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2009年10月12日 (月)

宝島社女性誌とナルシズム

 

 出版不況のなかで、ひとり勝ちしているのが宝島社。発行している女性誌は軒並み前年対比60%増。なかでも「sweet」は2009年5月号の部数が60万部で、昨年より150%以上の伸びだという。

 そして、その数字を誇るかのように2009年9月24日に、朝日、日経、読売、毎日など全国紙に前面見開きカラー広告を出して、話題になった。雑誌が売れているのは付録がついているからだとか、経営者も出席するマーケティング会議に秘密があるとか、いろいろ話題になっている。

 が、ここで、取り上げたいのは、新聞広告に掲載された「女性だけ、新しい種へ。」というコピーについてです。

 「この国の新しい女性たちは」、自分のファッションを考えるときに、「もう、男性を意識しない。彼女たちは、もう男性を見ない。もう、自分を含めた女性しか見ない」から始まって、「このままいくと、女性と男性はどんどん別の『種』に分かれていくのではないか」と続き、「いつか、女性は男性など必要とせずに、自分たちの子孫を増やし始めるのではないか」と予言します。そして、女性たちが新しい種として、これからますます飛躍していくのに、男性たちは、どうするんだろう・・・と、男よもっと強くなれ!と叱咤激励(?)しているかのようなエンディングとなっています。

 異性を意識していないのは、女性だけではなく男性も同じ。草食系男子というセックスに余り興味のない「新しい男性」もすでに登場してきているらしい。世界的ベストセラー「利己的な遺伝子」を書いたリチャード・ドーキンスによれば、人類、動物、いや、地球上に住む生物はすべからく、繁殖して自分の遺伝子を将来にのこすように仕組まれプログラムされているのです。その繁殖に必要なセックス、そして、そのために必要な異性への関心がない・・・などということは、「この国の新しい女性たち」だけでなく「この国の新しい男性たち」どちらも、地球上の生物であることを放棄しているようなものです。ホモサピエンスから枝分かれした新種です。80年代半ばに流行した言葉を使えば、これjこそまさに「新人類」なのです。

 ただし、残念ながら、人類というか哺乳類は、異なる性同士の交配、つまり精子と卵子の受精以外には正常な固体は生まれない仕組みになっています。単為生殖するミジンコ、雌雄同体のカタツムリ。魚類とか爬虫類の仲間にも、新しい環境の変化に適応して、メスやオスが異性なしに自分だけで繁殖する種も発見されています。しかし、哺乳類である人類は、どれだけ気の遠くなるような時間をかけても、異性同士のセックスなしに繁殖はできない遺伝子の仕組みになっているのです。クローン人間をつくる以外、異性間のセックスなしに、新しい生命を誕生させる可能性はないのです。したがって、いくつかの国際的調査によって、世界で一番セックス頻度が少ない日本国においては、「強くなった女性」も「弱くなった男性」も、どちらも新種どころか絶滅種となる運命にあるのです。

 30世紀への予言はこのくらいにしておいて、宝島社の女性誌や東京ガールズコレクションを支える女性たちのナルシズムの話に移ります。

 アメリカでは、1970年代以降に生まれた世代にはナルシストが多いと言われます。共稼ぎ夫婦の間に生まれ、豊かな生活のなかで、兄弟姉妹も少ないために、まわりの注目を浴びることが当たり前のような環境で育ってきた。しかも、欠点を指摘されるよりも、良いところを見つけて誉める教育を受けてきた。こういったことが、ナルシスト世代を生んだ原因だそうです。

 日本人の新世代も似たような環境で育ってきてはいるかもしれないが、ナルシストとはいえない。人生経験が少ないがゆえに謙虚さのない若者は多々存在する。でも、そんな若者ですら、自信過剰というよりは、どちらかというと自信過少気味なのが日本の特徴だ。ナルシズムは日本には無縁のものだ・・・・と、最初は考えました。でも、ナルシズムについて、もう少し調べてみると、東京ガールズコレクションや宝島社女性誌に人気が集まる理由がガッテン!できたのです。

 「そうか!これでいまの若い女性たちが、自分たちのファッションの基準として、異性の気を引くよりも、同性である自分たちの仲間うちの目を意識することが理解できる。また、自分たちの仲間うちから生まれたスター、つまり読モやストスナ・セレブに注目する傾向もわかったぞ!」

 ・・・・ということで、70年代よりずぅずっと前に生まれ親には欠点を批判されて育ったくせに、なぜか自信過剰気味のナルシストの私は、絶対的に正しいと信じて疑わずに自説を発表したいと思うのです。

 まず、第一にナルシズムは「自己愛」と訳されたりしますが、ナルシストは自分を愛するために、自分を誉めてくれるまわりの人間を必要とします。

 ナルシズム(narcisism)の語源はギリシア神話にあることはご存知でしょう。美青年のナルキッソス(Narcissus)は自分に恋焦がれている妖精エコーを拒絶します。それを見た復讐の女神ネメシスは罰として、ナルキッソスが自分だけしか愛せないようにします。ある日、ナルキッソスは、水の面に映った自分の姿を見て、恋に落ちてしまいます。が、どれだけ恋焦がれても、その恋は成就しません。その場所から離れられないナルキッソスは憔悴してやせ細りついに死んでしまいます。その後に咲いた花はナルキッソスの名前をとってnarcissus(水仙)と呼ばれるようになりました。

 水の面(鏡)に映った自分の姿しか愛せない・・・この鏡がまわりの仲間うちのひとたちです。ナルシストは、自分自身を映し出している(反映している)仲間に認められ誉められることを必要とします。当然ながら、自分の価値基準をまわりにも求めるし、また、反対に、まわりが価値あると認めるものが自分の価値基準になります。ゴシック&ロリータ好きとか、お姫様好きとか、いろんなグループがあってつるむのです(女の子たちは小学生のころからトイレにいくのもつれだっていきますよね。西洋でも、女性のナルシストはグループで行動する傾向が男性よりも高いといわれます。もっとも、TVドラマ「セックス&シティ」で女性4人が何をするのもいつもいっしょ・・・くらいのレベルのことかもしれませんが)。

 ナルシズムのひとたちは、愛しているのは鏡に映っている自分であり、本当の自分への自信はありません。だから、グループとつながっている必要性があります。ケータイもSNSも、そして、宝島の女性誌も、この「つながり」を提供してくれているのです。ナルシストは本当の意味で(昔の伝統的な意味での)友人が必要なわけではなくて、自分を映し出してくれる鏡が必要なわけですから、「つながり」だけで充分なのです。ファッションの基準、趣味、そういったものでつながっているグループが存在すればよいのです。そして、このグループの価値を認めることは、自分自身の価値を認めることです。ですから、女性誌を読み、その価値をクチコミし、雑誌の人気が出ることは、自分にとっても喜ばしいことなのです。

 ついで、自分の仲間うちから出たスターに注目しあこがれる理由も書いてみます。宝島の女性誌やTGCのファッションは、基本的に、ストリートファッション中心だといわれる。ストスナといって、街を歩いているちょっと個性的な女性の写真を撮る。そういったスナップ写真ばかりで作られたストスナ・ページが人気を呼ぶ。「マーケティングNOWシリーズ12」で書いたように、それほど美人でもないのに、自分流(?)なメークやファッションでストスナ雑誌に登場し、読者(仲間うち)で注目され憧れの対象となっている読モも多い。

 こういった現象を理解するために、アメリカの「セレブ崇拝シンドローム」についての研究をチェックしてみます。

 アメリカでも最近のセレブ人気は異常だといわれ、2002年の英米での心理学調査では、アメリカ人の3分の1がセレブ崇拝シンドロームにかかっているという結果が出ています。このセレブ人気について、2つの説があります。

1) 進化心理学者の説・・・人間は太古の昔からゴシップ好きだった。現世人類が生まれて25万年のうち99%以上を私たちは150人くらいの村落グループで暮らしてきました。そこでは、ゴシップは、つまり、「その場にいない互いに見知った誰かについて評価すること」は、社会の秩序を守り生活を円滑にするために必要な手段だったのです。誰と誰が仲良しだったが最近ケンカしたとか、誰と誰が最近密会していたとか・・・いまでも、こういった情報を知っていることは、会社、業界、政界、どの人間グループにおいても、自分の地位の安泰をはかり権力を得るための最重要事項です。

20世紀になって工業文明が始まり、村が崩壊し、人類はある一定のグループからグループへと渡り歩くようになりました。住居を変える、職場を変える、学校を変える。そのときどき、どの新しいグループに入っても、共通して知っている馴染みある顔はセレブです。だから、誰もが、セレブのゴシップに夢中になるのだそうです。ちなみに、これも心理学調査によると、男女の違いとか、社会的地位の違いに関係なく、現代の我々も会話の3分の2をゴシップに費やしているそうです。

2) ナルシズムの観点からみた説・・・・セレブについて話すことは、自分自身について話すことでもあります。社会における自分の立ち位置や価値基準を決めるためにセレブを利用しているのです。自分は誰なのかを明確にし、自分の価値観を再認識するために、自分の仲間とのネットワークをより強固なものにするために、セレブについて話すのです。自分が憧れるセレブはナルシストの水の面(鏡)と同じなのです。そして、そのセレブが仲間内からの出身者であることは、自分の価値基準に自信がもてることです。だから、ファンとしてより強くサポートするのです。

 こう考えていくと、女性たちは、新しくなったわけでもなく、強くなったわけでもない。ある意味、不確実で不安な時代において、自信を喪失しているがゆえにナルシズム傾向が出ている・・・ともいえる。「自分流のファッション」といわれるけれども、それは本当の意味での自分だけの個性ではなく、自分の仲間うちでカッコイイとかカワイイとみなされている個性なのです。

 男性にもナルシズムが侵食している傾向は見られます。女性のようにグループをつくり、同性の読モやストスナ・セレブに憧れる男性もいるようです。しかし、多くの男性は女性ほどつるまないせいか(つまり、自分を誉めてくれる仲間がいないせいか)、自信を喪失しやすい。そういった挫折したナルシストによく見られる行動が、内に引きこもりオタク化したり、反対にすべてをまわりのせいにして攻撃的になったりする。

 うっ、なにか、ちょっと暗くなってしまったぞ。

 「二十世紀少女」としては、もうちょっと明るい未来を予言する形で、この話を終えたいと思います。たとえば、宝島社が、女性カリスマ読モと男性ストスナ・セレブとが結婚して、2・3人子供を生んで、幸せに暮らす生活を見せる雑誌をつくる。収入の格差、愛情表現の行き違い、うまくいかない性生活、そして、子育ての大変さ・・・こんなことを、(TVのリアリティー番組ならぬ)紙面リアリティー・ページみたいに展開して、それでも、「二人はやっぱり幸せheart01」だと読者に思わせれば、ナルシスト同士のカップルがたくさんできて、日本人も絶滅種になることは避けられるかもしれない。

 でも、私が一番好きなアイデアは、宝島社が、「主婦と生活」の復刻版みたいな思いっきりレトロな雑誌を出版し、家計簿と白いかっぽう着を付録につけるっていうものです。

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参考文献:1. A Field Guide to Narcissism, Psychology Today, 12/9/05, 2.Seeing by Starlight: Celebrity Obsession, Psychology Today, 7/15/04, 3.Carol Brooks, What Celebrity Worship Says about Us, USAToday 9/14/04 4. Raina Kelley, Generation Me, Newsweek 4/18/09 5. Lucy Taylor, The Ego Epiemic: how more and more of us women have an inflated sense of our own fabulousness, Mail Online 9/14/09, 6. Christine Rosen, Virtual Friendship and the New Narcissism, The New Atlantis , Number 17, Summer 2007

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2009年9月11日 (金)

東京ガールズコレクション

 TGC(東京ガールズコレクション)が9月5日に開催されて、10~20代の女性約2万人が参加。開幕24時間以内のケータイやPCを通じてのネット販売と会場内での販売を合計した売上が約5900万円だった・・・・・こんなふうに、NHKのニュースでも取り上げられるようになったのでは、「ちょっとメジャーになりすぎ!」って思った女の子たちも多かったのではなかろうか? 

