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2010年3月23日 (火)

iPhone、iPad から iCar へ・・・・。

Stnd007sアップルがアメリカで4月3日、日本でも4月末にはiPadを発売する。今年1月にCEOスティーブ・ジョブズが製品発表して以来、さまざまなメディアで玄人素人(プロアマ)が批評をくりひろげている。

 2007年秋に発売され(そして、2009年末までに300万台販売したといわれる)アマゾンのキンドル(Kindle)と比較されることが多いために、日本では電子書籍用の端末だと紹介されるむきもあるようだ。が、ご存知の方はご存知のように(当たり前か・・・)、それは違います。iPadは書籍はむろん映画もダウンロードできるし、ウェブ・サーフィンもメールもできるマルチメディア端末です。が、そのなかでも、とくに・・・。

 アメリカでは、iPadは部数が減り息も絶え絶えになっている新聞や雑誌といったメディアを再生させるのではないかと期待されています。

 新聞「ニューヨーク・タイムズ」はiPad用のアプリを作成しました。たとえば、iPad画面に、ごくフツーの紙の新聞の体裁で第一面が表示される。トップニュースは「国民皆保険法案成立!」。大見出しと本文テキストが続き、そばに、オバマ大統領がインタビューに答えている写真が掲載されている。iPadでは、その写真をタッチすれば、動画になり、オバマ大統領の記者とのやりとりや法案が成立したときの議場の様子がTVニュースのように再現される。

 ニューヨークタイムズ担当者がプレゼンしているのを見て、デジャヴ(既視感)に襲われた。

 待てよ。こういった場面をどこかでも、以前に見たことがあるぞ。

 きっとSF映画で見たんだ・・・と思ったが、どの映画が思い出せない。でも、スティーブ・ジョブズがiPadを紹介するときに、「真にマジカルで革新的な製品」と語ったのを聞いて思い出した。

 マジカル(magical)=魔法。

 そうだ。ハリーポッターだ。

 ハリポタの魔法新聞だ。

 ハリポタ映画では、ハリーが紙の新聞を読んでいると、新聞に掲載されている写真の人物が突然動き出し喋り始めたりする。なんとなくこれに似ている。

 たしかに・・・。ネットの登場により、絶滅種とみなされるようになった新聞・雑誌は、iPadの動画と音によって蘇った感はある。スポーツ雑誌「スポーツ・イラストレイテッド」のiPad用のデモをみても、表紙が画面に表示されると、(その表紙にはアメフトでキックオフ寸前の選手の顔が大写しになっているのだが)、観客の歓声やタックルするとき体のぶつかる音が聞こえてきて迫力が増す。(雑誌や新聞の電子版でも音付きの動画はあった。ここでのミソは、フツー紙の新聞や雑誌のようレイアウトのなかでインタラクティブな操作ができることです)。

 iPadは「携帯メディア」だ。

 そして、むろん、電子書籍もダウンロードできる。だから、iPadが発売されたら、電子書籍端末に特化したキンドルは大きなダメージを受けるのではないかと懸念されている。もちろん、キンドルはアマゾンのジェフ・ベソスCEOが「情報のつかみどりではなく・・・本一冊をじっくり読むために作った」と言うとおり、文章テキストだけを考えてカラーではなく黒白、長時間読んでも目が疲れないように、また、リゾート地の明るい日光の下でも読めるように、パソコンやiPadに使われている液晶画面でなく、電子ペーパーをディスプレイ画面に使っている。新書版の大きさのキンドル2なら価格もiPadの半分だ。だから、電子書籍端末に特化して勝負できる。

 でも、キンドル・デラックスはiPadと値段がほとんど変わらないので、機能を比較されると弱いのでは?なんといってもアマゾンは、1995年に書籍のネット販売を始めてから15年間、取り扱い商品を数百万点にふやし、読者のフィードバック機能を充実し、中古品の第三者販売を始めるなど、ビジネスモデルにおいては革新を続けてきた企業だが、アップルと違って、ハードウェアを設計して制作する経験はほとんど無いのだから。

