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2008年1月24日 (木)

直感に頼る経営者たち

 「不可解な消費者行動シリーズ」では、消費者は感情優位の生き物で、合理的に考えなくて、将来を想像する能力もなく、その他大勢の意見に「赤信号、みんなで渡ればコワクない」式に従う。おバカでアホでノータリン・・・・って、まあ、そこまでは言ってませんが、かなりそれに近いことは書いてきました。

 だが、賢明なる読者諸君はすでにおわかりになっているように、消費者=人間であり、人間=経営者でもある。

 企業の意思決定者たちは、消費者と同じ人間として、100%理性的かつ合理的な意思決定をすることはできないのだ。それどころか、1)過去の成功体験が忘れられず時代も環境も変化したにもかわらず同じ経営戦略に固執する、2)会社を大きくして一流財界人になりたい、あるいは社内で出世したいという個人的野心で案件を判断する、3)流行の経営戦略を自社固有の事情に関係なくすぐに採用したがる、4)リスクを取って失敗したくないのでただひたすら現状維持に努める・・・等々。それから、息子を次期社長にしたいとか、自分だけは例外で老害はないと思い込んで定年退職せず晩年を汚す「かつては非常に優秀で尊敬された経営者」という実例もよくみられます。

 ったく! こんなおバカな管理職に仕えるなんて、やんなっちゃう!

 自分の上司の感情優位で非合理的な意思決定に「アッタマにきている」皆様がた、深くご同情申し上げます。

 そして、「他人はどうだか知らないが、自分はいつもすべての情報を分析したうえで理性的な意思決定をしている」と思い込んでいる管理職のみなさま。安心していてはいけません。上の例のようにひどくはなくても、あなただって無意識のうちにヒューリスティックな判断を下しているのです。

 意思決定プロセス理論への貢献で1978年にノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンは、「今日の複雑な世界においては、合理的な意思決定をするために必要な情報すべてを獲得し分析することは不可能だし、そういった熟考にかけるコストも高い」。よって、最善とか最適とはいえないが、満足を感じることはできる決定を下すことでよしとする・・・と合理的であろうとする意図はあってもその合理性には限界があるという「限定合理性」の考え方を提唱した。

 サイモンは、意志決定者は最適化のルールに従うよりも、ヒューリスティックを採用していることのほうが多いとも語っている(シリーズ第1回参照)。つまり、直感とか勘と呼ばれるものに頼っているのだ(少し古いですが2002年にフォーチュン1000社の経営者を対象とした調査では、601人の経営者のうち45%が直感に頼って意思決定をしていると答えています)。

 管理職が直感を使って意思決定することに対しては、賛成と反対、まったく異なる2つの意見があります。

賛成意見・・・「直感はひらめきとも言われる。そのひらめきによって新事業を起こして成功した例はたくさんある。ソニーの当時の盛田会長は市場調査が否定的だったにもかかわらず、自分の直感を信じてウォークマンの発売を決めた。ヤマト運輸の小倉社長(当時)は、法人相手の運送業から個人相手の小口配送に移ろうとしたとき、採算が合うはずがないと周囲から大反対された。初日の注文はわずか11個だったという。でも、小倉社長は自分の直感を信じたんだ」

反対意見・・・「直感によって失敗することもある。マスコミは成功例だけを取り上げるけど、ユニクロ・ブランドを創った柳井会長も、有機食品事業からは撤退したし買収した靴ビジネスもうまくいっていない。エジソンだって電球の発明に成功する前に一万回も実験に失敗してるんだぜ。経営者のなかには、ひらめきで一度成功すると、自分は直感が働く特別な人間だと思い込む者も多い。だが、直感が当たるかどうは運であり、何度も幸運が続くことはない。だから、優秀な経営者が晩年になって大きな判断ミスを犯すことになるんだ」

賛成意見・・・「意思決定の権威者ハーバート・サイモンは、人間は、経験を経ることにより、大量の情報を記憶として貯蔵し簡単に検索できるようになると言っているよ。たとえば、チェスの名人は、盤の上にコマを並べる約5万通りのパターンを記憶していて随時思い出すことができる。だから、対戦相手の動きによって、次の手を考えることができるんだ。優秀な経営者も同じさ。豊富な経験や知識に基づいて、無意識のうちに、有効な次の一手を思いつくことができる。これが直感さ」

