アバクロと草食系男子
昨年末からお正月にかけて2つの新聞記事が目につきました。
- 米国のカジュアル(でも、値段はちょっと高めの)ラグジュアリー・カジュアル衣料品チェーン「アバクロンビー&フィッチ(通称アバクロ)」のアジア1号店となる旗艦店が、昨年12月15日、銀座6丁目に開店した。アバクロのシンボルともなっているシャツから胸をはだけた、ないしは、シャツなど身につけていない半裸のイケメン・ストアモデル(店員のことをストアモデルと呼ぶ)も勢ぞろい。初日は、(最近の新規開店ではおきまりのようになっている風景だが)閉店まで行列ができた。
- 1月11日に成人式をむかえる男女1300人にネット調査をしたところ(マクロミル調べ)、男性の53.9%が自分のことを草食男子だと「思う」「どちらかというとそう思う」と答えた。自分は肉食系女子だと思うと答えた女性は11.8%。 男女ともに、恋愛に関しては50%強が「消極的」「どちらかというと消極的」と答えた。
この2つの記事の間に、どういった関係があるのか? 男性肉体美のセクシーさを売り物にしたようなアバクロと、異性とのセックスに関心がないといわれている草食系男子との間には、「無関係」という関係しかないようにみえる。ところが、実は、この2つの間には、(週刊誌的な書き方をすれば)衝撃的な共通点がひそんでいたのだ!
アバクロ店内でひときわ目立つのは、半裸の男どもが運動会をやっている大壁画(ちゃかしてごめんなさい。きっと、紀元前のギリシアで全裸の男たちがスポーツを競った古代オリンピックをイメージしてるんだよね)。こういった店舗の内装や、半裸の男性モデルがやたらと登場するカタログ(ネットでも見られます)から、アバクロンビーは「メトロセクシャル(Metrosexual)」のイメージそのものだとマーク・シンプソンは書いている。
マーク・シンプソンは英国の一風変わったジャーナリスト。彼が、1994年に造語したメトロセクシャルという言葉は、2002年にアメリカで注目をあびるようになり、しばらくの間流行語になっていた。
日本では、メトロセクシャルとは「都会(メトロ)に住み、女性のようにファッションやスキンケアに関心をもつ洗練されたライフスタイルの男性」といったような意味合いで紹介されている。が、これは、この言葉が造られた背景をまったく無視したものだ。マーク・シンプソンは、メトロセクシャルの代表的人物として、当時人気絶頂だったデビッド・ベッカムを例に挙げた。それは、彼がイケメンだとかセクシーだとかいった単純な理由ではなく、彼が、男性的(マッチョ)であるということはどういうことか?・・・という欧米のそれまでの基準を、公共の場で破った最初の有名人だからだ。
ベッカムは、2002年に、男のなかの男であるべきサッカー選手が絶対してはいけないタブーを破り、ゲイ雑誌のグラビアに登場し、インタビューでも、「自分はストレートだけど、ゲイのアイコンと呼ばれることは嬉しい。他人から憧れの目で見られるのは大好きで、それが女性だろうと男性だろうとかまわない」と答えている。ベッカムは爪にピンク色のマニキュアを塗ったり、巻きスカートをはいて公共の場に登場した。また、奥さんのビクトリアが、「彼は私の下着をつけることが好きなの」などとも発言している。
メトロセクシャルという言葉を造ったマーク・シンプソンによれば、メトロセクシャルな男は、異性ではなくて自分自身を一番愛している。ナルシストであり自意識過剰。だから、自分の外見やファッションに強い関心を持つ。こういった性向は元来はホモセクシャルのものであったが、ストレートの男性もこういった性向を示すようになった・・・・と書いている。
男女両方の憧れの対象となりたいと言うデビッド・ベッカムは、男性的とか女性的とかいう境界線を超え、「女みたい」と従来から言われてきたようなことでも、自分が好きなら平気でする。その結果として、メトロセクシャルの代表格として選ばれたのです
当時、英国のマーケティングリサーチ会社が市場調査をしたところ、女性用に開発したスキンケア化粧品の10~15%を男性が自分のために買っていることがわかった。このセグメントをさらに詳しく調査したところ、ナルシズムやファッション意識が高いことに加えて、より優しく穏やかで、より繊細で、より家庭的で、仕事での競争や出世にはあまり関心がないことを発見した。(ここらで、やっと、日本の草食系男子との共通点が見えてきた)。
