マーケティング2016 Feed

2016年11月 6日 (日)

メーカーと小売業、2つのメンタリティの矛盾にゆれるユニクロ

  セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文名誉顧問は、以前から、価格は価値のひとつだと発言している。たとえば、2008年発行の「朝令暮改の発想(新潮社)」でも、「低価格は価値の一要素にすぎない」と書いている。このときは、深く考えもせず読み進めてしまった。が、2015年10月発行の「セブン&アイ+ (グループ内広報誌だが7万人に配布されているので、読みたい人は簡単に手に入る)」での発言には驚いた。

  インタビュー記事で、「価値と価格の関係、どうなっているのでしょうか?」という質問に、「まず、皆さんに理解してほしいことは、価格は価値のひとつだということです」と答えている。

  記事の見出しも、「価格も価値の一つの要素」となっている。

  えっ、えっ、え~?!

  「価格戦略」系の本には、基本的プライシング手法として、コストに基づいた価格決定、競争関係に基づいた価格決定、買い手が感じる価値に基づいた価格決定などが紹介されている。そのなかでも、継続的利益をもたらす手法として価値にもとづくプライシングがいまの常識とされ、「マッキンゼープライシング(ダイヤモンド社)」の第二章にのタイトルは「価格を決めるな、価値を決めろ」という勇ましいものなっているくらいだ。

  「値ごろ感」の意味を問われれば、経営者の多くは、「提供している商品(サービス)の価値にみあった価格、あるいは、それよりはちょっとお得感があると消費者が感じるような価格」と答えるだろう。価値に基づくプライシングの考え方が浸透しているからだ。

  なのに、どうして、「価格は価値のひとつです」なんて言えるのか?

  ずっと疑問に思っていたのだが、最近になって、ハタと納得できた。

  小売業の人だから言えるコメントなんだ。メーカーの人は、こうは言わない(って、こんな当たり前なこと、すぐに思いつかなかったのか!ってケチつけられそうだけど)

  一番わかりやすい例がアマゾンだ。

  アマゾンでショッピングする理由には、「配達が早い」とか「サイトの使い勝手がよい」とか「品揃えが豊富」に加えて、「価格が安い」・・というのもあるはずだ。同じ商品でも、値段の異なるいくつかの出品者をずらっと並べて比較できる。たとえば、パナソニックのナノヘアードライヤー(型番も同じもの)を例にとれば、出品者によって5つくらい異なる価格で提供されている。条件を比較してみると、安いものは配送に一週間くらいかかる。そして、配送日数が短いほど価格は高くなる。型番も同じまったくの同一製品が価格を含む異なる条件で販売され、買い手は比較対照して選ぶ。

  このように、アマゾンでは、明らかに、価格は価値の一要素となっている。

  メーカーから商品を仕入れて販売する小売業の立場からいえば、他の小売店でも同じ商品を販売しているのだから、価格は提供する価値の一部だ。だが、メーカーにとって、自分達が提供するブランド(商品)の価格は買い手が知覚する価値に基づいたものでなくてはいけない。

  メーカー(作り手)と小売業(売り手)の価格に対するメンタリティ(心理構造)は大きく異なる。

  メーカーと小売業の関係の歴史は、ある意味、価格をめぐる戦いの歴史だ。

  戦前、独占禁止法がなかった時代、メーカーは自社商品が安売りされないように、流通チャネル内の卸売業者や小売店を系列化し、リベートやその他の特典を提供するかわりに、「決められた小売価格を守る」とか「類似商品を取り扱わない」等々の取り決めを厳守させた。

  このやり方を、戦後、独占禁止法が1953年に成立してからも続けたのが化粧品業界だ。

  資生堂の系列小売店制度(チェーンストア制度)は、1923年にさかのぼる。20年代は、第一次世界大戦後の不況に関東大震災による震災恐慌が重なり、乱売が盛んに行われ、小売店や問屋でもつぶれるところが多かった。過度な安売りを防ぐために、全国で売られる資生堂商品の値段が同一になるような流通の仕組みとして、資生堂はチェーンストア制度を構築した。

  第二次大戦後、1953年に独禁法が成立。これによって安売りが横行するようになるのを恐れた化粧品業界は強力なロビー活動を展開し、メーカーが小売店に定価を守らせることができる再販制度(再販売価格維持制度)を成立させるのに成功した。再販制度を推進した趣旨は、おとり販売や乱売からブランドを守るため・・・となっている。(再販制度は97年に撤廃されている)。

  小売り価格の維持に固執したのは化粧品メーカーだけではない。家電メーカーも同じで、安売りをする小売店、とくに、1960年代になって台頭してきた大規模小売店とのあつれきは大きかった。有名なのが、松下電器産業(現パナソニック)とダイエーとの大ゲンカだ。

  1964年から1994年の和解まで30年近くつづいたケンカで、当時は「ダイエー・松下戦争」とか「松下・ダイエー戦争」とかいわれた(どっちの名前が先に出るかを気にしたのは両社の社員だけだと思うけど・・・)。

  ケンカの発端は、「価格破壊」を掲げたダイエーが、松下電器の商品をメーカー小売希望価格からの値引き許容範囲の15%を超える20%引きで販売しようとしたことにある。松下電器は、それを阻止するため、ダイエーへの商品出荷を停止。ダイエーは、そういったやり方は独占禁止法違反に抵触するとして告訴した。この戦争は、松下幸之助が亡くなった1994年に終わった。もっとも、そのときには、家電販売の主要チャネルは家電量販店に移っていたわけで、両社にとって和解が売上に影響を与える時代ではなくなっていた。

  量販店やネットでの安売りが当たり前の今からみると信じられないかもしれないが、メーカーにとって、どこか一つが価格を下げれば、追随する店舗が出てくるわけで、安売り合戦になる。安売りは、ブランド価値の低下につながりやすく、断固受け入れられないことだった。

  話を戻します。

  定価より安く買うことが当然のようになっている現状について、いくつかの理由があげられている。ハイテク製品に限られるが、テクノロジーの進化でコストが下がったという理由がひとつ。デフレ慣れという説もある。バブル崩壊後、20年続いたデフレのなか、消費者は値段が下がることはあっても上がることに慣れていない。値段が上がることへの抵抗感が強いというわけだ。企業自身もデフレ慣れしているから、売上が下がるとすぐに値段を下げるという最も知恵のない戦略をとるという説もある。

  もうひとつ、市場における力関係において、メーカーの力が衰え、小売の力が相対的に大きくなったからだという理由もあるのではないか。

  価格を価値の一部だと考えている小売の力が市場の支配権をにぎった。ブランドを大切にし安売りに大きな抵抗感を感じるメーカーの力が衰えた。ネット通販が安売り志向を促進しているという説もあるが、それは、ネットというツールを効果的に利用できているのが小売業だからだという言い方に変えることもできる。

  で、いよいよ、本題のユニクロの話に移ります。

  ユニクロが2014年に5%、2015年に10%と2年連続で価格を上げたところ、客数が減った。それで、今年になって一部商品の値下げをした・・・というニュースはちょっと驚きだった。ユニクロは・・・会社名でいえば、ファーストリテイリングは、そんな企業ではないと思っていたから。

  ファーストリテイリングはSPAということでメーカー(作り手)でもあるし小売業(売り手)でもある。だが、こと商品(ブランド)に関してはメーカーのメンタリティをもち、自社ブランドの価値を大切にし、価値に基づいたプライシングをする企業だと思っていた。

  アマゾンとかスーパーや家電量販店が、同じメーカーの商品、たとえば、パソナニックの洗濯機を異なる価格で売ることは、今の時代、メーカーにとって、それほど大きな問題ではない。小売価格が下がることが、そのブランドへの消費者の知覚価値が下がることに、すぐにつながるわけではないからだ。

  「パナソニックのナノヘアードライヤーは優れものだよ。買うならアマゾンだね。あそこなら安いから」・・・という消費者のコメントからわかるように、パナソニックといった企業ブランドやナノヘアードライヤーという商品ブランドの評価が下がるわけではない

  問題は、ユニクロのような小売とメーカーが一体化している企業が、同一商品の価格を上げ下げすることだ。

  牛丼の吉野家やマクドナルドのようなファストフード・チェーンも、作り手でもあるし売り手でもある。そして、両社ともに、同一商品の価格を上げたり下げたりすることを繰り返した結果、ブランドのイメージが損なわれ、消費者が知覚する価値が下がったという経験をもつ。

  たとえば、日本マクドナルド・・・。2000年に、ハンバーガーの平日半額セール(¥130⇒¥65)を実施。これが、ファストフードだけでなく他の業界での値下げの流れをつくったとされ、マクドナルドは「デフレの元凶」呼ばわりされた。そのマクドナルドは、2002年には低価格販売の効果が薄れたとして、ハンバーガーの平日の価格を値上げ(¥65⇒¥80)した。だが、既存店の売上が下がり、半年後には¥80から¥59の値下げに追い込まれた。

  同一商品の価格を下げたり上げたりすることにより、、消費者のマック商品の知覚価値も下がり、「ファミリーが食事するハッピーな場所」というブランドイメージが損なわれたことが指摘されている。

  メーカーでもあるし小売でもある製造販売業者は、自分の決断で価格を上げ下げできる自由があるぶん、商品(ブランド)価値への責任を負っていることも強く自覚する必要がある。

  (製造販売業者は価格を変える自由があるどころか、値下げすることで利益が下がるリスクを避けるため、コストを下げる工夫をする自由度も高い。だがコストを下げる努力が悪い方にむかうと、日本マクドナルドのように「安かろう悪かろう」タイプの仕入れ先を使い、期限切れの材料をつかった商品(チキンナゲット)を提供するという最悪の結果を招くこともある。この事実が2014年に発覚して売上は大きく落ちこんだ。最近になってやっと上向き傾向が出てきたとはいえ、マクドナルドは、2年近くもの間、ブランドイメージの改善に多大な努力を強いられてきた)

  製造販売業者は、価格は価値の一要素だという従来の小売業の考え方を採用するのか、あるいは、価格は価値に基づいてつけられるものだというメーカーの考え方を採用するのか?

  ユニクロは、昔は、メーカーのように考えていたように思われる。が、最近は、小売業の考え方をするようになっているのでは? 

  もう、覚えている人も少ないと思うが、2004年9月に、「ユニクロは低価格をやめます。」という宣言みたいな広告が新聞に掲載された。当時、「安売り」、「誰もが着ているからダサい」、「ユニクロを着ているとバレたくない」というような言葉で代表されるように、ユニクロのイメージが下がってきていた。広告は、そういった損なわれそうになったブランドイメージを払拭するための明確な価値宣言だった。

  22行の文章だけからなる広告は、「ユニクロはこれまでずっと、より上質なカジュアルを市場最低価格で提供しようと努力してきました。それはこれからも変わることのない、私たちの基本的な姿勢です。しかし、その低価格であることが、一部のお客様の『ユニクロは安物』という誤解につながっているのかもしれません」で始まり、「私たちは安さだけが特長となるような商品は決してつくりません・・・これからはさらに(品質を上げる)努力を続け、すべての商品を本当に価値のあるものにしていきます・・・ユニクロは・・・さまざまなコストを抑えることで販売価格を下げてきました。・・・ですから低価格をやめるからといっても、価格を下げる努力をやめるわけではありません。まずなによりも質があり、そして価格がある・・・・」とつづく。

  この宣言には作り手としての自負がある。矜持が感じられる。

  だが、最近のユニクロには作り手としての自負もプライドもないように思える。二度の値上げをしたときに柳井会長は、原料高や急激な円安を受け、「品質を維持するためには必要」と発言した。だが、既存店客数が減少したために今度は値下げ。

  品質を維持するために値上げするはずだったのでは? 値下げするってことは、品質も落とすってこと?・・・なんて、多くの消費者がそんな風に考えるわけではないだろう。だが、価格を上げ下げすると、消費者の商品への知覚価値もぶれてくる。そのせいかどうかわからないが、最近、ユニクロの品質が悪くなったという声も多い。実際、私自身、いつも黒と白の定番のTシャツを毎年買っているが、今年夏に買ったものは明らかに品質が落ちていた。以前は、数回洗濯をしてもそれほど変わらなかったのに、今年買ったものは一回の洗濯で、えりぐりがだらけてしまった。

  ユニクロはこれまでしていた週末の値引きセールの規模を縮小して、そのかわり、毎日安いEDLP(Every Day Low Price)戦略を採用するという。このやり方も、2000年代初めのマクドナルドの価格戦略を思い起こさせる。前述したように、マクドナルドは平日のハンバーガーを¥130⇒¥65に下げ、それを2年後に¥80に上げ、そのかわり、週末に¥130だったハンバーガーの値段を¥80にした。つまり、週末、平日にかかわりなく毎日¥80にしたわけだ。キャンペーン名も、それまでは、「ウィークデイ・スマイル」だったのを、ELDPならぬ「エブリデー・スマイル」に変えた。

  なんだか、やっていることは・・・というか、発想は同じだ。

  価格(単価)X客数=売上。小売りは価格を上げたために客数が減っても、結果として売上が上がれば問題ない。だが、価格を下げても客数が期待ほど伸びなくて売上が下がるのは大問題だ。

  価格を下げても客数が伸びないということは、多くの場合、成長が止まった市場のなかで似たような商品を販売する競合同士が客の奪い合いをしていることを意味する。

  1998年にフリースの大人気で、ユニクロは低価格だが品質・ファッション性もそこそこの新しいアパレル市場を創造した。だが、人気の市場には競合他社の参入があいついだ。ヒートテックが創造した新しい(機能性衣料品という)ミクロセグメント市場にしても、微妙に差別化された競合商品の参入がつづいている。

  ファーストリティリングの2016年8月期の連結売上高は1兆7864億円。伸び率は6%と前年の22%を大幅に下回った。10月になって、2020年度で5兆円という売上目標を3兆円に引き下げた。柳井会長も競合他社を意識して、「1990円、2990円といった、単純で買いやすい価格に戻したい。プライスリーダーは本来われわれだ。それを取り戻していく」と語っている。

  こういった数字や発言からも、ユニクロがターゲットとする市場セグメントが日本においては、これ以上伸びないところにおいて、競合他社との競争が激しくなっていることが推測できる。

  だからといって、ここで価格競争をしたら、ユニクロがターゲットとする市場セグメントは大きくなるのか? これ以上大きな成長が期待できない市場でシェア争いをすることは、業界の平均利益率を低下させるだけでなくブランド価値の失墜を招く。

  世界の先進国において、企業がターゲットとする消費者市場セグメントの規模は小さくなっている。少子化と価値観の多様化により、各市場セグメントが、多くのミクロセグメントに分割されるようになっている。少子化が他の先進国よりも進んでいる日本では、この現象はどこよりも著しい。

  こういった市場セグメントの小規模化に対処するためには、価格競争ではなくて、ターゲットとするセグメント(あるいはミクロセグメント)の中核となる消費者により強くアピールしてファンづくりをするほうが得策だ。

  たとえば、日本のマクドナルドは、ヘルシー志向の消費者をも取り込むために野菜中心のメニューをそろえたこともあった。だが、最近は、そういった中途半端なターゲットの設定をやめ、本来のマックファンのセグメントにアピールするために、肉食好きのためのヘビーなハンバーガーを新発売することで、一時の低迷から抜け出している。むろん、昔の(市場が成長していたころの)売上を達成することは無理だ。が、利益を増やすことはできる。