反対意見・・・「まさに、そのパターンが問題なのだ。人間の脳はパターンを見たがる傾向があるんだ。新しい現象に出会うと、脳が、それを自分の記憶に保存されているパターンのひとつに当てはめようとする。自分の過去の情報に基づいて現在を理解しようとするんだ。そういった無意識の願望が非常に強いために、実際にはまったく新しい現象なのに、そこにも自分が見慣れたパターンを見ようとしてしまう。まったく新しい現象に既存のパターンをあてはめようとすることが、革新的ビジネスを導くとは思えないね」

賛成意見・・・「OXOX」

 賛成論者が言葉につまるのをみて反対論者は勢いづいた・・・「そもそも、直感は、人間の進化の過程において、生存に必要なものとして育成されたんだ。たとえば、歩いていたら恐竜が突然姿を現す。右方向は森、左方向は川、背側は断崖絶壁。さあ、どっちに逃げる!? そんなとき、森と川の長所、短所を比較分析なぞしている時間はない。過去の経験、他人から聞いた知識、そういったものに基づいて瞬時に無意識のうちに意思決定する。直感は、複雑なことを査定するものではなくて、それを無視して、生きるために逃げる手段なのだ。因果関係が線型になっていないビジネスの世界で、既存パターンをあてはめようとしても役に立たない」

 直感への反対論者のダメ押しはかなり強烈です。

 チェスの名人が5万通りのパターンを記憶保存しているという話で思い出しましたが、日本においても、プロ将棋士の直感の仕組みを解明するために理化学研究所と富士通が共同研究を始めたそうです。日経新聞(10/14/07)によると、プロ棋士の直感は、幼いころから数え切れない対局をとおして鍛え上げられたもの。四-五段の棋士にコマの位置を記憶してもらう実験では、わずか0.1秒盤面を見るだけで、90%以上正答できたそうだ。また、コンピュータの将棋ソフトウェアはコマの損得などを数値化して形勢の優劣を判断しているが、人間の場合、羽生善治王座によると「数値化しているとは思えない」そうだ。現在、fMRIで直感が働いているところの場所を特定する調査にかかっているという。

 ビジネスマンだって、将棋士のように経験や学習の積み重ねで無意識のうちにパターンを検索できるほどになっているひとは、直感に頼って意思決定するのもいい。でも、問題は、そのレベルに到達していない管理職が、論理的・分析的思考も経ないで、ヒューリスティックに決定をくだしていることだ。 

 自分はそんなことはしていないって? 

 さあ、どうだか・・。無意識のうちにしているかもしれませんよ。

 だいたいにおいて、企業のエリート管理職にとって、自分の頭のなかに「無意識」なるものが存在すること自体が信じられないことだろう。でも、存在するんです。もし、自分の脳が常時している情報処理すべてを意識することができたら、私たちはパニック状態に陥ることでしょう。多くの科学者は、人間は自分が考えたり感じたりしていることのわずか5%しか意識していないと主張している。消費者調査シリーズ第3回で書いたように、人間は、言葉では考えていない。自分が考えていることを自分自身が知るためには言葉で表現することを無意識のうちに選択しなければ意識はできないのです。

 まだ、信じられませんか?

 無意識の存在を証明するためによく紹介される実験があります。人間の左脳と右脳をつなぐ部分(のうりょう)が切断されている患者を使って、右脳だけに情報を入れるようにすると、言語を処理する左脳に情報が入らないために患者は右脳に入った情報を意識することができません。たとえば、左の目の視野に「笑え」という単語を示すと、(左右の神経が交差しているので)情報は右脳だけに届いて、その人は笑う。だが、左脳は自分がなぜ笑ったのか理由はわからないのです。

