マーケティング2011 Feed

2011年12月30日 (金)

TwitterやFacebookはそんなにエライのか? そして、「ええじゃないか」やAKB48との関係は?

 

 2011年のマーケティングは、TwitterとかFacebookといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)であけくれました。(純国産のMixiを忘れたわけではありません。でも、ローカルだしクローズドだし。そんなことでついつい・・・)。

 で、あまのじゃくの私としては、いちゃもんをつけたくなるわけです。年の終わりには。

 「アラブの春」とよばれた中東やアラブ諸国での大規模な反政府デモは、「Twitter革命」などとも呼ばれ、「SNSのおかげで独裁政権が崩壊」・・・とメディアは書きたてました(ソーシャルメディアと、限られた広告費用のぶんどり争いをしているライバルのマスメディアさえもそう断言しました)。

 が、どこにでも、私のようなあまのじゃくはいるものです。

 たとえば、日本でもベストセラーになった「ティッピングポイントーいかにして『小さな変化』が『大きな変化」を生み出すか」を書いたマルコム・クラッドウェル。流行やクチコミ現象の理論化で有名なジャーナリストですが、この人が、クチコミ・ツールであるTwitterやFacebookにはリスクの高い政治運動を引き起こすことはできないと断言したのです。

 しかも、2010年の10月、つまりチュニジアのジャスミン革命が発生する前に・・・です。雑誌「ニューヨーカー」でそういった内容の記事を書き、その後、チュニジアで政権が崩壊し、エジプトでも反政府デモが大規模化している最中にも、同じような内容のブログを投稿しています。

 かなりブーイングされたようです。

 でも、マルコム・グラッドウェルは、著書「ティッピングポイント」でも詳しく説明したように、「うわさや流行が世の中に拡散されるためには、弱いつながりをもったネットワークが必要である」ということを、政治運動を例にとって説明しただけなのです。

 弱いつながりに注目したネットワーク理論は、すでに1970年代に、マーク・グラノヴェッターという社会学者によって発表されています。彼は、282人のビジネスマンに「現在の職をどうやって見つけたのか?」と質問調査をしました。そして、家族、親せき、友人といったよく知っているひとからの情報ではなく、会ったこともないつながりのうすい人からの情報を元にして仕事をみつけた傾向が高いことを発見しました。

 よく知っている人同士は情報を共有していることが多いので、新しい発見はない。だが、あまりよく知らない人は自分の知らない新しい情報をもたらしてくれる可能性が高い。つまり、情報の拡散には「弱いつながり」が重要だということを明らかにしたのです(日本でも2011年10月にサービスを開始したSNSのリンクトインLinkedinなどは、まさに、この理論にのっとってつくられたようなものです)。

 マルコム・グラッドウェルは、ソーシャルメディアのプラットフォームは弱いつながりであり、だからこそ、新しいアイデア、イノベーションや情報が驚くべき効率で拡散される。だが、こういった弱いつながりは、リスクの高い、つまり命の危険をともなうような行動を引き起こさない。過激な反政府活動ではなくて、せいぜいいって平和なデモ行進に参加するのを促すくらい・・・だと書いたわけです。

 そして、メンバー同士のつながりが非常に強い草の根的組織がすでに存在していれば、SNSはそこに効果的に働いて政変を引き起こすことができる。そういった潮流がないところには、Twitterであろうとfacebookであろうと、急激な変化を引き起こすことができないと主張しました。

 たとえば、1989年の「ベルリンの壁崩壊」にしても、突然かつ自然発生的に起こった事件のように思われたかもしれないが、実際には、東ドイツに草の根的運動がすでに存在していた。東ドイツには政府打倒をかかげる十数人からなる小さなグループが数百もあり、この小さなグループのメンバ―同士は非常に強いきずなで結ばれていた。だが、各グループ間の接触頻度は非常に限られていた(当時、東ドイツの電話普及率は13%)。

 強いつながりをもったグループが弱いつながりで他のグループとつながる・・・・ベルリンの壁崩壊のときも、アラブや中東の政府崩壊のときも、弱いつながり以前に、強いつながりをもつ草の根的運動に従事するグループが存在していた。だから、TwitterrやFacebookが効果的に作用することができた・・・とマルコム・グラッドウェルは書いたのです。

 英国の新聞「ガーディアン」のジャーナリストも、インターネット=民主主義だと思いたいアメリカやシリコンバレーのひとたちの願望が、中東革命におけるネットの貢献を過剰に見すぎているという記事を書いています。(このコメントには、欧州人の米国に対するやっかみもちょっぴり入ってはいますが・・・)

 そして、中東やアラブ諸国の反政府活動家たちは、実際に時々会って相談していた…とも書いています。米政府や米国企業がそういった機会を提供していたとも書いています。たとえば、2009年にジョージソロス財団や米国政府が後援した会議には、チュニジアやエジプトの政治活動家やブロガーたちが(ヴァーチャルでなくリアルに)集まって、検閲から逃れる対策などを議論するのを実際に目撃したと書いています。2010年9月に、Googleがブタペストで開催した「表現の自由」大会には、中東の政治活動ブロガーたちが招待されていた。こういった集会や会議は以前からあったが、参加者の身の安全をまもるために、公表されなかった。だから、みんな知らなかっただけで、反政府活動家たちはヴァーチャルでなくてリアルに結びついていた・・・と書いています。

 そして、1917年のロシア革命のときには電報が、1979年のイラン革命のときにはテープレコーダが、1989年のベルリンではファックスが情報拡散に活躍した。ITはあくまでツールであり、それ以上でもないしそれ以下でもない・・・と、つけくわえています。

 それをいえば、日本でも、通信手段としては非常にスローな手紙しかなかった江戸時代に、総人口の10%の群衆が、同じ場所を目指して家出するという大規模騒動が発生しています。人間のクチからクチへとウワサがつたわるアナログ・クチコミで、300万人の日本人が伊勢神宮を目指して旅だったのです。

 日本史のクラスをとったことがある人なら、幕末の「ええじゃないか」群集行動とか、それと深い関係にある「おかげまいり」の話を覚えているかもしれません。

 「おかげまいり」というのは、家長である父、主人、夫の許可を得ないで伊勢神宮に参拝すること。許可なく参拝して帰ってきたあともとがめられることがない。道中、男性が女装したり、女性が男装したり、あるいは化け物じみた異様なかっこうをして(いまでいうコスプレ?)、「おかげさまでぬけたとさ」とうたいながら踊り進んだといいます。

 伊勢神宮に参拝することはよくあったことですが、それが特定の年に集中して、大規模な群衆行動となった場合は、とくに「おかげまいり」とよばれ、江戸時代には、60年ごとに、計4回発生したといわれます。1650年、1705年、1771年、1830年。

 1705年には362万人が伊勢神宮を目指したといわれます。当時の日本の人口は3000万人ですから、約10%が参加したことになります。いずれも、自然発生的かつ衝動的に発生したと考えられ、1830年の場合は、阿波国(いまの徳島県)で同じ寺子屋で勉強していた子供20人~30人が、3月20日に、参宮するといっていっしょに出かけたことがきっかけになって全国に波及したといわれます。

 おかげまいりは、飢饉、疫病、暴動、政変などが起こった年やその前後の年に発生しており、社会不安の増大からくる閉塞感、あるいは、封建支配に対する不満をガス抜きする作用があったのではないかと説明されています。

 こういったおかげまいりの伝統のうえに、幕末から明治に移行する1867年に、「ええじゃないか、今年は世直しええじゃないか」といったようにうたいながら踊り狂うことが、東海地方から近畿地方を中心として全国30か所にひろがりました。7月半ばにいまの愛知県の一地域で発生したのがあれよあれよというまに他地域にひろがり、1868年の4月ごろやっと終焉したといいます。

 この騒動が徳川幕府崩壊にどれだけ影響を与えたかは判断がむつかしいところです。が、民衆の騒ぎをおさえることができなかった幕府は、その無力ぶりを露呈したわけですから、間接的にでも、大政奉還をはやめることにつながったことになるでしょう。

 日本でも、メディアの有り無しに関係なく、人間がいる限り口コミがありウワサがある。結果、こういった群衆運動で既存政権崩壊が促されたということです。

 チュニジアがジャスミン革命なら、日本の「ええじゃないか」は徳川家の紋章をとって葵革命?

 マルコム・グラッドウェルもガーディアン紙の記者も、ソーシャルメディアのツールとしての力を、それを使う人間の力以上にみてしまってはいけないと指摘したかったのでしょう。

 話はちょっと変わりますが・・・・。

 「ソーシャルメディアは偉大だ」なんて過剰に重要視してしまうから、「傾聴」なんておおげさな言葉がつかわれるようになってしまったのだろうか?

 英語の聴く(listen)を傾聴と訳したのでしょうけれど、傾聴って耳を傾けて熱心に聴くって意味ですよね。でも、ソーシャルメディア・マーケティングでは、一生懸命聴くだけでは用をたさないわけで、消費者の声を聴いてそれにたいして何らかの反応をしなくてはいけない。ソフトバンクモバイルがしているように、ある程度リアルタイムにツイッタ―上を巡回して、あらかじめ選んだキーワードにひっかるツイッターはすべてチェックし、反応すべきものにはする(質問に答える、苦情に対処する、お礼を述べる)のが、本来すべき基本。

 モニター(英語のmonitorという言葉には、観察して、記録して、察知するという意味が含まれている)という言葉のほうが適切だけれども、監視しているような感じだし、すでに使いふるされている言葉だからからいやだったのかもしれない。しかし、傾聴なんてへんに感情がまじっているような言葉をつかうから、一生懸命耳を傾けていればそれでよしと思ってしまう。ソーシャルメディアをつかっていながら、ダイレクトメッセージやリトリートやコメントにもなんの反応もしない企業が多い。双方向のコミュニケーションがなくて、どこが、ソーシャルメディアマーケティングなのか、まったく理解不能。

 しかも、リスポンスとかコンバージョンとか適切な日本語に翻訳できる言葉にもカタカナをつかっているのに、どうして、ここだけ「傾聴」なのか? カタカナいっぱいのネット関連の記事や本を読んでいて、突然、傾聴なんて言葉が出てくると、ずっこけて椅子から落ちそうになってしまう。

 ついでにいえば、「共感」もおかしい。

 「情報が伝わるためには『共感』が必要になった」と書いてある資料を読むと、「TwitterのリツイートもFacebookの『いいね!ボタン』も共感しないと(消費者は)押さない」とつづく。たしかに、被災地に社員50人がボランティアでいきました・・というページをリツイートしたり「いいね!」ボタンをクリックするのは、その企業方針や情報内容に共感したからだといえるでしょう。でも、「500円クーポン進呈!」の販促情報をリツイートするのは共感したからだといえるだろうか? これが10円のクーポンになるとリツイート数が少なくなるとして、金額の少なさに共感しなかったから?

 販促情報をリツイートしたり「いいね!」ボタンを押すかどうかの判断には、「共感」は必要ないと思います。

 ソーシャルメディアに関しては、へんに感情まじりのおおぎょうな言葉がつかわれすぎると思っていたら、先に引用したガーディアン紙の記事に次のようなコメントがあって笑っちゃいました。

 どの市民革命にも、それぞれの時代における最先端テクノロジーやメディアが利用されている・・・というくだりで、「謄写版とかテープレコーダーやファックスとかに愛情はもてないけど、ソーシャルメディアを利用するということはスマホをふくめたケータイやiPadなどをつかっているわけで、スマホやiPadには愛着とか愛情を感じる傾向が高い。だから、『中東の春はソーシャルメディアがもたらした!』と考えたいし信じたいのだろう」と書いてあったのです。

 笑っちゃって・・・なんだか納得。 

 謄写版(って知っている人、もう、いないかも)やファックス機器には愛着なんて感じない。でも、スマホやiPadはちっちゃくていつも身近にあってすでに身体の一部。TwitterやFacebook = スマホやiPad。だから、ソーシャルメディアのことを話すときにも感情的になってしまう。愛を感じるから、つい、実際よりも重要な社会現象であるかのように思ってしまうし、それを説明するのにおおぎょうな言葉をつかってしまうんだ!

 なんだか、AKB48とソーシャルメディアがいっしょくたに思えてきた (おっとぉ~、冗談です。年の暮れのたわごとです。ブーイングなんてしないでくださいね)。

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参考文献 1.Evgenry Morozov, Facebook and Twitter are just places revolutionaries go, The Guardian 3/7/11 2.Malcolm Gladwell, Small Change, The New Yorker, 10/4/10, 3. 伊藤明己、民衆発露とコミュニケーションの回路ー想像の共同体意識と幕末おどり狂ー」中央大学大学院研究年報、4.「お陰参り、ええじゃないか」資料に学ぶ静岡県の歴史、静岡県立中央図書館 歴史文化情報センター編集 

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2011年12月18日 (日)

CSR(企業の社会的責任)やCSV(共有価値の創出)を超えて・・。「会社」が日本、そして世界を変える。

 

 1992年11月24日、英国のエリザベス女王は「Annus Horribilis」という言葉で、その年をしめくくりました。

 「アナス・ホリビリス」=ラテン語で、「恐ろしいほどひどい年」

 2011年・・・東日本大震災が発生した日本はむろんのこと、世界各地を地震、たつまき、ハリケーン、洪水、干ばつといった自然災害がおそった。そして、アメリカ発の金融危機がおさまらないうちに、今度はヨーロッパ。世界経済が不安定ななか、アフリカや中東から西側先進国まで、若者を中心にしたデモが過激化しました。

 多くの国の元首は12月のカレンダーを見ながら、「アナス・ホリビリス」とつぶやいていることでしょう。

 2011年は、民主主義と資本主義を御旗にかかげ、第二次世界大戦後の繁栄を謳歌してきた西側先進国が、矛盾に直面した年でもあります。「多数決」という民主主義の意思決定ツールのおかげで、なにも決めることができず機能不全におちいった議会をかかえるのは日本とアメリカだけではありません。1つの国のなかでもなにも決められないのだから、利害の異なるいくつかの国からなるユーロ経済圏が、「会議は踊る。されど進ます」状態からぬけだせないのは当然かもしれません。

 民主主義には多数決以外にも問題があります。数の暴力をきらって、少数派の意見も採用しようとする結果、大声を出せばまかりとおるという現実がある。日本の最近の例では、数百人のひとたちが抗議の電話をかけてくるとかかけてきたとかで、被災地のガレキ処理をひきうける決断ができない自治体。人口比0.1%以下でも大声をあげればその意見が通るのであれば、自治体政府はほとんどなにもできない。(「独断」できる知事と、「独裁」宣言した市長がいる東京都と大阪市をのぞいては・・・)。

 多様性と少数意見も大切にし原則多数決で意思決定する民主主義体制では、緊急時にはものごとが決められない。「不確実な時代には中国やロシアのような国家資本主義のほうが効率的です」・・・・というようなことを、中国の経済専門家が語っていた。思わず、「そうだよね」とうなずきそうになってしまった。

 こういった現状のなか、政府や政治家集団にたよらないで、資本主義の中核にある会社(会社と企業とのつかい分けについては、注釈をみてください)の活動に未来をたくす声が出てきています。

 私自身が、会社という組織の威力にあらためて気づかされたのは、3.11の大震災後です。

  1.  政治がもたもたしているときに、すぐに行動にうつしたのは企業であり、そこで働く従業員でした。製造業のサプライチェーンが猛スピードで復旧されました。企業がもつ資源・・・勤勉で情熱をもって働く人材、さまざまなステークホルダーとの協働レベルの高さ、技術力、問題解決能力、意思決定のスピード、行動力、資金力・・・の力に驚きました。
  2. 夏の節電でも、設定温度を上げるとか電気を消すとかいった常識的対策はむろんのこと、勤務時間を週末や深夜にふりかえるという荒業もやってのけました。企業とそこで働く人たちにリードされて、一般市民もがんばれた。結果、節電目標をクリアするという、コンセンサスが得られにくい民主主義国家としては珍しい現象がおきました。

 でも、厳密にいえば、東京に住んでいる私が、会社の存在感を肌で感じたのは、震災直後からです

 震災が発生した日も、その次の日も、そのまた次の日も、街はまるで何事もなかったようにふるまおうとしていました。フクシマでメルトダウンが起こるかもしれないと、多くの外国人が去っていくのを尻目に、会社は(よって、店舗も)通常通り営業していて、従業員は乱れる交通スケジュールにもめげずに、出勤することが当然であるかのように通勤していました。当時、東京にいた外国人ビジネスマンは、「何が起きても変わらぬ生活がつづき、日常を取り戻す力がある・・・(大惨事が起こっても)みんな、普通の生活に戻ろうと必死に頑張っている」といっています。(日経新聞11/7/11)

 そういった状景は、「パニックや暴動におちいることのない礼節ある日本人」と海外でも報道されました。

 私はそこに会社という共同体の存在を感じました。会社があるから、仕事があるから、同僚もそうしているのだから、自分はいつものように働きにくる。まわりの人たちが普段どおりに働いている。その姿をみて、自分も平静な気持ちで働く。そういった人たちを見て、私のように組織に属していない一般市民もパニックにならず、自分でも驚くくらい冷静な気持ちで日常生活を送ることができました。

 コンセンサスと共同体の連帯感の欠如は政治家集団にあっても、私企業にはなかった・・・ということです(XX電力とかいった例外はあります)。そして、そういった企業組織に働くひとたちの態度や行動が、まわりの社会に良い影響を与えたのです。

 「優れた企業は、不確実性や変化の衝撃を和らげる役割を果たしている」・・・と、米ハーバード大学のロザベス・カンター教授は書いています(注1)。

 カンター教授は、IBM、コカコーラ、マクドナルドといった優れたグローバルカンパニーが、その資金力、技術力、人材といった資源において国家を超える存在になってきており、そういった企業が豊富な資源を運用することで、世界に大きな影響を与えることができることを指摘しています。そして、また、不確実な時代において、こういった企業は不変のアイデンティティを提供することで、社会や消費者の不安や変化への衝撃を和らげる役割を果たすことができるとも指摘しています。