  市場シェアを奪回するために価格競争に走り、ユニクロの日本でのブランド価値がそこなわれれば、アジア市場にも悪影響を及ぼす。日本で一定のブランド・ポジションを築いているからこそ、ユニクロブランドはアジアの人達にも魅力的にうつる。が、日本でのイメージが「安かろう、悪かろう」になれば、アジア市場でもイメージが落ち売上も落ちることだろう。

  経営者、とくに創業者が会社を大きくしたいと強く願うのは当然のことだ。だが、今の時代、一つのブランドだけで、企業が大きくなることはむつかしい。いまは、小さな市場セグメントをターゲットとしたいくつかの個性的ブランドを抱えることで・・・、各ブランドの売上合計でグループ全体として大きくなる方法を採用している企業が多い。

  たとえば、米国の化粧品メーカー、エスティローダ。グループのなかに30くらいのブランド(主要なものは子会社になっている)をかかえ、それぞれが独立した個性的ブランドとして、化粧品市場のミクロセグメント内で大きなシェアを獲得している。2012年から15年までの間の業界平均年間売上成長率が1.5%なのに、エスティローダはそれをはるかに上回る5.6%を達成していることで、最近、その経営管理手法に注目が集まっている。 日本の花王も、メリット、ビオレ、ソフィーナといった各ブランドを花王とは無関係な独立したブランドのように取り扱うことで、全体として大きな売上を上げるブランドポートフォリオ戦略をとっている。

  ユニクロというひとつのブランドに依存しているだけでは、5兆円はむろん3兆円を達成しようというのも、いまの消費者市場においてはむつかしい。だいたいにおいて、ファーストリテイリングはユニクロよりも低価格で流行を追うGUというブランドをもっているのだから、「しまむら」と価格を競うならGUとやらせればいい。

  メーカーと小売りとを統合した形となっている製造販売業は、価格を変えることに極度に慎重なメーカーの考え方を再度、見習うべきだろう。そして、ユニクロにはもう一度、2004年の「ユニクロは低価格をやめます」宣言を思い出してもらいたい。あのとき、見せた自社ブランドへの矜持は、モノを作る人がもつべきプライドだ。それがなくなったら、ブランド価値は存在しなくなる。

参考文献: 1.Why Millennials Drive Estee Lauder's Market Share, Forbes 5/11/15, 2.迷走するユニクロ、値上げ後に早くも値下げ、東洋経済ONLINE 4/23/16, 3.ユニクロ、値上げ路線撤回で原点回帰、日経ビジネスONLINE 4/18/16, 4.ユニクロ値下げも客離れ、日経新聞4/5/16, 5.「SPAxデジタル」で進化、日経MJ 10/17/16, 6. 10歳GU柳井氏が叱咤、日経MJ 10/3/16

Copyright 2016 by Kazuko Rudy.All rights reserved.

2016年8月30日 (火)

金融サービスに傾倒する小売業は衰退する(このジンクスに楽天は勝てるのか?)

  

  「金融サービスに傾倒する小売業は衰退する」というタイトルは、厳密にいえば、「顧客データベースを構築して金融サービスを始める小売業は衰退する」・・・となる。

  古今東西、企業が顧客データを蓄積するようになると、必ずといっていいほど、保険販売、ショッピングクレジットやキャッシングをふくめた金融サービスを始める。顧客データを保有する企業には小売業が多いので、「小売業は金融サービスを始めたがる」としてもよい。そして、また、金融サービスに力をいれた小売業は、本業がダメになってしまうことが多い。

  「だから、楽天は大丈夫かなあ?」という老婆心でこの記事を書いています。

  最初に、金融サービスを始めてダメになった小売業の「古今東西」の例をあげてみる。1960年代~80年代にかけて米国一の小売業だったシアーズ。そして、英国人の5人に1人が顧客だといわれた英国のテスコは最近の例だ。

  19世紀末にカタログ通販を始めたシアーズ(Sears, Roebuck & Co.)は、20世紀になって高速道路網が米国全土に広がっていくのに合わせて店舗販売も開始。1945年には10億ドルの売上だったのが63年には50億ドルとなり、戦後の米国の繁栄の象徴となった。

 金融サービスの提供は、1911年に、地方の農民がカタログに掲載されている高額な耐久品を分割払いできるようなサービスを提供することから始まった。モノを買ってもらうために、お金を貸すわけだ。この点は、日本の丸井が1931年の創業時に割賦販売でモノを売ったのと同じだ。

  銀行が一般消費者にお金を貸すことなど考えもしていなかった時代には、小売業者だけでなく自動車メーカーも家電メーカーも、消費者に自らお金を貸してモノを販売した。

  自動車の例でいえば、米国では、1920年代に、GM(ゼネラル・モーターズ)がローン・サービスを提供しはじめた。これにより、高額所得者層でなくてもクルマを購入することが可能になった。日本では、1960年に日産(当時のプリンス自動車)が最初に始めたといわれる。*1

  そして、60年後のいま、トヨタ自動車の金融債権(消費者への自動車ローン、法人客へのリース契約やディーラーへの貸付金から成る)は14兆円を超えており、総資産の約30%となっている(2016年3月期)。トヨタの金融事業は収益性も高い。売上高ではわずか6.5%だが、営業利益の24.7%を占める。売上高利益率を見ても、金融事業は17.9%で自動車事業の9.4%よりかなり高い。

   小売業や製造業者が金融サービスを始めた場合、金融事業のほうがモノをつくったりモノを売ったりするより利益性が高いのは当然だ。モノをつくり販売して獲得した顧客基盤(顧客ベース)がある。顧客基盤は顧客データだけでなく顧客との関係性をも含む。ある程度の顧客ベースを背景に、顧客一人ひとりと金のやりとりをすることは、(とくにデジタル時代においては)コストをかけずに利益を出すことができる。

  それでも、メーカー(製造業)は小売業とは違って、金融サービスへの多角化を積極的に進めるところまではいかないことが多い。例外としては、米国ではGEとか、日本では保険会社や銀行を傘下にもつソニーの名前が頭に浮かぶ。

  GE(ゼネラル・エレクトリック)も、自分たちが製造した家電を一般世帯に販売するためにローンを提供し始めたのが1932年。この事業(GE Capital)は、80年代から90年代にかけて、名経営者といわれたジャック・ウェルチの指揮のもとに積極的に拡大され、GEの利益の半分を占めるにまでになった。が、2008年の金融危機後に政府の銀行への規制が厳しくなり、資産額では実質的に第七位の銀行とみなされたGEは、これまでの高利益を生むビジネスのやり方を変更せざるをえなくなった。金融事業は製造業よりも低い利益性しかもたらさなくなると考えたイメルトCEOは、製造業に回帰することを宣言。2015年から金融事業を矢継ぎ早に売却している。

  ここで、話は小売業のシアーズにもどります。

  1886年に創業したシアーズの顧客数は、すでに1920年代後半には2000万名を超えていた。1931年には、オールステートというブランド名で自動車関連部品を販売していた関係から、そういった商品の購買客を中心に自動車保険を通信販売するオールステート保険会社を子会社として設立している。そして、1953年にはリボルビングクレジットカードを発行して、所得がそれほどない客でも高額品を躊躇することなく簡単に買えるような仕組みを提供した。

  30年代から60年代までは、金融サービスは、あくまで、顧客の便宜性を高めるための付加サービスの要素が強く、ビジネスの中心はモノの販売だった。

  ところが・・・、70年代に、専門店やウォルマートのようなディスカウントストアが台頭して、小売業での競争が激化するなか、シアーズの小売売上は停滞し始める。そして、当時の経営者は利益率が高い金融事業の成長を促進すべきだと考えた。貯蓄貸付組合(貯蓄と住宅ローンに特化する米国の中小金融機関)を買収し、80年代には不動産会社や証券会社まで買収した。90年代半ばまでには、子会社が発行したクレジットカードは6000万人の会員をもち、消費者債権は280億ドルまでになった。小売事業部の利益率が2~3%だったのに比べて、クレジット事業部の利益率はニケタ台。クレジット事業部の売上は企業の収益全体の10%だったが営業利益の70%を占めるまでになっていた。

  企業価値向上を求められる経営者としては、利益性の高い事業を推進しようとするのは当然のことかもしれない。だが、金融事業を拡大するための買収にかかる負債もふえ、結果として、本業である小売業への投資が制限された。必然的に、本業の小売業の業績はさらに悪化し、80年代後半には毎年8%利益が減少。結果として、90年代になって、買収した金融関連会社を次から次へと売却するはめになった。

  その後、本業である小売業の活性化を何度も試みているが、成功はしていない。2015年の米国小売業売上ランキングでは18位となっている。

  英国の小売業売上No.1(世界的にもNo.5以内に入る)のテスコの創立は1919年。最初は食品中心のスーパーマーケットだったが、衣料品や家電、家具も売るようになった。95年にポイントカードを発行し、収集した顧客データの分析から購買行動予測に進むとともに、生命保険や旅行保険、ローンの販売も始め、97年にはRBS銀行との合弁でテスコ銀行も創立した(2008年には子会社化した)。

  だが、2012年ごろから本業の小売業の売上が減少しはじめた。ドイツから安売り店が進出してきたこともあるが、なによりも、金融サービス、海外進出とかレストランやコーヒーショップなどへと多角化を進めるなか、英国の消費者のライフスタイルとか購買習慣が変化していることを見過ごしたことが要因だといわれる。1500万人の顧客データの分析に基づくパーソナライズされた販促活動やPB開発では世界一と讃えられたテスコが、消費者の変化を見逃したと批判されるようになったのは皮肉だ(この事実は、また、顧客データ分析の限界も教えてくれる)。

  売上減少が続くのを隠そうとしたのだろうか。売上数字の不正操作をしたことが発覚し、2014年秋には株価が一年前の半分に反落。その年の決算で、過去100年で最大の損失も計上した。そのために、外部からは、収益性が高くテスコグループの利益の3分の1を稼いでいるテスコ銀行を売却したらどうか・・・という声も出るくらいだった(テスコは現在、小売業活性化に奮闘努力している)。

  このように、小売業はクレジットカードやポイントカードを発行すれば、顧客データを収集することができる。顧客基盤がある程度の規模になれば、キャッシングサービスを始め保険を売ることもできる。それがうまくいったら、より高い利益を求めて、銀行だけでなく保険会社、証券会社を傘下におさめることもできる(ただし、日本や欧州とは違い、米国では規制があって小売業が銀行を買うことはできない)。*2

  顧客にとってみれば、モノを買っている会社から金融サービスを買うことは、手続きも簡単だし便利だ。銀行よりもサービスの質もよい。米国でも、金融危機のあとはとくに、信頼性を失った金融機関よりは小売業者からの金融サービスを好む消費者が増えているという調査結果もある。ローンを提供する企業にしても、過去の購買履歴を分析して、信用度をチェックできるから、貸し倒れ率を低くおさえることができる(たとえば、丸井の貸し倒れ償却率は1.7%と業界平均の1.9%より低い)。

  顧客データベースをもった小売業が始める金融サービスは、成功するようにできているのだ。

  だが、問題がある。

  利益率が低く、場合によって、スーパーのように1円2円の違いで目の色かえる小売業をやっていると、利益率も利益額も高い金融サービスを始めることで、小売業という商売がバカらしくなってくるのだ。「バカらしくなる」という言葉には語弊があるかもしれない。もう少し実際に近い説明をすれば、本業が大事だと思っていても、無意識のうちに、利益性の高い金融サービスへの投資を優先してしまう。いやいや、「無意識」という言葉も間違っているかもしれない。投資効果の高いセグメントに投資をするのは、企業価値向上を求められる経営者としては当然のことだ。だから、システム改善とか、あるいは人材確保においても、利益が高く収益に貢献している金融事業のほうを優先してしまうのだろう。

  その結果として、シアーズやテスコのように、店舗が何となく薄汚れた感じになり、店員の数も減りサービスも悪くなる。活気のない店舗からは顧客が離れていく。

  米国のように株主を最重要視する市場環境にあると、株価をあげるために、(GEのジャック・ウェルチがしたように)製造業よりも金融事業のほうを積極的に進めるようになるのは、経営者としては当然のことかもしれない。そして、金融事業の営業利益への貢献が3割とか4割とかを占めるようになるとともに、本業への投資が目減りし、よって本業の売上がさらに減っていくことにつながっていく。

  企業がビジネスの中身を変えることはある。富士フィルムは創業時の事業だった写真フィルムからヘルスケア事業に変身しようとしている。ミクシーは日本のSNSの草分け的存在だったが、いまではゲーム会社に変身。ゲーム事業の売上、利益ともに全体の90%を超えている(2016年3月期)。だから、小売業者が金融業者に変身してもかまわないともいえる。たとえば、丸井の決算内容をみると、丸井は小売業なのか、あるいは、金融業なのか、クビをひねりたくなる。

  丸井は、バブル時代にはDCブランドで若者を取り込み、「ヤングファッションのマルイ」といわれたこともある。だが、いまの実態はファッション小売業とはもういえない。15年3月期において、小売事業の営業利益が81億円、カード事業の営業利益が201億円で、小売事業の2倍を超えている。売上高は小売店舗事業で3076億円で営業利益率が2.6%、カード事業が706億円で利益率は28.5%。カード事業の利益率の高さがきわだつ。

  丸井は1931年創業。高度成長時代には家具や家電の月賦販売で有名になった。1960年には日本最初のクレジットカード「赤いカード(現在のエポスカード)」を発行している。消費者クレジット販売にはこだわりがあり、その後も、ショッピング主要客の若い女性をターゲットとして無担保キャッシングを提供し、他の金融サービスとは異なるセグメントを対象とすることでカード事業は順調に伸びてきている。

  丸井のクレジットカードは店頭即時発行。会員は女性中心68%。年代も40歳以下が56%(業界全体では、それぞれ、49%と28%)。若い女性は貸し倒れリスクが高いとして、他社の与信審理を通りにくい。だが、ショッピング主要客は若い女性。買いたいと思ったときに現金がないという若い女性にモノを売るために、丸井のクレジットカードは発行された。

  当時も、まだ、モノを売ることに主眼があったといえる。

  80年代後半の 「ヤングファッションのマルイ」の時代は、バブル終焉とともに終わりをつげた。営業利益は1990年度をピークとして、その後は苦戦。売上高もこの20年余りで、6000億円から4000億円まで減少している。丸井はいま、売上不振の百貨店型ビジネスから専門店ショッピングセンター型へ業態転換をして、店頭売上に左右されないテナントからの賃料収入で売上や利益を安定させる。また、カード事業も他企業や商業施設との提携を増やすことで会員数の拡大をはかっている。

  そして、カード事業はフィンテック事業と名称も変え、不動産業や、家賃保証と保険を含めたサービスをカード会員を対象として積極的に展開しようとしている。

  小売業から新規顧客が入ってこなければ顧客ベースの数は小さくなっていく。それは、金融サービスを売る顧客数が少なくなることを意味している。丸井は、金融事業のための顧客基盤を堅固なものにし直すために小売業のビジネスモデルを変えようとしているのだ。

  丸井は小売り業なのか、それとも小売で集客して金融業でもうけるビジネスモデルを追求しているのか?

