マーケティング2020 Feed

2020年9月 1日 (火)

DXと「雇用を守る」との不都合な関係

 

  日本の政府や企業は、バブル崩壊後の失われた20~30年間、「雇用を守る」と「賃金を上げる」という二つの選択肢において、「雇用を守る」を選択してきた。

  2020年6月3日に、安倍首相が「雇用を守ることが最優先課題だ」として、最低賃金の年3%引き上げを断念したのは、そのよい例だ。

  デフレ脱却を目指す安倍首相は、「最低賃金を毎年3%上げて、全国平均で時給1000円を早期に達成する」という目標を2015年に表明していた。が、コロナ禍で失業が増えることを懸念して、雇用を(この場合は、中小企業の雇用を)優先することに切り替えたということだ。

  最低賃金が上げられなかったことについて、日本労働組合連合の会長は、「雇用を守ることと、最低賃金を引き上げることは、対立概念ではない」と記者会見で述べ、ささやかな抵抗を示した。たしかに、高度成長時代においては、雇用を守ることと賃金引上げは対立概念とはならなかった。だが、低成長時代ではどうだろうか?

  企業の人件費は、賃金X従業員数ということになるわけだから、人件費の増大を抑制するためには、賃金を上げないか、あるいは、従業員数を減らすしかない。

  低成長あるいはマイナス成長の場合は、2つの選択肢の一つを選ばなくてはいけない(もちろん、両方とも選択しなくてはいけない場合もある)

  いずれにしても、企業や政府が賃金よりも雇用を選択してきた結果、1997年~2017年の20年間で、日本の賃金は9%減少している。先進国唯一のマイナス国だ。同時期に、英国は87% 米国は76%、ドイツは55%上昇しているから、その差は大きい。その後、デフレ脱却を目指す政府は「賃金が上がれば物価も上がる」という考え方から、賃金を上げることを企業側に強く要請。結果、2018年と2019年に少し上がる傾向がみられた。が、コロナ危機で、その流れも立ち消えた。

  企業経営者はこう思っているかもしれない・・・「バブル崩壊後の失われた20年~30年、賃金は上がらなかった。だが、そのぶん、日本企業は、不景気になったからといってすぐに人員削減などしなかった」。政府も、日本の失業率は低い。労働者にとって良い政策をとっているからだと思っているかもしれない。たしかに、2000年から2018年にかけての日本の失業率は、米国やEU主要国に比べて常に低かった。OECD平均と比べてだいたい3ポイント程度低い水準で推移している。たとえば、2018年の数字をみると、日本2.4%、ドイツ3.4%、アメリカ3.9%、フランス9.1%・・となっている。

  米国企業のようにすぐに社員のクビをはねることはしない。2008年の金融危機後2010年の米国の失業率は15%を超えた。金融危機とかコロナとか有事のときでも、社員の削減なんて最後の最後までしない。それが日本企業の美徳だと思っている経営者も多いようだ。

  「日本企業は社員を大切にする」と自負する経営者も多い。つまり、高度成長時代につくられた雇用システムである終身雇用制を維持することは道徳的なことであり、そのために賃金を犠牲にすることもやむを得ないと考えている経営者が多いということだ。

  だが、これは、大きな勘違いだ・・ということを明らかにするために、いま注目のDX問題を例にとって説明させていただきたいと思います。

  で、話を変えて・・・。

  デジタル・トランスフォーメーションについてはすでに前回のブログで書いたので詳細は省くとして、トランスフォーメーションというからには、タカラトミーの玩具のように、ロボットが一瞬のうちに乗り物(乗用車、トレーラー、戦車)などに変身するイメージがなくてはいけない。だから・・というわけでもないが、IT業界やコンサルティング業界が定義するDXには、新しいビジネスモデルや新しい商品やサービスといったこれまでになかった新しい価値を創出することが含まれる。

