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2008年2月28日 (木)

シアワセ相対性理論 

 お金の額が幸福度を決めるわけではない。

 貧乏でも幸せなひとはいる・・・なーんて、道徳的な話を始めるわけではありません。幸福度は、自分がいくら稼いでいるかではなく、その金額がまわりの他人に比べて高いか低いかで決まるのだ。

  1. 友人が毎月10万円稼いでいるとして、あなたは20万円稼いでいる。
  2. 友人が毎月80万円稼いでいるとして、あなたは40万円稼いでいる。

 自分なら、どちらの状況のほうが、シアワセを感じると思いますか?

 行動経済学での実験調査によると、大半のひとが一番目の状況のほうを選択する。つまり、友人より2倍多く稼ぐほうが、たとえその金額が二番目の選択の半分でも、より満足感を感じる。つまり、絶対的金額よりも、他者より高いか低いかの相対的違いのほうが重要なわけだ。

「アイツが80万も稼いでいるのに、オレがその半分なんて許せねえ! 世の中、不公平だ!」

 人間は損得の判断をするときも、自分が他人と比べてより損をしたか、あるいはより得をしたかどうかが非常に気になる動物らしい。行動経済学の実験では、たとえ自分の取り分が下がっても相手の取り分がそれよりもっと下がるほうがウレシイかも・・・と考える「ケツの穴のちいせえヤロウ」どもの多いことが明らかにされている。

 たとえば・・・・。

 実験1: 二人の人間がそれぞれ手持ちの1万円を出し合うと、その合計額に1.5倍かけた金額が各人に戻ってくる仕組みになっている。両者ともにお金を出せば合計2万円で、各人に3万5000円戻ってくることになる。だが、相手がお金を出ししぶった場合、拠出金合計は1万円になって、各自に1万5000円しか戻らない。この場合、お金を出さなかった相手の利益は1万5000円になるが自分の利益は5000円だけ。それでも儲けがあるのだから、合理的に考えれば、相手が出そうが出すまいが、全額拠出したほうが得だ。ところが、非協力的な相手が濡れ手にアワで利得を得るかもしれない場合があることが気に入らないらしい。だから、こういった実験では、手持ちの金額全部ではなく、それより少ない金額しか出さない被験者がけっこういる。自分の利得を最大にする選択肢を選ぶという合理的な行動をとらないわけだ。

 実験2: 実験1の条件をもっと複雑にして、自分と相手の拠出する金額に応じて各人の利益がさまざまに変わる一覧表をつくる。その中で、両者が、たとえば、1万円ずつ出せば、互いの利益が最大になるのだが、自分の出し分が1万円より少ない場合、自分の利益も減るが、相手の利益は自分の利益よりもっと少なくなる・・・という仕組みにしてみる。

 実験2のような仕組みの実験を、大阪大学の西條辰義教授が日米の大学で実施してみた。米国では、被験者の90%が自己利益を最大にする選択をしたのに対して、日本では被験者の60%が自分の利益を多少は犠牲にしても相手の利益が自分のものよりもっと低くなるような金額しか出さなかった。日本人はアメリカ人に比べて「意地悪な行動」をする・・・ということだ。この実験結果は、「日本人は意地悪か」という見出しで新聞にも取り上げられて話題になった。

 (もっとも、その後、西條教授が同じような実験を日本、オランダ、スペイン、アメリカの四カ国でしたところ、各国に差はみられなかった。つまり、日本人がとくに意地悪だということは証明されなかった)。

 それでも・・・。

 「日本人は意地悪だ」というのはなんとなく日本人には納得できるものがある。日本人は自分がいまの生活レベルに満足しているかどうかではなくて、他人(自分のまわりの人間たち、つまり世間)に比べてレベルが高いか低いかで満足不満足の判断をしているところがある。

 そうでなかったら、読売新聞が英BBC放送とした共同世論調査の結果が納得できない。世界34カ国での調査で「国民の間に豊かさが十分に公平にいきわたっているとおもうか?」という質問に対して、日本では、「まったく公平でない」が33%、「あまり公平でない」をあわせると83%が不満に感じているという結果が出ている。不満を感じる割合の34カ国平均は64%。不満度No.1は韓国で日本は、イタリア、ポルトガルについで4位だという。

