マーケティング2013~14 Feed

2014年9月23日 (火)

アマゾンと戦うヨーロッパ

 

  世界中の小売業が大魔神アマゾンに押しつぶされるのではないかと戦々恐々としているわけだが、ヨーロッパでは、大魔神に対抗して戦いを挑んだりもしている。そんな動きをちょっとまとめてみました。

  なんといっても、「やっぱり文化の国だ」と再確認させられたのがフランス。アマゾンの市場参入は2000年。売上は明らではないが、仏国における本のネット販売売上の70%を占め、すでに、4つの物流センターを開設している。

  フランスでは、ネット販売のせいで毎年数百件の書店が消えている。書店がつぶれるということはフランス固有の文化がなくなることを意味するとして、政府がアマゾンの活動を規制する法律を2014年1月に成立させた。アマゾンが書籍を安売りしたり、配送料無料にしたりすることを禁じたのだ。

  ヨーロッパでの戦いは、金銭的なものもあるが、それと同じくらい文化的な要素もある。本と本を売っている場である書店は、フランスにとっては文化そのものだとみなされる。グローバル化によってフランスの文化が、たとえば、ハリウッド映画や英国の音楽(ロック)によって荒らされるのを嫌い、自国の芸術や文学に対しては例外として補助金や税務上の優遇措置をとってきているお国柄だ。アマゾンが市場に参入する以前に、すでに1981年には、小さな書店を大きな書店チェーンから守るために、5%以上の割引をするのを禁じた法律をつくっている。

  フランスには3000軒の独立書店があり、これは、22000人の市民に書店1軒の割合だそうだ。(ちなみに、アメリカのアマゾン本社のあるワシントン州では7万人に1軒。日本では2014年5月現在で書店数は13943軒あるから、9000人に1軒くらいのようだ.・・・ただし、13,943店には大手チェーンの店舗数も含まれているかもしれない。ちなみに、アマゾンが日本市場に参入したのが2000年。前年の1999年の書店の数は22296店。これが、2014年には13943店に減っているから、15年で8353店消えたことになる。毎年平均550店舗以上閉店したことになる)。

  アンチ・アマゾン法と一般的に呼ばれるこの法律が、フランスの独立書店を守ってくれるとは楽観できない。アマゾンは、その後、配送料を0.01ユーロにすると発表した。0.01ユーロなんて無料ではないが、無料のようなものだ。

  楽観できない理由はもう一つある。フランスの一般市民はフランス文化を守ることには心情的には賛成でも、実際には便利さを選んでしまうだろうとみられている。書店にいって目当ての本がなければ、自宅に戻ってアマゾンで注文してしまう。顧客なんて「不実な愛人みたいなものだ」と書店店主はフランス的なメタファーをつかって、アマゾンは今後も成長していくのではないかと憂えている・・そうだ。

  アマゾンのドイツ市場への参入は1998年。2013年売上は105億ドルで、9つの物流センターを開設し、9000人の従業員をかかえる。ドイツにおけるアマゾンの問題は、「文化」ではなく「労働組合」だ。もっとも、ドイツにおいては、労働組合は伝統ある文化のようなものだ。

  米国や日本だと、労働組合はビジネスをするにはどちらかというと邪魔。存在しないに越したことはないと考えられる傾向が高い。が、ドイツの経済学者の多くは、自国の戦後の復興や、世界的景気低迷のなかドイツ経済が強いのは、経営陣と労働組合との「ソーシャル・パートナーシップ」にあると考えている。従業員代表者が経営上の重要な決定に参加することも多いし、取締役会のメンバーとなっている例も多い。労働組合は、経営者グループと同様に敬意をもって遇されるべきだと考えられている。

  一番最初に、2か所のアマゾン物流センターで400人ばかりの従業員がストライキをしたのは、より高い報酬を要求する目的もあるにはあったが、そもそもの問題は、従業員が労働組合をつくり団体交渉をする権利を会社が認めなかったことにある。アマゾンのドイツの物流センターで働くフルタイム従業員の9000人のうち2000人は、ドイツで2番目に大きい労働組合に属し、2013年から時々ストライクを実行していた。だが、アマゾンは、労働組合と交渉の場につくことを拒否している。

 「労働組合はドイツの文化であり、労働者と経営者の協力体制が産業界での特徴だ」とする従業員側。それに対してアマゾンは、「アマゾンの成功はネット小売業の急激な変化に適応する融通性にある。労働組合と交渉することにより物事が迅速に進まなくなるようなことがなかったから成長できたのだ」と反論している。

  アマゾンは、物流システムに支障をきたさずに、物流センターを組合員の少ない地域とか、あるいは隣国に移すことができる。それがわかっているから労働組合も、そこまで追い込むことはしないようにしている・・・というのが現状のようだ。

  アマゾンの英国での問題はお金だ。英国市場への参入は1998年、8つの物流センターをかかえ7000人の従業員が働いている。アマゾンの英国における売上は2013年に71億ドルだったにもかかわらず、700万ドルの税金しか払っていない。本社が税金の安いルクセンブルグに置かれているからだ。ヨーロッパのどの国からアマゾンに注文しても、ルクセンブルグの会社から購買したことになる。

  英国は、景気低迷がつづくなか、 国家予算をまかなうために、節税をはかろうとする企業へのしめつけを厳しくしている。スターバックスとかグーグルも、税率の低いオランダとかアイルランドに本社を置いていると批判された。スターバックスは、アマゾンに比べて気が弱いというか、税金逃れをしていると非難されるとブランドイメージによくないと思ったのか、あまりに厳しい(しつこい)追求にとうとう負けて、2014年以内に、本社をオランダのアムステルダムから英国のロンドンに移すことにしたと発表している。

   アマゾンはそういった妥協をしないので、英国でブランドイメージを落とすことになるのではないかと危惧する人たちもいる。だが、ブランドイメージが落ちても、売上は伸びるということもありえる。 日本でもアマゾンが日本の税金を払っていないと問題になったことがある。心情的にはアマゾンで買いたくないと思っても、即日・翌日配送は、やっぱり便利なので利用してしまう。なにせ、他に代わりになる小売業が存在しないのだから仕方がない・・・筆者を含め、多くの消費者は(独仏英国の消費者も含め)、なんだかんだといっても結局は購買し続けてしまうのではないだろうか?

  それにしても、アマゾンの強気というか我が道をいく、その徹底さぶりには感心してしまう。

  これは衆知のことだが、アマゾンは売上の割には利益率が極端に低いことで有名だ。2012年には売上が300億ドルから2倍の610億ドルになったにもかかわらず損失を出した。物流センターなどへの投資や配送料無料が原因だ。それにもかかわらず株価は高いので、ベソスCEOは強気をつらぬくことができる。アマゾンは、「消費者の利益のために、投資家グループが支えているチャリティ組織」だと、皮肉を込めた呼び名をつけたジャーナリストもいる。

   だが、2013年度(2013年12月期)の決算(売上745億ドルで純利益が2億7400万ドル)が発表されたとき株価は10%下がった。売上の伸びが第四四半期に下がっていたからだ。特に、海外の売上の伸びが13%と、米国での26%に比較すると低いことが投資家を失望させたらしい。

  それもあって、プライム会員費を、今年の4月に、これまでの79ドルから99ドルに上げた。2500万人いるとされるプライム会員の年間購買金額は通常顧客の2倍だといわれ、2012年の売上の10%を占めているとされる。今後、更新日がくると各会員は値上がりした会費を払ってまで会員でいつづけるかどうかの選択を迫られることになる。半年くらいすればはっきりするだろうが、プライム会員の脱会率がどのくらいになるか注目されている。

 いずれにしても、1994年創業以来、これといった利益もあげることなく、積極的投資をつづけることができたのは、将来性というか将来の夢に賭ける株主のおかげであり、そういった意味で、アマゾンはアメリカ型資本主義が支えているといってもよい。株価が下がらない限り、アマゾンは積極投資を続けることを株主に許可されたとみる。株主にとってみれば、物流システムに積極投資をし配送無料をするということは、市場から競争を排除することを意味するわけで、将来性は高くなる。とくに、売上の伸びが高い限りは、即日・翌日配送で配送料無料というアマゾンのオファーを顧客が支持していることを意味するから、株価は下がらない。

  アマゾンというかベソスCEOは「すべては顧客のために・・・」と強く信じている。だから、フランスで敵対的法案ができてもひるむことなく0.01ユーロの配送料金を課すという大胆な行動に出る。ドイツで労働組合と交渉したくなければ、物流センターの場所を変えても、即日配送と配送料無料を維持しようとする。売上が伸びるということは顧客の賛同を得ているとするぶれない信念があるようだ。

  米国の経営者は戦略をたてるにおいてシンプルと言う言葉をよく使う。アップルのスティーブ・ジョブスは、自分のモットーはSimplicity(シンプルであること)とFocus(一つのことに集中する)だと言っていた。アマゾンのベソスCEOも、顧客満足というたった一つのことに集中して、政府が介入してこようが、その国特有の文化であろうが、決してぶれない。これは非常にむずかしいことで、実際には大半の企業が状況によって妥協している。

 

  大企業だから妥協せずにすんでいる・・・ともいえるが、妥協しないでやってきたから大企業になった・・・ともいえる。まあ、どちらにしても、ぶれのなさには、やっぱり感心する。

  ベソスやジョブズ両氏をまねて単純に考えてみると・・

  先進国の消費者を、お金と時間で単純に分けると、お金を持っている人は(忙しく働いていいるので)基本的に時間がない。反対に時間がある人は(フルタイムの仕事でないか報酬の低い仕事なので)お金がない。そして、お金を持っていて時間がある人は少ない(働かなくても資産を親から受け継いだタイプの富裕層)。お金も時間もない人は、いわゆる、「働けど働けどなおわが暮らし楽にならざり、 ぢつと手を見る」の層で、ある意味、申し訳ないが、ターゲット顧客としては魅力がない。つまり、アマゾンは、お金と時間という20世紀後半から人間の暮らしや人生をつかさどる二次元軸の両方でアピールすることで、消費者の大半を魅了することに成功した。21世紀のこれから、この二次元軸にエコロジーが加わって三次元軸になるかどうか・・・?

  しばらくブログを休んでおりましたが、再開いたします! 

  これからは、まめに更新したいと思っておりますので、時々、読んでいただけますよう、どうそ、よろしく、お願い申し上げますm(_ _)m

参考文献: 1.Matthew Yglesias, The Pfophet of No Profit, Moneybox, 1/30/14 , 2.Jay Greene, Special Reports, The Seattle Times,8/23/14, 8/23/14, 8/25/14,3.Amazon's Revenue Growth Slows Down, Forbes 2/3/14,

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2013年12月10日 (火)

未来のお金は統一通貨じゃなくて、ビットコインとその仲間たち

 

 

  お金(貨幣)は人類が生んだ最大の抽象概念だという。貝殻や金(ゴールド)や1万円と印刷した紙切れを、モノやサービスとの交換媒体として利用するという発想は、高度な認知機能が発達した人間だからこそできる考え方だ。

  だが、金(ゴールド)とか紙幣はまだましだ。形がある。見ることができるし触ることもできる。

  ビットコイン(Bitcoin)は無形だ。見ることも触ることもできない。仮想貨幣(Virtual Currency)ともデジタル貨幣(Digital Currency)ともいわれる。オンライン上で暗号技術を利用して匿名性を維持しながら取引きできる。また、音楽ファイルを簡単にコピーするように、同じ貨幣が何回も使われるというネット特有の問題をも、暗号技術で解決している。だから暗号貨幣(Cryptocurrency)とも呼ばれる。

  2009年、ビットコインの価値は15セント以下だった。2010年くらいから、取引きが活性化するとともに価値が上がり、2011年には1ドルくらいになった。アップダウンをしながら、2013年11月には1ビットコイン=750ドルになった日もある。

  2008年に、Satoshi Nakamotoという謎の人物がネット上で9ページの論文を発表し、銀行とかクレジットカード会社といった金融機関を通さずに、一人からもう一人に(ネット上ではコンピュータを操作している人間を識別するわけではないので、対等の関係の端末から端末へという意味でPeer to Peerといわれる)・・・つまり、P2Pで直接オンライン支払いができるビットコインと呼ばれる電子貨幣の提案をした。

  この論文では、政府や中央銀行の介入を受けない貨幣であることが強調され、2008年末の金融危機における政府や銀行の無策ぶりに嫌気がさしていた特定グループを魅了した。

  だが、ビットコインが注目を集め価値が上がるようになった最大の要因は、ヨーロッパにおける経済危機だ。とくに、政府が発行している貨幣への信頼がゆらいでいる地域では、ビットコインの所有率は高くなっている。たとえば、、キプロスのような国では、ユーロ圏から支援を受けるために、政府が銀行預金課税として富裕層の預金の25%を徴収しようと考えた。それを知った市民は、銀行から預金をおろし、マットレスの下に隠したり、ゴールドを買ったり、ビットコインを買った。

  インフレーションが年率25%のアルゼンチンでは、一般市民が伝統的通貨やゴールド、あるいはクレジットカードで海外に支払いをすることは規制されている。政府や中央銀行なんか信頼できないと市民が思っている国では、ビットコインを持っている人の割合は高くなる。

  中国検索大手の百度(バイドゥ)は一部サービスの決済手段としてビットコインを受け入れることを発表している。人民元の換金や資本移動が厳しく管理されている中国だからこそ、政府支配をうけない通貨への関心が高いのかもしれない。

  2013年には、世界中で、1100万個、つまりおよそ10億ドル以上のビットコインが流通している((コインという名称からつい1個、2個と数えてしまうが、無形のものを個数で数えてよいものか、ちょっと迷う。今後は、単位とする)。この金額は、リビアやブータン、その他18か国の小国が所有する貨幣金額より大きい。カナダのバンクーバーには世界最初のビットコイン用ATMがある。クレジットカード会社やPayPalに数%の手数料を払うことを嫌い、手数料がゼロに近いビットコインを取引に使う業者はオンライン上で1万件あるし、リアル店舗でも1000件あるという(もっとも大手小売業は入っていない)。政府や企業のマル秘情報を公開するウィキリークスもビットコインでの寄付金を受け入れている。

   ビットコインは、手数料ゼロで、簡単、迅速、かつ匿名で送金できるということで、最初に人気を得た。だが、いまでは、保存(富を低コストで維持保存する)や投資にも利用されるようになっている。

  しかし、いくらデジタルマネーや電子マネーに慣れているといっても、たとえば100万円をビットコインに交換する勇気は、あなたにはあるだろか?

  現金は持たない、デジタルマネーに慣れている・・・といっても、それは、ただたんに、決済手段としてケータイを使うというだけのことが多い。他国に先駆けて「おサイフケータイ」を始めた日本では、2012年3月にはケータイをもっている6人のうち1人はケータイでショッピングや飲食店の支払いをしている。

  アフリカのケニアではケータイで預金、送金、支払いができる。1500万人がこのシステムを利用して、ケニヤのGDPの三分の一のお金がこのシステムで流通している。モバイルル通信会社サファリコムが2007年に始めたM-Pesaサービスの利用者がここまで増えたのは、ケニアの多くの国民が、① 銀行口座やクレジットカードを持っておらず、② 他の送金手段は料金が高い、③ 内戦の多い地域では銀行に預けるよりも安全・・・といった理由がある。似たような状況にある国、例えば、タンザニア、アフガニスタンやインドでも、同じようなシステムの導入が進んでいる。

  米国、英国、ドイツ、フランスといった国も遅ればせながら、ケータイによる決済サービスを導入し始めた。たとえば、グーグルも2011年にGoogle Walletを開始した。

  決済(支払)にケータイを使う例は、キャッシュレス社会が進むことをしめしてはいる。が、「ケータイさえあれば現金はいらない」というセリフは実際には正しくない、ケータイが貨幣になったわけではない。ケータイは支払を満たすだけの現金がどこかに存在するという証明をしてくれているだけだ。

  キャッシュレス社会を促進したい国は多い。

  現金は物理的に形があるがゆえに経費がかかる。米国での研究によると、新しい紙幣の印刷、武装したトラックなどによる移動、ATMの補充・・・など、現金流通システムを維持するためにGDPの1%くらいの経費がかかるという。巷に出回る現金を少なくしようという動きもあり、オランダでは、現金が使えるレジは一日のうち数時間しかあかないというスーパーがある。スウェーデンでは、政府と労働組合が協力して現金がなるべく多く流通しないように工夫している。店舗や銀行から現金を少なくすれば、店員が強盗に襲われるリスクも少なくなるし、警察の負担も少なくなるというわけだ。

  このように、キャッシュレスが進む社会において、伝統的通貨への経済的または心理的依存は弱くなっているといえる。だから、疑似マネーのようなものが登場する。

  たとえば、ポイント。

  ポイント天国といわれる日本でのポイントの年間発行額は1兆5000億円を超える。国民一人当たり1万円以上になる。ポイントが疑似マネーといわれのは、いくつかのポイント交換を経なくてはいけないかもしれないが、最終的に、現金に還元できるようになったからだ。ポイント交換サイト「ポイント探検倶楽部」を利用する人の年間獲得ポイントは平均で8万円分を超えるという。

  オンラインゲーム上で使われる仮想通貨やアイテムも現金に換えることができる。そういった行為に批判があるとしても、換金できる仮想通貨やアイテムも疑似マネーと呼ぶことができる。

