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2008年2月28日 (木)

シアワセ相対性理論 

 お金の額が幸福度を決めるわけではない。

 貧乏でも幸せなひとはいる・・・なーんて、道徳的な話を始めるわけではありません。幸福度は、自分がいくら稼いでいるかではなく、その金額がまわりの他人に比べて高いか低いかで決まるのだ。

  1. 友人が毎月10万円稼いでいるとして、あなたは20万円稼いでいる。
  2. 友人が毎月80万円稼いでいるとして、あなたは40万円稼いでいる。

 自分なら、どちらの状況のほうが、シアワセを感じると思いますか?

 行動経済学での実験調査によると、大半のひとが一番目の状況のほうを選択する。つまり、友人より2倍多く稼ぐほうが、たとえその金額が二番目の選択の半分でも、より満足感を感じる。つまり、絶対的金額よりも、他者より高いか低いかの相対的違いのほうが重要なわけだ。

「アイツが80万も稼いでいるのに、オレがその半分なんて許せねえ! 世の中、不公平だ!」

 人間は損得の判断をするときも、自分が他人と比べてより損をしたか、あるいはより得をしたかどうかが非常に気になる動物らしい。行動経済学の実験では、たとえ自分の取り分が下がっても相手の取り分がそれよりもっと下がるほうがウレシイかも・・・と考える「ケツの穴のちいせえヤロウ」どもの多いことが明らかにされている。

 たとえば・・・・。

 実験1: 二人の人間がそれぞれ手持ちの1万円を出し合うと、その合計額に1.5倍かけた金額が各人に戻ってくる仕組みになっている。両者ともにお金を出せば合計2万円で、各人に3万5000円戻ってくることになる。だが、相手がお金を出ししぶった場合、拠出金合計は1万円になって、各自に1万5000円しか戻らない。この場合、お金を出さなかった相手の利益は1万5000円になるが自分の利益は5000円だけ。それでも儲けがあるのだから、合理的に考えれば、相手が出そうが出すまいが、全額拠出したほうが得だ。ところが、非協力的な相手が濡れ手にアワで利得を得るかもしれない場合があることが気に入らないらしい。だから、こういった実験では、手持ちの金額全部ではなく、それより少ない金額しか出さない被験者がけっこういる。自分の利得を最大にする選択肢を選ぶという合理的な行動をとらないわけだ。

 実験2: 実験1の条件をもっと複雑にして、自分と相手の拠出する金額に応じて各人の利益がさまざまに変わる一覧表をつくる。その中で、両者が、たとえば、1万円ずつ出せば、互いの利益が最大になるのだが、自分の出し分が1万円より少ない場合、自分の利益も減るが、相手の利益は自分の利益よりもっと少なくなる・・・という仕組みにしてみる。

 実験2のような仕組みの実験を、大阪大学の西條辰義教授が日米の大学で実施してみた。米国では、被験者の90%が自己利益を最大にする選択をしたのに対して、日本では被験者の60%が自分の利益を多少は犠牲にしても相手の利益が自分のものよりもっと低くなるような金額しか出さなかった。日本人はアメリカ人に比べて「意地悪な行動」をする・・・ということだ。この実験結果は、「日本人は意地悪か」という見出しで新聞にも取り上げられて話題になった。

 (もっとも、その後、西條教授が同じような実験を日本、オランダ、スペイン、アメリカの四カ国でしたところ、各国に差はみられなかった。つまり、日本人がとくに意地悪だということは証明されなかった)。

 それでも・・・。

 「日本人は意地悪だ」というのはなんとなく日本人には納得できるものがある。日本人は自分がいまの生活レベルに満足しているかどうかではなくて、他人(自分のまわりの人間たち、つまり世間)に比べてレベルが高いか低いかで満足不満足の判断をしているところがある。

 そうでなかったら、読売新聞が英BBC放送とした共同世論調査の結果が納得できない。世界34カ国での調査で「国民の間に豊かさが十分に公平にいきわたっているとおもうか?」という質問に対して、日本では、「まったく公平でない」が33%、「あまり公平でない」をあわせると83%が不満に感じているという結果が出ている。不満を感じる割合の34カ国平均は64%。不満度No.1は韓国で日本は、イタリア、ポルトガルについで4位だという。