 これはやっぱりおかしいだろう。

 だって、ロシアの不満度が77%。プライベートジェットで日本に飛んできてスシ屋を貸し切ってたらふく食べて、そのまま帰国する大金持ちがいる国に住んでいて、不公平を感じる割合が日本より少ないなんてありえない!(スシ屋の話は作り話ではない。ちゃんと新聞記事に書かれていた)。 貴族なるものがまだ存在していて上流階級のある英国が56%。CEOの報酬が平均的労働者の350倍はあるという米国で52%だよ。

 日本など経済格差は少ないほうじゃないかぁ? 所得の不平等を示すジニ係数だってOECDの平均0.310に近いし・・。まあ、マスコミが「格差、格差」と騒いでいるから、つられて、そう思い込んでいる人が多いのかもしれない。あるいは、また、日本は平等意識の高い社会なのかもしれない。が、お金持ちをうらやんで足を引っ張る傾向も高いような気がする。だから、日本人は「意地悪行動」をする・・・と言われると、なんだか納得できる。

 でも、まあ、最初の実験にもあったように、世界中どこでも、人間は自分が友人よりもたくさん稼いでいればシアワセで、友人よりも稼ぎが低いと不公平だ!と不満を感じる勝手のよい生き物なのだ。そして、マーケティングにおいては、これは重要なポイントだ。

 80年代にデータベース・マーケティング、90年代にCRMが日本に入ってきたとき、どちらも(って、DBMもCRMも言葉が違うだけで内容的には同じだけど)日本企業は効果的に採用することができなかった。なぜなら、お客を差別できないからだ。DBMやCRMの基本的活動は、簡単に言ってしまえば、顧客をセグメンテーションして、そのセグメントごとに異なるマーケティング活動をすることで、それは、多くの場合、利益への貢献度の高い客にはより良いサービスや条件を提供することでもある。だが、日本企業はお客様はみな平等に取り扱うことに慣れてきており、サービスやその他の条件で差別することを躊躇したし、いまでも、その傾向が強い。

 アメリカでは80年代に、某銀行が預金残高が低い客はコストの高い人間を使わないで(つまり、窓口取引をしないで)、ATMだけを使うようにしてください・・・と宣言した。これは、いくらなんでも社会問題になって、すぐに撤回した。・・・といっても、顧客を差別するのを止めたわけではない。もっと洗練された方法を採用して、金利や手数料で差別して、高い手数料を払いたくないなら預金残高の低い客はATMを使え・・・というわけだ。日本の銀行もその手法を採用しているが、数百円の手数料が無料になったり、少しの金利の違いくらいでは、優良顧客を他行から奪い取ることはできない(だいたい、どこでも、同じ位の条件だし・・・)。

 明らかに大きく違う差別をしないのなら、顧客セグメンテーションなどしても無意味なのだ。

 欧米の金融サービス企業はダイレクトメールという媒体を非常によく利用する。2006年に、銀行のチェースは17億通、シティバンクは1億通のDMを出している。このうちの多くはクレジットカードの新規会員募集のDMだが、既存客に出すDMの数も半端じゃない。その理由のひとつに、ダイレクトメールが「内緒話ができる媒体」だからということもある。優良顧客を獲得して維持するためには、取引条件やサービスにおいて、他の顧客に比べて明らかに大きな差別をしなければいけない。だが、それがオープンになっては他の顧客の手前、問題がある。それで、一対一のコミュニケーションができるクローズドな「秘密が守れる媒体」であるDMを通して伝達するのだ。

 ところで、公平さを重要視するのは人間特有の感覚らしい。

 人間での実験: 米プリンストン大学での実験。10ドル渡されたAがBに分け前を与えなくてはいけないという設定において、いくらだったら受け取るかとBに尋ねる。損得だけを考えるなら、1ドルでももらえるものなら受け取ったほうが得だ。だが、分け前が3ドル以下だと「フェア(fair、公平)」でないとして拒否する人が多くなる。(fMRIを使って脳内の様子を見ると、拒否するときには、島皮質という痛みなど不快な感情を感じるときに活性化する部位が活性化することがわかっている)。

