰もがつながりたいってわけでもないだろう。それに、皆兄弟だといっても何でも話す、つまり情報をオープンにしたいわけでもないだろう。(日本のオタクはアンチソーシャルがデフォルトのはずだし・・・・)。

 私が、たとえば、長渕剛のコンサートチケットをぴあで買ったとして、一ヵ月後にアマゾンのサイトを訪問したら、長渕のCDがレコメンドされたとしたら・・・・? あるいは、フェイスブックを訪問して、サイト内のアマゾンの広告をクリックしたら、長渕の歌声が流れてくる。その上、そばにある「いいね!ボタン」をクリックしたら、その曲が好きな友人の写真が飛び出てきて、「長渕の曲で、最近、はまってるのは~」なんて好きな曲を推薦してくれる・・・というものだったら。そしたら、買うか? うーん、うざいなと思いながらも、買ってしまうかも。

 あっと、ダメダメ。原理的に反対意見を書くのだった。

 一歩も五歩もゆずって、パーソナライズドされたオンライン経験には「意味ある」ものもあるとしよう。

 だが、そのために、わたしたちは何を犠牲にしているのか? 

 ネットの登場によって、多くの情報が無料になった。「フリー/無料からお金を生み出す新戦略」という本も出版されている。「デジタルなものは無料になる、だが、企業は無料でサービスを提供しても、それでもお金儲けはできる」といったようなテーマで、ベストセラーにもなったらしい。だが、無料でビジネスは成り立たない。「人類皆友人か夫婦になれる(アメリカではSNSサービスで結婚するカップルが増えているらしい)」サービスを無料で提供している会社フェイスブックは、広告で収入を得なくてはいけない。

 そして、行動ターゲティング広告にすれば、広告収入は向上する。・・・というかライバルのグーグルにクリック率で追いつくことができる。そのためには、パーソナライズドされた情報が必要だ。

 グーグルやフェイスブックという企業が無料でサービスを提供して、その過程において、社会と摩擦を起こすことがあったとして、それは、結局は、サービスにお金を払わなくなった私たちが悪いのである。

 私たちは、無料で価値ある情報を得る結果として、自分自身の情報を提供しなくてはいけなくなっているのだ。

 欲しい情報と自分の個人情報と物々交換をしているようなものだ。

 無料(タダ)より高いものはない。昔からいうコトワザどおりなのだ。 

 ・・・・タイトル「フェイスブックはメディアなのか?」のテーマに戻します。

 フェイスブックは、いまは広告で収入を得ているから広告メディアかもしれません。が、フェイスブック・プラットフォームは、5億の人間のデータから構築されたプラットフォームです。現在は、北米とヨーロッパで全ユーザーの60%を占めていますが、シェア17.5%のアジアでのユーザーの増加率は15.3%で欧米の約2倍。また、アフリカのシェアは現在1.6%ですが、増加率は21%です。人口の多い国のユーザーの増加率か高いことを考えると、「すぐに10億に届く」というフェイスブックCEOのコメントは現実味をおびています。

 10億の人間のデータから構築されたプラットフォームを持つ会社がたんなる「広告メディア」で終わるはずがありません。きっと、新しいビジネスを考えていることでしょう。

 世界18カ国5万人のネットユーザーを調査した結果(HBR8月号)によると、日本は世界の異端児です。ソーシャルメディアを使ってネットワークを積極的に広げようとしている世界のなかで、日本はソーシャルメディアを限られた友人や知人とつながるために利用している傾向が高いそうです。

 そのせいか、フェイスブックの日本におけるユーザー数は約200万人といわれています。かたや、フェイスブックとは違いクローズドな方針をとってきているミクシィの登録者数は11月時点で2190万人です。

 しかし、こういった傾向がこれからも続くわけではないでしょう。日本と同じく国内SNSが強いといわれた韓国で、いまフェイスブックは73%という世界最速の勢いで伸びています。(10年7月現在で直近3ヶ月の成長率)。

 最後に話しのネタをひとつ。 フェイスブックは5億人というユーザー数からひとつの国家にたとえられます。たしかに、国民総背番号制も採用できず国民のデータの一元化のできていない日本国と比べれば、国家としてのインフラはよほど整備されているかもしれません。ネットの世界の憲法ともいうべき利用規約とプライバシー・ポリシーに関していえば、フェイスブックのものは5,830字からなると書きました。これは、4,543字からなるアメリカの憲法より長い。この点からも、フェイスブックはすでに国家の体をなしている・・・・って、これはジョークでしょうか?!

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 参考文献: 1. Gulbert Gates, Facebook Privacy: A Bewildering Tangle of Options, 5/12/10, The New York Times, 2.Facebook: One Social Graph to Rule Them All?, CBSNews, 4/2 Graph to Rule Them All?, CBSNews, 4/21/ to Rule Them All?, CBSNews, 4/21/10, 3. Zuckerberg: "We Are Building A Web Where The Default Is Social", The Washington Post, 4/21/10, 4. Facebook's outrageous privacy policy: By the numbers,5/17/10, The Week, 5.Is Facebook Trading Privacy for Profit?, RedOrbit News, 5/3/10, 6. Brad Stone, How Facebook sells your friends, Bloomberg Businessweek, 9/24/10, 7. 林紘一郎、経済教室「グーグル・ヤフー提携を考える」、日本経済新聞社11/17/10、8.Mapping the Social Internet, Harvard Business Review July-August 2010、9.「こうなる2011年」日経ネットマーケティング2011.1

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2010年12月28日 (火)

オールド・メディアの逆襲(ハイボールとダイレクトメール)

「逆襲」って言葉は、ちょっと受けを狙ってるだけです。まあ「オールド・メディアの健闘」というところでしょうか。

 2010年はTVが健闘したのではないでしょうか。2010年7月~9月期の四半期決算によると、電通は大幅経常増益になった。その理由はテレビ広告が持ち直したからだ・・・と日経新聞は報告しています。

 TVが健闘している理由として、1)不景気で残業も減り、自宅で過ごすヒマな時間が多くなった、2)パソコンやケータイをしながらTVを見る・・・という「ながら視聴」が多くなった。 

実際、楽天リサーチの調査によると、10代~50代で「頻繁にながら視聴をしている」割合は平均して30.4%。ネットとTVは敵対関係ではなく協力関係にあるわけだ。たとえば、パソコンでネットを使った日のほうがテレビを見る時間も長い・・・という調査結果もあるくらいです(日本人の情報行動調査)。そして、10代はパソコンではなくケータイでネットを利用する傾向が高いわけですが、ケータイでネットを見る時間は一日66分。テレビの視聴時間はそれより多く110分を越している・・・そうです。

 調査というのは、自分が「こうであって欲しいなあ」と願う結果が出ている調査をついつい探してしまう。そういった行動経済学でいうところの「確証バイアス」を無視して、あえて、NECビッグローブのツイッターに関する調査を紹介します。2010年4月の調査で、ツイッターの主な利用者は20代~30代の会社員だが、書き込みが伸びるのは会社の終わった午後6時以降。そして、話題では、テレビ番組の話題が多い。結果、番組放送後の時間帯に投稿が増える。

 TVとツイッター(PCやケータイ)とは相性が良いという、もうひとつの調査結果です。

 まあ、調査結果はこれくらいにして。TVの威力を思い知らされたのは、やっぱり、ハイボールの復活。というか、ハイボールなんか知らなかった若い世代にとっては、ハイボール人気を誕生させたことでしょう。

 TV広告が始まったのは2009年2月から。もちろん、それ以前に、全国各地の飲み屋にハイボールのおいしい作り方とかを教授し、「角ハイボールタワー」という専用のサーバーをつくって買ってもらうといった、地道な営業努力がありました。でも、小雪のあのコマーシャルなくして、ハイボールはここまで人気を獲得することができたか? 2008年の時点で角ハイボールを取扱う店は約1万5000店、これが、2009年には6万店、2010年7月末には9万7000店を越えた。

 ハイボールは、日経新聞の2009年のヒット商品番付で西の前頭、2010年のヒット商品番付のフードビジネス部門で小結・・・・と二年続けてヒット商品となりました。

 ブランディングと認知度向上へのTVの威力はやっぱりすごい! 企業の明確な意志を伝達するメディアとしてのTVの力は、やっぱりすごい!・・・TV大好き人間の私としては、嬉しいニュースでした。

 次は、紙媒体の威力の話しです。

 リーマンショック後、コスト高ということで需要の落ちたダイレクトメール。このダイレクトメールの(デジタルメディアと比較した)威力を証明するために、神経科学のテクノロジーを利用した会社があります。英国の(日本郵便みたいな会社である)ロイヤルメールです。

 ロイヤルメールは、英国バンゴア大学に依頼して、人間の脳は広告メッセージをどう情報処理しているかを、デジタル媒体と紙媒体との違いで調べてもらいました。

 20人(男女10人ずつ、平均年齢30歳)の被験者にfMRI(機能的MRI)にはいってもらい、既存の広告をデジタル形式(スクリーンに表示される)と紙に印刷された形式と2種類見せ、脳の様子を観察した。

 胸梁膨大後部皮質だとか前頭前皮質内側部とか漢字だらけの部位名がだらだら羅列されているのを省いて簡単にいうと、まず、第一に、紙媒体は脳には「リアル」に具体的に知覚されている。当たり前といえば当たり前のコメントだけれども、「リアル」に知覚されていることは重要で、その結果として、感情が喚起され、感情がともなうがゆえに、記憶に関係する部位も活性化する。

 つまり、感情と記憶に関係する部位が、デジタル広告よりも、強く活性化される・・・ということらしい。

 しかもデフォルトネットワークである前頭前皮質側部や後帯状皮質が活性化して、喚起された感情情報を自己の思考、感情や記憶に関連づけようとしている。(これは、つまり、ブランディングや購買の動機付けに関連してくる・・・はずだ)。

 もうひとつ面白いことは、人間の脳は、スクリーン上のデジタル広告(ヴァーチャルイメージ)には、リアルなイメージに比べて、意識を集中しにくくできているらしい。

 だから、パソコンやケータイを使いながらTVを見る・・・といった「ながら見」をしてしまうのだろうか?

 いずれにしても、この実験結果だけをみると、紙媒体による広告(たとえばダイレクトメール)はeメールやウェブサイトにはない効力をもっていることになる。まあ、私的には賛成します。以前から、「ネット販売企業は、コストが安いからといってネット内だけで完結しようと決めつけないほうがよい。ハガキDMを使えば顧客の継続化をはかれる」と言っていましたから。

 ロイヤルメールの実験に関連して・・・・電子書籍と紙の書籍で、脳が情報をどう処理しているか調べてほしいですね。とくに、感情とか記憶。ロイヤルメールの実験でいけば、紙の書籍で読んだほうが、感情は喚起されるし記憶にも残るってことになります。これは、大きな問題で、教育現場ではiPadじゃなくて、これからもずっと紙の教科書を使ったほうが効果が高いということにならないでしょうか? 

 出版社さん、あるいは、大手本屋さん、一度、実験してみてください。思わしい結果が出なかったら発表しなくていいですから。

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参考文献: 1.「広告3社7~9がウ、電通・博報堂DYが増益】日本経済新聞11/11/20、2.「つぶやき」木曜午後10時最多」日経MJ5/12/10、3.「ネットは携帯で/TVも見るし・・・」 朝日新聞12/12/10、4、「サントリーハイボール、成功の秘訣」日経新聞電子版セクション12/08/10 5, Using Neuroscience to Understand the Role of Direct Mail, Millward Brown 6, www.mb-blog.com, The implications of neuroscience for marketers

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2010年12月25日 (土)

クロスメディアとソーシャルメディア・フォビア(ソーシャルメディア恐怖症)

 2010年はソーシャルメディアの年でしたね。

 Twitterで始まってFacebookで終わるって感じ。フェイスブック創業者のマック・ザッカーバーグは米タイム誌の「今年の人」に選ばれたし、フェイスブック創業のエピソードを映画化した「ソーシャルネットワーク」が新年早々日本でも公開されるし。

 ・・・ということでソーシャルメディアに関しての話題を2つ。

 最初は、クロスメディアについて。

 最近、某所で、クロスメディアについて講演することになって、「えっ、クロスメディアって何?」とあわてて調べてみたら、これが、よくわからない。複数のメディアを活用する販促活動なんて、昔からあったし・・・。それに、そういった意味で使うなら、クロスメディアというよりはクロスチャネルという言葉のほうが、英語圏では一般的な感じです。

 日本の某広告代理店は、複数のメディアのなかにソーシャルメディアをいれてクチコミを喚起するような販促活動の場合はとくに、クロスメディアという言葉を使っている(ようにみえる)。いずれにしても、言葉だけが先走りして中身が明確になっていないようなので、いろいろ調べて、次のような性格づけを(勝手に)してみました。

 まず、第一に、クロスメディアが注目されるようになったのは、複数のメディア(チャネル)を使用しなくてはやっていけないマーケティング環境になってきたからだ。(いまは、もう、メディアとチャネルの区別はなくなってしまいました)。

  1. メディアの増殖・・・・・新しいデジタルメディアが続々と登場。ブログ、ツイッター、そして検索エンジンまでメディア(チャネル)に数えられるようになった。ところが、これだけ多くのメディア(チャネル)があるというのに、そのなかで販売チャネルは2つだけ。サイト(ウェブサイトとかケータイサイト)と店舗だけ。電話も販売チャネルといえないことはないが(TVショッピングでは大半が電話で注文をとる)、電話は他のメディアの補助媒体としてつかわれているだけだから、厳密な意味では、販売チャネルには含まないことにする。よって、メディアの数がどれだけ増えようとも、どのメディアも、サイトと店舗の二大販売チャネルに客を誘導していくための誘導媒体だということになる。
  2. 客はどのタッチポイントで接触してくるかわからない・・・・・客は、場所と時間とそのときの好みによって、どのメディアにアクセスしてくるかわからない。どのメディアを接点(タッチポイント)としてこようとも、その客をメディアから次のメディアへと誘導して、コスト効率よく二大販売チャネルへと誘導しなくてはいけない。
  3. デジタルメディアは(eメールを除いて)受動的媒体、つまり、客がアクセスしてくるのを辛抱強く待つ受け身の媒体・・・・・ということは、企業は、どこかで、自ら客に積極的にアクセスする能動的媒体を使わなくてはいけないということだ。必然的に、受動的媒体と能動的媒体(TVのようなマス媒体、ダイレクトメール、eメール)を組み合わせる必要が出てくる。

 こういった事情により、複数のメディアを組み合わせる必要性が、以前よりも、ずっと増しているわけだ。

 企業は、客をメディアからメディアに移行させる過程において、買うという行動への動機づけがより強くなるように仕向けなくてはいけない。そのために、コミュニケーション内容(メッセージの次元)は、移行が進むとともに、客にとってよりパーソナルでより関連性(レラバンス)の高いものになリ、結果、より説得力の高いものに変わっていかなくてはいけない。