 2008年春の第6回からは外務省が後援してるし。ここらへんがピークかもしれない。おりしも、ケータイ恋愛小説「赤い糸」を330万部も売りまくったゴマブックスが、9月7日に民事再生法を東京地裁に申請。そういえば、ケータイ小説の話って最近あまり聞かない。10代20代って、昔から気移りしやすい世代なんだから・・・。

 どちらにしても、あれだけの数の人気モデルに芸能人、人気歌手を登場させる一大イベントというか大規模ショーなんだから、5900万円くらい売れて当然。・・・というか金銭上の損得だけを考えたら、まったく割りが合わないくらいでしょう。

 TGCのことについてとやかく書くつもりはないのです。TGCのニュースをみて頭に浮かんだことを2点書いてみたいと思います。まず、最初に「日本中からブスをなくしたカワイイ・マジック」について。それから「高級って退屈なことなのか?」について・・・。

 ちょっと前までは、ブスと呼ばれる女性たちがいた。彼女たちは最初っから化粧することもトレンディーな服を着ることもあきらめていた。ファッションは自分たちにとって無縁なものだと思い込んでいた。ところが・・・・だ。「カワイイ」という摩訶不思議な言葉に背中を押され、バッサバサのつけまつげに目を3倍は大きく見せるデカ目メークとてんこ盛りヘア・・・・宝塚の舞台化粧顔負けの厚塗り化粧で素顔が消える。一昔前なら、お水のお姉さん。それも、仕事場は銀座や六本木の高級クラブでないことだけは間違いなし。それでも、下品とはいわれず、「カワイイ」といわれる。

 デブだって「カワイイ」のだ。ピシッときまったシャネルのスーツとかは着ない(正確には『着られない』)。ユニクロやH&Mとかフォーエバー21で、安くてファッショナブルなパーツを買い集めて重ね着する。デブがフリルのワンピを着たら、「もっとデブに見える~」。そう言われたのは昔のこと。いまなら、「わー、パンダみたくにカワイイheart04!!」。

 東京の街から「ただのブス」や「ただのデブ」が消えた。

 読者をモデルにした読モファッション誌や、ストスナ(ストリートスナップ)写真を満載したファッション誌が人気を呼び、誰もが自分の個性的(?)な容姿に自信が持てるようになった。NHKのTV番組「TOKYOカワイイ」に登場するカリスマ読モとかストスナでは著名人なんていう男女の多くは、「ええ、どこが~?」と驚くくらいにどぉってことない目鼻立ち。きつい照明ライトの下で撮った写真は化粧栄えしてステキかもしんないが、実際には、はっきりいって、全然美人でも美男子でもない(もちろん、読モ出身者には、本当の意味での美男美女も、数少ないが存在する。で、この生まれながらの美に恵まれた一握りの幸運児たちは、読モ出身からキャリアアップしてドラマやバラエティ番組などでも活躍する)。 

 要は、ブスでもデブでも、いまは、化粧とファッションで「カワユク」なれるのだ。

 ちなみに、語源とか言葉の由来とかを調べてみると、「かわいい」は「かわいそう」の親戚で、もともとは、「気の毒だ」とか「いたわしい」という意味だったらしい。ということは、ブスにつける形容詞としてはピッタシだったんだ(って、差別主義者って非難されない前に断っておきますが、私は、もともと、女性にブスは存在しないと固く信じています。美への執念とか努力の足りないひとがブスになっているだけだと思っていますから)。

 NHKの「TOKYOカワイイ」TVで「日本のファッション大好きでーす」とかいう外人が登場して、カリスマ・メークアップアーティストなどにデカ目をつくってもらったり、スタイリストに洋服を選んでもらったりするのだが、これが全然かわゆくならない。「カワイイ」というのは、鼻も低くて凹凸がはっきりしていないモンゴル系が化粧をするときに実現できる「アニメ」顔かもしれない。

 同じように、西欧のデブはただの醜いデブからなかなか這い上がれない。柳原可奈子とか天道よしみのような、ちょっと触って見たいとか、テディベアみたいにハグしたい思わせるようなカワユイ系デブにはなれないのだ。

 これも語源辞典によると、「気の毒だ」の意味をもつ「かわいい」が、いまの「愛らしい」という意味に変わっていった過程を調べると、小さいものや弱い物に対して「気の毒で見ていられない」という感情を抱き、それが、いつのまにか、小さいものや弱いものをいとおしむ気持ちから、いまの「かわいい」に行き着いたらしい (あくまでひとつの説です)。

 ここまでのところを独断的に要約すると、小柄の草食系人種じゃないと、「カワイイ」は実現できないのかも。

 いずれにしても、若い日本人は、生来の容姿にかかわりなく、誰でもかわゆくなれることが証明された。結果として、10代20代の女性の、たとえば40%が、自分がファッショナブルになることなどハナからあきらめていたとして、その40%までもが、ファッションに興味を持ちお金を使うようになった。その結果を象徴するのが渋谷の109でありTGCだ。

 だからといって、自分たちも、このセグメントを狙おうなんて、まさか、デパートのひとたちは考えていませんよね?

 本題の「高級=退屈なのか?」の話に入ります。

 百貨店の売上が落ち込んでいる。

 といっても、経済危機以前から、その傾向はあった。デパートの売上高は11年連続して前年割れしている。その理由については、「消化仕入れ」と呼ばれる返品できる仕入れ手法が8割を占め、リスクをとらない甘えの精神が革新の邪魔になってきた・・・・とか、その他いろいろ挙げられている。が、その話はまた別の機会に。ここでは、TGCの話題に関連して、「なぜ、デパートの高級品売り場は退屈なのか?」という疑問を提示したいと思います。

 たとえば、デパートの顔ともいうべき、一階の化粧品売り場を例にあげてみます。

 化粧品は不況に強いといわれている。

 日本でも、「原料が手にはいらなくなった第2次大戦中を除き、化粧品の出荷量はほぼ一貫して伸びてきた。金融恐慌中の1927年でさえも、化粧品の出荷額は前年比2割増しだった」そうだ。アメリカでも同じことがいえて、世界恐慌真っ只中の1933年においてさえも、化粧品の(インフレ調整済み)売上は、恐慌が始まった1929年以前よりも高かった・・・というデータがある。

 日本では、今回の経済危機が発生した2008年度のスキンケア用品の出荷量は前年度比ほぼ横ばい、口紅などのメーキャップ用品は1.8%のプラスとなっている。ポーラ文化研究所が首都圏の15~64歳の女性を対象にした調査(2009年4月実施)では、景気の影響で生活費を減らすと答えた人は45%、外食の出費を減らすは50%。だが、化粧品の出費を減らすと答えた人は30%に満たなかった。70%強が、これまでと同等か、それ以上出費すると答えている。

 女性は不況時だからこそ、化粧品にお金を使う。これは、アメリカでも同じで、口紅インデックスなんて言葉さえある。高級化粧品会社エスティローダの前CEOが2001年の不況時に言い出したもので、景気が悪くなるほど口紅が売れるというものだ。女性は、社会状況が暗くなり、気分が落ち込むと、ちょっとした出費で気分転換できる口紅を買う。もっとも、2008年発生の経済危機では、口紅ではなくファンデーションの売上が上がっているらしい(これは、日本でも同様の傾向がある)。口紅インデックスではなくファンデ・インデックスだ。

 問題は、デパートの化粧品売り場だ。化粧品の売上は全体的には落ちてはいないのに、全国の百貨店化粧品売上高は2008年12月に前年同月比でマイナス。それ以降、前年同月比割れが続いている。消費者は、化粧品を百貨店ではなく、ドラッグストアで買っているのだ

 ドラッグストアで化粧品が売れるという話題になると、すぐに、「安いからだ」と金銭的な理由づけがされる。デパートで売っている化粧品は高級すぎるとか高すぎる、だから売れないのだ・・・という話になる。

 それは違うと思う。

 ドラッグストアに行って見れば違いがわかる。ドラッグストアの化粧品売り場には、ディズニーランドのようなマジックが感じられる。ドラッグストアを探せば、自分をプリンセスに変身してくれるマジカルな化粧品が見つかるような気がする。手作りのPOPに書かれたコピーはおまじないのよう。お姫様になるのにふさわしいカワユイパッケージ。魔女に合ったおどろおどろしいパッケージもある。ドラッグストアは魔法の国なのだ。

 それに比べると、デパートの化粧品売り場のつまらないこと! どの売り場も同じように品良く、静かで、活気がない。店員も夢を売っているひとたちには全然見えなくて、(歯を見せて笑うことは下品だと思っているようで)笑顔が見られない。(他人の笑顔を見ると、つい自分も笑ってしまう。それによって、自分も明るい気持ちになる・・・ということを証明する数多くの心理学の実験結果があるのを知らないのでしょうか?)。

 メーキャップ用品でも買って気分転換しよう。元気になろう!・・・と考えても、デパートではそんな高揚した気分にはなれない。20代後半、30代、40代、いや、それ以上の年齢の女性だって、変身願望があるのです。夢をいつも見ていたいのです。ブスでもカワイクなりたいのです。でも、デパートの化粧品売り場はその(ひっそりと内に隠した)欲求には全然答えてくれていない。