 日本では、2008年に電子書籍市場は464億円の規模になっているが、マンガが中心。マンガにはカラーや画面の大きいiPadのほうが適しているという説もあるが、マンガは大半がケータイで読まれているので、しいて新しい機器を買う必要などないのでは・・・? どちらにしても、コンテンツが問題で、アップルもキンドルも日本語ヴァージョンの書籍を出すには、日本の出版社と交渉をまとめなくてはいけない。

 しかし、基本的に、iTuneやケータイ電話によって、音楽のCD販売がデジタル配信システムに取って代わられたように、紙の本がデジタル配信に変わっていく流れを止めることはできないだろう。なんといっても、エコ的にもコスト的にも、デジタルのほうが良いわけだし、読者にとっても紙媒体として保存しておきたい本は限られている。

 米アマゾンは、キンドルの宣伝も兼ね、モダンホラー作家スティーヴン・キングに直接依頼して短編を書いてもらい、キンドル独占で配信した。出版社を通さないこの流れだと、1)紙代、印刷代、物流コストを省くことができる、よって、2)作家により多くのロイヤルティや前金を払うことができるし、3)読者への料金も低くできる。アマゾンが作家と直接取引きするようになれば、出版社の役割は大きく変わらざるをえなくなる。

 ここまできてなんなんですが・・・、出版とか書籍業界の将来を描くのは、このブログを書いた本来の目的ではないのです。

 実は、日経新聞で「技術経営論からみた電気自動車」という香川大学の柴田教授の記事を読んで以来、私の頭にちらついているのは、かじりかけのリンゴのマークがついたシルバーメタル色の自動車なのです。iCar(あるいはiAutoとかiViecle?)なのです。

 ハイブリッドではなく100%電気自動車になり、エンジンからモーターになると、(エンジン周りの部品数は自動車全体の30~40%を占めるので)全体で3万点もある部品が、その十分の一になるそうです。しかも、電池やモーターといった主要部品が電気系部品となり、それらをケーブルで連結すればよいので、主要部品間の相互依存関係が単純になる。よって、モジュール化が進む。つまり、設計思想がパソコンのようになり、デルやアップルがしているように、主要部品はOEMで調達し組み合わせるだけでよい。アップルはそのアセンブリーさえも中国の工場でしている。

 極端な言い方をすれば、デザイン・設計さえきちんとすれば、誰でも自動車がつくれるようになるのだ。げんに、2009年に日米よりいち早く(家庭用電源で充電できる)プラグイン電気自動車を発売した中国のBYD(リチウムイオン電池の製造では世界大手)のCEOは、「電気自動車だから新規参入企業でもトヨタやGMと競争できる」と語っている。伝統的なガソリン自動車を製造していなかったから、へんな先入観にとらわれていないぶん、また、伝統的製造工場を所有していないぶん、かえって、競争優位に立てるというわけだ。

 電気自動車では、クルマのデザイン上の制限が少なくなるという。従来のガソリン自動車では、大きく重いエンジンを設置する場所が自動的に決まってしまう。ガソリンをいれるタンクの設置場所もだいたい決まってしまう。電気自動車でエンジンにあたる重い部分は電池しかない。電池はたしかにかさばるし重いが、設置場所の制限はそれほどないし、縦に束ねたり一面に敷き詰めることもできる。

 パソコンのような設計思想。そして、デザイン上の制限が少なくなった・・・・といったら、やっぱり、アップルの出番ではないでしょうか? (スティーブ・ジョブズは少なくとも2008年にはメルセデス・ベンツに乗っていたらしい。このデータは、彼の電気自動車への関心度を予測する重要変数になりえるのでしょうか? クルマオンチの私には判断がつきかねます)。

 この提案はそれほどワイルドなものでもありません。アメリカのまあ有名な投資家が2009年にオバマ大統領宛の公開書簡で、「アメリカの自動車産業を救うのは、スティーブ・ジョブズだ・・」と書いているくらいですから。彼は、「自動車産業の将来はエレクトロニクスとソフトウェアだ・・・アメリカには、その分野で才能ある人材がたくさんいるはずだ」と説明しています。

