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2009年9月29日 (火)

ワンコイン健診とリテール・クリニック

 中野ブロードウェイにある4坪の店舗。白い壁に白いカウンター。ここで健康診断が受けられる。

 500円からチェックしてもらえる「ワンコイン健診」については、マスコミでも最近よく取り上げられている。医師はいない。でも、看護士はいる。でも、医師の指導なしに看護士が血液検査をすることは医師法に抵触してできない。だから、客がみずから自分の血を採取する(糖尿病患者が自己採血するように作られたキットがあるから、簡単にできる)。そして3分ほど待てば、「血糖値」、「総コレステロール」、「中性脂肪」などの数値がわかる。その他、「血圧、肥満度、骨密度」などもチェックしてもらえる。

 1項目調べるのに500円。だから、ワンコイン健診。客の80%は4項目すべてを調べるという。合計2000円になる計算だが、セットで頼めば1500円。来店客(というか、受診者)は、フリーター、主婦、健康保険証を持たない外国人など。客層は最初の狙いどおりで、健康診断を受ける機会の少ない人たちが中心。2008年11月にサービスを始めて2009年8月までの受診者は述べ5000人だという。

 こういった簡易クリニックを始めた川添氏は元看護士で、研修のために訪問したアメリカでスーパーやドラッグストアのなかに診療所があったのを見て、アイデアを思いついたという。

 アメリカで、リテール・クリニック(Retail Clinic)と呼ばれる簡易診療所は、大規模チェーン店や空港などにあり、週7日、つまり毎日開業しているし、夜も8時ごろまで開いている。基本的に、医師は常駐しないで、ナース・プラクティショナー(Nurse Practitioner)と呼ばれる上級実践看護婦がいて、一定レベルの診断、処方、投薬をする。風邪、気管支炎、中耳炎、尿道炎、膀胱炎、アレルギー、ワクチン注射・・・提供できる医療サービスには限度がある、だが、待ち時間はないし、あったとしても店内でショッピングをしていれば、順番が来ると呼び出してくれる。病院のように、書類に記入しなくては手続きそのものが始まらないという面倒くささもない。

 最大手チェーンにワン・ミニット・クリニック(One minute clinic)という名前がついているように、1分は無理だが、10分単位で素早く終わる。非常に便利。しかも、安い。どの診療の場合はいくらという価格表も明示されている。1回の診察当たり(処方薬を除いて)$45~$75。保険も使える。

 安くて便利。

 2009年9月1日現在、アメリカには、1110件のリテールクリニックがある。そして、こういったクリニックで診察を受ける患者は、米人口の7%から(2007年)、2009年には14%に増大している。しかも、9月に発表された第三者機関による調査によると、消費者の満足度は90%を越えている。

 ヘルスケアサービスのマクドナルドを目指している・・・ということで、こういった簡易クリニックを例にとって、サービスにおけるアート(Art)とサイエンス(Science)について考えてみたいと思うのです。

 サービス・サイエンスの主要テーマというか目的は、サービスを提供するプロセスを標準化することにある。プロセスが標準化されれば、プロセスすべてを機械化する(つまり機械にやってもらう)ことができるかもしれない。ないしは、パートやアルバイトという経費の低い従業員によっても達成できるかもしれない。プロセスの標準化のために、現在、多くの企業で採用されているのは、工場の製造プロセスで使われたシックスシグマとか「ジャストインタイム」に代表されるトヨタの生産方式だ。たとえば、アマゾンのベソスCEOはシックスシグマを採用して、客が人間、つまり従業員とコンタクトする必要が(ほとんど)ないビジネスモデルを実現した。標準化かかつ機械化できたプロセスはサイエンスの部分だ。標準化かつ機械化できなかった部分が、FAQでは自分の問題は解決されていないと考える顧客と、eメールや電話でコミュニケーションする部分だ。そこには、どうしても、人間が登場しなくてはいけない。これが、アートの部分だ。