 デパートでは店員がカウンター外に出てセールスをしないように規制している・・・ことはわかっている。しかし、高級でも退屈である必要はない、高級でもエキサイティングになれるはずだということを、じっくり考えて見る必要がある。TGCはイベントをすることで人を集め、興奮させ、そして、まわりがみんなケータイを出して注文するから自分もそうする(コンサートでも、まわりが立ち上がってタオルを振るから自分もする。まわりの熱気に影響されて自分もエネルギッシュに変身する。集団意識の利用によってモノが売れる)。

 おりしも、ぴあ総合研究所の9日の発表によると、消費不況のなかでも、エンターテイメントのチケット売上は前年比1.2%でした。「経済環境が厳しくても、人気公演のチケットがすぐ売り切れ状況は変わっていない」そうです。コンサートや劇場、映画、スポーツ・・・みんな数時間の間でも、夢をみさせてくれるのです。

 ドラッグストアには夢がある。でも、デパートの化粧品売り場には商品はあっても、夢もエネルギーも感じられない(今の自民党みたいなものです。そして、総選挙では、選挙民は、民主党が提供する夢を買ったのです)。

 ついでに、化粧品メーカーの広告についても書いてみます。

 以前にも書いたことですが、正月用とかクリスマス用、新学期用の広告があるというのに、なぜ、不況時の広告はないのでしょうか? 化粧品のTVコマーシャルをみても、機能中心のものが多い。社会が閉塞して不安感が漂っているときには、消費者は気分転換とか気分高揚ができるものを探している。上品で退屈なコマーシャルではなく、「ああ、あれを使えば楽しい気分になれそうだ」と思えるような、夢を与え、エネルギーを与えてくれるようなコマーシャルを求めているのです。

 不確実な時代こそ、企業は消費者に夢を提供してあげなくてはいけない・・・と思うのです。民主党が選挙に大勝したように、一般市民は、(実現できるという保証がなくても、それでも)夢を見せてくれるもの(政治組織、企業、商品)が好きなのですから。

 デパートの化粧品売り場は、まず、美容部員を変えることから始めましょう。そこそこの若さで、そこそこの容姿の同じような個性のない店員を並べるのを止めましょう。デブでブスのおばさんは、いまの美容部員のお化粧法をまねしたって、全然変身できません。美輪明宏みたいな、まっ黄色の髪でド派手なメークをした小太りのおばさんが立っていたら、「かわゆい~」といって、あらゆる年代の女性が集まってきます。そして、魔女のような店員に魅せられて、彼女が進める化粧品を、なんとなく買ってしまうこと間違いありません(半分、マジです)。

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参考文献:1.「なぜ化粧品だけ不況知らず(エコノ探偵団)」日経新聞07/12/2009 2、「エンタメ市場健闘」 日経新聞 09/10/2009

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2009年5月 2日 (土)

ユニクロと環境と不況用のコマーシャル(マーケティングNOW11)

Stnd007s今日はゴールデンウィークの最中でもありますから、軽くよもやま話的なものを書きます(って、ていのよい言い訳です。きちんとしたものを書く時間がないだけです)。

1.ユニクロとエコ

 「もったいない」と「エコ」とは別物だと、いまごろになって気づいたおバカな私の話です。

 ユニクロ製品を買ってお洗濯を繰り返していると、シーズンが終わるころには、なんとなくダレた感じになる。ヒートテックのような下着でも、繊維が疲れてきた(?)感じになる。値段からいったら当然のことだが、また次ぎのシーズンに新しいものを買う面倒くささがいやなので(洋服を買うのは大好きですが、自宅や近所で着る普段着を買うのは好きではない)、つい、まわりの人間にグチを言ったら、一笑に付された。

 「ユニクロの服は、一シーズン着たら捨てるのよ」・・・働いている若い女性が言うならともかくも、70代の人(母です)にも、あったりまえのようにそういわれた。戦後のモノがない時代に育ち「もったいない」精神がしみこんでいるはずの70代の人は、「みんな(親戚や友人のこと)そうしてるわよ」と付け加えた。

 それでハタと気がついた。

 水と電気と洗剤を使って洗濯を繰り返せば、それだけCO2が排出される。ジャケットなどの場合、ユニクロ価格なら、数回のクリーニング費用でジャケット一着買えるかもしれない。そのうえ、ドライクリーニングに出すということは、CO2が出るということでもある。だったら、毎年、新しい商品を買ったほうがよい。

 ユニクロ無印良品、それからチープシックとかファストファッションと呼ばれるH&Mなどは、一シーズン着て捨てたほうが、それをきれいにして来年まで維持していく工程から出るCO2排出量を考えると、ずっとエコ的であり、グリーンなことかもしれない。つまり、「もったいない」と「エコ」や「グリーン」はまったく別のことなのだと遅まきながら気がついた・・・というわけだ。

 ユニクロは、2007年から本腰をいれ、3月と9月に全商品の回収、リサイクル活動をしている。リサイクルは3段階に分かれていて、1) 発展途上国への寄贈、2)繊維に戻して軍手や断熱材として再使用、3)それもダメな場合は発電用燃料として使用・・・となっている。

 リサイクルを案内するユニクロ・ホームページには、「お客様に長く着ていただける『本当に良い服』を製造し販売するだけでなく・・・」と書いてある。しかし、ユニクロの低価格を考えると、長く着てもらえる服などつくらないほうが、地球環境には良いのかもしれない。一シーズン、洗濯やクリーニング屋に出す回数を可能な限り最低にして、CO2を排出しないで捨てる、あるいはリサイクルするために店舗に持っていく。

 ところで、最近、買い控えをする消費者の購買を促すために、「リサイクルする」といって、不要商品を引き取る小売業が出てきた。引き取るためには幾ら以上買わなくてはいけないという条件をつけたり、反対に、リサイクルに出せばクーポン券を渡すところもある。どちらにしても、「まだ使えるのに、新しいものを買うなんてもったいない」と躊躇する消費者の罪悪感を、「リサイクル」という言葉で消してあげることによって、購買行動を促すわけだ。だけど、こういった企業は、ユニクロみたいに本当にリサイクルしてるのかなあ? ひきとったものをそのまま燃えるごみに出したりしてないよね?

 もっとも、消費者のほうも、自分が罪悪感を感じなくてすむ限りにおいて、他人ががどうリサイクルするのか、気にしているひとなんて余りいないのが現実だろうけど・・・。

2.不況用のコマーシャル

 不況で巣ごもる消費者が多くなっているところに、新型インフルエンザ。これでは、ますます巣の奥深くに入り込んでしまいそうだ。5月1日に発表された全国消費者物価指数が一年6ヶ月ぶりに減少に転じたということで、今度は、デフレの懸念が高くなったと報道されている。それでも、小売業は、まだ、低価格路線を続けるつもりなのだろうか?

 前回にも書きましたが、博報堂生活総合研究所が2008年末に不安を感じる日本人は72.4%もいると発表している。いま調査したら、もっと高くなっているかもしれません。不安という感情は恐れの変形だ・・・とか、不安は、敵の正体がはっきりせず、逃げるべきか、戦うべきか、行動を選択できないときのあいまいな感情だ・・・ということも、前回(マーケティングNOW10)に書きました。

 不安というのは、なにをすべきか決められないから不安なのであり、自分が無力であることに不安を感じているともいえる。そのせいもあってか、不安な気分状態にあると、人間は、見知らぬひとをネガティブに胡散臭く見るのではなく、反対に、通常のときよりも親近感を覚えやすくなるという実験結果がある。

 不安が人をより友好的な気持ちにさせ、感情的に結びつけるのは、たぶん、何十万年とづづいたアフリカでの狩猟採集生活での経験が、脳にそのほうがよいと判断させているのだろうと進化心理学者は考える。つまり、自然災害や大型肉食獣から身を守るときには、なるべく多くの人数が群れになって集まっていたほうがよい。不安を感じたときは数が多いほうがよい・・ということだ。

 だから、消費者が不安に感じているときに、安心感を与えるような広告メッセージを送ることは、消費者と感情的に結びつくビッグチャンスなのだ。

 クリスマスやお正月用のTVコマーシャルを製作するのに、なぜ、不況用のコマーシャルっていうのはないのでしょうか? 

 長い歴史のあるブランドなら、「あなたのお母さんも、おばあさんも、そのまた、お母さんも、ずっと使ってきた。戦争も、大震災も、すべての時代の荒波を乗り越えてきたブランドです」と安心感をあたえるような内容のメッセージ。

 消費者は、自分で行動できないあいまいな状態にいるのです。信頼できる相手の指示を期待しているのです。こんなときは、企業が自信をもって強いメッセージを送るべきなのです。いま、小売業がしていることは、「低価格商品(だけ)を買いなさい」と強く指令しているようなものです。

 しつこく書きます。

 お正月やクリスマス用のコマーシャルがあるのに、なぜ、不安な時期用のコマーシャルがないのでしょうか?

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2009年3月15日 (日)

エビスビールの新しい広告は不可解

 Stnd007s「エビスは時間をおいしくします」というエビスビールの新しい広告は、はっきりいって理解に苦しむ。広告の基本にあるブランド戦略がまったくもって不可解。長い年月と広告費用をかけて築いた「ぜいたくなビール」というブランドの位置づけを捨て去るつもりなのだろうか?

 新しい広告の「時間をおいしくするビール」には他のブランドとの差別化などまるでない。どのビールだって、時間をおいしくする・・・と主張できる。小泉今日子と竹内結子を取り替えたら、サントリーのザ・プレミアム・モルツのCMかと思ってしまう。「ぜいたくなビール」といえば、ビールを飲まない人たちだってすぐにエビスを思い浮かべるだろう。消費者の心に占めるエビスブランドのポジションを--長い年月とお金で築いた貴重なポジションを、どうしてこうもあっさりと捨て去ってしまうことができるのだろうか? 

 日経新聞(2009年2月5日)の記事によると、「08年には主軸のエビスをはじめ、販売量を落としましたが」という記者の質問に、サッポロビール社長がこうコメントしている・・・「エビスでいえば『ちょっとぜいたくなビール』という宣伝が、この生活防衛の時代に『うんとぜいたくなビール』と思われた反省はある。見せ方の変化が必要で、年明けから『エビスは時間をおいしくします」という新しいCMにしたところ、これまでとまったく違うお客様の反応を感じる。エビスは前年より11%伸ばす計画だ」と答えている。

 麻生首相は「新聞は間違ったことを書く」と、新聞を読まないのは漢字が読めない(happy01)からじゃなくて、新聞が発言を正確に報道していないからだと批判したようだ。サッポロビールの社長のコメントも、すべてがきちんと書かれていない可能性はある。だが、もし新聞記事に近い発言があったとしたら、はっきりきっぱり反論したい。「ちょっとぜいたくなビール」が、エビスが長年努力して勝ち取ったブランド・イメージであり、ブランドのポジションではなかったのか? 