 これはやっぱりおかしいだろう。

 だって、ロシアの不満度が77%。プライベートジェットで日本に飛んできてスシ屋を貸し切ってたらふく食べて、そのまま帰国する大金持ちがいる国に住んでいて、不公平を感じる割合が日本より少ないなんてありえない!(スシ屋の話は作り話ではない。ちゃんと新聞記事に書かれていた)。 貴族なるものがまだ存在していて上流階級のある英国が56%。CEOの報酬が平均的労働者の350倍はあるという米国で52%だよ。

 日本など経済格差は少ないほうじゃないかぁ? 所得の不平等を示すジニ係数だってOECDの平均0.310に近いし・・。まあ、マスコミが「格差、格差」と騒いでいるから、つられて、そう思い込んでいる人が多いのかもしれない。あるいは、また、日本は平等意識の高い社会なのかもしれない。が、お金持ちをうらやんで足を引っ張る傾向も高いような気がする。だから、日本人は「意地悪行動」をする・・・と言われると、なんだか納得できる。

 でも、まあ、最初の実験にもあったように、世界中どこでも、人間は自分が友人よりもたくさん稼いでいればシアワセで、友人よりも稼ぎが低いと不公平だ!と不満を感じる勝手のよい生き物なのだ。そして、マーケティングにおいては、これは重要なポイントだ。

 80年代にデータベース・マーケティング、90年代にCRMが日本に入ってきたとき、どちらも(って、DBMもCRMも言葉が違うだけで内容的には同じだけど)日本企業は効果的に採用することができなかった。なぜなら、お客を差別できないからだ。DBMやCRMの基本的活動は、簡単に言ってしまえば、顧客をセグメンテーションして、そのセグメントごとに異なるマーケティング活動をすることで、それは、多くの場合、利益への貢献度の高い客にはより良いサービスや条件を提供することでもある。だが、日本企業はお客様はみな平等に取り扱うことに慣れてきており、サービスやその他の条件で差別することを躊躇したし、いまでも、その傾向が強い。

 アメリカでは80年代に、某銀行が預金残高が低い客はコストの高い人間を使わないで(つまり、窓口取引をしないで)、ATMだけを使うようにしてください・・・と宣言した。これは、いくらなんでも社会問題になって、すぐに撤回した。・・・といっても、顧客を差別するのを止めたわけではない。もっと洗練された方法を採用して、金利や手数料で差別して、高い手数料を払いたくないなら預金残高の低い客はATMを使え・・・というわけだ。日本の銀行もその手法を採用しているが、数百円の手数料が無料になったり、少しの金利の違いくらいでは、優良顧客を他行から奪い取ることはできない(だいたい、どこでも、同じ位の条件だし・・・)。

 明らかに大きく違う差別をしないのなら、顧客セグメンテーションなどしても無意味なのだ。

 欧米の金融サービス企業はダイレクトメールという媒体を非常によく利用する。2006年に、銀行のチェースは17億通、シティバンクは1億通のDMを出している。このうちの多くはクレジットカードの新規会員募集のDMだが、既存客に出すDMの数も半端じゃない。その理由のひとつに、ダイレクトメールが「内緒話ができる媒体」だからということもある。優良顧客を獲得して維持するためには、取引条件やサービスにおいて、他の顧客に比べて明らかに大きな差別をしなければいけない。だが、それがオープンになっては他の顧客の手前、問題がある。それで、一対一のコミュニケーションができるクローズドな「秘密が守れる媒体」であるDMを通して伝達するのだ。

 ところで、公平さを重要視するのは人間特有の感覚らしい。

 人間での実験: 米プリンストン大学での実験。10ドル渡されたAがBに分け前を与えなくてはいけないという設定において、いくらだったら受け取るかとBに尋ねる。損得だけを考えるなら、1ドルでももらえるものなら受け取ったほうが得だ。だが、分け前が3ドル以下だと「フェア(fair、公平)」でないとして拒否する人が多くなる。(fMRIを使って脳内の様子を見ると、拒否するときには、島皮質という痛みなど不快な感情を感じるときに活性化する部位が活性化することがわかっている)。