 そのためには、メディアごとに、より関連性高いデータが獲得できる仕組みづくりがなくてはいけない。

 そして、すべてのプロセスが、シングルメディアで実行したときに比べて、同じ効果をより低いコストで、あるいは同じコストでより高い効果を獲得できるものでなくてはいけない。つまり、より高いROIを達成しなくてはいけない。

 これがクロスメディア(クロスチャネル)だ。

 具体的な例として(B2Bの例となるが)、静岡のアルミ加工製品を製造するメーカーを紹介しよう(日経ネットマーケティング参照)。この会社は2006年に重要書類をいれるアルミケースをつくり、ターゲットだと考えられた金融サービス企業を中心にダイレクトメールで販促した。が、期待した結果が得られない。そこで、ウェブサイトの重要書類ケースのページにアクセスしてくる客をアクセス解析サービスを利用して調べてみた。結果、当初考えていた金融サービスではなく通信・運輸系企業が、個人情報保護に関連するキーワードで検索してサイトを訪問していたことがわかった。そこで、運輸・通信サービス会社200社余りに、「個人情報保護法」を見出しにつかったダイレクトメールを出したところ、それまで、0.5%の問い合わせ率だったものが10倍の5%になった。

 この例では、検索エンジン、サイト、DMとメディアが移行する仮定において、データが付加され、より関連性高いメッセージ内容に変更して、より説得力あるコミュニケーションが可能になった。

 クロスメディア・マーケティングを企画するときには、各メディアの特徴をいかしながら、客をメディアからメディアへと移行させるような筋書き(ストーリー)がなくてはいけない。

 そういった意味で紹介したいアメリカの自動車保険のクロスメディア・マーケティングがある。

 自動車保険会社のサイトにアクセスして、いくつかの質問に答えて見積もりを出してもらう。もちろん、その場で(サイト上で)見積もりはすぐに出るのだが、あえて、5分後にeメールで見積もりをお送りします・・・とする。なぜなら、サイトで見積もりを出して、客がその場で決められない場合、サイトのそのページは消えてしまう。客は、「他の会社の見積もりもチェックして、安かったら、また、このサイトに戻ってくればよい」なんて考えているかもしれないが、客の記憶などあてにならない。eメールなら、削除されても消えてしまうわけではない。削除リストをクリックして見ることができる。

 見積もりをDMで送ることもできるが数日かかってしまう。そのときには、もう、自動車保険への興味は失われているかもしれない。つまり、この場合、見積もりを提案するのは、サイトでもダメだし、DMでもダメ。eメールがもっとも適切なメディアだ。5分後に受け取ったeメールは、サイトと同じシンボルカラーとシンボル・イラストが目立つ非常にシンプルなもの。見積もりの数字と、あとは、申し込みはサイトへ、あるいは、電話で・・・というクリックボタンがついているだけ。企業としては、この場合、どちらかというと電話してくれたほうがいい。なぜなら、人間と話すことで客の信頼感や安心感が増し、また、疑問点を質問をしたうえで申し込みもできる。だから、注文確率が高くなる。

 次に、ソーシャルメディアを含めたクロスメディア・マーケティングを考えてみる。

 ソーシャルメディアが使われるとクチコミ効果・・・ということになって、、その効果は、ブログでの書き込み件数が何件、ツイッターでツイートされたのが何件といった数値で表されることがほとんどだ。こういった数値で販促の是非を判断する考え方には、ダイレクトマーケティングを経験した人間としてはあまり賛成できない。

 効果は、あくまで、注文や申し込み件数で判断するべき(そうするように努力すべき)。

 販促効果を書き込み内容や件数で判断するやり方は、マス広告の効果を算出する昔のやり方と基本的に変わらない。ブランドの認知度やイメージがどれだけ上がったかを、到達数とかアンケート調査などで出すのと、50歩100歩とまではいわないが、20歩100歩の違いだけで、基本的な考え方は同じだと思う。調査費用が要らないぶん安いかもしないが、かゆいところに手が届かない、どこかじれったい気分をともなう。

 最近アメリカではソーシャルメディアもROI化しようという傾向が高くなっているらしい。たとえば、500社を対象にした2009年の調査(StrongMail)によると、ソーシャルメディア・マーケティングを担当しているのはダイレクトマーケティング部門であるという答えが36%で最も多く、ついで、29%が複数の部門が担当、9%がPR部門が担当だと答えている。

 ソーシャルメディアのROI化には、それなりに、複雑なステップをふまなくてはいけない。

 たとえば、飛行機内でのネット接続サービスを提供している会社が、既存客に知人紹介キャンペーンのeメールを送った。知人一人を紹介するとサービスが一回分無料になる。そして、紹介された知人もサービスを申し込むと一回分無料になる。紹介方法は簡単で、eメールにある紹介ボタンを押すだけでよい。そうすると、既存個客専用のランディングページに飛ぶ。そのランディングページにツイッターとかフェースブックのシェアボタンがあるからそれをクリックして、知人を紹介する。紹介された知人には、「あなたの友達がお得情報をあなたに紹介したいそうです」とかいうメールが届く。で、そのリンクアドレスをクリックすると、知人専用のランディングページにとび、そこで申し込む・・・・・・結果、どの既存客が何名紹介し、そのうちの誰が実際に申し込んだかがわかる。よって、誰が一番のインフルエンサー(影響者)かもわかるし、ROIも明確になる。

 ちょっとややこしい。

 ソーシャルメディアのROI化は手間がかかる。

 だが、こういった仕掛けで、ソーシャルメディアのクチコミのROIを算出する経験をしてみると、ソーシャルメディアを恐がることもなくなるだろう。

 最近思うのだが、売り手企業はソーシャルメディアを・・・・ということはソーシャルメディアを使いこなしている消費者を恐がっている。ソーシャルメディア恐怖症と訳してもいいけど、ソーシャルメディア・フォビアのほうが、感覚的にぴったりだ。

 消費者を恐がってマーケティングができるのだろうか?

 自分たちが企画したストーリーと異なるクチコミ展開をしてしまう? では、マス媒体で広告していたとき、自分たちの期待どおりに消費者が反応してくれて成功した広告がどれだけあっただろうか? 

 伝言ゲームで、「昨日、うちの犬が子犬を4匹生んだ。そのうち3匹がオスで、メスだけはもらい手が見つかった」と言うメッセージを順番に伝えていったとして、10人を経た時点で、すでに、最初の文章とは異なる内容になっていることだろう。

 炎上がこわい? だが、そのために、「クチコミ@係長」のような便利で手軽に使える分析ツールがある。おかしな兆候が出てきた時点で、早期に素早く対処できるはずだ。

 それまで消費者と直接対話したことがないメーカーが通信販売を始めたとき、コールセンターにかかってくる苦情に担当者が大きく動揺するのをみて、「ああ、消費者慣れしていないんだ」と思ったことがある。統計数字として、苦情5%と見ているときは、何事も感じなくても、具体的な言葉をじかに耳にすると、まるで、一人の人間の苦情が、顧客全体からの苦情であるかのように受け取る。これが10人くらいになると、注文した全体の割合いからいえばわずか0.01%でも、製品を改良しなくてはいけない・・・と言い始める。

 ソーシャルメディアでも同じような現象がみられる。ブログやツイッターで批判や悪口が書き込まれると、数がどんなに少なくても動揺する。人間は具体的な内容を見ると、統計的数字での判断ができなくなる。もちろん、こういった数字の推移をみて、早めに対処するタイミングを見逃さないことは重要だ。だが、悪意ある書き込みは必ずある。それが、大きくなることもある。そのとき、自分たちが提供しているサービスや商品が真正なものであるのなら、法的手段をとる覚悟で、断固たる態度で対処していく必要もある。とはいえ、大きな問題に発展した例をみると、企業の対応や販売している商品やサービスに誤りがあることが多い。

 アメリカでデルと同じくツイッターを積極的に利用して売上をあげていることで有名なベストバイ(家電量販店)のCEOは、「ソーシャルメディアで困った(危機的)経験をしたことはいっぱいあります。だからといって使うのを止めようと考えたことは一度もありません・・・・ソーシャルメディアを使って良い経験だけを楽しもうなんてことはできないのです。雨の日も天気の良い日もある。私は、ソーシャルメディアを使う利点は、欠点を上回ると確信しています」と語っています。

 いずれにしても、一番いけないのは、消費者を恐れること。そういった気持ちは、消費者に伝わる。そして、そういった、後ろめたそうな自信なさそうな態度や言動。それ自体が、うわさを広める結果となる。 1)つねにモニターをして、2)早めに危険な兆候を発見し、3)それに対処する基準がきちんとできているのなら(そして、一番大事なことだが、販売している商品やサービスにやましいことが何もないのなら)、ソーシャルメディアとそれを利用する消費者を恐れることは、害あっても益はない。

 今日は、ちょっと、生真面目すぎる内容でした。しかも、クリスマスだというのに(あっ、関係ないか)。少しは役立つことはあっても面白みのない内容だなと思って書いてましたから、読んでいる皆さまがたはもっと面白くなかったかも・・・・(ごめんなさい)。数日後に「フェイスブックはメディアなのか?」とか「オールドメディアの逆襲」とかを書くつもりです。紙媒体による広告はデジタル広告に比べて、記憶に残りやすいという実験も紹介します。

 2ヶ月近くも更新してませんでしたので、年末に3つの記事を書いて、それで、2010年に合計16本の記事を書いた。よって3週間に1つ書いたことにある・・・・なんて、年の瀬のどさくさにまぎれて帳尻あわせをしてしまおうという魂胆です。てへっ。

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参考文献: 1.「アクセス解析で製品への企業ニーズを把握」 日経ネットマーケティング2008.11、 2.Ryan Deutch, Social Media as a Direct Marketing Channel,destinationCRM.com、3.Best Buy's CEO on Learning to Love Social Media, Harvard Business Review December 2010.

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2010年10月20日 (水)

世界一悲観的になりやすい日本人、だ、けれども・・・

  女性ファッション雑誌「Domani (ドマーニ)11月号の新聞広告をご覧になりましたか? 「ありがとう! ニッポンの不況! おかげで私、成長しました--35歳、”華麗なる貧乏”でいこう!」という見出しで始まる広告です。

 年齢的にいって、残念ながら、私は明らかにこの雑誌のターゲット読者層ではありません。ですから、買うどころか立ち読みもしてませんので、中身はまったく知りません。でも、「不況を明るく取り扱っている」コピーが好きです。

 おりしも、トヨタ自動車社長が、「日本でものもづくりにこだわる」というメッセージを出しました。「国内の生産縮小をトヨタがやったら、この国はどうなってしまうんだという危機感がある。よほどのことがない限り、海外に持っていくことはしない」・・・・最近耳にする政治家発信のメッセージよりも、ずっとずっと国民の不安感をやわらげてくれるメッセージです。

  グローバルにビジネスを展開している外国企業のCEOが、「日本企業は悲観的すぎる」とよくコメントしている。たしかに、2009年末に実施された世界36カ国の中堅企業経営者調査でも(グラント・ソントン調べ)、自国の景気見通しを最も悲観しているのは日本の経営者。リーダーがこの有様では、90%の日本人が不安を感じていたとしても当然のことだろう(J.ウォルタートンプソンによる2009年末調査)。90%という数字も、世界13カ国のなかで最高だ。

 「不安」で「悲観的」な暗黒星雲に日本国はすっぽりおおわれてしまったようです。

 なぜ、日本人は、将来への不安感がこうも強いのだろうか? 少子化とか年金の問題は無視し、円高とか産業の空洞化とか雇用の問題も考えない。産業革命以降200年以上続いた西欧支配が終わろうとしているという歴史的かつ構造的問題も無視する。ここでは、あくまで、水が半分入っているコップを見て、「まだ半分ある」と楽観的に思えることと、「もう半分しかない」と悲観的に思えてしまうことについて考えてみます。

 日本人の多くが「水がもう半分しかない」と考える傾向が強いのは、どうやら、セロトニントランスポーター遺伝子S型を受け継いでいるひとの割合が世界で一番高いかららしいのです。

 セロトニンという化学物質(神経伝達物質)が脳内の各部位に一定レベル存在していれば、人間は安心感を覚え不安や恐怖の感情に襲われにくくなります。が、バランスがくずれると不安になり長期的に欠乏するとウツになりやすい。セロトニントランスポーターというたんぱく質が脳内のセロトニンのレベルを調整しているのですが、この情報がコード化された遺伝子にはL型とS型があり、L型遺伝子のほうがより多くのトランスポーターを生産します。よって、S型のセロトニントランスポータ遺伝子を両親より受け継いだひとたちは、L型を遺伝したひとたちよりも、不安を感じたりウツになる傾向が高い・・・・ということが1996年の実験で明らかにされました。

 この遺伝子は、(そのほうが一般受けするからでしょうが)、「不安遺伝子」とか、不安は恐怖の変形なので「恐怖遺伝子」といった名前でよく紹介されます。

 2009年に発表されたジャーナルでは、29カ国50135人の遺伝子調査の結果として、東アジア人はS型遺伝子をもっている割合が高くて70~80%。これに比べてヨーロッパ人は40~45%となっています。29カ国のなかで、S型遺伝子保有者の割合が一番高いのが日本で80.25%、ついで、韓国の79.45%、中国が75.2%となっている。アメリカ44.53%、英国43.98%、独国43.03%、スペイン46.75%、シンガポール71.24%、台湾70.57%。そして、一番低いのが南アフリカの27.79%となっています。

 人類皆兄弟で、20万年前頃にアフリカに住んでいた同じ先祖から始まったことはDNA研究によって証明されている。では、なぜ、東アジアとヨーロッパとでは、「不安遺伝子」保有者率がこれほどまで違っているのか?

 進化生物学では、生命体は環境に順応して、その環境において生存率や繁殖率を高める可能性が一番高いような特性や特質を選択し獲得していくようになるとする。その考え方で最近注目されているのが、遺伝とか文化とかは、互いに作用しあって進化してきたという説だ。

 その典型的例が、牛乳とそれを消化吸収する遺伝子の関係。つまり、ホニュウ類というのは、基本的に離乳期を過ぎると、母乳の消化吸収に必要だったラクターゼ(乳糖分解酵素)の生産を止めるようにプログラムされている。ところが、北ヨーロッパやアフリカにおいては、生存率を高めるために家畜を飼いそのミルクを飲むという長い歴史的習慣がある。その結果として、大人になっても、ラクターゼを生産しつづける遺伝子が存在する割合が高い。だが、東アジアやアメリカ先住民には、歴史的必要性がなく、結果、遺伝子を保有している割合が非常に低い。よって、日本人の多くは牛乳を飲むと、消化不良の症状を起こす。

 ミルクを飲むという文化的習慣が、乳糖を消化するのに必要な遺伝的性質を選択するようになったということだ。

 その観点でいけば、東アジア人で不安遺伝子の発生頻度が高いのも、ヨーロッパとの環境の違いで説明することができるはずだ。気候のちがい? 地質的違い? あるいは、文化的社会的違い?