  その点において丸井は実に明確だ。2016年5月に発表した今後5年間の中期経営計画において、次のように書いている。「当社グループは、創業以来、小売とカードが一体となったビジネスモデルを進化させてまりましたが、グループの収益構造は2006年のエポスカード発行開始により、これまでの小売中心からカード中心に大きく転換し、安定的な成長を可能にする事業構造が実現しました」。

  ショッピングはあくまで集客の手段であり、その結果として構築された顧客ベースをもとに金融サービスを実行する。粗利益率が低く在庫リスクも高く販売経費も高い小売業の低利益性は、利益性の高い金融サービスを創造することで正当化される。これは、これでひとつのビジネスモデルとしてよいのだろう。

  問題は、小売業が始める金融業は、小売業で構築した顧客ベースが基本だということだ。顧客ベースは、常に新しい新規客が入ってこないと長期的に小さくなっていく。小売業が不振で新規客が入ってくる数が減ると、顧客ベースも小さくなる。楽天の言葉でいえば、経済圏が縮小してしまうのだ。経済圏にはいってくる顧客の数が減ることで、循環する顧客ベースが次第に縮小していってしまう。だから、シアーズのように、本業がダメになったからといって、じゃあ、小売業をやめて金融サービス会社になりましょう・・・ということにはならないのだ。反対に、利益を出している金融事業を売却して、そのお金で、小売りをたてなおしましょう・・・ということになる。

  ここで、ようやく、楽天の話に戻ります。

  楽天市場の売上鈍化が指摘される。 2015年12月期の国内EC流通総額は前年同比10%増にとどまった。「10%ならいいじゃないか」とリアル店舗小売業の人たちは思うだろう。だが、このEC流通総額のなかには楽天トラベルなど他のネットサービスの数字も入っている。一時は20%の成長率をほこった楽天市場だからこそ、昨年度から楽天市場の単独業績を表示しなくなったのは、伸びが鈍化しているからではないかと勘ぐるムキもある。

  日経MJは「関係者によると、単独では横ばいに近い数%の低成長にとどまる」と報道している。

  実際のところ、利用者数で楽天を抜いたといわれるアマゾンに比べると、サイトの使い勝手が悪いし、配送日数も長い。日経MJの調査では、「どちらが好きか?」の質問では、約6割がアマゾンのほうが好きと答えている。

  私自身も、アマゾンサイトでイライラすることはほとんどないが、楽天を使っているときはイラついて途中で止めてしまうことがある。そういったこともあって、楽天は、モノを販売することに関して、「アマゾンと勝負する気はもうないのではないか?」と思ったりもしている。

  物流センター構築を途中であきらめた時点で(2013年の段階では、全国に8拠点につくる予定だったのを2014年には白紙化している)、アマゾンと同じ土俵で戦うという選択を放棄したといえる。つまり、配送料無料とか当日あるいは翌日配送といったサービスで戦うことはしないと決めたのだろうと推測している。

  アマゾンと同じ土俵で戦わないと決めたとしたら、これは、正しい選択だろう。創業以来20年間利益を出さなくても株価を高値で維持することで存続でき、最近になってやっと数%の営業利益がだせただけで投資家に大喜びされる会社に勝てる会社は、世界中を探しても存在しない。

  楽天は、モノを売ることでアマゾンと直接対決をするのを避け、楽天トラベルのようなサービス、そして、とくに、金融サービスに力をいれることで、会社の成長に拍車をかけるつもりなのだろう。

  「楽天経済圏」といっているように、楽天は、丸井と同様、楽天市場で獲得した顧客基盤をもとに、利益率の高い金融事業(楽天も丸井と同様、最近は、フィンテック事業と呼ぶようになっている)に力をいれている。実際、2015年12月期の決算をみると、総売上高7135億円、そのうちEC事業の売上高は2845億円で前期比7%増、金融事業は2751億円で前期比16.3%増。金融事業は総売上高の39%を占めるまでになっている。

  楽天経済圏の考え方は、米国のシアーズ、英国のテスコ、そして、日本の丸井がとった戦略と基本的に同じだ。ただ、楽天の違いは、ポイントを強力な武器としてつかっていることだろう。

  グループ内のサービスを利用すればするほどポイントの特典が大きくなる。たとえば、楽天銀行が発行するクレジットカードを楽天市場での決算手段として使えば、ポイント還元率は通常の1%から4%に増大する。あるいは楽天銀行カードローンでは、ローン入会時に1000ポイントが付与される。ショッピングでためたポイントを銀行の振込み手数料に利用することもできる。

  楽天証券も、投信の残価が10万円ごとに毎月4ポイント付与される。投信を500万円保有していると年間で2400ポイントたまる。また、販売手数料の1%相当がポイントで返ってくるような仕組みもある。

  グループ内での客の循環はポイントによって促進される。

  そして、楽天市場を通じてだけの新客獲得では顧客基盤を大きくできないと思ってか、最近の楽天はポイントを武器として、外部からの積極的な新規客獲得作戦をとっている。14年以降は楽天ポイントを実店舗でも使えるようにして、相乗りをすることをいとわない共通ポイントとして会員数を増やす作戦に出ているのだ(現在、全国1万3000店舗でポイントがためられる)。

  「焦りが透けてみえる」と日経MJに書かれた策のなかにはポイントの大盤振る舞いがある。また、購買しなくともポイントを提供する戦術もとっている。たとえば、2015年に「洋服の青山」の青山商事が採用した「楽天チェック」サービスは、来店した(店舗に入る)だけでポイントがたまる制度。青山はもともとTポイントと提携していて、商品を買えばTポイントがもらえることになっている。「楽天チェック」で競合他社の領域にも切り込む戦術だ。

  そういった積極策のおかげで、ポイントの会員数はTpointやPONTAを抜いて1億500万人とNO.1となっている。

  ポイントの大盤振る舞いがきっかけで会員になってもらえれば、最終的には楽天グループが提供する70ものサービスの購買客になってもらえるかも・・・という意図はわかる。だが、ポイント会員数がふえるだけで、データを抱えた良質の購買客がふえるとは限らない。

  ポイント会員のうちのどれだけが、楽天経済圏のなかを循環してくれる優良客になってくれるのか?

  楽天は、楽天トラベルとかその他のサービス業、とくにフィンテック事業に、アマゾンとは異なる活路を見出し、そのためには、勢いのかげる楽天市場からの新規客にだけ頼るのではなく、リアル店舗をふくめた広い市場から新規客を収集する方法を選択しており、そのための武器としてポイントを利用している・・・・という推測のもとに話を進めてきた。

  この推測が正しいとして、この戦略の大きな問題点は、ポイントの大盤振る舞いで集めた会員客が、楽天市場でのショッピングを通じて育成されたロイヤルティの高い顧客のように、グループ全体のサービスをも利用してくれる顧客になってくれるかどうか・・・ということだ。

  前述したように、「顧客基盤のなかには、顧客データだけでなく顧客との関係性も含まれる」。何回も購買した結果うまれた信頼感、ロイヤルティがあるからこそ、楽天の金融サービスに、伝統的銀行、証券、保険会社にはない魅力を感じてくれるのだ。

  たとえば、丸井も新規会員を集めるために他社との提携カードを展開し始めている。これまで20社と提携しているが、企業提携よりも商業施設との提携カードのほうが、利用率が丸井店舗と同程度になっていると発表している。実際に購買することで生まれ育てられた関係性が重要だということだろう。

  そこにあるのは、快適なショッピング経験から生まれた小売業者への信頼感だ。快適という言葉には、便利、簡単、誠実さ、信頼性などが含まれている。

  2008年の金融危機のあと、世界的に銀行への信頼感がうしなわれたなかで、自分がつねに利用してダイレクトなコミュニケーションが存在する小売業への信頼感が増した。「(小売店は)自分達の味方だ」と考える消費者が多くなったという調査結果があるということは、すでに紹介した。日本でも、バブル後から伝統的銀行への不信感は継続して高いものがあるし、反対に、スーパーマーケットやコンビニへの信頼感はとくに大震災後に高くなっている。そういった意味で、小売り業が消費者向けの金融サービスに入る大きなチャンスが到来しているといえる。

  楽天や丸井が金融セグメントに注力を注ぐのは正しい戦略だろう。

  だが、いまのところ、消費者の信頼感は本業である小売業(楽天市場)で培われているのだ。ポイント会員というだけでなく、そのポイントをつかって楽天市場や楽天トラベルで購買をしてもらう。そういった購買経験のなかで培われた信頼感があって初めて、金融サービスも継続して利用してもらえるようになる。

  そういった意味で、楽天市場の成長が落ちることを無視していては、第二のシアーズやテスコになる可能性がある。もちろん、三木谷社長は、その点には気がついていて、低評価の店の改善を促進することを宣言している。また、将来的にはAIで(経費をおさえながらも)サービスの向上(たとえば、楽天トラベルではAIが旅行先選択の相談にのる)をめざすと語っている。しかし、なによりもまず大切なことは、楽天市場サイトの使い勝手の悪さを改善するべきだろう。

  過去の歴史は、集客手段であった小売業の競争優位がうしなわれたとき、顧客ベースが縮小していき、結局、小売業も金融業も衰退していくことを教えてくれる。

  もちろん、極端にいって、金融業のほうを本業にして、楽天市場を縮小することもできる(アマゾンの配送サービスをまねしなくても営業利益で勝つためには、本当に質の良い個性的店舗だけを集める必要がある。その場合、楽天市場が小さくなるのは避けられないだろう)。日本のように、リテールバンキングが重要といいながら、相変わらず法人営業を中心としている都市銀行が多いなか、ダイレクトにコミュニケーションしていくほうが良質な金融サービスを提供できる可能性が高い。現に、日経金融機関、顧客満足度総合ランキングのNo.1はソニー銀行で9年連続だ。No.7に住信SBIネット銀行が入っていることからみても、消費者とダイレクトにコミュニケーションしている金融業のサービスが評価されていることがわかる。ちなみに、楽天銀行は34位だった。

  小売業あるいは金融業、どちらを本業にするとしても、楽天は、顧客満足度を向上する地道な努力を積み重ねる必要があるようだ。

  ちなみに、2016年2月に発表された中期事業戦略では、ネット証券、クレジットカード、銀行、生命保険、電子マネー、スマホ決済等々を含めた金融(フィンテック)事業の営業利益を2020年までにはいまの2倍の1200億円規模にするとしている。これは、国内ECが目標としている1600億円とそれほど変わらない目標額だといえる。

   *1 厳密にいうと割賦販売は販売信用となり、ローンの消費者金融とは分けて考え、販売信用と消費者信用を合わせてクレジットという。

  *2 世界で規制が最も少ないビジネス環境にあると思われている米国だが、意外なことに、金融関係では銀商分離規制があり、銀行業と商業の分離が定められている。だから、一般事業会社が銀行を買収することはできない(シアーズが80年代に銀行を買えたのは、当時の法律に抜け道があったからで、これも1999年に新たな規制ができて不可能になった)。が、欧州では、一定の条件のもとで、銀行と商業(一般事業会社)が相互に参入すること(株式を保有すること)が可能。日本でも、事業会社による銀行業への参入に関しては一定の条件のもとで認められている。だから、イオン、セブン&アイ、楽天は銀行をもつことができた。ソニー銀行もある。そういった意味で、アマゾンや他のIT企業が自社サービスを利用している店舗や中小企業にローンを提供したり、ウォルマートがプリペイドカードを発行したり、送金サービスをしたりしているのは、規制の範囲内でできうる限りの金融サービスの提供をしているといえる。

 

  

 

参考文献: 1.「楽天、共通ポイントで相乗り」、日経MJ 4/27/16、2.「成長陰り、焦る楽天」日経MJ 2/17/16、3.研究レポート「銀行業と商業の分離を見直すべきか」、(株)富士総合研究所 2001年5月、3.「楽天、共通ポイントで相乗り」、日経MJ4/27/16、4.「金融の営業益500億円」日経新聞 1/17/13、4.「丸井、脱ヤングファッションでどこへ行く?」 東洋経済オンライン 2/21/16、5.「丸井グループ、他者がうらやむ2つの強み」日経新聞電子版 12/8/15、6.「もがく楽天、じわり客離れ」 日経MJ 7/20/16、7.CCCに挑む楽天ポイント経済圏、日経新聞電子版 4/27/16, 8.「楽天20年目 海外戦略に壁」朝日新聞 7/30/16、9.「楽天vsTポイント、仁義なき戦い」 東洋経済ONLINE 9/2/13、10.Fretailers: Trust the stores to get into banking, 4/28/10, Financial Times, 11. company News: Sears to test use of other credit cards, 11/13/92, 12.Sears shifting aim back to retailing, The NewYork Times, 9/30/92, 13. Sears-Where America shopped, Crains, 4/21/12、14, Cars on Time, Historical Collections, HBS, 14. Keep Wal-Mart out of some financial services, Bankers ask, BloombergBusiness,15. Why General Electric is unwinding its finance arm, The Wall Street Journal, 10,13/15、15.「若者の丸井、みんなの店に」 日経産業新聞 10/31/14

Copyright 2017 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

2016年7月14日 (木)

ポピュリズムの時代にリーダーが知っておくべき脳の仕組み(大衆を説得する方法)

 

  英国の国民投票が行われたあとのニュースやワイドショーは、「英国、EU離脱」の話でもちきりだった。そのなかで、気になったのは、某コメンテーターが「理性ではなく感情だけで投票する人が多かったのは残念だった」というような意見をのべていたことだ。

  そのコメンテーターは、すでに60歳を超えているはずだが、その年になっても、まだ、人間の本性を知らないのかと驚いた。過去の歴史を振り返ってみればわかるように、戦争とかジェノサイド、あるいは、ビジネスでいえば著名企業の経営破綻――そういった出来事の原因を探れば、大きな判断ミスが見つかる。そして、そういった誤った判断をしたリーダーだけでなくそれに賛同した多数の人間は、理性ではなく感情に動かされて意思決定したことも明らかにされている。

  英国の国民投票でも、残留派が離脱することへの経済的損失を論理的に訴えたのに対して、離脱派は外国(移民、グローバル化)やエリート層への大衆の怒りを燃え上がらせることによって勝利した。英国のジョン・メージャー元首相は「経済と感情の戦い」だったとコメントしている。

  投票後、一夜明けたら、離脱に投票したのが間違いだったと後悔する人たちが続出し、もう一度国民投票をしてほしいと請願する署名が数百万人に達しているという。これに関しても、「一時的には感情にかられて離脱を選択したが、後で、理性が戻ってきたのだろう」と解釈されているようだ。

  90年代に急速に発展した神経科学により、人間が意思決定するためには感情と理性(論理的思考)の協働が必要であり、多くの場合、感情が理性の優位に立つことは科学の世界では常識となっている。この数年のハーバードビジネスレビューの記事をみても、リーダーの意思決定の問題になると、必ずといっていいほど、神経科学の知見が紹介されるようになっている。

  人間は論理的思考にもとづく理性だけで意思決定できる、感情に影響されて判断しないように意識的努力をすることができる・・・・などと思っているから、リーダー(政治家、経営者)は大きな間違いを犯すのだ。

  非常に皮肉なことではあるが、理性が働くのは安定した社会(時代)であり、本来なら一番理性をもって考えなくてはいけない時代(社会)には感情が意思決定の中心になる。なぜなら、もともと感情というのは、人間を含めた動物が生きるか死ぬかの非常時に素早く行動がとれるように生まれたものなのだから・・・。

  最初に生まれた感情は「恐怖」だといわれる。人類の(哺乳類の)祖先といわれる1億5000万年前ごろに生息していた小さなネズミのような哺乳類も「恐怖」の感情はもっていた。恐れの感情がなければ危険を察知して逃げることができない。当時地球上を闊歩していた恐竜の足音がきこえれば恐怖を感じてすぐに逃げる。嵐や火事が迫りくるのを察知して「恐怖」を感じて安全な巣に潜り込む。