 サービス・プロセス=アート + サイエンス

 サイエンスは科学でよいとして、アートをどういった日本語にするか、ちょっと悩む。アートの部分においては、プロセスのインプット、アウトプット、ともに一定ではない。「サービスを科学するシリーズ(3)」でも書いたように、「ばらつき(Variability)」がある。そして、ばらつきがもたらされる原因は顧客あるいは従業員にある。よって、アートがアートであるゆえんは、そのプロセスに関わっているというか、そのプロセスを構成しているのが人間だからだ。・・・ということで、アートを人文系として、プロセス=文系(人文系) + 理系(理工系)というのはどうでしょうか? あるいは、アートを人間系としてもよいかもしれない。

 多くのサービス企業が、人文系プロセスと理工系プロセスの境界の線引きをどこにするかを再評価することによって、より安い、より便利なサービスを実現しようとしている。たとえば、医療サービスでは、サービス提供者が圧倒的に人間である(しかも、提供する側の医者、看護士は高経費でかつ人数には限りがある)という制限があった。したがって、サービスを提供できる時間が限られ、待ち時間も長かった。

 医療サービスの標準化をはかるためには、まず、提供するサービスの内容を分轄する。

 そして、医者の半分の報酬で雇用できるナース・プラクティショナーが提供できるサービス内容に絞ることで、リテール・クリニックが実現した。一人のナース・プラクティショナーだけで機能できるようにするために、コンピュータの助けを借りる。IT機器を使うことで、ナース・プラクティショナーは、受診者の過去のカルテ・データをチェックし、処方箋や請求書を印刷するまで、一人でやる。最近では、患者が長期にわたり定期的に来訪してくれる可能性の高い生活習慣病、たとえば、糖尿病、喘息などの患者も診察できるように、つまり、より高度な診療がナース・プラクティショナーでもできるように、意思決定支援のソフトウェアを開発している。このソフトウェアは、看護士が、段階を追いながら、正確に診断を下し、治療をし、処方薬を出すことができるようにつくられている。

 顧客を感動させるサービスを提供する模範とすべき企業として、リッツカールトンがよく紹介される。が、これは、明らかにナンセンスだ。

 リッツカールトンはサービス・プロセスのなかで人間系(人文系)を強調することで他ホテルとの差別化をはかっている。そのために、リッツカールトンの現場の、つまりフロントラインの従業員は、顧客に満足してもらうために、どういった対応をしたらよいか、独自で判断できる裁量権がある程度のレベルまで与えられている。具体的にいえば、従業員は顧客の抱えている問題を解決し満足度を高めるために2000ドルまで使える権限が与えられているという。もちろん、その経費がそれなりの効果をもたらすように、企業の理念にそった行動がとれるよう、最初の一年のうちに4~5週間の訓練をする。

 こんな経費がかけられるのは、リッツが、高い宿泊料金や高級レストランで食事をするのをいとわない客をターゲットとしているからだ。顧客一人当たりの粗利益率も利益金額も高いビジネスだからできる人間系サービスだ。つまり、リッツのような売上単価も利益金額も高い企業が素晴らしい人間系サービスを提供しているからといって、売上単価も利益率も低い企業がそれを理想モデルとして目指すのはバカげている。

 そういった意味で、リッツカールトンをサービス業の模範とするのはナンセンスだと思う。リッツは、アートの部分を強調することで差別化をはかっているサービス企業なのだ。

 重要なことは、アートのコストとアートがもたらす顧客への価値との比較をしながら、アートのなるべく多くの部分をサイエンスに転換できるかどうかを考えること。アートのプロセスのなかでも、テクノロジーを利用して、なるべく少ない人間、それも経費の低い人間を使う可能性を考えること。これが、サービスを科学することだと思う。