   ビットコインBitcoinは、こういった疑似マネーとは違う。最初からリアルマネーとしてつくられている。

  ビットコインは、金(ゴールド)に非常に似ている。・・・というか、金を念頭につくられた貨幣だ。金を採掘するには時間も労力も必要だ。しかも、金の埋蔵量には限りがあり、浅いところにある金を採掘するのは簡単でも、深い所にいけばいくほど採掘もむずかしく、また経費もかかるようになる。ビットコインは、金と同じように、全採掘量(全鋳造量)は決められているし、鋳造すればするほど1単位のコインをつくるのがむづかしくなるように、あらかじめ定められている。

  1. ビットコインの鋳造量は2100万単位と定められている。2140年までにはすべてを鋳造しおわると予測されている。
  2. ビットコインを鋳造するということは、ソフトウェアに組み込まれている数学パズルを解くことで、成功すれば報酬として、最初のころは50単位獲得できた。が、報酬額は鋳造量が一定レベルに達するごとに半減するようにプログラムされている。すでに、2012年には25単位に半減している。2017年には12.5単位になるはず。
  3. ビットコインが鋳造されればされるほど、パズルを解くことがむつかしくなっていくようにプログラムされている。

  こういった仕組みによって、ビットコインの流通量は、最大2100万単位になるまで、少しずつ減少するペースで増量する。他の伝統的通貨のように政府や中央銀行が通貨を増やす政策をとることでインフレーションを引き起こすリスクはビットコインの場合ない。ビットコイン通貨量の成長が減少し、価値が上昇するとともに、ゆっくりとではあるが徐々にデフレーション傾向になっていくようにつくられている。

  2008年に、ビットコインの生産や交換の仕組みを説明した文書を発表したSatoshi Nakamotoは、2009年にはその仕組みをつかってビットコインを交換するオープンソース・ソフトウェアを発表した。このソフトウェアは、現在、数人の中核チームによって運営されている。

  オープンソースソフトウェアをダウンロードすると、ビットコイン利用者が使うコンピュータ数万件からなる分散されたネットワークにつながり、他人とビットコインを交換するのに必要な二つのカギも生成される。カギの一つは私的なカギで自分のコンピュータ内に隠される。もう一つは公的カギでビットコインアドレスとして使われる。どんなに威力あるコンピュータを使っても、公的カギから私的カギを解くことはできない。よって、誰も自分のふりをすることはできない

  ビットコインアドレスは数字とアルファベットがつらなる27~34字からなる。取引相手がこのアドレスを送ってきたら、そこあてに支払いをする。取引をすると、ソフトウェアは、相手の公式カギとあなたの私的カギ、そして支払われたビットコイン金額を数学的に組み合わせ、その結果を、ビットコインネットワークに伝達する。

  つまり、ビットコインの正体は、取引き証明書のようなものなのだ。そして、この証明書はネットワーク内に公開されたことになる。

  こういった証明書が公開されることにより、いま現在誰がどれだけビットコインを所有しているとか、これまでどういった取引があったかといった詳細なデータすべてがネットワーク内で共有されることになる。(誰が・・・と書いたが、むろん、個人を識別するもののではない)

  この方法では、同じビットコインを何度も使ったりするというような不正行為は不可能となる。

  ビットコインを採掘するには、数学的問題を解かなくてはいけないと書いた。もう少し詳しくいえば、ビットコインのハッシュ・アルゴリズムが適用されると特定のパターンを生み出すような一連のデータを見つけることが解答を得たことになる。マッチングができれば、採掘者(鋳造者)はビットコインを報酬として得ることができる。

   ビットコインのような仮想貨幣は、ビットコイン誕生以前にもそれ以後にも、いろいろつくられている。その中でも、ビットコインは最も完璧に近い貨幣だといわれる。

  その証拠というわけではないが、米国で、11月18日に、仮想通貨の将来性や危険性について議論する上院公聴会が初めて開催された。もしかして、ビットコインは違法といわれて規制されるのではないかと懸念されていた。が、ふたを開けてみると、その逆だった。合法性にある程度のお墨付きが与えられたのだ。

  匿名性が保たれるビットコインが、マネーロンダリングとかドラッグの売買といった犯罪に利用される危険性についても、政府代表者は、「仮想貨幣でもモニターして取り締まる自信がある」と証言。経済犯罪の専門家も、「今でも、マネーロンダリングには現金が最適な手段であることに変わりはない」と証言した。FRB(米連邦準備理事会)のバーナキン議長も、上院公聴会に送った書簡で、ビットコインの一定のリスクを認めながらも「今後のイノベーションによって、より速く、より安全でより効率的な支払システムがもたらされるとしたら将来的に有望かもしれない」との見解を示した。

  その日に、ビットコインは1ドル=750単位にまで高騰した。

  政府の後ろ盾のない貨幣を使うなんて、あくまで少数派に限られると思うかもしれない。だが、これまでの貨幣の歴史を見れば、人類は大胆なリスクをとる経験をしてきている。

  13世紀の中国を訪れていたイタリア商人のマルコポーロは、紙切れが金、銀、真珠と交換され、一般庶民も紙切れと日用品を交換しているのを見て目を丸くして驚いている。中国は8世紀に世界に先がけて紙幣を発行している。が、それが一般的に流通するには500年かかっている。

  お金は電子化されて数十年たっているだけだ。私たちが、まだ形ある現金、あるいは形あるカードを捨てきれないのは当然だろう。考えてみれば、紙幣はむろんのこと、金や銀、それ以前の貝殻だって、すべて、本源的価値などない。金(ゴールド)にしたって、私たち全員がそれに価値があると認めているから価値があるわけで、食糧危機におちいって食べものがなくなったら、金のノベ棒にはサツマイモ一個の価値もない。

  バーチャルマネーはむろん、ポイントのような疑似マネーだって、みんなが認めれば、ドルや円といった伝統的貨幣と同等だ。

  遠くない未来・・・・日本円、ドル、ユーロといった伝統的貨幣、ビットコインやそれに似たような新デジタル貨幣、あるいはツタヤポイントやゲームで使う疑似マネーなど、数百種類のマネーが自分のスマホの財布の中に入っている。どれだけ入っていようとも、どこで何に支払うかによって、スマホがどのマネーを使うのが一番お得かを一瞬のうちに計算して教えてくれる。その指示にしたがって、交換率が一番よくて、送金料や、手数料が一番低いマネーをつかう。

  つまり、将来は、何十、何百、何千といったリアルやバーチャルな貨幣を国籍に関係なく一般市民が日常的に使うようになる。欧州で一つの通貨ユーロを使うなんて、かつて、それが最善のように考えられた概念は、もはや存在しない。

  Google のビッグデータに基づく翻訳手法のような考え方が進化する結果として、モバイル端末やウェアラブル端末をつかって、異なる言語を話していると意識することもなく互いに会話や議論を進めることができるようになる。言語がとくにひとつの言語に集約される必要がなくなるように、通貨も一つにまとめる必要はなくなる。

  まあ、そこまで過激でないとしても、「貨幣間での競争は良いことだ」と考える経済学者はいる。ビットコインがたとえ小規模でも、政府や中央銀行の介入なしに、経済的に成功することができれば、それは伝統的貨幣に良い影響を与えることになるだろう・・・というわけだ。

  1999年に欧州統一通貨ユーロが導入された。二度と大きな戦争を起こさないという悲願とともに、戦後世界支配を続ける米国とドルに対抗できる経済圏をつくろうという野心のもとに統一通貨はつくられた。だが、その結果が、いまの混乱だ。人間の(自分中心、自国中心の)利己的本能は変わらない。

  だったら、自分自身でお金の管理をするのがよい。

  それぞれの貨幣の供給量の制限の有無とか為替(交換率)とか、そういったことに関して政府や中央銀行に頼ることは、もうやめよう・・・というわけだ。ユーロのような統一通貨も必要ない。アジア経済圏の統一通貨も必要ない。

  政府の介入がないかわりに、ネット社会のP2Pの関係においては、どの貨幣を使うかは自己責任となる。

  もっとも、私たち人間には複雑な計算はできない。その時々の市場状況や各貨幣の特徴を考慮したうえで、どの貨幣を使うか瞬時に判断できる端末がなければ、私たちには判断できない。・・・ということは、政府や中央銀行とかに頼らないかわりに、私たちのコンピュータ依存度はますますというか非常に高くなるということだ。

  結局、何かに頼らないと、生きていけないんだ。人間は・・・・。

 

参考文献: 1. John Matonis,Bitcoin's Promise in Argentina, Forbes 4/27/13, 2. Stephen Filder, 一からわかるキプロス問題, The Wall Street Journal 3/22/13, 3. Ryan Tracy, Authorities See Worth of Bitcoin, WSJ. com, 11/18/13, 4.What Bitcoin Is, and Why It Matters, MIT Technology Review, 5/25/11, 5. James Surowiecki, A Brief History of MOney, IEEE Spectrum, 5/30/12, 6. Morgen E. Peck, Bitcoin: The Cryptoanarchists' Answer to Cash, IEEE Spectrum, 7.Mikolay Gertchev. The Money-ness of Bitcoins, Mises Daily 4/4/13, 8. Why does Kenya lead the world in mobile money? , The Economist, 27/5/13, 9. Kat Ascharya, See How One Man Destroys the Need for Paper Money...With a Single Mouse Click, MOBILEDIA, 7/8/13, 10.「ポイント活用、年8万円得?」 に日経新聞 24/11/13, David G.W. Birch, There's No Stopping the Rise of E-Money, IEEE Spectrum, 11. Noam Cohen, Speed Bumps on the Road to Virtual Cash

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2013年10月23日 (水)

「おもてなし」は顧客戦略を必要としない。真の顧客志向でもない。

 

 

 

  東京オリンピック招致が成功して以来、「おもてなし」が手ぶりつきで流行している。滝川クリステルがした手ぶりだからチャーミングだったが、猪瀬都知事がしていたらギャグ漫画だ。

  あれ以来、滝川クリステルはすっかりCMの人気者になった。そして、「おもてなし」の定義とか語原とかも熱く論じられるようになっている。接客マナーを教える人は、「表裏なし」という語原を強調し、表裏のない気持ち、真心をもって客を迎えることだと説明する。が、これは、かなり後世になっての意味づけだ。客商売をする人たちが、「商い(あきない)」=「飽きない」とゴロ合わせをして、商売は飽きずに辛抱強くつづけるものと言い伝えたのに似ている。

  実際には、国語国文学の専門家が説くように、「おもてなし」は、「もてなす」という動詞が名詞化された「もてなし」に丁寧語の「お」がついたもの。そして、「もてなす」という言葉は、「そのように扱う」とか「そのようにする」といった意味の「成す」に、その動詞を強調する「もて」という接頭語がついたもの。本来は、「とりなす」とか「取り扱う」「待遇する」といった意味でつかわれ、接待するような意味合いでつかわれるようになったのは中世以降になってからだそうだ。

  いずれにしても、「おもてなし」はあくまで受け身の言葉である。つまり、店にやってきた客、旅館やホテルにやってきた客を「そのように扱う」、この場合、「VIP客であるかのように扱う」ということになる。

  日本人が大好きなピーター・ドラッカーは、著書「マネジメント:務め、責任、実践」で、世界で最初に近代的マーケティングを実行したのは、17世紀半ばの日本の「越後屋」だと書いている。いまの日本橋三越の前身である越後屋が、江戸時代に、世界にさきがけて、革新的マーケティングを始めたというのだ。それまでは、商売は自分がつくったものを売ることだった。が、越後屋は京都をはじめ日本各地からさまざまな呉服物を仕入れて顧客に提供した。しかも、現金で買う客は、武士であろうと町民であろうと正札の値段どおりに販売した。現在の価値で年商100億円の売上をあげ、店員(小僧)は300人以上。規模からいっても世界最初の大型量販店だったといわれる。

  この越後屋時代の接客精神を、1904年(明治37年)に日本最初の百貨店といわれる株式会社三越呉服店が設立してからも受け継ごうということで、1907年(明治40年)につくられたのが「三越小僧読本」。小僧、つまり店員に配られた書には、商人道とそれを実践する店員の接客心得が10か条にまとめられている。

  「お客様は神様」という考え方の源となっているような箇所もみられる・・・・「そもそもお客本位といふは、御客様大明神のことなり、お客様一大事なり、御客様の御無理を御道理とするにあるなり」と書いてある。

  これが、日本の接客精神「おもてなし」の基本だ。

  小僧読本には次のような箇所もある。現代語に訳すと「お客様は子供のようなものだと思え。三越の小僧はその相手だと思えば間違いがない。だから、どんな無理難題も受け流して、店内にいる限りは、楽しく愉快に過ごしてもらうことが大切。入店の時には、家庭に不幸、悩み、怒り、不機嫌などがあろうとも、店を出るときには『ああ、気持ちがさっぱりした。三越で遊んだので心の底まで愉快になった』と思っていただくようになれば、三越の繁栄は今日とはくらべものもないほどの高みを達成するはずだ。・・・・だから、三越の小僧は、一瞬間とも油断せず、いちいちお客様の脈を取らぬまでに、親切、用意、慇懃、正直、機敏、あらゆるさじ加減をもちいるべきである」

  まさに、これが、いまの日本の接客業における「おもてなし」の精神の基本である。店内にいる間は、すべての不快感を忘れて(というか、それを小僧にぶつけることで忘れて)、さっぱりした快の気分で出て行っていただく。

  ここには、顧客セグメンテーションとか顧客戦略などというものは厳密には存在しない。来る者はこばまず。来店あたり10万円つかう上客であろうと1000円しかつかわない客であろうと差別なく、「お客様はみな神さま」。店舗という販売形態においては、1日の来店客数が100人だろうと1000人だろうと、人件費を含めた固定費に変わりない。店を1日開けているのに必要な経費が、客の数に関係なく同じであれば、1000円でも多く売上があったほうがよい。来店客はその質よりも量が重要になる。

  気配りするのに余分の経費がかかるわけではない。だから、お客様は差別なく、むずがって駄々をこねる子供だと思ってもてなす。

  お客様は平等に神様として待遇される。

  客を差別しないのなら顧客戦略は必要ない。

    顧客戦略が必要になるのは、売り手側から買い手側である客にコミュニケーションをしかけるとき。つまり、受け身ではなく、売り手から能動的に客に働きかけるときだ。TVや新聞、雑誌といったマス媒体を通じて広告メッセージを送るときにも、ターゲットとなる顧客セグメントを決め、それに合わせたメッセージ内容やデザインにするといったクリエイティブを考える。おおざっぱな顧客戦略は必要だ。だが、歴史的にみて、顧客戦略を発展させたのは通信販売を含めたダイレクトマーケティング企業だろう。

  顧客セグメントに合わせて営業部員が訪問する(銀行や保険なら外交員、デパートなら外商にあたる)、あるいは、ダイレクトメール(カタログ)を送ったり、電話をしたり、eメールを送る。要は、顧客がもたらしてくれる利益に合わせて、つかうチャネルやコミュニケーション内容(コンテンツ)を変える。それによって、投資利益率の最適化をはかる。ダイレクトマーケティング企業が精通しているのは、顧客をその現在や将来の利益性によってセグメンテーションし、それに見合った投資をするという顧客戦略だ。

  こういったデータに基づく顧客戦略は、競争市場がネットに移行することで必要なくなった。ネット販売におけるダイレクトマーケティングでは、顧客戦略は必要ない。

  ネットは、古い販売形態である店舗販売と同じように受け身のチャネルだ。アクセスしてくる客に対応するネット販売は、店舗販売以上に顧客戦略を必要としない。ネット上での「おもてなし」はデータに基づく。過去データやリアルタイムのアクセスログデータに基づいて、アクセス客一人一人にパーソナライズされたメッセージを提示する。こういったことを実現するために初期のシステム投資はかかっても、パーソナライズされた「おもてなし」を100万人に提供しようとも1000万人に提供しようとも付加経費は発生しない。店舗と同じように、アクセスしてきた客が1000円購買してくれる客か10万円購買してくれる客かには無関係に、誰にも平等なサービスを提供することができる。店舗では、一人一人にパーソナライズなサービスを提供するにはより多くの数の店員を配置しなくてはいけない場合もある。が、オンライン上では、すべての客は(店舗販売以上に)公平かつ平等に「おもてなし」を享受することができる。

  だから、オンライン上では、顧客戦略はいらない。戦略などなくても、つまり、投資利益率を考えることなく、一人一人にパーソナルなサービスを提供できる。

  来店客(アクセス客)に差別なく、「ご無理ごもっとも」で待遇する「おもてなし」に、本当の意味での顧客志向は存在するのだろうか? 三越の小僧読本には、どんなに無理難題をふっかけられても相手は子供だと思って、ご無理ごもっともとはぐらかし、とにかく気分よく帰ってもらえ・・・と書いてある。「一瞬間とも油断せず、いちいちお客様の脈を取らぬまでに、親切、用意、慇懃、正直、機敏、あらゆるさじ加減をもちいるべきであり」とも書いてある。

  こういったやり方を非難しているわけではない。私もサイト上や店舗内で、こういうふうに待遇してもらえば、さぞかし気分がよくなるだろうと思う(もっとも、客を子供だとみなすから、客も自分は子供みたいにダダをこねてもよいという気持ちになる。だから、店員に暴力をふるったり土下座させたりといった、大人らしからぬふるまいに及ぶのだと考えることもできる)。

  「おもてなし」の顧客志向はホンモノなのだろうか?