 ところで、電気自動車のネックは電池にあります。ノートパソコンやケータイ電話に使うリチウムイオン電池に一番期待がかけられていますが、値段が高い。しかし、生産量がふえることによって、価格も2015年にはいまの半分、2020年にはいまの四分の一くらいになることが予測されている(いまは、電池の価格は1キロワット時当たり10万円前後)。電池のもうひとつの問題は、一回の充電で走れる距離が100キロから160キロくらいと短いこと。そして、フル充電に10時間前後、急速充電でも30分かかるという問題。そのうえ、ケータイやパソコンでオーバーヒートして発火する問題を起こしたりした安全性の問題もあります。

 それに関連して(ここでまたiPadに話が戻ります)、アップルはiPadの電池交換に新しい方針を採用することを発表しています。これまでのように、ユーザーが新しいバッテリーを購入して古いのと自分で交換するのではなく、アップルに使っているiPadそのものを送る。そうすれば、一週間以内に、アップルが新しい(というかきれいにした中古品)iPadを新しい電池入りで送り返してくれるそうです。もちろん、交換に出す前に、データは保存しておかなくてはいけません。リチウム電池の安全性を考えて、消費者に交換してもらうよりは、製品の点検もかねて電池は企業側で交換したほうがよいと判断したのだろう・・といわれています。

そこで、また、思ったのです。iCarの場合も(また、一口齧りのリンゴ・マークがついたクルマの話に戻ります)、充電に長時間かかるから短距離しか電気自動車は使えないというのではなく、長距離の場合は、途中でガソリンスタンドならぬApple Stationに立ち寄って、丸ごと新しいiCarに変えてもらう・・・ってえのはどうでしょうか? 「え~、じゃあ、車の中にある私物も一々入れ替えるの? めんどくさい~」という苦情を考えて、車の内部だけまるごとスライド方式で取り出して、新しい車に数分のうちにカチッと組み込むっていうのは? あるいは、充電済み電池とモーターをカートリッジ方式で入れ込むっていうのは? なんといっても、アップルは独創的なデザイン力に定評があるんだもの。きっと、魔法のようなクルマを設計してくれるのではないでしょうか?

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参考文献: 1.EVが未来を変える、産経ニュース10/25/09、2, The Future's electric for auto industry but barriers may shortcircuit the sparks, says PwC, Pricewaterhouse Coopers 12/10/0 sparks, says PwC, Pricewaterhouse Coopers 12/10/09, 3. Norihiko Shirouzu, Technology Levels Playing Field in Race to Market Electric Car, The Wall Street Journal 1/12/09, 4.「活字のKindle」vs「マンガのiPad」 電子書籍端末の勝者は? 日経トレンディネット2/02/10、5.Alison Flood, Stephen King writes ebook horror story for new Kindle, Guardian.co.uk 2/10/09、6.技術経営論からみた電気自動車ーー香川大学教授 柴田友厚氏、日本経済新聞11/18/09, 6.  Adam Penenberg, Amazon Taps Its Innter Apple 7/01/09、7.電子書籍、日本でも普及?日経新聞3/16/10

 

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2010年3月 7日 (日)

「若者」は本当に変わったのか?

Stnd007s最近、「若者」本が流行っている。「今の若者たちが以前とは変わった」ことについて書いてる本で、きちんとした調査にもとづいて今どきの若者像を明らかにしている本もあるし、ケータイ世代の若者たちの生活をルポルタージュ風に描写している本もある。

 調査も突撃ルポもしないナマケモノの私は、そういった本を読んで勉強するだけなのだが、数冊完読して、ふと気がついた。

 どうして、私たちは、若者たちのことがこれほどまでに気になるのか?