 マクドナルドはアルバイトやパートを上手に使うことで有名だ。上手に使うためのノウハウとして、やる気を引き起こす人事制度とか訓練、それから、マニュアルなどが挙げられる。マニュアルは、サービスの標準化をもたらすために作成されているわけだが、その標準化を嫌う声もある。たとえば、「バーガーを買えば、フライはいかがですか?と誰もが同じ事を尋ねる」とか。「コーヒーを買うと、必ずデザートを勧められる」とか。何を勧めるかはあらかじめ決められている。それが標準化である。誰もが、同じことを繰り返すのは仕方がないことだ。

 でも、そこであきらめない。ここでテクノロジーを利用してみる。

 たとえば、アメリカのファストフードチェーンが実験的に使用しているレジ搭載のソフトウェアでは、顧客が注文した金額によって、店員が勧める商品が異なってくる。たとえば、日本円に直していえば、注文金額が830円だとして、1000円札を出せばおつりは170円。そこで、すかさず、レジ画面に定員への指示が出る。「200円のコーヒーを170円にいたしますが・・(そうすれば合計1000円でおつりは出ません)」。注文金額が710円で1000円札を出せばおつりは290円。この場合は、レジ画面に「330円のパフェを290円にしますが・・・」というセリフが出てくる。注文した商品とつり銭の金額をチェックしながら、どの金額のどの商品を勧めるのが最適かソフトウェアは分析して教えてくれる。

 消費者は、お札の価値を同額のコインの価値より高くみる、そして、コインがポケットや財布にたまるのをいやがる。アメリカの大学での実験では、25セントコインが4個ある場合は71%の学生がそれでチョコレートを買うが、1ドル紙幣の場合は29%しか買わないという結果が出ている。

 そういった消費者心理に基づいて開発された「つり銭無用」パッケージソフトだ。ファストフード店における使用実験では、35%の客がオファーを受け入れ、売上が3%から5%増大し、利益は30%増大したそうです。

 各国のお札とコインの発行事情や、顧客別に価格を変えることへの規制とかいろいろあって、どの国でも実行可能なソフトウェア・プログラムではない。この例で強調したかったことは、サービスプロセスを標準化するといっても、テクノロジーの利用の仕方によって、そこにある程度のパーソナライゼーションも実現できるということ。「つり銭無用」プログラムを紹介したハーバードビジネスレビューの記事には、一番最初に、「レジで、顧客に衝動買いをさせるということは、サイエンスというよりはアートの問題だった」と書いてある。つまり、各店員のセールス能力の問題だったということだ。しかし、新しいテクノロジーのおかげで、多くの店員も衝動買いを促すことができるようになった。サイエンスとアートが結びついたということだ。

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参考文献: 1.Terri C. Albert & Russell S. Winer, Capturing Customers' Spare Change, Harvard Business Review 2005, 2. Jullies Schmit, Could Walk-in Retail Clinics Help Slow Rising Health Costs? USAToday 8/28/06, 3.Greg T. Spielberg, Wal-Mart Medical Clinics Stunble, Business Week 7/17/09 4. Katherine Harmon, Sore Throat on Aisle 4: Retail Clinics Match Quality of Doctor's Office, Scientific American 9/1/09, 5. Joseph M. Hall and M. Eric Johnson,  When Should a Process be Art, Harvard Business Review March 2009, 6. ケアプロの簡易検診サービス、日経消費ウォッチャー 9/10/09 7.ケアプロ株式会社、日本の健康診断費をワンコインにする男、週刊東洋経済 8/29/09

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2009年9月11日 (金)

東京ガールズコレクション

 TGC(東京ガールズコレクション)が9月5日に開催されて、10~20代の女性約2万人が参加。開幕24時間以内のケータイやPCを通じてのネット販売と会場内での販売を合計した売上が約5900万円だった・・・・・こんなふうに、NHKのニュースでも取り上げられるようになったのでは、「ちょっとメジャーになりすぎ!」って思った女の子たちも多かったのではなかろうか? 