 これに関して、2008年から2009年にかけて、注目すべき論文があいついで発表された。その内容は・・・・東アジア地域では、マラリア、ハンセン病、発疹チフス、結核といった細菌やウィルスによる感染症に悩まされてきた歴史があり、それを防ぐためにヨーロッパの個人主義(Individualism)とは異なり、グループ内における協調性や自分たちのグループを中心に考え外者(そともの)を恐れる集産主義(Collectivism、ちなみに、この英語を集産主義と訳すのはおかしいと思う)が生まれた。つまり、外者(そともの)との接触を避けることで感染を防ぐ結果として、自分たちグループの伝統、調和、規則への服従が生まれ、外国人への恐怖感や偏見が生まれたのだ。

 S型の「不安遺伝子」をもつことは、ネガティブな情報に敏感に反応することを可能にしてくれる。だから、他人が気分を害したりするとすぐに察知できるし、また、人間関係において、そういった感情が生まれないように気を配ることができる。よって、グループ内の調和を保ちやすくなる。つまり、不安遺伝子は、感染症の多い地域で生存率や繁殖率を高めるために、個人よりもグループを優先する主義に順応しやすくするのに役立ち、結果、東アジア人にそういった遺伝子が自然選択されるようになったというわけだ。

 ネズミを使った実験では、不安や恐怖を感じやすい遺伝子を、世代を通じて自然選択的につくっていくことができることが証明されている。無差別に選択されたネズミたちを、隠れる場所のないオープンで電気がこうこうと輝く明るい箱にいれると、恐怖におびえて壁にへばりつくき排泄をくりかえすネズミもいれば、平気の平左でまわりを探検し始めるネズミもいる。大半のネズミはこの中間にある。怖がりのネズミ同士を10数回の世代で繰り返して繁殖させると、すべてのメンバーが不安度が高く恐怖を感じやすいメンバーばかりになる。つまり、不安遺伝子とか恐怖遺伝子がつくられたということだ。

 人間の場合も、ネズミと同じように、十数世代で恐怖遺伝子がつくられたとすると、昔はそんなに長生きしなかったが、長く見積もって人生50年として、私たちの祖先がアフリカから東アジアに移動してきて伝染病に悩まされてから500年ばかりで、恐怖遺伝子が作られたという計算になる。(あくまで人間もネズミも同じ条件下にあるとしての話だが・・・・)

 ああ、やっぱり日本人は不安遺伝子が多いから、悲観的になりやすいんだ・・・ときめつけるのはまだ早い。こういった遺伝子をもっていても、強いストレスを引き起こすような環境が加わらなければ、誰もが不安やうつ病になるというわけではない。たとえば、ニュージーランドやアメリカの実験では、不運や失敗を経験したあとにウツ状態に陥る率は、S型遺伝子をもっている被験者の場合は33%、L型遺伝子を持っている被験者の場合は17%となっている。反対にいえば、S型遺伝子をもっていてもその67%は、悲劇的体験をしてもウツにはならなかったということだ。

 それから、また、韓国企業の最近の活躍を考えてほしい。韓国は日本についで不安遺伝子を持つ人の割合が多い国だ(統計的誤差を考えたら、80.25%と79.45%の違いなんてほとんど無きに等しい)。なのに、日本企業がガラバゴスで内向きになっているのに、積極的にグローバル市場を開拓して成功を収めている。なぜだろう? サムスン電子や現代自動車のように、オーナー経営者が果敢な投資や事業展開をしかけているからだというのが定説だ。しかし、最近はサラリーマン社長ながら強いリーダーシップを発揮するCEOが目立ってきたともいわれる。その理由として挙げられるのが、1997年~98年のアジア経済危機だ。当時の韓国はIMFからの550億ドルに及ぶ融資を受けるかわりに「屈辱的」な条件を呑まなくてはいけなかった。国家の威信を傷つけられたと感じた国民は、「朝鮮戦争以来最大の国難」を経験したわけだ。しかし、IMFの条件に従うなかで、能力主義が進み、サラリーマン社長でありながらリーダーシップを発揮する経営者が多く登場するようになった。それが、現在、韓国がグローバル市場で業績を伸ばしている理由だという。

 振り返ってみれば、日本だって戦後のどん底状態からわずか20余年、1968年にはGDPでドイツを抜いて世界第二位の経済大国になっている。つまり、不安遺伝子をもっていても、どん底状態からはいあがることをさまたげはしないということだ。

 どん底だと、なぜ、不安遺伝子が邪魔しないのか? どん底ということは、失うものがないということ。失うものがないということは「損失回避性」が出てこないということだ。行動経済学の祖でノーベル経済学賞をもらった心理学者ダニエル・カーネマンは「人間はいまもっているものを失うことに恐れを感じます。たとえ失う可能性が低いとしても、可能性があるというだけで恐怖心を感じるのです。その恐怖心が論理的思考を妨げるのです」とコメントしている。日本は、なんといっても、裕福な国なのです。だから、今もっているものを失うことを恐れるのです。だから冒険ができない。だから現状維持になり新しい行動を起こすことができるなくなるのです。

 だから、いっそのこと「どん底まで落ちたほうがいい」という評論家もいます。

 日経ビジネスに、マッキンゼー日本支社長が「日本企業が抱える最大の問題は、経営者がリーダーシップを発揮しきれていないこと。日本の経営者は「カイゼン」は得意だが、変革を恐れる傾向にある」とコメントしています。

 シャープがアップルのiPadの類似商品を販売するのはいたしかたないとして、一流メーカーが化粧品やサプリメント市場で成功した新興中小企業のまねをして、とくにこれといった差別化もないままに化粧品やサプリメントを発売するのは、まさに、「損失回避性」のあらわれです。

 失うことを恐れる経営者は、リスクをとりなくないから模倣商品をつくる。模倣商品は既存商品の「カイゼン」です。自分ひとりで決断するのをさけて、「赤信号みんなで渡れば恐くない」式に合意で決めようとする。だから、欧米や韓国企業に比べて、経営のスピードが遅くなるのです。200余年続いた西欧支配の世界が終わろうとしている時代に、リスクをとらないからといって生き残れるチャンスがふえるわけではまったくないのに・・・。

 欧米のCEOの給料の多さが最近話題になりました。CEOはある意味、通常の意味での「能力」なんて必要ない。大手一流企業なら、経理、マーケティング、情報通信技術・・・どんな分野でもピカ一の専門家をかかえることができるはずだ。CEOに一番必要なのは、どんなに多くの問題をかかえていても、不安など一抹もないような元気な顔でいられる精神力と体力を持ち合わせていることだと思う。それは、この数年の日本の首相や、政権をとった民主党の閣僚の表情をみればわかる。首相や大臣になって数ヶ月もしないうちに、頬のこけたやつれた顔、疲労感漂う表情、一気に年老いた肌や増えた白髪・・・・こういった「疲労困憊」顔をしたひとたちが、何を言っても、国民は安心できません。一国のリーダーは、たとえ、心配事で夜は熟睡できず気分が晴れない日々がずっと続こうとも、ポーカーフェースを保ちユーモアを忘れない精神力と体力がなくてはいけないはずだ。そして、顔や言動にストレスを出さないことは、実はこれが一番むつかしいことで、それができる人なら給料が高くても問題ないだろう。

 売り手企業は明るくて元気なメッセージを送らなくてはいけません。心理学の実験で、店員が笑顔で応対すると、それを見た客も笑顔で応える傾向が高くなり、なおかつ売上も上がることが証明されている。不安そうな顔をした店員が売っているものなど買いたくない。サントリーは2008年に他社が広告費を削るなか、反対に広告費を増やして、高級ビール「プレミアムモルツ」をアピールした。その一方で、こんな時代に「贅沢」を前面に出すと消費者に反発をくらうんじゃないかと弱気になったエビスビールは、そのブランドスローガンを変えてしまい、結果、高級ビールの座をサントリーに譲ることとなった。 

 明るく元気にみえる企業と弱気で不安そうに見える企業と、あなたはどっちからモノを買いますか?

 少子化、年金、雇用、円高、ひいては政治の不安定さ・・・モノが売れない理由を数え上げればきりがない。こういった基本的問題が解決しなければ、経済の活性化ははかれない。だが、こういった問題が解決するまで、モノが売れないままにしておくつもりなのか? 損を出してまで安売り商品を販売し、リスクの少ない模倣商品を作り続けるつもりなのか? いま、日本の売り手企業がすぐにできることは、日本の消費者が抱えている不安感をもう少し「他の先進国並み」に減少してあげることだ。そして、それは、今日からでもできる。

 なぜなら、気分は、結局は、脳内に分布している化学物質(神経伝達物資)のブレンドの問題なのだから。

 経験したことはありませんか? 憂鬱な気分が一本の映画をみたら飛んでいってしまったこと。ショッピングモールで子供のモノだけ買って返ろうとしたら、広場でコンサートをしていた。そこで、音楽をきいたら、なんか楽しい気分になって、結局、自分の洋服まで買ってしまった。脳内の化学物質の内容がちょっとしたきっかけで変わったのです。女性雑誌が「不況もいいじゃん!」といえば、働く女性たちもなんとなくそんな気になるし、トヨタの社長が「日本でのものづくりにこだわる」と宣言すれば、中小企業の社長さんたちも「そうだ、自分も頑張ろう!」と理屈ではなく、なんとなく元気になるのです。

 今年のクリスマスは明るく行きましょう! お店に入るとサンタが迎えてくれる(経費削減したいなら、メタボでお腹の出た部長がサンタさんになればいい。貧困層への遠慮があるなら、売上が上がった分の5%を寄附すると宣言すればいい)。街にはクリスマスソングが流れ、ライトアップが輝く。

 いえいえ、クリスマスまで待てません 秋から冬にかけては、太陽の照る時間がだんだん少なくなり、季節性ウツにかかる人が多くなるといいます。東京タワーや通天閣をライトアップしましょう。乳ガンや糖尿病撲滅運動の一環として東京タワーをピンクやブルーにライトアップするイベントがあります。日本のいくつかの企業が集まって、全国のタワーや建築物をライトアップして、「自分たちはリスクを恐れない!損をしてまで安売りはしない!模倣商品もつくらない!」と力強く宣言してほしいです。

 ベネッセコーポレーションは大学受験生に「攻める宣誓」をさせています。受験生はいつの時代でも不安です。第一志望をどこにするかで迷います。親の経済的理由から浪人できない。だから70%の確率で第一志望に合格するといわれても、30%が恐くてリスクをとるかどうか迷うのです。そんなとき、やさしい言葉よりも、強い命令口調のメッセージのほうが効果があります。2008年ごろの「攻める宣誓」のサイトにはこう書かれていました・・・・「第一志望にいこう。守りに入っていないか、限界を決めていないか、流されていないか、迷っていないか。大丈夫強気でいこう!」そして、自分の夢を宣言させます。

 企業も宣言してください。自分たちの夢を語って、それを実現するためにリスクを恐れないと宣言してください。企業が強くて明るいメッセージを送ることが、日本の消費者たちを元気にするのです。国民を元気づけるのは本来なら政治家の仕事でしょう。でも、多くの先進国において政治家はその任務に失敗しています。企業は消費者に広告メッセージを送ります。でも、いまは、商品一つ一つの広告メッセージを送ってその商品が売れたか売れないかで一喜一憂する状況ではないでしょう。いまは、消費者にお金を使って消費する(自分へ投資する)ことへの安心感を感じてもらうことが最重要課題です。そのためのメッセージを送る。著名な企業いくつかがメッセージを送り、それがTVのワイドショーやNHKのニュースで紹介されるくらい注目される。きっと、日本を元気づけることができる。

 バカみたい・・・と思うかもしれません。でも、なぜか、心はちょっとしたきっかけで元気になるのです。

 たかが脳内物質、でも、されど脳内物質なのです。

 日銀の白川総裁が10月21日付け朝日新聞で「ゼロ金利政策の真相」ということで長いインタビューに答えています。むつかしい金融政策について語ったあと、最後に、こうコメントしています・・・「最近の日本社会を見ていると、気分の持ちようも大事だと思う。すべてを否定的に考える気分の持ちよう自体が経済の成長力を落としている面もある。過度の悲観論は一掃したほうがいい」

 たかが脳内物質、されど脳内物質なのです。

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 参考文献: 1.Joan Y. _Chiao & Katherine D. Blizinsky, Culture -gene coevolution of individualism-collectivism and the sertoninn transporter gene, Proc. R. Soc.B, 10/28/09, 2. Corey L. Fincher, et.at., Pathogen prevalence predicts human cross-cultural variability in individualism/collectivism, Proc. R. Soc. B, 2/26/08, 3.Turhan Canli, The Character Code, Scientivic American Mind Feb/March 2008 4. 韓国企業に新風、日本経済新聞 10/4/10、5.創造的破壊で日本は再起、日経ビジネス10/4/10 5. よみがえるバブルの夜、日経MJ 9/17/10

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2010年9月14日 (火)

デフレ下のフラッシュ・マーケティング(数の魔術)

  いやですねえ。「デフレーション下のフラッシュ・マーケティング」なんてカタカナだらけのタイトル。でも、「通貨収縮下の閃光型販売促進」というのも中国語みたいですしね。

 最近、フラッシュ・マーケティングという言葉をよく目にします。フラッシュ(Flash)というのは「瞬間的」といった意味で、店舗ではフラッシュ・セールスという販促手法は昔から使われていました。お店が開店する10時から11時までの1時間だけ、ワゴン上の「ハンドバッグが1000円!売り切れ次第終了」とアナウンスすれば、顧客はいま買わないと損をしたような気になって、ついつい衝動買いしてしまう。

 ネットでは、そのリアルタイム性(適切なタイミングで緊急性が強調できる)を最大限利用して、たとえば、衣料品販売サイトが朝9時に会員客にメールを送り、「今日の12時からXYブランドの20%割引セールを開始。商品数が限られているので完売次第終了・・・」と告知して、お昼休みに突入次第すぐにサイトにアクセスしなくては損するような気持ちにさせる。

 こういったフラッシュ・マーケティングの代表格(?)として登場したのが、割引クーポンの共同購入サービス。専用サイトで、たとえば、エステサロンの通常1万円のコースだが、24時間以内に50人集まれば、5割引で5000円の割引クーポンを買うことができる・・と告知する。24時間以内に50人集まらない場合には、この取引は成立しない。だから、このクーポンが欲しいひとは、メールやツイッター、その他のソーシャルメディアを使って、友人、知人、赤の他人に告知する。結果、50人以上集まって取引が成立すれば、消費者は大幅に割安な商品やサービスをゲットでき、共同購入サービスを提供する企業は、売上の何割かをスポンサー(たとえば、エステサロン)から手数料として受け取る。スポンサーは、宣伝広告費をかけずに多くの見込み客を獲得することができる(そのうちの何割がリピートしてくれるかは別にして)。

 割引クーポン共同サービスの元祖といわれる米グルーポン(Group+Coupon=Groupon)は2008年11月の創業後、わずか7ヶ月で黒字転換した(売上の50%をスポンサーから手数料としてもらっているそうだから、ある意味、当然)。2010年の売上は5億ドルを越えると予測されている。このペースで成長を続けると、グルーポンは創業2年で売上10億ドルに到達するのではないか? そうなると、ネット・ベンチャー企業のなかでは、10億ドル達成最短スピード記録となると雑誌「フォーブス」は書いている。