  ちょっと古い本だが、1980年代初めに出版され世界的ベストセラーになった「エクセレント・カンパニー」のなかに、「超優良企業の価値観は、いつもかならず強い顧客志向に基づいている。言い換えれば外部志向が人一倍強い。したがって、超優良企業は、環境の変化には並はずれて敏感であり、競争会社よりも適応力に勝るということがいえる」という箇所がある。

  「おもてなし」の心理は受動的である。来店してきた客、アクセスしてきた客に、その時の気分を含めてパーソナライズされたサービスを提供し、満足してお帰りいただく。これを外部志向が強いといえるだろうか? 自分たちが創り管理する世界にやってきた客を満足させ外に送り出す。自分たち独自の世界観をつくるプロセスは、どちらかといえば内向き志向であり、外の環境の変化に並はずれて敏感だとはいえないのではないか?

  エクセレント・カンパニーに取り上げられた企業のいくつかが、その後の、不安定な経済状況を乗り切ることができなかったのは、彼らの顧客志向がホンモノでなかったからかもしれない。

  おもてなしのメンタリティはあくまで受け身。外に出て客を引っ張ってこようという能動性はない。

  日本企業はマーケティングが下手だという評判は、海外ではすっかり定着しているらしい。最近でもAdvertisingAgeに「日本企業はマーケティングがなんであるか理解していない」と書かれていた。それは、日本企業に外に出て客を引っ張ってくる能動性、店舗やネットにアクセスする気がない客の考えを変えてアクセスするように仕向ける積極性がないことを指摘していることに他ならない。やってきた客には考えられうる限りの気配りサービスを提供するのに、やってくるように仕向けるプロセスには無関心なのだ。そういったプロセスにはそれなりのテクニックもいるのに、それを修得し使用する気がないということなのだ。

  だから、不景気になって消費者がひきこもるようになり、自分たちの世界(領域)にやってこなくなると、手のうちようがなくなり、一番知恵のない方法、つまり安売りに走る。

  マーケティング上手といわれる韓国の自動車メーカー「ヒュンダイ」は、2008年の金融危機後、米国における自動車の売上が下がるなか、巧妙なキャンペーンを始めた。ローンを組んでクルマを買ったとして、失業したら、どうやって残りのローンを払うのか?・・・不安から買い控える消費者たちに「ヒュンダイの安心保証」を提供した。ヒュンダイのクルマを買った後1年以内に失業した人たちに、自動車を買戻すことを保証したのだ。結果、2009年の売上は、他メーカーが軒並み落ちたににもかかわらず8%伸びた。実際に買戻す結果となった客数は350人だった。GMのようなメーカーも、その後、同じようなキャンペーンを実施したが、ヒュンダイほどには成功しなかった。

  東日本大震災が発生したわずか1か月後。不要不急な商品を買い控える消費者が多いなか、デビアスのフォーエバーマークは8万円もするダイヤ入りコードブレスレットを販売するのに成功した。コードブレスレットには愛情や安心感をいだかせるストーリーがあった。また、代金8万円の一部を被災地の子供を援助するNPO法人に寄付する仕組みもあり、贅沢品のジュエリーを買うことへの罪悪感も消し去ることができた。わずか6か月で1800万円近くの寄付金が集まったというから、価格の5%を寄附したとして、20倍の3億6000万円(4500本のブレスレット)を販売したことになる。

   2つのケースは、顧客の心理を深く洞察し、積極的にメッセージを送ることで、買うのをやめようとする気持ちを変えるのに成功した例だ。そのうえ、消費者をハッピーにした・・・とまでいかなくても、当時一番必要だった安心感を提供することに成功した。これは「おもてなし」ではない。だが、売り手が顧客に注意や意識、考えを専念させた結果だろう。ホンモノの顧客志向である。

  おもてなしを批判するつもりはさらさらない。だが、あくまで受動的な「おもてなし」を顧客志向だと考える風潮はいただけない。企業はもっと積極的に外に出て、自分の領域に客をひっぱってくるくらいの気持ちでなくては、マーケティングに上達することはない。

  東京オリンピック招致のために、日本チームが日本人らしからぬ積極的態度でのぞんだように・・・。

 

 

2013年8月18日 (日)

「デザイン思考」とエジソンとアップルの系譜

 

 

 「デザイン思考(Design Thinking)」という言葉を耳にするようになった。アメリカでも、今年の1月にTV報道番組「60 ミニッツ」でデザイン思考の特集が組まれてから、一般的に知られるようになった。

 日本でも朝日新聞が8月6日に、デザイン思考を授業として教えているスタンフォード大学の工学部長とのインタビュー記事を掲載している。

 スタンフォード大学で教えられている「デザイン思考」のパイオニアとしてあげられるのは、シリコンバレーにあるデザイン会社「IDEO」創立者のデイヴィッド・ケリー。そして、そのケリーが、「デザイン思考の授業は彼なしには誕生しなかった」として名前を上げるのがアップル創立者の故スティーブ・ジョブズだ。

 1978年、ケリーがIDEOの元となる会社を創立したときの最初のクライエントは、当時PCメーカーとして急成長していたアップルのスティーブ・ジョブズだった。アップルの最初のマウスは二人の協働作業でつくったようなもの。TV番組「60ミニッツ」で、ケリーは当時をなつかしんでこう語っている・・・・ 「あのころは、二人とも独身だったからね。いいアイデアが浮かぶとスティーブは夜中の3時でも電話をしてきた。挨拶もなにもなく即本題。あの二つのパーツをつないでるネジのことが気になるんだ・・・って。それから、また、マウスの真ん中のボールがテーブルに置かれたときに出る音が気になるって言うんだ。彼の要望に応えるためにゴムを巻くことにしたんだけど、これが技術的に大変むずかしい作業で・・・」

 スティーブ・ジョブズの要望に応えるのはいつも大変だった。でも、そのおかげで、デザインチームは成長した。「ある意味、IDEOをつくったのは、スティーブだったよ」

 それから30年、二人は友人になっていた。ケリーの妻はスティーブが紹介してくれた女性だ。スティーブがガンで闘病生活をおくっているとき、ケリーも同じくガンであることがわかり、二人の友情はますます堅固なものになった。

  ケリーは病気になったことで、これからの人生、何かもっと大きな意味あることをしたいと考えるようになり、スタンフォード大学に、「人間を中心に置くデザイン」を教えるスクールをつくることをもちかけた。ハッソ・プラトナーという富豪が3500万ドルを寄附してくれ、Hasso Plattner Institute of Design が2005年に創設されることとなった。

  これが、「イノベーションをもたらすツールとなるデザイン思考」を教えることを専門とするアメリカで最初の教育プログラムです。

 ビジネススクールのb.schoolに対してd.schoolと呼ばれるが、このプログラム(クラス)を修了しても学位はもらえない。この点に関しても、「スティーブ・ジョブズの意見を採用した」とケリーは言っています。「おまえのわけのわからないプログラムを修了したやつを採用したいなんて思わないね。でも、コンピュータサイエンスとかMBAとか、そいういった学位をもったうえで、デザイン思考の考え方も学んだというのなら、僕は、そんなやつを雇うことに、とっても興味があるね」と言われたそうです。

  現在、スタンフォード大学では、MBA, 法学部、医学部、エンジニアリング、芸術などを専攻する修士課程の学生たちが、このプログラムに参加したいと押しかけてくる。年間700人が受講する超人気クラスとなっています。なぜなら、P&G、Google、ナイキ、フィデルティ投信のような一流企業がプログラム修了生を積極的に雇用しているからです。

 結果、他の大学でも似たようなプログラムをこぞって提供するようになり、なかには修士課程を創設した大学もあるくらいです。また、スタンフォード大学を含めて多くの大学が、ビジネスマン向けに、高額な料金を徴収する4時間コースとか4日間コースとかを提供しており、教育機関にとってもお金を稼げるドル箱コースとなっています。

 肝心のデザイン思考のクラスの内容をつぎに簡単に説明します。最初に警告しておきますが、説明を読んでも驚きはないと思います。「ちょっと変わった問題解決法かもしれないが、結局は、グループでブレインストーミングするっていうことじゃないか」と思われることでしょう。人間行動をデザイン(立案・企画と辞書には出ていますが、ここでは一応アイデア創造としておきます)にとりいれた革新的アプローチだと、気負って言うほどのことはないという感想をもたれることでしょう。

 たしかに、その通りなのですが、最後まで辛抱強く読んでいただければ、「ふん、なるほど」と思う瞬間(?)もあるかもしれません・・・。

 デザイン思考は4つのステップからなります。実例として、スタンフォード大学の学生が、「途上国において、2000万人の未熟児が生まれ、そのうちの400万人が一か月以内に死ぬ。保育器があればそのうちの多くを助けることができるのに」という問題をデザイン思考で解決した方法を紹介します。

  1. 問題を定義する・・・解決すべき問題を正しく定義する。異なる観点から何度も執拗に質問をする。本当の問題点が明らかになるまで、まるで子供のように「なぜ?」「なぜ?」をくりかえす。未熟児問題では、このプロセスをとおして、課題の本質は赤ちゃんの体温を保つこと。高価な保育器もなく停電が常にある条件下において、電気をつかわずにいかにして赤ちゃんの体温を保つか?・・・これが真の問題なのだと定義されました。

  2. 多くの選択肢をつくりだして考える・・・重要なことは人類学者のように「観察」すること。問題となっている人間が置かれている「コンテクスト(文脈)」を観察すること。赤ちゃんが置かれている貧困やインフラの問題など環境を観察して考えること。正しい答えだと思えたとしても、他の選択肢も考える。複数の観点やチームワークが重要。このとき、アイデアを言葉で説明しようとしないでビジュアル化するようにする。

  3. いくつかの選択肢をより洗練させる・・・過去の経験からそれはダメとアイデアをつぶさないで、それを育てるようにする。

  4.  繰り返す・・・ステップ2とステップ3の間を行ったり来たりしてくりかえす。

  5. 勝者を選択して製作する・・・スタンフォードの学生は、赤ちゃんをくるむ寝袋をつくり、背中のパウチに、(いったん加熱すれば)常に37度の温度を保つワックスのような素材をいれるやり方を考案。保育器は1台2000ドルかかるが、この簡易保育寝袋ならコストはわずか20ドルですむ。

 

 「この方法のどこが革新的? やっぱり、昔からあるブレインストーミングでしょ?」 「まあ、そうなんですけど、違うところもあります。次のように・・・」 

  1. 多様性・・・異なる様々な経歴をもつ人をメンバーとする。日本の企業で、営業とか経理部、企画部、生産とか各部門から人を集めて多様性があるといってもダメ。日本生まれで日本育ちで会社で働いている限り人生経験とかが似通っている。「重要なことは文化の違いがあること」だとケリーは言っている。IDEOでは、エンジニア、マーケッター、人類学者、産業デザイナー、建築家、そして心理学者を雇うそうだ。アメリカ西海岸であれば、国籍も人種も異なる混成チームに自然となっていることでしょう。チームメンバーの協働作業を通じ様々な意見を積み上げていくことで創造力をうながす。スタンフォードでは、堅いイスとか小さなテーブルを用意して、座って話すのではなく仲間とまじりあい動作で自分のアイデアを表現することをうながしている。

  2. 答えをビジュアル化する・・・パワポでの言葉によるプレゼンはダメ。白板に自分が想像する製品を絵で描いてみるとか、手元にある紙とかボードでプロトタイプをつくってみせる。病院での患者へのサービスを課題とするなら、患者体験をビデオ化してみせるといった具合。言語に頼らないことで、右脳、左脳ともに利用する。

  3. 重要なことは観察とユーザーへの感情移入(共感)・・・人類学的手法で、そのコンテクストにおいて何が本当の問題かを洞察する

 

  デザイン思考による問題解決法をビジネスに利用する可能性についての議論が活発化するなか、デザイン思考など必要ないと批判するわけではないが、この考え方は新しいものでもないし、その効果はすでに証明されているものだという意見も多くあります。

 たとえば、ハーバート・サイモン。

 ハーバート・サイモンは1978年にノーベル経済学賞を受賞していまが、その一方で、人口知能のパイオニアでもある。天才的頭脳の持ち主ですが、彼は、1969年に出版された著書「(日本語訳)システムの科学」においてデザイン・シンキング(Design Thinking)についてすでに語っています。

 まず、最初に、デザインという言葉を「既存の状況から望ましい状況に変容させること」だと定義してから、「よって、デザイン・シンキングは、常に、改善された将来につながるものだ。分析プロセスでありアイデアを分解するクリティカル・シンキングとは異なり、デザイン・シンキングは、アイデアを積み重ねる創造的プロセスである。デザインシンキングでは評価・判定はしない。それによって、失敗の恐れを排除し、最大限のインプットと参加をうながす。ワイルドなアイデアが歓迎される。なぜなら、こういったアイデアが往々にしてもっとも創造的な答に導くからだ。誰もがデザイナーであり、デザイン・シンキングのやり方なら、現場のどの状況にもデザイン方法論を適用することができる」

 19世紀後半から20世紀初めにかけて数多くの発明をしたトマス・エジソンも、デザインシンキングを実践していたパイオニアだといわれます。エジソンは電球を発明したことで知られていますが、彼は、電球を発明しても、発電機とか送電システムがなければ一般市民はそれを利用することができないとわかっていて、どちらも創造しました。つまり、彼は、一つの装置を発明することだけではなく、市場を頭に描いたうえで発明をしたのです。つまり、人間(市場)を中心においてイノベーション活動を実践していたのです。

 エジソンの実験室は、従来からある「天才発明家は孤独なものだ」のイメージをくつがえすものでした。チームが一緒になって実験をくりかえしてイノベーションを求めるものでした。数千種類の実験材料を使って数千回の実験を行い、その全てが失敗に終わっても、彼はこれを決して無駄とは見なさず、「実験の成果はあった。これら数千種類の材料が全て役に立たないという事がわかったのだから」と語ったそうです。「99%の汗と1%のひらめき」というエジソンの天才の定義にあるように、試行錯誤をくりかえしてイノベーションを求めるものでした。エジソンは、芸術、工芸、科学、ビジネス感覚、そして、顧客や市場についての洞察力が混ざり合った結果としてイノベーションをもたらしたのです。

 エジソンは狭義の専門的科学者ではなく、鋭いビジネス感覚をもったゼネラリストでした。ニュージャージーの彼の実験室には、さまざまな分野の人間が集まっていて、チームでイノベーションをおこしていました。彼のアプローチは仮設を証明するタイプのものではなく、新しい試みをくりかえすことで何か新しいことを学ぶようにするものでした。

 

  スティーブ・ジョブズが率いるアップルも同じです。アップルには「デザイン」が先にありました。人間がコンピュータに何を求め、何を必要とし、何を欲しているか、コンピュータとどういったやり方で接したいか(インタフェース)を決めることに集中しました。デザインを決めたあとで、それを技術的にどう達成するかを考えた。デザイン・ターゲットがあり、それに到達するためにエンジニアリングをしたのです。スティーブジョブズは、「アップルには問題解決のシステムはなかったがプロセスはあった。・・・・答えは1000の選択肢にノーということからやってくる。最も重要なことに集中するためにはノーということが必要なのだ」

 このプロセスが、「正気とは思えないほど素晴らしい製品」を創造したのです。

 さて、ここで本題です(って、いまごろ、本題かよ?!)。エジソンが19世紀後半にすでに実践していたデザイン思考。ハーバート・サイモンが理論的に説明したデザイン思考。それが、なぜ、いまアメリカの大学で注目されているのでしょうか?

 まず、第一にあげられるのは、金融危機以降、批判にさらされたビジネススクールの論理的思考方法からはじまってパワポプレゼンテーションなど、こういったものへの反省と反発です。

 「デザイン」という言葉は日本語では名詞として、「デザインが優れている」とか「デザインがダサい」とか、モノを形容する時に使われる。が、英語ではデザインは動詞として使われることも多く、その場合、立案するとか企画するとか何かを作り上げるプロセスや行動を指す。そして、エジソン、ハーバート・サイモン、スティーブ・ジョブズの例からもわかるように、デザインという言葉は「行動する」ことを強調しています。シンキング(思考する)ことだけを中心においたビジネス・スクールへの反省として、思考して行動するのではなく、行動しながら考えることを重要視しているのです。人間をその人が置かれたコンテクストのなかで観察してデザイン・シンキングするのです。

 そういった意味でいけば、デザイン思考の教育を最も必要とするのは日本の大学でしょう。

 朝日新聞の記事では、東京大学監事で元東芝研究開発センター所長の有信睦弘氏が、意味ある発言をしていました。「(自分自身の)企業と大学での経験から、日本の場合、イノベーションは企業でしか起きないと改めて感じました・・・日本の大学は共同作業が苦手です。(なぜなら)他人と違うことが学問的鋭さであり、それを論文にして評価を得るいわば論文至上主義に支配されているからです。異分野間で協力して新しいものをつくっても論文になりにくいので評価されません。だから技術者はどうしても、より速く、より高密度に、という方向にどんどんすすんでいきがちです」。でも、この方向にイノベーションはない。だからこそ、企業との連携が必要だという発言はまさに核心をついていると思います。

 さて、デザイン思考がアメリカの教育で重要視されているほかの理由もあげてみます。

 自動車産業に象徴されるような製造業の衰退から、アメリカをけん引してきたIT機器産業が、新興国の台頭によっておびやかされてきたことも、もう一つの要因かもしれません。アメリカが今後も新しい産業のパイオニアとして経済成長をつづけるためには、アメリカの最大の強みであるイノベーション能力を再度強化する必要があると考えたからかもしれません。

 アメリカでデザイン思考の教育が熱をもって語られるのは、もちろん、それが教育機関にとって金儲けができる「商品」であることです。この商品をスタンフォードに最初に提案したのはIDEOのケリーでした。そして、そのケリーはスティーブ・ジョブズがいたから、デザイン思考のクラスは実現したのだ考えています。デザイン思考はスティーブ・ジョブズと自分とが多くのイノベーションを生み出した(厳しかったけれど楽しい)協働作業を意味します。それを後世に伝えたいと考えるケリーの思いが、d.schoolを誕生させたものかもしれません。

 TV報道番組「60ミニッツ」のインタビューで、レポーターはケリーにこう尋ねました。「スティーブ・ジョブズの要望に応じることができなくて、『きみの欲しいものを創りり出すことはできないよ。無理だよ』・・と、あなたが言ってたとしたら、ジョブズ氏はなんと答えたと思いますか?」。ケリーは楽しそうに笑って即答しました。「僕は、君たちは優秀だと思って雇ったんだ。がっかりしたよ・・スティーブなら、そう言ったんじゃないかな。君たちは僕の期待を裏切ったよって・・・」

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

参考資料: 1.Charlie rose, Design Thinking: Ready for Prime-Time, Rotman Manaagement Fall 2013, 2. Melissa Korn, Forget B-School, D-School Is Hot, The Wall Street Journal, 6/7/12 3. Design Thinking...What is That?, Fast Company Com 3/20/06, 3. Tim Brown, Design Thinking, Harvard Business Review June 2008, 4. Stefan Thomke, Design Thinking and Innovation at Apple, Harvard Business School May 2012, 5. 「技術革新生む異才育てよ」朝日新聞8・6・13

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2013年7月 8日 (月)

Facebookのビジネスモデルに暗雲!?