 2008年春の第6回からは外務省が後援してるし。ここらへんがピークかもしれない。おりしも、ケータイ恋愛小説「赤い糸」を330万部も売りまくったゴマブックスが、9月7日に民事再生法を東京地裁に申請。そういえば、ケータイ小説の話って最近あまり聞かない。10代20代って、昔から気移りしやすい世代なんだから・・・。

 どちらにしても、あれだけの数の人気モデルに芸能人、人気歌手を登場させる一大イベントというか大規模ショーなんだから、5900万円くらい売れて当然。・・・というか金銭上の損得だけを考えたら、まったく割りが合わないくらいでしょう。

 TGCのことについてとやかく書くつもりはないのです。TGCのニュースをみて頭に浮かんだことを2点書いてみたいと思います。まず、最初に「日本中からブスをなくしたカワイイ・マジック」について。それから「高級って退屈なことなのか?」について・・・。

 ちょっと前までは、ブスと呼ばれる女性たちがいた。彼女たちは最初っから化粧することもトレンディーな服を着ることもあきらめていた。ファッションは自分たちにとって無縁なものだと思い込んでいた。ところが・・・・だ。「カワイイ」という摩訶不思議な言葉に背中を押され、バッサバサのつけまつげに目を3倍は大きく見せるデカ目メークとてんこ盛りヘア・・・・宝塚の舞台化粧顔負けの厚塗り化粧で素顔が消える。一昔前なら、お水のお姉さん。それも、仕事場は銀座や六本木の高級クラブでないことだけは間違いなし。それでも、下品とはいわれず、「カワイイ」といわれる。

 デブだって「カワイイ」のだ。ピシッときまったシャネルのスーツとかは着ない(正確には『着られない』)。ユニクロやH&Mとかフォーエバー21で、安くてファッショナブルなパーツを買い集めて重ね着する。デブがフリルのワンピを着たら、「もっとデブに見える~」。そう言われたのは昔のこと。いまなら、「わー、パンダみたくにカワイイheart04!!」。

 東京の街から「ただのブス」や「ただのデブ」が消えた。

 読者をモデルにした読モファッション誌や、ストスナ(ストリートスナップ)写真を満載したファッション誌が人気を呼び、誰もが自分の個性的(?)な容姿に自信が持てるようになった。NHKのTV番組「TOKYOカワイイ」に登場するカリスマ読モとかストスナでは著名人なんていう男女の多くは、「ええ、どこが~?」と驚くくらいにどぉってことない目鼻立ち。きつい照明ライトの下で撮った写真は化粧栄えしてステキかもしんないが、実際には、はっきりいって、全然美人でも美男子でもない(もちろん、読モ出身者には、本当の意味での美男美女も、数少ないが存在する。で、この生まれながらの美に恵まれた一握りの幸運児たちは、読モ出身からキャリアアップしてドラマやバラエティ番組などでも活躍する)。 

 要は、ブスでもデブでも、いまは、化粧とファッションで「カワユク」なれるのだ。

 ちなみに、語源とか言葉の由来とかを調べてみると、「かわいい」は「かわいそう」の親戚で、もともとは、「気の毒だ」とか「いたわしい」という意味だったらしい。ということは、ブスにつける形容詞としてはピッタシだったんだ(って、差別主義者って非難されない前に断っておきますが、私は、もともと、女性にブスは存在しないと固く信じています。美への執念とか努力の足りないひとがブスになっているだけだと思っていますから)。

 NHKの「TOKYOカワイイ」TVで「日本のファッション大好きでーす」とかいう外人が登場して、カリスマ・メークアップアーティストなどにデカ目をつくってもらったり、スタイリストに洋服を選んでもらったりするのだが、これが全然かわゆくならない。「カワイイ」というのは、鼻も低くて凹凸がはっきりしていないモンゴル系が化粧をするときに実現できる「アニメ」顔かもしれない。

 同じように、西欧のデブはただの醜いデブからなかなか這い上がれない。柳原可奈子とか天道よしみのような、ちょっと触って見たいとか、テディベアみたいにハグしたい思わせるようなカワユイ系デブにはなれないのだ。