 ちなみに、著名ネット・ベンチャー企業が創立後売上10億ドル達成にかかった年数を順に並べると・・・・1994年創立のアマゾンや1998年創立のグーグルは5年、1976年創立のアップルは8年、1984年創立のデルは9年かかっている。

 グルーポンのビジネスモデルは、短期間のうちに巨大な利益を計上できる。が、台頭するソーシャルメディアをうまく利用しているという以外、そのアイデアには新しい要素はほとんどない。共同購入システムについては、日本でも、ネットプライスドットコムが2000年から、商品の購入申し込みをする人数が多くなればなるほど価格が安くなっていく手法を展開していた。また、割引クーポンでは、リクルートの無料クーポン情報誌「ホットペッパー」が2002年ころには大人気を得ていた。

 リクルートは、紙媒体がふるわなくなってからサイト上でクーポン発行をしていたのだから、グルーポンのビジネスモデルを考えつくことができる環境にはいたはずだ。・・・・・て、まあ、後知恵で言うのはたやすい。結局のところ、過去の成功体験とかすでにできあがった組織やシステムをいったん壊して新しいアイデアを採用することは、ある意味、自分自身を否定することになるから、なかなかできない。

 もっとも、グルーポンの未来は、明るいようで、けっこう暗い。

 なぜなら、非常にまねしやすいビジネスモデルだから。すでに、アメリカでは200件、海外では500件(そのうち中国で100件)の類似したサイトが登場している。日本でも9月現在で39件の類似サイトがあり(朝日新聞9/7/10)、そのなかには、リクルートが7月に始めた「ポンパレード」もある。

 模倣されやすいということは競争が厳しいものになるということで、競争が激しくなれば、クーポン割引率を他より高くする、希少価値ある内容にする、あるいは手数料を低くする・・・ということになる。いまですら50~70%の高い割引率なのにこれより高くする。あるいはスポンサーに請求する手数料を低くするということになれば利益率は低くなる。また、希少価値ある内容にするためには、各地域の名品・珍品を探したり、高級レストランの承諾を得るために交渉したりする営業マンが必要だ。

グルーポンがシカゴで創業した当時には7人の営業マンが毎日100件電話してスポンサーを探したらしい。2010年のいまでは、本社に250人の営業マンと70人のコピーライターがいて、消費者を魅了するような企画と告知の仕方に「足」と「知恵」を使っているという。それでも、各地域ごとの楽しい企画を探り出すには、地域のことがよくわかっている人間が必要だ。こういったことが、この新しいビジネスモデルがいまの収益性を保ちながら成長発展するのを妨げる要因となる。

 グルーポンは、この障害を、海外の、あるいは、各地域の小さな共同購入サイトを買収することで乗り越えようしている。げんに、日本に進出するにあたっては、同業の日本企業「クーポッド」を買収した。グルーポンの社長は日経MJのインタビューに答えて、「グルーポンは街のガイドでもある。街で何が面白いか、最高の物やサービスについて情報を提供し、消費者が街を発見する手伝いをする。そのため販売するクーポンの対象は調査して厳選する」

  まさに、日本のリクルートがホットペッパーを通じて、リアル店舗との交渉で学んだノウハウのはずだ。このノウハウを活かせば、「最も成長の速い企業」などまったくこわくない。でも、そのリクルートの「ポンパレード」はサイトを空けた初日からつまづいてしまっている。某レストランの1万円のコースを50%割引の5000円とするクーポンを販売したのだが、このコースの内容が通常4800円のコースと同じだと苦情が出たのだ。「テーブルにバラをちりばめたり、写真撮影、フルーツがつくなど特別サービス」が付いているから5200円余分にいただきます・・・・はないだろうと批判された。

 やっぱり、企画内容を調査して厳選して、それを消費者を魅了するように伝えるためには、営業マンとライターに人件費がかかる。それがこのビジネスモデルの弱点です。

 そういった意味で、早く大手になって、全国ベースの有名店と組むことができれば、収益性の高いビジネスが可能だ。グルーポンは最近になって、全国ベースの衣料品大手チェーンGapの25ドルで50ドルの買い物ができるクーポンを販売。全国で同じクーポンを発売したのは、これが初めてだ。一日で44万1000枚売って、(通常の取引どおり50%の手数料を得ているとしたら)グルーポンは5500万ドルもの収入を得たはずだ。しかも、金券を安く売るということは、企画に頭を悩ますこともない。ただし、スポンサー企業が、あとで分析して、こういった形で獲得した新規客の大半がバーゲンハンターで、通常の値段ではリピート購買をしてくれないということが判明すれば、二度とは採用してくれないだろう。

 デフレの話に移ります。

 2008年の金融危機以降、米国やEUでは一時デフレ傾向になったりもしたのですが、いまは反対にインフレかともいわれたりして、1990年代後半から10年近くもデフレ状態にあるのは日本だけ。経済学者の間では、金融政策だとか財政政策だとか、あるいは、輸出依存の日本経済はもともとデフレ体質にある・・・とかいろんな議論があるようですが、ド素人の私にはわかりませーん。ただ、ひとつ、日本だけデフレが長期にわたって続いている要因のひとつとして「デフレ期待が生まれてしまった」とする説があったので、それについて書いてみたいと思います。

 経済学者さんたちはわざと難解な言葉を使っているのではないかと疑いたくなりますが、「デフレ期待」というは「デフレ慣れしてしまった」というわかりやすい言葉に変えることができます。つまり、デフレが当分の間続くと企業も消費者も、つまり日本人全体が考えるようになってしまった。だから、企業は投資をせずに貯金にまわし、消費者も消費せずに貯金にまわす。

 そして、最初は10%割引でも感激したのが、いまでは、そのくらいの割引くらいでは動こうとはしない。もう少し待てばもっと安くなると消費者は思っているわけです。そこに、共同購入サービスが登場して、50%だとか70%の割引がされるようになると、20%や30%ではばからしくて買う気も起こらなくなる。

 話しはまた少し飛んで、経済学に「マネー・イルージョン(貨幣錯覚、money illusion)」という考え方があります。20世紀初頭にケインズが作った言葉で、1928年にはアービン・フィッシャーがこの言葉をタイトルして一冊の本も書いています。

 人間はお金を、実質値ではなくて名目値で判断するというもので、たとえば、賃金が2%下げられると嫌な気分になるが、賃金が2%あげられれば、そのときのインフレ率が4%だとしてもハッピーになるというものです。伝統的経済学でいうところの合理的な経済人なら、インフレ率を加味して、名目賃金は2%上がったとしても実質賃金は2%下がったことになる。だから、最初の会社提案と同じように嫌な気分になるべきだ。でも、大半のフツーの人間はそうは思わないということです。同じように、デフレで物価が下がったのだから、給料もそれだけ下げてもいいだろうとか、給料は前年と同じでも上げたようなものだ・・・などどいう論理は通じない。人間は、給料が下がれば、不安になって、消費をせずに貯金をするようになってしまうわけです。

 実質値でなく名目値で判断するということを、もっとわかりやすく書き直すと、人間は持っているお金がどれだけの物を買うことができるかではなくて、お金の額(数字)だけで、お金そのものの価値を判断しているということです。つまり、そもそも、お金そのものには何の価値もなかったはずなのに、長い間使っている間に、その金額(数字)の大きさで嬉しくなったり嫌気がさしたりするようになっているということです。

 2009年に、ドイツの経済学者と神経科学者が協力してfMRIを使って実験をし、マネー・イリュージョンを起こしているのは、脳の前頭前野腹内側部vmPFC(Ventromedial Prefrontal Cortex)にあると発表しました。ここは、論理的思考の中核となる前頭前野のなかで報酬系とつながっているところで、報酬度がどのくらいあるか期待(予測)していると考えれられています。実験では、まず最初に、24人の被験者が、一定の仕事をして賃金を獲得し、そのお金を使ってカタログから商品を購買します。次に、賃金が50%増になりますが、その分、カタログに掲載されている商品も50%値上がりします。被験者には、最初から2つの異なる状況を説明して、名目賃金とか実質賃金とかも説明して、実質的には2つの状況において実質賃金に変わりはないことも理解してもらったうえで、fMRIを使って実験をしました。

 そして、5回実験をくりかえしても、賃金(名目賃金)が高いほうが、vmPFCは活性化したのです。

 行動経済学では、マネーイリュージョンは、ひとつの情報だけをキュー(手がかり)として判断する便利で簡単な意思決定方法であるヒューリスティクスのひとつだとみなされています。そして、名目賃金だけに注目して、それが上がれば(大きくなれば)よしと判断しているのがvmPFCだというわけです。つまり、論理的には「わかっちゃいるけど」、実感として「大きいことは良いことだ」と脳は判断しているわけです。

 これはマーケティングのひとつのヒントになります。

 たとえば、家電のエコポイント。これは、購入額の5%とリサイクル相当分をポイントとして購入者に付与して、次の製品購入時に使えるようにする制度として始まったわけですが、5%割引とか8%割引とか書くよりは、エコポイント7000点とか10000点と書いたほうが、よりお得な気がします。vmPFCが大きいほうが良いのだ!と感じているのでしょう。宝くじだって、一等一億円のほうが(たとえ、当選確率が1000万分の1から一億万分の1に落ちたとしても)に当選一等5000万円よりも、ずっとずっと魅力的に思えるのです。

 これは、コピーライティングのヒントになりますが、また、デフレ慣れすればするほどデフレ地獄(まあ、デフレスパイラルというかっこいい言葉もありますが)に陥る理由でもあります。数のイリュージョンです。数の魔力です。

 この数のイリュージョンから、売り手企業はどうやって抜け出したらよいのか? そこらへんを、神経経済学の実験を調べながら、次回は書いてみたいと思っています。それも、なるべく早く・・・。

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参考文献: 11. Christopher Steiner, Meet The Fastest Growing Company Ever, Forbes 8/12/10  2.格安クーポンサイト好調、朝日新聞 9/7/10, 3.クーポン共同購入の米グルーポン、日経MJ,9/6/10, 4.Bernd Weber,et.al., The Medial Prefrontal Cortex Exhibits Money Illusion, PNAS  March 31, 2009, 5. Inflation felt to be not so bad as a wage cut, EurekAlert 3/23/09

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2010年8月15日 (日)

不安な時代にGoogle TV?

 もうすぐ秋・・・(って、この暑さ! 秋だって自分の出番を忘れてしまう)

 でも、まあ、この間、しおからトンボも飛んでたし。

 秋になると、インターネットTVと呼ぶべきか、あるいは、大型スクリーン多機能端末と呼ぶべきか・・・まあ、呼び名なんてどっちでもいーけど、Google TVが発売される。5月20日の新商品発表のとき、Googleの担当者が「アメリカ人は毎日5時間もTVを見るんだ」とさかんに強調していたように、アメリカではTV回帰が起きている。だから、Google TVの発売はタイミング的にも絶妙だと担当者は言いたいわけです。

 ニールセンの調査によれば(2009年四半期)、アメリカ人は一週間に35時間もTVをみている(過去最高だった2008年より1%増)。同じような傾向は日本でも見られ、スカバーJSATの調査によると(2010年1月ネット調査)、回答者の50%が家でTVを見る時間がふえたと答えている。英国でも、TVの視聴時間は1993年以降で最大となっているそうだ。

 90年代にインターネットが普及するとともに、TV・雑誌・新聞といったマスメディアは衰退の一途をたどってきたはず。なのに、なぜ・・・? 理由としては2つ挙げられる。

    1. 不景気というか不安から「巣ごもり」しているからヒマ

アメリカでも日本でも、働き盛りの30代のTV視聴時間がふえている。 2010年になってからの東京首都圏での調査によると、一日当たりの平均TV視聴時間は、M1層(男性20~34歳)で2時間25分、F1層(女性20~34歳)で3時間4分となっている。休日はどちらも3時間半以上。M1、F1ともに「自宅で一番長い時間していること」は「TV番組を見ること」が「ネットを使う」を越えてトップに輝いた。 

    1. 「ながら見」が多くなった

日本のメディア調査では、回答者の46%がTVを見ながらメールをしていると答え、44%がTVを見ながらネットをしていると答えている(デロイトトーマツコンサルティング調査2010年3月)。アメリカでも、ニールセン調査で、インターネットとTVを同時に利用する時間は前年に比べて35%増という結果になっている。

楽天やZOZOTOWNがTVコマーシャルでセールの宣伝をしたり、アメリカで家電量販店のベストバイがツイッターのアカウントをフォローするようにTVで宣伝したりするのは、まさに、この「ながら見」の風潮を考えたうえでのことだろう。

 不景気や不確実な社会に不安を感じて「巣ごもり」しているひとたちは、いわゆる(伝統的な意味での)「オタク」ではない。パソコンやケータイさえあれば何時間でも一人で過ごせるタイプではない。自宅で一人で過ごす時間が長くなると淋しくなる。誰かとつながりたくなる。これが、不安な時代に、ツイッターやフェースブックのようなソーシャルメディアが伸びる理由のひとつだ。しかし、パソコンやケータイを通じてのソーシャルメディアでの交際は、基本的に文章(テキスト)ベースだ。音がない。映像がない。パソコンやケータイでメールを送ったり投稿(ツイート)しているとき、人の話し声や笑い声が聞こえてくる。目をあげると、部屋の反対側に置いてあるTVでバラエティー番組が進行中。ソーシャルメディアとは違った形で、自分と社会とのつながりを感じることができる。安心感が増す。

 友人や家族にも見放されたような疎外感を味わっているときや、自分がどーしよーうもない人間だと自己否定の気分に陥っているときに、好きなTV番組を見ると淋しくなくなる・・・という心理学の調査結果が2009年に発表されている。それによると、落ち込んでいるときでも、好きなドラマの登場人物や番組のパーソナリティが、友人の代用の役割を果たし、視聴者の感情的ニーズを満たしてくれるらしい。

 つまり、視聴者は、音声や映像で聴覚と視覚を刺激するTVを通じて、画面上の人間と疑似友人関係を結ぶことができるらしい。それによって疎外感がうすらぐ。そういった意味で、TVもネットも見られるGoogle TVは、不確実で不安ないまの社会にぴったり? 少なくとも、「ながら見」族には最適なメディア端末だと期待されているようだ。

 とはいえ、これまでも、TVとネットの結合はいろいろ試されてきたが成功していない。ウェブサイト、TV放送、ビデオ、ソーシャルメディア・・・なんでも、ひとつに集めれば便利でよいというものでもない。「淋しいからながら見」の心理を分析すれば、端末が2つに分かれているからこそ、淋しい気持ちが軽減される・・・ともいえる。目の前のパソコンを通じて特定の友人とつながりながらも、ふっと目をあげれば、自分が属している社会を映し出しているTVがある。それが全部ひとつのスクリーンに集中されることは、機能的には便利だけれど、心理的には大きな違いがあるんじゃないかなあ~。端末が二つ以上あるから「ながら見」で、ひとつにまとめられたら、もう「ながら見」ではない。それは、「マルチタスキング」になる。