 チンパンジーでの実験: ドイツでの実験。10粒のレーズンを二つの皿に不平等に分ける。一頭のチンパンジーが先にどの皿にするか選べるが、もう一頭のチンパンジーの協力がなければ二つの皿を引き寄せられないようになっている。残った皿を取ることになるチンパンジーは取り分が0、つまり、残った皿にレーズンが入っていない場合には4割しか協力しない。だが、2粒でものっていれば、約9割が協力する。「2粒でも無いよりはまし」と、公平さよりも実利を取ったことになる。

 公平さ(fair)に対する感覚が、人間の社会を他の動物社会と異なるものにしているといえる。だが、その公平感覚はまったくフェアではない。だって、一番最初の実験でもわかるように、自分が他人に比べて不公平に扱われたと感じるときだけ嫌な気分を感じ、自分のほうが他人より優遇されたときは嬉しく感じるのだから・・・。

 ブランド(高級ブランドやファッション性の高いブランド)を創造するには、人間のこういった身勝手な公平感覚を利用することが重要だし、サービス業はこういった感覚を利用することで優良顧客セグメントを構築できる。

 不可解な消費者行動シリーズは今回で終了します。次回からは「小売とメーカーとの戦いシリーズ」を始めます・・・・。飽きずに読みつづけていただければシアワセです。

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参考文献:1.西條辰義「経済行動と感情」朝日新聞10/27/06 & 10/23/06、2.「損得勘定って意外と感情的」朝日新聞 9/14/07、3.経済格差に不満、読売新聞 2/8/08、4.Michael Shermer, Why People Believe Weird Things About Money, Los Angels Times 1/13/08

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2008年2月16日 (土)

コカコーラ・ゼロとグローバルリサーチ

 アメリカで2005年に発売されたコカコーラ・ゼロは、米コカコーラ本社にとって、実に23年ぶりのヒット商品となった。1982年にダイエットコーラを出してから、1)ライムコークとかバニラコークを発売してもヒットせず、2)非炭酸飲料メーカーの買収交渉でモタモタしているうちに、ライバルのペプシコ(PepsiCo)に先に買われてしまった。先進国市場では炭酸飲料の売上が落ちてきているにもかかわらず、コカコーラ社の利益の85%は炭酸飲料からきており、2004年の株価はピークだった1998年の半分にまで落ち込んでいた。

 コカコーラが販売している飲料が、世界200カ国において、毎日140億回、人類のノドをうるおしているとはいっても、企業の将来的成長に期待が持てないから株価が落ちる。いくらコカコーラが高齢だといっても(2006年には生誕120歳)、取締役会の平均年齢が68歳は高すぎる。だって、ペプシコの役員の平均年齢は59歳だ。コークの役員たちは年寄りで革新的な戦略がとれなくなっている・・・と、ウォールストリートの投資家たちは批判し始めていた。

 だが、2004年にネビル・イズデルがCEOになり、老舗企業の変革に着手する。マーケティングと新商品開発に4億ドルの予算を追加し、非炭酸飲料ビタミンウォーターの大型買収を進め、アジア市場の最高責任者を本社に呼び戻してCMO(Chief Marketing Officer)とし、そして、コカコーラ・ゼロという新商品がグローバル市場でヒットした。

 イズデル新CEOが2005年にマーケティングのトップに任命したメアリー・ミニックの前職はアジア市場全体における最高責任者。それ以前には、日本市場のトップだった。彼女は、2000年に日本コカコーラの社長に就任し、非炭酸飲料からの利益が大半を占める日本市場において、缶コーヒー、お茶、ビタミン飲料の開発や販売についての経験を積んでいる。

 非炭酸飲料を強化したいコカコーラには最適の人材ではないか?