 

  「広告は美しさを損なうだけでなく、ユーザーの知性への侮辱であり思考の流れを妨げるものである。広告を販売する企業のエンジニアは、高度なデータ分析を駆使し、ユーザーのデータを収集するためのプログラムを書くのに大半の時間をついやしている・・・・そして、こういったすべての作業の結果は、デスクトップ型PCやモバイル画面に表示される広告なのだ。広告が関係してくるとき、ユーザーであるあなた自身が商品となることを忘れないでください」

  これは、いま、米国以外の地域で人気が急増し、スマホでのフェイスブックの強力なライバルになるのではないかとウワサされるWhatsApp(ワッツアップ)の創業者たちの宣言です。「なぜ、自分たちは広告を販売しないのか」の理由を説明したブログ記事の一部です。

  WhatsAppは日本のLINEと同じようなスマホ用のインスタントメッセージ用アプリです。LINEと同じように、写真、動画、音声メッセージなどマルチメディアを送ることもできます。LINEユーザーが世界市場で1億5000万人を超えたといいますが、2009年にサービスを開始したWhatsAppはツイッターの2億人ユーザー数をこえ、2012年8月には1日平均200億件以上のメッセージが送られたといいます。

  WhatsAppが、LINEや他のインスタントメッセージ用アプリはむろんのこと、フェイスブックやグーグル、ツイッターといったメディアと大きく違うのは、広告を掲載しないこと。その代りにサービス料金を請求することです。

  創業者の2人はヤフーで長年(2人合わせて20年)働いた経験があります。そして、一時はネットの寵児だったヤフーが、より効果的な広告を提供できる(つまり、ユーザーが何を検索しているかというデータを集めることでより効果的な広告を提供できる)、よってより多くの利益を稼ぐことができるグーグルに取って代わられるのを体験しました。広告スポンサーへのサービスが第一になり、ユーザーへのサービスは二の次になることを実感しました。だから、もう、広告を売るビジネスにはへきえきした・・・と言っています。

  無料でサービスを提供するために、ユーザーのデータを収集し、そのデータを利用して広告を売るビジネスモデルはもうやめようと決め、WhatsAppを始めました。だから、料金を徴収します。1年間で99セント(ただし、iPhoneとかアンドロイド系スマホとか、どのプラットフォームをつかっているかによって、1年目は無料試用できる場合もあるし、アプリのダウンロードに99セント必要な場合もあります)。

  WhatAppの創業者たちは、ユーザーのデータにはまったく関心がないと断言しています。

  WhatsAppは、個人情報保護に厳しいヨーロッパはむろん、インドや南米でも人気を呼んでいます。「ソクラテスはネットの無料に抗議する」という本で、個人データと広告が交換されるビジネスモデルの問題を指摘した私としては、ちょっぴり天狗になっています(って、まあ、ほんのちょっと鼻が伸びたくらいの子天狗です)。

  フェイスブックやグーグルが買収したがっているというウワサがありますが、いまのところWhatsAppにはその気がないようです。これまでのシリコンバレーの企業は、無料にすることで最初から驚異的に成長し、そのあとで、どう収益を上げるかを考える傾向にありました。が、WhatsAppは最初から収益計画をたてていたし、ビジネスモデルがシンプルなために、エンジニアも50人以下。クチコミでユーザーを増やしており広告費用は一切かかっていない。こういった事情もあり、将来、上場することはあっても、身売りすることはないのでは?・・・と考えられています。

  WhatsAppのような新しいタイプの企業が現れる以前に、フェイスブックのビジネスモデルには暗雲が立ち込めるようになっていました。理由は2つあります。1つは、ユーザーの使用媒体がデスクトップ型からスマホやタブレットといったモバイル端末に移行していること。2つ目には、個人情報保護の問題です。個人データを保護しようとするグローバルな動きはもはや止めようもない流れになっており、2番目の問題はとくに深刻です。

  まず、最初に、ユーザーのデスクトップ型PC離れと、それに関連して、若者のフェイスブック離れの問題です。

  スマホはその小さなサイズのために、フェイスブックに限らず、多くのスポンサーにとって魅力的な広告媒体とはいえません。そのうえ、ウェブブラウザで使うクッキーは多くのスマホでは使用不可に設定されているし、スマホのアプリにクッキーを使うことは技術上不可能。ウェブ上なら、クッキーをつかってユーザーのオンライン上の行動を追跡することで、ユーザーの関心事にあった広告をタイミングよく表示することができる。こういったリターゲティング広告をスマホで採用することは、現在のところ、むつかしい。結果、スマホ広告への需要が低くなり広告料金も安くなる(PCの3分の1から5分の1といわれる)。

  スマホは電話をかけたりメッセージ送るという行動志向の媒体であり機能重視の媒体なので、スマホをつかっているときのユーザーは、広告メッセージに注意を払う心理にはないといわれる。だから、PCやタブレットと比較すると、ユーザーがどういった状況下にあるかというコンテクストがより重要になる。たとえば、ゲームをしているときに、ゲーム内容に適した広告を出すのはコンテクスト的に適切かもしれない。また、GPS機能をつかってロケーションを限って、その場所に関係ある広告を表示するのも、コンテクスト的に適切かもしれない(とはいえ、消費者は、ときと場合によって、自分のモバイル媒体が自分がどこにいるかを教えるトラッキング機能を提供していることを思いだし、プライバシーを侵害されているとイヤな気持ちになることもあります)。

  つまり、消費者の使用媒体がデスクトップ型PCからスマホに移行することは、フェイスブックのようなソーシャルメディアには不得意な環境に移ることを意味する。同じソーシャルメディアでも操作も機能もシンプルなツイッターとかFoursquareのようなメディアなら移行はスムーズにいく。LINEやWhatsAppのようなインスタントメッセージ用アプリにも有利な環境となる。

  若者のPC離れとともに、フェイスブック離れも懸念されています。

  米国の10代の若者にとって、フェイスブックはもはやクールではない。「メンドクサイ」メディアになってきているとする調査結果もあります。投稿した内容を友人や両親が見る可能性が高く、あとでなんだかんだと言われる。フェイスブックにはプライバシーがないとストレスをかかえる若者が増えている。こういった点は、日本でも、上司に友達申請され、しぶしぶ承知したけど、「いいね!」をつけられるたびに監視されているような気がして、ストレスを感じるようになったという社会現象に共通するところがあります。ユーザー数が増えすぎたメディアの、ある意味、贅沢な悩みです。

  「フェイスブックは上場してから変わった」とアメリカではよく言われます(この言葉のひびきが「あなたは結婚してから変わったわね」に似ているのでちょっと笑えます)。フェイスブックは上場以降、株価の低迷に応える形で広告の威力をあげるために全力をあげています。広告スポンサーの気に入るように、一か月に4本以上買うワイン好きとか、ハワイ旅行の価格をチェックはしたがまだ購買していないユーザーとか、細かい条件でターゲティング広告を表示できる技術を開発しています。でも、その一方で、ユーザーよりも株主のほうに目が向いているのではないかという批判があります。

  たとえば、2012年に、フィード購読ボタンを設置すれば、友人にならなくとも多くの人が自分の投稿を読むことができるサービスを始めました。が、2013年になって、フェイスブックは広告を優先して、その分、どのニュース(投稿)を流すかフィルターをかけて選択しているのではないかという疑惑が発生しています。

  このように、株主重視、広告スポンサー重視と非難されていますが、フェイスブックはしぶとく頑張っています。この1年は、「モバイルで成功しなければ未来はない」というスローガンのもと、ニュースフィードのデザインをモバイルでも見やすく使いやすいように変更し、スマホ用のアプリも開発しました。2013年3月期の第一四半期の決算では、広告収入は前年同期比で43%の増収。しかも全広告収入の約30%はモバイル広告でした。この決算報告をみて、アナリストや投資家は、「おや、あんがい、やるじゃないか」とフェイスブック経営陣を見る目もちょっと変わったようです。

  しかし、安心するのはまだ早い。

  フェイスブックが今のビジネスモデルを続けることへのもっとも大きな障害は、ヨーロッパを中心として厳しくなっている個人データ保護の問題です。もちろんグーグルにとっても重要な問題で、両社ともに、すでに、いくつかの国でプライバシー規約の書き直しを命じられたり、個人データ保存期間に制限を設けられたり、米国で提供している機能の削除を命じられたりしています。

  ヨーロッパでは、いままさに、世界で最も厳しいデータ保護法を採用することについての会議が継続審議中です。その法律が通れば、ターゲティング広告を提供するためにウェブ上でトラッキング(追跡)することは、消費者が事前に明示的に同意しない限りは禁止されることになります。この法律は、また、ヨーロッパの消費者に、新しい基本的権利としてデータポータビリティ(個人の投稿や写真や動画を一つのオンラインサービスから他のサービスに簡単に移すことができる権利)を授けることも含まれます。

  つまり、この法律は、サービスを無料で提供する代わりにユーザーにターゲティング広告を出すことで収入を得ているグーグルやフェイスブックのビジネスモデルを無用化してしまうのです。

   米国企業や広告会社がヨーロッパでの法規制の成立を妨げるためのロビー活動を展開するなか、2013年1月にスイスで開催された世界経済フォーラム(通称ダボス会議)で、個人データ保護に関するまったく新しい方向性をしめす提案が発表されました

  ビッグデータの時代に沿った新しい考え方です。

  ビッグデータ環境においては、これまでのように企業が個人データを収集すること自体に制限をかけようとしても無理。そうではなくて、そのデータがどう使われるかに焦点をあて、自分のデータの利用について個人みずからが選択権を行使できるようにすべきだと提案しています。

  30年前に個人情報に関する原則がつくられたときには、個人が調査に答えたり会員登録したりとか、書類に自ら記入することでデータは収集されました。が、いまでは、ウェブ上の行動データが自動的に収集され、ケータイのGPS機能によってローケーションデータが集められる。厖大な量の個人データが、人間の介在なしに、M2M(Machine to Machine)、つまりコンピュータ間で収集・交換されるようになっています。

  70年代のコンピュータシステム環境における個人情報保護とは、データが収集される時点で個人が規約に同意するかどうかにあった。だが、どういったデータが収集されるかわからないビッグデータ環境では、こういった手法はもはや適切なものではない。また、テクノロジーの発展によって、データは分析・加工されて新しい情報を提供するようになる。収集される時点で、データの利用について同意をしたとしても、そのデータが隠しておきたい情報に変身する可能性も考えなくてはいけない。

  たとえば、個人の識別ができない非個人情報だと思われていたデータでも、複数のデータを組み合わせると個人の識別ができるようになる。米国のDVDレンタルやオンライン映画配信をしているNetflixが、顧客のし好にあった映画をレコメンデーションするアリゴリズムのコンテストを2006年に開催したとき、テストデータとしてユーザーの購買履歴データを匿名化してコンテスト参加者に提供した。ところが、テキサス大学のグループがこのテストデータを分析することにより(オンライン上の行動をパターン化することにより)、一部の個人を特定することができた(結果、プライバシー侵害で会社は訴えられ、その後、このコンテストは中止になった)。

    経済フォーラムが、消費者みずからが個人データ利用についての選択権を行使するためのひとつの方法として推薦しているのは、「パーソナルデータ保管庫」の利用だ。その保管庫にデータを集合し、保存し、自分のデータを欲しがる企業とは安全にシェアし、データ価値に見合った報酬を得る(パーソナルデータ保管庫については、「ソクラテスはネットの無料に抗議する」で具体的に説明しています・・・と、さりげなくというかあからさまに宣伝する)。

  マイクロソフトは、広告収入に頼るグーグルやフェイスブックとは異なり、世界経済フォーラムで提案された方向性に強く賛同しています。すでに、Window 8に搭載されたExplorer10では、Web上の行動追跡拒否の意思を示す「Do not track」機能をデフォルトで有効にしています。マイクロソフトCEOのシニアアドバイザーは「プライバシー問題をかかえる現在のビジネスモデルは、個人情報保護の観点やテクノロジー上の観点からも、存続することはできないと考えています。新しいモデルが必要です。データの収集や保存を管理(コントロール)しようとするのではなく、その使用を管理することに移行すべきです」

  消費者みずからが自分の個人データの使用を管理するという点からいえば、グーグルはフェイスブックより有利な立場にあります。検索データをつかって広告を出すということに限っていえば、こういった使用方法に同意する消費者はかなりいることでしょう。だから、グーグルはこういった使用方法に限れば、データと広告を交換するビジネスモデルを続けていくことはできる。しかし、ソーシャル(交際)な活動の中で発信されたデータと広告を交換することには賛同できない消費者が多いのではないでしょうか? いっそのこと、WhatsAppのように料金を徴収する。あるいは、パーソナルデータ保管サービスをフェイスブック自らが管理し、その管理料を消費者からとる・・・こういった方向性に向かわざるをえないのではないでしょうか?

  フェイスブックの2012年度の広告収入は約43億ドル。そして、アクティブユーザー数は約10億人。年間8ドル徴収すれば、ユーザー数が半減するとしても40億ドル。広告販売しなければ、それだけ業務がシンプルになるので、人件費も減り、十分の利益が出ることでしょう。問題は、ユーザー数が減ることに経営者が耐えられるかどうかです。「アラブの春」を体験し(実際には、春じゃなくて冬の終わりくらいでしたが)、自分たちが世界に民主主義を広めることができるという高揚感を体験した経営者としては、有料にすることで世界中のユーザー数が減ることには大きな心理的抵抗を感じるかもしれません。

  

参考文献:1. Microsoft Debuts New Commercials on Privacy, With Google in the Crosshairs Bringing up Privacy to Draw a Distinction With Rival, AdvertisingAge 4/22/13, 2.Microsoft wants new model for online privacy, says current one'can't survive', Geekwire 3/7/13, 3. Firms Brace for New European Data Privacy Law, The New York Times, 3/13/13, 4. Google and Privacy: European Data Regulators round on Search Giant, The Gurdian 6/20/13, 5. Rise of WhatsApp could Slow Facebook's Quest for Mobile Growth,AdvertisingAge 6/10/13, 6.Facebook Still Seems On Track To Disappear in 4 Years From Now, Forbes 6/6/13, 7.Mobile Ads Help Propel Earnings at Facebook, The New York Times, 5/1/13, 8.Teens Tire of Facebook, but not enough to log off, Time 5/25/13, 9. Smartphone Ads and Their Drawbacks, The New York Times 9/15/12, 10, Disruption: As User Interaction on Facebook Drops,Sharing Comes at a Cost, The New York Times 3/3/13, 11. Facebook vs Twitter, Want Your Feed filtered or Unfiltered? Bloomberg Businessweek 3/8/13, 12, Mobile marketers race to offer true smartphone regargeting, Retargeting News 6/26/12

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2013年6月 2日 (日)

シャープの問題を行動経済学から考えてみる

 

  テクノロジーのコモディティ化が進み、つい最近まで栄華をほこっていた企業がアッという間に蹴落とされる。日経新聞の記事「勝者なき主役交代劇」によると、世界市場で圧倒的な強さをほこった日本企業のシェアが低迷するまでにかかった時間は、DRAMで15年、液晶パネルは10年、そして太陽電池は5年だったそうです。 しかも、2010年に太陽電池市場シェアNo.1の地位を奪いとった中国企業のサンテックパワーは、太陽電池が供給過多になり価格が半分以下になったことで、2013年3月に破産している。

  わずか3年。

  ここまでくると、「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常のひびきあり・・・・ おごれる人も久しからず、 ただ春の夜の夢のごとし」。平家物語の一節をつい思い出してしまう。が、先端技術が長期にわたる安泰をもはや保証してくれない競争市場のまっただなかで、多額の借金をかかえるシャープには、平家物語の一節をうそぶいている余裕はない。

  2007年度(2008年3月期)決算で、3兆円を超す過去最高となる売上と1000億円を超す純利益を上げたシャープは、その1年後の決算で、上場以来初めての赤字をだした。そして、現在、1兆円を超える負債をかかえている。