 「ながら見族」のなかには、淋しいから「ながら見」をするわけではなく、ただ単に「パソコンが次ぎのタスクに移るのを待っているのが退屈だから。数秒間の無為な時間がいやだからTVを横目で見る」という「無為を無駄な時間だとして嫌う」というひとたちもいます。こーゆーひとたちは、当然、マルチタスク機能をもったメディア端末が好みです。マルチタスクといっても奥が深いらしく、「iPadの欠点はマルチタスクができないこと」だとか、「iPhone4ではマルチタスクが可能になった。うれしい」とかいったコメントに反論して、「バッカだなあ。おめーら、マルチタスクの意味もわかんねーのか。iPadはむろん、いままでのiPhoneだってバックグラウンドでいくつかのプロセスを処理してるんだ。だからウェブサーフィンしながら音楽を聴いたりメールを受け取ったりできるんじゃねーか。これが、マルチタスクじゃなくて、何がマルチタスクなんだ!」という意見もあるようです。・・・・・ま、ど素人の私にはよくわかりやせんがね(ホタルノヒカリの干物女のまね)。

 そのど素人の私が(ネット上の)巷の意見を読んで気がついたのは、「画面がスプリットされていないとマルチタスクって実感がしない」と考える人が圧倒的に多いことです。これが、ユーザーの本音というか心理なんでしょうね。裏でマルチタスキングをしていても実感がわかない。画面の小さいケータイは仕方ないとして、ある程度の大きさの画面になったら、2つとか3つとか分かれてほしい。だから、iPadでは、すでに、画面を2分割してくれるアプリが登場しています(秋には、たぶん「実感できるマルチタスキング」を実現する新ヴァージョンが発売されるはずだというのに。待つのがいやなんでしょうね)。

 ここから、マルチタスクとiBrainの話しへと突入していきます

 6月に「スティーブ・ジョブズ氏にiBrainを設計してもらおう」にも書いたように、わたしたちの脳はマルチタスクを得意としていません。

 ここで、きっと、ちゃちゃが入ると思います。「他の人は知らないけど、ボクは(私は)同時に2つくらいのことは平気でできるよ」・・・・それは、たんなる思い込みです。たしかに、歩きながら会話をすることは、あまり複雑な内容の話でない限り、可能です。それは、歩くという作業が無意識のうちにできる自動的(機械的)タイプのタスク(作業)だからです。それでも、議論が白熱してきたら(ということは、話すというタスクに注意が集中する)、早足で目的に向かって歩くことがむつかしくなるでしょう。文章を読んでその意味するところを理解するという意識を集中させなくてはいけないようなタスクが組み合わされると、たとえもうひとつのタスクが自動的なものでも、同時にすることはむつかしくなります。

 論より証拠。次のテストを受けてみてください。

  1. 赤、緑、青、黄、緑、赤、青 (漢字を読み上げる)
  2.  (漢字の色を読み上げる)

 2番目のタスクのほうが時間がかかるはずです。それどころか、間違った色の名を読み上げてしまうかもしれません。単語を読む作業は脳にとってはほとんど自動的タスクとなっています。が、2番目のタスクでは、単語の意味と色とが合致していないために、判断する作業に意識を集中しなくてはいけないので時間がかかるのです。

 このテストは米心理学者J.R.ストループが1935年に編み出したもので、この場合のように、ひとつのタスク(色を判断する)を実行するのには意識を集中しなくてはいけないのだが、そのためには、無意識の機械的タスク(字句を読む)を抑制しなくてはいけない。だが、そうすること、つまり自動的タスクを無視することがむつかしくて、結果、作業時間が遅くなる現象をストループ効果と呼びます。これが、脳のマルチタスキングに関する初期の研究です。

 その後の研究で、注意を集中しなくてはいけないタスクを2つ以上、同時にしようとすることは不可能だと、多くの心理学者や神経学者が考えています。同時にしていると思っていても、実際には交互に注意を払うようにしている。だから、時間が余分にかかるのです。たとえば、

 大阪大学大学院人間科学研究所の実験では、クルマを運転していて、前方を見ていて歩行者が飛びだしてきたときの反応時間は0.7秒。カーナビ画面で地名をチェックしてから視線を切り替えて2秒後に歩行者が飛び出てきた場合では0.9秒。視線を切り替えてから5秒くらい経過してからでないと、反応時間は0.7秒には戻らない。でも、実験をした心理学者(篠原一光)によると、「注意能力が落ちていることを(本人は)自覚していない」そうです。

 大学生を対象にしたアメリカでの実験では、レポートを書くことと、eメールをチェックする2つのタスクを実行させる。が、Aグループではレポートを書き終ってからメールをチェックさせ、Bグループでは交互に実行させたところ、Bグループは作業完了にAグループの1.5倍も時間がかかりました。

 本を読んでそこから有益な情報を獲得したり、それを自分がすでに持っている情報と関連づけて、新たなアイデアを創造したりする作業をするには、そのタスクだけに専念する時間がある程度持続する必要があります。メールをチェックしたり、ツイートを読んだり、テレビを横目で眺めたりしていては、シングルタスクに集中することはできません。集中力を必要とする作業をメールや電話で中断されると、もともとのタスクの流れに戻るには20分くらいかかるという調査結果もあります。

 自分の脳はいくつかのタスクを同時にやろうとすると効率や創造性が落ちる。なのに、私たちは、なぜこうもマルチタスクできるメディア端末が好きなのでしょうか?

  1. 便利・・・・たしかに。
  2. 無為な時間を我慢できない・・・「マルチタスクだと、少し時間がかかるタスクを実行している間は、他のアプリケーションに切り替えればよい。イライラしながら待つ必要がない」といった意見が多い。最近気がついたのですが、人間ってIT機器相手だとやけに短気になりますよね。
  3. 退屈・・・・これは、画面が2つ以上に分轄されて、実際に自分の目でマルチタスキングしているのを見たいという願望にも関係している。「ケータイのような小さな画面ならシングルタスクも耐えられるけど、iPadくらいの画面になったらちょっと・・・。大画面が無駄な感じがする」という意見も多い。
  4. マルチタスクを使いこなしていると、なんだか、自分の能力が高いような気がしてくる・・・・これって、グローバル企業の社員で、海外をいったりきたりして、実際には時差ぼけで頭があまり働いていないはずなのに、昨日ニューヨーク、今日上海っていうアクティブな行動をしているってことで、自分をやり手のビジネスマンだと錯覚しているのと似ていると思いませんか? 時差ボケした頭で正しい意思決定ができるとは思えない。 同じように、マルチタスクは脳に負担をかけ、創造性をそこなっているというのに、IPadを手のひらや指先で操作して次から次へとタスクを変えている自分が、なんだか偉く見えてくる。
  5. iBrainの記事で書いたように、脳は新しい刺激(情報)が大好物で、すぐに飛びつくのです。だから、レポートを書いていても、メールが着たらすぐにチェックし、だれか自分のブログにコメントしていないか常に気になるのです。私たちの脳は、マルチタスキングの能力が備わっていないくせに、マルチタスクしたがるのです。

 こういった流れになってくると、マルチタスキングを促すiPhone4、今秋発売予定の新ヴァージョンのiPadやGoogleTVなどが、よってたかって、私たちを「おバカ」にしてしまうのではないか? きちんとした作業に神経を集中できない中途半端な人間にしてしまうのではないか? という結論になってしまう。実際、新しいメディア端末への批判や懸念を口にする評論家は少なくありません。が、そういった批判に、ハーバード大学の心理学者(日本でも進化心理学関連の本がいくつか出版されている)スティーブン・ピンカーは、6月10日付けの「ニューヨークタイムズ」で反論しています。その内容を私流にまとめてみると・・・

「いつの時代でも、新聞とかTVとか新しいメディアが登場するたびに、一般市民のブレインパワーやモラルを堕落させるものだ非難されてきた。パワーポイントのような電子技術や検索エンジンなども、インテリジェンスを貶め、表面的知識をすくいとるだけで深みを探求する努力を放棄させる。そして、ツイッターは注意力が持続できる時間を短縮してしまうと槍玉に挙げられ非難されてきた。しかし、過去を振り返って考えてみてほしい。TVが登場して以降、、科学の進歩は止まっているだろうか? 哲学、歴史、文化を批判し評論するインテリジェンスは落ちてきているだろうか?」

 たしかに・・・、日本でも、TVが普及した1950年代半ばに、大宅荘一っていう社会評論家が「一億総白痴化」って批判したこともあったっけ。だけど、TV大好き人間の私としては、この意見にはまったく賛成できまっせん!

 いつの時代でも、新しいものは大人に批判される。だから、スティーブ・ピンカーは、いつの時代にも通用するアドバイスを書いている。

 「何かひとつのことを達成しようとするなら、自己管理しかない。なにかに集中するためには、メールやツイッターをオフにする。食事をするときにはケータイを持たない。自己管理できない人間は、メディア端末があろうとなかろうと、神経を集中する必要があるタスクを完成することはできないはずだ。メディア端末のせいにするのはおかしい。 それは、ダイエットできない人間が、新しいタイプのデザートが次から次へと登場することさえなければ、ダイエットに成功することができるのに・・・と嘆くのと同じだ」

 たしかに正論ですけどね。でも、正論すぎて、役立つアドバイスにはなりません。大半の人間は自己管理できないから、世の中にはダイエット本があふれるているわけで。「わかっちゃいるけど、やめられなくて」、つい、動画をみたり、メールをチェックしたりするんです。私も自分の自己管理能力を信用していないから、チョコレートは家には絶対買い置きしません! それから、ケータイのメールアドレスは誰にも教えてません(って、なんじゃこりゃ?!・・・・太陽のほえろのジーパン刑事のまね)

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参考文献: 1.「ながら作業で注意不足」、日経新聞 9/25/2006、2.「若者は”テレビ離れ”していない」、cnet Japan、3, Klaus Manhart, The Limits of Multitasking, Scientific American Mind 2004, 4,Steven Pinker, Mind Over Mass Media, The New York Times, 6/10/2010, 5, Flonnuala Butler, Imaginary Friends, Scientific American, 7/28/09, 7,Brandon Keim, Multitasking Muddles Brains, Even When the Computer Is Off, Wired Science, 8/24/09

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2010年7月22日 (木)

顧客サービスをやりすぎると・・・(数字が教えてくれるザッポスの真実)

 都内某デパートの化粧品売り場でジュリークのハンドクリームを買おうとしたら、な、な、なんと! 売り場がなくなっていた。皮膚アレルギーが少しある私は、ハンドやボディクリームはジュリーク製品しか使わない。そして、オーストラリア産の自然化粧品はけっこうお高い。某デパートでは洋服も買うし、洋服を買うのは大好きだし、年間累計購買金額でいけば優良顧客セグメントに入っているほうだと思う。

 「なのに、売り場がなくなるというのに案内も来なかった!」とむかついても、フツーは、お店に文句を言ったりしない。メンドクサイし、ジュリークを売っているデパートは他にもある。ところが、この某デパートを出ようとしたら、出口のところにインフォメーションデスクがあり、そこに内線用電話機がドンと置いてあった。しかも、時間もあった。で、お客様相談室とかなんとかいう係りに電話をして苦情をいったら、化粧品売り場の責任者から電話をさせるという。

 で、その日、自宅に、その某責任者から電話がかかってきた。「売り場がなくなるというご案内は、ジュリーク製品の価格改定のおしらせといっしょに郵送いたしました」という。そんなDMがきていたかもしれないが、宣伝DMと思って、きちんと読まずに捨てたかもしれない。

 それは、まあ、どーでもよい。

 だけど、「お客様にご迷惑をおかけして申し訳ございません」とひたすら丁寧に謝る責任者と話していて、なんとなくムカツク。相手の話し方に何かが足りないと思うのだが、その理由もわからないまま、「あなたの話し方はマニュアルどおりだし、型どおりにあやまられても仕方がないから、もういいです」と電話を切ろうとしたら、(そこはちょっと感心したのだが)某責任者が食い下がって、「あのぉ、お客様、私の話し方のどこがいけないのでしょうか?」と聞いてきた。

 質問されて、私は、ハッと気がついた。

 なぜ、相手の応対に不満を感じているのかわかったのだ。

 聞いてみた。「この電話をかける前に、私のデータをご覧になりました?」「・・・・・・?」「私が、たとえば、化粧品売り場で他にどういった化粧品を買っているかとか、年齢がいくつくらいだとか、デパートで他にどういった売り場を利用しているかとか・・・・そういったデータをチェックしてから電話をかけてきたんでしょうか?」 「・・・・いいえ」

 もし、顧客データをチェックしていれば、某デパートの化粧品売り場で私が利用しているのはジュリークとシャネルだけで、しかも、ジュリークはボディー製品だけ、シャネルはメークアップ製品だけ・・・と、かなり、かたよった買い方をしていることがわかるはずだ。そうすれば、「うちで買ってくださっているのは、ジュリークとシャネルだけなんですね。そのジュリークの売り場がなくなってしまったのでは、お客様もお困りでしょうが、うちの化粧品売り場にとっても問題です」とか、もう少し、私という個人に関連性(レラバンス)の高いトークができたはず。そして、私がそのトークに反応して、ちょっとばかしうちとけた口調になったら、「XXXのハンドクリームはお使いになったことがありますか? ジュリークほどにはしっとり感はありませんが・・・」と他商品をすすめることもできる。

 頑固者の私は、そういったオススメにはのらないだろうけれど、少なくとも、マニュアルから離れたパーソナライズされた・・・とまでいかなくても、2人の人間がかわす会話らしいトークもできたはずだ。

 もちろん、すべては、化粧品売り場の責任者の責任ではない(彼女は彼女なりにけっこう奮闘していた)。たぶん、この某デパートは、売り場の人間が、「売り場にとって最低限必要な顧客データ」すらも直接チェックできないような旧近代的なシステムになっているのだろう。店舗小売業にはよくあることだ。そして、経営者たちは、データ活用のなさを批判されれば、自分たちを正当化するために、個人情報保護法を遵守しているからだと、的外れなことを口にする。

 ネット販売をふくめた通販企業で、苦情や質問の電話を受ける担当者は、まともな会話を成立させるのに必要なデータにはアクセスできるようになっている。だから、つっこんだ話しもできる。顧客データにもアクセスできない店舗販売員は、こういった通販企業のサービスに勝つことはできないだろう。

 結局、多くのデパートは、顧客データベースを蓄積保存しても、ポイントカードを発行するだけで終わっている。そのポイント・プログラムも、5%~10%の値引きをしている割には、顧客のロイヤルティを高めて顧客を囲い込むという本来の目的を達成する効果も果たせていないという惨めな状況で終わっている。せめて、蓄積したデータを分析してマーケティングに利用したら?といわれているが、それもない。それとも、購買客にカードをレシートといっしょに返すときに、「お客様、有難うございました」じゃなくて、「加藤様、有難うございました」とカード会員名を読み上げることで、お客様が「わっ、パーソナルなサービス!」と感激してくれるとでも思っているのだろうか?