 2006年ころからよく耳にするようになったコークの新しいリサーチ手法CBLは、どうやら、彼女が推進したものらしい。この手法については、日本でも日経情報ストラテジーとか日経MJで紹介されたから、読んだひともいるだろう。一応、記事の要約を紹介します。

 CBLという名前自体にはたいした意味はありません。Consumer Bevarage Landscapeの略で、清涼飲料水消費市場状況みたいな感じです。で、CBLリサーチとは・・・

  1. 年数回、数千人規模での調査(日本ではネット調査)。調査対象者には一週間、毎日24時間あたりに飲んだ飲料すべてを記入してもらう。各飲料の飲用場所、購入場所、購入動機、飲用時の気分など約100項目の質問にも答えてもらう。
  2. こういったデータを、飲用動機データやそのときの感情などを基本として、消費者の19の基本的欲求(ニーズ)に分類して、製品ポジショニングのときに使うような知覚マップを作成する。
  3. 飲用量も聞いているでの、各ニーズごとの数量ベースの市場規模、ついで、店頭の平均価格を使って各ニーズごとの金額ベースの市場規模が計算できる。また、各ニーズと年齢、性別、飲用時間、購入場所といったデータとを組み合わせることによって、さまざまな情報を加工することができる。

 19の基本的欲求(ニーズ)として、「名誉を手にいれたい」「元気でいたい」「安心したい」とかいった例が挙げられているので、マズローの理論に似た・・・というか人間の行動を動機づける欲求を5つに分けたマズロー理論の現代版のような枠ぐみを使っていると考えられる。

 マズローは、人間は5つの基本的ニーズを持っており、満たされないニーズを充足させようとすることが行動を起こす動機となる・・・として、生理的欲求、安全への欲求、帰属への欲求、自我の欲求、自己実現への欲求という5つのニーズをあげた。そういった動機付け要因をコークの場合19としたわけだ。で、飲用動機には、たとえば、「気分を一新させるため」とか「栄養補給のため」とか「肌をきれいにしたい」とかいろいろあるが、それを、マップ上で、19の基本的ニーズ(欲求)に分類する。これが「ニード・ステート・マップ(Need State Map)」だ。

 アメリカでは、3600人に日記をつけてもらいニード・ステート・マップをつくったところ、マップ上に4万件もの異なる場があることが判明したという。このうち、市場規模が大きいと判明した場を充足する商品がなければ、新商品として開発することになる。

 マッピング作成の基本となる考え方自体は、目新しいものではない。だが、世界20カ国で6万人の消費者による50万回の消費経験から作成されたニードステートマップは、水からヨーグルトドリンクやビールまですべての飲料水が24時間という時間枠のなかで、なぜ消費されるか? その機能的あるいは感情的理由を明らかにしてくれる・・・・といわれると素直に感心してしまう。世界各国に共通するのは19のうち10のニーズだそうだ。この10のニーズを満たす商品はグローバル商品になれる可能性有。

 ミニックCMOは、世界の200市場を代表するマーケターが集まった2006年の会議において、「清涼飲料水(この場合、水やアルコールも含む)を既存のカテゴリーで考えるのではなく、基本に戻って、そもそも、消費者はなぜ清涼飲料水を飲むのか?と考えることから始めましょう」と促している。消費者の基本的欲求それぞれを満たす飲み物を創造することは、既存のものとは異なるまったく新しいカテゴリーを発明することにつながるかもしれない。「たとえば、顔につける美容クリームと同じような効果を提供するビタミンや栄養素を含んだ飲み物をつくることもできます」・・・と語ったそうだ。もしかして、日本で開発されロングセラーを続けている爽健美茶のことなんかを念頭に言ったのかも・・・。いずれにしても、コークというトレードマークがついた商品で、すべてのニード・ステートを充足する。すべてのニーズにこたえることによって、コークのブランドロイヤルティを維持することができる・・・と熱弁をふるったという。

 ということで、長い回り道をしましたが、コカコーラ・ゼロに話を戻します

 コカコーラ・ゼロは2005年、ミミックが本社に戻る数ヶ月前に米国内で発売されている。そのせいかどうか、ゼロが発売されたときには、マーケティング戦略は明確とはいえないものだった。

 まず第一に、当時は、ダイエットコーラとの差別化が明確でなかった。米本社の発表では、ダイエットコーラは女性がメインターゲット。コカコーラゼロは、味は通常のコーラとまったく同じでいてカロリーはゼロ。だから、ダイエットコーラを好まない24・5歳の若者向け・・・という設定だった。つまり、ダイエットなんてクールじゃないと感じる若者向けのダイエットコーラというポジショニングだったのだ。しかし、味は通常のコーラと同じということは余り強調しなかったし、ロゴのデザインも、ダイエットコーラと同じ白基調だった。だから、発売当時は、ダイエットコーラとどこが違うの? 差別化されてないから共食いするのでは? という批判も多く、売上も発売直後はよかったがその後は停滞気味だった。