  400万年前にアフリカのサバンナを二本足で歩いていた人類の遠い祖先は、自分達を食べようと近づいてくる肉食獣を見ると恐怖を感じた。恐怖を感じると、脳が特定の化学物質を放出し、その結果、血圧が上昇し心拍数が増加し、大きな筋肉への血流が増え、いつでも逃げられる準備が整う。恐怖の対象がはっきり見えるように瞳孔も拡大し、大量の酸素が吸入できるように気管支も拡張する。

  こういった説明でわかるように恐怖の感情は無意識のうちに生まれる。大脳辺縁系という進化的には古い脳のなかの扁桃体と呼ばれる部位が、恐怖という感情の生成に関係している。大脳辺縁系で恐怖の感情が生まれたとき、私たちはそれを意識することができない。大脳辺縁系を覆うようにしている(200~300万年前の霊長類において格段と発達した)大脳新皮質に情報が伝達されて、初めて、恐怖を感じることができる(自身が感じることができる感情と異なるという意味で、大脳辺縁系で生まれる感情を情動として区別することもある)。

  恐れを意識する前に「逃げる」というとっさの行動がとれるように脳はつくられている。感情(情動)は生存率を高めるためにつくられた仕組みなのだ(詳細は、拙著「売り方は類人猿が知っている」を参照してください)。

  こういった基本を理解したうえで、不安な時代に、なぜポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭するのかを考えてみます。

  不確実な時代に、私たちが常に感じているのは「不安」だ。

  不安は、恐怖の変形だ。英語で、よく使われる言葉に「Flight or Fight」がある。「逃げるか戦うか」。恐怖を感じたら生きるために逃げる。だが、逃げるだけの時間がなかった場合はどうするのか? 残された選択肢はただ一つ。 たとえ相手が獰猛な肉食獣でも、自分の命をかけて戦うしかない。

  たとえば、ネコという動物を例にとってみる。動物は基本的に危険を察知したら逃げる。無駄な戦いはしない。だが、壁際に追い詰められたらどうするか? 爪を出して飛びかかる。恐怖という感情は、逃げるのを優先させるが、逃げられないときには戦う選択を迫る。

  しかし、実際には、逃げるべきか戦うべきか迷って選択できないときが多い。ネコが自分より大きくて若いネコが近くにいることを察知する。このまま、じっとしていれば気づかれないかもしれない。逃げればかえって気づかれて追いかけられるかもしれない。でも、相手はどんどん近くにやってくる。これ以上近くに来る前に逃げたほうがいいかもしれない。ああ、でも、もう遅いかもしれない。決断がつかなくて金縛りにあったように身動きできない。

  このあいまいな心の状態が不安だ。

  短時間で現れ消える不安という感情も、もともとは、生存に必要な感情だった。自分が置かれた状況(まわり)への警戒心をもたせ、次の行動への準備をするという意味でも、生存に必要だった。問題は、いまのような不確実な社会に住む人間は、この不安感を数か月、場合によって、数年から数十年、ずっと感じつづける状況に陥っていることだ。生理学的にいえば、大脳辺縁系の扁桃体が常に活性化していて、本来なら、逃げるとか戦うのに必要な化学物質(ノルアドレナリン)を放出しつづけていることになる(その結果、免疫力や記憶力の低下、うつ病などをもたらすストレスホルモンが体内で増えることになる)。

  不確実であいまいな状況において意思決定をしなくてはいけないとき、人間の脳は不安を感じ扁桃体が活性化することを証明した実験がある。

  米国カリフォルニア工科大学での2005年の実験で、被験者には、実際に金銭を賭けて、自分が次に引くカードが赤か黒かのギャンブルをしてもらう。第一の実験では、最初に赤と黒それぞれのカードの枚数が明らかにされることにより、被験者は自分が赤のカードあるいは黒のカードをひく確率を計算することができる。が、第二の実験では、最初に赤のカードと黒のカードの枚数を知らされないので、確率計算ができない。各実験をするときの被験者の脳の動きをfMRI(磁気共鳴機能画像法)でスキャンしてみると、カードの確率を計算できない曖昧な状況である2番目の実験では、扁桃体が高く活性化する。

  不確実性の定義については、米国の経済学者フランク・ナイトの1921年の論文が有名で、彼は、確率で予測できるものをリスクとし、確率でも予測できないものを真の不確実性とした。

  フランク・ナイトの定義にしたがえば、2005年の実験は、確率でも説明できない不確実な状況下では、人間は脳の扁桃体が活性化して不安を感じる傾向が高くなることを証明した。

  もっとも、数字で表現できれば安心できるというわけではない。地震予知でもわかるように、今後30年以内に地震が発生する確率は80%といわれるのと50%といわれるのと、どちらが安心か? 50%だからホッと安心というわけでもないだろう。 

  そういった人間心理を明らかにした2016年の英国UCL大学での実験がある。

  45名の被験者がコンピュータゲームに挑戦する。スクリーン上の石をひっくり返すと蛇が隠れているかもしれないというゲームで、もし、蛇が出てくると、痛みをともなう電気ショックを手に受けることになる。電気ショックを避けるため、被験者は、さまざまな手がかりから蛇が隠れていない石を選択しようと考える。

  この実験で明らかになったのは、電気ショックを受けるとわかっているよりも、受けるか受けないか曖昧な状況にあるほうがストレスが大きいということだ。石をひっくり返すときに蛇が隠れているかどうかの予測がまったくつかないときは、電気ショックを受ける確率が50%となる。そのとき感じるストレスは、確率0%や確率100%のときよりも大きくなる(ストレスの度合いは自己申告や、皮膚の発汗、瞳孔の大きさなどでチェックした)。

  この実験で驚くべきことは、いまひっくり返そうとしている石の下に蛇が隠れている確率は100%だと思っているときに感じるストレスよりも、どちらか明確でない曖昧なときに(確率50%のときに)感じるストレスのほうが高い・・・ということだ。

  どんなに否定的な結果であろうと、先行きが見えないときよりもストレスが少ない(余談になるが、不良在庫処分を小出しにする経営者が多いが、投資家の心理からいえば、まだ在庫があるのではないかという不安材料があるよりは、一気に在庫の評価損を出しきってくれた方が、株価への悪影響は小さくなることが多い)。

  紹介した2つの実験からも、いまの不確実な社会に生きる人間の不安度、そしてストレスがどれだけ高いかがよくわかるはずだ。

  不確実な状況において、人間は理性より感情や直感に基づく行動をとりがちになる。なぜなら、恐怖の変形である不安を感じており、「いつでもすぐに『逃げるか戦うか』の行動を早急にとらなくてはいけない」という心理状態になっているからだ。じっくり論理的に考えるときではないと脳は判断している。論理的思考なしに判断を迫られているわけだから、他人の言動に左右されやすく、状況次第で大きく行動を変える傾向が高い。あいまいな状況を脳は一番嫌う。早く黒か白か決着をつけたいと思っているのだ(だが、自分で決めることができないので、誰かにきっかけを与えてほしいと思っている)。

  不確実な時代にリーダー(政治家、経営者)は、どういったメッセージを一般市民に(あるいは消費者に)発信すべきなのか? 

  ポピュリズムは、その時代や社会状況によって、異なる意味合いをもつ言葉だが、最近では、「大衆迎合主義」とか「衆愚政治」と訳されるように、悪い意味合いで使われることが多い。辞書によっても説明が微妙に異なるが、「知恵蔵2015」では、「政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動をポピュリズムと呼ぶ」と解説されている。

  次いで、「民主主義は常にポピュリズムに堕する危険性を持つ」として、「そのような場合、問題を単純化し思考や議論を回避することがどのような害悪をもたらすか、国民に語りかけ、考えさせるのがリーダーの役割だ」とつづく。

  この説明はちょっとおかしい。不確実で不安な時代に、じっくり考えよとか問題を単純化してはいけないとか、人間の脳の仕組みとは真逆のことを言っていること自体、危機の時代のリーダーとは思えない。これでは、扇動家の思うつぼだ。

  理性(論理的思考)を重んじるという人たちは、ポピュリズムをあおる扇動家を非難する前に、彼らが使っているコミュニケーション手法を学び、一般大衆を説得できるメッセージを送るようにするべきではないだろうか? 

  大衆を説得できるコミュニケーションの特徴を3つにまとめてみた。

  1. 感情に訴える・・・抽象的表現は避ける。具体化、具象化を心がける。
  2. 曖昧にしない。黒か白か明確にする。
  3. 複雑なことを単純化する・・・シンプルに表現する

  この3点について説明してみます。

  感情に訴えるために必要なのは、抽象的表現ではなく具体的表現を使うことだ。英国の国民投票を例にとれば、残留派リーダーは、EUメンバーであることの経済的恩恵を語った。世界に開かれた市場になることがどういった恩恵をもたらすか、多くの数字を並べた。だが、統計数字は抽象的すぎて、暮らしが貧しくなったと具体的に感じている聴衆の感情にはアピールできない。

  それに対して、離脱派をまとめたのは、怒りの感情だった。怒りの対象は具体的に頭に浮かべることができた。移民(グローバル化という抽象的概念を具象化している)やEUや英国の政治を支配しているエリート層だ。

  スピーチで他人の言動に影響を与えることが上手なひとは、メタファー(隠喩)を使う。メタファーは聴衆に具体的イメージを提供する。だから、メタファーを巧みにつかったアップルのスティーブ・ジョブスは、聴衆の心に感動を与えることができ、プレゼン上手と評判をとった。

  日本でポピュリズムという言葉をが使われるきっかけを作ったと言われる小泉元首相もメタファーの使い方が上手だった。メタファーを使うことで、聴衆は彼が言いたいことを一瞬のうちに(直感的に)理解できる。たとえば、小泉元首相は総裁選で「自民党をぶっこわす」と発言した。自民党を革新するとかいわれても、「革新」という言葉は抽象的で具体的イメージがわかない。だから、聴衆の感情に訴えることはできない。だが、「ぶっこわす」と言えば、壁や建物が崩れ落ちる具体的なイメージが浮かぶ。

  米国のトランプ大統領候補でいえば、メキシコから不法移民が入ってくるのを止めるために、「メキシコとの国境に壁を築く」と発言した。「国境の壁」という言葉は、不法移民を防ぐための法律をつくるとか警備を厳しくするといった話よりも具体的イメージを浮かべやすい。移民によって不公平な扱いを受けていると考える人達には大いに受けた。

  考え方を具象化することで感情にアピールすることができる。メタファーで自分のアイデアを具体化、具象化することで、どんな教育レベルの人や異なる環境にある人とも同じ概念を共有することができる。ポピュリズムの扇動家を批判する前に、リーダーはこういったコミュニケーション手法を学ぶべきだ。

  ついでに付け加えれば、英国のEU残留派は論理的思考にもとづいて理性をもって残留を選択した人達だと思われているようだが、これは真実だろうか? 

  「Flight or Fight/逃げるか戦うか」でいえば、離脱派は国内外のエリート層に怒って戦うという行動を選択した人たちだ。行動の結果がどうなろうと失うものはない。つまり、自分たちが置かれている今の状況は最低だから、なにをしてもこれ以上失うものはないと判断したのだ。それに比べて残留派は、EUの将来は明るいと考えて残留を選択したわけではない。自分たちが置かれた今の状況は必ずしも良いものだとは思っていない。だが、離脱すれば現状より悪くなる可能性がある。離脱派よりはましな暮らしをしているぶん、失うものがある。だから、行動経済学でいうところの「損失回避性」で、自分たちが今持っているものを失うことに恐怖心を感じたのだ。経済的恩恵を示す統計数字を論理的に判断したわけではない。

  残留派も、やっぱり恐怖心、今持っているものを失うことへの恐れの感情に影響されたということができる。

  話を元に戻します。

  大衆を説得するためのコミュニケーション手法の2番目です。

  第二に、曖昧にしない。黒か白か明確にする。TVのコメンテータの言葉やマスメディアの論説は、放送規制もあるだろうし、言質をとられないようにしているためもあるだろうが、すべてがあいまい。黒白を明確にしないから説得力がない。

  だからこそ、「保育園おちた日本死ね」といったブログが短期間に世論に影響力を行使することができるのだ。

  不確実な時代に一般市民は不安であいまいな心理状態にいる。これ以上、エリート(たとえばコメンテータや政治家、経営者)の論理的説明は耳にしたくない。自分自身迷っているのだから、誰かに決めるきっかけを与えてほしいと思っているのだから。

  第一次安倍内閣で失敗した安倍首相が学んだことは、黒白を明確にすること。あいまいなままにしておかないこと。それを学んで実行しているから、強いリーダーのイメージを維持することができる。なんだかんだと言いながら支持率が高いのは、不安な時代には強い(強いイメージを持った)リーダーが好まれるからだ。

  皮肉な言い方をすれば、黒白がはっきりしない曖昧な表現をするのは、エリート(コメンテータや政治家、経営者)自身が意思決定できていないからだといえる。行動を起こすためには、いくつかの選択肢のなかから一つを選ばなければいけない。黒白つけられないということは、自分自身が行動するつもりがない・・・ということだ。

  そして、最後に、シンプルに説明すること。複雑な説明は曖昧さをもたらす。複雑になるのは、多くの場合、言い訳を付加しているからだ。選択するということは行動を起こすことであり、行動自体の説明が複雑になるはずがない。小泉元首相はワンフレーズポリティックスと揶揄された。が、彼は、他人を説得するためには単純でなければいけないことを知っていたともいえる。

  「保育園おちた日本死ね」は、具体性、曖昧のなさ、単純性において、一瞬のうちに多くの人たちの共感をえた。それに反発した(とくに言葉使いに反発した)人たちもいたようだが、こういった人たちはポピュリズムの扇動家の説得力に勝つことはできない。

  紀元前4世紀に弁論術の古典を著したアリストテレスは、聴衆を説得するためには次の3つの要素が必要だとした。

  • logos(ロゴス) - 論理的な説得
  • pathos(パトス)- 感情に訴えることよる説得
  • ethos(エートス)- 話し手の人柄(人格)による説得(信頼できると直感できる話し手)

  他人を説得するための3要素の必要性はいまでも変わらないだろう。日本では、人柄もよく理性的で論理的説明ができる人は多い。だが、惜しいことに、その多くが、相手の感情にアピールする術を知らない。ポピュリズムに懸念をもち、それを阻止しなくてはいけないと思っているのなら、人間の脳の仕組みを知り、感情に訴える方法を学ばなくてはいけない

  日本は伝統的に黒白をつけるのを避けあいまいさを尊ぶところがある。だが、他の先進国と同様に、経済格差や世代格差が進むなか、そういった考え方も変化してきている。あいまいな社会では必要なかった他人を説得するテクニックは、今後は、とくにリーダーになる人には、必須のコミュニケーションテクニックとなるはずだ。

  最後に、米国のトランプ旋風でのエピソードをひとつ。

  米国のトランプ大統領候補を支持するのは学歴の低い白人で低所得者で労働者階級が多いといわれる。海外ニュースを聞いていたら、トランプ候補が支持者の集まりで、支持者をたたえるような口調で「きみたち教育のない人達をボクは大好きさ」と発言しているのでびっくりした。教育がないと言われた人たちも、それに傷つくわけでもなく声援をおくっていた。思うに、日本人は、大卒じゃないのは恥ずかしいことだと感じている人たちが多いということか。それに対して米国人は、「教育がないのがなにさ」と開き直っているのか・・・? グローバル化で、とくに先進国は多くの点で類似してきているが、ときどき、日本との違いをみせつけられて驚くことがある。

 

 

参考文献:1.ルディー和子「売り方は類人猿が知っている」日本経済新聞出版社、2.ルディー和子「合理的なのに愚かな選択」日本実業出版社、3. Computations of uncertainty mediate acute stress responses in humans, Nature Communications 7, March 2016, 3. EU Referencum: a contest between economics and emotion, Financial Times 6/23/16

Copyright 2016 by Kazuko Rudy. All rights reserved. 

