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2009年5月 2日 (土)

ユニクロと環境と不況用のコマーシャル(マーケティングNOW11)

Stnd007s今日はゴールデンウィークの最中でもありますから、軽くよもやま話的なものを書きます(って、ていのよい言い訳です。きちんとしたものを書く時間がないだけです)。

1.ユニクロとエコ

 「もったいない」と「エコ」とは別物だと、いまごろになって気づいたおバカな私の話です。

 ユニクロ製品を買ってお洗濯を繰り返していると、シーズンが終わるころには、なんとなくダレた感じになる。ヒートテックのような下着でも、繊維が疲れてきた(?)感じになる。値段からいったら当然のことだが、また次ぎのシーズンに新しいものを買う面倒くささがいやなので(洋服を買うのは大好きですが、自宅や近所で着る普段着を買うのは好きではない)、つい、まわりの人間にグチを言ったら、一笑に付された。

 「ユニクロの服は、一シーズン着たら捨てるのよ」・・・働いている若い女性が言うならともかくも、70代の人(母です)にも、あったりまえのようにそういわれた。戦後のモノがない時代に育ち「もったいない」精神がしみこんでいるはずの70代の人は、「みんな(親戚や友人のこと)そうしてるわよ」と付け加えた。

 それでハタと気がついた。

 水と電気と洗剤を使って洗濯を繰り返せば、それだけCO2が排出される。ジャケットなどの場合、ユニクロ価格なら、数回のクリーニング費用でジャケット一着買えるかもしれない。そのうえ、ドライクリーニングに出すということは、CO2が出るということでもある。だったら、毎年、新しい商品を買ったほうがよい。

 ユニクロ無印良品、それからチープシックとかファストファッションと呼ばれるH&Mなどは、一シーズン着て捨てたほうが、それをきれいにして来年まで維持していく工程から出るCO2排出量を考えると、ずっとエコ的であり、グリーンなことかもしれない。つまり、「もったいない」と「エコ」や「グリーン」はまったく別のことなのだと遅まきながら気がついた・・・というわけだ。

 ユニクロは、2007年から本腰をいれ、3月と9月に全商品の回収、リサイクル活動をしている。リサイクルは3段階に分かれていて、1) 発展途上国への寄贈、2)繊維に戻して軍手や断熱材として再使用、3)それもダメな場合は発電用燃料として使用・・・となっている。

 リサイクルを案内するユニクロ・ホームページには、「お客様に長く着ていただける『本当に良い服』を製造し販売するだけでなく・・・」と書いてある。しかし、ユニクロの低価格を考えると、長く着てもらえる服などつくらないほうが、地球環境には良いのかもしれない。一シーズン、洗濯やクリーニング屋に出す回数を可能な限り最低にして、CO2を排出しないで捨てる、あるいはリサイクルするために店舗に持っていく。

 ところで、最近、買い控えをする消費者の購買を促すために、「リサイクルする」といって、不要商品を引き取る小売業が出てきた。引き取るためには幾ら以上買わなくてはいけないという条件をつけたり、反対に、リサイクルに出せばクーポン券を渡すところもある。どちらにしても、「まだ使えるのに、新しいものを買うなんてもったいない」と躊躇する消費者の罪悪感を、「リサイクル」という言葉で消してあげることによって、購買行動を促すわけだ。だけど、こういった企業は、ユニクロみたいに本当にリサイクルしてるのかなあ? ひきとったものをそのまま燃えるごみに出したりしてないよね?

 もっとも、消費者のほうも、自分が罪悪感を感じなくてすむ限りにおいて、他人ががどうリサイクルするのか、気にしているひとなんて余りいないのが現実だろうけど・・・。

2.不況用のコマーシャル

 不況で巣ごもる消費者が多くなっているところに、新型インフルエンザ。これでは、ますます巣の奥深くに入り込んでしまいそうだ。5月1日に発表された全国消費者物価指数が一年6ヶ月ぶりに減少に転じたということで、今度は、デフレの懸念が高くなったと報道されている。それでも、小売業は、まだ、低価格路線を続けるつもりなのだろうか?