 たしかに・・・。

 2011年のインターブランドによるグローバルブランド調査で、コカコーラのブランド価値は前年についでNo.1でした。創業以来130余年の長い歴史において、コカコーラはつねに「幸福感」と世の中を楽天的にみる「楽天主義」のイメージを送りつづけてきました。皮肉なことに、コカコーラを生んだアメリカという国の幸福感や楽天主義は、以前より色あせてきています。でも、コカコーラは変わらず世界中にどんなときでも幸せを感じ楽天的に考える価値観を提供しつづけているのです。

 アメリカという国や政府への信頼感やイメージが落ちているとしても、コカコーラというブランドのイメージや信頼感は変わっていない。そういった意味で、コカカーラという企業は、すでにアメリカという国を超越しているというわけです。

 1996年に、ピューリッツァー賞を受賞したことがあるジャーナリストが「マクドナルドと戦争と平和」理論を発表しています。マクドナルド店舗が存在する国の間では国際紛争を解決するために戦争にはいたらないという理論です。マクドナルドのブランドイメージは「家族」「幸せな日常生活」であり「永遠の青春」です。こういった企業が進出している国は、紛争を平和的に解決するという理論です。

 残念ながら、その後、イスラエルとレバノンやロシアとグルジアが戦闘することで、この理論には例外ができてしまいました。でも、企業(ブランド)が社会に「平和」という良い影響を与える傾向を、この理論は95%以上の確率で証明しています。

 IBM、アップル、マクドナルド、スターバックスといった強力なブランドで世界を相手に稼ぐ企業の株価は、2011年の一時期に、米国の株式市場で最高値を更新しています。格付け会社から愛想をつかされ価値がさがっている国債とは対照的です。これも、優れたグローバル企業が国家を超えた存在になっていることを証明しているかもしれません。

 会社は資本主義社会の中核にあります。企業の目的は利益を生むことですが、その生みだし方への批判から、80年代に、ステークホルダー理論が注目され、CSR(企業の社会的責任)の考え方が登場しました。企業の業績に対して正当な利害関係をもつ様々なステークホルダー(株主、顧客、従業員、サプライヤーなど)がいるなかで、株主価値の最大化だけを追求するのは適切ではないと考えられるようになりました。

 CSRには、社会的責任という言葉のイメージどおり、企業が社会や政府に強制されて、「利益を犠牲にしてまでしなくてはいけない義務」のイメージが強い。会社の社会的評判を高めるための必要経費とみなされる傾向が強い。これに対して、マイケル・ポーター教授は、2011年初めに、社会と企業がいっしょになって価値を生み出すCSV(共有価値の創出)の考え方を提案しました。

 震災後に日本企業がしたことは、CSRにもCSVにもあてはまります。が、それ以上のことをしました。社会に安心感や安定感を与えたということです。しかも、グローバルな大企業だけでなく、中小企業でもそれが可能だということを証明しました。被災後すぐに店を開けた地域スーパー、翌日から工場再開を目指した町工場、すぐに働けるように機械や船を被災地に送った同業者・・・・こういったいくつものエピソードが日本の社会と市民に落ち着きを取り戻してくれました。

 「会社」は仕事を提供する・・・という意味あいでも、大きな役割を果たしています。

 今回の大震災で日本人の多くが気づいたことが、「仕事」の収入手段としての重要性だけではなく、人間として尊厳を保って生きていく手段としての重要性です。

 「落ち込むことがあるけど、でも、働いていると前に進んでいける感じがする」、「仕事をしているときにはつらいことを忘れることができる」・・・家や家族を失った被災者の多くの方たちがこう語っています。震災1週間後に、いま、何を一番望むかと問われて、「早く働きたい」と答える人も多くいました。

 これは、日本特有の価値観かもしれません。

 希望学という研究を2005年からつづけている東大の玄田有史教授は、日本人に「あなたの希望はなんですか?」とたずねると、「もっと良い仕事がしたい」とか「自分らしく働きたい」など、仕事にまつわる希望を語ることが多いと書いています。希望をもっていると答える人にその内容をきくと、仕事についての希望がダントツの66.3%で第1位。次が46.4%で家族についての希望、健康37.7%、遊びが31.1%となっています。

 ヨーロッパ経済危機の元凶だとして、勤勉なドイツに睨まれているギリシアとかスペインなどでは、「仕事」と「遊び」の重要度が逆になるかもしれません。

 日本人が仕事を大切に思うのは、くりかえしくりかえし自然災害に遭遇してきたからだと思います。どうしようもない悲劇にあったときに、「しなければいけないことをする」ことによって、その間だけは忘れられる・・・という体験が身に心にしみついているからではないでしょうか。不安なときに千羽鶴を折ったり、お百度参りをする習慣にも同じ意味あいがあります。ツルを折っている間、お参りしている間、いま現在やっていることに集中している間は不安を忘れていることができる。

 ときに荒ぶる自然と暮らしてきた長い歴史から生まれた生活の知恵です。

 「物資支援やボランティア活動は自分以外でもできる。製造業の経営者として被災地に貢献するなら雇用しかない」・・・こういって、いわき市に工場新設をきめた愛知県の会社があります。本社を宮城県に移転する会社もあります。現地で仕事に応募してきた人たちの「絶対に復興するんだという強い志」に驚かされ、移転を決断したそうです(朝日新聞12/4/11)。とくにこれといった必要性がないのに支社を開けた会社もあります。

 意欲と情熱ある従業員とでつくる工場や支社が利益を生むとき、社会と企業との「共有価値」が創出されたことになります。でも、CSVよりも何よりも、雇用は資本主義国家の安定・安心に貢献します。株主価値を最重要視してきた欧米でも、「企業が社会にもたらすことのできる最大の幸福は雇用だ」と断言する経営学者が登場してきています。

 会社が政府や国までも超越することができるのは、その企業が目的意識と価値観をもっているからです。企業の究極的目的はもちろん利益を生むことです。もう少し具体的に、「高品質の商品を他よりも低価格で売る」ことを目的にさだめたとして、そのために資源をどう使うかに、その企業の価値観が表れます。低価格に重きをおきすぎれば、ライバルとの価格競争におちいり、その産業自体のサステナビリティがあやうくなります。

 どういった価値観をもつかによって、その企業がサステナビリティを維持できるかどうかがきまってきます。目的意識と価値観が企業のアイデンティティを生み、企業文化をつくります。価値観は従業員の感情を喚起しやる気を起こさせ、(災害時に自分で判断して被災者を救済した多くの従業員のように)自信をもって自己責任で業務を遂行できるようになるのです。

 企業が、国や政府よりも、効率よく目的を果たすことができるのは、目的が明確であること。そして、入社試験や勤務査定を通じて、同じ価値観をもつ人間の共同体をつくり維持することができるからです。しかし、社員数がふえればふえるほど同じ価値観をもつ共同体を維持することはむつかしくなる。だからこそ、カンター教授は、IBM、コカコーラ、マクドナルドといったサステナビリティを誇るグローバル企業を「スーパーカンパニー Super Corporation」と呼ぶのです。

 グローバルブランド調査で11位のトヨタ自動車の売上は、2011年Global 500で8位。2200億ドルの売上は、国家予算世界20位のスイスや22位のインドを超え、ベルギーやノルウェイ、スウェーデンと同じくらいです。トヨタ自動車は文句なくスーパーカンパニーの一員といえるでしょう。

 トヨタ自動車の価値観は独自に生みだした(世界的に有名な)生産方式に表れています。そして、その生産方式には日本人の資質が表れています。日本人のまじめさ、忍耐強さ、協調性、正直さ、謙虚さ、清潔好き・・・そこから、ディテールへのこだわり、無駄を省く、チームワーク、常に改善、現場の人間が自発的に効率をあげる生産方式が生まれたのです。コカコーラやマクドナルドがアメリカという国の性格を表現しているように、トヨタの自動車は日本という国を体現しているのです。

 ですから、グローバル化=空洞化を心配する必要はないと思います。 

 海外での売り上げが国内市場を超えようとも、スーパーカンパニーは根なし草にはならないし、なることはできないのです。トヨタ自動車の豊田社長が「円高がきついが、競争を勝ちぬくために日本に現場が必要だ」と強調するのは、それが会社の価値観を固持しサステナビりティを守る基本だからです。アメリカに本社や中核部署のないコカコーラ、マクドナルド、IBMをイメージすることができますか?

 自分のアイデンティティを失った根なし草の会社は、グローバル化を進める過程で消え去る運命にあります。

 国内市場でも、アイデンティティのしっかりした小さな会社がどんどん活躍してほしい

 なぜなら、日本のような成熟市場においては、細分化されたセグメントそれぞれのニーズにそくしたサービスや商品を提供できる企業が必要だからです。大量生産を前提とする大企業よりも、融通性のある中小の規模の企業のほうが適しているからです。製造業に代わってサービス業の成長がつづくなか、たとえひとつひとつの規模が小さくても、多くの起業が進めば、全体として大きな仕事量や雇用が生まれるはずです。

 2011年が終わったからといって、ひどい年が終わったわけではありません。地震ひとつをとっても、日本列島は地震の活動期にあるようです。これからの10年から20年間、いつ、また、どこで大きな地震がおこるかもしれません。東日本大震災やフクシマ原発事故からの復興途中で、大地震がまた発生したら? 私たちにはそれに負けずに乗り越える気力が残っているでしょうか?

 歴史をふりかえれば、日本人はそれを乗り越えてきたはずです。考えてみれば、第二次世界大戦後の66年間、日本は平和のなかで、しかもそれほど大きな災害を経験することなく、経済行動だけに専念することができた。日本の歴史をふりかえってみても、これは、ある意味奇跡だといえます。いや、世界史をふりかえっても、西側先進国にとって戦後の66年間はまれにみる繁栄の年月だったといえます。

 仕事のない世界の若者たち。自然災害に翻弄される世界。山積する問題に対処するだけの経済力のない国々・・・こういった困難に立ち向かわなくてはいけない人類の未来を思うとき、私はいつも2008年に発表された研究を思いだします。

 米スタンフォード大学における遺伝学と人類学との共同研究によると・・・・13万年前から9万年前にかけて、東アフリカで、いくつかのひどい干ばつが発生したことにより、私たちの祖先は7万年前にはわずか2000人くらいしか生存しておらず、人類絶滅の危機にひんしていたそうです。

 この記事を思い出すと、なぜか、いつも、感動してしまうのです。厳しい環境のなか、この2000人のうち、いくつかのグループは生き残り、6万年前に、食糧を求め、暮らしやすい気候を求めて、地球各地に分散していきます。2000人のなかで世界に広がっていった共同体には、きっと、夢を語るリーダーがいたことでしょう。そして、同じ夢(目的意識と価値観)を分かちあい、仲間同士で協力しあって幾多もの困難をのりこえたグループだけが生き残り子孫をふやしていったのだと思います。 

 大企業でも中小企業でもいい。夢を語ることができる会社で働いている、働くことにする、あるいは自分でそういった会社をつくる・・・・・このブログを読んでくださった方々の来年がそういった年になりますように! 心からお祈り申し上げます。

 

注1: Rosabeth Moss Kanter, How Great Companies Think Differently, Harvard Business Review November 2011

注2: 「会社はだれのものか(平凡社)」で著者岩井克人氏は、会社とは法人化された企業のことで、この2つをきちんと区別しなくてはいけない。この2つを混同したがゆえに、「会社は株主のものでしかない」というアメリカ型の株主主権論がまかりとおることになった・・・と、書かれています。このブログでは、組織とか共同体という意味で、会社と企業とあまり区別せずにつかいました。

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参考文献: 1.玄田有史「希望のつくり方」岩波新書 2010年、2.「供給網守れ、タイから続々】日経新聞 12/4/11、3.「雇用を創り街を元気に」朝日新聞 12/4/11 4.Nipponビジネス戦記「百経を耐え抜く国の強さ」日経新聞11/7/11、5.「競争優位の新たな源泉」日経ビジネス8/1/11、6.Rosabeth Moss Kanter, SuperCorp, Profile Books 2009

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2011年10月25日 (火)

クチコミのROIを明確にする方法。でも、ソーシャルメディア・マーケティングで一番効果をもたらすのは?

 9月26日の記事では、ソーシャルメディアをつかったクチコミマーケティングのROIを明確にする方法については書きませんでした。

 今回は、それについて書きます。そして、ソーシャルメディア・マーケティングで、アメリカでいま、最も堅実的で効果的だとみなされている戦術についても書いてみたいと思います。

 クチコミといっても、若者相手の映画やファッションのキャンペーンで、(ときによって)成功する、いわゆる伝染性のバイラル・マーケティング(Viral Marketing)は含みません。もう少し地道な(?)クチコミのことです。すでに自分たちの商品・サービスを購買している既存客に友人を紹介してもらうという方法で、ダイレクトマーケティングで昔から使われていたメンバー・ゲット・メンバー(Member-get-Menber)をソーシャルメディアを利用して実現します。 

 飛行機内でのWi-Fiサ―ビスを提供する企業のキャンペーンを例にとってご紹介します。

  1. すでにサービスを利用している既存客に、友人を5人紹介してくれたら、サービス1回分を無料にするというメールを送る。そこには、紹介してくれた友人がサービスを申し込んだら、新規申込み1名につき1回分無料サービスをさらに提供する。そして、キャンペーン中に最も多くの申込者を紹介してくれた既存客は1年間サービスが無料になる・・・という(紹介行動を促す)特典が提供されます。
  2. 既存客Aが送られてきたメールの「いますぐ無料サービス申込み」ボタンをクリックすると、パーソナライズされたランディングページにジャンプする。
  3. パーソナライズされたランディングページには、既存客Aだけのユニークコード番号とURLアドレスが記載されてあり、そのURLをクリックして、表示されたページの指定箇所にコード番号をコピー&ペーストすれば、「1回分の無料サービス申し込み完了」。
  4. そのページには、フェースブックとツイッターのシェアボタンもついており、たとえば、ツイッターのボタンをクリックすれば、ツイッターの友人に送るべきメッセージコピーと短いURLがすでに記載されたページが表示される。「飛行機内でWi-Fiサービスがいまなら1回分無料になるチャンスです! 僕も利用しているけど便利なサービスだから、一度試してみてください」。そのメッセージを5人の友人に送れば、既存客Aがすべき作業はすべて完了。
  5. メッセージを受け取った友人は、そこに記載されている短縮URLをクリックすれば、パーソナライズされたランディングページにジャンプ。そのランディングページから申し込めば、どの既存客が紹介した友人からの申込みか判別できる。
  6. サービスを販売している企業は、既存客の誰が紹介した友人の誰がサービスを申し込んだのか明らかになるので、紹介してくれた既存客に何回分の無料サービスを提供すればよいかも判明。
  7. そして、紹介された友人のうち何人が申し込んだかの合計数によって、既存客のなかで誰がインフルエンサー(影響者)なのか、影響度のレベルも明確になる

 メンバー・ゲット・メンバーは質の良い見込み客を獲得する効果的な方法だと考えられている。なぜなら・・・

  1. すでに自分たちの商品・サービスを利用している客が、ソーシャルメディア上の多くの知人のなかで、誰が一番申し込みそうか、その可能性を考えて、紹介すべき友人をしぼって選択する。
  2. 紹介数を5人に限っているのは、テストの結果。あまり多くの友人を紹介してくれても、それだけ見込み度の低い名前がはいってきてしまう。ダイレクトマーケティング企業の多くはいろいろテストして5人が最適だと考える。が、それは、もちろん、販売商品や価格によっても違うから、各企業が独自にテストしてみるべき。

 テマヒマかかるプロセスです。でも、地道。これなら、テストして、その結果を検証したうえで大規模なキャンペーンに拡大することができる。ROI達成目標をきちんと決められるから、予算も立てられます。

 地道・・・ということでは、9月26日の記事に書いた「ソーシャルメディアとSEOの融合」という観点から、アメリカではブログが脚光を浴びています。

 会社のCEOが書くブログはもちろんですが、社員が書くブログです。

 販売商品・サービスを宣伝するブログではなく、たとえば、衣料品メーカーなら、女性消費者が読みたくなるようなファッション最新情報とかメークアップの悩みとかについてブログを書く。証券会社なら、ヨーロッパの経済危機とか金の値段が決まる仕組みとか、ターゲット客が興味をもちそうな内容について書きます。個人が書きますが、内容については会社の方針に従って管理されているブログです。(こういったコンテンツを外部のコピーライターに書いてもらうことも多いようですが、ソーシャルメディアは人間と人間が交わる場所です。社員が書くのが一番でしょう)。

 こういったブログにフェースブックやツイッターのシェアボタンがついていて、ファン数やフォロワー数がふえれば検索ランキングもあがる。かつ、コンテンツ(内容)に関心をもってくれた上で、会社のサイトにアクセスしてくれれば、質の高い見込み客ということで、サイトで購買客に転換する率も高くなる。

 9月26日の記事で紹介したベンチマーク調査によると、「貴社が利用しているソーシャルマーケティング戦術は何ですか?」という質問に答えて、72%のCMOがフェースブックやリンクトインといったSNSの運営、71%がブログにコンテントを投稿、69%がYouTubeやSlideShareにコンテンツをアップロード、61%がツイッターに短縮URL付きのコメント投稿・・・・となっています。

 つまり、コンテンツを重視するようになったということです。販売している商品・サービスと関連性のない情報や娯楽を提供するのではなく、関連性の高い、でも、宣伝ではなく、あくまでターゲット客に関心をもってもらえるコンテンツを提供したほうが質の高い見込み客を集めることができる・・・ということです。