 この風潮はいまに始まったことではない。80年代初めには「新人類」という言葉が流行って、いまの「草食男子」に負けないくらいマスコミに騒がれた。この2つの新語ほどには注目されなくとも、その年の新入社員の特徴に「カーリング型」とか「エコバッグ型」とかニックネームをつけるのは毎年の恒例だ。また、ゆとり教育を受けた「ゆとり世代」とか、「バブル世代」「氷河期世代」とか、新しく社会に参加してくる世代に名称をつけて、その特徴を列挙するのも大好きだ。

 しかし・・・だ。

 マーケティングの観点からいえば、いまの日本の人口統計や消費支出を考えると、シニア層のほうが圧倒的に重要だ。電通が2000年に発表しているシニア市場の規模推計によると、2015年には、50歳以上の日本人の消費支出は日本人全体の消費支出の52%を占める。65歳以上に絞っても24.6%を占めると予測されている。

 2009年9月現在の人口統計をみても、持ち家率が85%になり子供もある程度独立して可処分所得も多くなり始めるヤングシニア(50歳~65歳の15歳の幅)の人口は総人口の21%。これは、若者(高校生の15歳から34歳までの20歳の幅)の22%とほとんど変わらない。だが、こういったヤングシニアやオールドシニア(総人口の23%)について書かれた本がベストセラーになることはないだろう。新しく年金をもらい始める60歳や65歳に、今年の新老人世代の特徴をうまく表現するニックネームをつけるなんて習慣も始まらないだろう。

 高校生が自分たちだけに通じるようにつくった新語(メアド、キャラ、マイミク、ガチ、マジ・・・)を使ってぺちゃくる会話が紹介されているページを物珍しげに読むことはあっても、60代後半の夫婦の、自分たちだけに通じる「あれ」とか「これ」が多頻度で登場する間(マ)の長い会話が紹介されているページを、あなたは興味を持って読むだろうか?

 女子大生がケータイ電話を3台持っていて、1台は親から支給されたもので料金は親持ち。2台目はカレシとの専用で親にナイショだから料金は自分で払う。3台目はケータイ費用を稼ぐためにバイトしているスナックのお客さんとの会話用・・・・・そういった女子大生の実態を読むのはちょっと面白い。だが、70代の老人がケータイを2台もっていて、そのうち1台は同居している息子夫婦にはナイショでつきあっている(デイケアセンターで知り合った)老女と話すためのケータイ・・・といったシニアの暮らしの実録を、あなたは、女子大生に対するのと同じくらいの関心をもって読むことができるだろうか?

 そういった本を、自分の今のビジネスに直結でもしない限り、お金を出して買うだろうか?

 「いまどきの老人は以前とは変わった」という本は、若者本ほどには売れないだろう。

 なぜなら、人間は・・・というか動物は・・・というか生物は、自分の親より上の世代には関心がもてないようにできているのだから。

 進化生物学者のリチャード・ドーキンスが主張するように、人間は(生物は)自分の遺伝子を後世に遺すようにプログラムされているわけで、結果、自分の遺伝子を後世に繋いでくれる子孫たちの世代の言動に非常に関心があるのだ。親が、子供の結婚を望み初孫を望むときに、「早く安心させておくれ」という言葉を使うのは、まさに、その言葉どおりの意味なのだ。自分の遺伝子が受け継がれたことに安心して、「これで、いつお迎えがきてもいい」とある意味本心でそう思うのだ。

 ・・・・ここで、やっと、「今の若者たちは本当に変わったのか?」の本題に移ります。

 親や祖父の世代が、「ちかごろの若者ときたら・・・」と嘆息まじりにグチるのは世の常だ。子供は(とくに男子は)親に(とくに父親に)反抗する形で育つ。よって、先行する世代の特徴への反動の結果として次ぎの世代がつくられる。だから、単純にいえば、保守的世代の後には革新的世代が、そして、革新的世代のあとには保守的世代が続く・・・・という説がある。そういった説に沿った調査で、アメリカには、1620年に英国からの移民が始まってから現在までの約400年の間に19の世代が存在している。が、それは4つの元型に分類することができ、それぞれが1回の例外を除いて同じ順番で続いている・・・・という研究も発表されている。つまり、Aタイプの世代の後にはBタイプが続き、Bタイプの後にはCタイプが、そしてその後にはDタイプの世代が続き、その後、またAタイプに戻り、前と同じサイクルが続くということだ。