 顧客サービスって、いったい何だろう?

 ・・・の話しを完結するために、もうひとつの過剰な顧客サービスについて考えてみます。

 顧客サービスのやりすぎ・・・といったら、アメリカの靴(中心の)ネット通販会社ザッポスの名前が頭に浮かぶ。ザッポスの顧客サービスについて、また、2009年にアマゾンに買収されたことについては、以前にも書いている。日本でもザッポスについては本など出版されているから、知っているひとも多いはず。1)返品するときも含めて送料は無料、2)買ったあと365日以内なら返品できる、3)嬉しいサプライズを提供するために、優良顧客には要望がなくても翌日配送をすることが多い、4)顧客とのパーソナルで感情的なつながり(Personal Emotional Connection)を築くために電話での会話を強調。コールセンターは年中無休の24時間体制、5)もちろん、一時間でも早く顧客に届けるために物流センターも24時間体制で年中無休。

 お金かかりそう~~!

 そのとおり。

 ザッポスは、驚くほど手厚い顧客サービスをウリにして、2000年の160万ドルから2008年に10億ドルを突破する急成長を達成している。だが、いつも、過剰な顧客サービスからくる(売上の割りに)高すぎる経費とキャッシュフローの問題に悩まされてきた。だいたいにおいて、2008年の返品率が37%! ということは、売上が10億ドルを達成した(正確には10億1400万ドル)とはいっても、返品を引いたら、6億3000万ドルということだ。しかも、優良顧客ほど返品率が高くて50%だという。ということは、ザッポスは、優良顧客が増えれば増えるほど、売上があがっても、返品率は限りなく50%に近づくってこと?

 2008年の純利益はわずか1%。たしかに、日本の小売業も利益率は非常に低く、2008年や2009年には損失を出している企業も多い。しかし、顧客サービスで急成長!ともてはやされている企業の純利益が1%は少なすぎないだろうか? (ちなみに、ほとんどの商品を仕入れているために粗利益率も低く、送料無料や迅速な配送で経費がかかっているアマゾンでも2009年の純利益は4%くらいだ。ついでに、日本の優良小売業であるファストリテイリングの2009年8月期の売上が6850億円で、純利益が7%だった。まあ、ユニクロは製造小売業だから粗利益率が高いのは当然だけれど・・・。もっとも、アメリカの靴ビジネスは粗利益率が高く43%もあるらしい)。

 「急成長!顧客サービスNo.1!2009年には働きたい会社フォーチュン100で23位!」ともてはやされているザッポスだが、2008年の後半にはキャッシュフローが悪化して、従業員の8%をリストラしている。(キャッシュフローの問題は人件費だけの問題ではない。他の靴通販に比べて、ザッポスは販売ブランド数やアイテム数の種類が多い。そして、迅速に配送できるために、在庫を多く抱えている。その在庫の買取りにお金がいるので、在庫を担保に、銀行から1億ドルの融資を受けていた。が、経済危機発生で、在庫価値が下がってきた)。銀行が融資を引き上げたら倒産するかも・・というところまでいっていたのだ。

 こういった財務問題があって、ビジネスを続けていくためにアマゾンに買ってもらうしかなかった。

 投資していたベンチャーキャピタル企業や銀行は、トニー・シェイCEOに「従業員や顧客をハッピーにすることに執心するのは、あんたの『社会的実験』だ」と言ったらしい(2010年に、シェイCEOは「ハピネスを届ける・・・」という本まで出版している)。8%の従業員をリストラしている企業が、企業文化もへったくれもないだろう。まずは、利益と現金を確保しろ・・・と言ったらしいけど、そりゃ、当然だよね。

 ここで、突然、1980年代にバック・ツー・ザ・フューチャーします。

 80年代に、多くの産業において市場の成長が鈍化するなか、新しい客を獲得することは、競合他社の顧客をうばうことであり、それだけ広告宣伝・販促費用がかかる(いまのケータイ市場と同じ)。よって、新規客獲得経費が高くなるなか、一度つかまえた客をなるべく長い間維持し、購買頻度や購買金額を高くしてもらうために、データベース・マーケティングという考え方が登場した。 顧客一人一人のデータを保存蓄積し、それに基づいてパーソナルなサービス(コミュニケーション)を提供することで、ロイヤルティを向上し、顧客が顧客である間に企業にもたらしてくれる利益、いわゆる「顧客の生涯価値」を向上するマーケティング手法だと紹介された。当時は、IT技術の発展により、パーソナルなサービスを大量生産することができるとさえ言われたものだ。

 90年代になって、ネットが登場するとともに121(ワン・ツー・ワン)マーケティングといわれたり、あるいは(ネーミングを変えたほうが、関連システムやソフトを売りやすいというIT業界の策略で)CRMという新しい名前で呼ばれるようになったりした。が、顧客の生涯価値を向上するという目的は、80年代のデータベース・マーケティングの考え方とほとんど変わらない。

 あれから30年たったいま、苦情質問をしてきた客のデータをチェックせずに対応しようという企業は、あいも変わらず存在する。そうかと思えば、ザッポスのように、ネット企業にもかかわらず、サイトのほとんどのページに電話番号を表示し、人間の介在を強調する。よって、質の高い顧客サービスを提供しようとすれば、人間をふんだんに使うしかないのだと主張している企業もいる。

 この二つの例は次元が違う。某デパートは、30年間言われ続けてきた「データに基づくマーケティング」や「パーソナルな顧客サービス」を無視しつづけてきた企業がいまだ存在することのひとつの例だ。そして、ザッポスは、これだけテクノロジーが発展しても、「質の高いサービスを大量生産化すること」は実現できていないことを明らかにしてくれる例だ。

 その一方で、(私を含めて)消費者は、80年代以降のサービスレベルの向上に慣れ、売り手企業への要求はますます上がるばかりである。

 なんだかねえ~、脱力。

 とどのつまり、売り手企業は、過去に学んだことを次の世代に伝えていくことができないのでしょうか? 同じようなことを繰り返していくのでしょうか?

 でも、まあ、結局は、こういった歴史的事実にめげない経営者が勝ち残っていくんですよね!

 たとえば、ザッポスのシェイCEO。彼は、「ハピネス」なんて言葉をやたら使うからといってオバカではまったくありません。物理的な商品を仕入れ販売している限りは、いまの過剰な顧客サービスを提供して利益率を上げるなんてことができないことはわかっています(親会社のアマゾンと物流センターを共有したり、アマゾンのシックスシグマ手法で効率をはかったとしても、商品単価から考えれば、純利益率は上がっても3%くらいでしょう)。シェイCEOの野心は、ザッポスブランドをプラットフォームにして、本当のサービス業に進出することのようです。ザッポスホテルとかザッポス航空・・・そういえば、以前、ヴァージンレコードから始まって、ヴァージン航空を創立した例もありました。

 小売業はサービス業に入れられますが、粗利益率や利益額が限られた物理的な商品を販売している限り、提供できるサービスも限られます。損益計算書を見ればわかることですが、いまのような過剰な顧客サービスを提供したければ、それに見合った対価を払ってもらえる本当の意味でのサービス業を始めるのが一番です。ザッポスホテルなんて、すぐにでも始められそうです。もっとも、私は、思うのです。「世界中にハピネスを届けたい」と、照れることもなく口にすることができるというシェイさんは、宗教ビジネスを始めるのが一番いい。写真で見るとわかるように、すでに、名僧の雰囲気を漂わせているし・・・。 宗教ビジネスは究極のサービス業です。

 で、靴のザッポスはどうなるのか? アマゾンが吸収して、過剰なサービスを高品質なサービスのレベルに変える(返品は1年ではなくて30日以内、それと電話番号は苦情質問受付ページにだけ掲載。ただし、返品のさいの配送費無料は続ける)。他タイプの商品よりも高いという粗利益率を考えれば、4~5%の純利益率を出すことくらいはできるのではないでしょうか?

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参考文献:1.Tony Hsieh, Zappos's CEO on Going to Extremes for Customers, Harvard Business Review, July-August  for Customers, Harvard Business Review, July-August 20 Customers, Harvard Business Review, July-August 2010, 2.Tony Hsieh, Why I sold Zappos, Inc. June 1. 2010 , 3.Andria Cheng, Zappos, under Amazon, keeps its independent streak,  MarketWatch June 11, 2010,

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2010年6月28日 (月)

スティーブ・ジョブズ氏にiBrainを設計してもらう

 未来学者アルビン・トフラーが、1970年に出版した本「未来への衝撃(Future Shock)」では、「情報オーバーロード(Information Overload)」という言葉が注目を集めました。膨大な情報が存在することによって、ものごとを理解して意思決定をすることがむつかしくなる・・・という意味合いで使われました。

 それから40年後の2010年、多くのビジネスマンやビジネスウーマンが、毎日、この「情報オーバーロード」と戦っています。彼らの多くにとっては、iPad、 iPhone 4、そして今秋発売予定のGoogleTVなどという新しいメディア端末は、頭痛の源。・・・「だって、メディア端末が増えるってことは、それだけチェックしなくてはいけない情報量が増えるってことじゃないか!」。

 厳密にいえば、iPadにしてもGoogle TVにしても、まったく新しい情報を発信しているというわけではない。すでに存在している情報が形を変えて発信されているだけの場合が多い。だが、紙媒体上では文章や写真だったものが動画に変形されて発信されれば、やっぱり、情報が増殖されたことになる。

 たとえば、雑誌「GQ」がiPadに配信され、表紙のレオナルド・ディカプリオが動いて喋れば、「まったく新しい情報だ。見てみなくちゃ!」ということになるでしょう。やっぱり・・・・。

 私たちは、1960年に比べて3倍の情報量を消費しているといわれる。そして、問題は数量だけではない。ケータイやeメール、ツイッター上でのツイート(つぶやき)・・・次から次へとたえまなく情報が(ゼロ価値のものから高価値のものまで玉石混交で)入ってくる。会議中や食事中なら無視すればよいのだが、私たちの脳は入ってくる情報を見ないことに苦痛を感じるようにできている(その理由は、また、後で・・・)。だから、ついチェックしてしまう。2010年6月6日のニューヨークタイムズは、こういった現象を「ノンストップ・インタラクティビティ」と呼び、人類が進化の歴史上、かつて経験したことがない環境の変化だと書いています。

 情報オーバーロードの環境のなかで、私たちは「自分が未だ知らない、だが、知っているべき情報がどこかに存在しているのではないか?」と常に不安を感じている。ですが、最近の神経科学(ニューロサイエンス)や進化心理学の研究によると、情報オーバーロードを作り出しているのは、iPadでもiPhoneでもなく、自分自身(自分の脳)かもしれないという疑問が出てきます。

 ・・・・ということで、脳と情報との関係についての「情報」です。

 まず、最初に知っておくべきことは、脳は、「新しい情報」が「チョコパフェ(ちなみに私の好物です)」と同じくらい大好きだということです。

 そもそも・・・脳には報酬系という神経回路があって、食べ物やセックスといった生存や繁殖に必要なごほうびを得ているとき、あるいは得ることができるかもしれないと考えるだけで、ドーパミンが放出され、ハイな興奮状態になります。報酬系に動機づけされることで、人間は食べ物や異性を熱心に探す行動を起こすのです。そして、食べ物や繁殖相手の異性を探すためには情報が役立ちます。森のどこにいけばバナナの木があるという情報を手に入れたら、おいしいバナナをゲットしたも同然です。その結果、脳の進化の歴史の途中で、情報自体が(認知的)報酬となり、こういった情報を手に入れたり、手に入れることができるかもしれないと期待するだけで、ドーパミンが放出されるようになったのです。

 脳が情報を報酬とみなすようになったのは、少なくとも4000万年以上前のことだと断言できます。なぜなら、そのころに、人間と進化的に枝別れたしたといわれるオマキザルを使った実験で、オマキザルも食べ物に関する情報を「報酬」と判断していることが明らかになったからです。サルに、飲み物がもらえる前にどのくらいの量の飲み物がもらえるか、コンピュータ・スクリーンに表示される色で判断できることを教えます。5日間くらいの訓練を受けているうちに、サルの脳は、飲み物がもらえるという期待でドーパミンを出すだけでなく、飲み物に関する情報を得る期待だけでもドーパミンを出すようになります。しかも、サルは、そういった情報をできるだけ早く見たいという欲求を示すようにさえなります。(早く見ようと見まいと、飲み物がもらえることに変わりはないし、もらえる飲み物の量にも変わりはないというのに・・)。

 こういった脳の進化の結果として、現代の私たちも、情報を知りたいという衝動(本能的欲求)を持っています。しかも、情報は誰よりも早く手に入れなくてはいけません(だって、バナナの位置情報を誰かに先に知られたら、そいつに全部食べられちゃうじゃん!)。だから、私たちは、なにをさしおいてもeメールをチェックする誘惑に抵抗できないのです。

 いま入ってきたメールや、ツイッターの刻々と展開するやりとりを常にチェックしていたいという衝動は、もうひとつ、他の理由で説明することもできます。

 いまあるチャンスや危機にすぐに対応することで生存率を高めてきた原始的衝動です。

 20万年前、私たちの祖先がアフリカの草原を、食べ物を求めて歩いているシーンを想像してみてください。いつ毒ヘビやサーベルタイガーが襲ってくるかわかりません。油断大敵、ヘビにトラ!! 目や耳に新しい刺激(視覚情報とか聴覚情報)が入ってきたら、その刺激に即反応して、すぐに逃げるとか戦うといった行動を起こさなくてはいけません。新しく入ってくる刺激には、いま何をしていようとも(会議中、食事中、企画書作成中)、すぐに対応しなくちゃ!と脳は反応してしまうのです。だから、「You got a mail」のチャイムが鳴ると条件反射的にクリックしてしまうのです。

 常に継続したクライシス状態です。

 いつ、新しい情報(ニュース)が入ってきても準備ができている警戒した状態において、脳内にはノルアドレナリンのようなストレス・ホルモンが放出されています。そのくせ、新しい情報(報酬)が入って来るかもしれないという期待でドーパミンも常時放出されたミニ興奮状態でもあります。こういった状態が習慣化すると、メールが来なかったりすると、つまらなさ、物足りなさを感じるようになってしまう。これが、ケータイやネット依存症の原因です。どちらにしても、ドーパミンとノルアドレナリンと両方の化学物質が放出された脳では、複雑な思考をすることがむつかしく、ひとつのものごとを熟考して意思決定することができなくなります。

 ロンドン大学が、ヒューレットパッカードの依頼によって調査研究したところ、仕事をしているときeメールやケータイ電話がかかってきて気が散ると、IQレベルが10ポイント落ちることがわかりました。大麻を吸ってハイな状態なときにはIQが4ポイント落ちます。eメールの悪影響は、ドラッグより2倍も高いのです!