  

  

2016年5月30日 (月)

エンゲル係数では説明できない「人類の究極の快楽は食べること」

  エンゲル係数(家計の消費支出に占める食料費の割合)が高くなったと、最近、話題になっている。それに関連して、イオンの岡田社長が、4月の決算発表の場で、「エンゲル係数が上がっている。今の日本社会では食べることにしか楽しみがないようだ。本来はもっといろんな楽しみがあるはずだが、それを受けとめる商品がない」とコメントしたという。

  そのコメントに関して、朝日新聞編集委員が「刺激的な言葉だった・・・。今の社会が求めている小売業やサービス業とはどのようなものか? それに対しての答が見つかっていない」といったような内容の記事を書いていた。

  岡田社長も、この編集委員も、食べること以外の楽しみを企業は提供しきれていない・・・という考えのようだ。朝日新聞の記事によると、岡田社長は「(食べることしか楽しみがないということは)国家が抱える課題でしょう」とまで言い切ったそうだ。

  この考え方は根本的に間違っている・・と思う。

  「食べることしか楽しみがない」のではなく、「人間は一定レベルの欲望が満たされたとして、それでも、最後まで残るのが食欲だ」といったほうが正しいのではなかろうか? 

  WHO(世界保健機関)は、2014年には世界中で19億人が太りすぎで、そのうちの6億人は肥満と認定されると報告している。この数字は20年前の2倍となっている(肥満の定義は文末の参照をチェックしてください)。

  肥満は高血圧、高コレステロールで心臓病を患いやすく、糖尿病になる率も非常に高い。結果、医療費の増大、生産性の減少をもたらす。肥満は世界的に大きな社会問題となっているのだ。

  肥満は、生活レベルも高く安定していて娯楽も多い先進国でも悩みのタネだ。米国を筆頭に、ヨーロッパではドイツや英国で、体重過多は社会が取り組むべき課題とになっている。デンマークは、ドイツや英国のようにならないように、飽和脂肪酸を多く含む食品に余分の税金をかけるという荒業を採用した(だが、この世界最初の「肥満税」は物価上昇と企業の売上減少につながるということで一年後にとりやめられた)。

  生存するために食べる・・・というレベルをはるかに超え、死に至る病になってまで食べたいという欲望は世界の民族が共有しているようだ。

  「そりゃそうだ。だって、食欲は本能的欲望なのだから」という答は十分ではない。なぜなら、同じく本能的欲望の一つである性欲のほうは、先進国においては食欲とは反対に減少傾向にあるからだ。

  夫婦間のセックスレスの問題は日本が世界一。頻度が低いほうで世界一(大手避妊具メーカーの世界42か国調査)。だが、日本ほど頻度が低いわけではないが、米国でも1989年からの調査(シカゴ大学のGeneral Social Survey)によると、一か月に一回以下のセックスレス夫婦は、毎年0.5%ずつ増加しており、過去23年間で68%の増加となっている。英国においても、2013年に発表された16歳から44歳の15000人を対象とした調査によると(National Survey of Sexual Attitudes and an Lifestyle)、1か月平均で5回以下(男性4.9、女性4.8)だった。同じ質問を10年以上前にしたときは約6回(男性6.2、女性6.3)であった。

  どうも、食欲は性欲より欲望度が高いようだ。

  その理由を探る前に、エンゲル係数に関する誤解をいくつか説いておきたい。

  エンゲル法則は、ドイツの統計学者であるエルンスト・エンゲルが1857年に発表したもので、収入が上がれば、その収入のなかで食料品に費やす割合(これがエンゲル係数)は下がるというものだ。つまり、収入の少ない貧しい世帯は、高所得者世帯よりも、エンゲル係数が高いということになる。エンゲル係数は、国の生活水準を表す指標としても使われるようになり、エンゲル係数が高い国は生活水準も低く貧しい国ということになる。

  国連が採用しているエンゲル係数水準では、59%以上は貧困国(ちなみに、終戦直後の日本は2人以上世帯で66%前後だった)。50~59%は最低限のニーズを満たすやや貧困、40~50%がややゆとり、30~40%が富裕国、そして30%以下が超富裕国・・・ということになる。

  日本で最近さわがれているのは、2015年5月以来、エンゲル係数25%台が続いているからだ。25%台は1990年前後の水準で、それ以降は、ずっと23%前後で推移していた。が、2011年から上昇傾向にある。

 上昇傾向にあるとはいっても30%以下なのだから、依然、超裕福なレベルにとどまっている。が、それでも、他の先進国に比べると日本のエンゲル係数は高い。たとえば、米国は8.6%、英国は13%、フランスは16.7%(2010年ないしは2011年)。しかし、どの国も、2007年ごろから少しずつ上がってきていることは事実だ。

  日本を含めた先進国でエンゲル係数が上がっている理由として次の2点がある。

  1. 共稼ぎや高齢者を含めた単身世帯が増えたことにより中食、外食が増大、 
  2. 2008年のリーマンショック前後からの収入減少。

  日本の場合は、上記2点以外にも、

  1. 食品自給率が低く輸入に頼っているため、食品価格が高い。最近はとくに円安が進んだために食品の値上げがつづいている。
  2. 長期にわたる給与所得の伸び悩み、

 ・・・といった計4点が理由としてあげられている。長期にわたるデフレで給与所得も低いままだったところに、ここにきて輸入に頼っている食品価格が上昇したというところか

  とはいえ、エンゲル係数をつかって国の富裕度を比べることは、世界的に貧富の差がひろまっている今、あまり意味をなさなくなっている。たとえば、米国では、高額所得者のエンゲル係数は2004年からほとんど変わらず6%台だが、中流層は11~12%台、低所得者層の数字は、30%をこしており、2009年には35.6%になっている。日本でも、収入を5分割して、各層のエンゲル係数を調べてみると、平均は23.6%だが、収入が一番低い層では26.1%、一番高い層は21.9%となっており、その差は大きい。

   貧富の差が開いているいま、平均の数字をつかって批評することは、あまり意味をなさない。

  さて、話を戻して、岡田社長の「今の日本社会では食べることしか楽しみがないようだ」というコメントへの反論を書いてみます。

  さきに結論を書いてしまうと、人間はある程度お金持ちになって、欲しいものも買えるようになって、旅行とかもろもろしたいこともできるようになったとしても、食べることの楽しみは究極の快楽として残る・・・ということだ。だから、食べることしか楽しみがないのではなく、いろいろやりつくして、それでも、なおかつ、最後まで残る欲望が食欲だということだ。

  ローマ帝国の貴族は、財産を浪費することがステータスでもあり、宴会には当時の世界中の珍味が並べられ数時間延々と続いたといわれる。有名な話なのでご存知の方も多いだろうが、満腹になるとクジャクの羽根でのどをくすぐることで、嘔吐して食べたものを吐く。胃をからっぽにしてまた食べたといわれる。空腹を満たすとか栄養を摂取するのとは無関係に、食欲という本能を満足させ快楽を得るために食べたのだ。

  このローマの貴族の宴会を思い起こさせるフランス映画「最後の晩餐」は73年に制作された。内容は、4人の社会的地位もあり金持ちの中高年の男たちが(つまり、満足できる人生をある程度やりとげた男たちが)、パリの高級住宅の一室に集まり、死ぬまで食べつくす・・・グルメ料理を食べて食べて、間に嘔吐して、それでも食べて、最後にみんな死んでしまう・・というグロテスクなものだ。その年のカンヌ映画祭ではあまりの不快さゆえに映画館内はブーイングの嵐、審査員長だった女優イングリッド・バーグマンが、映画を観終わって嘔吐したというウワサもある。

  この映画が2013~15年にかけてヨーロッパやアメリカで再上映された批評は、73年にはショッキングな内容かもしれないが、今の時代では「それほどでも・・・」といったものだった。

  外国に行けば、グロテスクにまで太った人が、気持ち悪くなるくらい大食いしているのをフツーにみられる。食べることへのむきだしの欲望に嫌悪感を感じる傾向は、もう、ないのかもしれない。

  なぜ、人間は、生存に困らないくらいには食べられる現代にあっても、食べることがまるで最高の快楽を得られる行為であるかのようにふるまっているのだろうか? その答えを探ってみます。

  食欲は本能的欲望だ。人間は食べなければ生きてはいけない。だから、脳は、脳の所有者が食べ物を必死になって探すように、食べることで快感という報酬が得られるような仕組みにつくられている。食べると脳の報酬系が刺激され、ドーパミンという化学物質が放出され、快感を感じる(詳しいことは、拙著「売り方は類人猿が知っている」を参照)。

   一万年前に農耕生活が始まるまでの数百万年という気が遠くなるくらい長い間、人類とその祖先は飢餓と戦ってきた。人間の脳には、飢餓の時代のころのことが記憶としてあるいはDNAとして残っている。だから、高カロリー食品が大好物なのだ。飢餓の時代の先祖が、脂肪分とか糖分が多く含まれている高カロリー食品を発見したら、絶対に全部たべる。このチャンスを逃がしたら、次にいつ食べられるかわからないのだから、とにかくありったけ詰め込む(映画「最後の晩餐」を思い起こさせる)。これが生存率を高める方法だから。

   狩猟採集生活の祖先の中で、脂肪の形でエネルギーを効率的に蓄えられた人は、少ない食べ物でも生存率が高くなる。こういう「倹約遺伝子(Thrifty Gene)」を持っている人ほど、生存率が高くなり、結果、その遺伝子をもつ子孫の数も多くなる。

  が、かつては生存に適した遺伝子は、飽食の時代では、邪魔になる。肥満や糖尿病になりやすく、生存のためにはかえって不利な条件となる。人種的にはアフリカ、東南アジア、ポリネシア出身の人たちはこういった倹約遺伝子を受け継いだ割合も高く、日本人もこの遺伝子を欧米人の2~3倍も高くもっているといわれる(だから、日本人は日本食を食べるべき)。 

   世界肥満度ランキングで、上位を占めるのは、ナウル、クック諸島、サモア、トンガといった太平洋諸島で、それを説明する理由として倹約遺伝子説がつかわれる。つまり、長い航海を耐え生存して島にたどり着いた人たちは、脂肪の形で十分なエネルギーを保存することができた人達だ。そういった代謝システムをもった遺伝子をうけついでいる子孫が伝統的に島でとれる食物だけを食べていたころはよかった。が、西洋から伝わった肉や甘いものを口にするようになると肥満が寿命を縮めるようになる。

  現代人が高カロリーな食品に抵抗できないことを説明する説はたくさんある。たとえば、日本語でも「別腹」という言葉があるように、欧米でも、どれだけ満腹でもデザートのためには「第二の胃」があるという。甘いものに含まれる砂糖には、胃の反射神経を刺激して胃壁を拡張させる作用がある。そういった意味では、フルコースの食後に甘いものを口にすることは、胃の満腹感を和らげるので理にかなっている。問題は、ついつい食べ過ぎてしまうことだ。

  甘いもののなかでもチョコレートにはPEA(phenethylamineフェネチルアミン)が多く含まれている。PEAは快楽感をもたらすドーパミンが脳内に放出されるのを促進する性質がある。だから、1600年代には媚薬とみなされ、修道士などが口にするべきものではないと禁止されていた。

  報酬系を活性化してハイになる(快感を感じる)覚せい剤や麻薬が依存症や中毒をもたらすように、甘いものも、次第に食べる量がふえ、食べないとイライラする症状をもたらす傾向がある。結果、甘いものを食べれば太るとわかっているのに、止められない。

  このように、飢餓の時代に、必死になって食べ物を探す動機づけをするためにつくられた脳の仕組みは、いまでは、健康を妨げるものになっている。

  米国の心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求を5段階の階層に分け、生命維持のための食事・睡眠・排泄などの本能的・根源的な欲求を第一段階として、そういった欲求が満たされれば、次に、安心で安全な環境を欲求する第二段階に移る・・・とする理論を、1943年に発表している。

  マズローの欲求五段階理論は、ピラミッドの形で説明されることが多いので、ご存知の方も多いであろう。

  1. 生理的欲求 (Physiological needs)
  2. 安全の欲求 (Safety needs)
  3. 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
  4. 承認(尊重)の欲求 (Esteem)
  5. 自己実現の欲求 (Self-actualization) 

 

  映画「最後の晩餐」の4人の登場人物やローマ帝国の貴族たちは、4番目の承認の欲求、つまり、地位、名声、注目などを獲得し、自分が属する社会集団で価値ある人物であると認められるところまで到達した者たちだといえよう。だが、それでも、食欲という本能的欲求の力には勝てなかったようだ。4番目から5番目の「自己実現」に移行するという欲求がそれほどない人達(実際には大半の人達が5番目に到達できないといわれる)は、3と4の段階をある程度達成すると、次に何をしてよいのか、人生を生きることへの動機づけがなくなってしまうようだ。

  また、テロや戦争に対する恐怖、地球温暖化による自然災害(日本には地震災害もある)、資本主義経済への信頼度低下・・・といった不安度の高い社会においては、2番目の安全・安心への欲求すらおぼつかない。将来への確固たる希望が持てない不安定な情勢のなかでは、内向きにならざるをえない。家でおいしいものを食べること以外に快楽を求める欲求度は低いのかもしれない。それが、先進国の肥満度の増大につながっているのかもしれない。

  最近、シェアリングエコノミーといって、自動車、住居、洋服、、その他を所有しないでシェアする傾向が高くなっている。化粧品のような消耗品ですらシェアするようだ。だが、食品はどうだろうか? 大きな袋づめの菓子を数人でシェアすることはできるだろうが、ケーキとかアイスクリームとかステーキとか、食べ物は食べれば消えてしまうし、生鮮度の問題もある。食べ物はシェアしにくい。

  ものを所有しないシェアリングエコノミーの時代になろうと、あるいは、ある程度の裕福度を達成しようとも、食べるものへの欲望は減少することがない。好きな食べものへの中毒とまではいかなくても依存度は強い。

  人類の究極の快楽は食べること。

  だから、クルマやファッションとか売れなくなっても、おいしい食べ物だけは、必ず売れる。

*参照: 肥満であるかどうかは体脂肪量による。世界的に広く使われている指標はBMI(Body Mass Index)。WHOによる肥満の判定基準は、BMI30以上が肥満で、25以上が太りすぎ。 BMI=体重kg/(身長m)2

参考文献: 1.「食べる以外の楽しみを売るには」朝日新聞4/26/16、2. Denmark's food taxes/A fat chance, the  Economist, 11/17/12, 3.Survey examines changes in sexual behaviour and attitudes in Britain, UCL News, 11/26/13, 4.Japan, The Sexless Nation, Tokyo Business Today, 12/19/14, 5.Sexless marriage in america keeps rising, new study reveals, Breitbart connect 2/1/15, 6.La Grande Boufe: the ovie that shocked Cannes, 40 years ago, The Same Cinema Every Night 5/17/13, 7. エンゲル係数については、日本の場合は、総務省統計局家計調査による。米国の場合は、USDA, Economic Research service based on the data from the Bureau of Labor Statistics consumer Expenditure Survey 2004-09、8.「先進国で上昇する「エンゲル係数」 背景にあるのは」 日経新聞 9/18/12、