  しかし、2004年度の決算をみるかぎり、(このころ、すでに、8000億円を投資して液晶パネルやTVの製造工場を4つもつくっていたが)、負債額を上回る現金や有価証券をもっていたので、シャープは事実上無借金企業でした。2001年に発売した液晶TV「アクオス」はあいかわらず人気も高く、吉永小百合のコマーシャルでブランドイメージもあがり、シャープは日本のモノづくりを代表する優良企業だとマスコミにもてはやされていました。

  財務的にもイメージ的にも優良な企業が、今年の9月に2000億円の社債が償還できなければ破産?とウワサされる。この間のシャープの経営戦略の是非については、ビジネス誌や新聞で毎号のように記事が書かれ、経営者の判断ミスが問われ、その裏にある理由として、代々の社長の血縁関係とか役員間の派閥争いまでもが取りざたされています。

  シャープのジェットコースター的急降下は「人災」としか思えない・・・というコメントもありました。

 考えてみると、ある程度の歴史やある程度の規模の会社が一つの失敗だけでつぶれるものではない。そんな会社が破産の瀬戸際までいくときには、為替や製品価格の変動だけでは説明できないものがあるはずです。どんなに優秀な経営者でも間違いはする。予測がはずれることはある。一つの失敗がすぐに修正されれば、損失はこうむっても、ある程度の規模をもった会社であればなんとか立ち直れる。が、その失敗が放置され、そのうえに新たな失敗が重ねられることになれば、その結果は、明らかに経営者が起こした「人災」なのです。

  リーダーシップの研究で有名なシドニー・フィンケルは、ビジネス上あるいは政治上の大きな失敗は、ほとんど例外なく、組織で影響力の高い個人、つまり、トップの人間の判断ミスから発生していると結論づけています。そして、判断ミスの原因を調べてみると、想像以上に単純な理由であることが多い。しかし、この単純な理由は、人間の心理とか本能に密接に関係しているがために、非常に大きな力をもっているとも書いています。

  たとえば、① 過去の自分の体験から得た思考や分析の枠組みを現在や未来にあてはめようとする、② 自分の評判やプライドを守ろうとする、③ 自分が始めたプロジェクトとか事業に愛着を感じるように、なにかに感情的に固執する。 問題は、こういった自分の心理的傾向に、本人が気づいていない。あるいは、なんとなく気づいていても、それを無意識のうちに論理的に正当化しようとする。そのために、かえって、ものごとが複雑になってしまうことです。

  このブログでは、シャープにおけるリーダーシップを例にとりながら、行動経済学の観点から人間の意思決定について考えてみたいと思います。まず、最初にサンクコストと人間心理です。

  シャープは家電メーカーとしては中位でした。そのシャープが、液晶技術を中核として、日本で90年代後半に流行した競争戦略理論にある「コスト・リーダーシップ」と「選択と集中」の戦略を選択したのは、4代目の町田社長の時代です。

  1998年、町田社長は「ブラウン管TVすべてを液晶におきかえる」と宣言。

  液晶パネルから液晶TVまで一貫生産する戦略で継続して優位にたつためには、どこよりも早く「規模の経済」を実現する必要がありました。2005年までに8000億円かけて液晶用の4つの工場を建設。「世界の亀山」のコピーで有名になった亀山工場も町田社長のもとでつくられました。

 ここまでは、よかった。たしかに、積極的投資のため、純資産は低下し、2006年度決算ではキャッシュフローはマイナスになっていました。しかし、新興国が追い上げてきている当時の状況を考えれば、積極投資をして規模の経済を早期に実現しコスト削減をはかることは、戦略的には間違っていなかったし、ある程度のリスクをとることも必要でした。

  問題にされているのは、2007年に堺工場建設のために4000億円をこえる投資を決めたことです。この投資に疑問が投げかけられている理由は・・・

  • 液晶パネルは当時すでに供給過剰になっていた。31インチTV用パネルは、2004年に$865だったのが、2007年には$300前後に急降下(この値段は、2011年には$149、2013年には$124にまで下落している)。液晶TVの価格自体も米国では2007年には2005年の半分になっていた。

  この時点で、液晶に集中投資をするのをやめていれば、破産のおそれまでにはいかなかったであろうと批判されているわけです。

  経済学でいうところのサンクコスト(埋没費用)。サンクコストは過去にすでに発生した費用であり回収することはできない。現時点で、どのような行動を選択しようとも、つかってしまったコストが減るわけではない。よって、合理的な経済人は、サンクコストは無視して意思決定をする・・・はずだと、伝統的経済学では教えます。

  が、現実の世界においては、サンクコストはいま現在の意思決定に大きな影響を与えます。ダム建設などにみられるように、すでに使った投資額が大きければ大きいほど、ダムの有用性が疑問視され、(八ッ場ダムのように)建設がいったんは中止されても、「これまでの投資が無駄になってしまう」という理由で建設が続行される。この論理は、戦時にもよくつかわれます。2005年米ブッシュ大統領は、「すでに2000人のアメリカ人がイラクで命を落としている。我々がこの任務を達成しなければ亡くなった2000人の米兵の命が無駄になる」とスピーチして、戦争を続行しました(コストにはお金だけでなく時間や労力も含まれます)。

  行動経済学は、伝統的あるいは標準的経済学と異なり、人間が不合理な行動をとることはよくあることで、それには一定のルールがあるとし、そのルールやパターンを明らかにしました。たとえば、経営者が過去のサンクコストに影響されて不合理な意思決定する場合によくある理由は、自分の評判を傷つけないため。あるいは過去の選択が間違っていることを隠すために、さらなる投資をつづけるというものです。また、そのプロジェクトや事業に感情的に固執しているという理由もあります。

  シャープでいえば、3代目から5代目までの社長すべて「液晶組」出身者であることが指摘されています。液晶事業の礎は1980年代末に奈良の天理工場で始まったプロジェクトにある。このプロジェクトは、社内横断的にメンバーが招集され短期間に事業化を進める緊急プロジェクトの1つであった。よって、かかわった100人あまりのメンバーの多くが後にシャープのいくつかの組織の長となり経営に関与するようになった。結果、辻社長、町田社長、片山社長と歴代3代の社長が「液晶組」出身者。液晶事業への思い入れが人一番あったとしても不思議ではない・・・というわけです。

  とくに、4代目の町田社長は液晶でシャープを日本を代表する電機メーカーにまでした貢献者であり、また、有名な亀山工場の建設にもかかわった人です。液晶事業への愛着には大きなものがあったのでしょう。財務状態が悪化したために出資先を探し、台湾のホンハイ精密工業と交渉しているときに、当時相談役だった町田氏は、「亀山工場は俺の”子”だから渡せない」と言った(日経ビジネス2013/4/8)そうです。

  液晶事業に子供に対するのと同じ愛着心を感じていたのでしょう。

  また、3代目の辻社長と4代目の町田社長は二人とも、2代目の社長の娘婿。親しいといえば親しい。が、親しいがゆえにライバル意識があるといえばある。へんな遠慮もあったりと微妙な関係だったかもしれません。

  2008年、5代目片山社長は「既存のパネル工場だけで年間2000万台以上の生産能力がある。うちのアクオスの販売台数を考えたら、それで今は足りる」と発言しています(週刊東洋経済9/1/12)。供給過多の問題はわかっていたのでしょう。わかっていても、堺工場への出資をやめられなかったのは、町田会長への遠慮があったのかもしれません。シャープの栄光を導き10年君臨した町田社長は、5代目片山社長にバトンタッチしたあとも、代表権のある会長として残りました。新社長にしても、液晶事業の軌道を修正するとは言いづらかったかもしれません。町田会長の過去の選択を否定するようなことを避けて、堺工場への投資をつづけたというわけです。

  いやいや、シャープの経営者はそこまでバカじゃない。堺工場をつくるときには、シャープにはTV販売だけではなく、パネルを他企業に販売することで生きていく計画があった・・・という説もあります。

  たしかに、堺工場への4300億円の投資のうち、34%をソニーに出資してもらう話はありました。ソニーとは、その出費比率に応じたパネルの引き取り義務を課す合意までして、安定需要を確保するとともに、自社の出資額を減らすという、けっこう慎重なリスク対策もとっていたのです。だが、その後の対応をみると、シャープには他企業にパネルを販売するという部品メーカーとしての立場や役割への自覚がなかったとしか思えません。

  2009年、エコポイント制度導入で、国内で、液晶TVが爆発的に売れた。その時、シャープは自社への供給を優先して、ソニーとか東芝といったパネル販売先のクライエントにはたびたび納入遅延を起こしています。エコポイントが終了し、液晶パネルへの需要が減るとともに、クライエントはシャープから去っていきました(供給先としてのシャープに見切りをつけたソニーは、2009年末、1000億円で堺工場の株7.04%を取得しましたが、2012年にはその株もシャープに売却しました)。

  「外販のノウハウに乏しかった」という言い訳もあります。が、そうではなくて、部品メーカーになることへの感情的こだわりがあったのかもしれません。本来なら、部品メーカーとして仕入れ先をお客様として取り扱わなくてはいけないのに、液晶TVだったらうちのほうがおたくより売れている・・・という態度がつい出てしまったのかもしれません。たとえば、ソニーの元役員は、片山社長の「どこの誰だ?といった偉そうな態度にげんなりした」と語っています(週刊東洋経済2012.9.1)。

  2012年、片山社長を継いだ第6代の奥村社長は、労働組合本部を訪れ、2000人の希望退職を募集することを告げるときに、当時を振り返って、「エコポイントでTVが売れたために市場が回復したと判断を誤った」とコメントしています(日経9/15/12)

  このコメントをそのまま素直に受け入れるべきではないかもしれません。たんなる言い訳で本当は他の理由があったかもしれません。が、まあ、このコメントが本当だとして、「市場が回復したと思った」なんて、誰が聞いても、楽天的な判断としか思えないでしょう。しかし、「確証バイアス」は誰にでもある認知バイアスなのです。

  認知バイアスとは・・・・?

  人間は外界の出来事を五感をとおして情報としてとりいれる。そして、脳の中で、情報処理し、考え、反応し、記憶したりする。その情報処理の過程を認知といいます。この情報処理過程において、とくに、感覚を通して出来事を把握する段階において、事実をゆがめてとらえたり、非論理的な解釈をしたりすることがある。結果、不合理な判断をする傾向が人間にはあります。正しい判断基準から逸脱する現象には一定のパターンがあり、これを認知バイアスといいます。こういった情報プロセスにおける歪みは無意識のうちになされることが多いため、ほとんどの場合、本人は自分がしている間違いに気づきません。

  さまざまな認知バイアスがありますが、仕事上でよくみられるのが「確証バイアス」です。自分の主張を支持するような証拠だけを選択して、そうでない証拠をしりぞけるというか無視してしまうのが確証バイアスです。エコポイントでTVが売れた! このとき、エコポイントが終了すれば売れなくなるというデータや情報があっても、それを無視し、不況が底をついたとか、景気が良くなるようなことを裏付けてくれる証言とかデータばかりに注意を払ってしまう。シャープの経営陣がそういった確証バイアスで判断を誤ったという可能性はあります。

  確証バイアスは自分にとって都合のよい情報ばかりに注意を払うようになるため、不安を軽減することができます。将来を楽天的に考えられるようにしてくれます。だから、不安な状況にある人間ほど、確証バイアスにとらわれやすくなるのです。

  「選択と集中」と「規模の経済」は当時の電気メーカーが採用すべき戦略でした(米国に10年くらい遅れて、日本では90年代後半に流行)。また、日本企業の欠点は、思い切りのよい積極投資をしないこと、リスクをとらないこと、ともいわれていました。シャープは、松下とかソニーのような電気メーカーに比べるとちょっと格下とみなされていました。が、日本発の電子レンジ、世界初のオールトランジスタ電卓、業界初のカメラ付き携帯電話・・・など、チャレンジ精神あふれる製品を開発してきた企業です。その企業が「液晶技術」で松下とかソニーを超える可能性をかいまみたとき、それに固執したくなるのは理解できます。液晶パネルの販売で、ソニーなどに、どこかぎこちない態度をとったのも、劣等感と優越感があいまざった複雑な心理からきているかもしれません。

  後になって、パネルから製品まで一貫生産する垂直統合モデルの時代は終わリ始めていたとか、為替リスクを少しは考慮するべきだったとかいうのは簡単です。が、それは、行動経済学でいうところの「あと知恵バイアス」です。経営には運も不運もある。たとえば、シャープは円高がつづいたために新興国の液晶メーカーに負けたといわれます。そのときは不運だったとして、アベノミクスで円高になったことで、2012年度下期が営業黒字になり、よって、銀行から融資を受けられるようになった。今年秋の社債償還をなんとか実施することができます。同じ為替で運が悪かったこともあれば、運よく助けられることもあるのです。

  シャープで起こったことを「大企業病」という言葉で説明する人もいます。シャープは小さいときには、新しいことに果敢に挑戦する企業でした。日本初とか世界初といった製品を開発する会社でした。大企業になってそれができなくなるのは、「損失回避性」という認知バイアスにとらわれやすくなるからです。

  損失回避性は、行動経済学では、人間の不合理な行動の多くを引き起こす重大な認知バイアスです。人間は、損失を利得よりも大きく感じる傾向があります。失うものが少ないときには、経営者もダメモトでやってみようと、大胆にリスクをとる傾向がでてきます。が、大きくなって、守るものがたくさんある、つまり、失うかもしれないものがたくさんあるようになると、損失回避性は強い影響力をもち、経営者がリスクを取ることに躊躇するようにさせるのです。

  これが大企業病です。

  海外のビジネス誌では、「日本企業には戦略がない」とよく書かれます。日本企業の経営陣に戦略がつくれないとは思いません。ピーター・ドラッカー、フィリップ・コトラー、マイケル・ポーターの本が世界で一番熱心に読まれている国なのです。戦略がつくれないわけがない。世界的コンサルタント会社マッキンゼーが日本のハイテック業界について書いた記事では、「日本のテクノロジー企業は戦略に明瞭さがなく、また、勝利に導く戦略を遂行する経営陣の強い意志の力がない」と書かれています。戦略に明瞭さがないのは選択するのがコワいからです。2つの選択肢があったとしてその一つを選ぶのがコワいのです。だから、あいまいになる。

  そういった点では、シャープは偉かったと思います。一つの戦略を選択してまっしぐらに遂行したのです。

  戦略は、その言葉通り、戦(いくさ)のはかりごとです。英語Strategyの語源はギリシア語で軍隊の指揮官です。勝つつもりで始めた戦でも、途中で形勢不利になったら、軍の指揮官はその場で決断をしなくてはいけません。引き返すのか、援軍を待つのか。どちらにしもて5000名の命を助けるために、ここで500名の犠牲をよしとするか・・・。それとも、このまま進んで全員討ち死にするか? このときの選択(決断)は、戦を始める前に戦略をきめることよりも、よほど大変な決断です。このとき、指揮官はすべての認知バイアスにとらわれることなく、組織にとってベストな判断をしなくてはいけません。

  経営者の仕事は「決断することだ」とよく言われます。私ごとで恐縮ですが、私の父は地方の中小企業で働き40代で社長になりました。それまではまったく信心深いところなどない人でしたが、社長になった途端、その地の有名な神社に毎月1日に参拝するようになりました。その変身ぶりに驚いて理由をきくと、(わずか100名たらずの従業員でしたが)、「社長になって、自分の決断が、社員とその社員の家族、すべての人たちの人生を変えてしまうかもしれないことに気がついた。その責任に気づいて身が震える思いがした」。自分が正しい決断ができるように神にすがりたい思いになったのでしょう。

  話はいっきにアメリカの大統領に飛びます。第40代レーガン大統領はナンシー夫人の影響で、重大な決定をするときに占星術師の指示にしたがったとウワサになったことがあります。ことの真否はとにかくも、もし、2つの選択肢があったとして、あらゆる角度から比較しても、どちらにも同等のメリット、デメリットがある。が、どちらかを選ばなくてはいけない。そんなとき、それが国家にとって非常に重要な決断だとしたら、アミダくじではなくて、評判のよい占星術師に選んでもらったほうが良いと思う気持ち。このせっぱつまった気持ちは、組織の上に立つ人間なら理解できることでしょう。

   そのくらいに経営者にとって「決断する」ことは肉体的にも精神的にも大変なことのはずです。その点から考えると、欧米の経営者が日本の経営者に比べて莫大な給料を手にするのは許せるような気がしてきます。もちろん、米国のウォールストリート関連企業はもらいすぎだと思うし、自分のせいで会社が傾いたら退職金は減るシステムにすべきだとも思います。でも、経営者の判断ミスが企業が失敗する主な原因であるのなら、莫大な給料を払っても、戦略を遂行する強い意志、そして、認知バイアスにとらわれず間違いを修正することができる人に上に立ってもらいたいと思います。

  先に紹介した、リーダーシップ研究者のシドニー・フィンケルは、経営者が認知バイアスにとらわれない方法をいくつか紹介しています。

  1. 過去の自己体験にとらわれたパターン認識をしないように・・・顧客や仕入れ先、そして現場への訪問をつうじて常に新しい体験をする
  2. 認知バイアスにとらわれないように・・・・重要事項に関しては、慎重に選ばれたメンバーとグループディスカッションをする
  3. ガバナンス・・・意思決定者が当該プロジェクトに深く関係している場合は、とくに、組織が自らを健全に管理・運営できるような指揮系統や取締役会の構成になっているようにする
  4. モニタリング・・・重要な意思決定がもたらした結果の成否を決定する基準を明確にし、結果をチェックし、報酬を決定する