 チンパンジーでの実験: ドイツでの実験。10粒のレーズンを二つの皿に不平等に分ける。一頭のチンパンジーが先にどの皿にするか選べるが、もう一頭のチンパンジーの協力がなければ二つの皿を引き寄せられないようになっている。残った皿を取ることになるチンパンジーは取り分が0、つまり、残った皿にレーズンが入っていない場合には4割しか協力しない。だが、2粒でものっていれば、約9割が協力する。「2粒でも無いよりはまし」と、公平さよりも実利を取ったことになる。

 公平さ(fair)に対する感覚が、人間の社会を他の動物社会と異なるものにしているといえる。だが、その公平感覚はまったくフェアではない。だって、一番最初の実験でもわかるように、自分が他人に比べて不公平に扱われたと感じるときだけ嫌な気分を感じ、自分のほうが他人より優遇されたときは嬉しく感じるのだから・・・。

 ブランド(高級ブランドやファッション性の高いブランド)を創造するには、人間のこういった身勝手な公平感覚を利用することが重要だし、サービス業はこういった感覚を利用することで優良顧客セグメントを構築できる。

 不可解な消費者行動シリーズは今回で終了します。次回からは「小売とメーカーとの戦いシリーズ」を始めます・・・・。飽きずに読みつづけていただければシアワセです。

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参考文献:1.西條辰義「経済行動と感情」朝日新聞10/27/06 & 10/23/06、2.「損得勘定って意外と感情的」朝日新聞 9/14/07、3.経済格差に不満、読売新聞 2/8/08、4.Michael Shermer, Why People Believe Weird Things About Money, Los Angels Times 1/13/08

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コメント

DBMとCRMが基本的には同じ、と書かれていますが、DBMは、データを積極的に使う、という印象があるのですが、どうでしょうか。DBMの行き着いた先が、「その数学が戦略を決める」で議論されているような、データに頼ったマーケティングだと理解しています。このような理解はいかがでしょうか?

ちなみに、金融業界のDBM、CRMをもう少し詳しく聞きたいです。

 80年代に登場したDBMは、「データに基づいて顧客ひとり一人にパーソナルにアプローチすることによって、ロイヤルティを高め、結果、顧客の生涯価値を高める」と定義されました。CRMの定義は、定義するひとが、コールセンター運営者か、CRMに必要なハードやソフト販売業者か、あるいはコンサルタントかによって、強調点が異なりますが、顧客ひとり一人にパーソナルにアプローチするということと顧客の生涯価値を高めるという点では同じだと思います。
 歴史的流れをみると、80年代にDBMが登場し、当時、米銀行はこのDBMを採用して、これを、Customer Relationship Marketingと呼んでいました。そして、預金金額が多い顧客セグメントには個別の担当銀行員を付け、中間セグメントはDM、預金金額の少ないセグメントには電話でアプローチというような戦略をとっていたのですが、90年代になってABC管理(Activity Based Costing 活動基準原価計算)を採用するようになって、顧客ひとり一人の利益が計算できるようになりました。その結果、たとえば、預金金額が少なくともATMを使って取引する顧客の利益性は、預金金額が多くとも窓口での取引を好む客よりも高いことがあるという事実がわかってきたのです。
 それで、それまでの大雑把なDBMにROIの要素をいれて、顧客ごと、チャネルごと、商品ごとに分析をして利益を最大限にするCustomer Relationship Marketingを実現ようとし、そのために必要なパッケージソフトやシステムが登場し、これが、CRM(Customer Relationship Management)となった・・・・と私は思っています。
 しがたって、CRMの本来の定義は、「顧客との関係性の強化を目的として、各顧客に、最適な商品・サービスを、最適なオファーで最適なタイミングで最適なチャネルで提供するプロセスをデータ分析で自動化しようとするもの」です。
 しかし、顧客へのパーソナルなサービスや顧客の生涯価値向上の考えかたが、ホテルとかデパート、その他のサービス業でも強調されるようになり、こういった活動も、CRMと呼ばれるようになった。たしかに、こういった対面コミュニケーションにおいても個人データを使うし、最終的には従業員という媒体のコストも考慮して、サービス提供ごとのROIを計算できるようにしていかなくてはいけない。また、各顧客ごとの利益も考慮したうで、サービス内容も変えなくてはいけない。だが、まだ、そこまで実現されている例は非常に少なく、よって、こういったサービス業におけるCRMはmanagementでなくmarketingと呼んだほうが、今の段階では、適切のような気がします。

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