 不況で社会の様子が景気の良いころとは変わっていることは事実だ。だが、定額給付金の使い道を尋ねた日本経済新聞の調査によれば、31%は旅行・レジャーに使うと答えている。日々の生活費の補填が27%、ローンの返済が6%、貯蓄や投資が23%となっている。つまり、旅行・レジャーと貯蓄・投資にまわした54%はある程度生活に余裕があるひとたちだ。将来への不安から、洋服やバッグを買うのは控えても、グルメな高級飲食料品を買うお金くらいはある。たしかに、(昔のエビスの広告に登場したシーンのように)高級料亭に通うなど、あまりに目立つ消費をするのには罪悪感を感じるかもしれない。だったら、、小泉今日子に「(いろいろあるけど)たまには、ちょっとぜいたくなビールを飲もうよ」と言わせればいい。あるいは、「ぜいたくなビール飲んでもいいかな? いいよね?(許されるよね。だって頑張ってるんだもの)」でもいい。(たまには自分にご褒美あげて、そして、明日から頑張ろうよ!)と、不確実な社会に生きる我々日本国民にエールを送るメッセージにすればいい。

 「ちょっとぜいたくなビール」はエビスのブランド・スローガンだ。長寿ブランドは、よほどのことがなければ、ブランド・スローガンを変えないものだ。1965年に発売されたオロナミンCは「いつもハツラツ」だし、1962年発売のリポビタンDは「ファイト・一発!」。1926年発売で最も長寿なのは「チョコレートはめ・い・じ」・・・だ。ブランドスローガンを変えるということはブランド・イメージやブランド・ポジションを変えることであり、それは、ブランドを保有する企業にとっては非常に重大な決断のはずです。景気がよくなったら、「ぜいたくヴァージョン」に変えればいいなんて、まさか、まさか、そんな軽いノリじゃないとは思うけど・・・・。

 サッポロビールが今回したことは、マーケティング史上の大失敗のひとつに挙げられるコカコーラの失敗を思い出させる。コカコーラは生誕100年を迎えた1985年4月に、コーラの味を変え「ニューコーク」として発売した。これに対して、消費者が大反対運動を起こし、結局、3ヵ月後には、元のコークを再発売するハメになっている。なぜ、こういうことになったかとえいば、ライバルのペプシが60年代にヤングなイメージを強調したキャンペーンを展開し、コカコーラを年寄りが飲むコーラだと消費者に思わせるのに成功した。なおかつ70年代後半には「ブラインド・テストで味比べをすると大半のひとがペプシのほうがおいしいと答える」というキャンペーンを始め、コカコーラの市場シェアが徐々に侵食されるようになってきた。あせったコカコーラ経営陣は、「消費者の味覚が変わったのかもしれない」と考え、新しい味のコークを発売したのです。

 コカコーラのNo.1の地位に迫りくるペプシ・・・この図式は、エビス対サントリーのザ・プレミアム・モルツの関係にちょっと似ている。プレミアムモルツに比較して、エビスは「おじさんが飲む高級ビール」のイメージになっていることがエビスを不安にさせたかもしれないとしたら、この点も、ペプシ対コカコーラの対決に似ている。いずれにしても、ザ・プレミアム・モルツは積極的な広告投資が効いて、2008年には前年対比で21%と売上を伸ばし、反対にエビスの売上は9.7%減少してしまった。経営陣としてはあせったと思います。

 コカコーラはニューコークを出す前に、むろん、大規模な消費者調査をした。そして、後から分析すると、消費者は味を変えることに反対していたことを示唆するようなデータもあった。が、問題は、調査をする前から、コカコーラの経営陣は、「味を変えないとペプシには勝てない」というメンタリティに陥っていたことだ。よって、変えることを支持するようなデータばかりに注目してしまったのです。こういった行動経済学でいうところの確証バイアスは消費者調査にはよくあることです。

 2008年にプレミアム・モルツが勝ったのは、ただ単に、広告投資を多くしたからだけかもしれない。そして、エビスビールの売上が今度のキャンペーンで上がるとして、それは、ただ単に、積極的に広告投資したからだけかもしれない。資生堂のツバキが大々的にマス広告を展開して市場シェアを増大したように・・・。問題は、キャンペーンをやめた後のことです。

 コカコーラは、「味を変えることへの反対運動」騒動のおかげで、アメリカ市民がコークのブランド価値に目覚め、「瓢箪から駒」で、陰がうすくなっていたブランドをよみがえらせるという幸運な結果を手に入れることができた。エビスはどうでしょうか? 消費者がエビスはぜいたくなビールだということを忘れてしまわないうちに、スローガンを復活することを切に祈ります。

 続いて・・・

 サッポロビール社長が言うところの「この生活防衛の時代」には、「エビスは時間をおいしくします」なんてまだるっこい曖昧なメッセージではなく、安心感を与える強いメッセージを送ることの必要性について、書いてみます。

 博報堂生活総合研究所調査(2008年12月発表)によると、不安に感じている日本人は74.2%でこれは過去最高だそうだ。「不安」という感情は「恐れ」という感情に関係している。人類の祖先である二本足で歩いた猿人が登場したのは400万年前ごろではないかといわれている。そのころにはすでに発達していただろう基本的感情には4つあるといわれる・・・1)恐れ、2)嫌悪、3)怒り、4)親が子供に感じる愛。こういった感情が発達したのは、当時の猿人たちの脳(大脳辺縁系)にとっての関心事は、1)生存することと 2)子孫を増やすことの2つだったから・・・。たとえば、「恐れ」の感情は肉食の大きな動物の危険を察知して逃げるために、そして、「(ムカムカするような)嫌悪感」は身体に毒になる食べ物を体内にいれないために必要だった。

 「不安」という感情は「恐れ」の前段階だ。たとえば、狩をしていたら背後でゴソゴソ音がする。もしかしたら、自分たちを襲おうとする野獣?それとも風で揺れる木の葉?いやもしかしたら、毒ヘビかも? 恐れるべき正体がはっきりしないから、逃げるべきか、「怒り」を感じて攻撃すべきかわからない。だから、足がすくんで動けない・・・これが不安の状態だ。

 現在の経済危機下にある消費者は身がすくんだ状態にある。だから、安全な巣である洞窟にこもる。こういう状態にある消費者に企業がすべきことは、「大丈夫だよ、ただの風の音だよ。安心して外に出たらいい」とか「外にライオンがいる。でも、きみなら大丈夫。他のみんなと力をあわせればライオンをきっと倒すことができる」と肩をポンと押して足を一歩踏み出させてあげることだ。

 こういう時代だからこそ、心強いメッセージを頻度多く送ることが重要だ。消費者は身がすくんだ状態にずっといたいわけではない。肩を押してくれる誰かを待っているのだ。その誰かになれれば、消費者とその一瞬だけでも感情的につながったことになる。不況は長寿ブランドを確立するビッグ・チャンスなのだ。「このご時世に『うんとぜいたくなビール』と思われた反省はある」というサッポロビール社長のコメントからは、どこか不安と弱気が感じられる。弱気になった企業には心強いメッセージは送れない。

 ぜいたくに思われていいじゃん。だって、それがエビスの売りなんだもの。

 1929年に始まった大恐慌に成長した企業は、マーケティングNOW4で書いたように、「不景気などまるで存在していないかのように、一般大衆が消費できるお金を以前と同じくらい持っているかのようにふるまった会社」なのだ。きっと、消費者は、そういった態度をとる会社からのメッセージに安心感を感じとることができたからだと思う。

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参考文献:1.「小規模でも魅力ある商品を」日本経済新聞2/5/09、2.「定額給付金、使い道は」日本経済新聞1/29/09、3.リタ・カーター「脳と心の地形図」原書房、4.スティーブン・ピンカー「心の仕組み」日本放送出版協会、5.ルディー和子「マーケティングは消費者に勝てるのか?」ダイヤモンド社

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2009年3月 2日 (月)

ノキア「ヴァーチュ」と不況下の価格戦略 

Stnd007sノキアの最高級ケータイ・ブランド「ヴァーチュ」銀座店が2月19日にオープンした。端末価格は最低でも67万円。最も高いので600万円・・・だとか24時間対応のコンシェルジェ・サービスが話題になっている。コンシェルジェといっても、ドコモのようにヒツジさんメールじゃなくて、人間のシツジ(執事)が電話口に出てくる。もっとも、2002年に欧米で発売されたときには、「こんな高いケータイを買うようなひとだったら、秘書とか部下とか召使とかいっぱいいて、レストランの予約だろうと奥さんに花を贈る手配だろうと何でもしてくれるはず」とコメントするアナリストもいた。でも、「ナイショの愛人に花を贈る手配は、自分でこっそりヴァーチュのシツジに電話する」こともできます。

 さっすが、金持ちのやることは違う。

 「日本は世界で最大の市場になるだろう」というヴァーチュ側のコメントはリップサービスかと思ったがそうでもないらしい。ファッションや時計などの高級製品における日本の市場規模は世界の18%を占め、アメリカについで第二位だそうだ(インターナショナル・ラグジュアリー・ビジネス・アソシエーション調査)。直営店としては19件目となる日本第一号店がオープンして最初の週末・・・来店客の9割は男性だったという。なぜか「時計好き」の遺伝子をもつ男性陣をひきつけることはできても、宝石好きの女性の間ではいまいち話題になっていないようだ。海外で発売されたときには、女優のグウィネス・パルトロウがまっさきに買い、歌手のジェニファー・ロペスは3つも持っている。マドンナやマライア・キャリーもファンだというウワサがありましたが・・・。

 ヴァーチュの売上は公表されていませんが、フィナンシャルタイムズの2008年6月の記事によると、世界市場で一年間に100万個から200万個売れているそうです。

 ノキアは、日本市場においては、フツーのケータイ端末の販売を2008年11月で終了している。海外では「ノキア、日本市場から撤退」と報道されたが、価格競争の厳しい日本の端末市場で利益率の低いあるいはほとんど利益の出ない端末を売っても仕方がない。それよりは、140万人いるという富裕層セグメントにターゲットを絞り、超高級端末を売るという賢い選択をしたわけだ。高級端末を取り扱っていれば、ノキアのブランドイメージや知名度は高いまま維持できる。そうすれば、いつか、また、日本の市場環境が変わったり、ノキアが革新的新商品の開発に成功したときにカムバックすることもできる。