 ベンチマーク調査で、つづいて、2つの質問をしています。

  1. 「ソーシャルメディアマーケティングで効果的なのはどの戦術か?」という質問への答では、最も効果があるとされたのがブロガーやインフルエンサーとの1対1の関係の構築(非常に効果的34%、ある程度効果的51%)、検索エンジンランキングを向上するためのソーシャルメディアサイトの最適化(30%、51%)、ブログにコンテンツを投稿(26%、 49%)、SNSの運営(24%,、53%)、YouTubeやSlideShareへのコンテンツのアップロード(22%、55%)。
  2. 「各戦術を実行する難易度レベルを教えてください」への答をみると、最も効果的だとされたブロガーやインフルエンサーとの121関係の構築が一番むつかしくて(非常にむつかしい22%、ある程度むつかしい54%)、ソーシャルメディアサイトの最適化(13%、55%)、SNSの運営(9%、45%)、ブログやソーシャルメディアサイトへの広告(7%、31%)、ブログへのコンテンツの投稿(7% 、32%)、ビデオやスライドののアップロードが(4%、25%)となっている。

 上の2つの質問への答を総合すると、ブログ投稿は効果では上から3位、難易度では上から5位。つまり、効果的で実行しやすいソーシャルメディア戦術だということです。

 企業はソーシャルメディアの2つの特徴に価値を見出しました。

  1. 安いメディア費用で、メッセージを拡散することができる。しかも、到達数が多いわりには、マス媒体よりもターゲットをしぼりやすい
  2. 見込み客や既存客と密接な関係を築くことができる場を提供してくれる

 1番目については、先回の記事で書いたように、費用は安いかもしれないけど、メッセージを流しているだけではそれがどれだけの効果をもたらしてくれたか明確でない。でも、ROIをはっきりさせようとすれば、テマヒマかかる。

 2番目については、炎上がこわいし、ソーシャルには(一人ひとりと交際するには)お金がかかる(人件費もかかるし、それなりのシステム費用もかかる)。 

 結果、 どちらも中途半端で終わっているのが現状でしょう。

 そういった意味では、ブログやマルチメディア(ビデオ、スライド)でターゲット客が価値を見出してくれるコンテンツを提供する。そのコンテンツの評判が「いいね!」ボタンやリツイートでひろまり、より多くのひとがアクセスしてくる。コンテンツに関心がある質の高い見込み客をサイトや店舗といった購買チャネルに誘導する。もちろん、より多くの人が読んだり見たり紹介したりでリンクがより多く貼られることで、検索ランキングがあがり、その結果として、質の高い見込み客をブログやサイトに誘導することにもなります・・・一石二鳥。

 やっぱり、ビジネスは、地道・・・というか、基本となるところで勝負しなくちゃいけないということでしょう。

  こういった観点とは全く異なるところで、期待がもたれているのが、消費者リサーチです。といっても、ソーシャルメディアをつかったアンケート調査やオンライングループ調査のことではありません。こういった調査は安くて速いという長所があるといわれます。しかし、伝統的な消費者調査手段であるアンケート調査やフォーカスグループ調査と同じように、言葉で質問して言葉で答えてもらう。言葉に頼る調査には、「消費者調査シリーズ」に書いたように、大きな弱点があります。 

 SNS調査は、安いし速いかもしないが、消費者を真に理解するという能力では、伝統的消費者調査と50歩100歩でしょう。

 ブログやツイッターでのコメント、ソーシャルネットワーク上でのコメントや会話を収集してデータマイニングすることは、(質問への答ではなく)自発的な言動データを収集・分析することです。自社商品を購買したひとの使った感想や使い方を知ることもできるかもしれないし、ターゲット客が週に何度外食し、どういったものを食べ、どのくらいの金額を使うかといった情報を得ることもできるかもしれません。

 アメリカのようにソーシャルメディアユーザー規模が大きくなると、自社顧客とフェースブック上の実名メンバーとが同一人物かマッチング分析する。同一人物だと判断できれば、フェースブックのもっているプロフィール情報や行動情報とを重ね合わせることもできます。

 ソーシャルネットワーク上のデータは、過去にも遡ることができて時系列に分析することが可能。ということは、将来を予測するモデルを構築できる可能性も高いということです。

 期待が寄せられている領域です。

 しかし、ここで、冷静になって考えてみなくてはいけないことがあります。

 私たちは、ソーシャルメディア・マーケティングの動向については、世界をリードするアメリカを意識します。が、アメリカという市場は、ネット人口においてもソーシャルメディア人口においても、先進国ではある意味「異端児」です。基となる人口が大きくしかも成長しているのですから当然のことですが、ソーシャルネットワーク人口で先進国第2位の英国ですら、アメリカの17%です。日本のソーシャルメディア利用率は50%余ということで、まだ伸びることは事実でしょう。でも、絶対数においては、どの先進国もアメリカにははるか及ばないのです。

 それが何を意味するかといえば、スケールメリットがないということです。「アクティブサポート」に必要なシステム費用、ネットワーク上をデータマイニングする費用、その他もろもろの費用・・・・アメリカのようには投資効率がよくはならないということです。

 ソーシャルメディアは企業が個人と1対1でソーシャライズ(交際する)できる貴重な場です。企業も人間として消費者(人間)と向き合わなくてはいけない場です。ソーシャルメディアでは、企業の人格、企業の人間性が明確に照らし出されます。自社の人格をきちんと出して、消費者一人ひとりと向き合って会話をしてほしいと思います。そうでなければ、このメディアを使っている必然性がない。TVコマーシャルをつかえばよいし、自社ウェブサイトを魅力的なものしてアクセス数やリピーター数をふやせばよいのです。

 ソーシャルメディアは人間と人間がソーシャライズ(交際する)場です。誤解もあるしケンカもある。炎上して、それを短期間で収めることができない企業は、その人格、その人間性が悪いからです(もちろん、人間性が良くても内気で交際には向いていないこともあります)。人格や人間性が悪いということは企業風土や企業文化が悪い、あるいは、交際には不適切だと言い換えることもできます。自分の会社の人格があまり良くない、あるいは交際には向いていないと思ったら、ソーシャルメディアマーケティングなど積極的にしないほうがよいのです。

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参考文献:1. Social Marketing Benchmark Report 2011, MarketingSherpa

Copyright 2011 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

 

2011年9月26日 (月)

ソーシャルメディアのROI。ファン数とかエンゲージメント率なんて指標でごまかすのは、もう終わり?

 アメリカでは、2010年の1年間に、ソーシャルメディア・マーケティング(ソーシャルマーケティング)のROI(投資利益率)を明確にしようという考え方が一気に進んだようです。

 MarketingSherpaという調査会社が毎年「ソーシャルマーケティングベンチマーク調査」を発表しています。最近発表された2011年度版では、B2C&B2Bの幅広い産業における3342人のCMO(チーフマーケティングオフィサー)に調査していますが、大半のCMOが、「ファンの数とか『いいね!』ボタンのクリック数やリツイート数が増えた減ったの話は、もう聞きあきた。投資した見返りがどれだけあったか数字でみせてくれ」と考えていることが明らかになりました。

 似たような結果は、他の調査でも発表されています。

 前述したベンチマーク調査2011年では、「ソーシャルマーケティングにおいて最も重要視していることは?」という質問をしています。答を多い順に並べると・・・

  • 位  ファンやフォロワーを購買客に転換  
  • 2位  ソーシャルマーケティングのROIを測定可能にし、かつ、ROI数値の向上 
  • 3位  ソーシャルメディアからのリード獲得プログラムのROIを測定可能にし、かつ数値の向上
  • 4位  顧客サポート・プログラムのコスト効率を向上

 そして、20%のCMOがソーシャルメディアはすでに測定可能なROIをもたらしていると返答。2010年の報告書では、この数字はわずか7%。そして、2年前の2009年の報告書では、ソーシャルメディアの価値は認知度とかエンゲージメントで質的に測定するしかなく、ROIを明らかにすることは困難であると大半のCMOが答えていたことを考えると、大きな変化です。

  投資への見返りを数値化する機運が高まった理由は4つくらいあげることができます。順をおって考えてみます。

 1番目の理由は、景気のさらなる悪化---2001年にバブルがはじけたときにも、ディスプレイ広告から、効率よくターゲティングができる検索エンジン広告へとマーケティング投資が移りました。景気が悪化するなか、「ソーシャルメディアはTVの黄金時代を思い出させる。つかったマーケティング費用がどれだけの効果を売上にもたらしたのかはっきりしない。提案されているKPI(Key Performance Indicator 重要業績指標)だって、TV広告でつかっていた延べ視聴率(リーチ X  フリークエンシー)や認知度と、どこが違うのだ? かゆいところに手がとどかないじれったさは同じじゃないか」という声が多くなった。

 2番目の理由は、思った以上に経費がかかる。ソーシャルメディアの「メディア」は無料かもしれないけれど、「ソーシャル」にはお金がかかる―――誰が言ったか知りませんが、まさに明言です。日本企業では、ソーシャルメディア担当者は最大でも10名くらい。5名以内が圧倒的に多い。当然のことながら、ツイッターを例にとれば、米ベストバイや日本のマイクロソフトがやっているように、ツイート上をリアルタイムにキーワード検索して、ツイートした本人が期待していなくても積極的に企業のほうからコミュニケーションしていく「アクティブサポート」を実行しているところはまれ。それどころか、フォロワーのリツイートやダイレクトメッセージに対応している企業すら非常に少ないのが現実です。

  それに比べて、アメリカのソーシャルメディア担当者の数は多い。2011年前半の調査によると、社員2500人の企業で、公式ソーシャルメディア・アカウントにコンテンツを掲載したり、コメント、その他を投稿する社員数は13人、7500人で22人、3万人で83人、7万5000人で182人、10万人以上で280人となっています(Altimeter Group調査)。家電専門店ベストバイのように、希望する社員誰もがツイート対応できるやり方を採用しているところもあります(2010年末で約2500人)。

 たとえが悪いかもしれませんが、マーケティングを「売り手」と「買い手」の戦いと考えると、ソーシャルメディア・マーケティングは、IT機器で(流行りの言葉をつかえば)エンパワーされた消費者一人ひとりと戦うために、社員一人ひとりをエンパワーして歩兵として戦場に送りだすようなものです。昔のように、天地にとどろきわたる大砲一発(TVのようなマス広告)で一時に数百万人に対処するわけにはいかないのです。そして、歩兵である多くの社員の人件費にはお金がかかるし、一人ひとりをエンパワーするためには、ITインフラの整備や武器としてもたせるツールの高度化、そして訓練にお金がかかるのです。

 ROI化が進んだ3番目の理由は、「経験を積んだ」ことです。そして、これは、4番目の理由である「無料あるいは安価で簡単につかえるアナりティクス、そしてモニタリングやトラッキング・ツールが続々と登場した」ことと関係しています。 

 GoogleやFacebook提供のアナりティクスやその他のツールのおかげで、ファンとかフォロワーといっても、本当のファンもいれば、割引クーポンをもらうためだけにファンになっている人もいることが明らかになりました。積極的にコメントしたり「いいね!」ボタンをクリックしたりというインタラクティブな活動をする人は一部の人に限られている傾向が高い。そういった行動がエンゲージメント率を高くするが、その行動の何%が最終的購買につながるのか、そのプロセスもトラッキングできるようになってきたのです。こういった経験を積むことで、無駄なところに経費をつかっていたこともわかってきたのです。

 ファンやフォロワーを購買に転換するために割引クーポンをふくめた特典を提供することが多い。だが、割引のときだけ購買する人の割合が多ければ、バーゲンハンターを維持育成しているだけのことになる。あるいは、ファンの多くが既存客である傾向が高いわけですが、その場合、本来なら割引がなくても購買してくれる客にクーポンを提供したこととなり、売上減を招いてしまう。 

 そして、日本でもアメリカでもファンやフォロワーになった理由の上位は、クーポンや割引オファーを得るためだという調査結果が出ています。

  • 米国の消費者がソーシャルメディアで企業とインタラクティブなやりとりをする理由: 1位 割引き、 2位 ネット購買、3位 レビューと商品ランキングをチェックする、4位 ファンだけに向けた情報を得る、6位 新商品について知る。コミュニティの一員になるためという理由は12位 (Neolane調査)
  • 日本で企業(ブランド)のツイッターをフォローした理由: 1位 割引やセール情報、2位 新商品についての情報、3位 ゲームなどのエンターテイメントを楽しむため。
  • 日本で企業(ブランド)ページのファンになった理由: 1位 無料を含むプロモーション情報を得るため、2位  エンターテイメントを楽しむため、3位 新商品についての情報を得るため。 (PR Times 提供) 

 割引などのお得情報を獲得するためにファンやフォロワーになった客は、売上にどれだけ貢献しているのか? こういった客とのインタラクティブな活動にお金をついやして、ファン数とかエンゲージメント率が上がった。だから、満足度とかロイヤルティが向上したといえるのか? また、満足度やロイヤルティが向上したとして、それが、売上に貢献しているのか?

 うん? これって、一昔前に、議論されたことですよね? オフラインの世界でCRMの効用がうんぬんされ、満足度やロイヤルティという指標が必ずしも売上に結びつかないという話は、90年代末から2000年代初めにさんざん議論されたことです。

 ということで、たとえソーシャルメディアでもROIを明確にしようと考えるようになったわけです。オフラインと違って、オンライン上の動きは何でもデータ化できるはず。たとえ、口コミであろうと、その効果をモニターしトラッキングできるはず。努力しなくちゃと思い直したわけです。

 ソーシャルメディアのROIは、ランディングページとeメールとを組み合わせることで数値化します。PURL(パーソナライズド・ランディングページ)を2段階でつかったりと、少し複雑です。でも、口コミの売上への効果も数値化できます。

 そういった話はまた次のブログに書くことにします。

 ここでは、割引クーポンの話にもどります。

 割引クーポンを含めた特典提供は、ファンやフォロワーを購買客に転換するのに最も効果的な手法です。そして、バーゲンハンターを育成しないためには、ファンやフォロワーの行動をきちんと分析してセグメンテーションし、既存客には割引以外の特典を提供するとか、各セグメントごとに割引率や提供内容を変えるようにする必要があります。

 もっとも、ネット販売以外に店舗販売も展開している企業なら、それほど細かい分析を必要としないかもしれません。なぜなら、店舗ではサイトと違って、「ついで買い」の傾向が高くなるからです。良品計画は2011年5月から、サイトで注文して店舗で商品を受け取れるサービスを始めました。米ウォルマートも2007年からこのサービスを始めていますが、このサービスを利用する客の60%が来店して商品を受け取るとともに平均$60の付加購買することが確認されています。

 良品計画もソーシャルメディアのメンバー対象にクーポンを提供していますが、店舗でしか利用できないクーポンにすれば、利用者を店舗に誘導し、「ついで買い」を促すことができます。サイトで利用できるクーポンを提供したとしても、利用者の何割かは商品を店舗で受け取ることを選択し、ついで買いや衝動買いをしてくれるかもしれません。

 いずれにしても、サイトと店舗のマルチチャネルを展開しているところは、ネット販売だけの企業に比べると競争優位に立てるチャンスが与えられていることになります。

 そして、店舗もネット販売もできないCPGメーカーはソーシャルメディアでの活動を売上に直結させることができません。

 スーパーで販売している日用品や飲食料品を製造しているCPG(Consumer Packaged Goods)メーカーは、店舗をもっていないし、販売チャネルとなる大規模小売店に遠慮して、本格的にネットで販売することもいまのところ実現できていません。ソーシャルメディアで割引クーポンでも発行できればROIを明確にすることもできますが、小売店の協力なしにはむつかしい。

 その点、アメリカのCPGメーカーは昔からクーポンを発行していて、それが小売店舗で使え、どのクーポンが使用されたかどうかのデータも残る仕組みができています。ソーシャルメディア上でクーポンを発行すれば、誰がいつ使ったかの情報も獲得できる。実際、オンラインクーポンの還付率は伝統的な新聞広告のクーポンの還付率よりも高く、とくにソーシャルメディアを通じて発行されたクーポンは、それまでクーポンを使用したことのない新規客を獲得しているという調査結果も出ています。

 つまり、ソーシャルメディアのROIを明確にする仕組みをもっていない日本のCPGメーカーは、ファンの数だとかリツイートの数とか「いいね」ボタンのクリック数といったKPIを、好むと好まざるにかかわらず、つかわざるをえないのです。そして、こういったCPGメーカーを大手クライエントとする広告代理店も、「共感」とか「エンゲージメント」といったあいまいな言葉を強調するしかないのです。

 だからこそ、ネット販売や店舗販売をしているところは、そういったあいまいな指標にたよらず、投資への見返りを数値で表すべきでしょう。

 ・・・と断言しながらも、ここで、これまでの話の流れとは矛盾することを書きます。

 ファン数とかエンゲージメント率といった指標が非常に重要な場合があります。 ソーシャルメディアのファンがたとえ購買してくれなくてもゲームが面白いと友人にシェアするだけでも、企業にとって利益をもたらす場合があります。

 検索ランキングで上位にたつことができるようになるのです。

 GoogleとかマイクロソフトのBingの検索エンジンでは、フェースブックとかツイッターのようなソーシャルメディアで、シェアボタンを通じて他のサイトとつながっているリンク数が多ければ多いページほど、そのページは検索ランキングで上になる確率が高くなる。Bingの場合、ソーシャルメディア内の特定アカウントのフォロワーとか友人の数が多ければ多いほど、そのアカウントは検索ランキングで上位になる確率が高くなる仕組みになっています。

 もともと検索キーワードでサイトを訪問してくれる客は質の高い見込み客で、購買客に転換する率が高いことは実証されています。そういった意味で、たとえ割引クーポンを提供したときしか購買してくれないファンでも、その人がブログで書いてくれたり、友人の数が多い人であれば、その結果として、間接的に検索ランキングで上位にたち、良質な見込み客をサイトに呼び込むことができる。

 一番最初に紹介したベンチマークレポート2011年でも、「ソーシャルメディアとSEOとを融合する戦術は非常に重要だ」と答えたCMOは平均77%にのぼっています。

 大手CPGメーカーが検索ランキングで上位にたつことがそれほど重要だとは思えません。が、ネット販売やネット申込みを受けつけている中小企業、IT関連企業、金融サービスなどにとっては、SEOの売上への影響は大きいはずです。

 結論は?

