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2011年3月20日 (日)

東日本大震災。「消費者」として「企業」として、いま、何ができるのか?(コーズ・マーケティング)

 

 東日本大震災の被災地のありさまを見て、1212年に書かれた「方丈記」を思いだした人が多いようです。

 私もその一人です。つなみで家がおし流され、ひとつの村や町が波に呑みこまれ、数百人の遺体が浜辺にうちあげられる・・・・こういった惨事をニュースで知り、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」で始まる(高校の古文のクラスで読んだ)文章を思いだしました。

 方丈記の筆者の鴨長明が生きた時代は、400年つづいた貴族社会が終わり、武士が政権を勝ちとった激動の時代でした。そして、また、天災の多い時代でもありました。

 都の3分の1が焼けて消失した大火災もありました。かんばつや洪水によって2年もの間、大飢饉がつづき、餓死してゆきだおれになった遺体の数を数えたら4万人にのぼった・・・と、方丈記には書かれています。しかし、なんといっても、すざまじかったのは、1185年におきた元暦の地震で、山はくずれ海はかたむき、大地がさけて水がふきだした・・・と、記されています。

 京都でおこった元暦の地震はマグニチュード7.4の規模だったと推定されています。

 「方丈記」には、この世の無常さ、人の世のはかなさが描かれています。この世に存在するものは常に移り変わっていく。朝には元気だったものが、夕には命を失う。一瞬たりとも同じ形でとどまるものなどなにもない・・・と。

 鴨長明の無常観は、多くの日本人が実感できる考え方だと思います。なぜなら、日本人は、農耕文明が始まったころから数えて3000年以上の間、自然がもたらす災害によって、自分たちが築いたものを数え切れないほど押しつぶされ押し流されてきているからです。

 以前、私は、「不安遺伝子」を持っている割合は日本人が世界最高だという記事を書きました。2009年に発表された研究によると、ヨーロッパ人で不安遺伝子をもっている割合は40~45%。それに比べて、東アジア人は平均して70~80%。そのなかでも、日本人は一番高くて80.25%です。

 日本人の不安遺伝子を持つ割合が、同じ東アジアの中国や韓国を抜いて一番なのは、地震の多い島国だからかもしれません。Wikiの地震表には、昔の文献に記された地震が年代順に並んでいます。一番最初に記録された地震は、416年に奈良で発生した地震で、これは、日本書紀に記されています。その後、出来事を記録にのこす習慣が一般化すればするほど、記録された地震の数がふえていきます。9世紀にはマグニチュード7以上の地震だけでも7回、17世紀には11回、19世紀には28回の地震発生が記録されています。

 地震列島にすんでいる日本人の不安遺伝子が高いのはあたりまえかもしれません

 しかし、また、日本人は、もう一度立ちあがろうとする不屈さも持っているはずです。そういった遺伝子が存在することを証明した研究はありません。が、すべてを失った廃墟のなかで我慢強く耐え、そのなかから再び立ち上がろうとする気力や明るさを生み出す神経回路が、私たちの脳にはつくられているのかもしれません。

 なぜなら、これだけ多くの天災を経験しながらも、そのたびごとに再度立ち上がってきたではありませんか。

 日本人は無常観を知っています。でも、それは、人間は生きて死ぬ運命にあり何をしたってどうしようもないんだ・・・と、あきらめることではありません。そうでないことは、今回の大災害の被災者の方たちを見ればわかります。自分の目の前で家が呑まれ、手をつないでいた親や子供が呑まれ、気が狂いそうな経験をしながらも、なんと静かに受けとめていらっしゃることか・・・・。そして、多くの方々が、「また、がんばらないと・・・」とさえも口にしていらっしゃる。

 西洋人は自然と対決して自然を征服しようとするが、日本人は人間も自然の一部だと考える・・・とよくいわれます。この説には100%は賛成できません。人間と自然を対立するものとして考える・・・と、きめつけられるのには納得できない西洋人も多いと思います。ただ、はっきりいえることは、日本人は、くりかえされる地震災害の経験から、自然の前での人間の無力さを痛いほど知っているということです。そして、自然の力を畏れるからこそ、自然がした災いは、自分の運命としてあきらめるしかないと考える。だから、なにかを憎しみや怒りの対象にしない。だから、また、生きていかなくてはいけないと思うことができるのです。

 日本人は昨日のことはあきらめる(諦観する)。でも、明日のことはあきらめない(ギブアップしない)のです。

 私たちは被災地の人たちに何をすることができるのでしょうか? 