 不確実な時代において、高級・高額品と低額品と両方の価格帯の商品をあわせ持つことは、企業の生存を左右する重要な選択だ。最近の決算発表で話題になった「不況でも利益を出した企業」の多くは、この「高低二段構え価格戦略」を採用している。

 たとえば、サントリーとマクドナルド・・・

 サントリーは低価格の第3のビール「金麦」をヒットさせた。また、2008年前半に他社がビールの価格を上げたときに、缶ビールは秋まで価格据え置きをして追随しなかった。これだけみると、サントリーは低価格戦略をとっているように思える。が、高額・高級ビール「ザ・プレミアム・モルツ」もヒットさせた。2008年、すべてのビール銘柄のなかで、前年対比で売上を伸ばしたのはサントリーの「ザ・プレミアム・モルツ」唯一つだけだ。21%の成長を達成している。佐治社長は「ブランド価値を高めるために、あえて積極的に広告費を投入した」と語っている。

 これは、アメリカの大恐慌やそれ以降の不況時に成長した企業が採用した戦略と同じだ。不況時に競合他社が広告宣伝費を削減するときに敢えて積極的に宣伝することによって、ブランドイメージを向上し市場シェアを増やす(マーケティングNOW第4回『大恐慌時代のマーケティング戦略』参照)。高級ビールの代名詞だったエビスの売上は2008年には9.7%減少している。このまま手をこまねいていたら、今回の不況が終わるころには、プレミアム・モルツに取って代わられてしまうことだろう。

 マクドナルドは100円商品の低価格戦略だけで利益を上げるのに成功したわけではない。100円コーヒーやバーガーを揃える一方で、ダブルだと490円もするクォーターパウンダーも販売している。そして、重要なことは、高額品クォーターパウンダーを広告宣伝すればするほど、100円商品の割安感が出てくるということだ。

 ネスレも同じような戦略をとっている(小売とメーカーのバトルロワイヤル第7回、『ネスレはマシンで勝負する』参照)。ネスプレッソという高級・高額ブランド・コーヒーを広告宣伝することによって、コーヒーメーカーとしてのネスレのブランドイメージがあがり、ひいては、スーパーで販売しているネスカフェブランドの価値が上がる。よって、ネスカフェは安いPBに対抗できるし、小売店からの値下げ圧力に(ある程度)抵抗できる。

 不況時には高額品と低額品、両価格帯(場合によっては、中価格帯の商品を含めて高中低の3つの価格帯)の商品を売る必要がある。なぜなら・・・

  1. 従来から販売している高額品の売上が落ちたからといって、値下げをすれば、ブランドイメージが下がる。ブランドの知覚価値がいったん下がったら、景気が良くなったからといって値上げすることはできない。
  2. 高額品を愛用していた顧客のなかには、不況時の不安感から、あるいは本当に可処分所得が減ったことにより、愛用していた高額品に類似した価値をもちながらも値段の少し安い代替品を探すセグメントがある。このセグメントが競合他社に移っていかないように、少し値段の安い価格帯のものを発売する。こういったタイプの顧客は、景気がよくなると、また、高額品を買うようになる。だから、顧客の数が減ったからといって高額品の値段を下げることだけは絶対にしてはいけない(この例はハンドバッグとかその他のいわゆるブランド品をイメージしてください)。
  3. 低価格帯の商品を売らなくてはいけない状況になっった場合は、それに対抗するように高価格帯の商品も発売する。そうすれば、1)高価格帯の商品を広告宣伝することにより、低価格品の知覚価値を向上できる、2)結果、低価格帯の商品の割安感が出てくる、3)低価格商品をいくら売っても利益が少ないかほとんどない。それを利益性の高い高価格商品で補うことができる。

 P&Gは2009年2月に乳幼児用紙オムツで一枚当たりの価格が通常品より6割も高い高級紙オムツを発売した。オムツ市場は、2008年12月にユニチャームが実質値下げに踏み切り価格競争が厳しくなっている。高級品を出すことによって、1)P&Gのオムツのイメージが上がり、低価格品の値ごろ感が増す。また、2)よぎなく低価格品の値下げに踏み切ることにした場合でも、高級品が利益に貢献してくれる。

 このように、低額品と高額品と二つを揃えることにより、ブランドイメージ、知覚価値、割安感・・・などを戦略的に操作することができる。これが、不況のときに好況のときを考え、好況のときに不況のことを考える・・・つまり不確実な時代に合った価格戦略だ。グッド/ベター/ベスト(Good/Better/Best)の売り方は、19世紀末にカタログ販売を始めたシアーズが考案したものだという。日本でも、おすし屋さんでは、特上、上、並という売り方をしているが、これは、消費者心理を上手に利用した価格づけなのだ。

 消費者は価格と価値をそれぞれの絶対的値で比較して「割安」だとか「値ごろ」だとか判断しているわけではない。あくまで、他のなにかと比較してヒューリスティックに判断しているだけだ。比較対照となる参照価格は、「以前の価格」、「競合他社の価格」、「同じブランドの高中低の価格」・・・ということになる。企業は価格は市場が決めるもの、だから自分たちにはコントロールできないものだと思い込んでいるところがある。「値ごろ感」は消費者が感じる感覚だと思っているふしがある。

 とんでもない。

 「値ごろ」だと感じさせるのは、ある意味、マーケティングの技である。値ごろ感を感じさせるために、比較対照となる高価格帯の商品を強調したり、反対に低価格帯の商品を強調したりする。そして、いずれの場合も、高級品を広告宣伝することで、低価格品の知覚価値を向上させる。

 消費者の買い控えが顕著になると、商品の値段を下げたくなるのは、経営者の本能的選択である。つまり、消費者がヒューリスティックに購買決断をしているとしたら、同じ人間である企業の意思決定者たちも、「安ければ売れるだろう!」あるいは「こんな時代には安くするしかない」とヒューリスティックに決断しているだけだ。

 買い控え問題を解くカギは低価格だけではないはずだ。 

 最初のノキアのケータイの話に戻ります。ノキアは新興国では電話をするだけの単機能の低額品を販売している。もっとも、インドで最も売れた機種は、目覚まし時計、ラジオや電卓、そして懐中電灯付きのものだ。電気の通じていない村、そして都市部でも停電が多いことを考えると懐中電灯機能付きのケータイは非常に便利なのだ。そして、重要なことは、こういった低価格の機種からヴァーチュのような高級品までを揃えることによって、消費者は自分の所得が増えるごとに機種を変えていくことができる。これはある意味、夢のあることだ。ヴァーチュを使っているセレブの記事を読むたびに、一般市民は憧れを感じ、自分もそれに近づきたい、あるいは近づいているという喜びを感じることができる。それが、ノキアのブランドイメージを上げ、ブランド価値を高める。そして、ノキアは顧客を長期にわたって維持していくことができる。

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参考文献: 1.「自分を捨て「新星」をはぐくむ」、日経ビジネス2008年12月22日・29日号、2.「宝飾ケータイ異次元に誘う」、日経MJ2/25/09  3. 「低・高額品の二段構え」日経MJ 1/12/09  4. The Origins of Vertu, The Economist, 2/20/03,  5.  Simon de Burton, Mobile Phones with a Swiss Twist, FT. com 6/13/08 6. How Did Nokia Succeed in the Indian Mobile Market, While Its Rivals Got Hung Up? 8/23/07 Knowledge@Wharton

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2009年2月13日 (金)

ソーシャルメディアの進化心理学 

Stnd007sソーシャルメディア(Social Media)の定義についてはまだ明確に定まったものがないようだ。でも、ソーシャルメディアを使った例を挙げろといわれれば、ブログ、Wikipedia 、SNSのFacebook、 MySpace、 Mixi 、動画共有の YouTube、そして、マイクロブロッギングとSNSのTwitter、仮想世界のSecond Life・・・・・などの名前が浮かんでくるはずだ。

 マーケッターなら一番関心があるのはSNSを使ってのクチコミだろう。TVというマスメディアの威力が落ちているなか、コスト安に数百万人、数千万人にメッセージを到達できる可能性は魅力的だ。ただし、到達数はわかっても、その効果の程度がわからない。効果的な測定方法もわかっていないのが現状だ。クチコミ・マーケティングに注目が集中しているせいか、欧米大手企業のマーケティング担当役員からなるMENG協会の調査(2008年10月)によると、会員の75%が「ソーシャルメディアはユーザー間の会話に基づくメディアである」という定義で満足しているそうだ。

 日本では、携帯電話で「リアルタイム日記」と呼ばれる簡易ブログを使って、1・2行くらいの短い「ひとりごと」や「つぶやき」を書き込む女子高校生のことが話題になった。アメリカでも、FacebookTwitterを使った若者同士のコミュニケーション、とくに、自分の一挙一動をリアルタイムに絶え間なく書き込む行為については、「そういうことをする意味がとんとわからん」と「大人」たちが悩ましげに首を振っている。

 だが、こういったデジタル・コミュニケーションに関する記事のなかには、大人たちからみた「無意味さ」に重要な意味を見出そうとする内容のものもある。

 まず、「進化心理学者はソーシャルネットワーキングについて何を語っているか?」と題された記事を紹介しよう(参考文献1)。進化心理学は、限りなくサルに近かった我々の祖先たちが、アフリカの大草原で生存するために獲得したメンタリティを研究することで、現代の我々がなぜそう感じなぜそう行動するのかを理解しようとする学問だ。たとえば、英国の人類学者であり進化心理学者としても有名なロビン・ダンバーの本(日本語訳は「ことばの起源-猿の毛づくろい、人のゴシップ」青土社)には、ゴシップ(うわさ話)の起源は毛づくろいにあるという説が展開される。

 旧石器時代に登場したサルに近い我々の祖先にとって、グループのなかにおける自分の「位置」を知っていることは生き残るための必須条件だった。グループのメンバー同士の関係、たとえば、誰と誰がセックスし、誰と誰が仲良しで、誰と誰がケンカしたといった情報を知っていることは、組織のなかで生存し、自分の地位を維持し、あるいは権力の階段を上がっていくためには欠かせない知識だった。それがゴシップ(ウワサ話)の始まりだ。だが、当時、彼らは、まだ言葉を持っていなかった。言語が生まれる前にゴシップはどう伝達されたのか? 互いに毛づくろいすることによって情報が伝達された・・・とダンバーはいう。いまでもチンパンジーは互いにシラミをとりあうのに一日の20%を費やすという。毛づくろいは太古の昔のソーシャルネットワーキングなのだ。