 1番目2番目は、経営者が自己反省として自らを律するために利用することができます。問題は、トップ経営者には、自分は認知バイアスなどにとらわれない、誰よりも理性的な人間だと思っている人が多いことです。他人はどうであれ、自分だけはそんなバイアスなどないと自信をもちすぎている人が多い。そんな人には、3番目4番目のチェック(抑制機能)が必要です。が、これは社外取締役の仕事です。

  シャープには社外取締役はいませんでした。2009年になって、初めて、1人の社外取締役が選任されています。0人ではもちろん、1人でも、チェックの役目を果たすことはできなかったことでしょう。

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参考文献:1.「勝者なき主役交代劇」、日経新聞4/1/13、2.「儲かる電気、堕ちる電気」、エコノミスト2/12/13、3.「液晶の呪縛、解き放て」、日経ビジネス4/8/13、4.「栄光と挫折の10年」週刊東洋経済9/1/12、5. 「命運握る部品事業」、日経新聞9/15/12、6.危機の電子立国 シャープの混迷」、日経新聞11/20/12-11/24/12、7.「シャープ経営体制刷新」日経新聞5/15/13、8.Sydney Finkelstein, Why Good Leaders Make Bad Decisions, HBR Feb.2009, 9.Ingo Beyer von Mongenstem, et.al., Rebooting Japan's High-tech Sector, McKInsey Quaeterly June 2011、10.「崩壊した液晶王国 本業不振の憂鬱」 週刊ダイヤモンド9/1/12、11.「トップ決断にノー言えず」 日経新聞 5/26/13, 12.「シャープに列強の租借地」日経新聞3/24/13、

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 液晶えきしょうき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。けき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。けき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

2013年4月 9日 (火)

企業ブランドしかつくれなかった資生堂。そして、中途採用のすすめ。

 資生堂の新しい人事が話題になっている。

 3月31日に、2年前に52歳で社長に抜擢された末川社長が退任し、前社長だった前田会長が社長も兼任することになった。資生堂は2008年秋のリーマンショック以降、連結売上高は6400億円から6900億円レベルで停滞気味。営業利益もマイナスが続いていた。しかも、12年度3月期まで6期連続、四半期ごとに業績の下方修正を繰り返すことで、市場の信頼も損なわれていた。

 業績不振の理由がいくつか挙げられているが、驚くべきことに(というか、過去に何度も繰り返されてきた理由なので、あまり驚かない。驚かないということ自体が、一番驚くべきことなのです。ああ~ややこし!)・・・。とにかく、国内市場の不振の主な要因は、実は、もう1980年代には明らかにされていたことなのです。それが、30年たっても解決できなかったという一言につきる。

 短くまとめてしまえば、今の資生堂をつくってくれたもの、つまり、日本最大の化粧品メーカーで世界でも5~6位につけるまでの成長をもたらしてくれた流通チャネル・システムが、高度成長時代がおわってからずっと、資生堂のあしかせになっているのです。

 世界に通用する強力な商品ブランドを創造することもできず、そして、継続的に在庫の問題や高コストの問題に悩まされてきているのは、資生堂が自ら構築したチェインストア・ネットワーク(契約小売店網)と、これもまた自らが構築したチェインストアとの複雑な関係性のなかに、からめとられてしまった結果なのです。

 もっと短くいえば、過去の成功体験が生み育てた「しがらみ」から、資生堂は抜け出すことができないでいるのです。

 さきに断っておきたいのですが、私は、資生堂の戦略がまちがっていると批判するために、このブログを書いているのではないのです。過去何代もの資生堂のトップ経営陣は上に列挙したような問題についてよ~くわかっていた。一流企業のトップにまで登りつめることができた人たちなのです。頭脳的にも人間的にも優れた人たちに決まっています。が、それでも切れないのが「しがらみ」なのです。

・・・・いずれにしても、まず、資生堂のその「しがらみ」について説明させていただきます。

 チェインストアと呼ばれる契約小売店は、1923年(大正12年)に、創業者の息子で初代社長の福原信三が、乱売への対策として、「資生堂製品はチェインストアだけで扱い、全国同一価格とする」と販売政策の基本を定めたことから始まります。当時、第一次大戦後の世界的不況のなか、化粧品業界では値引き競争が激化し、小売店の倒産が相次いでいました。こういった不毛の競争から取引先や商品価値を守るとともに全国市場への発展を進めるために、アメリカで発達していたチェインストア・システムを採用したのです。そして、このチェインストア組織をより強固なものにするために、全国の主な問屋と「資生堂契約店舗には同じ価格で卸売りする」という契約を結ぶ。問屋は、その後、資生堂の特定代理店となり、最終的には、こういった特定代理店と合併したり共同出資したりして「資生堂製品のみを専門的に流通させるための組織」として「系列販売会社」を各地に設立することになりました。

 第二次大戦前にできあがった資生堂の流通システムは、戦後、壊滅打撃からすばやく立ちあがり、全国津々浦々にまで広がったチェインストア・ネットワークはその後の資生堂の高度成長を支えてくれたのです。

 化粧品業界は60年代~70年代にかけて不況知らずの産業といわれました。戦後生まれのもっとも人口の多い「団塊の世代」の女性が結婚前の独身女性であったころで、化粧品はよく売れました。新製品を出してマス広告で宣伝すれば売れた。が、この「団塊の世代」女性が結婚して子供が生まれるようになったころから、化粧品需要も落ちてくる。80年代になると、少子化問題に加えて海外ブランドの参入によって競争は激化する。

 こうなると、どうなるか?

 まず第一に、売上ノルマを達成するために、営業担当者は各小売店に在庫がまだあるのを知ったうえで、仕入れてくれるよう頭を下げる。「お願い販売」というか「押し売り販売」だ。店頭の売上があがっていなくても、仕入れの時点で売上として計上してしまう。そして、第二に、小売店は目新しい新製品があれば売りやすいので、新ブランドや新製品を出すように要望する。押し売り販売で借りがある営業としてはじゃけんに断れないし、新製品なら店も仕入れてくれるので、資生堂本社に新製品の発売を強く要望する。新ブランドや新製品を出せば売上は広告宣伝活動によって一時的に上がる。が、長続きはしないので在庫となる。

 (小売店には仕入れ額に応じてリベートが支払われた。だから、小売店も売れる見込がなくても仕入れてしまう。2001年には、リベートも仕入れ時ではなく、店頭販売実績で支払われることに契約を変更。同時に、営業担当者の評価も販売実績に切りかえられました。しかし、長年つづいた仕入れ額を実績とする仕組みは、最初に書いたように『資生堂が自ら構築して自らがからめとられてしまった、系列販売会社や契約小売店との複雑な関係性』をつくった要因のひとつなのです)

 当時は、他の産業でもよくみられる光景でした。日本では、家電メーカーも、たとえば、松下電器(いまのパナソニック)なども同じようにチェインストアをかかえていたから、小売店の要望に応える形で、一年ごとにモデルチェンジをしていました。資生堂のような化粧品メーカーにとっても、松下電器のような家電メーカーにとっても、お客様は系列販売会社の社長だったり契約小売店の主人であり、消費者ではなかったのです。B2C(対消費者販売)をしていたのではなく、B2B(対企業販売)をしていたようなものです。だから、信頼できる一流会社のイメージを築くための企業ブランディングが中心となり、(新製品や新ブランドをつぎからつぎへと出していたというブランド軽視からも明らかなように)商品ブランディングはおろそかになってしまったのです。

  ブランド戦略論で有名で、日本でも幾冊かの本を出しているデイビッド・アーカーは、2001年に電通の招きで日本をおとずれたときに、「日本ではブランド=企業ブランドととらえる向きが多すぎる」と語っています。

 資生堂の決算内容をみると、大幅な減益を覚悟して大量の流通在庫を削減する試みは、過去何度もおこなわれています。

 最初は1987年。創業者の孫ということで、社内外からの抵抗をかわすことが期待されたのでしょう。福原義春社長の就任がきまるとすぐに、販売会社や小売店にたまった大量在庫の処分がきめられた。販売会社への出荷額を絞るとともに、2年間にわたって約200億円の在庫償却を実施。12期連続増収増益から一転して経常利益が49%減となりました。

 しかし、在庫は1998年3月期には国内で500億円。海外をあわせると713億円に達するまで、また増えてしまった。売上ノルマ達成のための押し込み販売があいかわらず続いていたのだ。

 2001年度には、430億円の流通在庫を処分したために、220億円の赤字を計上する結果となっている。当時の池田社長は、「再点検したところ、小売店、販社、工場、いたるところに偏在在庫が蓄積されていた。売上げを上げるためにお願い販売をして、あとで返品として受け取ることが日常化していた」とコメントし、対策として、「小売店にPOS導入をお願いして、卸の数字で売上をたてるのではなく、店頭売上を資生堂の売上と結びつけるようにする」と語った。また、「在庫をつくった原因は100にも及ぶブランド数にあるので、今後は35ブランドくらいに減らす」とも語った。「(将来のために)ウミを出し切る」と池田社長は記者会見で宣言している。

 結局、1987年からの14年間、一時的に売上を上げるための押し売り販売や新製品発売の悪しき習慣もなくなることはなかったのか? あるいは、バブル崩壊後の90年代の売上不振、またファンケルやDHCなどの通販化粧品の新規参入による競争激化のなか、悪しき習慣が復活したのか? いずれにしても、90年代の10年間で64ものブランドが新発売されている。

 2005年、前田社長が就任して「旧来のしがらみを断ちきる」と宣言。ブランド数をへらしてメガブランドに投資を集中するという、当時すでにユニリーバとかP&Gが推し進めていたパワーブランド戦略を採用することを明らかにした。そして、2006年には「ツバキ」に50億円という過去最高の宣伝広告費投入し、これがメガブランド育成作戦だと世の中にしらしめた。2007年には、8つの重点ブランドで売り上げの49%、27の主軸ブランドで総売り上げの80%以上・・・とブランド戦略が順調にいっていることを説明していたのだが・・・・。

 どうも、この「改革」は、景気悪化もあったし、それから社内外の抵抗もあったらしく、途中で、最初の勢いはなくなってしまったようだ。

 2011年、52歳という若さを期待された末川社長が発表した新しい3か年計画では、過去の成功体験からの決別が、またまた、宣言された。「デ・ジャヴ」感があるけれど、会見では次のようなことが語られた。

 

  1. 新製品に依存しすぎで、1年で寿命が終わる製品が多すぎる。ロングセラー商品が育っていない。当然のことながらブランドアイデンティティも希薄。
  2. 流通在庫の問題もいまだにある(このとき、どれだけの在庫があるかは明らかにされなかったが、販促物の不良在庫関連コストだけでも年間数十億円になっていることは明らかにされた)。
  3. ネット販売に挑戦する。(このとき、社長は「専門店は資生堂が苦しかった時に助けてくれた店ではあるが」、でも、ネット販売にあえてチャレンジすると語った。この言葉からも、契約小売店が店舗売上が落ちることを懸念して、ネット販売に長い間強く反対していたことがよく理解できる)。

  その末川社長が自分の健康上の理由から2年後に辞任。「尽きない悩みと各所からのプレッシャーに、末川氏は周囲に『なかなか眠れない』と漏らしていたという」と週刊東洋経済記事には書かれていた。日経MJ記事にも、「資生堂には歴代トップからなる「相談役会」もあって、『歴代トップの間で(末川社長への)批判が強かった』と資生堂関係者は語る」と書かれていた。どうやら末川社長は社内外の風当たりの強さに疲労困憊してしまったようだ。

 「しがらみ」ストーリーのまとめに入ります。

 まず、企業ブランドと商品ブランドの話です。

 資生堂は企業ブランドを築くことには成功した。信頼できる企業、一流企業・・・こういったイメージは小売店網を拡大するのには強い武器となった。だが、「消費者をお客様とする」マーケティング戦略をとることをしなかった(あるいは、できなかった)資生堂は、商品ブランドを築くことはできなかった。その証拠というか、日経BPによるブランド・ジャパンの過去10年間の調査において、資生堂はビジネスパーソンによる評価では常に50位以内にはいっている。が、消費者による評価では、2006年に前年度の108位から42位にはいったのが最高位(たぶん、ツバキの大々的キャンペーンのせいだろう)。他の年には50位以内に入っていない。

 これはやっぱりおかしい。

 消費財を販売しているメーカーなら、その逆の現象でしかるべきだろう。資生堂という名前がランキングに入っていなくても、ツバキとかマキアージュが上位にランクされている・・・というならよい。が、それもない。

 化粧品業界で、企業ブランドで成功した企業は見当たらない。もちろん、企業ブランド=商品ブランドになっているシャネルとかは別である。化粧品メーカー世界ランキングで一位や二位をしめるP&Gやロレアルは企業ブランドとしても有名ではあるが、ロレアル傘下のランコム、へレナルビンスタイン、シュウウエムラ、メイベリンニューヨークはそれぞれ独立したブランドとして著名だ。一般消費者の多くは、シュウウエムラの親会社がロレアルだなんて知らないだろう。ブランドは個性なんだから、知らないほうがいい。資生堂と世界売上で5位6位を争っているエスティローダでも、クリニック、ボビーブラウン、マック、ドゥ・ラメール、オリジン、アラミス等々。いずれも、日本のデパートの化粧品売り場に別々のカウンターをかまえているが、それぞれが同じ企業グループに属しているなんて、買い物客の大半は知らないだろう。それが商品ブランドだと思う。

 資生堂の契約小売店の売上は、90年代初めには、国内総売り上げの75%を占めていた。が、いまでは、売上シェアは25%程度に落ちてきている。が、しかし、新しい販売チャネル、たとえばドラッグストア、コンビニ、そしてネット販売への対策は、契約店への遠慮があって思い切った挑戦ができていない。ネット販売にしても、2012年になってやっと参入することになったが、これも、契約店に納得してもらうために中途半端なもので終わっている。

 もちろん、資生堂だって、こういった問題点はずっと前からわかっている。歴代の経営陣だって、何をすべきかはわかっていたはずだ。だが、わかっていても実行をするためには、社内外の「しがらみ」を切り捨てなくてはいけない。考えてもみてほしい。若いころからずっと、自分の成績、あるいは会社の成績をあげるために、頭をさげて販社や小売店に無理して頼み込んでいるのだ。えらくなって社長になったからといって、昔受けた恩義を裏切ることなど、フツーの人間の神経ではできやしない。あるいは、また、自分がこれまでお世話になってきた先輩を、とくに自分に目をかけて昇進を導いてくれた先輩の意見を、社長になったからといって否定することはできるだろうか? 

 むつかしい。むつかしいからこそ、一番最初に流通在庫に大ナタをふるったのは創業者の孫であり、また、2011年には、若くてしがらみの少ない社長が選ばれているのだ。

 それでも、過去のしがらみをたちきることはなかなかできない。過去のしがらみを切ることは自分史そのものを否定するようなものだ。よほど無神経な人間でなければできないだろう。だが、無神経な人間では、会社の上には立てない。

 それがわかっているから、海外の会社であれば社外取締役が選んだ外部からの人間をもってくる。

 有名な成功例がIBMです。IBMは1992年度に81億ドルにも及ぶ損失を出しました。この数字は、当時のアメリカのビジネス史において一つの企業が出した過去最大の赤字額です。IBMは1911年創業以来、常に生え抜きの社員が社長に就任してきました。が、破産寸前になって、大きな外科手術が必要になったとき、外部から、しかもコンピュータとは全く無縁な食料品メーカーRJRナビスコのCEOであったルイス・ガースナーを雇いました。

 ガースナーは8万人余の人員を削減するとともに、コンピュータという機械を販売していた会社を、クライエントが望むような機能をはたすコンピュータ・システムを提案し提供できるサービス会社に変身させることで、IBMを再生させることに成功しました。

 外部の人間を雇った成功例です。

 もちろん失敗例もある。ソニーのストリンガー前CEOは、米国ソニーの社長をしていたのだから外部の人間ではないけれど、外国人ということで、しがらみなく改革がしやすいはずだった。実際、世界中で3万人に及ぶ人員削減や工場閉鎖をしたが、本当は、それでも足りなかったらしく、外国メディアでは「社内の抵抗勢力のせいでリストラが思ったようにできなかった」と発言している。もっとも、リストラをしながらも自分は8億円の高額報酬を得ていたことを批判され、また、リストラをする一方でその後の方向性を明確にしなかったと国内では非難された。

 日本の終身雇用制度は日本固有の文化と結びつけられて考えられる傾向があるけれども、この制度は戦後の高度成長期における労働力不足のなか、従業員のためというよりは会社のために出来上がった制度で、戦前にはとくに意識された社会的制度とはなっていなかった。アメリカでもP&Gとかウォルマートとか、地方の中小都市に本社を置く企業では、地方都市における家族を大事にする暮らしぶりやライフスタイルのため、自然と一生同じ会社で働く社員が多かった。そういった会社でも、最近の不安的な経済環境のなか、生え抜きでない社員が社長やCEOになる傾向がある。そのほうが、しがらみがないぶん、改革を果断に進めることができる。社長やCEOの場合は、中途採用とはいわないかもしれないけれど、いずれにしても、「いま、ここにある危機」を乗り切るためには、外部からの人間のほうが適切なのでしょう。