 結論は・・・、ソーシャルメディア・マーケティングにおいては、データ分析すべきことをきちんと分析して最終目的である売上を向上するための戦術・戦略をたてる。そして、結果をきちんと分析して検証する。見込み客から購買客へのプロセスがデータ化しやすいオンライン上でマーケティングをしているのですから、オフラインでつかっていたあいまいなKPIだけに頼ることはやめにしましょう(KPIが示すメディア上でのインタラクティブな活動によって検索ランキングがどれだけ上位にあがるのか、そして、検索キーワードを通してサイトを訪問した人の何%が購買してくれたかまで分析できます。ですからSEOに関連してKPIの最適化を計算することもできます)。

 そして、オンラインでもオフラインでも販売チャネルをもっていないCPGメーカーは、ソーシャルメディアを消費者とインタラクティブな関係が築ける貴重な場所と考え、徹底的に会話をする。多くのエンパワーされた社員を戦場に送りだし「アクティブサポート」をする。そこまでいかなくても、少なくとも、コメントやリツイート、ダイレクトメッセージにきちんと対応する。炎上が怖くても、それは取らざるをえないリスク・・・ということだと思います。

 消費者と直接コンタクトできる優位な立場にある大規模小売店は、東日本大震災時の活躍を通じて、ライフラインとしての地位を勝ち取りました。消費者の信頼感を得ることで、低価格だけでなく高価格PBを売る力をもつけています。こういった状況におかれたCPGメーカーこそ、消費者との絆を築く場を提供してくれるソーシャルメディアを、最も精力的に利用すべきではないでしょうか。

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参考文献: 1.「ソーシャルメディア・マーケティング成功事例集」、アイ・エム・プレス2011年8月、2. Social Marketing Benchmark Report 2011, MarketingSherpa,

 

Copyright 2011 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

 

2011年6月26日 (日)

不安な時代にモノを売るということは・・・

 先行きのはっきりしない不確実で不安な時代にモノを売ることは「しんどい」ことです。でも、消費者本人すら明確に意識していない心理をさぐれば、ヒントが見えてくるかもしれません。

 たとえば「自粛」という言葉です。

 (震災で亡くなられた方たちへの哀悼の意から)自ら言動をひかえめにする・・・と解釈すれば、モノを売る側としては時がたつのを待つしか方法がなくなります。

 自粛=不安+罪悪感+α

 消費行動の自粛をしている大半の人は自分が不安だからです。典型的な例は旅行。旅行をひかえているのは現在への不安。どこまでまた大きな地震が発生するかわらかないので遠くに旅するのが不安なのです。「でしたら、海外で長逗留なさっては?」と勧めるのは良い方法です。が、心配性のひとなら「留守宅が心配だから」長く留守にはできないと考えることでしょう。

 恐れや不安は人間にとって根源的な感情です。「神経科学は経済学に何を教えてくれるのか?」という論文には、「人間は生存して繁殖するために進化したのであって、幸せになるために進化したのではない」と書かれています。私たちは、なるべく長く生きて子孫を残すために、恐怖や不安を感じるようにつくられているのです。危険に直面すれば恐怖を感じてすぐに逃げられるように、そして、そういった危険を事前に察知できるように不安を感じ、不安を感じたら安全な場所に隠れるようにつくられているのです。

 こういった本能的な感情は、理性をもってもコントロールしにくい感情です。消し去ろうと意図的に努力しても、なかなか消せるものではありません。

 とくに、その恐れや不安の原因となっている原発も地震も、まだ、「いまそこにある危機」なのですから。

 それに加えて、私たちには、日本経済は立ち直れるのか? 景気はよくなるのか?といった先行きの不安もあります。不安なときには、行動経済学でいうところの「損失回避性」が強くはたらきます。損失回避性では何かを得る喜びよりも、いま持っているものを失うことへの不安のほうが強くなります。こういったときには、「安くなっていますからお買い得です」は、あまり力を発揮しません。反対に、「いま買わないと損をします」といったフレーミングのほうが効果的。ですから、「セールはお昼休みの一時間だけ」とか「商品がなくなり次第セール終了」といったフラッシュ・マーケティングが人気を呼びます。

 しかし、震災後の不安は、通常の不景気の不安とは深さが違います。日本人は多かれ少なかれ、自分の人生を考え、生と死を考えたはずです。ですから、「いま、買わないと損をしますよ」のレベルではなく、「いま、あなたの人生のこの時点で、XXしないと損をします(あとで後悔します)」というフレーミングのほうが説得力があります。

 罪悪感という感情は、恐れや不安といった本能的感情ではなく、社会的感情だといわれます。そのぶん、軽減してあげることは比較的簡単です。他のひとたちに比べて自分だけ良い目をみることに罪悪感を感じる。そのために、人間は困っている他人を助け、他人と協力したいと思えるようになるのです(人間以外に、罪悪感を感じる動物を想像できますか?)。

 罪悪感は、社会を築いていくために必用な感情としてはぐくまれたもので、意識的に理性でコントロールすることがある程度できます。ですから、「あなたが、いま、消費をすることが日本経済を、そして被災地の復興を助けることになる」とか「旅行にいけば、代金の1%を宮城の観光地復興プロジェクトに寄付できる」と訴えることで、購買決定をうながすことができるのです。

 こういったコーズマーケティングは、日本では、始まったばかりです。が、震災後、一般市民にすばやく受け入れられました。4月中旬に実施された博報堂の消費者調査によれば、「商品購入金額の一部を被災地支援に役立てるキャンペーンに参加したい」と答えたひとが69.9%に広がっています。

 不安な時代のマーケティングで、「さすが!」と感心したのは、ダイヤモンドのデビアスのコードブレスレットの販売です。大災害後に買うものとしては一番似つかわしくないジュエリー。しかも8万円するものを、罪悪感を感じさせることなく購買させるのに成功しています。

 このブレスレットは絆をテーマにしています。「震災後の世界と日本、そして日本人同士の『永遠の絆』を象徴するというイメージで新しくデザインされた」と広告されています。テーマの裏づけもあります。ブレスレットのコードは日本でいうところの本結びで結ばれている。古代ギリシアでは包帯をまくときに、この方式で結べば傷が早く治ると信じられており、ギリシア神話の英雄の名をとってヘラクレス・ノット(ノットは結び目という意味)と呼ばれています。ヘラクレスノットは「固く結ばれてほどけない」という意味で、中世やルネサンスの時代をとおして、愛情や結婚のお守りとして伝えられてきました

 震災後、結婚願望が、とくに女性の間で高まっているそうです。

 結婚情報サービス大手のオーネットでは、4月資料請求件数が昨年に比べて12%増。とくに女性からの問い合わせが多く、関東の女性だけでみると24%増。会員同士の結婚も増え、3月4月ともに前年に比べて18%以上のびているそうです。

 不安なときに、他の人間とつながりたくなるのは、アフリカのサバンナで群れをつくっていたころを思い出すからだと、進化心理学者はいいます。私たちの祖先は、400~500万年前に、それまで自由気ままに暮らしていた森での生活を捨て、食料を求めて、草原の上を二本足で歩かざるをえなくなりました。氷河期の影響で森の面積が小さくなってきたからです。草原に出るということは、自分たちをエサにしようとする肉食獣から身を守らなくてはいけないということ。小さなひ弱い動物が猛獣から身を守るには群れをつくる。群れのなかにいれば少しは安心です。群れから離れることは「死」を意味します。

 家族や仲間を大事にする気持ちが生まれるのは、不安なときの本能です。そして、女性のほうに不安感が強いのは、男女平等が通用するのは平和なとき。危険なときには、オスとメスとの肉体的能力の差がきわだつということでしょう。

  自分の人生を考えたときに、「いま、結婚しなかったら、きっと後悔する(あとで損をする)」という損失回避性もはたらきます。そういった意味で、不安な時代に生きる女性の心理を読み、8万円のジュエリーを発売したデビアスは、「婚約指輪にはダイヤモンドを・・・といったそれまでにはなかった習慣を、(世界的不景気のなか、しかも、第二次世界大戦勃発かもというきなくさい雰囲気のなかで)、広告とPR活動で普及させた会社」です。さすが、デビアス!です。

 そのうえ、売上の一部は、NPO法人を通じて、被災地の子供たちをサポートするために寄付するとも付け加えています。

 義援金などといっても、もう、効果はありません。日赤に寄付しても、被災者の手にいつわたるかもわからない。それに、寄付するときには、自分のお金がどう使われるのか具体的に知りたいものです。販売商品に関連性があるコーズ(大義)に寄付する仕組みをつくらなくてはいけません。デビアスの場合、女性がターゲットですから、子供をサポートするためにお金を使う。ジュエリーを買う罪悪感もうすらぎます。(唯一の欠点をいえば、「売上の一部を寄付すると書かれているだけ。価格に対する寄付金額の割合が明らかにされていません。疑心を招きやすいコピーです)。

 多くの女性はコードブレスレットを「お守り」を手にいれるような気持ちで買っているのでしょう。つければ不安も少し軽減します。

 サントリーは、長期的な復興支援を目的に、コーヒーやビールなど缶製品の売上1本につき1円を積みたて、年間40億円を被災地の漁業復興に役立てることにしたと発表しました。

 企業のコーズマーケティングはこれからが肝心です。なぜなら、このままほおっておけば、私たち消費者(一般市民)は、不安をだいたまま内向きになり、安全な巣にこもる生活にもどってしまうからです。

 4月20日、日本能率協会が今春の新入社員意識調査(震災直後の3月24日から4月12日に実施)の結果を発表しています。それによると、「10年後の日本社会は、より良い社会になっていると思うか?」という質問に、55.9%が「なっていると思う」と答えています。この数字は、上司・先輩社員の43.5%よりも高い。上司・先輩社員の答が、前年度より2.4ポイント減少したのに対して、新入社員の答は、昨年の新入社員よりも5.9%増加しています。

 震災後の被災者のかたたちの頑張り、それを自発的に支援した多くの企業やその社員、そして一般市民の活躍をみて、「自分たちが良い社会をつくるんだ!」と発奮してくれたのでしょう。

 震災後の1~2ヶ月の間には、多くの日本人が緊張感や(誤解を恐れずにいえば、一種の)高揚感を感じていました。つまり、「みんなで一緒に助け合って、国難をのりこえよう!」という高揚感や連帯感です。こういった心理があったから、新入社員たちも「日本は良い国になる」と答えた。前述した博報堂の調査でも、「普段どおりにものを買い、レジャーを楽しむことが被災地や日本のためになる」と答えたひとが86.1% 。消費者として社会の活力づくりに参加しようとする意欲が強いことがうかがえます。

 問題はこれからです。

 いまは、まだ、「節電」というスローガンがあり、電力消費を15%カットしようという共通の目標もあります。が、こういった目標がなくなり、被災地から流れてくるニュースや福島原発での収束作業が「日常」になってしまったら・・・・。私たちは、市民としても消費者としても無気力になり、ただひたすら、いま持っているものを失うまいとする「損失回避性からくる守り」の姿勢に入ってしまうことでしょう。

 恐怖や不安を軽減できるのは、こういったネガティブな感情ほど根源的ではないかもしれないけれど、進化の早い過程で生まれ育まれたポジティブな感情です。

 母親が生まれた赤ちゃんに授乳していると、オキシトシンという神経伝達物質が脳で放出され、母は子に対する無償の愛と安らぎを感じることができるようになります。草原に群れをつくって住むネズミと、同じ種類でありながら山のなかで孤立して暮らすネズミでは、脳で放出されるオキシトシンの量が大きく異なります。「人間が互いに助け合い協力しあうのは、オキシトシンが関係しているのではないか?」と考えたアメリカの神経経済学者がいました。

 彼は、それを証明するために「信頼ゲーム」と呼ばれる実験をしました。2人の人間が、互いに相手を信用して協力しあえば、どちらも利益を得ることができる。が、一人の人間が自分だけがより多くの利益を得るためには、相手を裏切らなくてはいけません。90分の実験に参加すれば$10もらえるということで集められた被験者たちに無差別にペアを組ませ、パソコン上で指示をします(誰とペアを組んでいるかは本人にはわかりません)。被験者AにパートナーBに$10のうちいくらかを送れば、相手は送られた金額X3倍の合計金額を得ることになる。送金したくないならしなくてもよいと指示します(Aが$6送るとBの手持ち金は$28になります)。つぎに、Bに、Aにいくらかを返す、あるいは何も返さないかどちらか決めるように指示します。

 実験では被験者Aの85%がお金を送り、Bの98%がいくらかのお金を返しました。

 被験者BがAからお金を受け取ると、脳内でオキシトンが放出されました。そしてオキシトンの量が多い被験者Bほど、より多くのお金をAに返しました。つまり、自分が相手から信用され互いに協力しあったと感じたとき、被験者の脳でオキシトシンが放出されるということです。この点をより強く証明するために、オキシトシンを被験者の鼻から吸い込んでもらったところ、この被験者はより信愛あふれる気持ちになり、平均の2倍の金額を相手に送りました。

 人間は、過酷な環境のなか、群れのメンバーを信頼し互いに協力しあうことで、生き残り繁殖し、そして、高度な文明まで築いたのです。互いに助け合うことが気分よく実行できるように、オキシトシンが放出される仕組みが進化の過程でできあがったのでしょう。視床下部で生まれるオキシトシンは報酬系を刺激して快感を生むドーパミンを放出させ、また、安心感を生むセロトニンも放出させます。そして、不安や恐怖を生む扁桃体の活性化をおさえるのです。

 震災時や直後にみられた無償の愛、そして、助け合わなくてはいけない、自分もなにかしなくてはいけないといった高揚感は、オキシトシンやドーパミンが多くの日本人の脳内を満たしたからです(永田町の住民は例外です。あのひとたちは突然変異のミュータントですから)。そして新入社員が「日本は将来良い国になる」答えたのは、未来を明るく感じられるセロトニンのせいです。

 世界中から賞賛された日本人の助け合いの精神を、180度異なる観点から示す国際調査があります。社会的な規律の厳しさや、規律に反したときの罰の強さなどの「文化の窮屈さ」を世界33カ国で調べたものです。「人々が従わなくてはいけない社会的規範がたくさんあるか?」「誰かが不適切な仕方でふるまえば、他の人が強く非難するか?」など6項目の質問に答えてもらいます。結果、日本の「文化の窮屈さ」は第8位で、1位はパキスタン、5位に韓国、米国は23位でした。

 文化の窮屈さの度合いは、それぞれの文化が歴史的に直面してきた社会的な脅威の大きさに関連すると調査報告書はコメントしています。日本の場合は、地震などの自然災害の頻度が多く、災害から立ち直るためには社会全体で協力しなくてはいけない。そのために世界で8番目くらいに厳しい社会的規律が必要であったということでしょう。そして、歴史的に常に外国からの脅威にさらされてきた韓国が5位であることも理解できます。

 社会的動物である人間は、他人の目(社会的規範)を気にします。日本人はとくにその傾向が強いのです。だからこそ、震災後、率先して行動する企業や人々の姿をみて、「いまは不安におびえているときではない」と誰もが考えられたのです。ボランティア活動をする、寄付をする、消費することで復興を経済的に支援しようと、活発に行動することができたのです。博報堂の消費者調査でも、「震災後は、消費をつうじた社会への参加で人々は復興の一翼をになう実感を味わい、自分たちの生きる活力を得ている」と分析しています。

 企業は戦う姿、努力する姿を私たちに見せつづけてほしい。

 そうすれば、私たち消費者も、不安に負けずに積極的に行動することができます。

 そういった意味で、奇異に感じるのは、震災後の日用品や食品メーカー(いわゆるCPGメーカー)の存在感の希薄さです。消費者に近いはずのメーカーの存在が感じられないのは、いったい、なんなんでしょうか?

 4月6日、静岡県の業務用洗濯機メーカーの社員が、大型洗濯機2台を積んだ大型車両で宮城県の避難所にのりつけ、被災者のかたたちの衣類を洗濯した・・・というニュースは見ました。でも、TVでよく宣伝している洗剤メーカーが、おなじようなことをしたという話は耳にしません。同じくTVコマーシャルをよく出しているシャンプー・メーカーが、バンを移動型ミニ美容院にして避難所を訪問し、被災者の方たちの髪をシャンプードライしてあげた・・・という話も耳にしません。スーパーやコンビニといった小売業者が、震災後の活動で、ライフラインの一部としての地位をすっかり確立したというのに、この落差はいったい何なのでしょうか?