 だが、ある時点になると、グループのメンバーの数が余りに大きくなりすぎて、いかに元気で出世意欲マンマンの若手でも、メンバー全員の毛づくろいをすることが不可能になった。それが言語の始まりだ。言語が生まれたのは50万年から100万年くらい前。きちんとした話し言葉が使われるようになったのは25万年前だといわれる。言語によって情報交換できるようになったおかげで、情報は早く伝達されるようになったし、また、同時に多人数に伝えることもできるようになった。

 つまり、人間のゴシップ好きは祖先の祖先である猿人から遺伝的に受けついだものなのだ。

 この観点からMixiとかFacebookとかいったソーシャルネットワーキング・サービスにおける友人の数を調べてみると面白い。

 ダンバーによると、言語が生まれる前の人間たちにとって適切なグループの規模は50人(ヒヒやチンパンジーの群れのサイズと同じ)くらいだったが、言葉が生まれることによってこれが150人ほどまで増大したという。150人は新石器時代の村の規模だが、この数は、いまでも、ひとつの組織(たとえば、軍隊や企業内の機能単位)に適切なサイズだと考えられている。つまり、グループ内のメンバーがほどよく適当に接触できる最適規模は、過去1万年の間、まったく変化していないのだ。

 しかし・・・・だ。ネット上で最も社交的な人間は、数百人、いや1000人を「友人」として持っている者もいる。もっとも、よくよく調べてみると、「友人」の中身は2つに分かれていて、親密な「友人」グループの数は余り変化しない。が、それ以外の「弱いつながり」のゆるやかな関係にある知人の数は制限なく増える。それが、「友人」1000人の実態なのだ。ネットワーク理論によれば、この「弱いつながり」というのが、ある意味、非常に役立つネットワークとなる。なぜなら、親密な「友人」は社会的階層、職業、趣味などで共通している点が多く、結果、自分の友人の友人のそのまた友人が自分の友人だった・・・ということが多い。だから、たとえば、仕事を探しているとして、親密な「友人」ネットワークに「誰かコネを紹介してくれ!」とメッセージを送っても、紹介された人物を自分はすでに知っていたとか、同じ人物を紹介されるとかいうことになる。反対に、「弱いつながりの友人たち」にメッセージを送ったほうが有力な情報が得られる確率が高い。クチコミによる流行においても、「弱いつながり」が存在しないと流行には至らないことが理論化されている。

 ・・・ということは、我々人類は、テクノロジーの助けを借りて、グループの効率的規模を増大することに成功したといえるのか? いやいや、「弱いつながり」であるゆるやかな関係においては、メッセージの伝達スピードや広がりは偶然に左右されることが多く、それを自分が効率的に管理運営できるグループだとみなすことはできないだろう。しかし、「弱いつながり」ネットワークにおけるメッセージの伝達とその結果(効果)を数値化できるようになれば(つまりクチコミの管理ができるようになるということだが)、それは、マーケティング上の革新的進歩であるとともに、人間が過去1万年の間に超えることができなかった限界を超えたということになるのではないだろうか・・・・?

 ちなみに、「Journal of Computer-Mediated Communication」に2008年に発表された調査結果によると、アメリカの大学生はFacebookで友人の数が302人と申告している人間が交際するには最もクールな相手だと見ているようだ(Facebookで、友人の数以外はまったく同じプロフィールの人間が紹介され、誰が社会的に最も魅力的に思えるかのランクづけをしてもらったのだ。友人の数は102、302、502、702、902人となっていた。302人より上になるとSNS依存症と思われ、302人以下は社会的対応能力のないやつとみなされた)。少なくとも、大学生たちは、自分たちが無理なく取り扱うことができるグループの数は150人を超えていると考えているようだ。

 (2006年に実施された日本のMixiに関する調査(参考文献5)では友人数は平均81人となっていたが、Mixiモービル利用の若い世代だけを対象にした調査ならもっと多くなっていたかもしれない。SNSの友人数というわけではないが、2004年に博報堂が実施した「首都圏に住む10代後半の男子」を対象とした調査では、ケータイの登録人数の平均は71.66人で、350人という例もあったという)。

 紹介したいもう一つの記事は2008年9月にウォールストリートジャーナルに掲載されたものだ(参考文献2)。ここでは、FacebookやTwitterにおける友人関係を「大人」たちが実際に数ヶ月間経験してみて、若者たちがなぜ魅了されるのか、なんとなく理解できたという経験が記されている。

 「まるで、小さな村の人間関係が再現したようだ」・・・・と、SNSを利用し始めたジャーナリストはコメントしている。Twitterで自分がいま何をしているか短いメッセージを継続的に書き込む。もちろん、それをきちんと時系列で読む友人はいないかもしれない。だが、「風邪をひいたみたいだ」という10日ほど前に書いたコメントをなにげなく見ていた友人がいて、その後のコメントをなんとなく気にしていて、最近書き込みが少なくなったような気がしたからと、「どう?風邪のぐあいは?」とメールしてくる。あるいは、場合によっては、家まで見舞いにきてくれるかもしれない。実際、その友人とは一年ほど会ってはいなかったのに、互いにネットを通じて、なんとなく相手の動性がわかっていたので、一年間の無沙汰などなかったように、すぐに話が通じる。こういった絶え間のないコンタクトが生む意識は、「ambient awareness」だと説明される。

 ambient awareness・・・なんとなくまわりの空気とか雰囲気といったものに気がつく、あるいは意識する・・・といったような意味。

 たとえば、アガサ・クリスティの探偵小説シリーズ「ミス・マープル」を思い出してしください。ミス・マープルが住んでいる小さな村では、誰もが他の誰が何をしているのかなんとなく知っている。退役軍人Aはいつも9時には家を出て一時間散歩する。未亡人Bは毎週水曜日にはパン屋でパンを買う。だから、未亡人Bが水曜日にパン屋に通じる道を歩いていなかったら何かおかしいと気づく人たちが幾人かいる。あるいは、また、その村に生まれ育った男がいたとすれば、その子が三歳のときに隣の女の子にケガをさせたとか、6歳のときに川におぼれそうになったとか、彼の半生についての情報を知っている人間がたくさんいる。

 同じようなことがSNSで起こっている。ネットが存在しなかったころと比較すると、いまでは、一度知り合ったら縁が切れるということがない。小学一年の同窓生とフェースブックで再会して、その後、相手の書き込みを時々なんとなく読んだりしているから、互いになんとなく相手の生活がわかっている。出張先で知り合ったビジネスマンも、いったん「友人」の中に入れば、一生ある程度の弱い関係は維持される。

 100人~300人くらいの「友人」たちと、絶え間なく、Ambient Awarenessの関係を保つ。Ambient Awarenessには、日本語でいうところのKY空気を読む」と共通点があるかもしれない。互いに相手の空気を読むことができる関係を多くの友人たちと築くことができる。「友人」同士は、空気を読んでタイミングよく適切な内容で連絡する。こういった関係では、昔の「わずらわしいこともあるけれど淋しくはない村の暮らし」が再現される。SNSの人気は社会的孤立への反動だとウォールストリートジャーナルの記事は主張する。

 「いまの世代は友人との関係が切れるということがありません。これは歴史的にみてごく普通のことなのです・・・人類の歴史をたどれば、転々とした人生を送り、新しい関係から新しい関係へと放浪を続けるということは、非常に新しい20世紀特有の現象なのです。・・・心理学者や社会学者は人間が都会における匿名の存在に適応することができるかどうかを問題にしてきました・・・・」 。が、ネットの登場によって、歴史が逆戻りしはじめている。

 日本でも、「ネットを通じてしか関係性を持てない若者たち」的見方しかしない「大人」が多い。が、こういった観点から見直してみると、なんだかまったく明るい・・・というか牧歌的人間関係の未来がみえてくる。

 もっとも、それを、進化とみるかどうかはむつかしいところだ。産業革命後の一世紀のうちに増大した社会的孤立や都会におけるわびしい個人の存在から、テクノロジーを使いこなすことで脱却し、昔の村の生活をとりもどす若者たち・・・果たしてこれを「進化した」と形容することができるだろうか? それとも、結局、我々21世紀の人間は、石器時代の祖先のおサルさんたちと比べて精神的にはなんら進化していない・・・とみるべきなのか?

 いずれにしても、ソーシャルメディアの登場は、マーケティングにおいても、テレビが発明されたのと同じくらい非常に重要な出来事であることは明らかだ。最初にあげたMENG協会の調査でも、会員の67%がソーシャルメディアをマーケティング目的に利用することにおいては初心者だと答えながらも、同じく67%が2009年には予算を増大すると答えている。多くの企業は、クチコミの試みはいまだヒットする場合と失敗する場合があり、その試みのなかに規則性を見出すまでに至っていない・・・と答えている。

 ミス・マープルは、小さな村のゴシップとAmbient Awarenessを利用して殺人事件を解決した。同じように、PCかケータイを手に、いくつかのSNSに会員登録をしている人物が、「友人」302人からの情報をもとに、世にも不思議な殺人事件を、部屋から一歩も出ることなく解決する・・・・・そんな探偵小説がいつかきっとベストセラーになるだろうと私は推理します。えっ? もう、とっくの昔に出版されてるって!?

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参考文献:1. Michael Rogers, What evolutionary psychology says about social networking, MSNBC.com, 9/10/07, 2.Clive Thompson, Brave New World of Digital Intimacy, The New York Times, 98/7/08 3. Matthew Hutson, What's the Optimal Number of Facebook Friends?, Brainstorm, 1/28/09 4. Social Media Practices Still in Infancy Stages Says Marketing Executives Networking Group, 11/6/08、5.山内みどり、SNSにおける自己開示度・類似度が対人的魅力に及ぼす効果

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2009年1月29日 (木)

ユニクロのアキレスけん

Stnd007s個人消費が瞬間フリージングしてしまったなか、ユニクロだけが一人勝ちしている。2008年夏にはブラカップ内蔵型キャミソール「ブラトップ」がヒットし、冬になって発熱保温肌着「ヒートテック」が2800万枚完売したという。ユニクロ・ブランドを抱えるファーストリテイリングの株価は上昇して、売上高は5864億円と小売業トップのセブン&アイ・ホールディングスの10分の一だが、時価総額はセブンの2兆2389億円の二分の一の1兆1646億円となっている(読売新聞調べ。1/26/09)。

 不況に悩む企業にとってはうらやましい限りの実績によって、ファーストリテイリング柳井会長&社長は、2008年の「社長が選ぶ今年の社長」に選ばれた(産業能率大学による調査で、回答に応じた経営者365人のうちの20%が、最も優れた経営トップとして選んだそうだ)。文句なしのバンバンザイ状態ではあるが、完璧だといわれるものに欠点を見つけたくなるのが、野次馬根性である。

 ユニクロについて書かれた新聞・雑誌記事を読んでみてください。

 「低価格」で「高品質」。消費者の声を聞きながら毎年、改良とカイゼンを積み重ね、より高い機能を備えた完成品を4・5年かけてつくる・・・・・これって、ファッションブランドというよりは家電製品について書かれた文章みたいじゃありませんか?