 だいたいにおいて、長寿ブランドを築くためには外部の人間が必要なときがある。なぜなら、同じブランドにずっと接していると、自分で自分の大切なブランドの価値がわからなくなってくるから。会社に入社してからずっと同じブランドに接していると、飽きてくる。売上数字がさがってくると、「ああ、このブランドももう寿命かな」と考えてしまう。効果的な販促活動は、すべてしてしまったような気がする。時代は変化して消費者も変化しているのだから、過去にやった販促活動をまたしてもよいかもしれない。が、自分が5年前や10年前にしたことと同じようなことをするなんて・・・。「ああ、あれはダメ。以前、もうやって、あんまり結果もよくなかったから」と、つい口にしてしまう。

 外部の人間で、消費者としてそのブランドを好きで愛している人を中途採用で雇うことは、長寿ブランドを築くためには必要だと思います。

 そのブランドについて熟知していると思い込んでいる社内生え抜きの人間だけがマーケティングを担当するよりは、、そのブランドが好きな中途採用された人間もチームに加わったほうがよい・・・と思っています。

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

参考文献: 1.「資生堂、3つの失速」、日経MJ 3/13/13、2.資生堂「改革」振り出しに、日経新聞、3/12/13、3.資生堂「末川価格」定番磨く、日経MJ 9/2/11、4.「新製品には頼らない」 日経ビジネス 7/4/11、5.「再登板で清算なるか、資生堂の負の遺産」、週刊東洋経済 3/23/13、 6.「禁断のネット販売開始、悩める資生堂の賭け」、週刊東洋経済 4/21/12、7.「ブランド削減に着手」 日経産業新聞 1/4/08、 8.「資生堂 漂流」 日経産業新聞 11/07/01、 9.「分社化や系列店 色分け、年代別のブランド再生」 日経ビジネス 6/22/92、10.「がけっぷちの定価販売 莫大な販管費圧縮急ぐ」 日経ビジネス 11/08/93、 11『店頭からの全社改革」 日経流通新聞 7/23/02、 12.「ブランド集約しチェーン店再生に注力」 日経ビジネス 4/09/01、13.「ブランド再編 世界に挑む」 日経ビジネス 5/15/2000、14.「企業ブランドの集合体に」 日経産業新聞 7/06/2000、15.「資生堂 ブランド再編へ新旧交代」 日経産業新聞 10/27/99、 16.「利益重視、聖域にメス」 日経産業新聞 8/31/99、 17.「現場主義やゆずらず」 日本経済新聞 10/05/98、18.「日本企業、ブランド価値高めるためには・・・」、日経産業新聞 11/21/01、19.山本敦「戦前の資生堂にみる日本的マーケティングチャネルの形成」

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2013年2月17日 (日)

NEW! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」(日経プレミアシリーズ)を出版しました

 51kyak3m11l__ss400__2「ソクラテスはネットの無料に抗議する」という本(日経プレミアシリーズ・新書版)を日本経済新聞出版社から出しました。ブログをつうじて、(赤い糸ではないけれど)なんらかの御縁でつながっている皆様に読んでいただければとてもうれしいです。 

 この本を書いたもともとのきっかけは、「無料」がまかりとおっている現状に疑問を抱いていたからです。「21世紀のフリーは20世紀のフリーとは違う」と主張する本がベストセラーになり、 「無料」でモノやサービスを販売するのが当然であるかのような風潮になっていることは問題だと思っていました。 

 20世紀であろうと21世紀であろうと企業は適正な利益を生まなくてはいけません。そうでなければ、従業員に適正なお給料も払えないし、従業員を雇うことすらできない(って、べつに、アベノミクスに肩入れしているわけではありません)。デジタルの世界においては、アナログの世界よりモノが安く売れる理由をたくさんあげることはできます。が、無料にはできないし、安く売るにも限度というものがあります。インターネットやコンピュータが可能にしてくれる「新しい世界」でも、無料とか極度な安売りには継続性(はやり言葉でいえばサスティナビリティ)を支えることはできません。

 わたしたちは、「新しい世界」が提供してくれる可能性に目を向けるあまりに、古代ギリシア世界ですでに完成していた人間の知恵や知性を忘れていました。

 私は、どちらかというと哲学=眠くなる・・・と思う人種に属しています。ソクラテスに興味をもったのは、やはりインターネットというメディアの登場が関係しています。

 ネットやケータイの登場によって、メールやフェイスブック中毒とかケータイ依存症などが社会問題となっています。そして、こういった問題について書いた本には、必ずと言ってよいほどソクラテスが登場するのです。彼が新しいメディアについて語った言葉が引用されるのです。

 ソクラテスや彼が住んでいた古代社会の考え方を知ることから、なぜ、「21世紀のフリー」がいけないかの謎が解けまました。

 「謎」とか「古代ギリシア」とか、思わせぶりな書き方ですよね。当然のことながら、その謎を知りたかったら、どうぞ、本を読んでくださいませ・・・・と続きます。

 下に目次内容を記しました。 本を読んでくださったとして、感想など、この記事にコメントとして送ってくだされば、さらにさらにうれしいです。目次をクリックするとアマゾン書店にリンクします。

 

「ソクラテスはネットの無料に抗議する」目次

第1章  文字が人間の頭を悪くする

● ソクラテスはiPadを見ても驚かない ● 「書き言葉が話し言葉にとって代われば、若者たちの頭が悪くなる」 ● 古代ギリシアにおける秀才と凡才の判断材料 ●「物忘れ」を恐れたソクラテス ●なぜ魂を揺さぶる話術が大切だったのか ●中毒になるほど裁判に熱中したアテナイの人々 ● 2500年たっても解けない「法廷のパラドックス」 ●グーグルは「怠け者」が利用するメディア ●文字を使うようになって、脳はどう変化したのか ● 文章を読むということは自分自身に話しかけるということ ● 本を黙読できるようになるまで1500年かかった ● 識字率が上がると他人の顔をわすれやすくなる ● デジタル時代には顔の認識率はもっと低下する

第2章 ソクラテスが「無料」に抗議する理由

● ソクラテスが犯した大きなタブー ● 「無料」が嫌いだった古代ギリシア人 ● 古代から現代につづく「贈与の法則」 ● 「いいね!」は現代社会の恩返しの仕組み ● なぜ日本にだけホワイトデーがあるのか ● 人間の本能的性向は「恩返し」よりも「仕返し」 ● チンパンジーもホメロスも知っている返礼のルール ● ギフト交換すれば友人になれる ● 市場経済の源流は贈り物の交換にある ● 美少年でなくとも無料サービスを提供したソクラテス ● ソクラテス以上の賢者はいなかったのか ● あてにならないデルフォイの神託 ● 富山の薬売りのビジネスモデルも贈与のシステム

第3章  21世紀と20世紀の「フリー」は本当に違うか

● 優れた戦略家は狡猾なウソつきである ● ネット上での「無料」のウソ ● タダより高いものはないし、無料のランチもありはしない ● ウィキペディアへの寄稿は「神への贈与」と同じ ● なぜ人間は寄附やボランティア活動をするのか ● 神様に10分の1を捧げる「算数」は世界に共通 ●寄附活動から生まれた累進課税 ● 人間の脳が大きくなり、知能が高くなったのはなぜか

第4章 フェイスブックは贈与の法則を破ったのか

● 不正に対する報復は「正義」なのか ● 「無料サービスは使うが、個人データは提供しない」の論理矛盾 ● 無料サービスとの個人データのやり取りは、贈与か売買取引か ● 消費者は自分のデータで返礼をしている ● プライバシー問題を非難する消費者はずうずうしいが・・・ ● プライバシー規約を読むのにかかる時間は年間244時間 ● 私の個人データにはどれだけの価値があるのか ● 自分のデータを保管するヴァーチャル金庫 ● 個人データは永遠に生きつづける ● データの秘密の生涯 ● マオリ族のハウ(霊)と「お返しの義務」の関係 ● 呪われた宝石、戦国時代の名茶器、そして上司のご馳走 ● 個人データにもあなたのハウが宿る

第5章 人間はなぜ言葉にだまされるのか

● 上手なウソをつかなかったソクラテス ● 人間は生まれつきウソをつくようにできている ● ソーシャルメディアの詐欺師と世界最古の詐欺師は手法が同じ ● 2700年後にわかった神のお告げの真相 ● 古代に頻発した保険金詐欺の仕組みと対策 ● 詐欺師と呼ばれたソフィストたち ● 理性の発達は真実の発見のためではなく、議論に勝つため ● 近親相姦は「理性」だけで判断すれば悪ではない ● 認知バイアスのせいで、だまし、だまされる ● 「自分だけは大丈夫」と思う楽観主義バイアス ● 人間の8割は楽観主義者、そして、楽観主義者は生存率が高い ● 確証バイアスにとらわれる人ほど議論に強い ●詐欺師が利用するヒューリスティクスな選択 ● なぜ、お金がない人ほど投資話にだまされるのか ● なぜ、ソフィストたちは人間の心理が理解できたのか ● 「まだ半分ある」を「もう半分しかない」に変える方法 ● 感情の時代に理性を、理性の時代に感情を

第6章 人間はデジタル社会に、デジタル社会は人間に適応できるのか

● マルチタスク能力を信用しなかったアインシュタイン ● 1つの作業を一気に片付けないと、1.5倍の時間がかかる ● 電話番号の数字を3つに区切る必然性 ● すべての国で新しい時代になるほどIQが高くなっている ● ソクラテスがこだわった「記憶」は、ワーキングメモリーなのか ● 脳は「新しい情報」の誘惑に抵抗できない ● 仕事中のメールはドラッグよりも2倍もIQを下げる ● メディアが脳に適応するのか、脳がメディアに適応するのか? ● ソクラテスが選んだメディア

 

 

 

2013年2月13日 (水)

世界一有名な「データサイエンティスト」は「ビッグデータ」とは無縁の人でした。

 

 「有名なデータサイエンティストといったら誰?」とアメリカ人にきいたら、ネイト・シルバーと答える人が多いでしょう。昨年11月6日に 、いちやく、チョー有名人になった。日本でも、朝日新聞がそのときどきの「時の人」を紹介する欄に、「米大統領選挙で、選挙前日に90.9%の確率でオバマ再選と予測し、全50州各州の勝敗の結果を的中させた」と紹介した。ネイト・シルバーがなにかのイベントで日本を訪問していたわけでもないのに・・。 

 アメリカでは、「統計学オタクが勝利」とか大騒ぎになって、「データサイエンティスト」という言葉があっというまに世間一般にひろがった。ほとんどの(いわゆる昔ながらの)政治評論家が同点か、オバマが勝つとしても非常に接戦だと解説していて、ネイト・シルバーのデータにもとづく予測をさんざんぱらけなしていた。だが、結局、大恥をかいたのは「昔ながらの評論家」のほうだった。

 「政治世界の専門家の経験やインサイダー知識にデータサイエンスが勝った!」と、アナリティクス分野のひとたちは興奮した。ネイト・シルバーが9月に出版していた本「The Signal and the Noise(シグナルとノイズ: なぜ予測は当たらないのか?)」の売上も一晩で8倍に急上昇した。

 もっとも、すぐに、批判は出てくる。まず第一にネイト・シルバーはデータサイエンティストではない。なぜなら、彼がしたことはビッグデータとはまったく無関係だから・・・という声があがった。ビッグデータの特徴のひとつは膨大なデータ量だ。毎日24ペータバイトのデータを処理するというグーグルは、600人のデータサイエンティストをかかえる。やっぱり少なくともテラバイトかペータバイト(1000テラバイト)を取り扱わなくちゃデータサイエンティストとはいえないだろう・・・という批判だ。

 たしかに、ネイト・シルバーがつかったデータは世論調査が中心で、データセットのサイズは小さい。大きいものでも、全国調査で2万とか3万人からの回答データ。 州単位でも数千人、地方の新聞社の調査では数百人からの回答データだ。しかし、いわゆる政治評論家なるひとたちが全国規模の世論調査を中心にして結果を予測したのに対して、ネイト・シルバーは数百に及ぶありとあらゆる調査結果を集約して分析にとりいれた。

 つまり、、手に入るデータソースすべてをつかって、そこから情報を引き出すようにしたのだ(ただし、無作為抽出された人ではなくてボラティアのグループを対象にしたネット調査などは分析からはずしている。重要なことは、データソースそれぞれを使えるか使えないかきちんとチェクしていることだ)。

 できるだけバイアスの少ない信頼できるデータソースだけをつかうのが一般的常識だ。が、彼は、あえて、バイアスが多いと考えられる調査結果もつかった。たとえば、保守系でより共和党よりだとみなされる団体の調査結果もつかう。だだし、この場合、時系列で傾向をみる。一週間前に共和党候補に投票すると55%が答えていたのに、現在は52%となっているとしたら、これは、それなりに重要な情報を提供していることになる。

 世論調査だけでなく、選挙に影響を与えるような経済指標、デモグラフィックデータ、各党の登録党員数の移り変わりも分析に採用している。 そして、過去の選挙結果、過去の世論調査結果、過去の経済指標を利用して、現在のデータに重みづけをして調整したうえで、各州で誰が勝者となるか予測する回帰分析モデルをつくっている。

 ネイト・シルバーの予測手法の特徴は、小さなサイズのデータソースを集約することでサンプル数をふやし、また、データそれぞれに慎重な重みづけをして調整することで誤差を少なくしたことにある。フロリダ州の某地方新聞社の681人にインタビューした世論調査結果を分析に採用するときには、調査対象者の名前をみてヒスパニック系(スペイン語を話す中南米諸国からの移民とその子孫)が多いことからオバマよりだと判断し、それなりに、重みを調整したといわれるくらいです。

 重みをつけることで、各データの予測値への影響を高めたり低くしたり調整することができます。予測能力が高いと思われるデータには高い重みをつけます。どのデータにどれだけの重みづけをするか判断するときには、分析者の主観が入ります。分析者の経験や知識や勘とか直観とよばれるものが分析に入ってくるのです。

 ビッグデータが機械まかせの大量生産的イメージがあるとしたら、まさに手作り・・・といった感じ。

 データサイエンティストはビジネスアナリストであり、ビジネスのことがよくわかっていなくてはいけないといいます。ネイト・シルバーはシカゴ大学経済学部を卒業したあと会計事務所で働いていましたが数年でやめ、そのあと、しばらくの間、オンラインポーカーゲームで生活費を稼いでいました。ポーカーゲームで「確率についていろいろ勉強できた」とともに、40万ドル稼いだそうです。それを元手に、メジャーリーグの野球選手の成績を予測するシステムPECOTAをつくり、その後売却しています。

 お金儲けも上手そうだし、ビジネスのことがよく理解できるという点では、データサイエンティストとしての資格をそなえていそうです。

 データサイエンティストは、写真や動画、あるいはテキストといったような非構造化データを取り扱えるHadoopとかビッグデータ処理に必要な新しいテクノロジーについて熟知していなくてはいけない・・・ともいわれます。(非構造化データやHadoopについては2012年3月9日の記事を参照してください)。

 シルバーさんは、そういったテクノロジーも「おてのもの」かもしれませんが、大統領選の予測につかったのは、デスクトップのごくふつーのパソコンだそうです。また、データサイエンティストは、分析能力とか高度なモデル化に精通していなくてはいけないともいわれます。シルバーさんがつかった分析手法は、州ごとの候補者の勝敗を予測するための回帰分析と、その結果を、候補者の選挙人獲得数に変換し、勝者の勝つ確率を算出するためのモンテカルロ・シミュレーション。この2つだけのようです。

 データサイエンティストの非常に重要な資格として、データのなかからインサイトを発見できることがあげられます。そして、それを一般人にも理解できるようなわかりやすい形で説明できる、とくにビジュアル化にすぐれている・・・という能力も必要だといわれます。こういった点においては、シルバーさんの評判は高いようです。だから、アメリカのTV局も、ワイドショーに安心して呼ぶことができる。シルバーさんは数字中心の退屈な話しはしない。カラフルなグラフをつかって説明する。それが、また、一般的人気を読んだ理由のようです。

 データサイエンティストという言葉は、ビッグデータを分析することと関連して、2000年代半ばごろから使われるようにはなった。が、必ずしも、2つがいっしょでなくてはいけないわけではないようです。1月28日付の日経新聞によると、「日本はデータサイエンティストが不足していて推定で1000人もいない・・・」そうですが、そのうち何人が本当の意味でビッグデータとかかわりある仕事をしているのでしょうか? 