 私はマーケティングに関するブログを書いています。ですから、その観点から、消費者や企業は何ができるのか考えてみたいと思います。

 ユニクロのファーストリテイリングが14億円(このうち10億円は柳井会長個人から)を寄付すると発表しています。任天堂、トヨタ自動車、日本たばこ、楽天、ソニーも3億円の義援金を寄付するといち早く発表しました。ソニーは、全世界のソニー従業員から寄付金をつのり、その募金総額と同等の金額も寄付するとも発表しています。これを、マッチング・ギフトといいます。従業員が500万円集めたら、同等の額を会社も出し、合計1千万円寄付することになります。

 企業や個人からの寄付はいますぐ必要なことです。そして、現地がもう少し落ち着いたら、ボランティア活動です。スターバックスは、2008年に、アメリカで最も大規模な従業員ボランティア活動を実行しました。ハリケーン・カトリーナが壊滅的ダメージをあたえたニューオリンズに、全国から1万人の店長を集め会議を開くとともに、ハリケーン被害からいまだ復興が進んでいない地域において、述べ54000時間のボランティア活動をしました。

 当時スターバックスは企業として苦しい状況にありました。リーマンショックの影響もあり、来店客数が落ち、ブランドイメージも落ち、株価は48%にまで下がりました。会社を再建するためにCEOに復帰した創業者ハワード・シュルツは、経費がかかりすぎるという反対を押しきって、1万人の店長をニューオリンズに集めたのです。シュルツCEOは、あとで、雑誌インタビューに答えて、こう語っています・・・・「ボランティア活動をしたことが、会社再建の転機となりました。被災地の復興の遅れた地域で子供たちの遊び場をつくり、整地して木も植えました。家も住めるように修復しました。こういった活動を通じて、店長たちは、スターバックスが本来もっていた企業文化や価値観を思いだすことができたのです」。

 会社が危機的状態にあること、そして、その問題を解決するのは誰でもない従業員一人一人の責任であること。ボランティア活動をとおして、リーダーシップとは何かを、従業員が学ぶことができたと語っています。

 ひとつの企業がこれほど大規模な従業員ボランティア活動をした例はなく、メディアにもとりあげられ、それがスターバックスのブランドイメージ回復のきっかけになったことも事実です。しかし、外部へのPRは本来の目的ではありません。シュルツCEOは、ボランティア活動をすることで、スターバックスの従業員であることへの誇りと自信を取りもどしてほしかったのです。

 被災地でのボランティア活動は、企業やブランドの知名度向上やイメージ向上に役立つことでしょう。しかし、それよりも大切なことがあります。信じられないほどの苦難のなかで力強く生きようとしている人たちに接することで、グローバル競争のなかで、ともすると自信をうしないかけていた従業員に日本人であること、いや、人間であることの誇りや自信がもどってくるかもしれません。被災した方たちを助ける活動をとおして、逆に、自分たちが被災した方たちにはげまされることは、よくあることです。

 そして、私たちは、日本の景気をよくすることを考えなくてはいけません。被災地の復興にはお金が必要です。数百年に一度という規模の地震やつなみが起こったとしても耐えられるような街づくりをするのです。莫大な資金がいります。一時的に善意の寄付がどれだけ集まってもまかなえるものではありません。これは、国家プロジェクトです。税金を払える財務的に健全な企業と市民が多く存在しなければ支えていけないプロジェクトです。

 このプロジェクトを実現するためには、企業に、売上・利益を伸ばし、雇用をふやし、従業員への給料をふやしてもらわなければいけません。

 コーズ・リレイテッド・マーケティングというのがあります(Cause Related Marketing。短くしてコーズ・マーケティングともいう)。コーズ(大儀)、つまり、世のためひとのためにするマーケティングです。