  ところが、日本の場合は、DXで変身する以前に、レガシーシステムの一掃をしなければ先には進めない・・・危機感をもって、そう訴えたのが、2018年に経済産業省が公表した「DXレポート~ITシステム『2025年の崖』の克服とDXの本格的展開」だ。

  日本企業の約8割がレガシーシステムを抱えている(日本企業の場合、2025年においても、21年以上稼働しているレガシーシステムが全体の6割を占めるといわれる)。結果、さらなるデジタル化を必要とする経営戦略や事業戦略が実行できない。

  レガシー問題は先進国の多くに共通する問題だ。アジアや欧州の新興国はレガシーがないぶん、早い段階でデジタル化が競争優位の価値を生み出すことに成功している。

  が、古い技術やシステムを使っているシステムということだけで、必ずしも、デジタル化による変身の障害となるわけではない。

  日本がレガシーシステムの刷新に他の先進国よりも手こずっている理由は、自社システムがブラックボックス化していて、自分の手で簡単には修正できない状況に陥っていることにある。結果、レガシーシステムの刷新には巨額の費用がかかっている。

  経産省のレポートには、8年間で300億円かけて30年以上利用していたシステムを刷新し共通基盤システムを構築した食品業者、4~5年かけて25年以上利用していた基幹系システムを700億円かけて刷新した保険業者の例などが紹介されている。

  そもそも、日本企業のレガシーシステムはなぜブラックボックス化してしまったのか? 二つの大きな要因があげらる。

第1の要因:ノウハウや知識がマニュアル化されておらず特定の担当者の暗黙知となっている。そして、知識やノウハウをもっている担当者が会社をやめると既存システムの内部構造や動作原理がわからなくなりブラックボックス化してしまう。

  日本企業は1970年代、基幹業務用に情報システムの開発を進めた。しかし、ある程度の大きさの企業では、会社組織全体で共通したシステムを運営するのではなく、各事業部がメインフレームを持ち、事業部ごとの業務内容に合わせたシステムが開発された。90年代から、部門ごとに管理されていた情報処理を統合管理するERPが導入されるようになったが、このときも、既存のビジネスプロセスを改革することなく、追加プログラムをアドオンすることによって、各事業部に最適なシステムが開発維持された。

  こういった一連の開発を担ってきた人材が停年退職すると、明文化されず共有化されていないノウハウや知識が失われてブラックボックス化する。(ちなみに、日本市場におけるERPのシェアではSAPが一位。そのSAPが現在のERPのサポートを25年に終了すると発表したこともあって、経産省のレポートでは「2025年の崖」と25年に危機が訪れると警告している)。

  日本で情報システムのマニュアル化が進まなかった理由はいくつかある。たとえば、企業が汎用パッケージを使わずに新規にゼロから開発するスクラッチ開発を好んだり、あるいは、汎用パッケージを利用するとしても、自社の業務に合わせて過剰にカスタマイズする傾向が強かったことがあげられる。汎用パッケージを販売するベンダーもカスタマイズした方が売上げが増大するので、クライエントの要求に合わせる。どちらにしても、開発にたずさわった担当者がいなくなれば情報システムは不可視となり、自分の手で修正できなくなる。

 だが、なんといっても明文化が進まなかった一番の理由は終身雇用制にある・・と経産省のレポートも書いている。IT担当者が転職していなくなることを想定すれば、すぐに新しい人に引き継げるように明文化しておく必要性が感じられる。だが、終身雇用制では、担当者がいなくなることは想定されていない。だから、会社としても担当者にしても、マニュアル化が業務の一つであるという認識が甘くなる。

 

第二の要因:ITシステムをベンダー企業に丸投げしてきた歴史

  日米のITエンジニアの分布を比べてみると、日本ではエンジニアの7割がシステムインテグレーター(SIer)やベンダー側に所属している。米国はその反対で社内に7割近いエンジニアが所属している(ドイツやフランスは6割、英国では5割)。