 こういった不明瞭な戦略がピシッと明確になったのは、コカコーラゼロが2006年に英国やオーストラリアで発売されたときからだ。ターゲットは男性だということを明確にするために、ボトルも黒を基調としたデザインに変えた。そして、ダイエットという言葉は女々しいイメージがあると嫌う男たちにアピールするためにカロリーゼロではなく「糖質ゼロ」に変えた。だけど、味はフツーのコークとまったく同じだよ・・・と、味についても強調宣伝された。

 英国やオーストラリアでの大ヒットを受けて、アメリカ市場においても、「男の(ダイエット)コーラ」として、ロゴも白から黒に変え、女性向けのダイエットコーラとは明確に異なるポジショニングがなされた。結果、アメリカにおけるコカコーラゼロの2007年第三四半期までの売上は2006年度にくらべて34%も上がった。

 ここからは、私の個人的推測です。

 アメリカにおけるゼロのポジショニングの明確化は、CBLリサーチの結果かもしれない。アメリカで2005年にゼロ発売後、調査して、マッピングしてみたら、ダイエットコーラとの棲み分けがきちんとできていないことに気がついた。あるいは、ダイエット志向はあるけどダイエットコーラを飲むのはいやだという男性セグメントがけっこういることに気がついた。それで、パッケージを黒基調に変え、宣伝コピーもカロリーゼロから糖質ゼロにした。

 もし、この推測が正しければ、メアリー・ミミックCMOは、世界的に好評な「Coke side of Life (コークのきいた人生を)」キャンペーンや、コーヒー飲料Coke Blakを開発しただけじゃなくて、コカコーラ・ゼロのヒットにも貢献したことになる。

 しかしながら、メアリー・ミニックはもうコカコーラにはいない。一時はコカコーラの次期CEOとも評されたミニックは、社内の権力闘争に負けて、2007年の4月にコーラを去っている。・・・ということは、CBLリサーチ手法も、積極的に利用を促すひとがいなくなって、もしかして、消えてしまうかも・・・? 

 ところで、コカコーラゼロは日本では2007年に発売されたけど、あのちょんまげのCMはいまいちねえ。福山雅治のペプシネックスのCMのほうが、男のダイエットコーラってポジショニングがずっと明確だったような気がする。

 あっ、そうでしたね。スミマセン。私はどちらのCMのターゲットでもありませんでした。肝心なのは、男性が「オレらのコーラだ」と思うかどうかですものね。私は、たんに、「福山クン、かっこいいheart01」と思っただけのことでした。しかも、炭酸飲料は過去ウン十年、クチにしたことありません。まったくターゲットからはずれまくった人間の言うことですから、徹底的に無視してください・・・。

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参考文献:1.「コカコーラ消費者調査に新手法」日経MJ3/23/07、2.「事例に見る競走戦略賢く戦い優位に立つ」日経情報ストラテジー、2007年12月、3,Soft Drink Hard Sell, The Observer, 7/9/06, 4.Andrew Martin, Coke Struggles to Keep Up With Nimble Rivals, The New York Times, 5.Dean Foust, Queen of Pop,  Business Week, 8/7/06, 6.Renuka Rayasam, The Puase That Refreshes,U.S. News 5/20/07, 7. Theresa Howard, Coke Finally Scores Another Winner,USA Today, 10/28/07 8.Isdell Discusses Leadership and Transformation at CIES Summit, The Coca Cola Company, 6/30/06

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2008年2月 7日 (木)

クチコミ・マーケティング

 消費者がまわりの人間の言動をまねたり、まわりで流行っているモノを買ったりする行動は、不可解でもなんでもない。シリーズ第6回でも書いたように、人間は周囲の人間に同調することで進化し文明を築いてきた「協力種」なのだ。自分を含めて3人のグループのなかで、自分以外の2人がイエスといったら自分の意見とか考えとかにかかわりなく(というか自分の意見そのものが無意識のうちに)イエスになってしまう動物なのだ。