 コーズマーケティングは6つのタイプに分けられます。そのうち、企業が売上を上げながら寄付金を募ることができるのは、販売商品やサービスの一定金額や一定割合を寄付するタイプのものです。この種のコーズマーケティングを有名にしたのが、アメリカン・エキスプレスの1983年のキャンペーンです。「自由の女神」修復のための資金を集めるもので、会員がアメックスのカードをつかうたびにアメックスは1セント寄付します。結果、カード会員数は45%増、カード利用 も28%増加。そして、自由の女神はアメックスから170万ドルうけとりました。

 インド洋のつなみ災害のとき、スターバックスは、通常は$10.15するスマトラコーヒー1袋を$2で販売。売上は寄付するキャンペーンをしました。この場合、利益は出なかったかもしれませんが、スマトラコーヒーを買いにきた客が他の商品を買っていくことが考えられます。米セブン・イレブンは、店においてある募金箱に25セントいれてくれれば、企業も25セント足すというマッチング方式を採用し、客から寄付金50万ドルを集め、同じ金額を足して合計100万ドルを赤十字に寄付しました。この場合も、店舗にきてもらえば、商品をついで買いする可能性が高いわけですから、売上には貢献するはずです。

 災害への寄付金をつのるときに、アメックスのようなタイプのコーズマーケティングをすると、企業が市民の善意を利用してもうけている・・・という批判がでることもあります。そういった批判をさけるために、マッチング方式がよく使われます。この方式だと、売上があがっても利益が少ないあるいはゼロの場合もあるので、会社は自分たちが寄付する限度額を最初から宣言しておきます。災害募金の例ではありませんが、メーシーデパートは2008年のクリスマスシーズンに、店舗においてある郵便箱にサンタクロースへの手紙を投函すれば、1通ごとに$1、「子供の夢をかなえる」財団に寄付をする。ただし最高寄付金額は100万ドルまでと宣言しました。2008年は金融危機が発生した年。デパートにクリスマスショッピングに来る客の数も減るであろうことが予測されました。こういったキャンペーンをすることで、来店客がふえ、ついで買いをしてくれることが期待できます。

 いまは広告活動をさしひかえている企業も、原発の問題がある程度落ち着いたら(なにがなんでも、落ち着いてほしいと切に願っています)、広告を出すようになるでしょう。でも、以前の広告は不真面目すぎないかとか明るすぎないかとかいろいろ迷うことでしょう。、コーズマーケティングの広告にしたらどうでしょうか? シンプルなものでよいのです。本物の社員が登場して、こういったキャンペーンを始めることにした理由を述べ、「ジーンズ1本をお買いあげになるごとに、会社がXX基金に100円寄付する・・」と訴える。デパートやファッション、化粧品メーカーなどは、被災地復興プロジェクトを象徴するジュエリーピンをつくって1000円とか3000円で売り、コストを引いた残りを寄付するのもよいでしょう。

 米P&Gは洗剤「タイド」でコーズマーケティングを展開しました。客は、買ったタイドのキャップに記されているURLにアクセスし、同じくキャップに印刷されているコードを入力することで、被災地のひとたちに励ましのメッセージを送ることができます。P&Gはタイドが売れるごとに10セントを拠出し、集まったお金で、避難所で暮らすひとたちの衣服を洗濯し乾燥できる設備を搭載したライトバンを被災地に派遣するサービスを提供します。

 工夫しだいでさまざまな形のコーズマーケティングができます。

 最近、「被災地の方たちのことを考えると洋服なんか買う気にもならないわ」「そうよね。もう贅沢なんかできないわ」という会話をよく耳にします。その気持ちはよくわかります。が、しかし、被災しなかったひとたちの消費活動が停滞すれば、日本の経済は冷え込むばかりです。兆単位の復興予算を、いったい、どうやってまかなうのでしょうか?