  90年代末ごろからベンダーにIT関連の仕事を丸投げするようになった日本では、システムのノウハウどころかデータ知識もベンダー側に蓄積され、ユーザー企業側には残っていない。そして、70年代~80年代に最初のシステム開発を手掛けたエンジニアがいなくなると、ベンダーにも、情報システム全てがみえているわけではないので、ブラックボックス化したシステムの刷新に困難を極めるようになる。

   そもそも、日本企業はどうしてITシステムをベンダーに丸投げするようになったのか? 原因を調べてみると、米国でIT業務のアウトソーシングがみられるようになった80年末に、その趣旨が誤解して日本に伝えられたという経緯があるようだ。 

  1989年、 米国のイーストマン・コダックがIBMにコンピュータシステムの管理運営をまかせるという10年に及ぶ10億ドルの大型契約を発表した。従来、アウトソーシングは技術力のない中小企業が行うものと考えられていたのに、技術力の高いコダックがコア事業に経営資源を集約する構造改革の一環としてアウトソーシングした。競争力を高めるためということで、これ以降、米国において、アウトソーシング市場が急速に成長するようになる。

  この契約は、日本でも話題になったが、この時、アウトソーシングが「人員削減」や「部門の“丸投げ”」と報じられた。たしかに、コダックの情報部門から360 人がIBMに移籍したのは事実だったが、それを上回る800 人の人員がイーストマン・コダックに残った。情報戦略を作成するコアの部分はイーストマン・コダックに残されたわけである。だが、こういった点は日本では無視された。

  日本では、戦略を立てるというコアな部分まで含めたITシステムの丸投げが多くなり、92年に日本イーストマンコダックが情報処理システムを日本IBMに全面委託した時には、次のように朝日新聞(92年12月2日)に報じられた。

「日本IBMは1日、日本コダックのコンピュータシステムの運用・管理を10年間、丸ごと引き受ける契約を同社と結んだと発表した。アウトソーシングと呼ばれる事業で、日本コダックは、日本IBMに自社のコンピュータなどを売却し、情報処理を全面委託する。景気の減速で情報化投資を見直す企業は多く、経費が削減できるアウトソーシングに踏み切る動きはさらに広がりそうだ。アウトソーシングは、80年代後半、米国で登場した。89年、日本コダックの親会社、米イーストマンコダックは米IBMなど3社に、従業員もろとも情報システム部門を売却し、大幅な経費削減に成功したことから急速に広まった」

 

  さて、日本企業の情報システムがブラックボックス化してしまった大きな要因2つを上げた。が、これが、どうして「雇用を守る」に関連しているかを説明させていただきます。

  システムのマニュアル化が進まなかった背景理由として、終身雇用制の存在が指摘されたことは、すでに紹介した。同じく、誤解でひろまったITシステムの丸投げアウトソーシングが日本企業で広まったのにも、終身雇用制が関係している。

  どの会社も「雇用を守る」方針を貫けば、今の会社をやめたくても他の会社に空きがない。つまり、社員をやめさせないことが美徳だと多くの経営者が考えていれば、労働市場の流動化が進まないことになる。

  一方で、時代とともに事業の成長度は変化する。これまで会社の成長エンジンとなっていた中核事業の成長が衰えれば、これからの成長が見込める事業を始めなくてはいけない。米国では、60年代から80年代にかけて、M&Aを通じて多角化を進めより高い成長を実現することが流行した。日本の場合は、高度成長が終わった80年代に、成長の止まった事業が抱えていた余剰人員を新規事業に利用することで多角化を進めた。これは、組織内における労働移動であり、これによって、終身雇用制を維持しようとしたのだ。

  その結果として、新規事業部や子会社の乱立が進み、低成長時代になると、日本企業は、多くの赤字子会社や事業部を抱える結果となる(2009年に製造業史上最大の8000億円近い赤字を出した時の日立製作所は900を超える子会社を抱えていた)。