 これも語源辞典によると、「気の毒だ」の意味をもつ「かわいい」が、いまの「愛らしい」という意味に変わっていった過程を調べると、小さいものや弱い物に対して「気の毒で見ていられない」という感情を抱き、それが、いつのまにか、小さいものや弱いものをいとおしむ気持ちから、いまの「かわいい」に行き着いたらしい (あくまでひとつの説です)。

 ここまでのところを独断的に要約すると、小柄の草食系人種じゃないと、「カワイイ」は実現できないのかも。

 いずれにしても、若い日本人は、生来の容姿にかかわりなく、誰でもかわゆくなれることが証明された。結果として、10代20代の女性の、たとえば40%が、自分がファッショナブルになることなどハナからあきらめていたとして、その40%までもが、ファッションに興味を持ちお金を使うようになった。その結果を象徴するのが渋谷の109でありTGCだ。

 だからといって、自分たちも、このセグメントを狙おうなんて、まさか、デパートのひとたちは考えていませんよね?

 本題の「高級=退屈なのか?」の話に入ります。

 百貨店の売上が落ち込んでいる。

 といっても、経済危機以前から、その傾向はあった。デパートの売上高は11年連続して前年割れしている。その理由については、「消化仕入れ」と呼ばれる返品できる仕入れ手法が8割を占め、リスクをとらない甘えの精神が革新の邪魔になってきた・・・・とか、その他いろいろ挙げられている。が、その話はまた別の機会に。ここでは、TGCの話題に関連して、「なぜ、デパートの高級品売り場は退屈なのか?」という疑問を提示したいと思います。

 たとえば、デパートの顔ともいうべき、一階の化粧品売り場を例にあげてみます。

 化粧品は不況に強いといわれている。

 日本でも、「原料が手にはいらなくなった第2次大戦中を除き、化粧品の出荷量はほぼ一貫して伸びてきた。金融恐慌中の1927年でさえも、化粧品の出荷額は前年比2割増しだった」そうだ。アメリカでも同じことがいえて、世界恐慌真っ只中の1933年においてさえも、化粧品の(インフレ調整済み)売上は、恐慌が始まった1929年以前よりも高かった・・・というデータがある。

 日本では、今回の経済危機が発生した2008年度のスキンケア用品の出荷量は前年度比ほぼ横ばい、口紅などのメーキャップ用品は1.8%のプラスとなっている。ポーラ文化研究所が首都圏の15~64歳の女性を対象にした調査(2009年4月実施)では、景気の影響で生活費を減らすと答えた人は45%、外食の出費を減らすは50%。だが、化粧品の出費を減らすと答えた人は30%に満たなかった。70%強が、これまでと同等か、それ以上出費すると答えている。

 女性は不況時だからこそ、化粧品にお金を使う。これは、アメリカでも同じで、口紅インデックスなんて言葉さえある。高級化粧品会社エスティローダの前CEOが2001年の不況時に言い出したもので、景気が悪くなるほど口紅が売れるというものだ。女性は、社会状況が暗くなり、気分が落ち込むと、ちょっとした出費で気分転換できる口紅を買う。もっとも、2008年発生の経済危機では、口紅ではなくファンデーションの売上が上がっているらしい(これは、日本でも同様の傾向がある)。口紅インデックスではなくファンデ・インデックスだ。

 問題は、デパートの化粧品売り場だ。化粧品の売上は全体的には落ちてはいないのに、全国の百貨店化粧品売上高は2008年12月に前年同月比でマイナス。それ以降、前年同月比割れが続いている。消費者は、化粧品を百貨店ではなく、ドラッグストアで買っているのだ

 ドラッグストアで化粧品が売れるという話題になると、すぐに、「安いからだ」と金銭的な理由づけがされる。デパートで売っている化粧品は高級すぎるとか高すぎる、だから売れないのだ・・・という話になる。