 2009年に発表された米論文では、18歳から24歳のころに不況を経験することは、その世代の価値観や態度に生涯にわたる影響を与えることが調査で明らかにされている。いまの日本でも、経済的理由で大学進学をあきらめる18歳、あるいは、就職できない高卒や大卒の若者が多い。彼らの生涯にわたる価値観や態度は、こういった経験によってつくられる・・・わけだ。

 上の2つの研究をまとめると、新しい世代は15歳くらいまでには、親の世代への反動の結果としての特徴をはぐくむようになり、そして、18歳から24歳の時期にどういった景気サイクルに直面したかによって、その後の生涯にわたる価値観や態度、ライフスタイルをつくりあげる・・・・ということになる。

 考えてみると、現在30歳のシニアの若者は、1992年にバブルが崩壊したあとの1998年に高校を卒業している。30歳以下の若者たちは、バブル崩壊以降、20年にわたる景気低迷の中で(2002年から5年ほど続いたいわゆるイザナミ景気は好況感なき景気といわれる)、18歳から24歳を過ごしている。一方で、その若者たちに先行する上の世代は、高度成長時代やバブル景気に大学進学や就活を経験してきている。そういったイケイケ世代が、今の若者たちをみて、「元気がない」とか「保守的だ」とか「消費に積極的でなくて貯金に熱心だ」と、自分たちが若かったころと比較して思うのは当然だろう。

 ブランドを買わない、ブランドに関心がない・・・と言うけれど、たしか、バブルのころの若者たちは、その上の世代に、「日本人は10代20代の若者が高級ブランドを平気で買う。こんなことは欧米先進国では見られない。欧米では、自分の金で買えるようになる本当の意味での大人になって、初めて、高級ブランドを買う。日本も、もっと成熟した大人の文化を・・・・」と批判されたのではなかったのか? 上の世代に批判された世代が、いま、「最近の若者はブランドを買わない」とか「貯金が好き」と不思議がるのは、ちょっとおかしい。大学生はむろんのこと、社会人になったばかりの若者が安いモノを買うのは当たり前。将来のことを考えて貯金するのも当たり前。ある意味、これでやっと、「欧米先進国」の若者たちのライフスタイルや価値観に近づいた。いまの日本の若者は「大人」になったもんだ・・・・と誉めるべきところだろう。

 男が甘いものを食べるようになったと騒がれているようだが、これも、おかしい。男は・・・というか人間はもともと砂糖は大好物なのだ。人間の脳はどの臓器よりも多くのエネルギーを消費し、その主要なエネルギー源はぶどう糖。砂糖は分子構造が単純で、食べると小腸で消化吸収され、成分のぶどう糖は数十秒後には血液を介して脳にすばやく供給される。日本には甘いものを好きなのは男らしくないという文化的制約が存在していたから(そういった文化的制約がないアメリカでは、男は朝から甘いものを食べる)、「オレは甘いものが好きだ」と公言しなかっただけだ。昔から、家では、母親や奥さんが買いおきしていた甘いものを家族といっしょに食べていた。

 江崎グリコが職場に100円菓子の入った専用ボックスを設置して購入者は代金をボックスに入れればOKの置き菓子システム「オフィスグリコ」を始めたのは2002年。2008年の売上は30億円で、利用者の7割が男性とか。が、ここで、男が甘いものを食べ始めた!と早合点をしてはいけない。昔、オフィスでは休暇帰りとか出張帰りにお土産を買ってくる習慣があり、3時のおやつどきになると毎日のように自分のデスクの上に地方のお菓子が置かれていたものだ。だが、泊まりの出張が少なくなったいま、配給されるお菓子の数は激変しているという(オフィスグリコの売上は、1月の第2週にぐっと落ちる。お正月に帰省した人が土産のお菓子を持ち帰るからだ)。昔は、また、お茶くみ専用の女子社員がいて、部長が「お菓子でも買ってきてみんなに配って」とか言ってお金を渡す習慣もあった。だが、お茶くみ専用の女子社員がいなくなったいま、そんなお茶の時間もなくなった・・・という。