 ここまでの長~い話は、2つの結論で終わります。

 まず、第一に、マーケティング上の大きな失敗は、よくいわれるように「不可解な消費者」のせいではなく、「ヒューリスティック、とくに感情ヒューリスティックに左右される企業の意思決定者」のせいである場合が多い・・・ということ。そして二番目の結論は、意志決定者は自分自身の冷静な観察者であれ・・・というすごぶる常識的な内容です。自分が無意識のうちにヒューリスティックに決定を下す可能性の高いことを認識しながら、大きな決定をする前に自己チェックしてみることです。失敗を恐れて冒険するだけの価値あるリスクまで放棄しているのではないか?あの事業を買収したいのは、かつて自分をバカにした財界人をみかえしたいからではないのか? このプロジェクトを推進したいのは、前任者よりはずっと能力があると、上司や部下に印象づけたいからではないのか? 自分の失敗を認めたくなくて「泥棒に追い銭」的に無駄な追加投資をしようとしているのではないか?・・・・等々。

 残念ながら、ビジネスの世界では、エジソンのように、「ひらめき」が成功するまで一万回失敗することなど許されないのですから。

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参考文献:1,Alden M. Hayashi, When to Trust Your Gut, HBR Feb.2001, 2. Eric Bonabeau, Don't Trust Your Gut, HBR May 2003, 3.「入れ替わっても『魅力的』」 朝日新聞12/23/07,4.「直感の仕組み、棋士と解明」日経新聞10/14/07

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2008年1月17日 (木)

ダイレクト・リスポンス広告と行動経済学

 80年代~90年代、化粧品やサプリメントを通信販売することで急激に成長して、「無名」から「有名」になった企業がいくつか登場。それに刺激を受けたのか、大手メーカーがあいついで通販を始めるようになった。

 (味の素のアミノ酸化粧品やサントリーのサプリメントはまあよいとして、富士フィルムと化粧品の組み合わせはちょっとねえ。「写真感光材の開発研究で蓄積してきたコア技術を活用した・・・」と言われても、消費者はいまいち納得しないと思うけどね。皮膚にフィルム状のものを貼ってシミを薄くするっていうのなら、企業イメージと化粧品とのつながりが、すんなり「直感的に」受け入れられますけど・・・。あっ、スミマセン。富士フィルムさんゴメンナサイ)

 って、せっかく出した新商品を貶すという人品に反するような話をしたいわけではなくて、通信販売の広告の話です。

 通販広告は、直にリスポンス(反応)を獲得する広告だからダイレクト・リスポンス広告(Direct Response Ad)。反応が注文とは限らない。ネットにアクセスしてもらう、アンケートに答えてもらう、資料請求をしてもらう、来店してもらう・・・・そのために、ネット企業、銀行、保険会社、通信サービス会社、スーパー、デパートなど、誰もが通販広告から学ばなくてはいけないことはいっぱいある。

 何を学ぶのか?

 消費者を惰性から解き放って、注文する、資料請求する、来店するといった行動を起こしてもらうためのノウハウだ。

 通信販売会社が100年以上のテストの歴史から学んだノウハウは、通販独特のオファーとかクリエイティブ・テクニックにある。でも、こういったオファーやクリエイティブ(とくにコピー)テクニックをイメージが悪い、洗練されていない、一流企業が採用すべきタイプのものではない・・・と敬遠したり、その効果を信じていないマーケティング担当者や広告制作者がいまだにいるようだ。

 そういったひとたちのために権威づけをしてみようと思います。

 通信販売の広告は消費者心理の宝庫です。もっとアカデミックな権威づけをするならば、通販のオファーやコピーは最近流行の行動経済学で証明された「合理的でない消費者行動」の実験分析結果なのです。

 「不可解な消費者行動シリーズ第2回」で書いているように、行動経済学は論文「プロスペクト理論:リスク下での決定」が発表された1979年に始まったとされる。二人の認知心理学者が書いた論文が話題となり、その後、経済学と心理学が融合した形の行動経済学系の論文が次々と発表されるようになった。

 たとえば、「選択のパラドックス」。2000年に発表された論文には次のような実験が紹介されている。

 スーパーマーケットで6種類のジャムを並べたテーブルと24種類のジャムを並べたテーブルを置いた。陳列テーブルに近寄った242人の来店客のうち40%が「6種類のテーブル」を訪れたのに対し、60%の客が「24種類のテーブル」を訪れた。だが、そのうち実際にジャムを購買した割合は、「6種類のテーブル」を訪れた客の30%。「24種類のテーブル」の場合はわずか3%だった。論文のタイトルは「選択肢が意欲を失わせるとき・・」。