 大半のCPGメーカーは、震災後は広告を自粛して沈黙していたと思ったら、広告を出す段になったら、まるで世の中には何事も起こらなかったかのようにフツーの広告を出す。

 消費者がいまの状況をフツーと考え「日常」と考えてしまったら、「売ること」はもっと大変になります。

 私は、きれいごとだけの企業の社会的責任(CSR)活動は好きになれません。企業は売上を上げ利益をあげることで社会貢献することが第一番です。しかし、いま、企業は自分たちのために、長期的観点にたって、コーズマーケティングやボランティア活動をすべきなのです。それによって、知名度を上げ、消費者のロイヤルティを獲得することも大切です。でも、一番重要なことは、自分たちが努力している姿を消費者にみせることで、消費者の行動を活性化し、国内需要のさらなる沈滞を防ぐことです。これこそ、CSRでなく、CSV(共有価値の創造)です。

 国内に投資をするのではなく、アジア市場に投資をしたほうがよいと思っているのかもしません。海外には積極的に進出して儲けてほしいと思います。が、いったん海外に出れば、いやでもおうでも、日本というブランドを背負うことになるのです。日本という国のイメージが「なかなか復興できない負け犬」になってしまったら、結局、自分たちのブランドもそのイメージを背負うことになるのです。

 復興支援はやっているというのなら、それを、外からも見える形でやってください。博報堂の消費者調査は、社会にどのような形で貢献するのかを、企業みずからが積極的に表明することの重要性を報告しています。それによって、消費者の共感と信頼を得るだけでなく、消費者に生きる力を与えるであろうと分析しています。

 東日本地震は869年に発生した貞観地震に似ているとされます。貞観地震のあと、地震は西に移動して878年には関東地震が起こり、887年には(いま予測されている)南海・東南海連動地震ではないかともいわれる大地震が発生しています。

 私たちは、もしかしたら、今後二十年近く、不安を抱えて生きていかなくてはいけないかもしれません。長期戦です。そして、不安に打ち勝つことができるのは、協力しあい助け合うときに人間が感じるポジティブな感情だけなのです。

 不安な時代には、企業はつねに消費者にメッセーにを送りつづけてほしい。自分たちも一生懸命やっているんだから、おまえたちも気を張って生きろよ!と語りつづけてほしい。そして、消費者が復興活動に参加できる機会や仕組みを提供しつづけてほしい。

 ヤマト宅急便やサントリーのように長期にわたるコーズマーケティングをする。内定を取り消された高卒者に就職のチャンスを与える。社員が交代で被災地でボランティア活動をする。節電対策に奮闘努力する・・・・・。

 日常レベルに落とせば、もっと、「売上」に直結したメッセージもあります。

 たとえば、マクドナルドは6月24日から夏季限定で炭酸飲料はどのサイズでも100円にするキャンペーンを開始しました。もちろん集客のためにやるわけですが、「暑いし、節電しなくちゃいけないし、疲れるよね。でも冷たいもの飲んで頑張ってね」というメッセージが感じられます。こういったメッセージには人間性を感じます。そして、社会的動物である人間は、人間性を感じられる企業には、信頼や感情的絆を感じることができるようになるのです。

 不安な時代にモノを売るためには、企業は、「人格」を明らかにしなければいけません。長年かけてつちかってきた「人格」で消費者に積極的に語りかける。その人格が消費者に受け入れられれば、不安な時代でも、モノを売ることに成功するはずです。

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参考文献: 1.「震災後、結婚相談が急増」朝日新聞 5/15/2011、2.「消費分析 応援で暮らし前向きに 博報堂調査、社会参加意欲強く」 日経MJ 6/22/11、3.「10年後の日本、よくなる 55%」 日経新聞 4/20/11、 4.Paul J. Zak, The Neurobiology of Trust, Scientific American June 2008、5、 Colin Camerer, et. al., Neuroeconomics: How neuroscience can inform economics、6.「文化の窮屈さ 日本8位」読売新聞5/28/11、7.Michale Haederie, The Best Fiscl Stimulus: Trust, Miller-McCune 4/9/10

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2011年4月13日 (水)

危機のさいのリーダーシップ、そして現場と本部

 

  「消費者の動きについていえば、今回の震災は、16年前の阪神・淡路大震災のときとはかなりちがう」と、ある大手通販経営者がおっしゃっていました。自粛期間が短い。最初の2週間はさすがにばったり注文がこなくなった。が、その後は順調に回復してきているそうです。

 その傾向は、調査結果にも出ています。日経MJ(4月6日)によると、地震発生から3週間をすぎたころから娯楽サービス施設への客足がもどり、映画館を運営するTOHOシネマズによると、3月最後の週末の観客数は前年同期の1.3倍になった。サントリーグループで飲食店チェーンを経営するダイナックでは、震災直後には通常の7割まで落ちこんだ客数が、3月最後の週には9割くらいまでもどったそうです。

 東日本大震災と16年前の大震災と、消費者の動きがちがうのはなぜでしょうか?

 消費行動が活発なのは、自粛することが結局は被災地復興に悪い影響をもたらすという考え方が、多くの一般市民に浸透したおかげでしょう。

 日経電子版の調査によると、「自粛ムード、いきすぎだと思いますか?」という質問に、「そう思う」と答えたひとは77.9%。「そうは思わない」と答えたひとは12.2%だった。若い年代ほど、自粛ムードはいきすぎだと考える人が多く、その理由は「経済がまわらないと被災地へのお金もまわらない」など、日本経済が立ちなおらなくては復興資金がでないと答える人が多かったという。

 一時の感情にとらわれた自粛ではなく、こういった理性的な考え方が若い人ほど浸透したのは、ソーシャルメディアのおかげでしょう。

 震災直後、かなり早い段階で、こういった意見はブログに書かれ、ツイッターやフェイスブックをつうじて広がっていった。ネット上に登場するキーワード検索では(ホットリンクの「クチコミ@係長」による分析)では、「自粛」や「巣ごもり」といった言葉は3月17日ごろにピークをむかえている。自粛の是非についての意見がネット上でとびかったのかもしれません。17日以降は、「宴会」「解禁」「パーティ」といった言葉の数がふえ、21日時点で震災前の84%まで回復しています(私も3月20日に自粛反対のブログを掲載させていただきました)。新聞やTVで、「自粛しないほうがよい」という意見がきかれるようになったも、このころからです。

 4月2日には被災地である岩手の蔵元がユーチューブに投稿し、「自粛をしないで、お花見をしてお酒をのんでください。被災地以外の方は普通に生活し、経済活動をすることが結果的には被災地の支援につながるのです」と訴え、アクセス数は37万件におよびました(4月10日現在)。

  一般市民である消費者の多くは自粛をしないほうがよいと早目に判断した。それに比べて、大手企業は16年前の阪神大震災のときと同じような判断をしたようです。こういう災害時には広告を自粛したほうが無難だと・・・・。

 ACジャパンの公共広告に批判が集まったのは、「同じような広告を繰り返されてうんざり」や「災害とまったく関係ないガンの広告を流すな」とか「♪ エーシーというどこかノーテンキなメロディーが不謹慎」などの理由による・・・といった表面的な受けとめ方をしてはいけないと思います。

 一般市民は、あの広告に、「ことなかれ主義」の匂いを敏感に感じとったのだと思います。「非常時に通常の広告を流して不謹慎だと批判されてはいけない。かわりに無難な公共広告を流しておけば問題ないだろう」という「ことなかれ主義」に、非常時だからこそイライラっとしたのだと思います。

 私たちは不安でした(いまでも不安です)。余震も続くし、原発も一触即発状態。不安なときに、人間は、人恋しくなるし、安心させてくれるような言葉を耳にしたくなるものなのです。枝野官房長官が落ち着きはらった態度で、理論整然と状況を説明するのをみると、内容に関係なく、なぜか安心できる心理だったのです。

 震災直前の3月10日の内閣支持率(フジテレビ調べ)は19.8%だったのが、震災後の3月17日に36.6%にまで上がった。ひとえに、一日平均5回の記者会見において、枝野長官が発信したメッセージのおかげだと思います。

 不安な人間は、理性では「ほんとに大丈夫なのかな?」と疑っても、「心配するほどの状態ではありません」というメッセージを聞いて安心したい・・・という複雑な心理状態にあったのです。

 静止画像でロゴと会社名が出ているだけでいい。音声だけでいい。なぜ、消費者に直接語りかけるようなメッセージを流せなかったのか? 「大惨事がおこりました。私たちの工場も損害を受けました。でも、一日でも早く商品をおとどけできるように頑張っています」とか・・・・。こういったメッセージは、「大変なのは自分だけじゃない。みんな頑張ってるんだ」と私たちを力づけてくれたはずです。そして、不安なときに、自分たちを安心させてくれた企業やブランドには「きずな」を感じることができたはずです。

 広告はメッセージであるという基本を忘れたのでしょうか?

 どんなメッセージをどのメディアをつうじて流しても批判するひとはいるでしょう。でも、それを恐れていて、これから、どうやって、ソーシャルメディアを手にした消費者とつきあっていくのでしょうか? 自分たちの商売にツイッターやフェイスブックを利用はする。でも、批判はコワイ・・・では、本当の意味でメディアをつかいこなしていることにはなりません。

 アメリカでソーシャルメディアを駆使しているといわれる企業は、批判の攻撃にさらされた苦い経験ももっています。あのスターバックスも「器具を洗浄するのに大量の水を無駄につかっている」というウワサが流れ、真実を証明するのに多大な時間をついやしています。家電量販店ベストバイのCEOは「ソーシャルメディアをつかって良い経験だけを楽しもうなんてことはできないのです。天気のよい日もあれば雨の日もある」と語っています。 

 一般市民はソーシャルメディアをつかい、自粛が被災者のためにならないという流れをすでにつくっていました。そんなときに、広告というメッセージを自粛し、「無難」な公共広告を流しつづけた企業は(ACジャパンは企業やメディア、広告代理店からなる団体です)、消費者と感情的につながった「きずな」を築くせっかくのチャンスを逃がした・・・と、私は思います。

 震災から一ヶ月。コーズマーケティングを採用する企業が続々とふえてきています。

  • 宅急便のヤマトは国内で扱う宅配便1個につき10円を復興支援に寄付すると発表した。2010年の実績から計算すると、1年で130億円の寄付になる。ヤマトは被災地でも、自衛隊に協力し救援物資の輸送を手伝うなど大活躍しました。現場のドライバーの自発的な動きだったそうです。
  • ファッションサイトのゾゾタウンは、3月15日にチャリティTシャツの販売を開始。1枚税込み2100円のTシャツを買うと、2000円が寄付される仕組み。ゾゾタウンで見習うべきところは、結果をきちんと発表していることです。176,988枚のシャツが売れ(購入者数94,270人)、寄付金額は353,976,000円で、どの団体にどれだけ寄付したかも細かく説明されています。それとは反対に、広告の下のほうに、「売上の一部を寄付します」と、とってつけたようなコピーを掲載している企業があります。この企業はいったいどういうメッセージを伝えたいのでしょうか? 「他の企業が寄付しているのだから、自分たちもしないとマズイのではないかと思って・・・」というメッセージしか伝わってきません。寄付するかしないかはあくまで自発的なもの。中途半端なメッセージを送るくらいなら、寄付うんぬんのコピーは書かないほうがよいと思います。
  • 流通大手イオンは発行している電子マネー「ワオン」の総利用額の0.1%を寄付すると発表。つまり、客がカードを利用すればするほど、寄付金額がふえることになる。イオンはがんばっていて、同グループ下の1150店舗で、「がんばろう日本! 東日本大震災復興支援 黄色いレシートキャンペーン」を4月8日に始めました。期間中に商品を買ってうけとった黄色いレシートを店内のボックスに投函すると、イオンがレシートの合計金額の1%を復興支援に寄付する。被災地にすこしは貢献できるし、消費者もそしてイオンにも得になる三者三得のコーズマーケティングです。

 ゾゾタウンがチャリティTシャツを販売したようなことを、ユニクロのような店舗販売がすれば、消費活動をより活発化することができます。なぜなら、巣ごもりする消費者でもネットでは買う。店舗チェーンを運営しているところが、コーズマーケティングをすれば、家にこもっている消費者を外にひっぱりだすことができる。いったん外に出た消費者は食事をしたりコーヒー飲んだり、他にも消費活動をしてくれるはず。高額品を買う中高年の消費者を外にひっぱりだす企画を、デパートや旅行業界などは考えてほしいと思います。

 現場はみんながんばっています。

 本題に入りたいと思います。

 震災で日本の「強い現場と弱い本部」が再認識された・・・と東京大学の藤本隆宏先生が書いていらっしゃいます(日経新聞3月29日)。・・・・「海外の友人たちからは、極限状況での日本の『現場力』に対する、驚嘆と賞賛の声が多く聞かれる。被災地の復旧現場、コミュニティ、生産現場などの秩序・互助・対策・実行の水準の高さと、対照的な一部企業や政府の中枢のもたつき。官民双方における、日本の『強い現場・弱い本部』症候群が、全世界により再認識された形だ・・・・

 日本の企業や政府組織において強いリーダーシップが発揮されていないことは、以前から指摘されてきたことです。

 が、そこで、ふと考えました。日本の組織の現場が強いのは、まさに、強いリーダーがいないからではないのか? ボタムアップの日本の組織においては、リーダーには組織全体のバランスを維持する調整役が求められていたのではないのか? 反対にトップダウンの欧米組織では、強いリーダーが存在するぶん、現場にはやる気がない従業員も多い。アメリカにおけるCEOと平社員の給与差は数百倍、場合によって500倍もの差がある。そのくせ業績が悪くなるとすぐにクビをきられる社員は不満をだきながら働いている。その点、日本の上場企業の役員報酬は従業員の4.5倍くらい(日経調査2010年)で、格差が少ない。

 こういった背景を考えると、日本の組織に、有事のさいに決断ができないリーダーがいるのも仕方ないのでは・・・?

 欧米では、2008年のリーマンショック以降、ビジネスマンむけの雑誌で、リーダーシップをとりあつかう記事が目立つようになりました。「不確実な時代における強いリーダーとは?」「危機におけるリーダーとは?」 といったようなテーマです。 2010年11月のハーバードビジネスレビューでは、「軍隊から学ぶリーダーシップ」という特集もありました。

 戦時や非常時に任務を遂行するときのリーダーは、

  1. あいまいな状況下においてもタイムリーに決断を下して行動する、
  2. 目的を明確に部下に伝達。ただし、どうやるかの実践は現場の判断にまかせる、
  3. 第一に任務の遂行。次いで、隊員全員を無事に帰還させる。自分のことは一番最後。

 ・・・・だそうです。どおりで、原発で一触即発の状況のとき、自衛隊や東京消防庁ハイパーレスキュー隊がたのもしく見えたはずです。

 欧米でリーダーシップ論がさかんになっているのは、不確実な時代においては、企業のリーダーも、(たとえば軍隊組織から)危機的状況におけるリーダーシップを学ぶ必要があるということなのでしょう。

 21世紀は不確実な時代です。いつなんどき危機的状況が発生するとも限りません。とくに、地震活動が活発化している日本列島では、マグニチュード7クラスの地震が毎年起こってもおかしくない状況にあるといわれます。やっぱり、日本でも、強いリーダーは必要です。そして、強い現場と強いリーダーと両方をもっている強い日本企業もあるわけで、そういった企業は、金融危機にも負けなかったし、今度の大震災でも、荒波を乗り越えて成長していくはずです。

 私たちは不安です。被災者の方たちのことを思えば贅沢だと思いながらも、大きな余震があると恐怖心を感じます。そのうえ、福島の原発はいつになったら安心できる状態になるのか?

 不安になると人間は内にこもったり(巣ごもり)、あるいは、「どーせ先の見えない人生なら、将来のことを考るだけバカらしい」と、せつな的に考えるようにもなります。アメリカでは9.11同時多発テロのあと、ダイエットしてきれいになってもしょーがない・・・とやけになる人が多く、結果、高カロリーだけどおいしい肉厚ステーキとか濃厚なアイスクリームを売る店が繁盛したといいます。

 人間は自分が努力すればなんとかなる状況では、それほど不安は感じません。自然災害とか原発とか、自分の力ではなんともできない状況だから不安なのです。そんなときは、とにかく身体を動かす。なんらかの行動を起こすことが、一番良い方法です。自分の家族の病気回復を祈って千羽鶴をおったり、神社でお百度参りをする習慣は、古来からの生活の知恵です。いま現在に集中して行動すれば不安を少し忘れていられるのです。

 被災地において、家を流され、工場を流され、店を流されても、翌朝にはガレキを片付けているひとたちがいる。売るモノもまだないのに、避難所をまわり御用聞きを始めた商店もある。地震列島日本に伝わる古来からの知恵です。

 放射能汚染の風評被害で野菜が売れなくなった福島の農家のひとたちは、自暴自棄にならず、いっしょに立ちあがっています。ネットで販売することにしたのです。「里山ガーデンファーム」には全国から注文が殺到し、、9日現在で購入者951人、野菜販売量7トンになったそうです。

 農家のひとたちは、「何もしていないときは不安でした。でも、ネットで、つくったものが売れるようになっただけでなんだかちょっと心がやわらぎました・・・」と、語っています

 東北の被災者、原発による被害者、そしてその方たちに比べるればずっと良い状況にある被災しなかった一般市民・・・・誰もが、(そのレベルに高低があっても)不安です。強い余震があれば、一度復旧した電気や水がまた止まります。それでも、日常の生活を平静につづけることが、いまできる最善の方法であると信じて、ヒステリーもおこさず、自暴自棄にもならず、冷静に前向きに行動をしているのです。

 「戦後最大の日本の危機」とか「第二の敗戦」・・・・とか週刊誌などでは書いていますが、そのタイトルは間違っています。私たち一般市民は、いま、まさに、戦争をしているのです。自分たちの不安や恐怖と戦いながら、少しでも前進できるように戦っているのです。

 一般市民が十分な武器ももたず、互いにはげましあいながら、前線に立って戦っているというのに、私たちのリーダーたちは何をしているのでしょうか?