 つまり、男性は自分でお菓子を買わなくてはならなくなったのだ。だから、置き菓子を買うし、コンビニで甘いものを買うようにもなった。男も甘いものは昔から食べていた。違ってきたのは、自分で購買しなくてはいけなくなったことだ。だから、男とスイーツの関係が以前よりも目立つようになった。

 ・・・・こんなにふうに、「いまどきの若者の特徴」の多くは、経済的理由とか文化的制約、習慣の変化などで説明できる。が、ただひとつ、説明のつかない特徴があり、それは、若者が根本的に変わったかもしれないことを意味している。

 いまの若者は「異性との交際に興味がなくなってきた」という。この特徴は、景気サイクルや文化的制約や習慣の変化では説明できない。リチャード・ドーキンスを再度引用すれば、人間は(生物は)次ぎの世代を残すために生まれてきているのだ。異性に関心がなくなり、セックスをしなくなれば、当然のこと、子孫は生まれなくなる。異性との交際に無関心ということが事実なら、いまの若者たちは生物の(人類の)本能を持っていないことになる。これぞ、まさしく、本当の意味での「新人類」の登場だ。そして、新人類は絶滅の道をたどる運命にある。

 歴史人口学を専門とする鬼頭宏教授によると、日本が人口減少社会に入るのは、歴史上、4度目のことだそうだ。

  1. 縄文後半(気温が下がり食糧が減少。ピーク時には26万人あった人口が8万人まで減少)
  2. 平安時代中・後期(人口が増えない状態)
  3. 江戸時代中・後期 (人口が増えない状態)
  4. 現在(幕末に3200万人だった人口は明治時代から一貫して増え続ける。が、2005年から減少し始める)  

 比較経済史専門の川勝平太教授の説によると、人口が増大する時期は新しい文化やシステムが導入され、男性の労働力が価値を持つ荒々しい時代(たとえば、江戸前期の都市建設や明治時代の富国強兵から戦後の重工業産業推進政策)。反対に、人口が減少する時代は平和で文化が成熟する時代(たとえば平安中期の女流文学の隆盛、江戸時代中期からの町人文化の成熟)。人口減少時代にはハードよりもソフトの発展。産業でいえば、工業からサービス産業への転換。よって女性の役割が大きくなる・・・・そうです。

 その説にそえば、ひとあたりがよくて繊細な草食系男子は、今の時代、サービス産業中心の時代への適応化現象のひとつだということもできる。最近、本当に思うのです。男性店員の態度のよいこと! 電気やガスの修理の男性だって、無愛想でつっけんどんだった昔に比べたら本当に愛嬌がある。

 って、話がそれましたが・・・・、たしかに、人口が減少しているいま現在、文化が成熟しているといえないわけではない。東京はミシュランガイドブックの星の数の合計が世界一多い都市。つまり食文化は成熟しているってこと。それに、アニメやオタク文化に原宿や渋谷発信のカワイイ・ファッション。

 問題は、再び、男らしさが求められる荒々しい時代がやってきて、人口が増加に転じるかどうか?ってことですね。あるいは、これまでの歴史を塗り変え、女性が活躍する平和な時代においても人口が増加するような新しい現象が生まれるかどうか?ってことですね。

 どちらにしても、今日はここまで・・・。こんなに長いブログ、書くほうも疲れましたが、読むほうも、ほんとにどうも「お疲れさま~」でした。

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参考文献:1.川勝平太「女性の活躍で人口減克服」、日本経済新聞 4/17/09 2.亀頭宏「減少期に文明は成熟、女性の役割大きく」、日経新聞01/07/10、 3.「タバコ代わり、男性、息抜き」日経新聞 2/1/09, 4.Paola Giuliano, Antonio Spilimbergo、The long-lasting effects of the economic crisis、VOX 9/25/09

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