 データから価値ある知見を発見してビジネスの改善に貢献していると主張できる人は多いかもしれませんが・・・。どちらにしても、アメリカでも日本でも自称データサイエンティストが多いようです。

 ネイト・シルバー自身は、ビッグデータに関して、あまり楽観的な意見は述べていません。データが膨大になったからといって予測が簡単になるわけではなく、かえってむずかしくなるようなことを言っています。とくに、「ロングテール」や「フリー」といったベストセラーを書いた作家とし有名なクリス・アンダーソンが、2008年に発表した記事には批判的です。

 当時、ワイアード誌の編集長だったクリス・アンダーソンは、「ビッグデータの時代においては、われわれは、仮設をたててモデルをつくる(科学的といわれてきた)伝統的手法をもはや必要としない。機械(コンピュータ)がビッグデータのなかからパターンや傾向や関係性を(勝手に)発見してくれる」といった趣旨の発言して、多くの科学者からブーイングされました。

 ビッグデータの未来を予言する趣旨の内容ですから、4年後のいまの状況において批判をすることは、クリス・アンダーソンに不公平な気もします。アンダーソンは、グーグルのような本当の意味でビッグデータを取り扱っている数少ない企業を念頭に発言したのでしょう。

 たとえば、グーグルの機械学習による翻訳は、コンピュータに翻訳をさせようという過去40年間の試みとはまったく異なる発想から生まれたものです。コンピュータに文法を憶えさせるのではなく、原文とそれを翻訳した文章をできるだけたくさん入力して、一つの言語のある言葉や語句は、他の言語のどの言葉や語句と同じである可能性が高いと統計的に判断できるようにさせた。コンピュータは言語のことなど何も知らず、ただ、同じ言葉や語句をマッチングさせているだけなのです。

 クリス・アンダーソンは、また、グーグルにおける新しいテストのやり方を念頭において、仮設など必要ないと発言したのでしょう。従来のテストでは、たとえば、サイトの利用者はどういった背景の色ならより滞在時間が増えるかとか、どのレイアウトのほうが、あるいはどのコピーのほうがクリック数がふえるか?を知るためには、仮設をいくつかたて、その仮説が正しいかどうかテストをして、結果を検証するというステップを採用しました。この時、むろん統計的に有意な(適切な)サンプル数も計算しなくてはいけませんでした。テストをするには費用や時間がかかるので、それを少なく短くするために、仮設の数も制限されました。

 が、グーグルのように毎日の利用者数が50億人を超える場合(つまりビッグデータの場合)、サンプル数とか仮設とかを以前のように厳密に考える必要はないのです。いくつかの異なる色や異なるレイアウトのページをつくり提示する。どの色やどのレイアウトの場合、利用者の反応が良くなるかは、短時間でわかります。サンプル数なんて計算しなくても、ある程度様子をみていれば、どの色やどのレイアウトが勝者かは自然とわかります。

 しかし、グーグルやアマゾンや、日本でいえば楽天のようなサイトを抱えている企業は少数です。ペータバイトはむろんテラバイト級のビッグデータを取り扱っている企業は現実的には少ないのです。まだ、機械にまかせておけばよい・・・というレベルからは程遠いのです。

 ネイト・シルバーは、コンピュータまかせにできるという意見には反対で、「生データはモデルなしには何の役にも立たない・・・情報量が天文学的に増えれば増えるほど、探索すべき仮説の数も増える。インターネットが登場する前もその後も、世界に存在する真実に変わりはない。データ量がふえても、データの大半はノイズ(雑音)であり、そこから、シグナル(価値ある情報,この場合は真実)を見つける作業に変わりはないのです」と、新著に書いています。

 今回の大統領選挙において、いわゆる昔ながらの政治評論家は、データにもとづく分析をして予測モデルをつくるアナリストの判断に負けたわけです。業界の玄人がデータ分析者に赤っ恥をかかされたことは以前にもありました。たとえば、野球の世界。映画「マネーボール」で描かれたように、統計解析理論による選手の成績予測が、スカウトの経験にもとづく直観とか勘に勝った・・・といわれました。

 そして、それ以前、1990年には、ボルドー・ワインの質(競売価格)を予測する回帰分析予測モデルが発表されて話題になりました。数式モデルをつくったのは、データサイエンティストの先駆者と呼ばれたりもする、プリンストン大学の経済学者 オーリー・アッシェンフェルター。彼は大のワイン好きがこうじて、過去数十年の気象データとワインの競売価格との相関関係を分析してつぎのような等式を発表しました。

 ワインの質=12.145 + 0.00117 x 冬の降雨 + 0.0614 x 育成期平均気温 - 0.00386 x 収穫期降雨

 当然のことながら、その道の批評家や通人は激怒しました。ワインを数式で表すなんて、神を冒涜するに等しい!でも、この数式の予測は当たったのです。

 いまでは、ワイン業界のひとたちも、気象データにも気を配りながら、ワインの質を予測するようになっています。野球界においても、米メジャーリーグの大半のチームが、統計解析とスカウトの長年の経験にもとづく勘と、両方を利用しています。そして、シルバーネイトは著書で、気象予報においても、コンピュータと予報士の判断と両方を組み合わせたほうが、コンピュータプログラムだけのときより10%から25%も正確な予報ができると書いています。 

 クリス・アンダーソンは、ビッグデータの時代においては、相関関係だけで十分で、因果関係を知る必要はなくなると大胆な発言もしました。つまり、相関関係だけで予測はできるということです。それが事実ではあっても、因果関係を知らなくてもよいなどど考える科学者が存在するでしょうか? ビジネスの世界では、予測さえできればOKということもあるかもしれません。が、でも、人間というのは好奇心があり、それがあるから発見も発明も生まれるわけです。たとえお金にならなくても因果関係を知りたいというビジネスパーソンも多いのではないでしょうか?

 いずれにしても、データサイエンティストもビッグデータも、まだ、言葉が先行して流行している状況のようです。だいたいにおいて、データサイエンティストとかビッグデータという言葉が、数年後につかわれているかどうか? 最近のIT関連の新語は、あまり真面目に定義しないほうがよいようです。

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参考文献: 1. John Cassidy, Brooks  vs. Silver: The Limits of forecasting Elections, The New Yorker 10/24/12, 2. Thomas H. Davenport, Research Report "The Human side of Big Data and High-Performance Analytics, International Institute for Analytics, August 2012, 3. Michael cosentino, How did Nate Silver predict the US election?, The Gurdian 7/11/12, 4. Carole Cadwalladr, Nate Silver: It's the numbers, stupid, The Observer 17/11/12, 5. Bora Zickocic ,Nate Silver and the Ascendance of Expertise, Sicnetific American 14/11/12, 6. Gary Marcus and Ernest Davis, What Nate Silver Gets Wrong, The New Yorker, 1/25/13, 7. Andrew hacker, How he got it right, The New York Review of Books, 8.Chris Anderson, The End of Theory, will the data deluge makes the scientific method obsolete? , Wired 23/6/08, 9.イアン・エアーズ、「その数字が戦略をきめる」山形浩生訳、文春文庫 2010年

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2013年1月 8日 (火)

社員150人以下の企業で、競争する必要などないビジネスを生みだす

 謹賀新年

 2013年がみなさまがたにとって幸多い年になることを、心よりお祈り申し上げます。

 昨年12月にポーター賞の受賞式があり、2012年度の受賞企業と受賞理由が発表されました。

 ポーター賞というのは、競争戦略で有名なハーバード大学のマイケル・ポーター教授の名前を冠にしていることからも明らかなように、日本企業の競争力を向上させることを目的に、一橋大学大学院国際企業戦略研究科が2001年に創設したものです

 日本企業は自動車産業や家電、エレクトロニクス産業に代表されるように、80年代から90年代にかけてTQC(全体的品質管理)や継続的カイゼン活動を進め、高品質製品を低コストで提供することで世界的にも競争優位を確立しました。しかし、この方法によって競争に勝つことができなくなったことは、こういった産業における大手日本企業が韓国や台湾、中国の企業との競争に四苦八苦していることからも明らかです。(高品質といっても、あくまで企業が考える高品質です。近年、ユーザーが選択する品質と企業が考える品質とのギャップが拡大し、それも、日本企業が競争力を急速に失った原因のひとつとなっています)。

 「競争の本質は他者と違うことをすることにあり」というマイケル・ポーター教授の考えにもとづき、独自性ある戦略を実行し、その結果として、高い収益性を達成・維持している会社がポーター賞に選ばれます。

 2012年度の受賞企業には、クレディセゾン、味の素ファインテクノ、リクルートライフスタイルなど4社(あるいはその特定事業部)が選ばれました。そのなかでも、注目を集めたのが東京糸井重里事務所で、12月24日の日経新聞の「経営の視点」でも取り上げられました。「経営の視点」が注視したのは、糸井重里氏を代表とする社員48名の企業が、世界的に脚光をあびている米ITベンチャーと同じように、1)ポスト大量生産、つまり脱大量生産、脱規格品の流れにそっていること、2)ネットとリアルの融合、そして、デフレに悩む日本市場において、3)価値ありと認識されれば高価格でも売れることを証明している・・という3つの点です。

 東京糸井重里事務所がポーターが賞を受賞した理由を、「他者と違うことをする」という観点から3つにまとめてみました。、

  1. パブリッシャー(「ほぼ日刊イトイ新聞」を1998年よりオンライン発刊している出版社)であるとともにネット通販会社でもある・・・・ウェブマガジンを発刊する企業の主流の戦略は、利用者にはコンテンツを無料で提供し、広告を掲載することで収入を獲得すること。だが、この会社は広告掲載も購読料金をとることもしない。記事も商品もともにコンテンツであるという位置づけで、コンテンツから生まれたような、コンテンツがそのまま具現化されたような商品をつくりネットで販売(店舗販売している商品も有り)。2012年には年間売上28億円を達成している。(主力商品のほぼ日手帳は、2012年度版が46万部売れている)
  2. 高い利益性が継続維持されている・・・過去5年間の営業利益率は10~16%で、業界平均との差異は5年間平均で9.5%高。2011年度は12.5%高になっている。また、投下資本利益率(営業利益/平均投下資本)の業界平均との差は5年間平均で28.3%高。2011年度は33.1%高になっている。
  3. 経営思想に独自性がある

  3番目のユニークな経営思想の例として、顧客を囲い込まない方針なので、広告はしないし販売促進を目的とするメールは極力出さないとか書けば、「有名人の糸井重里が代表で毎日の訪問者が16万人いて1日平均ベージビューが100万を越すサイトなんだからできることさ」と反論する人もいることでしょう。

 しかし、客と対等な関係を築くことを目指し、自分たちが欲しいもの、自分たちが好きなものを客に「どう思う?」と提案し、商品開発理由や開発過程をすべて見せることによって、客に納得してもらったうえで(その商品にみあった適正利益を含んだ適正価格で)買ってもらう。こういったプロセスには手間も時間もかかる。が、そういった努力を惜しんだり省いたりなど一切していないことは、「ほぼ日」をときどき訪問してみれば理解できます。

 経営思想の独自性には組織運営のやり方も含まれています。社員には部署も役職もなく、仕事は自分でつくりだすことが求められている。自分の考えに同僚が賛同してくれればプロジェクトチームができあがる。また、年3回くじ引きをして席替えをする。なぜなら、「仕事の環境に飽きてくるとネガティブな気持ちが生まれやすい。だから、新しい人をいれたり引っ越しをしたりして環境を変える。席替えも、それをすることによって、いろいろな人の仕事のやり方が見られて刺激になるから」だそうです。柔軟な勤務形態を進め、公私混同を進めている・・・といった話をきけば、社長が有名人かどうかに関係なく、この会社の経営思想をもっと聞いてみたい気持ちになるはずです。

 受賞理由には入っていませんでしたが、この会社の東日本大震災の被災地への支援のやり方に、マイケル・ポーター教授はきっと興味をもったはずです。支援といっても、けっして施しをするものではなく、いっしょになって新規事業を立ち上げようとするものです。

 ポーター教授は2011年初めに、「もはや、CSR(企業の社会的責任)の時代ではない。これからは、CSV(Creating Shared Value、つまり共有価値の創造)だ」と主張しました。CSRの観点では、企業は一定レベルの社会貢献をしないと評判やイメージが悪くなるので、ある意味しかたなく寄附したりボランティア活動をしたりする。社会からの強制で仕方なく・・・といった意識がないとしても、企業がコストを負担することで対象となる社会が利益を得るというプロセスにおいては、新しい価値は生まれません。CSVでは、企業は特定社会に施しをするという発想をやめ、長期的には互いになんらかの利益を得ることを考え、プロセス全体として新たな価値が創造されることを目指します。

 東京糸井重里事務所は2011年11月に気仙沼に支店を開けました。そこで進められている新しい事業のひとつは、気仙沼発の世界ブランドとして手編みのセーターをつくることです。同じ港町であるアイルランドのアラン諸島でアランセーター(フィッシャーマンセーターともいわれます)が世界的に有名なブランドとなったように、手編みニットを気仙沼の地元産業として育てようと考えています。

 セーターのデザインと編み方の指導をする編み物作家をみつけ、オリジナル性の高い毛糸をつくってくれる京都の毛糸屋さんをみつけ、気仙沼で編み手をみつけ、そして、アラン諸島にいってセーター産業の現状をチェックし・・・2012年末には、5着のセーターが予約抽選販売されました。一着約14万7000円。始まったばかりの事業で、まだ試験段階です。が、ある程度めどがついたら、この会社はそのまま気仙沼の関係者にわたし、ほぼ日は株主として残る・・・・というのが目標だそうです。

 世界の経済危機が論じられるなか、ドイツ経済の強さが話題になります。そして、絶好調の経済を支える(ドイツの輸出産業を支える)「隠れたチャンピオン」と呼ばれる企業に注目があつまっています。特定のニッチ市場で世界のマーケットシェアの60~70%を占め営業利益率も高い中小規模の企業です(EUで中小企業という場合、従業員数は250人以下)。 

 ドイツでは、中小企業が数では企業全体の99.5%を占め、従業員全体の60%を抱えています。そのなかでも「隠れたチャンピオン」と呼ばれる企業は、個人経営がほとんど(よって強いリーダーシップを発揮できる)、価格競争にまきこまれない付加価値の高い製品をつくり、成長よりも持続性をめざし(次の世代に渡すため研究開発費用をおしまない)、忠誠心の高い有能な従業員をかかえ、借金を悪と考え(借金がないかあっても少ないので、経済危機にも耐えることができる)、慎重で思慮深い経営をするとされています。

 大半が産業材を製造販売するB2B企業です。ドイツと同じく、中小企業の数が全企業の99.7%を占め、従業員の69%を占める日本においても、ドイツを参考にして、強い中小企業をつくることが日本経済の再興に必要だといわれます。こういった主張がされる場合も、B2B企業を念頭においているようです。が、脱大量生産、脱大量販売、脱規格品という流れのなかで、消費者を対象とするB2C企業でも、独自性をもった競争に強い中小規模の企業が力を発揮するようになることが、日本の経済だけでなく一般市民の人生の向上につながることになると思います。

 なぜなら、そういった企業は、まず第一に、楽しく働ける環境を提供することができるはずです。

人類学者で進化生物学者でもあるロビン・ダンバーは、人間にとって適切なグループの規模は最大で150人くらいだといいます。中近東で発掘された最古の(紀元前8000年くらい前)村の規模はこのくらいだったとされます。150人というのは,互いに一人ひとりの顔や評判や性格、相手と自分とのつながりがわかっているくらいの規模で、グループ内のメンバーが程よく適当に接触できる最大規模だとされます。

 糸井重里氏は、自分が経営する会社を、「頑張る村。地域共同体のイメージだ」と発言しています。「いろいろな人がいて軽口をたたきつつ認め合い、大衆的な倫理を守って暮らす江戸の長屋が理想です」とも語っています。

 深層心理で有名なカール・ユングが、「幸福であるために必要な要因はなにか?」ときかれて、当然のことながら、健康とか家族や友人との良好な関係にくわえて、満足感を感じることができる仕事と答えています。日本人は、とくに、仕事を収入を得る手段とだけ考えるのではなくて、そこに人生の生きがいを見つけようとする傾向が強いといわれます。そうでなくても、一日の起きている時間の大半を職場で暮らすのです。自分がグループの一員であることを実感することができる組織規模で働くことは幸福感、満足感を頻度多く感じることにつながります。

 経済が成長してほしいことはむろんですが、わたしたちの大半が、高度成長時代のような働き方が成果をもたらすことには疑問をもっているはずです。大量生産や大量販売といったいままでと同じやり方では、新興国に勝てる保証もありません。

 大手家電メーカーがなぜ、ダイソンやルンバのような掃除機をつくることができなかったのか? 規模が邪魔をしているのです。どの企業も最初は、自分たち自身が好きで夢中になれる製品をつくったはずです。が、会社の規模がある程度になると、ターゲット顧客が好きになってくれるであろう商品をつくらなくてはいけないようになります。そして、好きな商品をつくっていたときには読む必要などなかった「ブランド戦略」の本などを読み始めます。付加売上をあげるため、余剰人員や余剰施設を利用するため、固定費をカバーするため、売上を前年対比で上げ株価が下がらないようにするために新商品を開発するようになるのです。

 競争の本質は他者とは違うことをするかもしれませんが、競争をしなくてもすむほど他者とは違っているモノをつくることは、大量生産を前提とした現在の大規模企業には無理なことかもしれません。

 不安定で不確実な世の中だからこそ、融通性があるけれども方針がぶれない規模の企業、社員が幸せ感を感じながら働ける環境を提供することができる規模の企業・・・・こういった企業がふえることが、市民の幸福感を犠牲にすることなく日本経済が持続性ある成長を達成するために大切なことではないでしょうか・・・?

 そして、NHKが毎年恒例の経済人の新年の集まりをニュースで流すときに、経団連の会長なんかじゃなくて(まことに申し訳ないですが、経団連の会長がしゃべっているのを見ると、日本には「変化」とか「革新」は望めないような気がしてきます)、日本版「隠れたチャンピオン」企業の代表者に今年の日本の展望について語ってほしいと思います。

 新年早々、のびたお雑煮のおモチよりも長い長~い文章で申し訳ございませんcoldsweats01

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参考文献: 1.「言葉、この危険なるもの ①~⑤」日経新聞2011年10月、2.「商品、改善より創造を」日経MJ 4/20/11、3.「ITの先端走る「ほぼ日」」日経新聞12/24/12、4.「理想はブータンのような会社」日経ビジネスアソシエ 7/19/11、5.「気仙沼のほぼ日①~⑫」日経ビジネスアソシエ2012年2月から2013年1月、6.Jack Ewing, German Small Businesses Reflect country's Strength, The New York Times, 8/13/12, 7.Sarah, March, Insight: The Mittelstand-One German Product that may not be exportable, The Economist, 11/14/12  

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