 私はマーケティングのブログを書いているのであって政治の話はしたくない。まして、民主党とか自民党とか、どっちがよいかも関係ない。天災ではなく人災だったといわれる福島原発にしても、東電や政府の初動のミスだけが問題ではないはずです。原子力安全委員会、原子力安全・保安院、原子力委員会という似たような名前の委員会が3つもありながら、安全を死守する機能を果たせなかった。こういった体制がつくられたのは自民党政権下だったはずです。 なのに、互いに協力して、前線で戦っている一般市民を援護しようともしない。 

 条件をつけなければ協力しあえない与党に野党。互いに足をひっぱりあう与党内の議員たち

 自分たちが政権を握りたい、そのときは自分が首相や大臣になりたい、復興予算の分け前にあずかりたいといった私利私欲。過去の確執。保身に責任のがれ・・・・・・こういった党のリーダや派閥のリーダーに従っている民主と自民の国会議員も全員、同罪です。

 ハリケーン・カトリーナで壊滅的打撃をうけた被災地で陣頭指揮にあたった米沿岸警備隊司令長官はリーダーシップについてこう語っています。

 ・・・「自分自身の士気を高く維持しなくては、隊員たちの士気を高く維持することもできません。悲惨な状況をみて感情を動かされない人間はリーダーにはなれません。でも、感情にとらわれることで、自分たちの任務や目標遂行に悪影響を与えることがあってはならないのです。沈着であればあるほど、有効な決断ができます

 福島原発での放水作業をおえたあとの記者会見。東京消防庁の総括隊長は、「一番大変だったことは?」と聞かれて、涙をこらえるようにして、こう答えています・・・「隊員の家族に申しわけなかった。感謝とお礼を申し上げたい」。隊長は、任務を遂行するためには、隊員に死にいたるかもしれない行動を命令する可能性も覚悟していたのでしょう。家族が夫や父親を失うことを知りながらも、それでも、自分は冷静に命令を下さなくてはいけない。家族の気持ちに涙しながらも、その感情に動かされることなく、任務を遂行するためには命令を下す。それが、現場におけるリーダーです。(ただし、その場合、隊長は部下だけに危険をおかさせるようなまねは、決してしないでしょう)。

 一般市民が前線(現場)に立ち戦争をしているのです。私たちを率いるリーダーは官においても民においても、私たちに目標を示し、自分の意図を明確に語り、果敢な決断をするひとであってほしい。目標達成のためには、一時の感情に動かされることなく、冷静な決断ができるひとであってほしい。

 自分は国民の代表者だというプライドが少しでも残っているのなら、国会議員は全員協力して、被災地の復旧・復興を進め、福島原発の収束を進め、これから起きると予測されている地震から日本列島を守る防災対策を進めてほしい。

 マーケティングの観点からみても、与野党が協力して事に当たる姿を内外にみせることは、一般市民を安心させ(よって、消費活動が活発になり)、企業心理を好転させ、海外の企業や投資家を安心させる。日本の経済を立て直すのに、最も効果的なメッセージを発信することにつながると思います。

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参考文献: 1.「消費じわり日常へ」日経MJ4/6/11、2.「自粛行き過ぎ78%」日経新聞4/7/11、3、「現場重視を復興の起点へ」日経新聞3/29/11、4、「3・11不屈の国」日経ビジネス4/11/11、5、Leadership Lessons from the Military, Harvard Business Review Nov.2010、6.「新報道2001、今週の調査より」フジTVホームページ

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2011年3月20日 (日)

東日本大震災。「消費者」として「企業」として、いま、何ができるのか?(コーズ・マーケティング)

 

 東日本大震災の被災地のありさまを見て、1212年に書かれた「方丈記」を思いだした人が多いようです。

 私もその一人です。つなみで家がおし流され、ひとつの村や町が波に呑みこまれ、数百人の遺体が浜辺にうちあげられる・・・・こういった惨事をニュースで知り、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」で始まる(高校の古文のクラスで読んだ)文章を思いだしました。

 方丈記の筆者の鴨長明が生きた時代は、400年つづいた貴族社会が終わり、武士が政権を勝ちとった激動の時代でした。そして、また、天災の多い時代でもありました。

 都の3分の1が焼けて消失した大火災もありました。かんばつや洪水によって2年もの間、大飢饉がつづき、餓死してゆきだおれになった遺体の数を数えたら4万人にのぼった・・・と、方丈記には書かれています。しかし、なんといっても、すざまじかったのは、1185年におきた元暦の地震で、山はくずれ海はかたむき、大地がさけて水がふきだした・・・と、記されています。

 京都でおこった元暦の地震はマグニチュード7.4の規模だったと推定されています。

 「方丈記」には、この世の無常さ、人の世のはかなさが描かれています。この世に存在するものは常に移り変わっていく。朝には元気だったものが、夕には命を失う。一瞬たりとも同じ形でとどまるものなどなにもない・・・と。

 鴨長明の無常観は、多くの日本人が実感できる考え方だと思います。なぜなら、日本人は、農耕文明が始まったころから数えて3000年以上の間、自然がもたらす災害によって、自分たちが築いたものを数え切れないほど押しつぶされ押し流されてきているからです。

 以前、私は、「不安遺伝子」を持っている割合は日本人が世界最高だという記事を書きました。2009年に発表された研究によると、ヨーロッパ人で不安遺伝子をもっている割合は40~45%。それに比べて、東アジア人は平均して70~80%。そのなかでも、日本人は一番高くて80.25%です。

 日本人の不安遺伝子を持つ割合が、同じ東アジアの中国や韓国を抜いて一番なのは、地震の多い島国だからかもしれません。Wikiの地震表には、昔の文献に記された地震が年代順に並んでいます。一番最初に記録された地震は、416年に奈良で発生した地震で、これは、日本書紀に記されています。その後、出来事を記録にのこす習慣が一般化すればするほど、記録された地震の数がふえていきます。9世紀にはマグニチュード7以上の地震だけでも7回、17世紀には11回、19世紀には28回の地震発生が記録されています。

 地震列島にすんでいる日本人の不安遺伝子が高いのはあたりまえかもしれません

 しかし、また、日本人は、もう一度立ちあがろうとする不屈さも持っているはずです。そういった遺伝子が存在することを証明した研究はありません。が、すべてを失った廃墟のなかで我慢強く耐え、そのなかから再び立ち上がろうとする気力や明るさを生み出す神経回路が、私たちの脳にはつくられているのかもしれません。

 なぜなら、これだけ多くの天災を経験しながらも、そのたびごとに再度立ち上がってきたではありませんか。

 日本人は無常観を知っています。でも、それは、人間は生きて死ぬ運命にあり何をしたってどうしようもないんだ・・・と、あきらめることではありません。そうでないことは、今回の大災害の被災者の方たちを見ればわかります。自分の目の前で家が呑まれ、手をつないでいた親や子供が呑まれ、気が狂いそうな経験をしながらも、なんと静かに受けとめていらっしゃることか・・・・。そして、多くの方々が、「また、がんばらないと・・・」とさえも口にしていらっしゃる。

 西洋人は自然と対決して自然を征服しようとするが、日本人は人間も自然の一部だと考える・・・とよくいわれます。この説には100%は賛成できません。人間と自然を対立するものとして考える・・・と、きめつけられるのには納得できない西洋人も多いと思います。ただ、はっきりいえることは、日本人は、くりかえされる地震災害の経験から、自然の前での人間の無力さを痛いほど知っているということです。そして、自然の力を畏れるからこそ、自然がした災いは、自分の運命としてあきらめるしかないと考える。だから、なにかを憎しみや怒りの対象にしない。だから、また、生きていかなくてはいけないと思うことができるのです。

 日本人は昨日のことはあきらめる(諦観する)。でも、明日のことはあきらめない(ギブアップしない)のです。

 私たちは被災地の人たちに何をすることができるのでしょうか? 

 私はマーケティングに関するブログを書いています。ですから、その観点から、消費者や企業は何ができるのか考えてみたいと思います。

 ユニクロのファーストリテイリングが14億円(このうち10億円は柳井会長個人から)を寄付すると発表しています。任天堂、トヨタ自動車、日本たばこ、楽天、ソニーも3億円の義援金を寄付するといち早く発表しました。ソニーは、全世界のソニー従業員から寄付金をつのり、その募金総額と同等の金額も寄付するとも発表しています。これを、マッチング・ギフトといいます。従業員が500万円集めたら、同等の額を会社も出し、合計1千万円寄付することになります。

 企業や個人からの寄付はいますぐ必要なことです。そして、現地がもう少し落ち着いたら、ボランティア活動です。スターバックスは、2008年に、アメリカで最も大規模な従業員ボランティア活動を実行しました。ハリケーン・カトリーナが壊滅的ダメージをあたえたニューオリンズに、全国から1万人の店長を集め会議を開くとともに、ハリケーン被害からいまだ復興が進んでいない地域において、述べ54000時間のボランティア活動をしました。

 当時スターバックスは企業として苦しい状況にありました。リーマンショックの影響もあり、来店客数が落ち、ブランドイメージも落ち、株価は48%にまで下がりました。会社を再建するためにCEOに復帰した創業者ハワード・シュルツは、経費がかかりすぎるという反対を押しきって、1万人の店長をニューオリンズに集めたのです。シュルツCEOは、あとで、雑誌インタビューに答えて、こう語っています・・・・「ボランティア活動をしたことが、会社再建の転機となりました。被災地の復興の遅れた地域で子供たちの遊び場をつくり、整地して木も植えました。家も住めるように修復しました。こういった活動を通じて、店長たちは、スターバックスが本来もっていた企業文化や価値観を思いだすことができたのです」。

 会社が危機的状態にあること、そして、その問題を解決するのは誰でもない従業員一人一人の責任であること。ボランティア活動をとおして、リーダーシップとは何かを、従業員が学ぶことができたと語っています。

 ひとつの企業がこれほど大規模な従業員ボランティア活動をした例はなく、メディアにもとりあげられ、それがスターバックスのブランドイメージ回復のきっかけになったことも事実です。しかし、外部へのPRは本来の目的ではありません。シュルツCEOは、ボランティア活動をすることで、スターバックスの従業員であることへの誇りと自信を取りもどしてほしかったのです。

 被災地でのボランティア活動は、企業やブランドの知名度向上やイメージ向上に役立つことでしょう。しかし、それよりも大切なことがあります。信じられないほどの苦難のなかで力強く生きようとしている人たちに接することで、グローバル競争のなかで、ともすると自信をうしないかけていた従業員に日本人であること、いや、人間であることの誇りや自信がもどってくるかもしれません。被災した方たちを助ける活動をとおして、逆に、自分たちが被災した方たちにはげまされることは、よくあることです。

 そして、私たちは、日本の景気をよくすることを考えなくてはいけません。被災地の復興にはお金が必要です。数百年に一度という規模の地震やつなみが起こったとしても耐えられるような街づくりをするのです。莫大な資金がいります。一時的に善意の寄付がどれだけ集まってもまかなえるものではありません。これは、国家プロジェクトです。税金を払える財務的に健全な企業と市民が多く存在しなければ支えていけないプロジェクトです。

 このプロジェクトを実現するためには、企業に、売上・利益を伸ばし、雇用をふやし、従業員への給料をふやしてもらわなければいけません。

 コーズ・リレイテッド・マーケティングというのがあります(Cause Related Marketing。短くしてコーズ・マーケティングともいう)。コーズ(大儀)、つまり、世のためひとのためにするマーケティングです。

 コーズマーケティングは6つのタイプに分けられます。そのうち、企業が売上を上げながら寄付金を募ることができるのは、販売商品やサービスの一定金額や一定割合を寄付するタイプのものです。この種のコーズマーケティングを有名にしたのが、アメリカン・エキスプレスの1983年のキャンペーンです。「自由の女神」修復のための資金を集めるもので、会員がアメックスのカードをつかうたびにアメックスは1セント寄付します。結果、カード会員数は45%増、カード利用 も28%増加。そして、自由の女神はアメックスから170万ドルうけとりました。

 インド洋のつなみ災害のとき、スターバックスは、通常は$10.15するスマトラコーヒー1袋を$2で販売。売上は寄付するキャンペーンをしました。この場合、利益は出なかったかもしれませんが、スマトラコーヒーを買いにきた客が他の商品を買っていくことが考えられます。米セブン・イレブンは、店においてある募金箱に25セントいれてくれれば、企業も25セント足すというマッチング方式を採用し、客から寄付金50万ドルを集め、同じ金額を足して合計100万ドルを赤十字に寄付しました。この場合も、店舗にきてもらえば、商品をついで買いする可能性が高いわけですから、売上には貢献するはずです。

 災害への寄付金をつのるときに、アメックスのようなタイプのコーズマーケティングをすると、企業が市民の善意を利用してもうけている・・・という批判がでることもあります。そういった批判をさけるために、マッチング方式がよく使われます。この方式だと、売上があがっても利益が少ないあるいはゼロの場合もあるので、会社は自分たちが寄付する限度額を最初から宣言しておきます。災害募金の例ではありませんが、メーシーデパートは2008年のクリスマスシーズンに、店舗においてある郵便箱にサンタクロースへの手紙を投函すれば、1通ごとに$1、「子供の夢をかなえる」財団に寄付をする。ただし最高寄付金額は100万ドルまでと宣言しました。2008年は金融危機が発生した年。デパートにクリスマスショッピングに来る客の数も減るであろうことが予測されました。こういったキャンペーンをすることで、来店客がふえ、ついで買いをしてくれることが期待できます。

 いまは広告活動をさしひかえている企業も、原発の問題がある程度落ち着いたら(なにがなんでも、落ち着いてほしいと切に願っています)、広告を出すようになるでしょう。でも、以前の広告は不真面目すぎないかとか明るすぎないかとかいろいろ迷うことでしょう。、コーズマーケティングの広告にしたらどうでしょうか? シンプルなものでよいのです。本物の社員が登場して、こういったキャンペーンを始めることにした理由を述べ、「ジーンズ1本をお買いあげになるごとに、会社がXX基金に100円寄付する・・」と訴える。デパートやファッション、化粧品メーカーなどは、被災地復興プロジェクトを象徴するジュエリーピンをつくって1000円とか3000円で売り、コストを引いた残りを寄付するのもよいでしょう。

 米P&Gは洗剤「タイド」でコーズマーケティングを展開しました。客は、買ったタイドのキャップに記されているURLにアクセスし、同じくキャップに印刷されているコードを入力することで、被災地のひとたちに励ましのメッセージを送ることができます。P&Gはタイドが売れるごとに10セントを拠出し、集まったお金で、避難所で暮らすひとたちの衣服を洗濯し乾燥できる設備を搭載したライトバンを被災地に派遣するサービスを提供します。

 工夫しだいでさまざまな形のコーズマーケティングができます。

 最近、「被災地の方たちのことを考えると洋服なんか買う気にもならないわ」「そうよね。もう贅沢なんかできないわ」という会話をよく耳にします。その気持ちはよくわかります。が、しかし、被災しなかったひとたちの消費活動が停滞すれば、日本の経済は冷え込むばかりです。兆単位の復興予算を、いったい、どうやってまかなうのでしょうか?

 市民-消費者(citizen-consumer)という言葉が、アメリカでよく使われるにようになったのは、9.11同時多発テロのあとからです。記者会見で、「この悲惨な状況において、アメリカ市民に何ができるのか?」と質問され、ブッシュ大統領が「これまでどおりの消費活動をつづけて、アメリカ経済を維持してほしい」というようなことをコメントしたといわれます。その後、ブッシュ政権がイラクに進攻したこともあって、市民の消費者としての役割を強調することには批判もあります。しかし、アメリカや日本といった先進国においては市民の消費活動はまさに国の経済のエンジンなのです

 日本市民には活発な消費活動をしてもらわなくてはいけません。だからこそ、企業は、モノを買ったりサービスを利用することに、市民が罪悪感や後ろめたさを感じないように工夫しなくてはいけません。「自分が消費することが、結局は、被災者の方たちのためになるのだ」と実感できるような仕組みをつくってあげなくてはいけません。

 コーズマーケティングを利用してください

 日本経済を良くしていくためには、エネルギー問題とか根本的に考えなくてはいけない大きな問題があることはわかっています。しかし、経済は心理で大きく動きます。日本人が元気な消費活動をし、企業も元気にマーケティング活動をしていることを見せれば、内外の投資家はすぐに反応します。株価が戻ります(その証拠に、原発で、自衛隊のヘリが空から放水を始めたというニュースだけで、暴落していた株価が上がりました。福島原発の問題が改善したわけでもないのに、改善するための活動を始めた・・・というだけで投資家の心理は変わるのです)。株価が上がれば、企業はより積極的なビジネスを展開できます。

 いま、重要なことは、消費者も企業も活発に行動する意欲があることを内外に見せることです。

 かりゆし58が「さよなら」という歌(作詞・作曲 前川真悟)をうたっています。その歌詞のなかで、心うたれる言葉があります。

       命は始まった時からゆっくり 終わっていくなんて信じない

       ぼくが生きる今日は もっと生きたかった誰かの

       明日かもしれないから

 自分の家族、友人、隣人、毎日挨拶をかわした人たちが一瞬のうちに、この世から消えた。被災地のかたたちは、もっと生きていたかったであろうひとたちの無念の思いを痛いほど感じていらっしゃることでしょう。そして、生きている自分は、亡くなったひとたちのぶん、一生懸命生きなくてはいけないと思っていらっしゃるのではないでしょうか・・・。

 亡くなれらた多くの方たちの想いを胸に、私も一日一日をしっかりと生きていきたいと思います。                                  

                          
 

参考文献: 1.Adi Ignatius, We had to own the mistaked, HBR July- Aug 2010, 2. Alan Cooperman, Cause and Effect, Washington post.com 1/26/05, 3. Mark Dolliver, Cause Marketing's still all to the goods, Adweek 9/28/10, 4. Stuart Elliott, For casues, it's a tougher sell, The New York Times, 11/11/09, 5. Inger Stole, Cause-related markeing: Why social change and corporate profits don't mix , PRWatch 7/14/06, 6. Elizabeth Arens, From citizen to consumer, Hoover Institution Stanford University 4/1/03

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2011年3月 7日 (月)

なぜ、それに気がつかなかったのか? (サントリーの化粧品とマックのクーポン、そして石原都知事)

Stnd007-sサントリーが2010年3月に化粧品「F.A.G.E(エファージュ)」を発売しました。

 一流メーカーが、たいして差別化もされていない化粧品を手に、通販市場にぞくぞくと参入する状況には、はっきりいってあきれます。が、サントリーの新聞広告をみて、「さすがだな」と思いました。(って、広告を見てから一年たってから、書くなよ・・・ってつっこまれそうですが)。