 前回にも書きましたが、博報堂生活総合研究所が2008年末に不安を感じる日本人は72.4%もいると発表している。いま調査したら、もっと高くなっているかもしれません。不安という感情は恐れの変形だ・・・とか、不安は、敵の正体がはっきりせず、逃げるべきか、戦うべきか、行動を選択できないときのあいまいな感情だ・・・ということも、前回(マーケティングNOW10)に書きました。

 不安というのは、なにをすべきか決められないから不安なのであり、自分が無力であることに不安を感じているともいえる。そのせいもあってか、不安な気分状態にあると、人間は、見知らぬひとをネガティブに胡散臭く見るのではなく、反対に、通常のときよりも親近感を覚えやすくなるという実験結果がある。

 不安が人をより友好的な気持ちにさせ、感情的に結びつけるのは、たぶん、何十万年とづづいたアフリカでの狩猟採集生活での経験が、脳にそのほうがよいと判断させているのだろうと進化心理学者は考える。つまり、自然災害や大型肉食獣から身を守るときには、なるべく多くの人数が群れになって集まっていたほうがよい。不安を感じたときは数が多いほうがよい・・ということだ。

 だから、消費者が不安に感じているときに、安心感を与えるような広告メッセージを送ることは、消費者と感情的に結びつくビッグチャンスなのだ。

 クリスマスやお正月用のTVコマーシャルを製作するのに、なぜ、不況用のコマーシャルっていうのはないのでしょうか? 

 長い歴史のあるブランドなら、「あなたのお母さんも、おばあさんも、そのまた、お母さんも、ずっと使ってきた。戦争も、大震災も、すべての時代の荒波を乗り越えてきたブランドです」と安心感をあたえるような内容のメッセージ。

 消費者は、自分で行動できないあいまいな状態にいるのです。信頼できる相手の指示を期待しているのです。こんなときは、企業が自信をもって強いメッセージを送るべきなのです。いま、小売業がしていることは、「低価格商品(だけ)を買いなさい」と強く指令しているようなものです。

 しつこく書きます。

 お正月やクリスマス用のコマーシャルがあるのに、なぜ、不安な時期用のコマーシャルがないのでしょうか?

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コメント

1.エコロジーと消費生活
リサイクルは、技術開発が進まないと高コストになる。
製造者は、製造者責任で製造物を引き取って、リユースする仕組みを開発する。
飲食店では、食品残さを、堆肥に戻し、新たに野菜を育てるサイクル構築する。
開発コスト、ランニングコストを誰が負担するのでしょうか?
地球温暖化を少しでも、ゆるやかにするために、低炭素社会を実現しなければならない事までは、理解できる。
例えば、新聞購読という消費。読後の新聞をまとめて新聞販売店に引き取ってもらう。読者は何故か、トイレットペーパーというおまけがもらえるが、新聞店のトラック運行のコストは誰が負担するのでしょう?
おまけに、販売店には新聞社から必要以上の新聞紙が配達され、購読料をとれない新聞紙が発生し、あまった新聞紙(売れ残った新聞紙)をリサイクル(古紙業者に有料?)します。
先日の日立さんの、製造過程におけるリユース偽装なんて罪が軽い。
不当景品表示違反は、五つ星が偽りであったという、消費者の信頼を裏切るもの。
製造コストを考えたら、リユース品を買うより、新品を買う方が安かった?でも営業戦略上、偽装した。
私は、先日スニーカーを買いました。履きつぶしたスニーカーを販売店では「300円」で引き取ってくれました。
スニーカーを燃えないゴミに出すと、自治体に焼却コストが発生します。焼却コストは、住民税で負担します。有害ガスは、間違いなく発生します。
履きつぶしたスニーカーは、毀損が著しいため、再利用はできません。貴金属ではありませんから、原料に分解してもコスト倒れ。
おまけに、靴販売店さんは、私に「ポイント還元ではなく、300円のキャッシュバック」
廃棄コストを含め、販売店さんの持ち出しでしょう。
焼却によってCO2は排出されます。

2.不況用のコマーシャル
消費動向の分析は、力ある方にお任せします。
確かに、予算はあるけど、消費者は巣ごもっているのでしょう。
今年の連休中の高速道路の大渋滞を、メディアが手ぐすね引いて取材していました。
原因は、高速道路料金が千円になった事というのが、ディレクターの言い分。
私は、すべての業種で、低価格になっていくだろうと思います。
LOHASを標榜する人は、しこたま金を貯めこんだ一部の方。
資産形成に励んでいるので、不況用のコマーシャルは効くのでしょうか。
雇用調整を受けた(受けるかもしれない)方は、憲法の保障する「生存権」すら確保できない。
貧乏じゃないけど、資産家でもない方の消費行動は、自信持ちなよというコマーシャルでしょうか。
私は、このセグメントのキーワードは、“シェア”じゃないかと思います。
ネットを使って、女性の高級バックのレンタルショップが報道されていました。
人口集中都市で、わざわざ「カーシェアリン」とレンタルではない仕組みが、報道されていました。
所有ではなく、価値を利用することで、豊かな生活を送る事。
消費を伴うコマーシャルは、変わらないと?

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