 通信販売では、昔から、「選択肢はある程度与えなくてはいけないが、多すぎるのはいけない」として、選択肢は3個が最適といわれていたものだ(ただし、こういった最適数は時代や状況によっても変わるので前例に頼らずテストをしなくてはいけない)。

 選択肢が多すぎると迷って行動がストップしてしまうのは、人間には損失回避性があるからだろう(シリーズ第3回参照)。つまり、損な選択をするよりは、選択すること自体をやめようと思うのだ。たとえ得な選択をする可能性が高いとしても、損な選択をする可能性がほんの少しでもあれば、選択するという行動それ自体をストップしてしまう。これを行動経済学では「現状維持バイアス」という。

 ダイレクト・リスポンス広告に独特のオファーやコピー・テクニックが必要なのは、人間が持っている「現状維持バイアス」、つまり惰性を打破するためなのだ。

 消費者はリスクをとることを嫌う。だから、通販では、返品可能、無料使用、行動を起こしたら「アンタはエライ!」とご褒美を上げる・・・といったオファーは欠くことのできない基本オファーなのだ。そしてまた、この商品を買っても大丈夫だよ・・と第三者が保証するテクニックを使うことも必要なのだ。

 同じオファーでもコピーの書き方(フレーミング)次第で、行動への影響力は違ってくる。これについては、プロスペクト理論の論文を書いたトヴェルスキーとカーネマンが1981年に論文「決定のフレーミングと選択の心理」を書いている。たとえば、損失を嫌う消費者のために、「いま行動を起こせばこんなにお得なことがありますよ」というフレーミングではなくて、「いま、行動を起こさなかったらこんなにも多くのものを失うのですよ」という逆フレーミングでコピーを書くこともできる。

 例をあげてみます。締切日や限定個数を大きく明記して、「今回ご提供している花瓶は限定1000個です。1000個売れた時点で原型の型は壊しますので、今回の販売を逃しますと、今後一切同じ花瓶を手に入れるチャンスはございません」。ちょっとオーバー? でも、注文率は増えます。

 そして、注文率が上がったということは、あなたの考えたフレーミングが、消費者の行動に影響を与えることができた・・・ということです。

 ネットで、簡単なクイズ、ゲーム、占い、ビデオ・クリップの鑑賞をさせることで、次の行動(アンケートに答える、情報ページをみてもらう、申し込みしてもらう)に移るきっかけにする参加型テクニックがある。これも、人間の損失回避性を打破するためのもので、通信販売で長く使われてきたテクニックだ。つまり、最初から大きな行動を起こすことを躊躇する人間に、まず小さな行動を起こしてもらう。最初の一歩を踏み出してもらえば、そのあと、ゴールまで歩き続けてもらう確率はグンと高くなる。

 行動経済学では、数字の書き方ひとつで、人間の行動が異なってくることを証明した論文がいくつかある。ダイレクトリスポンス広告テストでも面白い例があります。AT&Tが、電話料金が75分無料になるオファーと1時間無料になるオファーとを提供したところ、なんと、1時間無料のほうが申し込み率が高かった。60分と書かず1時間と書いたことで、75分無料になるよりもずっと価値が高いと直感的に思った顧客が多かったということだ。

 だから、オファー・テストやコピー・テストはしてみるべきなのだ。 

 テストをして祝杯をあげたくなるのは、一番経費の低いオファーが一番高いリスポンスを得るときだ。

 いま、OXをお申し込みになれば・・・

  1. 10ポイント提供 (1000円の経費)     
  2. エコバッグを提供(200円の経費)
  3. 20分の無料アドバイス (500円の経費)

 結果、2番目のエコバッグが5%、3番目の無料アドバイスが3%、1番目のポイント提供が1%のリスポンス率だった・・・というのが売り手としては理想的な形。が、なかなかそうはいかない。でも、3番目のリスポンスが一番低かったとしても、お客様のその後の購買を分析してみると、無料アドバイスを受けたひとのほうが継続率が高かった・・・という結果が出ることもあります。