Copyright 2016 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

2016年5月 1日 (日)

無敵Googleが恐れるボット・プラットフォーム

  

  ネットの世界では、「会話型ボットをつかったメッセンジャー・アプリ」が話題になっている。これが、ネットの次世代のプラットフォームになるだろうと予測されているのだ。

  ・・・といっても、一般的には、「それが何なの?」的な反応しかないと思う。「だいたいボットとかメッセンジャー・アプリって何なの?」という読者は、文末に簡単な説明をいれておきましたのでご覧になってください(ちなみに、LINEは2億人が利用しているメッセンジャー・アプリです)。

  ネット上で、プラットフォームが変わるということは、たとえば、マイクロソフトがネットの世界における王座をGoogleやAppleに奪われたように、GoogleやAppleが他の新興企業にいまの地位から引きずりおろされる可能性を意味している。

  浮き沈みの激しいテックの世界の人達にとっては、とっても重要なことなのだ。

  会話型ボットはデジタル秘書とかデジタル執事といったほうがわかりやすいかもしれない。でも、映画やマンガに登場するデジタル執事を想像したら、実際の会話型ボットにはかっがりするだろう。Facebook のザッカーバーグCEOが、「映画『アイアンマン』に登場するデジタル執事ジャーヴィスのようなAI(人工知能)を、自分用に構築したい」と、今年の新年の抱負として書いていたように、現実はフィクションにはまだ追いついていない。

  ジャーヴィスのように音声で問いかければ音声でなんでも正確に答えてくれるようなAIボット(人工知能ロボット)はいまだ存在しない。AppleのiPhoneやiPadなどに搭載されているSiriはデジタル秘書だといわれ、そのAIは使えば使うほど進化していくとされる。が、ジャーヴィスのようにどんな難問にでも正確に答えることができるわけではない。そのかわり、面白い会話ができるような性格づけを最初にしておくことで、能力のなさをごまかしているところがある。

  たとえば、Siriに「0÷0は?」と質問したら、「0個のクッキーを友達0人で分けるとします。一人当たり何個になりますか? ほら、無意味な質問であることがわかりますよね。 それに、友達がいないとさびしいですよ」というような答が返ってきた・・・と、世界中で話題になった。

  このように、デジタル秘書とか執事は、まだ、話のネタのレベルだ。

  いま、ネットの世界で話題になっている「会話型ボット」は、音声ではなく、文字をつかう。LINEのようなメッセンジャーアプリで知人と短いメッセージのやりとりをするように、ボットとテキストベースのメッセージを交換することを「会話型」といっているのだ。

  そのぐらいのレベルで、なにがそんなに注目されているのか? 

  どうやら、注目されているのは、「会話型ボット」と「メッセンジャー・アプリ」の組み合わせであり、この結合が、10年に1度の大きな変換(パラダイム・シフト)を意味するというのだ。なんの変換かというと、コンピュータとユーザーとの接点にあたるインタフェースの大きな変換だ。

  コンピュータのユーザー・インタフェースの歴史においては、10年ごとにパラダイム・シフトがおきている。デスクトップPCの時代には、90年代半ばまでは、マイクロソフトWindowsが標準OS(基本ソフト)となり90%以上の市場シェアを誇った。が、2000年代半ばにモバイル端末が急速に普及し、モバイル端末のOS市場はAppleのiOSとGoogle のAndroidの寡占状態となる。そして、アプリの時代へと突入。だが、ゲーム好きな日本や韓国を除いて、アプリの黄金時代は2010年に終わったといわれる。

  スマホ用アプリはあまりに数がふえすぎて、実際にダウンロードされるアプリ数は減る傾向にある。AppleのiOS用アプリは150万個、GoogleのAndroid用には160万個のアプリが発売されている。だが、米国では、実際に使っているアプリはわずか3個だ(2015年調査)。

  日本はAndroidのアプリ収益が世界一であるようにアプリ大国。だが、ダウンロードされるアプリは圧倒的にゲームアプリ。日本のユーザーがスマホゲームに費やす時間は米国の4倍で、アプリストアにおける収益のうち90%がゲームアプリとなっている。月に10回以上利用するアプリは9個と、米国より多くなってはいるが、利用するアプリの種類をみると、ゲームを含めたエンターテイメント系の割合が一番高い(ニールセン2014年調査)。

  ゲーム以外のコミュニケーションやサーチ、ソーシャルメディア系アプリに関しては、日本でも利用するアプリの数は減る傾向にある。多くのスマホユーザーは自分の気に入ったアプリを使うだけで終わっているようだ。そして・・・

  1. 複数のプラットフォーム(たとえば、iOs, Andoroid, Windows)で動くアプリを開発して維持するコストに比べると、テキストベースの会話型ボットにかかるコストは低い。また、ボットを作るのは比較的簡単だし開発スピードも速い。
  2. メッセンジャーアプリが世界的に普及している。たとえば、日本では圧倒的にLINEだが、中国ではWeChat(アクティブユーザー数6億5000万人), 西欧ではWhatsApp(9億人)。だから、一般ユーザーはテキストベースの短いコミュニケーションのやりとりに慣れている。

  ・・・ということで、2016年からは、メッセンジャーアプリ内でボットをつかったテキストベースのインタフェースが中核となり、これが次世代プラットフォームとなると予測されている。

  つまり、お気に入りのメッセンジャーアプリ一個だけをダウンロードする。そうすれば、たとえば、母の日に花を贈りたいとして、わざわざ、Google検索して通販サイトにアクセスしたり、あるいは、花の通販会社のアプリをダウンロードしたりする必要はない。いつも使うメッセンジャーアプリ内の花の通販会社のボットと直接やりとりをすればよい・・・と、FacebookのザッカーバーグCEOは4月12日に発表している。

  Facebookは、4月12日に、世界で8億人が利用している自社のメッセンジャーアプリのオープン・プラットフォーム化を発表した。Facebook MessengerのなかでAIを採用したボットと呼ばれるソフトを簡単に作れる仕組みを、無償で提供することにしたわけだ。すでに、通販会社や旅行予約など30社以上が契約を結んでいるという。

  花の通販サイトの場合、ボットを呼び出すと「花を注文しますか?それとも、顧客サポートと話しますか?」と文章で問いかけてくる。「注文する」を選択すると、花の種類、配達先情報、支払情報を順番に聞いてくるので、テキストベースのやりとりをして、注文完了となる。

  Google検索してサイトにアクセスしたり、いくつかのアプリをダウンロードするのではなく、ひとつのメッセンジャーアプリだけをつかい、そのなかで、ボットと会話するだけで、すべてのタスク(検索から選択、注文、決済サービスを提供している場合は支払まで)をこなしてもらう。

  メッセンジャー・アプリ上で様々なサービスを利用できる仕組みで先端を走っているのは日本のLINEとか中国のWeChatといったアジア勢だ。2016年1月時点で6億5000万人のアクティブユーザーをもつWeChatでは、100万件以上の企業がアカウントを開設していている。タクシーやレストランを予約、ネット通販で購買、出前の注文、請求書支払、すべてを、WeChatアプリから離れることなくできる。

  ただし、アジア勢の企業アカウントすべてがAIを搭載したチャットボットを採用しているわけではない。タクシーやレストラン予約といったような会話内容がきまっていて、シナリオを描きやすいものであれば、AIを採用する必要はない。WeChatにしてもLINEにしても、アプリ内に埋め込まれた各企業のウェブサイトが、会話形式に見える形で、あるいは、選択肢ボタンをタップする形で、ユーザーとやりとりしているだけ・・という例が多い。WeChatでは、むつかしい話になったら人間とリアルタイムに会話できるようなシステムも採用されいてる。

  重要なことは、他のアプリや他のウェブサイトに移行する必要がないということ、そして、日常の会話に近い自然な形でコミュニケーションできるということだ。

  アジア勢のメッセンジャーアプリにみられるようにチャットボットは新しいものというわけではない。が、FacebookのAI技術とユーザー規模とを考えると、インタフェースを変える点での影響力が大きい。ユーザーのコンテンツへの欲求は拡大する一方で、モバイル端末のスクリーンは狭い・・・となれば、チャットボットは最適。単語を入力して検索するより、よほど便利。しかも、ボットはアプリと違って、個人データにもとづいてパーソナライズされたコンテンツやサービスを提供することができる。

  FacebookやMicrosoftがメッセンジャーアプリのプラットフォーム化を進めているのは、これまで、スマホ向け基本ソフトを牛耳ってきた、そしてその結果、スマホのアプリ市場を牛耳ってきたGoogle(Andoroid)やアップル(iOS)に対抗するためだ

   検索をする場合、探している答(リンク)が1ページに10件くらい出てくる。だが、実際の生活のなかで誰かに何かを尋ねた場合・・・たとえば、「近くにドラッグストアがある?」と尋ねた場合、相手が「クスリを買いたいの? それとも、他のもの?」と逆質問をしてくる。それに返事をすることによって、相手はドラッグストアではなくて、近くにあるコンビニの場所を教えてくれるかもしれない。自分が探したいものを明確にさせるためのやりとりをボットとする。多くのユーザーが慣れているテキストメッセージの形式で、ボットと会話をするのは、実生活で人間同士がやりとりをしているのに近い。

  企業はボット時代を歓迎するはずだ。なぜなら、消費者や客に到達するためにウェブサイト、SNSページやアプリを構築し維持するのは経費も時間もかかる。

   AIを採用したボットが増殖すれば、Gooleで検索する人は少なくなるかもしれない。また、アプリの必要性も減るかもしれない。そして、そういったアプリを販売するアプリストアの重要性もなくなるかもしれない。多くのウェブサイトも時代遅れの無用なものになるかもしれない。サイトなどなくしてしまい、ボットに情報を与え、メッセージアプリから提供すればよいのだ。

  Googleもメッセージサービスを提供してはいるが、いまのところ、ユーザー獲得には成功していない。2014年に世界で9億人のアクティブユーザをかかえるWhatsAppを買収しようとしたが、Facebookに先を越され100億ドルで買収されてしまった。それで、いまは、自前で、AIと機械学習の技術を利用した優秀なAIボットの開発をすすめ、そのボットが活躍するメッセージサービスを提供する予定だと報道されている。

  検索の王様の座を、優れたAIボットを開発しなければ守り抜くことができないことを、Googleも自覚しているのだ。

  FacebookやマイクロソフトなどがAI化を進めているといっても、まだ、試行錯誤の段階だ。たとえば、マイクロソフトが3月にTwitterで公開したAIボットTayは差別的発言を連発するようになり、わずか一日で、「話し疲れたので眠ります」とツイートして休止となった。

  Tayは一般ユーザーとの会話を繰り返すことで学習し、成長していく仕組みになっていた。が、悪意あるユーザーたちが協力しあって差別的で不快なメッセージを繰り返し送り、こういった反社会的意見を学習させ、その結果、Tay自らが人種差別、性差別、暴力的な発言するようになったのではないかと推察されている。マイクロソフトは、Tayの弱点を狙う悪意ある攻撃を想定していなかったと認めている。

  日本で一番人気のメッセンジャーアプリのLINEは、今年3月に、モバイル通信サービスに参入することを発表。月額500円からの格安スマホを販売することと、LINEによるチャットや電話は使い放題の無料にすると発表した。会社側は日本のスマホ普及率は50%に満たないが、それは、月額料金の高さやデータ通信料の上限などに原因がある。そういった顧客の不満を解消しスマホの普及につながるような新サービスを始めたと言っている。

  だが、本音は、「安いスマホを購入して、LINEサービスだけを使ってください。それですべてが完了しますよ」・・と、ユーザーに訴えているのだ。「Line Mobile をつかってくれれば、あらゆるサービスの利用ができ、ショッピング、予約、検索、すべてが完了しますよ」とアピールしているのだ

  ネット体験はLINEをとおしてだけ・・・というユーザーがふえてもおかしくない。

  メッセンジャーアプリがモバイル端末のOSになる日がくるかどうかは、会話型ボットが従来のアプリより優れたユーザー体験を提供して、一般的ユーザーに受け入れられるかどうかにかかっている。そして、会話型ボットとメッセンジャーアプリの合体は、簡単・便利を重要視するいまのユーザーに気に入られるのではなかろうか・・・・。

  かつての王者マイクロソフトのように、Googleが「かつての王者」になることは、おおいにありえる。2001年、EUの政策執行機関である欧州委員会はマイクロソフトに「OSの支配的立場を違法に乱用している」と指摘する異議告知書を送った。そして、2016年4月、「ネット検索で圧倒的に優位な立場を利用した独占禁止法違反の疑いがある」と同じような異議告知書をGoogleに送っている。独占法をめぐる法的争いには年月がかかる。最終判断が出る前に(マイクロソフトの場合は10年かかっている)、モバイル端末のプラットフォームがアプリに代わってしまっているかもしれない。そして、Googleの支配的地位は新興勢力にとってかわられているかもしれないのだ。

  テックの世界の変化のスピードには、政治も法律もついていけない。

*ボット(bot)=「ロボット」の略称。もともと人間がコンピュータを操作して行っていたような処理を、人間に代わって自動的に実行するプログラムのこと。 検索エンジンなどが導入している、Webページを自動的に収集する「クローラ」もボットの一種(IT用語辞典から編集引用)

*メッセンジャー・アプリ=対話アプリともいう。主にスマートフォン向けのアプリケーション・ソフトウェアのうち、テキストメッセージのやり取りや無料IP電話などによるメッセージの交換機能を提供するアプリの総称(IT用語辞典から編集引用)

参考文献: 1.対話アプリが主戦場、日経新聞 4/14/16、2. Learning from Tay's Introduction, Official Microsoft Blog 5/25/16, 3. Microsoft's racist robot and the problem with AI development, Daily Dot Tech 5/25/16, 4. Get Ready for the chat bot revolution: they are simple,cheap and about to be everywhere, Forbes 2/23/16, 5.2016could see google challenge WhatsApp with chat bots, Forbes 12/23/15, 6.2015年最新版スマートフォンアプリ関連の最新調査データ、Ferret 7.It's operating systems vs. Messaging Apps in the battle for tech's next frontier, 8/11/15, Techcrunch.com. 8. The Search for The Killer Bot, Casey Newton, The Verge. com. 1/6/16、9.「LINEが無料で衝撃! LINE MOBILEに見えるユーザーの不利益」、 日経トレンディネット、3/30/16、10.「スマホ利用は27個のアプリで利用時間の72%を占める」、Nielsen 10/1/14、「グーグル、検索優位いつまで」、日経新聞 4/26/16

Copyrights 2016 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

2016年3月23日 (水)

オムニチャネルの未完成のビジネスモデル

  オムニチャネルという言葉は5年後にはもう使われていないだろう。なぜなら、小売業が店舗やネット(ウェブサイト、携帯端末サイト、ソーシャルメディア)、紙媒体(カタログ、DM、雑誌、新聞)、TV、その他複数のチャネルで販売するのは当たり前になっているからだ。アマゾンも、2015年11月に米国シアトルに店舗を開けており、近いうちに店舗網を構築するであろうと予想されている。