 なにが「さすが」かというと、広告のヘッドライン。「60代。ハリは本当に無理でしょうか?」と、60代むけの化粧品だとはっきりと宣言したことです。いろいろテストをしているのでしょうが70代という言葉をつかっている広告も目にしました。

 中高年以上を対象とする広告の場合、年齢にはふれないことが常識でした。理由を2つあげます。

  1. 女性をターゲットとしている場合、年齢を明らかにするのはタブー
  2. たとえ、主要ターゲットが60代以上だとしても、それを明言して、売り手みずから門戸を狭めるのはバカげている。「お手入れで肌はまだまにあう」となんとなくぼやかしておけば、40代や50代でハリが気になっているひと(って、ほとんど全員だけど)たちが、注文してくるかもしれない。

 しかし、1番目のタブーに関していえば、これはすでにタブーではなくなっている。ファッション雑誌も昔は、結婚して子供ができたら「ミセス」とか「家庭画報」とかきまっていたが、いまでは、30代は「Very」、40代は「Story」・・・と年代ごとに異なる雑誌が発刊されている。、2007年には50代以上の読者のための「プレミアムクロワッサン」が登場し、2008年には「Hers」が創刊された。両雑誌ともに表紙モデルには50代以上のセレブをつかい、表紙コピーにも「50代は赤色がにあう!」とか、年齢がはっきりと書いてある。

 2番目のタブーについていえば、飽和状態にある通販化粧品市場のなかで、60代という言葉をつかうことによって他社ブランドと明確な差別化ができた。

 通販広告をだせばわかることだけれど、たとえば読売夕刊の東京版200万部にモノクロ一面広告を出したとして、注文してくれた客のその後1年間の平均累計購買金額と粗利益率を計算すれば、たぶん、注文率が0.01%~0.03%くらいならOKとかいう話ではないかと思います。

 通販広告を出して実感することは、ビジネスというのは、なんとわずかの割合の人間に強くアピールすることで成り立っているのかということです。新聞読者200万人のうち、年齢・性別上のターゲットが23%の46万人。販売商品の価格からして、そのうちの30%の14万人が購買確率の高い層。広告に注目してくれるのは、その半分だとして7万人。そのうち、実際に注文するという行動をとってくれるのは1%(600人)にも満たないのだ。

 通販広告のクリエイティブを考えるときには、「万人に受けようとか、みんなに好かれようなんて思わないこと」とよくいわれます。自分のターゲットに「あなたに話しをしてるんですよ!」とわかるような広告にしろともいわれます。考えてみれば、イメージ広告だって、同じことです。が、人間は、たとえ一部のひとたちからでも嫌われたくないので、ついつい、誰にも拒まれないような広告をつくってしまいます。

 そういった意味で、「エファージュ」の広告は、年代を書くことでターゲット客だけの注目を獲得しよう・・・という当たり前のことだけど、ちょっぴり勇気がないとつくれない広告です。「そうだよね。もう、年代を書いたっていいよね」と気づかせてくれました

 つぎは、マクドナルドの話です。

 マックのケータイクーポンの人気は高く、携帯クーポンメールに登録している数は2000万人。この数は外食産業のなかでも、あるいはTSUTAYAのようなレンタルショップと比べても、だんとつNo.1だそうです。マックは紙のクーポンを新聞チラシで配布もしています。が、紙のクーポンは印刷費を含めて経費が高く、2009年には18億円もかかりました。そういうこともあって、紙のクーポンの割合をへらし、2010年には、紙とデジタルクーポンとの比率は15%対85%になっています。

 デジタルクーポンにも2種類あって、注文するときに画面を店員に「見せるクーポン」と「かざすクーポン」があります。2008年から力をいれている「かざすクーポン」なら、読み取り機にケータイをかざすだけで、店員と話さなくても注文は完了し、厨房に注文内容が伝送される。支払いも電子マネーをつかう客なら、再度読み取り機にかざすだけですべてが完了。これは、接客時間の短縮から人件費の節約、そして利益の向上につながります。 

 そして、顧客も安い値段でバーガーが食べられる・・・と、ここまでが、よくいわれるクーポンがもたらすメリットだ。

 が、もうひとつ、大事なことがあります。

 それは、価格感度(価格感受性 price sensitivity)の高い客と低い客とを分けて、同じ商品を、異なる値段で販売できることだ。

 低価格でなければモノは売れない。だが、誰もが損する不毛な低価格競争にはおちいりたくない。だいたいにおいて、安くなければ買わないひともいれば、50円や100円の違いなど気にしないひともいる。そして、こういった価格感度は所得とか職業といったデモグラフィックなプロフィールとは、ふつうに考えられているほどには強い関係がないのです。

 売る側からの理想をいえば、価格感度の高いひとたち、つまり、安くなれば買う傾向が高くなるひとたちには割り引いて売り、価格感度の低いひとたち、つまり、安くしなても買う傾向に変化のないひとたちには定価で売る。これなら、増収増益を実現することができる。

 日本マクドナルドは、2007年に地域別に異なる価格で販売する戦略をとり話題になりました。地域別価格は、デマンドベースプライシング(demand based pricing 需要に基づくプライシング)のひとつ。デマンドベースプライシングのなかには、消費者の価格感度にもとづいて価格を上げたり下げたりする手法もある。

 地域別価格は日本ではあまり問題にならなかった。が、オーストラリアのマクドナルドは、2009年に、貧しい地域のバーガーの価格を高くしたと批判されました。そのとき、CEOが「その地域のひとたちがバーガーの値段が高すぎるからもうマクドナルドにはいかないということになれば、(デマンドベースプライシングの戦略にもとづいて、自然と)値段が下がります」と答えている。 (アメリカやオーストラリアでは低所得者層がファストフードを食べる頻度が多く、その意味で、ハンバーガーに対しての価格感度は低い。だから、低所得者層地域の価格が高くなったのだ。CEOの発言は、価格が高くなって来店客数がへれば、デマンドベースプライシング手法にもとづいて、自然と、価格はまた下がる・・・という意味)。

 デジタルクーポン配布による割引は、価格感度の高い客はクーポンをつかうし、低いひとは手間隙をメンドクサイと考えてつかわない。だから、誰がクーポンを使うか使わないか、また、その頻度によっても、客を価格感度で分けることができる。それによって、割引率や割引額を一人一人変えることもできる。

 デフレ環境で商売をするときに、客の価格感度のレベルを知ることは、利益を出しながら低価格商品を販売していくときに重要な情報となる。

 ただし、オーストラリアの例でもわかるように、デマンドベースプライシングは売り手にとっては理想的な戦略だが、へたをすると、消費者から不公平だと不満がでる。その点、クーポン、とくにデジタルクーポンだと、外部からは、どのような差別化がなされているかはすぐにはわからない。

 クーポンが各顧客の価格感度を知るデータ源になれることには、あまり、気がつかない。

 最後に、3番目の「なぜ、それに気がつかなかったのか?」です。

 3月3日付け読売新聞によると、東京都の石原都知事が4選不出馬の意向を自民党に伝えたそうです。そのとき、「東京の指揮官というのはいざというときに10階まで駆け上がらなければいけない。自分にはそれができない」と語ったそうです。

 企業の社長やCEOでいくつになっても辞めないひとがいます。老害だと陰で批判されても、自分は体力的には衰えていても、頭はしっかりしていると主張します。たしかに、頭脳が明晰かどうかの判断は、個人差もありむつかしいところです。しかし、しょせん脳は肉体の一部です。そして、いまは、グローバル時間で頭脳を働かせなくてはいけない時代です。夜中の三時に起きて重要な判断をしなくてはいけないかもしれません。体力がなかったら勤まりません。

 そういった意味で、「いさというときに10階まで(駆け上がらないまでも)休むことなく一気に登れる」かどうかは、不公平のない基準ではないでしょうか? 

 それができなくなったら引退する。「自分は年だけど、頼りにならない若いものよりはマシだ」とか、「経験やネットワークでも若いものには負けない」とか、あーだ、こーだとややこしいことを言わなくても、こんな単純な基準があったんだ!

 ・・・ということで、マーケティングは単純が一番! シンプルなことができないのは臆病になっているか(客を価格感度で分けるのもけっこう勇気がいります)、あるいは、考えすぎかどちらかですね。

 そして、同じく、引退するとかしないとか、自分の人生をきめるときも、単純な条件で線引きをするのが一番! うっう、オチのつけかたがちょっとクルシィ~(だいたい石原都知事もタヌキだから、ケムにまくようなことを言っておいて、ふたを開けたら、立候補しているかもしれないし・・・)。

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参考文献:1.「石原都知事、4選不出馬・・・・自民に伝達」、読売新聞3/3/11、2.ファストフード、もっと安く・・・携帯クーポン、会員向け充実」、日経新聞2/3/11、3.「売れない時代にファンを増やすサービスの染料力」、月刊激流 7/1/10、4.Michael Mullins, Burger bugger's price hike spin, 3/2/09

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2011年2月15日 (火)

CSR(企業の社会的責任)からCSV(共有価値の創造)へ。そして、なぜか、イクメンとネットスーパーの話。

Stnd007-s イクメン(子育てに積極的な男性。育メン)とネットスーパーの話が、CSR(Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任)とかCSVなんて聞いたこともない頭文字語と、どういう関係があるのか?

 もはや、CSR(企業の社会的責任)の時代ではない。これからはCSV(Creating Shared Value、つまり、共有価値の創造)が企業の目的だ・・・・と、「競争戦略論」で有名なマイケル・ポーターが、最新のハーバードビジネスレビュー(2011年2月号)に書いている。

 CSR(企業の社会的責任)という言葉で、企業に、社会のためにあれしろこれしろと要求ばかりつきつける風潮は、私は基本的にきらいです。だいたい、企業の社会的役割・・・とかについて書いている記事は退屈なものが多い。まことに恐れおおいことではありますが、マイケル・ポーター教授の記事も最初の数ページで眠くなって途中で止めようかと思いました。

 でも、ふと、思いだしたのです。セブンイレブンジャパンが高齢者に多い「買い物弱者」対策として、食品や日用品、あるいはまたクリーニングの宅配サービスを提供する実験を始めた・・・という新聞記事を思いだしたのです。

 そして、マイケル・ポーター教授の提案するCSV(共有価値の創造)論で、日本の少子化とか高齢化の問題を考えるのもよいのではないか?・・・・と思ったのです。(マイケル・ポーター教授は、1月に開催されたダボス会議「世界経済フォーラム」では、環境や貧富の格差の問題に応える考え方としてCSVを提議しています)。

 ということで、まず、最初に、ハーバードビジネスレビューの記事をごくごく簡単に紹介します。

 といっても・・・・「従来の資本主義システムは機能不全におちいった。グローバルな経済成長を達成するためには、企業は、社会と経済の成長をつなぎあわせる「共有価値」を創造する観点から考えなくてはいけない。そうすれば、イノベーションや有機的成長を達成しながらも、社会にも利益を提供することができる(ね? こういったテーマっておさだまりで退屈ですよね)」・・・・という大きな話なので、あくまで、簡単に紹介します。

 CSR(企業の社会責任)という観点だと、企業は「コストがかかるけれど、それをしないと社会的評判が落ち、悪くすると消費者やメディアから非難され、結果、ビジネスに悪影響をあたえる。だから、一定レベルの社会貢献をやらなくてはいけない」と考える傾向が高くなる。同じように、政府や行政機関は、「環境とか雇用の問題で、社会に不利益をあたえないように、企業をあるていど規制しなくてはいけない」と考える。 そして、企業は、つぎからつぎへと増えていく規制によって、成長がさまたげられる・・・と考える。

 じっさい、日本でも、そういった規制がビジネスの成長をさまたげていることは多い。 

 CSRとCSVの違いを明確にするために、マイケル・ポーターは、フェアトレードを例にあげる。企業がフェアトレード生産物を購買するのはCSRです。たとえば、チョコレートの原料となるカカオ豆への代金として、(資本家に搾取された不当に安い価格ではなく)公正だと認定された価格を農家に支払うことで、アフリカの貧しい農家の収入をふやす。こういったフェアトレードのしくみは、企業にとっては、従来よりも仕入れ価格が上がるわけで、農家の収入がふえるぶんだけ、企業側のコストがふえる。よって、プロセス全体として生みだされる価値は変わらない。だが、CSVの考え方では、農家に新しい技術を教え機械を導入したりすることによって、生産量をふやし豆の品質をよくすることを目指す。よって、農家にとっても企業にとっても利益が増大する、つまり、全体として新しい価値が生みだされたことになる。シェアできる価値の創造・・・Creating Shared Valueです。

 アフリカのコートジボアールでの試みでは、フェアトレードのしくみで農家の収入は10~20%増加した。が、CSVの考え方で投資した結果では、農家の収入は300%も増加したという。

 それで? コートジボアールで農家に投資した企業の利益は? と聞きたくなりますよね。投資ですからね。結果が出るには少し時間がかかります。

 だから、結局、いままでのところ、CSVの成功例というと、1)ウォルマート・・・・トラックの配送ルートの効率化をはかることで走行距離数を1億マイル短縮。よって、2億ドルのコスト削減に成功。そのうえ、環境にも貢献した、 2)コカコーラ・・・世界的に水の消費量を、2004年に比べて9%減少。ダウケミカルは最大生産拠点において、10億ガロンへらすことで、400万ドルのコスト削減に成功。 3)ジョンソン&ジョンソン・・・従業員の禁煙を手助けするプログラムを提供することで、医療保険負担を2002年から2008年にかけて2億5000万ドル削減。

 こういった成功例をみると、企業が地域社会と協力し合うことで価値を創造する・・・という例はあまりみあたりません。やはり、協働作業はむずかしいということでしょう。自社の社内活動に投資して、コストをへらしながら、環境とか従業員の健康とかで価値を生みだすほうがてっとり早いようです。まあ、当たり前といえば当たり前ですが・・・。

 自社以外の共同体に投資をして、協力しあいながら新しい価値を生みだすということはなかなかむずかしい。とはいえ、インドにおけるユニリーバのように、貧しい農村の女性たちに、ユニリーバ商品を訪問販売するという自活の手段を提供しながらも(投資は小口資金の融資と訓練)、インドの人口の70%が住むという地方の田舎市場に浸透し、売上をあげている例もあります。

 ここで、やっと、ネットスーパーの話にうつります。

 ネットスーパーというと、赤ちゃんのいる主婦や高齢者で買い物ができないひとたちが、重い物やかさばるものを注文できて便利だという。だが、ネットスーパーを運営しているイオンやイトーヨーカドーの実情からも明らかなように、トイレットペーパーとか紙おむつや洗剤を買ってもらっても、利益はでない。共稼ぎ夫婦で、ある程度の収入があるひとたちに、粗利益率の高いワインとか高級食材などを買ってもらうことによって、初めて利益が出る。つまり、いわゆる「買い物弱者」といわれるひとたちに宅配サービスをしていては、人件費がかかるばかりで、企業の利益につながらない。

 イトーヨーカドーと同じセブン&アイ・グループに属すセブンイレブンが、東京都内の高齢化の進んでいる地域の集合住宅5000世帯を対象に、2月から半年間の実験を始めた。お年寄りでもつかいやすいタッチパネル式のタブレット型端末で(NTT東提供)、日用食料品を注文してもらい配達。また、家事代行の会社と組むことで、クリーニングや洗濯・清掃サービスなどもうけつける。「買い物弱者」を支援しながらも事業として成立するビジネスモデルの構築をめざす。

 通販大手のニッセンも、東京都の離島などでカタログを集中的に配布し事業化のテストをしているそうだ。総務省によると、日本の過疎市町村の人口は約1100万人。ニッセンのこれまでの経験によると、こういった地域の利用客の年間購入金額は顧客全体の平均金額2万4000円を上まわる。だから、過疎地域で通販ビジネスを成功させれば、地域社会に貢献するだけでなく、うまくいけば、10億円単位の増収効果が期待できると考えている。

 セブンイレブンやニッセンは、利益をだしながら社会的価値を生みだす方法を考えているようだ。つまり、すでにCSVを実践しているわけだ。だが、総務省の統計によると、過疎市町村に住むひとたちは約1100万人。経済産業省の推計によると、国全体で、年齢、その他の理由で日常の買い物に困っている「買い物弱者」の数は約600万人。

 日本の人口の10%に近いグループが困っているのだ。「買い物難民」とか「買い物弱者」の問題を解決するのは、やっぱり国や地方の行政機関の仕事でしょう。

  セブンイレブンはコンビニの未来像として、行政窓口や交番のような役割をもつ拠点となることを考えているそうだ。たしかに、サービス業者としての経験をつんだ民間企業がこういったサービスを提供するほうが、行政機関の訓練の行き届いていない公務員がするよりもよい。効率もよいだろうし、サービスを受ける市民にとっても気持ちのよいサービスを受けることができる。

 行政機関はこういったサービスを民間企業に委託すればいい。そして、助成金とか交付金ではなくて、食品や日用品品配送1件ごとにいくらという形で委託金を払う。それなら、お金の使途明細もはっきりする。こういった委託金を払うことで、地方の中小企業を含め、より多くの企業に、セブンイレブンやニッセンのようなCSV活動に参加してもらうことができる。

 イクメンの話もおなじように考えてみます.