 まさに、40年前に、アルビン・トフラーが予言したとおり。「余りに膨大な情報が存在することによって、ものごとを理解したり、意思決定をすることがむつかしく」なっているのです。

 ただし・・・・。どれだけ膨大な情報が存在しようとも、脳がそれを「いま、すぐ、手に入れたい!」と思わなければ、わたしたちはストレスを感じることもないし、理性的な意思決定をさまたげられることもないわけです。考えてみれば、Googleの情報選択基準というか重要度を判断する基準が「より多くのアクセス数やリンク数(ということはより多くのひとが関心を持っているということ)」で、人間の脳のランキング基準は「より新しいかどうか」です。こんな単純な選択基準では、古くても価値ある情報を探し出すためには、かなりの手間と時間が必要となります。だから、私たちは、常に、「情報におしつぶれそう!」といった不安感に襲われるのです。つまり、原始の環境で生存率を高めるために設計された脳の仕組みは、情報オーバーロードの環境ではストレスを高め、返って生存率を低くする結果をもたらしているのです。

 iBrainという言葉は、2008年に発売された本(注1)のタイトルとして使われました。この言葉を借りていえば、私の考えるiBrainは、情報社会において、本当に重要な情報を獲得するときにだけドーパミンを放出してくれるような脳で、かつマルチタスクを効率よく実行できる脳です。新しいメディア端末に適応する形で、脳がiBrainに進化していくことは可能なのでしょうか?

 ・・・この話はまだ続きます。でも、長くなるので次回に。

 最後に、iPadの人気の理由を、脳の進化の観点から考えてみます。

 すでに書きましたが、脳は新しい物が好きです。とくに、目新しいものが・・・。

 そうです。「目」が入りましたね。まさに、その言葉どおり。目に新しく映るものが脳は好きなのです。文書情報を処理する歴史はわずか5000年足らず。話し言葉情報ですら数万年の歴史です。脳は、言葉を処理するよりも、視覚情報を処理するほうがずっと上手なのです。もう一度、20万年前のアフリカの草原を歩く遠いご先祖様を思い浮かべてください。かれらは、自分たちを獲物とする肉食動物が草原のはるか彼方にいるのを見つけて、その時点で逃げることで生きのびてきたのです。同様に、緑の森のなかで小さな赤い果実を発見するために、他の哺乳類よりも色覚を発達させることによって(ヒトやサルは赤、青以外にも緑を加えた三原色の世界で生きています)、生存率を高めてきたのです。こういった脳の仕組みを受け継いできた現代の私たちも、文書情報よりもビジュアル情報の刺激に敏感なのです。まさに「百聞は一見にしかず」なのです。ビジュアルを強調して、その鮮やかで美しい画像でユーザーの心を捉えたiPadが、他のメディア端末よりも競争優位に立つことは当然のなりゆきなのです。

 アップルは、2007年に、「本能的に使いやすい」タッチスクリーン方式のiPhoneを開発したときに、心理学者や人類学者のアドバイスを得て、人間の本能を考慮したうえで製品をつくりあげました。心理学者+人類学者=進化心理学者です。アップルは、人間の進化の過程を考えながら、触覚の次は視覚にアピールすることで、世界の消費者の心をつかみました。

 ところで、米オバマ大統領は、5月に某大学の卒業式に出席し、社会に巣立つ卒業生を前にしたスピーチで、iPadのようなメディアが1年中24時間情報を発信し続けることを批判しました。しかも、その情報の質は疑わしい内容であることも多く、「情報はもはや我々に力や自由を与えてくれるものではなくなっている・・・これは、国家や民主主義にとっての新しい悩みのタネとなっている・・・」と嘆き、テックの人々の間で話題になりました(アップルだけ槍玉に挙げるのは不公平だと思ってか、iPad以外にもマイクロソフトのXboxやソニーのPlayStationの名前も、国家と民主主義の頭痛の原因として挙げられました)。

 しかし、質の悪い情報が普及するのは、私たちの脳の仕組みにも原因があるわけですから、メディア端末だけを責めても、「国家や民主主義」の健全さはたもてません。ここは、やはり、世界一のクリエイター(創造者)であるスティーブ・ジョブズさんにiBrainの設計を、お願いしてみるというのはどうでしょうか? (・・・ということで、この話は、次回に続きます)。

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注: Gary Small and Gigi Vorgan, iBrain: Surviving the Technological Alteration of the Modern Mind, William Morro, 2008

参考文献: 1.Matt Richtel, Hooked on Gadgets, and Paying a Mental Price, The New York Times 6/6/10, 2.Michael Horsnell, Why Texting Harmas Your IQ, The  Times, 4/22/05, 3. Chadrick Lane, The Chemistry of Information Addiction,  Scientific American, 10/13/09, 4.Gary Small and Gigi Vorgan, Meet Your iBrain, Scientific American, Oct/Nov 2008

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2010年5月23日 (日)

価格は企業のメッセージ

 いまさら価格について書くのも、「タイミングずれまくりという感はあります。高額品を買うひとたちが増えてきた・・・なんてウワサも耳にするようになったし、「成城石井」のように高額PBで成功している食品スーパーを特集する記事もあちこちに登場している。利益を無視した低価格に走る自殺行為もそろそろなくなるかもしれない。なのに、いまさら価格のことを書いてもなあ・・・・と思いましたけど、やっぱり書くことにしました。

 その理由は・・・・

  1. 世界的に景気が上向いてきたかもしれないという、そのときになってヨーロッパの経済不安。やっぱり、不確実な時代なんだ。これで、また、いったん上げた価格を下げるなんて愚行に走る企業も出てくるかも。景気サイクルを予測できない時代を乗り切るためには、価格に対してしっかりした戦略をもたなくてはいけない。価格は、企業にとって、国家における安全保障と同じくらい重要な問題のだ。ハトポッポみたいにブレてはいけないのだ。
  2. 経済産業省が4月21日に、(消費者が商品やサービスに何を求めているかという)消費者意識調査の結果を発表している。「リーマンショック以降、日本の消費者は(製品・サービスそのものへのこだわりではなく)低価格がこだわりのポイントになっているという一般論がよく聞かれる。が、果たして、消費者の購買意識の実像はどうなのか・・・・」という調査概要からもわかるように、デフレ懸念をもつ経済産業省がその傾向をくいとめることを目的に調査し発表した感がある。つまり、安売りしなくては売れないと思い込んでいる企業に、「それは大きな勘違いだよ。この調査結果をみてごらん」と、利益なき価格競争にストップをかける説得材料として調査をした・・・ともいえる。調査結果は、朝日新聞が「値引き、デフレ招く」という見出しで紹介したように、1)各製品とも平均価格で売られている場合、価格重視は約50%、2)平均価格より2割安くなると、価格重視は60%に上昇、3)平均価格よりも2割高くなると、価格重視は40%に減少・・・となっている。

 経済産業省は、この結果をふまえて、価格を下げると、消費者は更に価格を重視するようになり、際限なき価格競争におちいらざるをえなくなると結論づけている。つまり、企業の低価格戦略が、消費者の価格への意識を刺激して、デフレを加速させているということだ。なんだか、ちょっと、結論が先にきまっていて、それに従って構築された調査のような気がしないでもないけど・・・・。でも、まあ、結論は正しいと思うので、調査方法についてケチをつけるのは止めにしよう。

  企業経営者は「値ごろ感」という言葉をよく使う。そして、品質+価格=値ごろ感だという。だが、消費者には、価格と品質を論理的に比較して、いくらなら最適だという絶対的基準があるわけではない。同じような商品と比較して、高いとか低いとか判断しているだけなのだ。つまり、著名なナショナルブランドが300円なのに聞いたこともないブランドの商品が同じ値段なのは高すぎる・・・とか。先週は250円だった商品が、いまは200円になったから割安だ・・・・とか。消費者には参照する基準価格が必要なのだ。それがないと、安いのか高いのか判断できない。つまり、消費者の持っている「値ごろ感」は相対的な感覚で、とうふの値段だろうとレクサスの値段だろうと、いくらなら「値ごろ」だなんていえるような絶対尺度ではないのだ。

 だから、「顧客の声に耳をかたむける」ことなどしていたら、経済産業省の結論どおり、益なき価格競争に突入することになる。

 「値ごろ感」は顧客が決めるものではなく、(消費者の実態と無意識の心理を知った上で)売り手が決めるものなのだ。

 そして、売り手は、その値段が値ごろだと買い手が感じられるような状況や仕組みをつくってあげる。単純な例でいえば、たとえば、スーパー店舗でNBの洗剤のそばに低価格のPBの洗剤をおいて、PBの安さを強調する。ユニクロのジーンズの主力は3990円だった。だが、2月に新ブランドUJを発売して、2990円と1990円の2種類の価格の商品をそろえた。高中低3種類の商品を出すことで、懐具合の異なるすべての客にアピールできるはずだった。が、いざ、ふたを開けてみたら、価格帯ごとの差が消費者には伝わらず、低価格品の売上が予測を下回った。よって、2990円をなくし、3990円と1990円の2種類にして、違いをはっきりさせる戦略に変える予定だそうだ(日経MJ5/21/10)。

 昔から、すし屋やうなぎ屋では、松竹梅と価格が違う(もちろん中身も違うはず)メニューを提供することで、すべての顧客のニーズにこたえる戦術をとったものだ。比較できる対象をつくっているわけで、これによって、高いものはその高さが強調され(高いからおいしいはず!)、反対に低いものはその安さが強調される。結局は、両極端を避けて真ん中の値段のものが一番よく売れる・・・といったものだ。だが、ユニクロのジーンズの場合、高低だけのほうが、消費者にはその違いが明確に感じられた・・・ということ。こういったことはテストをしてみるのが一番。実際に発売してみて、悪ければすぐに変更するのがユニクロの強さのヒ・ミ・ツ。

 マクドナルドは高額品と低額品とをうまく使い分けている。100円バーガーとか100円コーヒーとかを揃えて安さをアピール。だが、これによって、単価が下がるのを避けるために、350円以上するクォーターパウンダーとか期間限定の高額品をメニューに加える。そして、TVコマーシャルでは高額品を強調することで、低価格ファストフード店のイメージを避ける。いずれにしても、マックにおいて、高額品は低額品があるからこそ、その価値を主張することができるし、低額品は高額品があるからこそ、安さを主張することができるのです。

 「訳あって安い」商品が人気です。皮が破けためんたいこ、脚が折れたカニ、生地に多少の痛みがある洋服・・・だから安いと説明すれば、もともと絶対基準がない消費者は、「ってことはお買い得なのね!」と納得するのです。売り手がウソをついているという意味ではなく、そういった状況を説明して、消費者に比較する、あるいは参照する基準をつくってあげる(この場合、比較する対象は、たとえば、脚の折れていないカニの値段になります)。そうすれば、消費者には安さが実感できるようになるのです。 

 西友が2008年に、他店のチラシに西友より安い同一商品が掲載されていれば、価格を安いほうにあわせますという「価格保証」の販促を開始した。これは、親会社のウォルマートが、アメリカで、ディスカウントストアとしての知名度がいきわたっていないころによくやっていた販促です。この手法は「うちはどこと比べても絶対安い!」 という売り手の自信が買い手に伝わるようにすることが目的です。こういったメッセージを耳にし目にする消費者は、あの店は安い店だと感じ取るのです。実際には、アメリカでも日本でも、値引きを求めてくる客数は非常に少ない。西友でも、実際に値引きをした例は、一日一店舗当たり10件程度。90年代後半に同じ価格保証サービスを実施したホームセンター大手のカインズも、このシステムを活用する客は少なかったといいます。実際にチラシを比較する消費者の数は少ないのです。それでも、こういったメッセージを継続して送り続ければ、あの店は安い店だというイメージが定着するようになるのです。

 ニトリは2008年5月に、「一度値下げした商品の売価を元に戻すことはありません」と宣言しました。これも、ニトリは景気とか他店との競争とか状況が変わることによって価格を下げたり上げたりする企業ではないことを、そして、自分たちは安い商品を継続して提供することを目標としていることを消費者にしらしめる自信あふれるメッセージなのです。これも、やはり、ウォルマートがディスカウントストアとしてのイメージを確立するために使った手法です。

 そろそろ本題に入ります。

 「不況時に独り勝ち」といわれている企業は、ある程度のレベルの品質の商品を安く提供しているということだけで、売れているわけではないのです。「安さ」を消費者が感じ取ることができるような仕組みや状況をきちんと作ったうえで、安い商品を提供している。だから、売れているのです。

 高額品を売っている企業は、それだけの努力をしているのでしょうか? 「訳あって安い」の実例はよく見ますが、「訳あって高い」と消費者にコミュニケーションする努力をしている企業はそれほど見られません。

 最近、モノ消費 vs コト消費の対比もよくとりあげられます。これも、消費者には購買選択に絶対基準がないことを示す良い例です。消費者はそのときどきの状況や文脈(たとえば、商品の紹介の仕方)によって、買う買わないの選択を変えるのです。だから、チョコレートが食べたければコンビニで明治の板チョコを買う(モノ消費)。だが、バレンタインというストーリーがあれば、一個数百円どころか数千円もするような生チョコを買うのです(コト消費)。節分の日に恵方を向いて食べれば吉が訪れるというストーリーがあれば、太巻きが売れる。今年などは、一本数千円もする高額品まで売りに出されたそうです。

 高額品を売っている企業は、不況で売れないと嘆く前に、こういったストーリーをつくる努力をしているのでしょうか? 低額品と並べることで高額品のよさが際立つような仕組みをつくっているのでしょうか?

 牛丼の吉野家が、米国産よりも仕入れ価格の安い豪州産を使うライバルが牛丼価格を値下げするなか、米国産にこだわるがゆえに380円を堅持。結果、280円の「すき屋」や320円の「松屋」に顧客をとられて、過去最悪の赤字を計上・・・という記事が4月初めに掲載されました。牛丼とはとんと縁のない私ですが(ただし、朝食の納豆定食は好きです)、吉野家が、BSE問題が発生したときに、牛丼販売を休止せざるをえなくなっても味の良い米国産にこだわったことで、消費者からも拍手喝さいを受けたことは覚えています。でも、その後の吉野家は、米国産へのこだわり、味の良いものを提供したいことへのこだわりを、消費者に充分コミュニケーションしてきたといえるでしょうか? 消費者に、そのメッセージを伝えるために、たとえば、2種類の価格帯の牛丼を販売することもできたはずです。米国産の牛丼には思い切って高価格をつけ、豪州産の牛丼にはライバル店より低い価格をつけて販売する。それにより、低価格だけにこだわる客も、おいしいものにこだわる客も(味の違いがわからない客だとしても、2種類の価格の商品を提供することで、高いほうがおいしいに違いないと感じるものです)・・・両方の客をひきつけることができ、単価も客数も下げずにすんだかもしれません。

 もし、米国産の牛丼の味は絶対においしいという自信があったのなら、こういった価格メッセージで、その自信を消費者に伝えることもできたのでは?