  アマゾンが店舗を開ける理由というか、小売業がオムニチャネルを進める理由は2つある。

  1. 消費者の選択肢をふやすことで優良顧客を育成・・・複数のチャネルで購買する客はひとつのチャネルだけで購買する客よりも購買金額が高くなることは、日本でも海外でも、データで裏づけされている。ウォルマートCEOも2015年に、店舗だけで購買している客の年間累計購買金額は1400ドルだが、ネットでも買っているマルチチャネル購買客の累計購買金額は2500ドル、そして、ネットだけで買っている客の場合は200ドルだと発言している。
  2. 物流拠点として店舗を利用することによる経費削減・・・即日か翌日配送、そして配送無料という威力あるオファーをコスト安に実現するためには、客自身が注文した商品を店舗まで取りに来てくれるのが一番。また、販売企業も、物流センターからではなく店舗から顧客自宅に配送する方法もとれる。

  だから・・・、一定規模の小売業であれば、オムニチャネル戦略を採用しようと思うはずだ。

  だが、これまでネット通販をしたことがない企業が、既存のビジネスモデルの妥当性を検討することなく、異なる顧客セグメントに到達できるとか、チャネルがふえることで売上が付加されるとか期待してネットを利用する場合、かなりの年月と資金を無駄な試行錯誤に費やすことになる(もちろん、逆の場合にも同じことがいえる)。

  日本のB2Cネット通販売上ランキングをみれば(2015年6月日本流通新聞発表)、アマゾンジャパンがダントツ一位で7000億円、2位 千趣会 831億円、そのあとは、ヨドバシカメラ、デル、ニッセン・・・と続く。楽天はモールで販売している小売業者からの出店料や手数料が売上となっているので順位は低いが、流通総額では2兆円(2014年度)くらい。衣料品販売サイトで有名なスタートトゥデイ(サイト名はZOZOTOWN)も楽天と同じく手数料ビジネスが中心なので、ランキングでの順位は低いが、流通総額は1300億円くらいだといわれる。

  日経MJは、2015年6月に発表した小売業調査において、「14年度にネット販売で『利益が出た』とした企業は回答者の34.2%にとどまり、ネット通販でも利益確保が難しいことを示している・・・・(配送費の上昇もあり)『稼げるモデル』はまだ構築されていない」と書いている。

  ネット通販に進出した多くの企業が目標としているアマゾン・ドット・コム自体が、創業後20年以上たっても、いまだに継続的に利益を出していないのだから、日経MJのコメントは驚くべきことでもない。

    「稼げるビジネスモデル」ということで、大手eコマースを比べてみると、アマゾンにしても楽天にしても、在庫リスクの低いビジネスモデルだということに気がつく。楽天にいたってはモールのオーナーとして出店料と売上高の一定割合を徴収するだけで、自社の在庫リスクはゼロだ。

  最近はモール全体の売上が落ちていると騒がれているが、いまの楽天は、営業利益の2割を稼ぐまでになっている金融サービスのほうに力をいれているのではなかろうか。モールを運営するのにかかる人件費や時間と比べて、金融サービスは手間暇かからないわりに利益率の高いビジネスだ。モールビジネスで獲得した会員を金融サービスに循環させる。これが、楽天の利益を稼ぐ仕組み(ビジネスモデル)だといえる。

  ZOZOTOWNのスタートトゥデイは2000点以上のブランドを販売しているが、そのうち買い取り商品はわずか4%で、受託商品が80%を超えている。受託商品の場合は売れなかったら返品できるから在庫の問題はない。そして、スタートトゥデイも、他企業のサイトの設計から運営までを請け負う事業が、売上の14%近くを占めている。

  つまり、両社とも、在庫リスクのない手数料ビジネスを中心とし、そのうえ、本業の小売業で獲得した顧客ベースや自社ノウハウを活用したサービスで損失を補う、あるいは利益を押し上げているといえる。

  アマゾンのビジネスモデルは、楽天やスタートトゥデイに比べると、破天荒なところがある。前人のなしえなかったことを初めてするだけあって、「なんでも有り」感がある。

  システム投資、物流センターへの投資、データセンターへの投資とつづき、利益が出る年度は数えるほどしかなく、2015年度に営業利益が出たといっても、わずか2.1%だ。それも、自社のために構築したシステムをクラウドサービスとして提供する事業が急成長しているおかげだといわれる。

  利益を出してはいないが潤沢なキャッシュフローと投資家に夢を売るのが上手な天才的CEOのおかげで株価を高どまりで維持できる。これを、eコマースの理想のビジネスモデルといえるのだろうか?

  もっとも、アマゾンが潤沢なキャッシュフローを生み出すことができたのには、たしかに、それなりの仕組みがあった。

  アマゾンが最初に書籍を取り扱うことにしたのは、① 消費者が品質の違いを懸念する必要がない(どこで買っても同じだという安心感)、② アイテム数が3百万点にのぼり大きな書籍チェーン店でもすべてを取り扱うことはできない・・・といった大まかな理由があった。が、そのうえに、もう一つ、アマゾンを利する重要な理由が存在した。

  当時の米国には、書店は書籍が入荷して90日後に代金を出版社に支払う慣習があった。その一方で、ネット販売では客がクレジットカードで支払ってくれれば、入金は2日以内になされる。

  交渉の結果、出版社への支払いは、58日にせざるをえなかったが、それでも、在庫回転率を高めることで(当時の回転率は40~50)、書籍を在庫として持つ日数を平均17日に短縮することができた。結果、平均して支払いの41日前に入金される体制がつくられた。つまり、アマゾンは、顧客が支払ったお金を平均41日間、キャッシュフローとして手元に置くことができたわけだ。

  これは、たしかに、フリーキャッシュフローを生み出すための優れた仕組み(ビジネスモデル)だといえる。

  書籍以外の多種多様な商品を販売することで在庫回転率は落ちてきている(最近は、9.5くらいで、8弱のウォルマートより少し高いくらい)。だが、アマゾン取扱い商品の多くは受託販売やドロップシッピングだから、顧客からの入金とサプライヤーへの支払いとの間には、書籍ほどではなくても、ある程度の日数はある。 また、キャッシュフローに悪影響を与える在庫が膨らむ率も低い。

  このように、eコマースで大きく成功しているといわれる企業は、在庫に悩まされないビジネスモデルを採用している。

  小売業は常に3つの在庫ロス(在庫からくる損失)に悩まされてきた。① 少なく需要予測したために、本来なら売れるべきものが在庫がなくなって販売機会を失う損失。② 販売機会ロスを避けようと多くつくりすぎてしまったために値下げをしなくてはいけなくなる値下げロス、③ あるいは、値下げしても残ってしまったために廃棄しなくてはいけなくなった廃棄ロス。売上は上がっても、需要予測がまちがって、値下げロスや廃棄ロスが出て利益が下がってしまったという例はよくある。

  とくに、ファッションという食品と同じように生鮮さがウリの衣料品小売業においては、在庫ロスを小さくすることが、ビジネスの成否を決めるカギとなる。3つの在庫ロスのうちの一つをあきらめることによって利益をあげようとしたのがZARAやH&Mのファストファッションだ。よくいう「売り切れ御免」の方針で、流行している鮮度のよい商品を少量生産。売れても無理な補充はしない。そのかわり、ZARAなどは、1週間に2回新商品を店舗に並べる。機会ロスを最初からあきらめることによって、残りの2つの損失である値下げロスや廃棄ロスを避けることができる。

  ZARAのビジネスモデルが有名になった2000年代初めの調査によると、競合企業が全商品の30~40%を値下げして販売する結果となっているのに対して、ZARAの場合は15~20%。売上高における利益率が高くなるのは当然だ。

  定番商品の大量生産による低価格を売りとするファストリーのユニクロブランドは、正確な需要予測や変化に迅速に対応できるサプライチェーンマネジメントで、3つの在庫ロスと戦ってきた。が、地球温暖化による予測を超える気候変動に対処することはむずかしい。昨年の冷夏や暖冬で売上が下がれば、値下げで在庫をさばこうとするために利益が低下する。

  そして、ここにきて、ビジネスモデルとしては、ファストファッション方式のほうがユニクロ方式より競争優位に立てるのではないかという要因がもうひとつ出てきた。

  消費者は、先回の記事でも書いたように、時間に対して「せっかち」になっている。「待つ」ことが大嫌いになっているのだ。

  欲しい洋服を見つけたら、「すぐに着たい!」

  「すぐ手に入らないなら要らない」という消費者には、世界的に著名なデザイナーですら影響を受けている。2016年2月に発表されたNYコレクション(秋冬用)は、ファッションショー150年の歴史を塗り替えたといっても過言ではないと報道された。従来、プレタポルテは、コレクションの発表から店頭での発売開始まで半年待つのが常識だった。だが、ショーを鑑賞した業界人やセレブがソーシャルメディアでリアルタイムに発信することにより、一般消費者も最新コレクションを見て知ることができる。デザイナーのトミー・ヒルガ-は「若い世代は見たものをすぐに手に入れたがる」と語っている。結果、著名デザイナーのなかには、ショーで披露した商品のいくつかを直後に販売したり、トム・フォードのように春に秋冬もののショーを開催するのではなく、9月にすぐに買えるえるコレクションとして披露する方針に変更する人も登場してきている。

  だいたいにおいて、気候の問題だけでなく、世の中の変化が目まぐるしい時代において、半年も前にコレクションを発表すること自体が時代遅れだ。ZARAは、9・11の大参事発生後、2週間以内に、店頭商品を乗馬をテーマにした洋服から黒を基調にしたものに変更することができている。

  ユニクロのファーストリテイリングは、需要予測のブレからくる在庫ロスを減らすため、また、変転するファッショントレンドに対処するために、IoTを駆使した新しいビジネスモデルを模索しているようだ。ビッグデータのコンサルティングを強化しているアクセンチュアと2015年に合弁会社を立ち上げたのも、その一環だ。

  柳井CEOは、これまでの同じ商品を大量生産する手法を見直し、2020年までには、客が好みの柄や素材を選んで自分だけの商品を注文できるようにするとして、「世界中のだれもが体験したことがないような買い物ができるようにしたい」とコメントしている。また、「現在約5%のeコマースの売上を将来的には30~50%に拡大する」とも発表している。

  データに基づくパーソナライゼーションを採用してセミオーダー感覚の洋服を提供するってことだろう・・・と要約してしまうと、それほど大したことでもないように思える。まあ、ある程度の方向性は決まっていても、具体的な内容は、試行錯誤の過程をへて出来上がっていくのだろう。すでに、その試行錯誤のステップは始まっている。2016年になって、オンラインストアで、2112通りの組み合わせから、客の体型や好みにぴったりあったものを選べるメンズジャケットの販売を始めている。サイズや色の組み合わせで2112通り。しかも、最短7日で、指定の場所に配送できるという。

  ユニクロが思い描くような洋服と洋服の提供の仕方が消費者の心をとらえることができるかどうかは、疑問が残る。が、いずれにしても、SPA(製造小売業)のユニクロのeコマースのビジネスモデルは、ITプラットフォームで売り手と買い手とをつなぐ仲介業の楽天や、受託販売や仲介業を中心とするアマゾンとは異なったものになるはずだ。

  ・・・と、ここで、オムニチャネルのビジネスモデルに話を戻します。

  eコマース企業の成功例としてあげられるアマゾン、楽天、スタートトゥデイは、すべて、在庫ロスのリスクの小さいビジネスモデルを採用している。この事実は、3つの在庫ロスが発生しやすいタイプの商品を取り扱っている企業が、ネットというチャネルを付加することの難しさを示唆しているのではないだろうか? 3つの在庫ロスをかかえる既存のビジネスモデルを変えることなく、ネットというチャネルを付加することは、在庫リスクをかえって高めることにならないだろうか?

  たとえば、カタログ通販の例をみてみます。

   カタログ通販は1980年代に大きく成長した。が、91年のバブル崩壊後は衰退がつづき、売上上位をしめていた千趣会、ニッセン、セシールも業績停滞や悪化により、他企業に買収されたり、資本業務提携を結んだりする結果となっている。

  カタログ販売の中核商品は衣料品だ。そして、90年代初め、ファストファッションやユニクロのような低価格帯アパレルの登場で大きな打撃を受けた。対策として、自分達も低価格帯商品を出さなければいけないと考えたが、商品企画からカタログができるまで、少なくとも8か月から12か月かかる。ZARAやH&Mのようなファストファッションのまねは到底できない。

  ユニクロのマネはできるのではないかと考え、ある程度のSPA(製造小売業)化を進め、一定の品質の定番商品の低価格化は実現した。だが、数か月間、同じ商品しか見せられないカタログという媒体は、常に新鮮なものを求める消費者の欲求には答えられない。また、めまぐるしく変化する環境(気候、世の中の雰囲気)のなかでは需要予測がはずれることが多く、在庫ロスが発生する。

  カタログ通販の問題は、基本的ビジネスモデルが時代の変化に合わなくなってきていることにあった。だが、衰退の原因は「カタログという紙媒体からデジタルメディアへの移行が遅れたから」と理由づけされた。

    問題はメディア(チャネル)にあったわけではない。生鮮度が重要な商品カテゴリーを企画・販売するカタログ通販のビジネスプロセスが、世の中の変化のスピードにそぐわなくなってきたことが本当の要因だ。もともとのビジネスモデルに問題があるのだから、同じモデルでネット販売をしたからといって、根本的問題解決にはならない。結果、ネット販売に力をいれるほど、全体の売上、あるいは、利益がさがっていく結果を招くこととなった。

  その点、さすが、ユニクロ。ファーストリテイリングは、自社の現在のビジネスモデルがいまの時代にそぐわなくなってきたことを理解している。そのうえで、ネット販売を付加するのではなく、いまのビジネスモデルを変えるためにネットを利用することを考えている。「(ビッグデータの分析をとおして)グローバル市場のトレンドを的確にとらえたシンプルで高品質な洋服を、高スピードで開発し、しかも、携帯端末を使って柄や素材、サイズなどから自分好みの組み合わせが選べる選択肢も提供する」ということは、定番の大量生産化ビジネスモデル + ファストファッションのビジネスモデル + 個人に訴求するパーソナライゼーション= ユニクロ独自のビジネスモデルをイメージしているようだ。

  最後に、アマゾンの衣料品PBについて最新ニュースを一言。

  キャッシュフローを重視するアマゾンは当然のことながら、キャッシュフローに悪影響を与える在庫の数字を重要視している。よって、これまで、新鮮さをウリとする商品カテゴリーは不良在庫になる可能性も高いので、自らが在庫をもたなくてはいけないようなやり方はなるべく避けてきた。しかし、最近になって、ファッションでプライベートブランドを開発するらしいと話題になっている。世界一の小売業を目指すアマゾンとしては、衣料品を手掛けないわけにはいかないのだろう。 もっとも、ファッションのPBではファストファッションのビジネスモデルを採用するようだから、不良在庫を避けることにはこだわっているようだ (2014年に独自開発のスマホFire Phoneを発売して、失敗して、8300万ドルの余剰在庫を出した経験もあるし・・)。

  

  

参考文献: 1.第48回小売業調査、日経MJ 6/24/15, 2. ネット通販売上高調査、日本流通産業新聞 6/11/15、2.「すぐ手に入るコレクション、変容するファッションの現場」FMAG 2/18/16、3. Clayton M. Christensen & Richard S Tedlow, Patterns of Disruption in Retailing, HBR january-February 2000, 4.William A. Sahlman and Laurence E. Katz, Amazon.com-Going Public, HBSP 1998,5. Polka Dots Are In? Polka Dots It Is !, Slate com. 6/21/12, 6.Phil Wahba, Walmart CEO's plan to fight Amazon: Win with Stores, Fortune 10/16/15、6.「ファストリ、ビッグデータで提案販売、アクセンチュアと新会社」、日経新聞 電子版 6/16/15, 7. 「ユニクロ柳井会長が掲げたインダストリー5.0」 日経ビジネス 11/18/15, 8. Rapid-Fire Fulfillment, Harvard Business Review, November 2004, Alibaba vs. Amazon: An In-depth comparison of two ecommerce giants. ecommercefuel. com 10/24/14、9.Amazon quietly rolls out private label fashions,WWD 2/22/16、10.「zozotownなdの年間商品取扱高が12.5%増の1290億円に」、ネットショップ担当者フォーラム、5/8/15, 11. Amazonis killing off the Fire Phone, forune 9/9/15

Copyrights by Kazuko Rudy 2016, All rights reserved.