 市民-消費者(citizen-consumer)という言葉が、アメリカでよく使われるにようになったのは、9.11同時多発テロのあとからです。記者会見で、「この悲惨な状況において、アメリカ市民に何ができるのか?」と質問され、ブッシュ大統領が「これまでどおりの消費活動をつづけて、アメリカ経済を維持してほしい」というようなことをコメントしたといわれます。その後、ブッシュ政権がイラクに進攻したこともあって、市民の消費者としての役割を強調することには批判もあります。しかし、アメリカや日本といった先進国においては市民の消費活動はまさに国の経済のエンジンなのです

 日本市民には活発な消費活動をしてもらわなくてはいけません。だからこそ、企業は、モノを買ったりサービスを利用することに、市民が罪悪感や後ろめたさを感じないように工夫しなくてはいけません。「自分が消費することが、結局は、被災者の方たちのためになるのだ」と実感できるような仕組みをつくってあげなくてはいけません。

 コーズマーケティングを利用してください

 日本経済を良くしていくためには、エネルギー問題とか根本的に考えなくてはいけない大きな問題があることはわかっています。しかし、経済は心理で大きく動きます。日本人が元気な消費活動をし、企業も元気にマーケティング活動をしていることを見せれば、内外の投資家はすぐに反応します。株価が戻ります(その証拠に、原発で、自衛隊のヘリが空から放水を始めたというニュースだけで、暴落していた株価が上がりました。福島原発の問題が改善したわけでもないのに、改善するための活動を始めた・・・というだけで投資家の心理は変わるのです)。株価が上がれば、企業はより積極的なビジネスを展開できます。

 いま、重要なことは、消費者も企業も活発に行動する意欲があることを内外に見せることです。

 かりゆし58が「さよなら」という歌(作詞・作曲 前川真悟)をうたっています。その歌詞のなかで、心うたれる言葉があります。

       命は始まった時からゆっくり 終わっていくなんて信じない

       ぼくが生きる今日は もっと生きたかった誰かの

       明日かもしれないから

 自分の家族、友人、隣人、毎日挨拶をかわした人たちが一瞬のうちに、この世から消えた。被災地のかたたちは、もっと生きていたかったであろうひとたちの無念の思いを痛いほど感じていらっしゃることでしょう。そして、生きている自分は、亡くなったひとたちのぶん、一生懸命生きなくてはいけないと思っていらっしゃるのではないでしょうか・・・。

 亡くなれらた多くの方たちの想いを胸に、私も一日一日をしっかりと生きていきたいと思います。                                  

                          
 

参考文献: 1.Adi Ignatius, We had to own the mistaked, HBR July- Aug 2010, 2. Alan Cooperman, Cause and Effect, Washington post.com 1/26/05, 3. Mark Dolliver, Cause Marketing's still all to the goods, Adweek 9/28/10, 4. Stuart Elliott, For casues, it's a tougher sell, The New York Times, 11/11/09, 5. Inger Stole, Cause-related markeing: Why social change and corporate profits don't mix , PRWatch 7/14/06, 6. Elizabeth Arens, From citizen to consumer, Hoover Institution Stanford University 4/1/03

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2011年3月 7日 (月)

なぜ、それに気がつかなかったのか? (サントリーの化粧品とマックのクーポン、そして石原都知事)

Stnd007-sサントリーが2010年3月に化粧品「F.A.G.E(エファージュ)」を発売しました。

 一流メーカーが、たいして差別化もされていない化粧品を手に、通販市場にぞくぞくと参入する状況には、はっきりいってあきれます。が、サントリーの新聞広告をみて、「さすがだな」と思いました。(って、広告を見てから一年たってから、書くなよ・・・ってつっこまれそうですが)。

 なにが「さすが」かというと、広告のヘッドライン。「60代。ハリは本当に無理でしょうか?」と、60代むけの化粧品だとはっきりと宣言したことです。いろいろテストをしているのでしょうが70代という言葉をつかっている広告も目にしました。

 中高年以上を対象とする広告の場合、年齢にはふれないことが常識でした。理由を2つあげます。

  1. 女性をターゲットとしている場合、年齢を明らかにするのはタブー
  2. たとえ、主要ターゲットが60代以上だとしても、それを明言して、売り手みずから門戸を狭めるのはバカげている。「お手入れで肌はまだまにあう」となんとなくぼやかしておけば、40代や50代でハリが気になっているひと(って、ほとんど全員だけど)たちが、注文してくるかもしれない。