銀座のアバクロ店を訪れたゲイのひとが、ここはゲイのための店か!と喜んだという。また、女性客のなかには、女性専用の男性ストリッパーの店か?!と、これも喜んだという。ゲイの男性も女性も引き寄せる。だが、アバクロが具現化していることの本質は、欧米の若い世代にみられるナルシズムの世界なのだ。
さて、ここで、マーケティングNOW15(2009年10月12日)に書いた「宝島社女性誌とナルシズム」の記事を読んでいただきたいのです。その記事では、異性をひきつけるためではなく、同性の目を意識してお洒落する日本の若い女性たちのナルシズムについて書きました。そして、異性とのセックスに余り関心がないという要素だけでひとくくりされている「草食系男子」のなかにも、欧米のメトロセクシャルに共通するナルシストたちが存在すること。また、自信を喪失したナルシストたちはオタク化しやすい・・・ということも書きました。
つまり、1万年くらいの間に構築された異なる社会や文化の枠組みによって、世界の各地域での表面的な違いはあっても、いまの新しい世代にナルシズムや自意識過剰な傾向がみられることは、先進国に共通しているようなのです。
自己愛(ナルシズム)が余りに強くて異性に無関心になる。そしてまた、セックスそのものに無関心であるがゆえに、異性に無関心になる。
英国の2009年の調査では、18才~59才の男性の15%がセックスに興味がないと答えています。これは10年前にくらべて40%の増大だそうです。男性が異性への関心をなくしている理由のひとつに、社会における男女平等の考え方がひろまったからだという説があります。
進化の歴史をたどってみると、人類は過去20万年以上(いや、その前の類人猿の時代からいえば過去数百万年以上)、男女の役割は異なっていました。女は妊娠して子供を生み独立できるまで育てる。そういった役割を果たしてもらうために、男は、食べ物や安全を提供する。食糧や安全を継続して提供することができる「強い」男は、自分の遺伝子を遺すチャンスをそれだけ増やすことができる。人間に一番近い親戚の野生のチンパンジーの群れでの行動を観察して、メスに肉をプレゼントするオスは、他のオスよりも2倍も多くセックスしてもらえることがわかっています。これが、人類の数十万年の歴史の99.9%以上の期間において、男女の間で公平だとみなされたギブ&テークの関係だったのです。
だが、日本でも1985年に男女均等雇用法がつくられ、欧米先進国ではそれよりも早く、女性が社会に進出した。結果、アメリカでは共稼ぎ夫婦の3分の1において、妻のほうが夫よりも多くの給料をもらっているのです。男からしてみると、そういった現状を、理性ではOKと思ってはいても、何十万年、いや類人猿の時代からいえば何百万年続いた、「男は女を養い守る強い存在でなくてはいけない。そして、強い男に守られる女は弱いもの」という本能がNOと拒否します。そういった本能が理想とする従順な女性は、ネット上では見つかっても、現実には存在しない。だから、アメリカでも、男性の25%がセックスに関心がないという調査結果が出ているそうです。
いまの男女の役割に本能が適応していないのは女性も同じです。家の掃除や皿洗い、料理、みんな平等に手伝ってもらいたいと思いながら、本能的に、「男は男性的じゃなければセクシーじゃない」とも思ってしまうのです。職場では男女平等を主張しながらも、割り勘デートとか、クリスマスにプレゼントをくれない相手にうんざりしてしまうのです。
いまの若い男性は、家庭で強い存在にある母親をみて育ち、学校でも多くの女性教員に教えられて育ち、男女平等をリアルに体験してきた世代です。なのに、なぜ、食事をこっちが払わなくてはいけないのか? なぜ、男がプレゼントをあげなくてはいけないのか? と思うわけです。