  労働移動といっても、人事部の人間を企画部に移したり、営業部に移したりすることはできても、情報システム部に移すことはさすがに無理がある。だからといって、余剰社員を削減しないのだから、新規のIT人材を大量に雇うことはできない。しかも、70年代のメインフレーム時代に雇った人間には、新しいITテクノロジーの知識やノウハウがない。だから、最新の知識をもったベンダーに全面的に頼るのが効率が良い方法だと考えられた。

  その後、レガシーシステムを保守運用していたIT人材が引退していく一方で、若い人材は、古いプログラミング言語や遅れた技術で構成されているレガシー・システムの保守運営にはかかわりたくないから、求人しても獲得できない。ますます、ベンダーに頼らざるをえなくなる。

  雑誌「日経クロステック」に、「技術者がやめるとIT部門はつよくなる」という記事(2008年4月25日)が掲載された。

  そこには、米国企業が優秀な人材を抱えたIT部門を作ることができる理由は労働市場の流動性があるからだと書かれている。重要なシステム開発プロジェクトが終われば、仕事の中心は保守・運用となり、優秀なエンジニアは必要なくなる。そうすれば彼らは会社をやめて、新しいチャレンジできるプロジェクトを提供する会社に移る。だから、企業も新しいプロジェクトがあれば、すぐに優秀な人材を集めることができる。反対に、日本の企業は大きなプロジェクトが終わっても労働市場が流動化していないので、エンジニアは残る。そして、やりがいを感じない保守運営の仕事をせざるをえなくなる・・・というわけだ。

  こういった話はIT人材に限ったことではない。同じようなことは、他の従業員にもいえる。今の仕事には将来性がないと思っている社員、やりがいがないと思っている社員がいても、「雇用を守る」のスローガンのもとに、「やめさせられること」はないかもしれないが、「やめること」もできない。

  人間はだれしも現状維持バイアスをもっている。現状がよほど悪くなければリスクを取りたくない。現状に不満があっても、現状を変えれば、今より悪くなる可能性もある。やりたいことがあっても、今より悪くなる可能性を考えてチャレンジしない。得るものよりも失うものの方の価値を大きく評価してしまう考え方の偏向は、人類に共通するもので、万国共通だ。

  現状がよほど悪くなければリスクは取りたくない。だから、多くの従業員は退職を迫られない場合、自分がそれほど興味がない仕事でも、これまでと同じ給与がもらえるなら、敢えて会社をやめる決断には至らない。リスクをとることを躊躇するのだ。

  拙著「勤勉な国の悲しい生産性」にも書いたように、日本企業の従業員のエンゲージメント率が、どの調査会社が調べても、異常に低いレベルにあるのは、現状維持バイアスに影響されて、不満や失望をかかえながらも同じ会社で働きつづけている従業員が多いからだ(もちろん、賃金が20年余、上がっていないという理由も大きい)。

  終身雇用制を維持することが従業員のためになると信じてきた経営者や労働組合は、この現状維持バイアスを促進・強化してきたことになる。

  人間の脳には、ある程度のリスク下にあり緊張を強いられたときに、ドーパミンやアドレナリンが放出され、気分が高揚する。転職して新しいチャンスに果敢に挑戦しようという従業員の心理だ。そういった心理は、変化の時代に新しいビジネスモデルやモノを創造しようとしている企業の従業員に必要な心理でもある。

  リスクにチャレンジする従業員を必要とする経営者が、「賃金を上げる」ことより「雇用を守る」ことを選択するのは矛盾している。

  「雇用を守る」ことが従業員にとって良いとことであり、会社の道徳だと考えるのは、経営者と労組代表どちらもの想像力の欠如にある。

  誰だって、自分が知っている人間のクビを切るのはいやだろう。自分と同期に入社した同僚、新入社員のころから知っている後輩、お世話になった先輩・・・つまり、自分が具体的なエピソードをもって顔を知っている人間に退職を迫るのがいやなのは誰でも同じだ。

  だが、想像してみてほしい。  

  たとえば、8年前に入社してきた社員。彼の希望はファッション関連の仕事をすることだった。が、会社の方針でファッション事業部は閉鎖となる。まだ若い彼なら、そしてやりたいことが明確にあるなら、会社をやめて、その道を追いかけたほうがよいかもしれない。その彼に、営業部への移動を提案する。彼がこのまま会社にい続けるとして、彼の10年後、20年後、30年後の姿を想像してみたことがあるだろうか?