 厚生労働省が少子化対策の一環として、2009年6月に改正育児・介護休業法を施行しました。厚労省の調査によると、夫の育児時間が長い家庭ほど、第2子出産割合が高いそうです(まあ、当然のことですが・・・)。この法律ができたことによって、2009年には1.72%だった男性の育児休業取得率を、20年度には13%までひきあげることを目指しています。

 日経新聞の調査によれば(20~60歳代の男女会社員1000人調査)、男性が育児休暇をとることへの賛成は84%もある。だが、実際にとるつもりだと答えたのは、20代から40代は3割弱。しかも、期間は2週間から1ヶ月未満が4割と圧倒的に多い。取らない理由としては、「収入の減少」と「同僚に迷惑がかかる」がどちらも40%弱。「出世にひびく」というのもあるし、「他のひとたちが取らないのに自分だけは取りにくい」というのもあります。

 そりゃ、そうだよね。会社の上司だっていやな顔をするひとも多いだろうし。法律的には問題なくても、人事考査上では「要注意」あつかいされるかもしれない・・。

 企業だって、男性が育児をすることが出生率改善によい影響をあたえ、ひいては内需拡大に貢献する。日本社会にとってすごく良いことだ・・・とわかっている。だが、長期的かつ間接的好影響よりも、いま、ここにある直接的悪影響のほうを重要視してしまう。だが、イクメンがもたらす、短期的かつ中期的な良い効果もあります。

  1.  男性従業員の思考の多様化や想像力や創造力の向上です。男性は、高校や大学卒業後は、会社という組織内だけに人生経験が限られることが多い。企業人としての狭い観点だけでは、ビジネスへの貢献度も限られてくる。私自身の経験からいっても、男性従業員は、消費者としての観点から考えられない人が多い。つねに、メーカーである作り手とかサービス業なら売り手の立場でしか考えられない。買い手としての視点を欠いている人が、女性より多いような気がします。
  2. 女性従業員が出産を機に退職してしまう比率を下げる。内閣府の調査によると、日本企業では、第1子出産を経ても仕事を続ける女性の比率は25%。約40%が会社を辞める。女性の割合が多いサービス産業においては、とくに、経験をつんだ女性従業員が辞めることは、企業にとって、人材育成コストの多大な損失となる。

 育児と仕事を両立させやすい環境をととのえることが、社会的価値をうみだすことに反論するひとは余りいないだろう。そして、それは、企業に、内需拡大から女子従業員の退職率の減少まで、上記3つの利益をもたらす。が、このうち、数字で結果が短期的に出てくるのは、女子の出産後の退職率くらいだ。X%のコストが削減されたとか、退職率がX%減少したとか、そういった数字がでないプロジェクトに、企業が投資することは、むずかしい。

 CSVの考え方でいけば、企業も価値を感じられるプロジェクトでなければいけない。だから、政府も、プロジェクト推進に協力してくれる企業に助成金とか給付金といわれるお金を与えるようにしている。社内託児所をもうけた場合とか、短時間勤務制度をつくった場合・・・とか、いろいろな事例によって助成金を提供している。こういった金額を思い切ってふやせばいい。助成金は税金からでる。だが、子供手当てとかいう使途が明確でなく費用対効果がはっきりしないものより、使途を限って与える助成金のほうがいい。企業は、出生率向上という国家的目標を達成することにおいて、厚労省の仕事を肩代わりしているようなものなのだから・・・。

 そのうえで、名の知られた企業の中間管理職以上のひとたちのなかで、介護休業をとってもらい、(率先して育児休暇をとった広島県知事のように)大々的にメディアでとりあげてもらう(日本の著名企業の管理職の平均年齢から考えて、育児休業は、ちょっと・・・・ムリ?)

 育児休業をとりたいと部下からいわれてしぶい顔をした中間管理職も、自分の親の介護で休業する必要がでてくることを想像すれば、「相互扶助、ひらたくいえば、あいみたがい」の精神が会社全体で受け入れられるようになるでしょう。

 イクメンの件でも買い物弱者の件でも、関係者(この場合、育児中の夫婦とか高齢者)に一番近いところにある企業に、行政機関の任務やサービスを代行してもらうことで明確な結果を出す。これは、行政機関と企業とが直接契約する委託ビジネスのようなものだ。間接的でないぶん、委託金や助成金といった財政支出の額は、生みだされる共有価値のわりには大きくはならないはず。

 CSV活動において、社会は創造された価値をすぐに受け取ることができても、企業は投資の見返りとなる価値をすぐには受け取れないことが多い。見返りが受け取れるようになるまで、企業を手助けするのが行政機関の役割だ。企業への規制を増やすことばかり考えないで、企業と社会がシェアできる価値を見つけ協働できるような環境をつくるのが政府の役割・・・・といえるのではないでしょうか?

  • 読者A 「・・・って、やっと終わったか。おまえの記事のほうが、よっぽど、おさだまりで退屈だっ たぜ」
  • 私 「あぁぁ~、どうもスミマセン。でも、私の記事はタダなんで許してやってください。マイケル・ポーター教授の記事だと、ネットでダウンロードしたら6.5ドルはします」
  • 読者B 「退屈な記事を読んだ無駄な時間のコストは? 500円くらい返してくれる?」
  • 私 「あぁぁ~」・・・と消え入る。

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参考文献: 1.「ニッセン、過疎地向け新事業」、日経ビジネス2011年2月14日、2.セブンイレブン「買い物弱者」支援実験、日経MJ 2/4/11、3.男性の育児休業取得に「賛成84%、日経新聞8/16/10、 4.「まずはイクメンを増やそう」、日経ビジネス2011年1月24日、5. Michael E. Porter and Mark R. Kramer, Creating Shared Value, Harvard Business Review Jan-Feb 2011

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2011年1月23日 (日)

タイガーマスクと贈り物 (幸せを売るギフトビジネス)

 

 そろそろ下火になってきたようだが、昨年末から、「タイガーマスク現象」がマスコミをにぎわした。ランドセルや文具が届けられた児童擁護施設の数は、1月11日現在で90ヶ所以上にのぼるという。

 昨年12月25日に、群馬県の児童相談所にランドセル10個が届けられ、これが、TVニュースで放映されたことがきっかけとなった。

 素朴な疑問がある。

 現金だったら、ニュースでとりあげられただろうか?

 ランドセルの値段もピンキリだ。ニトリなら9900円から買える。TVでよく宣伝している「天使のはね」ブランドだと、下は20000円から上は60000円近いものまでいろいろある。伊達直人と名のるひとが、いくらのランドセルを贈ったかは知らない。が、1万から6万の真ん中をとって35000円だとして、35000円X10個=350000円。

 35万円の現金を伊達直人の名前でクリスマスに贈ったとしても、ニュースではとりあげなかっただろう。10個のランドセルは「絵になる(映像になる)」。TVニュース向きだから取り上げられたのだ。しかも、そこにはストーリーがある。

 ストーリーは、「孤児だった伊達直人がレスラーになリ、ファイトマネーを出身施設におくる」というマンガの原作の物語だけではない。このニュースを見た視聴者には、「新しいランドセルを背負ってうれしそうに小学校に入学する、親のいないつらい境遇にもかかわらず一生懸命生きている」子供たちの姿が目にうかぶ。こういった子供たちの姿を具体的にイメージすることができる。だから、ニュースをみた視聴者は、子供たちに共感をおぼえ、伊達直人がした行為に共鳴し、感情をうごかされ、「自分も同じことをしてあげたい!」という気持ちになる。

 実際のところ、寄付をうける施設としたら、現金がよいにきまっている。新聞記事のなかにも、「すでにランドセルを用意した子供もあり、一部は上級生にまわす」という説明があった。「何かを贈る前に、その施設に連絡して、いま、なにが必要かたしかめてから贈物をきめていただくのがよいと思います」とコメントしたNPO法人のひともいた。

 だが、寄付する人間にとっては、現金を贈ることで精神的満足感を得ることはむつかしい。お金がどういったふうに使われ、どういったふうに役立ったか具体的にイメージできない。赤い羽根共同募金とか歳末たすけあい募金とかにお金を寄付する気分にならないのは、そこに具体的なストーリーがなく、感情を喚起するものがないからだ。

 タイガーマスク現象をみて、「寄付したという実感を感じることが大切だとあらためて認識した」と書いている新聞記者もいました。「寄付を募る団体は、もっとマーケティングに力をいれるべきだ」とコメントしているひともいました。

 寄付白書2010年(日本ファンドレイジング協会発行)によると、個人が一年間に寄付している総額は日本では5455億円で、名目GDP比率0.12%。これに対してアメリカは2274億ドル(約19兆円)で比率は1.6%、英国99億ポンド(約1兆3000億円)で比率は0.68%となっている。

 寄付を募るためのマーケティング活動をするさいに、お金がどう使われるかを具体的に見せるPR活動も重要だが、まず第一にしなくてはいけないことは、寄付をするひとたちの心理を考えることだ。

 文化人類学では、贈り物は重要な研究テーマで、意識的であれ無意識的であれ、贈り物をするひとは、必ずなんらかの代償を求めているとされる。たとえば、クリスマスプレゼントは互いに贈りあって交換する。お歳暮でも、贈る人と受けとる人との上下関係によって、ある一定レベルのお返しをすることが期待されている。寄付の場合は、一方的に金銭や贈物をあげるようにみえますが、寄付するひとは、それによって、精神的な満足をえたい、優越感をえたい、罪悪感を減らしたい・・・等々のお返しを(意識していないとしても無意識のうちに)期待しているのです。

 なぜ、寄付をするかの理由には様々なものがある。そのうちのいくつかを挙げてみます。

  1. だれかの物語に感情をうごかされた
  2. だれかの人生を変えることが自分にもできると感じたい
  3. 共同体やグループとの絆(きずな)を感じたい
  4. 税金控除のために必要
  5. 寄付することはクールだ
  6. 自分の社会的地位やイメージを高めたい
  7. 自分が幸せだから、恩返しをしたい(そうしないと、ある意味、罪悪感を感じる)
  8. 指導者的立場というか、みなから尊敬されるような手本となりたい

 今回のタイガーマスク現象は1番目の「物語に感情をうごかされた」から、5番目の「寄付をすることはクール」に移って引き起こされた現象といえる。そして、一番最初にランドセルをクリスマスプレゼントした伊達直人さんは、 2番目の「自分は誰かの人生を変えることができると感じたい」と思ったのかもしれないし、7番目の「自分だけが幸せなことに罪の意識を感じ、少しでもおすそわけしたい」と思ったのかもしれない。

 4番目の税金控除に関しては、アメリカの寄付金額が多いのは、税金控除があるからだといわれる。日本でも、2011年度から、NPO法人などに寄付すると寄付金の半分ほどが所得税や住民税から控除される減税措置がとられるようになる(鳩山前首相が強く主張して実現した税制改正です。害を及ぼす以外なにもしなかった前首相のたったひとつの善行です)。だから、日本でも寄付活動が活発になるのではないかと期待されている。  

 「金持ちはケチだから金持ちなのだ」とよく言われるが、これはアメリカでも同じらしい。金持ちほど寄付しないことが調査で明らかになっている。所得でセグメントすると、年収10万ドル以上の層は、5万から10万の層よりも、寄付金の率が低くなる。たとえば、65歳以上で10万から20万ドルの年収のひとは、収入の1.5%を寄付する。が、5万から10万ドルのひとは、年収の4.2%も寄付するそうだ。

 だから、大金持ちには、税金控除以外にも、6番目の「自分の社会的地位やイメージを高める」とか、8番目の「指導者的立場に立ちたい」という名誉欲を刺激する必要がある。

 だが、日本では、個人が大金を寄付すると、やり方によって、売名行為だと非難されるリスクがある。良く言えば平等意識、悪く言えば横並び意識の高い日本では、余り目立つと、「出るクイはうたれる」でバッシングを受けることが多い。そもそも、金持ちであること自体が、妬まれる対象となる。目立たないほうが良いということになると、匿名で寄付するしかない。しかし、お金持ちが寄付をするのは、税金控除以外には、自分の社会的地位やリーダー的立場に立ちたいという欲求によることが多い。名誉欲のために寄付をするのだから、匿名でしていては、なんのために寄付しているのかわからない。

 寄付支援団体が、寄付金をふやしたいのなら、寄付を匿名でしないように社会の意識を変えることがまず必要だ。タイガーマスク現象に関して、「匿名での寄付は日本人特有の照れの文化の表れ」と説明されている。照れるという行為自体を、人類の進化の歴史からみれば、自分を謙虚にみせ、他意も野心もないことをみせ、まわりから特出しないようにみせる手段である。

 アメリカでは、お金持ちでなおかつ有名人、つまりセレブになると寄付をしなければいけない。そうでないと大衆やメディアから非難される。こういった海外の事情を紹介しながら、日本においても、金持ちが寄付をするのは社会的常識だという雰囲気をマスコミといっしょにつくりあげる。これが、まず、第一に必要なマーケティング活動だ。

 ギフト・ビジネスの話にうつります。

 といっても、お歳暮とかお中元とかいったフォーマルな贈り物ではない。これから成長が期待できる友人や家族間のカジュアルなパーソナルギフトだ。パーソナルカジュアルギフト市場は、2008年で前年比6.3%増の3.4兆円。不景気でお歳暮お中元のようなフォーマルギフトが減っているにもかかわらず順調だ(矢野経済研究所調べ)。

 内需拡大が叫ばれているが、すでにある程度の商品を持っている消費者の購買意欲は低いといわれる。だが、自分は必要なくても、他人にギフトをあげることはできる。ギフトをあげることで、精神的満足感を得ることができる。育ててくれた恩義を感じる両親に贈ることで罪悪感を減らしたり、友人との絆をつよくしたり、また、他人にあげることで幸せを感じることができる。

 アメリカの社会心理学の実験によると、自分のためにお金を使うことよりも、他人のためにお金を使ったほうがより幸せになるひとが多いそうだ。無差別抽出された一般市民600人の調査によると、ギフトや寄付により多くのお金を使うと、よりハッピーになることが明らかになった。つまり、贈り物と幸福とには相関関係があるということだ。また、46人の学生を2グループに分け、20ドルわたし、そのお金をその日のうちに、1)自分のために費やす、2)友人や家族のために費やすという異なる条件をつける。結果、友人や家族のためにお金を使ったグループのほうがより多くの幸福感を感じたということがわかっている。

 つまり、自分にはもう買いたい商品はなくても、他のひとに何かを買って贈ることで精神的満足をえてハッピーになる。そして、もらった相手は、お返しをすることが社会のおきてだ。だから、パーソナルギフト市場は成長が期待できる。

 ということで、パーソナルギフト先進国のアメリカの現状をちょっと紹介してみます。

 アメリカでは、めったやたらと贈物をする機会が多い。誕生日に結婚記念日。結婚式の前に花嫁の友人や家族が集まってパーティを開きプレゼントをあげ、結婚式にもまたあげる。赤ちゃんが誕生する前にも妊婦の友人や家族が集まってプレゼントをあげ、生まれたら、またプレゼント・・・・。しかし、ギフトが一番売れるのはやっぱりクリスマス。11月から12月の間に、個人消費の四分の一が費やされるお国柄だ。おもちゃ業界などは、クリスマスシーズンに年間売上の半分をかせぐ。

 プレゼントをめぐっては、贈る側と受けとる側の葛藤がある。受けとる側は圧倒的に現金がいい。だが、贈る側としては、現金では味気ない。他人のためにプレゼントを探すことが楽しみなひともいる。結果、アメリカでは、ギフトを返品して金券や他商品と交換するのは当然という慣習がある。レシートがあれば返品手続きが簡単にできるということで、わざわざギフトのなかにレシートをいれて贈るひともいる(店舗が、価格がバーコードで印字されていてわからないようなレシートを発行してくれる)。

 また、ネットや店舗は「ウィッシュリスト」というサービスを提供している(日本でもアマゾンが「ほしいものリスト」という名前で同じサービスを始めている)。たとえば、結婚するカップルが、ネット上やデパートでウィッシュリストをつくり、そこに、自分たちが欲しい商品のリストを掲載し、プレゼントをくれる予定のひとたちに、そのリストのなかから選んでほしいと依頼する。ほんとは現金がいいけど、どうしても品物をおくりたいというのなら、このリストのなかから選んでね・・・・というわけだ。

 なんだかプレゼントする気が失せる。が、アマゾンは、それよりもっと巧妙なやり方を考えているらしい。

 アマゾンサイトで友人にギフトを買ったとして、相手の友人はそのギフトが送られてくるまえに返品できるシステムだ。

 唖然!!

 もっとも、こういったシステムの特許をとったというだけで、いつどういった形で実行するかはわかっていない。特許の内容から推測すると・・・アマゾンはギフトの受取人に品物を送る前に、「誰々さんからこういった商品がギフトとして指定されました。あなたはこれを受け取りたいですか?それとも、同等価格の他の商品に交換したいか、場合によって、金額を足してより高いものを買うこともできますよ」とメールで通知する。ギフトの受取人は、このサービスによって、返品する手間が省ける。アマゾンだって配送料金がかからないぶん得をする。アマゾンはこのシステムの特許を2006年に申請してすでに許可がおりている・・・そうだ。(ただし、アメリカではギフトカードの利用が伸びていて、結果、クリスマスギフトの返品率が10年前の38%から13%(2009年)に下がっており、こういったサービスはもはや必要ない。だから、アマゾンは特許はとっても実行しないのでは?という声もあります)

 ここまでくると、贈るひとの精神的満足感は得られそうもない感じがします。ギフトを贈ることでハッピーになる・・・という心理学の実験結果もあてはまらないような気がします。実際、12月になると、クリスマスに誰に何を送るかのストレスで、頭痛がしたり睡眠障害に悩む人がいっきょに増えるそうです。

 いくら内需拡大に貢献するからといっても、家族、友人・知人に贈り物をするときは、自分が幸福を感じるくらいのレベルでやめておきましょう。まちがっても、ミクシィーやフェイスブックの「友人」全員にプレゼント・・・なんてことは考えないようにしましょうね。

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参考文献: 1.「始まる?寄附元年」 朝日新聞1/6/11、2.「覆面の善意は照れ隠し?」、日経新聞1/12/11, 3. Richard A. Friedman, Behind Each Donation, a Tangel of Reason,The New York Times, 11/14/05, 4. Amazon's Idea: Return the gift before you get it, msnbc.com, 12/29/10, 5.John Tierney, Yes, Money Can Buy Happiness, The New York Times, 3/20/08

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