 「自分で選べないランキング症候群」という見出しで、@コスメのサイトで上位にランキングされている化粧品を購買する消費者行動についての記事があった。そんなこと、いまに始まったことではない。化粧品どころか夕食に何を食べるか、自分一人では決められない人間は昔からたくさんいた。だから、不可解なのは、クチコミ・マーケティングのことを過大にとりあげるビジネス雑誌や新聞のほうだ。きっと、他に書くことがないのだろう。 新しモノ好きだし・・・。

 クチコミだって昔からあったわけだが、そのクチコミに威力があるのは次の3つの理由にある。

  1. 信頼性・・・実際に購買し消費経験したヒトからの情報。企業と利害関係のない人間からの情報。しかも、情報は細部におよび購買後の企業の対応、つまりアフターサービスまで含まれている。
  2. パーソナル化されたコミュニケーションだから説得力がある・・・たとえば、音の静かな洗濯機だとして、生まれたばかりの赤ちゃんがいる友人には「眠っている赤ちゃんを起こさないわよ」。共稼ぎの友人には「深夜にお洗濯してもOKよ」と相手の事情や性格にあわせて関連性の高い利便を強調するから、説得力がある。
  3. 信頼性が高い情報だから、意思決定が早くできる。よって、すばやく広がる。

 この3点を考えるだけで、プロやセミプロのブロガーを利用してのネットコミは情報到達数は多くても、実際の効果は低いであろうことが予測できる。実際の効果とは、情報を受け取り、その情報に影響されて、商品を購買するという行動を起こすことだ。でも、実際の効果は低くたっていいのだ。だって、結局のところ、威力の少なくなってきているマス媒体の代わり・・・というか補足として使っているのだから、マス媒体と同じように到達数が多ければ、それはそれなりにOKなのだ。

 ブロガー10万人を会員としてかかえるサービス会社が、クライエントの情報を会員に流し、各会員のブログを読む読者が10人として100万人、その読者のメル友が一人あたり10人として、合計1000万人にいきわたります! 

 それでいいのだ。経費と比較した到達数を考えれば、「お安い買い物」なのだ。

 アメリカでは、2010年にはTV広告の威力は1990年の35%になるだろうと、マッキンゼーは予測している。理由は、TiVoに代表されるコマーシャル飛ばしのDVRの普及率が39%に到達すると予測されているからだ。だから、米企業はブログ、SNS、ビデオゲームや映画の中で商品を登場させるプロダクト・プレイスメント、ゲリラマーケティングとか・・・、ありとあらゆる可能性を試している。よって、クチコミも質じゃなくて量。到達数だけでもOKなのだ(だって、マス媒体の効果測定って、もともと部数とか視聴者数とか到達数が基準なのだもの)。

 だが、こういった新しいメディアではTVという「量的にド威力」のあったメディアの失われた力を補うことができていない。よって、ネットによるクチコミ・マーケティングがこれだけ騒がれているにもかかわらず、米メーカーが新しいメディアに使っている広告費用の割合は、三分の一の企業で10%以下、二分の一の企業で10~20%以下。

 あいかわらず、やっぱり、マス媒体頼みなのだ。

 女性かそれとも黒人かで大熱戦の大統領選だって、たしかにブログや検索サイトへのネット広告費の総額は2004年の選挙の数倍で1000万~3000万ドルに上ると予測されている。でも、TV広告費はもっとスゴイ。2004年の1.5倍で8億ドルに膨らむと予測されている(朝日新聞10/31/07)

 8億ドル!  917億円だぜ!

 TVは「腐ってもタイ」。やっぱりメディアの王様なんだ。

 そして、日本のTVはまだ腐ってもいない。NHKの調べでは2005年のテレビ視聴時間は平日3時間27分で1980年に比べて10分増えているくらいだ。チャネル数だって少ないから、アメリカのようにコマーシャル飛ばしのDVRの普及をまだ心配しなくてもいいし・・・。って、私がTV好き人間だからTVの味方をしているわけじゃないけど。