 とにかく、テスト、テスト、テスト。

 そして、分析、分析、分析です。

 それが、ダイレクト・リスポンス広告のノウハウを創造します。

 論文「プロスペクト理論:リスク下での決定」を発表したカーネマンは2002年にノーベル経済学賞を受賞した。100年以上前から、実験室的環境で統計学にそったテストをして消費者行動を分析してノウハウを蓄積した通販企業は、ノーベル賞とまではいかなくても、消費者行動分析の分野において卓越した実績有と認められるべきだと思います。

 どうでしょうか? ダイレクト・リスポンス広告のオファーやコピー・テクニック(そしてテスト)の価値を再認識していただけましたでしょうか? もし、そうでなければ、きっと、私のフレーミングの仕方が悪かったからでしょう。

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参考文献:1.友野典男(2006)「行動経済学ー経済は感情で動いている」光文社新書、2.Alan Rosenspan, Making an Offer They Can't Refuse, Rosenspan, Making an Offer They Can't Refuse, www.alanrosenspan.com

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2008年1月 9日 (水)

イヌをネコだと思う消費者たち

 丸い図形を見て四角だと思う。そして、イヌを見てネコだと思う。

 ナゾナゾじゃあありません。人間はまわりの人たちの意見に従う傾向が高いのです。あなただって、まわりの7人全員が犬を見て「あれはネコだ」と言ったら、自分も「ああそうだ。なんてかわゆいネコだろう」って思う可能性は非常に高いのです。

 マジに?

 マジに・・・。

 1950年代初め、第二次世界大戦で多数のドイツ国民がナチスの思想に従った事実に驚いた心理学者たちが、「社会制御(Social Control)」の仕組みについて研究するようになった。つまり、社会の秩序を維持するために、そのメンバーやグループの行動に影響を与えるにはどうしたらよいかを考え始めたのだ。一連の研究のなかで、もっとも有名なのが社会心理学者ソロモン・アッシュによる「同調実験」だ。

 8人の被験者に長さの違う棒線3本が並んだカードと1本の棒線が描かれたカードとを見せ、「三本の線のなかで、もうひとつのカードに描かれた線と同じ長さのモノはどれか?」と質問をする。非常に単純な問題なので、答えを間違える誤答率は通常0.7%。しかし、この実験では、8人の被験者のうち1人を除いては、やらせで間違った答を言うように指示されている。その結果、実験グループの3分の1において、本当の被験者は他の7人の間違った意見に賛同した。結果、通常は0.7%の誤答率が37%に上がってしまった。この実験は被験者の数を変えて幾度も試みられた。

 その結果わかったことは・・・、

  1. やらせの被験者が7人でも2人でもその絶対数には関係ない。人間は自分ひとりだけが他人と意見を異にするのがイヤなのだ。
  2. たとえば7人のうち1人でも自分と同じ答なら、味方がいて気が強くなるのか、誤答率は急速に低くなる。

 「同調実験」以降、心理学者たちは、1)被験者は自分ひとりだけ答が違うという気詰まりをなくすためにウソをついているのか? あるいは、2)多数意見に反応して、認識そのものがが変化したのか(つまり、マジに犬をネコだと思うようになったのか)? ・・・・と議論しつづけてきた。

 意識的にウソをついたのだ・・・と私を含めて多くのひとたちが考えるだろう。だが、実際には、人間は他人からの示唆にいとも簡単に影響されやすいことが、最近になって判明した。

 2005年、心理学者グレゴリー・バーンズは、アッシュがしたのと同じ実験をしてみた。ただし、今度は、MRIを使い、被験者の脳のなかの動きもチェックした。

 この実験においても、真の被験者は、ウソをついている他の被験者に影響され、誤答率は41%と高くなっている。このときの、被験者の脳内を見てみると、当然のことながら、視覚情報に関係する部位の神経細胞は活性化していた。問題は、それと比較して、ウソを意識的につくことに関係する前頭前野(論理的思考をする部位)の活性度が非常に低かったことだ。つまり、被験者は意識的にウソをついたのではなく、実際に、間違った答を正しいと思ったのだ。

 グループは被験者の認識を「イヌ」から「ネコ」に変えることができた・・・ということだ。

 なぜ? 