  1. ヒートテック」は2003年に最初に発売されたときは発熱・保温だけの機能。それに、抗菌機能や保湿効果を加え、さらに、薄い生地で軽量化を実現した。
  2. ブラトップ」は、「Tシャツ風の服を着るときにブラジャーはつけたくない」という顧客の要望にこたえようと毎年改良を重ねてきた。2008年になってやっと自信をもって提供できる製品ができたので、TVコマーシャルを流して大量販売を開始。
  3. マシンウォッシャブルニット」は「洗濯機で洗っても縮まないセーターがほしい」という要望に答えて開発。2年間かかって2008年12月に商品化にこぎつけた。

  三洋電機が2001年に「洗剤のいらない洗濯機」を発売するまでには4年の年月がかかっている。1997年に洗剤のいらない環境にやさしい洗濯機をつくろうというアイデアが生まれ、99年に超音波で洗うために洗剤が少なくてすむ洗濯機を開発、ついで洗濯槽を斜めにすることで汚れ落ちが数倍高くなることを発見して「超音波斜めドラム洗濯機」を開発。そして2001年、ついに、完成品の販売にこぎつけた・・・・こういった家電メーカーの製品革新手法に、ユニクロ製品の開発物語はよく似ている。

 だいたいにおいて、ユニクロでヒットしているのは、最初のフリースからブラトップ、ヒートテックまで機能中心の衣料品ばかり。柳井社長もインタビューのなかで、「一流メーカーの製品は使い勝手も機能も毎年確実に向上している。技術革新と消費者ニーズの徹底的追及だ。それに対抗できる製品を出せなければ顧客は家電や自動車にいってしまう・・・・」などと語っている。名前を伏せたら、工業製品メーカー経営者の発言だと誰もが思うことだろう。ファッション業界に身をおく経営者とのインタビューだとは推測できない(まったくもって余計なことだけど、柳井社長自身、ファッション業界に身をおいているひとには見えない)。

 カジュアル衣料品分野では米ギャップを抜いて1位になりそうなスペインのザラ(親会社名はインディテックス)も、製造過程をふくめたサプライチェーンシステムにおいては、トヨタ自動車のアドバイスを得てジャストインシステムを採用したという。だが、トレンディなファッションを二週間以内に店頭に並べることを特徴とするザラとは違い、ユニクロという会社には工業製品をつくっているようなメンタリティが感じられる。2000年にフリースが2600万枚売れたあと、過剰在庫の問題もあって業績も下がり、将来の方向性を模索するときがあった。そのときには、製品のデザイン性を高める努力をするということだったが・・・・結局、機能重視の方向に舵取りを変更したようだ。

 衣料品で機能を強調するのが悪いというわけではない。「ブラカップ内蔵型キャミソール」なんて解説は、近未来ゲームでの戦闘服を思い出してしまうけれど、少なくとも、カジュアル衣料品ということで同類視されているギャップ、ザラ、H&Mでは、高機能戦闘服は開発できないだろう。

 日本人は職人気質でコツコツ丹精こめて完璧なモノをつくるのに長けている・・・といわれる。その気質のせいもあってか、日本の工業製品は技術志向になる傾向が高い。ブランドのイメージや個性を築くことを考えるよりも、なるべく低い価格内で高機能を付加しよう・・・と考えてしまう傾向がある。そういった傾向が、ファッションブランドでも発揮されているのがユニクロというブランドだ。

 衣料品に機能が付加されること自体はOKだ。だが、工業製品製造業的メンタリティは諸刃の剣で、ユニクロの弱点でありアキレス腱になりうる。

 「機能」というものは、それがどういったものであるかが具体的に説明できるし理解もしやすい。だから、マネしやすい。柳井社長は小手先だけではマネできるものではないと言っているが、日本の家電やエレクトロニクス製品メーカーだってかつてはそう思っていた。

 機能は新興企業や競合企業も目標として掲げやすい。あそこの製品より高機能なものをあそこより安く売るという目標は、具体的なぶん、達成しやすい。ソニーやシャープ、NECが開発製造した高品質・低価格製品を超えるモノをつくれるメーカーが国内外から登場したように、ユニクロ人気が続けば、必ず、競合相手が出てくる。そして、消費者が知覚できる品質の違いには限りがあるから、結局は、低価格競争になる。これは、工業製品の宿命だ。

 家電製品でいえば、英国ダイソンやデンマークのバング&オルフセンはデザイン性を強調することで、他社との差別化をはかり価格の高い製品を販売することに成功した。ファーストリテイリングも、2010年までに連結売上高で一兆円達成の目標を達成するためには、機能中心の低価格で工業製品的衣料品ブランドを販売しているだけでは無理だろう。高級ファッション・ブランドを持たなくてはいけない。もちろん、そんなことはわかっているから、ファストリは世界市場に通用するブランドを買収しようとしているわけだ。2007年にはバーニーズ・ニューヨークを買収しようとして中東系ファンドに競い負けした。が、今回の経済危機はユニクロにとって大きなチャンスだ。潤沢な現金をもとに、割安な値段でヨーロッパの高級ファッションブランドを買収することができる可能性は非常に高い。

 そして、そのブランドをファーストリテイリングの工業製品製造業的メンタリティ(企業文化といってもよいかもしれない)で染め変えようとしない限り、一兆円どころかもっともっと成長することができるだろう。不況に強い機能重視の高品質で低価格のユニクロと、好況時に利益をもたらしてくれる高級高価格ファッションブランドの2つを持てば鬼に金棒。好況・不況の景気サイクルが短期化する不確実な時代で持続性ある成長をとげていくことができる。

 ところで、ユニクロって、アジアはべつにして、北米やヨーロッパでも人気が出るブランドなのだろうか? クールジャパンのイメージでいけば、ユニクロよりは「MUJI無印良品」だ。禅やミニマリストの哲学を表現した製品だと受け取られている。つまりブランドのイメージや個性が認識されているということだ(もっとも、欧米では衣料品よりは日曜雑貨のほうが人気があるらしい)。ユニクロのような機能的衣料品は通信販売のほうが売りやすいかもしれない。

 だいたいにおいて、ヒートテックのような防寒肌着って西欧人に売れるのか? どちらかというと暑がり体質で日本人のように冷え性のひとって余りいないのでは?・・・と思っていたら、あにはからんや。いま、アメリカでヒットしているのが「袖のついた毛布のスナギー」。修道院の僧衣のような形の毛布で、10月にテレビ通販で発売され、3ヶ月で400万枚売れ、中国での製造がまにあわなくて、現在では注文してから4~6週間待たされるらしい。「スナギー Snuggie (Snuggleというのは,暖かさとか愛情を求めて寄り添うとか気持ちよく横たわるといった意味)」は読書用電灯がおまけについてわずか$19.95。家でそれを着ながらソファーに寝っころがってテレビをみたり読書したり・・・不況で巣ごもり状態になっている消費者にはぴったりだというわけだ。しかも、暖房の温度を下げて暖房費を節約できる。

 スナギーってどんなものか知りたいかたは、下のページにアクセスするとTVショッピングのビデオが見られます。https://www.getsnuggie.com/flare/next

 念のために強調しますが、以上のコメントはユニクロを批判しているわけではありません。ユニクロがファッション・ブランドとしては非常に稀有なブランドだということ、そして、ユニクロをつくった企業メンタリティがあるとしたら、それが、果たして高級ファッション・ブランドとあいまじわることができるかどうか?・・という疑問を投げかけてみただけです。そして、最後に付け加えます。私もヒートテック愛用してまーす! 冬の初めに買ってみてよかったので、もっと買おうと再度お店を訪れたら、もう、私のサイズはありませんでした。来年は早めに買いにいきまーす!

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参考文献:1.「ユニクロ方式寒さ知らず」 読売新聞1/26/09. 2.「ユニクロ快走どこまで」、日経新聞 10/3/08、3、 「衣料、ユニクロ一人勝ち」 日経新聞 8/25/08, 4.Jack Neff, Marketing's New Red-Hot Seller: Hunbule Snuggie, AdvertisingAge 1/26/09 5. Kerry Capell, Zara Thrives by Breaking All the Rules, Business Week, 10/9/08

Copyright 2009 by Kazuko Rudy, All rights reserved.

2009年1月 8日 (木)

不況下で巣ごもる消費者にモノを売る 

Stnd007s一度、実験してみたいと思う。政府や日銀が発表する経済指標が明らかに景気後退を示しているときに、不景気とか不況とかにまったく関係ないニュースを流す。日比谷公園に集まる仕事も住居もない人たちにインタビューする代わりに、お正月休暇に海外(しかも、韓国とか台湾とかいった近場じゃなくて遠くヨーロッパまで)出かけるひとたちにインタビューして、ファーコートに身を包んだ美人が「ウィーンでニューイヤーコンサートを聴いてきます」と答える。あるいは、「オーストラリアで夏を楽しんできます。青いサンゴ礁が待ちきれなくって・・・。毛皮の下は水着ですわ」なんてのもいい。

 景気のよいニュースばかり流れてきたら、買い控えはもっと少なくなるかもしれない。なんたって、日本人の一世帯当たりの平均金融資産は1259万円(2007年度)で、この金額はアメリカの三分の一程度だが、英国、ドイツ、フランスよりも高い。しかも、この1259万円の5割をしめる預貯金額だけを比べると、アメリカよりも高い。つまり、日本人はゲンナマをもってるってことだ。(ひたすら自分の論理を追求していきたい私としては、日本人は、住宅ローンとか老後の暮らしのために貯金が必要だというような論理の邪魔になる話はシカトする)。

 要は、私が言いたいことは、生活に余裕があるひとはけっこういる・・・ということだ。

 消費者調査をすれば、「高いものは買えません」とか「生活は以前より苦しくなった」と答える割合が多いことは事実だ。だが、「100円でも安いものを買い求める」と答えたひとが、人気のバームクーヘンを買うために行列に並んだり、改築前の歌舞伎座での「さよなら公演」を見るために一万円以上のチケットを買っているのも事実なのだ。

 日本社会は全体的に「不況なんだからそれに似合った行動をとらなくてはいけない」ムードに陥っている。そして、まわりに同調することで文明を築いてきた人間としては(同調については「不可解な消費者行動シリーズNo.5」、ムードについては「注目のキーワード4」を読んでみてください)、そのムードから逸脱した考え方をすることはできない。たとえ、自分にはコートを買う金銭的余裕があったとしても・・・だ。

 そういった不況ムードに陥った(お金を持っている)消費者セグメントに、どう対応したら、モノを買ってもらえるのか? 