 アメリカでは、ネットを使ってのクチコミマーケティングに関して、2007年にちょっとした論争が起こっている。

 ネット上のクチコミを利用して何かを流行らせようとするなら、最初に、まず、「影響者」を見つけることだ・・・と、日本でもベストセラーになった本「ティッピング・ポイント(飛鳥新社)」の作者マルコム・グラッドウェルは書いている。多くの人間に影響力をもつ「影響者 (Influentials)」の力を借りれば、低い投資で「クチコミ」は拡散できる。だから、カリスマブロガーに商品を無料で配布したり、イベントに招待したりして、記事を書いてもらう。(アメリカでは、こういったネット上での影響者をターゲットとしたクチコミキャンペーンに年間10億ドル使われているという)。

 ところが、こういったクチコミ伝播の方法に、「流行を起こすには無意味だね」と反論した有名人がいる。これまた、日本でもベストセラーになった「スモールワールド・ネットワーク(阪急コミュニケーションズ)」を書いたネットワーク理論の第一人者であるダンカン・ワッツだ。 

 ダンカン・ワッツはコロンビア大学からサバティカル(研究休暇)をとって、いま、Yahooの研究所に在職しているのだが、過去数年、「影響者」理論が間違っていることを証明するための実験をしている。たとえば、エージェントベースシステムで、1万人のエージェントから成るヴァーチャル社会のシミュレーション・モデルをつくる。一万人の社会構成員エージェントの10%を他のエージェントと最多のコネクションがある影響者と設定する。彼らは平均的エージェントに比べて4倍も多くのエージェントに影響を与えることができる。そして、無差別に1人のエージェントをトレンドセッター(流行や新商品を最初にその社会に紹介した人)として選択し、そのトレンドが広がる様子を観察する。連続して数千回実験してみた。そのうち、数百回、「流行」が発生したが、そのほとんどが、平均的エージェントから始まったものだった。影響者のコネクションを4倍でなく10倍にして、つまり、平均よりも40倍も多くの人間に影響を与えることができるモデルで実験した場合においても、流行が発生する率は、最初の1人が影響者かあるいは一般人かということでの違いは見られなかった。

 ワッツは、流行が広がるかどうかは、その商品とかアイデアを社会に紹介した最初の人間がどれだけ説得力ある人間かどうかではなく、他の社会構成員がどれだけたやすく説得されやすい人間かどうかにかかっているからだと説明する。実際、一般エージェントの「まわりから影響を受けやすい確率」を低くしたモデルでは、流行が発生する率は急騰した。つまり、新商品やアイデアが成功するかどうかは、一般大衆のそのときのムードにかかっているのだ。(たとえば、英国のダイアナ妃葬儀のときの英国民の熱狂は、当時の社会に閉塞感が漂っていて鬱憤していたストレスがいちどきに発散されたためだと説明される)。

 ネットワーク理論やその親戚の複雑系科学においては、流行とかバブルとかいったものは偶然の産物だ・・・と結論づけられる。ワッツが好んで使う例えは「森林火災」。アメリカでは、年間数千件の森林火災が発生する。だが、大火災に至るのはそのうちのわずか数件だ。よく茂った熟成林で、少雨で森が乾燥していて、そのうえ近くにある消防署は装備不十分・・・こういった条件が全部そろっていないと大火災にはいたらない。最初の原因がタバコの火か、焚き火か、あるいは自然発火か?・・・ということは、「そんなの関係ねえ」のだ。

 ワッツの考えには反論もある。たとえば、過去30年に及ぶ追跡調査でアメリカ人の10%は「影響者」であると結論づけたリサーチ会社がある。その10%のアメリカ人は、平均的アメリカ人より5倍も頻度多く他人にアドバイスを提供している。そして、コンピューター、ケータイ、インターネットを誰よりも早く使い始めている・・・・と大反論している。 

 ワッツは、「影響者」に働きかけることが新商品の販促に効果がないと言ってるわけではない。それが社会的流行を生み出すことにつながる確率は非常に低いと主張しているだけだ。ワッツの意見を受け入れにくいのは、それが、マーケティング関係者の本能に反するからだというひとたちもいる。

  1. 「影響者」がいるという考え方は常識的に理解しやすい。マーケティングの教科書にはイノベーションの普及過程を示した「採用曲線」が必ず紹介される。一番最初に採用するイノベーター、次いで初期採用者、それに続く追随者。それぞれ社会のX%を占める・・・っていう理論、覚えてますか? 影響者の考え方は、60年代に発表されて以来マーケティングの常識となっているイノベーション普及理論にぴったり当てはまる。だから、すんなり受け入れやすいだけだ。
  2. マーケティング関係者は、流行の発生に関して、自分たちは無力であるという考え方を受け入れることは到底できない。自分たちが何かすれば流行は起こせる!と思いたいのだ。