 それは違うと思う。

 ドラッグストアに行って見れば違いがわかる。ドラッグストアの化粧品売り場には、ディズニーランドのようなマジックが感じられる。ドラッグストアを探せば、自分をプリンセスに変身してくれるマジカルな化粧品が見つかるような気がする。手作りのPOPに書かれたコピーはおまじないのよう。お姫様になるのにふさわしいカワユイパッケージ。魔女に合ったおどろおどろしいパッケージもある。ドラッグストアは魔法の国なのだ。

 それに比べると、デパートの化粧品売り場のつまらないこと! どの売り場も同じように品良く、静かで、活気がない。店員も夢を売っているひとたちには全然見えなくて、(歯を見せて笑うことは下品だと思っているようで)笑顔が見られない。(他人の笑顔を見ると、つい自分も笑ってしまう。それによって、自分も明るい気持ちになる・・・ということを証明する数多くの心理学の実験結果があるのを知らないのでしょうか?)。

 メーキャップ用品でも買って気分転換しよう。元気になろう!・・・と考えても、デパートではそんな高揚した気分にはなれない。20代後半、30代、40代、いや、それ以上の年齢の女性だって、変身願望があるのです。夢をいつも見ていたいのです。ブスでもカワイクなりたいのです。でも、デパートの化粧品売り場はその(ひっそりと内に隠した)欲求には全然答えてくれていない。

 デパートでは店員がカウンター外に出てセールスをしないように規制している・・・ことはわかっている。しかし、高級でも退屈である必要はない、高級でもエキサイティングになれるはずだということを、じっくり考えて見る必要がある。TGCはイベントをすることで人を集め、興奮させ、そして、まわりがみんなケータイを出して注文するから自分もそうする(コンサートでも、まわりが立ち上がってタオルを振るから自分もする。まわりの熱気に影響されて自分もエネルギッシュに変身する。集団意識の利用によってモノが売れる)。

 おりしも、ぴあ総合研究所の9日の発表によると、消費不況のなかでも、エンターテイメントのチケット売上は前年比1.2%でした。「経済環境が厳しくても、人気公演のチケットがすぐ売り切れ状況は変わっていない」そうです。コンサートや劇場、映画、スポーツ・・・みんな数時間の間でも、夢をみさせてくれるのです。

 ドラッグストアには夢がある。でも、デパートの化粧品売り場には商品はあっても、夢もエネルギーも感じられない(今の自民党みたいなものです。そして、総選挙では、選挙民は、民主党が提供する夢を買ったのです)。

 ついでに、化粧品メーカーの広告についても書いてみます。

 以前にも書いたことですが、正月用とかクリスマス用、新学期用の広告があるというのに、なぜ、不況時の広告はないのでしょうか? 化粧品のTVコマーシャルをみても、機能中心のものが多い。社会が閉塞して不安感が漂っているときには、消費者は気分転換とか気分高揚ができるものを探している。上品で退屈なコマーシャルではなく、「ああ、あれを使えば楽しい気分になれそうだ」と思えるような、夢を与え、エネルギーを与えてくれるようなコマーシャルを求めているのです。

 不確実な時代こそ、企業は消費者に夢を提供してあげなくてはいけない・・・と思うのです。民主党が選挙に大勝したように、一般市民は、(実現できるという保証がなくても、それでも)夢を見せてくれるもの(政治組織、企業、商品)が好きなのですから。

 デパートの化粧品売り場は、まず、美容部員を変えることから始めましょう。そこそこの若さで、そこそこの容姿の同じような個性のない店員を並べるのを止めましょう。デブでブスのおばさんは、いまの美容部員のお化粧法をまねしたって、全然変身できません。美輪明宏みたいな、まっ黄色の髪でド派手なメークをした小太りのおばさんが立っていたら、「かわゆい~」といって、あらゆる年代の女性が集まってきます。そして、魔女のような店員に魅せられて、彼女が進める化粧品を、なんとなく買ってしまうこと間違いありません(半分、マジです)。

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参考文献:1.「なぜ化粧品だけ不況知らず(エコノ探偵団)」日経新聞07/12/2009 2、「エンタメ市場健闘」 日経新聞 09/10/2009

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