 しかし、1番目のタブーに関していえば、これはすでにタブーではなくなっている。ファッション雑誌も昔は、結婚して子供ができたら「ミセス」とか「家庭画報」とかきまっていたが、いまでは、30代は「Very」、40代は「Story」・・・と年代ごとに異なる雑誌が発刊されている。、2007年には50代以上の読者のための「プレミアムクロワッサン」が登場し、2008年には「Hers」が創刊された。両雑誌ともに表紙モデルには50代以上のセレブをつかい、表紙コピーにも「50代は赤色がにあう!」とか、年齢がはっきりと書いてある。

 2番目のタブーについていえば、飽和状態にある通販化粧品市場のなかで、60代という言葉をつかうことによって他社ブランドと明確な差別化ができた。

 通販広告をだせばわかることだけれど、たとえば読売夕刊の東京版200万部にモノクロ一面広告を出したとして、注文してくれた客のその後1年間の平均累計購買金額と粗利益率を計算すれば、たぶん、注文率が0.01%~0.03%くらいならOKとかいう話ではないかと思います。

 通販広告を出して実感することは、ビジネスというのは、なんとわずかの割合の人間に強くアピールすることで成り立っているのかということです。新聞読者200万人のうち、年齢・性別上のターゲットが23%の46万人。販売商品の価格からして、そのうちの30%の14万人が購買確率の高い層。広告に注目してくれるのは、その半分だとして7万人。そのうち、実際に注文するという行動をとってくれるのは1%(600人)にも満たないのだ。

 通販広告のクリエイティブを考えるときには、「万人に受けようとか、みんなに好かれようなんて思わないこと」とよくいわれます。自分のターゲットに「あなたに話しをしてるんですよ!」とわかるような広告にしろともいわれます。考えてみれば、イメージ広告だって、同じことです。が、人間は、たとえ一部のひとたちからでも嫌われたくないので、ついつい、誰にも拒まれないような広告をつくってしまいます。

 そういった意味で、「エファージュ」の広告は、年代を書くことでターゲット客だけの注目を獲得しよう・・・という当たり前のことだけど、ちょっぴり勇気がないとつくれない広告です。「そうだよね。もう、年代を書いたっていいよね」と気づかせてくれました

 つぎは、マクドナルドの話です。

 マックのケータイクーポンの人気は高く、携帯クーポンメールに登録している数は2000万人。この数は外食産業のなかでも、あるいはTSUTAYAのようなレンタルショップと比べても、だんとつNo.1だそうです。マックは紙のクーポンを新聞チラシで配布もしています。が、紙のクーポンは印刷費を含めて経費が高く、2009年には18億円もかかりました。そういうこともあって、紙のクーポンの割合をへらし、2010年には、紙とデジタルクーポンとの比率は15%対85%になっています。

 デジタルクーポンにも2種類あって、注文するときに画面を店員に「見せるクーポン」と「かざすクーポン」があります。2008年から力をいれている「かざすクーポン」なら、読み取り機にケータイをかざすだけで、店員と話さなくても注文は完了し、厨房に注文内容が伝送される。支払いも電子マネーをつかう客なら、再度読み取り機にかざすだけですべてが完了。これは、接客時間の短縮から人件費の節約、そして利益の向上につながります。 

 そして、顧客も安い値段でバーガーが食べられる・・・と、ここまでが、よくいわれるクーポンがもたらすメリットだ。

 が、もうひとつ、大事なことがあります。

 それは、価格感度(価格感受性 price sensitivity)の高い客と低い客とを分けて、同じ商品を、異なる値段で販売できることだ。

 低価格でなければモノは売れない。だが、誰もが損する不毛な低価格競争にはおちいりたくない。だいたいにおいて、安くなければ買わないひともいれば、50円や100円の違いなど気にしないひともいる。そして、こういった価格感度は所得とか職業といったデモグラフィックなプロフィールとは、ふつうに考えられているほどには強い関係がないのです。

 売る側からの理想をいえば、価格感度の高いひとたち、つまり、安くなれば買う傾向が高くなるひとたちには割り引いて売り、価格感度の低いひとたち、つまり、安くしなても買う傾向に変化のないひとたちには定価で売る。これなら、増収増益を実現することができる。