高級ブランドを買うメトロセクシャルな男性たちは、2008年の経済危機以降、影をひそめました。しかし、自分の女性的側面を表に出すことをためらわない男性は、欧米でも日本でもふえてきています。女性の社会進出が進むとともに、男性は昔の意味で「男性的(マッチョ)」である必要はなくなっているのです。男が強くなった女には性的魅力を感じないと戸惑っているのと同じように、女もフェミニンな面を隠さない男を優しくてよいとは思いながらも心がときめかないのに、やっぱりちょっと戸惑っているのです。
こういった男女間のちぐはぐな関係は 進化の歴史上における適応問題だとする考え方があります。男女ともに、新しい役割に適応していないことが、セックスへの無関心、そして結婚しない男女が増大し少子化が進む理由なのです。新しい世代は、新しい男女の関係に、果たして適応できるのか? できるとして、どのくらいの時間がかかるのか? その間に、異性間の交配回数が減り、人類は自分たちの遺伝子を遺すことができなくなり、滅亡に追いやられるのでしょうか? それとも、SF映画にあるように、互いに惹かれあうことがなくても子孫を産むことができるように、精子と卵子を人工的に交配するような制度を採用せざるをえなくなるのでしょうか?
未来の話はさておき、こういった新しい現象の結果、男性用身だしなみ製品が売れるようになる。が、女性をナンパ(この言葉も死語の運命にあります)するのに必要な自動車が売れなくなる。男女ともに、一人で旅行、一人でコンサートや演劇鑑賞。もっと新しいところで、ストレートな男同士が2人で海外旅行に出かけるといった目新しい消費現象が見られるようになる。しかし、やっぱり、異性の目を意識して異性をひきつけるためにする消費のほうが、ナルシストが自分のためにする消費よりは、金額が高くなるのではないでしょうか?
皆さま方のコメント、お待ちしております。
ここで、宣伝です。この記事のテーマをより深く理解するためには、日経プレミア新書「売り方は類人猿が知っている」の第4章を読まなくてはいけません。買ってください。1章くらいすぐに読めるだろうと、本屋で立ち読みなどしないように・・・。やってみるとわかりますが、新書版を立ち読みするのって、けっこうツライものがあります。
New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については⇒ をクリックしてください。
参考文献: 1.「自分は草食男子」5割超 新成人は恋愛に臆病」 産経ニュース1/10/10, 2.Why UK men are losing interest in sex? TopNews Health 02/10/09, 2. Mark Simpson, Meet the Metrosexual, Salon. com. 07 Simpson, Meet the Metrosexual, Salon. com. 07/22/02, 3. Who are the Metrosexual? Louis A. Berman, NARTH 03/09/08
Copyright 2010 by Kazuko Rudy. All rights reserved.
情報コンフリクションという言葉をあえて使います。
男が強いと育てられた年代と男女同権と言われた世代が共存し、生理的欲求は、遺伝子により克服できていないのが現実。
つまり具現化する行動と生理的欲求を理性で抑えてしまうため、倫理と整理がコンフリクトを起こします。
その場合、人はリスクを張らずにまゆ(コクーン化)に閉じこもります。
その結果、自分しか信じられなくなり、自分に対してご褒美を上げたり陶酔するようになってしまうと思います。
こんな場合、論理は捨てて素直になることが重要なのですが、それは私の念駄々からかもしれませんね。
投稿: ブラックジャック | 2010年1月29日 (金) 20:55
ブラックジャックさま。
おっしゃるとおりだと思います。今の時代は、教育も含めた社会生活が、人間の生理的欲求を抑制しようとすることばかり。とくに、理性がいまだ充分に発達していない若い世代にとって、不健康な制約を強いられた生活を送る結果になっていると思います。昔からある伝統的祭りとかは、こういった抑制された欲求を発散させるためにあったといいますが、なにかこういったシステムを教育に採用するとよいのではないかとおもうのですが。
投稿: ルディー和子 | 2010年1月30日 (土) 11:26