  経済産業研究所発行の論文「労働市場の改革」において、八代尚宏教授は、雇用保障の代償として拘束性の強い働き方をしている正社員を「良い働き方をしている人」とみなし、それ以外の派遣労働者等を不安定な「悪い働き方をしている人」とみなす前提自体が間違っているとして、「ひたすら労働者を企業の中に閉じ込めるだけではなくて、むしろ労働者の企業からの独立を支援することが重要となる。いわば企業内で労働条件の改善を目指すだけではなく、労働者が転職による圧力をかけられること、即ち、労働者を大事にしない企業から大事にする企業に自由に移れるような仕組みをいっそう作っていく必要がある。これにより、特定の企業に依存するのではない『労働市場全体を通じた雇用保障』が、より重要になってくる」と書いている。

  この「労働市場全体を通じた雇用保障」という考え方からいえば、「自社の社員の雇用を守る」というのは、まさに経営者や組合代表の内(ウチ)と外(ソト)を区別する狭い考え方だといわざるをえない。

  たとえば、バブル崩壊後の低成長のなか、企業は過剰雇用をかかえこんだ。その結果、いわゆる就職氷河期をもたらし、新規社員の採用が6年以上抑えられた。その結果が、いま、100万人くらいの40歳前後の人たちが無職、あるいは定職がないという状況下にある。また、非正規社員の採用が進んだのもこのころだ。

  つまり、当時の経営者や労組代表は、ウチの人たちの雇用を守るために、ソトの人たちはどうでもよい・・・と考えたということだ。具体的にイメージを描ける人達をクビにするのはいやだけれど、外の知らない人たちがその犠牲になることに関しては、抽象的にしか想像できないので心理的に許容することができる。

  これは、やっぱり、おかしい。

  とはいえ、企業経営者にソトの労働者のことも考えろと言っているわけではない。それは、国の仕事だ。「労働市場全体を通じた雇用保障」は政府がきちんとした政策を考えるべきだ。そうすれば、企業は、安心して、賃金を上げ人員を削減することができる。経営者が注力すべきは、やりがいを感じ、ワクワクとして(アドレナリンやドーパミンが放出されている気持ちを表現している)仕事ができる環境を従業員に提供することだ。 

  コロナ禍で失業者が増えるときには、雇用を守る日本企業はありがたいじゃないかと思うかもしれない。だが、危機のときだからこそ、数十年つづいてきた考え方(雇用を守ることが美徳だという考え方)を改めることができる。今、荒波を乗り越えなければいけない企業にとって必要なのは、不満があっても現状を維持することをよしとする従業員ではなく、リスクに敢えて挑むことができる従業員だということを忘れてはいけない。

  こういったテーマに興味をもっていただけましたら、新刊「勤勉な国の悲しい生産性」を読んでいただければうれしいです

 

参考文献: 1.八代尚宏「労働市場の改善」経済産業研究所、2「技術者がやめると.IT部門は強くなる」日経XTECH 4/25/08, 3.「サービス産業競争力強化研究」アウトソーシング協議会 平成12年3月、3.「アウトソーシング事業増加 情報処理を全面委託 日本コダックなど」朝日新聞12/2/92 4. 「最低賃金議論 コロナの影」朝日新聞 6/27/20, 5.「DXレポート」デジタルトランスフォーメーションに向けた研究会、経済産業省 平成30年9月7日