 ワッツだって、流行を発生させる・・とまでいかなくても、もっと、効果的なクチコミの拡散方法を考えてはいる。

 ワッツが最近主張しているのは、スモールシードではなくてビッグシードの考え方だ。流行がひろまるのは、数人の影響者の存在ではなく、簡単に影響を受けやすい人たちが一定以上いる(critical mass)ことが条件なのだから、種(シード)を少しまくのではなくたくさんまけばよい。最初にマス広告を使って、なるべく多くの人に情報を伝達し(誰が火をつけるかわからないのだから)、その後にクチコミを使う。

 日本でも、ビッグシード・マーケティング手法を使った良い例がある(日経ビジネス5/14/07)。電通が東海地方にある冠婚葬祭の平安閣のために企画したキャンペーンで、まず最初に東海地方でTVCMを放送。2週間で合計1038本流した。これは、同じ時期に自動車メーカーや携帯電話会社が首都圏で放映したCMの2倍の量だという。そのCMでネットに誘導(誘導率40%)。サイトには40枚の女性の写真。クリックすると「40人40色の恋愛模様」を表現するCM。見終わったあとに、視聴者と双方向のやりとりができる仕掛けがあって、結局のところは、サイトやCMをメールで友達に紹介したり、CMそのものをブログに貼ってもらう行為を促す。むろん、そういったことが簡単にできる紹介機能も仕込まれている。ここで、クチコミ発生。(残念ながら、どれだけの友人・知人にメールが送られたとかブログが書かれたとかの数値は出ていない)。

 ワッツも、P&Gなどと協力してビッグシード・マーケティングの実験をしている。そのときは、ForwardTrackを使って、どれだけの人たちにメールが送られたかがわかるようにしている。そして、マス媒体でサイトに集めたビッグシードが、次にどれだけの人たちにメールを送っているかで複製率を計算。一番結果のよかったのは0.769。これが1以上になれば、各自が一人以上の人間に伝達しているわけで、伝達されたひとからの複製率がまた1以上なら、ティッピング・ポイント(臨界点で一気に劇的な変化が起こる瞬間点)に到達し流行が発生する。ビッグシードの場合は、1以上である必要はない。複製率が0.5でも、最初のシードが1万人なら、数段階で最初の倍の2万人に到達できる計算になる。

 ビッグシードマーケティングの考えかたでいくと、皮肉にも、結局はマスマーケティングが重要だってことになる? ネット関係者全員が「時代遅れ!」と叫びそう。

 でも、私にいわせれば、ブログとかメールとか個人媒体を使っていても、到達数を問題にしている限り、考え方はやっぱりマスマーケティング的。

 2005年に創立された米クチコミ協会は、SNSとかブログを新商品紹介だけでなく、顧客の継続に利用することが重要だといっている。つまり、メーカがサイト内に、ダイエットや子育ての悩みをチャットやメールで話し合ったりブログを投稿できる場をもうけて、顧客のロイヤルティの向上、商品の継続購買を促進する。そこにWeb2.0の価値を見出せよってことだ。

 ネット関連の新メディアはなんといっても、似たもの同士が集まるというか集めやすい特徴があるんだから。

 08米大統領選の話にもどると・・・、ミズーリー大学のコミュニケーションを専門とする教授は「TV広告は無党派への影響力が大きいが、ブログ広告は支持層の地固めに効果がある」と指摘している。このコメントが、マスとネットコミの違いを端的に表している。

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参考文献:1.Clive Thompson, Is the Tipping Point Toast?, Fast Company Issue 122, 2/08, 2.Duncan J. watts, The accicental Influentials, Harvard Business Review Feb 2007, 3. Duncan J. Watts, et al, Viral Marketing for the Real World, Harvard Business Review May 2007, 3.David Court, et.al, The Proliferation Challenge, McKinsey Quarterly June 2006, 4. 電通が挑むメディア総力戦、日経ビジネス2007年6月14日

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