 日本マクドナルドは、2007年に地域別に異なる価格で販売する戦略をとり話題になりました。地域別価格は、デマンドベースプライシング(demand based pricing 需要に基づくプライシング)のひとつ。デマンドベースプライシングのなかには、消費者の価格感度にもとづいて価格を上げたり下げたりする手法もある。

 地域別価格は日本ではあまり問題にならなかった。が、オーストラリアのマクドナルドは、2009年に、貧しい地域のバーガーの価格を高くしたと批判されました。そのとき、CEOが「その地域のひとたちがバーガーの値段が高すぎるからもうマクドナルドにはいかないということになれば、(デマンドベースプライシングの戦略にもとづいて、自然と)値段が下がります」と答えている。 (アメリカやオーストラリアでは低所得者層がファストフードを食べる頻度が多く、その意味で、ハンバーガーに対しての価格感度は低い。だから、低所得者層地域の価格が高くなったのだ。CEOの発言は、価格が高くなって来店客数がへれば、デマンドベースプライシング手法にもとづいて、自然と、価格はまた下がる・・・という意味)。

 デジタルクーポン配布による割引は、価格感度の高い客はクーポンをつかうし、低いひとは手間隙をメンドクサイと考えてつかわない。だから、誰がクーポンを使うか使わないか、また、その頻度によっても、客を価格感度で分けることができる。それによって、割引率や割引額を一人一人変えることもできる。

 デフレ環境で商売をするときに、客の価格感度のレベルを知ることは、利益を出しながら低価格商品を販売していくときに重要な情報となる。

 ただし、オーストラリアの例でもわかるように、デマンドベースプライシングは売り手にとっては理想的な戦略だが、へたをすると、消費者から不公平だと不満がでる。その点、クーポン、とくにデジタルクーポンだと、外部からは、どのような差別化がなされているかはすぐにはわからない。

 クーポンが各顧客の価格感度を知るデータ源になれることには、あまり、気がつかない。

 最後に、3番目の「なぜ、それに気がつかなかったのか?」です。

 3月3日付け読売新聞によると、東京都の石原都知事が4選不出馬の意向を自民党に伝えたそうです。そのとき、「東京の指揮官というのはいざというときに10階まで駆け上がらなければいけない。自分にはそれができない」と語ったそうです。

 企業の社長やCEOでいくつになっても辞めないひとがいます。老害だと陰で批判されても、自分は体力的には衰えていても、頭はしっかりしていると主張します。たしかに、頭脳が明晰かどうかの判断は、個人差もありむつかしいところです。しかし、しょせん脳は肉体の一部です。そして、いまは、グローバル時間で頭脳を働かせなくてはいけない時代です。夜中の三時に起きて重要な判断をしなくてはいけないかもしれません。体力がなかったら勤まりません。

 そういった意味で、「いさというときに10階まで(駆け上がらないまでも)休むことなく一気に登れる」かどうかは、不公平のない基準ではないでしょうか? 

 それができなくなったら引退する。「自分は年だけど、頼りにならない若いものよりはマシだ」とか、「経験やネットワークでも若いものには負けない」とか、あーだ、こーだとややこしいことを言わなくても、こんな単純な基準があったんだ!

 ・・・ということで、マーケティングは単純が一番! シンプルなことができないのは臆病になっているか(客を価格感度で分けるのもけっこう勇気がいります)、あるいは、考えすぎかどちらかですね。

 そして、同じく、引退するとかしないとか、自分の人生をきめるときも、単純な条件で線引きをするのが一番! うっう、オチのつけかたがちょっとクルシィ~(だいたい石原都知事もタヌキだから、ケムにまくようなことを言っておいて、ふたを開けたら、立候補しているかもしれないし・・・)。

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参考文献:1.「石原都知事、4選不出馬・・・・自民に伝達」、読売新聞3/3/11、2.ファストフード、もっと安く・・・携帯クーポン、会員向け充実」、日経新聞2/3/11、3.「売れない時代にファンを増やすサービスの染料力」、月刊激流 7/1/10、4.Michael Mullins, Burger bugger's price hike spin, 3/2/09

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