2016年2月14日 (日)

世界の消費者の最新動向とコンテンツマーケティング

  1月に発表された、ユーロモニターのレポート「世界の消費者、2016年の動向」を読んでみた。「ユーロモニター」はロンドンを拠点とするリサーチ会社で、世界210か国781都市の消費者や産業データを1997年から蓄積・保存し分析している。

  このレポートを読むと、グローバル化が進むなか、どの国の消費者も考えることや行動が似てきている・・といった感想をもつ。もう少し厳密にいえば、どの国でも、ある程度の規模の都市の住民は、消費者として同じような傾向を示すようになっているということだ。

  レポートでは、最新動向として、① 矛盾する購買行動、② 時間を買う、③ 高齢化(エイジングに挑戦する消費者たち)、④ 社会問題への関心 ⑤不明瞭になる性差、⑥ 安全で自然な食べもの(また、食品廃棄をなくすようなグリーンな行動)、⑦ 精神的健全さ(心の問題)、⑧ デジタル機器依存症 ⑨ 安全を守るための消費、⑩ 旺盛な消費をみせる独身者(一人用の旅行パッケージの人気。姪や甥に浪費する叔父、叔母)・・・など10点をあげている。

  似ているとはいっても、地域によって程度の差が出てくるものもある。たとえば、⑨番の「安全を守るための消費」では、ガードマンを雇うのはブラジルとかメキシコその他の中南米諸国が圧倒的に多い。空気清浄器を買うのは中近東やアフリカで世界平均の2倍以上だ。日本は、こういった面での消費は少ないほうだろう。

  アパレルメーカーや小売業者の関心を呼ぶのが、⑤番のジェンダーの境がぼやけている点だ。女優のメリル・ストリープは映画祭の授賞式にフェミニンタッチの黒のタキシード姿で登場し、「アンドロジニアス・ルック」だと話題になった。アンドロジニアスは両性具有と訳される。ユニセックスのことじゃないかと思うかもしれないが微妙に違う。ユニセックスというと余り性を感じさせない。が、いまの性差がない洋服というのは、セックスアピールを強く感じる。だから、ユニセックスと思ってデザインすると、メーカーは大きな間違いを犯すことになるだろう。

  アパレル産業だけでなくおもちゃにも男女の差がなくなってきている。これも、男女共用のものを作ればいいかというとそうでもない。女の子用のサイエンスおもちゃとか、兵器好きの女子のためのピンク色の銃器とか・・・。ミクロセグメンテーションが進み、一つひとつのセグメント規模はますます小さくなる。

  レポート②番の「時間を買う消費者」について、ちょっと詳しく考えてみます。 

  世界の都市に住む消費者に共通することは、とにかく「時間がない」こと。都市部で働く人たちは給与も高いが労働時間も長い。共稼ぎ率も高いから家事を専門にする家族はいない。日本で「おせち料理」をつくるのではなく買うことが主流になってきているように、英国でも、全世帯の三分の一が時間の節約と料理することのストレスから解放されるためにクリスマス料理を小売店で買うとされる。インドの18歳から35歳の富裕層の70%は、「贅沢」とは購買力ではなく自由な時間をどれだけもっているかだと考えているそうだ。(ちなみに、同調査で、同じように考えている人は中国では59%だった)。

  留守の間に掃除をしてくれるロボット掃除機は世界中で人気だし、最近では、ロボットシェフなるものも登場している。イタリアやポルトガルでiPadを超える売上だというBimbyは、ロボットというよりは、マルチタスク調理器といった感じだが、2018年に英国のベンチャー企業が発売予定だというロボッティック・キッチンは、ロボットアーム付きのシステムキッチン。著名シェフが実際に調理しているところを3D化し、ロボットアームがシェフの動きをそのまま再現。現在は、「蟹のビスク」しかつくれないが、2018年には2000種類のメニューから選択できるという。

  今の消費者は、自分では料理する時間はない。だが、できあいの惣菜がはたして健康に良い材料を使っているかといった安全性への不安も抱えている。その意味で、ロボットシェフは絶対売れると、この会社経営者は考えている。

  時間への意識は、「オンデマンド経済」を促進している。オンデマンド経済は、消費者の要求があり次第、即、商品やサービスを提供する経済活動を指す。ネットスーパーを含めたオンラインショッピングの世界的人気は、これにあてはまる。アマゾンの配送日数というか配送時間も、ますます短縮されている。最近では、都市部において一時間配送を始めた。この場合は有料なので、消費者はまさに時間が買えることを実感することとなる。

  アマゾンが朝注文したら夕方には届く即日配送を始めたときは、消費者は最初は驚いて感動した。が、慣れてしまった今は、それが当然のように思う。自分が欲求している、まさにそのときに、欲しいものを手にいれられないとストレスを感じるようにまでなっている。

  たとえば、パソコンの反応が遅いとイライラする。

  アドビ(米国ソフトウェア会社)が2015年末に実施した日本を含めた6か国の調査では、インターネットで情報を得ようとするときの消費者の待ち時間への耐性が低くなっていることが明らかになった。たとえば、デジタル機器を使っていて、我慢できないことがあって、見るのをやめる人は、米国で92%、ドイツ92%、フランス92%、オーストラリア90%、英国89%、日本80%となっている。我慢できない理由をみると、① 表示に時間がかかっているので見るのをやめたのは41%、② 表示された内容が長すぎるのでやめたのが41%、となっている。

  サイトにアクセスしてから内容が表示されるまでに8秒以上かかるとユーザーは他のサイトに行ってしまうという「8秒ルール」は、もはや通用しない。実際にはその半分の4秒でなくては・・・という声もある。

  常に時間を気にし、イラつきやすい消費者の姿が実感できる数字だ。

  時間に追われる消費者は、また、心の問題(自分の精神的健全さが損なわれていること)を懸念する消費者でもある(ユーロモニターのレポートで⑦番目にあたる)。心の平安を保つために、シンプルな暮らしにあこがれる人たちもいる。

  ミニマリストになることが世界の都市部で流行している。モノを所有する欲を捨て、シンプルな暮らしをし、精神的により充実した生活をする。Less is Moreで、「少ないことがより多いことにつながる」というわけだ。

  ミニマリストにあこがれる理由にはいくつかあるが、時間に対する観念もその一つだろう。あまりに多くのモノを持つことは掃除、整理整頓に時間がかかる。また、ミニマリストになろうと決断すれば、モノを買わなくわるわけで、ショッピングにかかる時間も減る。日本で流行している断捨離は、人生を追えるまえに身辺整理をしなくてはと切実に考える高齢者が実行した感もあるが、近藤麻理恵著の「人生がときめく片づけの魔法」が世界的ベストセラーになったのは、年齢に関係なく、シンプルな暮らしを促進するためであろう。

  モノだけでなく人生のごたごたを片づけることはミニマリストになる第一歩だから。

  心の問題(精神の健全さ)を追求する傾向は、それだけ世界の経済的レベルが向上したからだともいえる。衣食住の心配をしなくてもよくなり、社会的にもある程度の成功を収めると、人間の次なる欲求は精神的なものになる。その証拠に、ミニマリストとして本を書いたりメディアに登場したりする人たちの経歴をみると、一度は欲しいものは何でも買えるくらいの金持ちになって、そして、物質的欲求が満たされても幸福感はもたらされないことに気がつき、ミニマリストに転向した・・・というような共通点がある。

  つまり、同じモノを持たないシンプルな暮らしをしていても、こういった人達は、買おうと思えば何でも買え、食べようと思えばキャビアやステーキでも食べられるといった点で、低所得者とは違う。皮肉な言い方をすれば、お金持ちだからこそ、クールでかっこいいミニマリストになれるのだ。

  たとえば、アップルの創業者の故スティーブ・ジョブスはミニマリストだといわれる。その理由の一つに、彼がジーンズと黒のタートルネックばかりを着ていたことが紹介される。逸話では、三宅一生にタートルネックを100着注文したといわれるが、これって、忙しくて何を着るのか考えるのがめんどくさいというだけのことではなかったのか?(ジョブズは、自分自身をブランド化する手段のひとつとして、いつも同じ服を着ていたともいわれる。もちろん、彼は禅への造詣も深い。会社経営も製品デザインもSimplicityをモットーとしていた。だが、ブランドとは何かもよく理解していた)。

  ミニマリストもシンプルライフも、ある程度の経済レベル以上になって、初めて、登場してくるタイプのライフスタイルなのだ。スティーブ・ジョブズが、どこにでもある黒のタートルネックではなく、三宅一生のものを選択したことを覚えていないと、メーカーや小売業者は都市部の一定の所得者たちのシンプルライフには対応できない。

  テロ、不安定な経済、地球温暖化。日本には自然災害があるように、多くの国には戦争がある。先行き不安の世界において、モノをもっていることは重荷となるだけだ。3.11をニュースを通じて間接経験したひとたちでさえ、家や家具、自動車、その他の物が一瞬に破壊されるのを目のあたりにみた。また、戦火に見舞われた地域の住民は、命からがら身一つで逃げる。

  シェアリング経済が登場した背景がここにある。

  だからといって、先行き不安のなかで誰もが物欲をなくすとは限らない。

  同じ経験をしても、異なる反応はある。たとえば、9.11のテロをニュースを通じて間接体験した米国人のなかには、人生の無常さを実感した結果として、好きなように生きようと決めた人たちもいる。ダイエットしてウェストが細くなったとして、それが何なの? どーせ死から逃れられないのなら、好きなものを食べたほうがいいじゃないか!と達観(?)した人たちもいた。だから、脂肪分の多いアイスクリームが売れ、ステーキや大きなハンバーガーが人気を呼んだ。

  同じことを経験しても反応は人それぞれだ。

  ここで、ユーロモニター調査の①番目の「矛盾する購買行動」の出番となる。

  今の消費者の購買行動は矛盾しているように見える。将来への不安が漂うなか、所得レベルに関係なく、誰もが節約しなければいけないという思っている。でも、自分が気に入ったものは買いたい。こういった心の葛藤を解消して、かつ、自分の行動を正当化するために、「価格が安かったから買うことにしたのだ。お買い得だったのだ」と自分自身に言いきかせる。でも、そういった言い訳を本音ととり、今の消費者は安くなければ買わないと考えるのは早トチリ。どんなに低価格でも、欲しくないものは買わないのだから。

  都市部の消費者は、教育レベルも高く、またネットのおかげで情報だけは一杯もっている。しかも、不確実な社会において常に不安を感じている。不安があるということは、選択できなくて迷うことだ。だから、消費においても、自分の購買行動を正当化して自分を納得させる理由を必要とする。ちょっとしたきっかけで、そういった理由が見つかれば、購買を決める。そのきっかけ(動機づけ)が、低価格やポイント付与だけでは、企業として知恵がない。自分は社会に善いことをしている(ユーロモニターのレポートでいえば④番や⑥番)。自分や家族の安全を守るには必要(レポート⑨番⑦番⑥番)。こういったふうに思ってもらえるような価値を提供するのも重要なきっかけ(動機づけ)となる。

 では、こういった価値提供(動機づけ)が効果ある消費者を見つけるにはどうするのか? その答えがコンテンツマーケティングであり、コンテンツマーケティングが注目されている理由でもあります。

 とらえどころのない消費者を見込み客として捕まえるのがコンテンツマーケティングだ。ターゲットとして余りに規模が小さくて、マスメディアでは効率が悪い。そういったミクロなセグメントの場合は、企業が客を見つけるのではなく、客のほうから企業を見つけてくれるような仕組みが必要だ。コンテンツマーケティングが力を発揮する。

  レポート⑩番に、「旺盛な消費を見せる独身者」とありました。これに対応して、ヨーロッパのクルーズ会社は、一人用の船室を増やしている。ホテルも一人用のシングルだけどスペースも広く設備も贅沢な客室をふやしている。しかし、独身者といっても若いとは限らない。配偶者に先立たれた夫や妻もいる。また、独身者でも30代半ばになると、ある程度の年齢になった甥とか姪がいる。こういった甥や姪を連れて旅行に出ることもある。それぞれが、ミクロなセグメントをつくる。各セグメントの客のプロフィールやライフスタイルを想像して、彼らがするであろう旅に役立つ情報やストーリーを、ブログとかサイトに掲載する。

  一人旅を考えている某客は、次のようなキーワードで検索する。「一人旅、大阪、静かなホテル、広いシングルルーム、24時間ルームサービス」。この検索で、某ホテルを訪れた30代の女性の経験談が1ページ目の上位に紹介される(このホテルは泊まり客の感想文を募り、読み物として面白い感想文はサイトに掲載し、書いてくれた客には宿泊券を提供している)。自分と同じような好みをもつらしい女性の経験談を読んで、このホテルは自分にぴったりだと思った某客はサイトの予約ページにアクセスする。

  (株)エコンテがコンテンツマーケティングを実施している企業のマーケティング担当者600人を対象に調査したところ、76.3%が効果を実感していると答えている。フェイスブック、ツイッター、ライン、ユーチューブといったメディア、ブログ、自社サイトにおいて情報を提供することで、ブランド認知、見込み客獲得につながっているということだ。

   経済的レベルが一定以上となり、衣食住に関する基本的欲求(生理的かつ安全に関する欲求)が満たされると、人間は精神的満足度を求めるようになる。この段階になると、何に価値を感じるかは人によって大きく違ってくる。社会的に認められたい欲求といっても、それが大きな家を建てることやエルメスのバッグを所有することを意味する人もいるだろうし、そうではなくて、高齢者を助けるボランティア活動を意味する人もいる。何に価値を感じるかは人によって違う。だから、市場は小さなセグメントに分割される。

  花王の吉田専務は「スモールマス」という造語を使う。「マス市場がなくなり、スモールマスと呼ぶ一定の規模を持つ市場が数多く生まれている」と語っている。すでに花王ではスモールマスと位置づける商品群の売り上げ合計がマス商品を上回ったそうだ。スモールマスの時代は、特売は減り、シェアより顧客の声を丹念に追うマーケティングになると説明している。

 あ~、やっと終わり。なんて長いコンテンツ。アドビの調査でいったら、「表示された内容が長すぎるので見るのをやめた41%」に絶対的にあてはまりますね。

 

 

参考文献: 1.Daphne Kasriel-Alexander, Top 10 Glocal consumer Trends for 2016, Euromonitor International, 2. The State of content  Rules of Engagement 2016,Adobe com. 3.「経営の視点、学歴と肩書きでは生き残れぬ」日本経済新聞 2/1/16 4. 「変革の好機 到来」日経MJ 1/4/16、5.「EC関連リサーチ、76.3%がCマーケの効果を実感」日本ネット経済新聞5/28/15

Copyrights by Kazuko Rudy 2016, All rights reserved.