 まず大事なことは、購買を正当化してあげること。

 クビになった派遣社員たちの様子が連日ニュースで報道されれば、必需品でもないものを買うことに罪悪感を感じるようになる。だから、消費者は、無意識のうちに購買を正当化する理由を探している。食料品だと高級・高額品でも売れるのは正当化しやすいからだ・・・「病気をして医療費を払うよりは、品質のよいもの」、あるいは「たまには栄養価の高いお肉も食べなくっちゃ」。同じ理由で、健康関連商品も正当化しやすい。自分だけのためではなく、家族のための消費も正当化しやすい。任天堂のWiiは、家族と遊ぶ、健康のために使う・・・・など、購買を正当化する理由をいくつも挙げられる不況にも強い商品だ。

 アメリカでの実験: 消費者は生活や仕事の必需品(need)と自分の欲望を満たす贅沢品(want)とを同時に並べられると、たとえ、贅沢品のほうが買いたくても、購買が正当化できる必需品のほうを選択する。また、必需品は定価で買うが、自分の楽しみのために買う贅沢品は割安になっているほうが正当化しやすいので買う率が高くなる。また、贅沢品を買うときには、正当化できる効用を強調しようとする。たとえば、高級スーツを買うときに、「これなら、ちょっとしたパーティにも着られるし、仕事で大事なクライエントに会うときにも着られる」・・・本当の目的は同窓会に着るためだが、仕事の必需品でもあると購買を正当化できる言い訳を考える。

 アメリカでは不況だと口紅が売れるという。数百ドルする洋服は買い控えるが、「それに比べれば口紅2本で気分がハイになれば安い買い物だ」と正当化しやすいからだ。ちなみに、厳しい経済情勢にある韓国では、いま、赤い口紅が非常に売れているそうだ。

 「あなたがこれを買うことが社会に役立つことになる」と正当化してあげるために、購買金額の1%はXXXに寄付されます・・・という仕組みが使われる。ただし、環境保護団体に寄付されますという漠然としたものよりは、非正規労働者の雇用促進を進めるXXXに寄付されますとか・・・なるべく具体的に説明したほうが、罪悪感を消滅させる効果が高い。

 不況時にはネット販売が伸びる。その理由を、低価格とか、配送費無料とか交通費がいらないとかいったお金の観点からだけで考えるから、「だったら、自分たち店舗小売業はもっと価格を安くしなくっちゃ」・・・となり価格競争の底なし沼に足を突っ込むことになる。

 日本でも昨年のボーナス商戦において、デパートの不振をよそにネット通販が売上最高を示したそうだ。野村総合研究所は、2008年にネット通販は前年比21.6%増の6兆二千億円に達するとしている。ネット通販が不景気のときに伸びると、必ず付け加えられるコメントが店舗販売に比べて「販売価格が安い」とか「交通費がかからない」だ。だが、こういった理由は、実は、消費者のもっと強い動機を無視している。

 日米の調査・実験によって、ネット上で消費者は価格を比較して一番安いものを買っているわけではないことがわかっている。

  1. アメリカでの調査: ネットにより価格の透明化が進み、ショッピング・ボットの普及が進んでいるにもかかわらず、オンライン購買者は同一商品に異なる価格を支払うことに抵抗がない。たとえば、書籍市場においては、オフライン店舗間よりもオンライン店舗間における価格のばらつきが大きく、高い価格を提供しているサイトが市場シェアを拡大しているケースもみられる。
  2. 日本での実験:一ツ橋大学物価研究センターと価格ドットコムとの共同研究によって、「ネット上で簡単に価格が比較できるようになった結果、一番安い価格を提示する店が顧客を奪いとることになり、他店舗は淘汰されるであろう」という予想は間違っていたことが明らかになった。2つの店舗間比較で価格が高いあるいは低いときの価格差とクリック率のデータを分析した結果、消費者は最安値のオンライン店舗で購入するとは限らないことがわかったのだ。

 つまり、低価格だけがネットで買う理由ではないということだ。ショッピングに外出するという活発な行動を取りたくないムードにあるから、消費者はネットを利用するのだ。ちなみに、アメリカにおいては、大恐慌以降の6回の不況時すべてにおいて、ダイレクトマーケティングが前年対比で成長している。

 まず、最初に理解しなくてはいけないのは、不況時には消費者がいつも以上に「損失回避性」ムードになっていることだ。最近人気の行動経済学で最も重要な概念は「人間は損失を同額の利益より大きく評価する」ということだ。1万円を得するのと損するのとでは、損することから得る不満足は得することから得る満足感より2~2.5倍は大きいという。現状からの変化は悪くなる可能性も良くなる可能性もある。しかし、「損失回避性」のある消費者は悪くなる可能性が少しでもあれば、たとえ、その確率が低くても、現状がよほどいやでもない限り現状を維持しようとする。

 「巣ごもり状態」にある消費者は、みな、この「現状維持バイアス」、つまり惰性にとらわれている。英語でいうところのコクーン(cocoon /カイコなどの繭)状態にある消費者は、外に出て行きたい気持ちもあるのだが、面倒くささが先にたつ。

 ダイレクトマーケティングが不況に強いのは、巣ごもりする消費者がカタログやデジタルメディアで自宅で買い物ができるからだ。不況時こそ、ネットで安いものばかり販売しないで高価格品や贅沢品を販売するチャンスなのだ。ただし、購買を正当化するために、割安にすることは重要だ。贅沢品なら割引しても充分な利益が出るはずだし・・・。そして、店舗小売業は利益の出ない低価格品販売に焦点をあわせてばかりいないで、巣ごもりしている消費者のニーズにあわせてネットスーパーを強調し、同じ食品や日用雑貨品でも高額・高級タイプのものが売れるように仕向ける。

 一歩足を踏み出すのをためらっている「現状維持バイアス」に陥っている消費者には、「大丈夫だよ。行動を起こしても・・・」 という安心感を与えるメッセージを発信して、背中を一押ししてあげなくてはいけない。

 アメリカで経済危機が発生してからのコマーシャルで評判になったのはチャールズ・シュワッブ証券会社のコマーシャルだ。創業者で現在70歳になるシュワッブ本人が(この人は学習障害児であったが成功し、また、慈善活動に熱心なことでも知られている)登場して、「私はこういった危機的状況を少なくとも9回は経験している・・・忍耐強くあれ・・・でも、楽観的であることも必要だ」といったようなことを淡々と物静かに話すだけのインタビュー形式のコマーシャルです。しかし、その率直で正直な話し方は(人格者と尊敬されているがゆえに)、消費者に安心感と希望を与えるものです。日本でいえば、たとえば、松下幸之助が生きていて、「あんたがお金を使ってくれることが景気を良くすることになるのです」とか言って、購買を正当化してくれたほうが、定額給付金をばらまくよりはよっぽど消費向上には役立つでしょう。

 ところで、アメリカで不況のときの良く売れるといわれる商品のなかで面白いものを3つ紹介します。

  1. スープ・・・安い値段で満腹感が味わえるからでしょう。スープの一種ともみなされるラーメンもよく売れています。とくに東洋水産のマルチャンラーメン(maruchan rahmen)は70年代や80年代の不況のときも大人気。今回も種類によって違いますが5%から40%売上が高くなっているそうです。
  2. 便秘薬・・やっぱりストレス性の便秘でしょうか?便秘薬は不況時にはいつも売れ、昨年秋には20%以上も伸びたそうです。
  3. スパム・・・迷惑メールじゃなくて、沖縄のゴーヤチャンブルに使われる缶詰のポークランチョンミート。もとも、1937年の大恐慌の最中に発売されたもので、第二次世界大戦にアメリカ兵時の常備食(だから、沖縄に普及した)で、すでに71年の歴史がある。現在、売上は二桁台の成長で、ミネソタ州の工場は一週7日無休のダブルシフトでフル稼働しているそうだ。このスパムが売れるのは安いからではなくて、不況時に食べるものだというブランドイメージが定着しているからだという説がある。つまり、100g当たりの値段を比べると、実際には豚肉やひき肉を買ったほうが安かったりする。だが、缶詰のデザインも昔から変わらず、なんとなくリッチじゃない雰囲気がそこはかとなく漂っていて、それが不況時に売れる理由なのだともいわれている。

 このスパムの例からもわかるように、消費者は必ずしも値段をきちんと比較して安いから買っている訳ではないのだ。安いというイメージで買っているのだ。不景気のときに買うべき商品であるスパムを買うことで、自分が正しいことをしているという良心の悦びを楽しんでいるのだ。消費者心理を理解する点において、これは非常に興味深いヒントだ。

 ところで、スパムを製造しているホーメルフーズは2008年12月に伊藤忠商事と輸入代理店契約をして、日本市場で本格販売を開始すると発表したそうです。景気サイクルが短くなる時代において、日本にも不景気にふさわしいイメージのブランドが必要だと思ったのかな? でも、それだったら、日本にも、コンビーフの缶詰がある。昔ながらの牛のデザインの缶詰は、レトロでつましい雰囲気をかもし出している。

 「ノザキのコンビーフよ。スパムに負けるな!」 

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参考文献: 1.Matthew Creamer, Spam: The Ultimate survivor, AdvertisingAge 6/16/08,2. Arvind Sahay, How to Reap Higher Profits with Dynamic Pricing, MIT Sloan Management Review Summer 2007, 3.Recession-Proof Business, AdvertisingAge 12/15/08, 4.Laura Petrecca, Some ad campaigns rose above the bad times in 2 ad campaigns rose above the bad times in 2008, USA Today 12/28/08,.5. Natalie Zmuda, Why It's No Time to Neglect Cause Efforts, AdvertisingAge, 10/13/08. 6. Emily Bryson York, Economy May Be Rotten, but It's Ripe for Package Food, AdvertisingAge, 9/22/08, 7.Erica Mina Okada, Denying the Urge to Splurge, Harvard Business Review, Sept. 2005,8. 渡辺努、水野貴之、比較サイト普及とネット上での価格形成、日経新聞、11/28/08、9.ネット通販は売上最高、日経新聞、12/19/08

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