 この問題はいつまでたっても「なぜ?」が続く。

 なぜ、まわりの意見に無意識のうちに従うのか? しかも、実験の被験者たちは「ノーと言えない日本人」じゃなくて、自分の意見を強引に押し付けるアメリカ人だぜ!

 人間が「まわりのひとたち」の意見に従う理由については、いろいろな意見がある。新しい発見も出てくる。ひとつの観点として、神経科学(Neuroscience)と経済学が融合した神経経済学(Neuroeconomics)の研究成果を紹介しよう。ゲーム形式の実験で、たとえば1000円を2人のプレイヤーが分配する。相手にいくら渡すかは提案者が決めるが、相手には拒否権がある。相手が拒否すれば二人ともお金はもらえない。標準的経済学で考えられていたように人間が合理的な「経済人」であれば、たとえ1円でももらったほうが得だと判断するはずだから、相手には999円渡せば良い・・・と「経済人」である提案者は考える。しかし、実際には、人間は合理的で利己的な経済人ではないから、大半のひとは相手に30~50%の金額を渡すという実験結果になっている。

 人間は自分の利益だけを追求する利己的な「経済人」ではない。「利他性」があるという。

 こういったゲーム実験中にfMRIで被験者の脳の動きを観察する研究が進んでいる。そして、いくつかの興味深い結果が出ている。

  1. 提案者が持っている金額の20%以下だけを渡すという(自分が得をする非協力的な)提案をすると、相手のプレイヤーの脳内では、不快な感情を経験するときに活性化する島皮質が活性化した。
  2. 提案者が協力行動を選んで、たとえば45%を渡すと提案し、相手がそれを受け入れるときには、相手のプレイヤーの脳内では、快の感情を感じる報酬系が活性化した。
  3. 面白いことには、提案者が人間でなくてコンピュータの場合、提案が利己的なものでも、プレイヤーの島皮質の活性化は少なかった。また、提案者のコンピュータが寛大な提案をした場合も相手のプレイヤーの報酬系の活性化は少なかった。

 以上のことから、協力することで金銭的な報酬がもたらされる・・・という理由だけではなく、他の人間と協力をする・・・ということ自体が報酬系を活性化して快の感情をもたらしているのだということがわかる。

 これを、進化心理学者は、次のように説明する。

 進化の歴史において、人間は他の類人猿に比べて、効率的に協力関係を築くことができた。人間は「協力種」だから文明を築き繁栄することができた・・というわけだ。

 最近では、ヒトがもつ色覚センサーの数が他の哺乳類より多いことから、色覚が発達したのは「仲間の顔色をうかがうためだ」という説も出てきているらしい(日経新聞12/9/07)。感情の動きによって血流量や血中の酸素量が変わることで顔色が変化する。仲間の顔色の変化を敏感に感じ取ることによって、円滑なコミュニケーションができる。そのために、色覚センサーの数が進化の過程で増えた・・・というのだ。

 人間は、想像以上にまわりの意見、まわりの感情に敏感に反応している。そして、こういった研究成果は、マーケティングにも大きな影響がある。たとえば・・・、

  1. フォーカスグループ調査の意義が不透明になった。参加者は誰かの意見に影響を受けて自分の意見を変えているのではないか? それでは、調査結果を信用することができない。 これを逆手にとって、フォーカスグループ調査でクチコミの流れをチェックすることができるという専門家もいる。
  2. クチコミ。とくに、ランキングサイトとかSNS、ブログを使ったネット上のクチコミ。クチコミの発生や流行の問題については、シリーズ番外編で取り扱います。

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参考文献:1.滝順一、「ヒトの色覚、顔色を読むため?」、日本経済新聞12/9/07, 2. 友野典男(2006)「行動経済学」光文社新書、3.山岸俊男、「利他性のルーツ」、日本経済新聞5/2/06-5/11/06,4.Gregory S. Berns, et al., Neurobiological Correlates of Social Conformity and Independence During Mental Rotation, Biol. Psychiatry 2005;58, 5. Erunst Fehr. et al, Neuroeconomic Foundations of Trust and Social Preferences: Initial Evidence, Institute for Empirical Research in Economics, University of Zurich, 6. James K. Rilling, A Neural Basis for Social Cooperation, Neuron, Vol.35, July 2002

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