 ケータイ・メーカーの大手ノキアの日本市場における価格戦略は、「粋(いき)」だと思います。

 ノキアは2008年末に、これ以上、益のない低価格競争に巻き込まれていても仕方がないと日本のケータイ市場から撤退しました。しかし、間を置くことなく、2009年初めには、一台600万とか900万円とかする最高級ケータイブランド「ヴァーチュ」の直営店を開けました。これは非常に賢いビジネスのやり方だと思います。なぜなら、GDPで中国に抜かれようと、日本はまだまだ経済大国。将来、いつか、また、日本市場にケータイあるいはその他のモバイル端末で戻ってくるチャンスがあるはず。最高級ブランドをのこしておけば、ノキアのイメージや知名度はある程度保てます。げんに、つい最近も一台2000万円の蒔絵のケータイを発売して、マスコミで取り上げられました。世界でたった4台しかない限定品です。これはもう、売上を上げるとか何よりも、ストーリーを提供してTVや新聞雑誌で取り上げてもらう、つまり、PRのためにつくった製品です。日本の消費者に忘れられないように時々話題を提供して知名度やイメージを保ち、いつか、また、チャンスが出てきたら、他の製品を発売すればよいわけです。

 価格は企業のメッセージです。ですから、むやみに上げたり下げたりすることは、メッセージが常に変化して国民の信頼をすっかり失ってしまった首相と同じ運命をたどることになるのです。もともと、価格と品質との関係において絶対基準のない消費者にとって、価格がぶれるということは、品質がぶれることであり、その商品や売り手への信頼感を失うことにつながるのです。

 逆オークションということで有名になった古着ショップがあります。「ドンドンダウン」という名前の店は全国に27店舗あります。ここでは、毎週水曜日になると値段が1000円ずつ安くなります。客はそのことを知らされていますから、気に入った商品が見つかっても、もう一週間待てば、いま3000円のものが2000円になることもわかっています。だが、その間に、誰かに買われてしまうかもしれません。悩むところです。この値下げ方式には、「在庫になる前に売り切りたいから値下げしますよ。でも、少なくとも、いつ値下げするかお教えします。私たちはフェアな売り手なのです」・・・そういった売り手のメッセージが感じられる。顧客も納得できる値下げ方式です。

 安売りで有名になった企業は、低価格製品をつくる努力をしているだけではないのです。「お買い得商品が売られている」ことを消費者に感じ取ってもらう努力もしているのです。高額品を売っているデパートはむろんのこと、高額衣料品メーカー直営店舗、高いから客足がへったというレストランチェーン等々は、それだけの努力をしつくしたのでしょうか? 

 ヒジョーに疑問です。

 売れないことを高い価格だけのせいにしないでほしい・・・・。

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参考文献: 1.西友の値引きどこまでOK? 日経MJ 12/12/08、2.激動ジーンズ攻防し烈、日経MJ 5/21/10

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2010年4月29日 (木)

「物語」を紡げなければ経営者失格!

 「そのとき創業者は何と言ったか--。創業者の顔を知らない若手を集め、古株の役員が往時を語る。ファスナーの世界最大手のYKKがそんな試みを始めた」という記事を読みました(日経新聞3/22/10)。2009年度には6人の取締役が「社員との語らいの場」を各人2回ずつ計12回受け持ち、2010年度にはこれを30回程度に増やす計画だそうです。

 YKKのファスナーは世界市場の45%のシェアを持っていますが、「未開の市場に果敢に挑戦する企業風土が失われている」のではないかという危機感から、「一代でYKKの基礎をつくった創業者吉田忠雄の姿を見てきた自分たちの役割は、創業の理念を正しく次の世代に伝えることだ」と、役員たちは考えているそうです。

 この記事を読んで思ったことがあります。

 企業理念を「物語」として語れる企業は幸運だ。こういった企業には、創業者とか中興の祖とか呼ばれる人物がいて、このひとが言ったことやしたことを中心に物語をつむぐことができる。

 こういった人物が存在しない企業のホームページの多くには、企業理念の下にビジョンとかミッションとかバリューといった、ビジネススクールで使われている教科書から抜粋したような抽象的な言葉が並んでいる。そして、たとえば、「株主や顧客、取引先とともに成長しながらも・・・社会に貢献する」とか、「世界文化の進展に寄与する」とか、誰もが反対できないような立派な約束事が続くのです。しかし、こういった抽象的な言葉では株主はむろん社員の心さえも動かすことはできません。こういった企業の人事部長は、創業者が松下幸之助みたいな立志伝中の人なら、社員たちが一致団結して情熱をもって働くような企業風土や企業文化をつくることができるのになあ~~とうらやまく思っていることでしょう。

 でも、創業者が言った言葉を掲げるだけでは、社員の心や行動を変化させるほどの説得力はありません。

 人間の心を動かすには「物語」にする必要があるのです。

 たとえば、ホンダの社史で、「1980年1月に日本の自動車メーカーとして初めてアメリカで乗用車を現地生産する計画を発表、オハイオ州に工場を建設し、1982年11月に乗用車アコードの生産を開始した」と書かれていたとして、それは単なる歴史的事実を述べただけ。しかし、そこに、工場が完成したときに、「創業者の本田宗一郎が工場従業員と同じツナギ姿で登場し、1000人近くの工員一人一人と握手をした。自分たちにとっては『雲の上のひと』である創業者が、自分たちと同じツナギを着て現れ握手までしてくれたことに工員たちは痛く感動。外国企業への不安感がいっきょに消し去られ、労使関係がその後スムーズに進んだ」・・・と続けば物語になります。

 これに、もう少しオヒレをつけて、「宗一郎は、1981年に勲一等を授与されることになったとき、『技術者の正装は真っ白なツナギだ、だからオレはモーニングではなくツナギを着て皇居に参内する』と言う。いくらなんでも天皇陛下の前にツナギ姿では出られませんと、まわりが必死になって止めた」・・・というエピソードが続けば、これは、もう、企業理念を立派に伝える物語。どんな抽象的な言葉よりも感動を与えてくれる物語になっています。

 花王の尾崎社長は、「理念を社員の心に響かせるのは理念を具現化したストーリーを引用することが大切だ」と語っています(日経情報ストラテジー11/24/06)

 アメリカの企業が従業員へのストーリーテリングに注目するようになったのは1970年代ごろからだろうか。靴のナイキは70年代後半には、ストーリーテリング・プログラムを始め、創業にかかわった陸上競技の元コーチや元選手たち3名のエピソードを中心とする物語を、「未来に渡すべき遺産」として新入社員に伝え始めた。こういったストーリーテリングは会社が大きくなり大企業病を患うようになったとき、また、会社が危機を迎えたとき、より重要となる。ナイキは、1997年に、開発途上国の工場で労働者を低賃金で働かせて搾取していると内外の批判にさらされるようになった。こういった困難な時期を乗り越えるためには、社員のチームワークや結束が必要となる。ナイキはストーリーテリングに再度注目。シニア役員がストーリーテラーとなり、企業が過去から受け継ぎ未来に託すべき遺産を、本部長クラスから店舗店員にいたるまで、すべての従業員に語ってきかせているそうです。

 「物語」は社員へのインターナルマーケティングに必要なだけではない。ヨーロッパの高級ブランドは、ブランドにまつわる「物語」を持っているがゆえに、数世紀にわたる数多くの危機を乗り越え生き延びてきている。

 私たち人間が「物語」形式に影響をうけやすい(説得されやすい)傾向があることを証明する実験があります。

  1. TVドラマのほうがニュースよりも説得力があることを証明したアメリカでの実験・・・18歳~25歳の女子大生の半分には、高校生が妊娠してしまったTVドラマを見せ、残りの半分には、十代の妊娠がもたらす問題を特集したニュース番組を見せた。実験前と実験2週間後に、なんらかの避妊手段を使うつもりがあるかどうかの調査をした。結果、ニュース番組を見た実験参加者には意図の変化はまったく見られなかった。が、ドラマをみた女性は、避妊手段を採用するつもりだと答える割合が高くなった。
  2. 物語を読んでいるときに脳がどのように反応しているかを、fMRI(機能的MRI)で調べる実験・・・小説を読んでいる読者は(とくに登場人物に感情移入している読者は)、登場人物が本の中で感じていることやしていることをまるで自分自身がしているかのような反応を脳のなかで起こしている。たとえば、主人公がクルマのハンドルを握ったという箇所では、読者の脳内の運動に関係する神経細胞が活性化し、主人公がまわりを見渡しているときには、目の動きをつかさどる神経細胞が活性化していた。読者は小説のなかでの出来事を、自分自身の出来事として経験しているわけだ。
  3. 今年後半に予定されている実験・・・事実をそのまま伝える新聞記事、ハリーポッターのような単純な小説、プルーストの「失われたときをもとめて」のような難解な小説を、実験参加者に読んでもらい、それぞれにおいて、読者の脳がどう反応しているかをfMRIで調べる。

 進化心理学者は、人間がなぜ物語を好むのかに非常に関心をもっています。いくつかの説があります。

  1. 現実世界へのシミュレーション・・・・パイロットが実際に飛行機を操縦するまえにフライト・シミュレーションを使って訓練するように、物語を聞いたり読んだりすることで、現実世界でどういった状況にどう対応するべきかの練習をしているという説。その根拠は、世界中どこにでも、大昔から伝わる神話とか民話というものがあり、そのほとんどが共通のテーマをもっている。たとえば、男女のロマンスは、交配相手を獲得するための試練と苦難のストーリー。英雄伝説は権力闘争や社会的地位獲得のストーリーといった具合。つまり、我々の祖先は、摂食、生殖、共同体における権力争い(共同体における人間関係)をテーマとした「物語」を聞いたり話したりすることによって生存するための適応能力を強化してきたのだ。
  2. 最初の「物語」はウワサ話・・・・人間の祖先である類人猿は300~400万年前に群れを作って暮らすようになったころからウワサ話が好きだった(といっても、当時は言葉はなく、非言語的コミュニケーションを使った)。ウワサ話は、誰が信頼できるやつで、誰がウソつきで、誰がケンカをしてはいけないやつで、誰が交配相手として最適か・・・・など、グループ内で生きていくために必要な情報を得る手段だった。ウワサ話は数十万年前に言葉が生まれることによって、より活発になり、いまでも、わたしたち人間はうわさ話が大好きだ。1997年の研究では、公共の場所における人々の会話の65%はウワサ話であり、その主要テーマは、その場にいない人物について批評する・・・ことだそうです。

 人間がそもそも言葉を話すようになったのは、他人を説得するためだったと言われます。共同体で社会生活を営むなか、他人に自分が望む言動をとってもらうように仕向けるために言葉を喋り始めた。ウワサ話を通じて、仲間をだまして食べ物を独り占めしたワルの評判をおとしめ、グループ全員でシカトして懲らしめるのもその一例です。そして、グループ全体でマンモスを狩るような大仕事をするためには、十年前に自らの命を犠牲にしてマンモスの足にヤリを突き刺した人物について物語形式で話すことが、聴衆の感情移入を誘い、グループの結束を固めるもっとも効果的な説得方法であることも発見したのです。

 世界中で歴史を越えて語り継がれてきたストーリーは、太古の昔の共同体で、誰もを魅了した人物のウワサ話から始まったのかもしれません。その人物に関するウワサを聞いたひとは、その人物に感情的にひきつけられ、彼のもとに集まり、彼の命令なら命がけの狩猟にも喜んで出かけていったことでしょう。そして、そういったウワサが他の共同体にまでひろがり、世代を超えて伝えられることによって、本田宗一郎の例のように物語として発展していったのです。

 豊かなエピソードをもった創業者や中興の祖を持たない企業はどうしたらよいのでしょうか?

 物語はフィクションです。新たにつくりあげればよいのです。・・・といって、まったくなかった出来事をでっちあげろと言っているのではありません。現場を探せば、エピソードは見つかるはず。たとえば、CRMで有名になったホテルのリッツカールトンや日本のディズニーランドの物語をつくっているのは、お客様が期待している以上の親切な行為をした現場の従業員のエピソードだ。

 ウソはダメでも物語りにするためにはある程度の脚色は必要だ。欧米の一流ブランドのストーリーには100%事実ではないエピソードがかなり含まれている。第二次大戦後のアメリカで生まれた高級化粧品会社の多くの創業者の生い立ちは、なぜか、ヨーロッパの貴族で戦火を逃れて新大陸にやってきた・・・ということになっている。本当は、貧しい移民の子だったにもかかわらず・・・。最近、シャネルの創業者ココ・シャネルの生涯をたどった映画が2本つくられ上映された。両方とも見たのですが、父親に捨てられ孤児院で育てられたこと以外は、かなり違った脚色になっていた。でも、どちらの映画が真実に近いかどうかは問題ではない。どちらの物語(映画)のココ・シャネルのほうがより多くの観客の共感を得られるか、つまり、より多くのファンをつくることができるかが重要なのです。

 人を魅了する物語には、必ずといっていいほど、人を魅了する人物が登場します。だから、企業やブランドを社員や顧客にとって魅力的なものにするためには、人間を登場させなくてはいけません。企業理念とかビジョンとかミッションとかブランド・プロミスとかブランド・アイデンティティ等々をきちんと決めることは、経営陣の考えを整理しまとめるために必要なことではあります。が、顧客や社員に情熱や思い入れを持ってもらうためには、つまり感情的に結びついてもらうためには、企業やブランドに人間性を持たせることが必要です。つまり、AさんBさんといった人物が登場する物語が、そういった抽象的概念を裏づけなくてはいけないのです。

 日本企業は、社員に対しても、あるいは、消費者に対してのブランディングにしても、物語づくりがあまり上手とはいえない気がします。感情的になるのをなんとなく照れくさく思う生真面目さ、それとも謙虚さの表れか? つくられた製品をみてくれれば、他製品との違いがわかるはず、フィクションなんて余分なものは必要ないという職人気質なのか? 

 しかし、「物語」がつくれないひとには説得力がないのです。だから、経営者失格なのであります。そして、そういった考えを読者の皆様に納得させることができなかったとしたら、ブログの筆者である私にも説得する能力がないということになるわけです。ですから、みなさま・・・ブログを読んで浮かんだ疑問などさっさと忘れ、「なるほど!ガッテン」してしまってください。

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参考文献:1.「企業の理念、語らい継承」、日経新聞 3/22/10、 2.「業務革新を持続させるリーダーの条件」日経情報ストラテジー11/24/06、3. Eric Ransdell, The Nike Story? Just Tell It! Fast Company, Com. 12/19/07, 4.TV Drama Can Be More Persuasive Than News Program, Study Finds, ScienceDaily 2/11/10, 5. Jeffrey M.Zacks. et. al. Reading Stories Activates Neural Representations of Visual and Motor Experiences, Psychological Sicence Volume 20 No and Motor Experiences, Psychological Sicence  Volume 20 No. 8, 2009 , 6. Jeremy Hsu, The Secrets of Storytelling, Scientific American Mind, August/September 2008, 7.Patricia Cohen, Next Big Thing in English: Knowing They Know That You Know, The New York Times, 4/1/10 8. Frank T. McAndres, The Science of Gosship: Why We can't  Stop Ourselves, Scientific American , 10/1/08

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