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2020年6月27日 (土)

コロナ禍とエッセンシャルワーカーと肉体労働と賃金

 コロナウィルス関連で、よく使われるようになった言葉に「エッセンシャル・ワーカー(essential worker)」がある。日本語では「社会に必要不可欠な労働者」とか訳されているが、「人々が生きて暮らして行くためには欠くことができない職業に従事している人たち」という意味になる。

  たとえば、医療従事者を筆頭に、警察官や消防職員、電気や水道・ガスといったライフラインを担う人たち、食料品店で働く従業員、自宅まで必要なモノを運んでくれる物流サービス従事者・・・。こういった人たちは、自宅でテレワークで働くことができる人たちとは違い、感染するかもしれないリスクを冒して職場に出向き、仕事をやりとげなくてはいけない。場合によって、通常以上の長時間働くことも覚悟してなくてはいけない。

 日本の場合は、米国ニューヨークやイタリア、スペインのようなレベルの医療崩壊も起きなかった。死者数が少なかったということもあって、こういったエッセンシャルワーカーがパンデミックの中で働くことの危険性とか意義もあいまいなものになっている。だから、ありがたみを感じていない人も多い。それどころか、医療従事者の家族がイヤがらせを受けたり、観光業や外食産業といった休業せざるをえなくなった産業で解雇された従業員からは、「コロナのなかでも働けるだけマシ」とうらやましがられたりもする。

 だが、たとえば、米国では、4月初めに、米国国土安全保障省が、パンデミックのコントロールに必須とみられる職種を明らかにし、そのリストを発表している。そして、そのリストに基づき、トランプ大統領は、「国土安全保障省に指定された重要なインフラ産業で働いている人たちは、自分たちの通常業務を継続維持する特別な責任がある」と宣言している。つまり、ロックダウンで自宅から外出するのを禁止されている人たちとは異なり、あなたたちは、通常通り働き続けてくださいよと、ある意味、命令しているのだ。

 トランプ大統領を含め、多くの欧米諸国のトップは、コロナとの戦争という言葉をつかった。それでいけば、エッセシャルワーカーは、戦地で、しかも、前線に立って死を覚悟して戦ってくれと命令されているようなものだ

 だが、皮肉なことに、日本でも欧米でも、公務員や医療従事者以外の多くのエッセンシャルワーカーの平時のときの労働者としての地位は低い。低いという意味は、労働の価値が低く見られ、結果、低賃金だということだ。

 エッセンシャルワーカーに含まれている介護士や保育士の給与の低さは以前から問題になっているし、モノを自宅まで運んでくれる配達員や物流センターの従業員、それから、スーパーで働く店員にいたっては、最低賃金で働くバイトやパートも多い。

 低賃金で働く人が、緊急時になれば、命にかかわるかもしれないリスクの高い仕事をつづけることを求められる。たしかに、日本でも、企業が特別報奨金などを出してはいる。たとえば、ヤマト運輸は全従業員約22万人に一人当たり最大5万円の見舞金を5月に支給している。食料品スーパー「ライフ」も、「日々、厳しい条件で業務に取り組む人達へのお礼の意味を込めた」として、パートやアルバイトを含めた全従業員約4万人に総額約3億円の緊急特別感謝金を支給して話題になった。

 緊急時にはこういった特別手当をもらっても、エッセンシャルワーカーの多くは、平時に戻れば、感謝もされないし、賃金も低いままだ。それどころか、コロナのせいで不景気になったことを理由に解雇されたり、より一層の低賃金で我慢することをしいられるかもしれない。

 現代の経済学理論でいえば、商品やサービスの価格はユーザーが知覚する価値に基づく。そして、その価値は、その商品やサービスを使って得る満足感や快感(効用)が決めるといわれる。介護士、保育士、物流サービス従事者、スーパーの店員の価格、つまり賃金が安いのは、ユーザーである一般市民が知覚する価値が低いからだということなる。

 知覚する価値が低い理由はいくつかあげられる。たとえば・・・

 1番目の理由:誰でもできる仕事だとみなされている。スーパーの店員とか宅配便の配達は、やろうと思えば誰でもできるとみなされる。資格が必要な介護士や保育士ですらも、「忙しいから手伝ってはもらっているが、私だってやろうと思えばやれる」的な意識がある。介護士にいたっては、こういった職業に従事する人を見下す傾向すらある。私もヘルパーさんに助けられて自宅で介護をした経験があるが、多くのヘルパーが「お手伝いさん扱いする家族が多い」と嘆いていた。大阪健康福祉短大の川口教授は朝日新聞のインタビューで、「介護職に対して『簡単、単純、誰でもできる、学歴もいらないつまらない労働』という思い込みがあるように感じます。」と発言し、「介護職にリスペクトを」と訴えている。

 2番目の理由:賃金から労働価値を判断する。ユーザーである一般市民は、商品・サービスの価格を手がかりにその価値を判断するという逆方向の方法をとることが多い。だから、パートやアルバイトの仕事の価値を、その賃金から判断する。スーパーに行けば、求人募集の貼り紙に時給1000円と書かれている。それをみて、時給1000円の仕事をしている労働者だということで、店員の労働者としての価値を決める(そして、IT関連の仕事をしている人は高給をもらう。だから、IT関連の労働価値は高いと判断する)。

 労働を肉体労働と頭脳労働に分け、肉体労働は単純で下等、頭脳労働は複雑で上等とみなすのは、世界的に共通する価値観であり、長い歴史がある。そして、エッセンシャルワーカーの多くは単純な肉体労働だとみなされる。

 労働を肉体労働と頭脳労働に分けること自体、肉体労働をしている人は頭脳を使っていないとみなしていることになる。これは、肉体労働は奴隷にまかせ、ある程度のレベル以上の市民は高等な思索に時間をつかうという古代ギリシアの考え方と同じだ。20世紀初頭に、工場における労働作業の管理手法を考案したF.W.テイラーも同じように考えていた。

 彼は、「工場ではできるだけ多くのことを機械にまかせ、労働者には考えるということをしてもらいたくない」と繰り返し口にしたそうだ。テイラーの「科学的管理法」は、ベルトコンベア方式の動くアセンブリー工場に適した労働者を生み出すのに貢献し、自動車の大量生産を可能にした。

 日本では、米国型大量生産方式を基本とはしても、「工場労働者は頭脳を使わなくてもよい」という考え方は採用しなかった。結果、工場で働くブルーカラーと事務所でスーツを着て働くホワイトカラーとの身分格差は米国ほど明確にはならなかった。だが、ICT化が進む中、ITリタラシーの高い労働者は頭脳労働者で高報酬で上、そうでない労働者は肉体労働者で低報酬で下という価値観が定着してきた。

 しかし、今回のコロナウィルスによるパンデミックを経験するなか、そういった分け方になんとなく違和感を持つ人、疑問を持つ人が出てきたのではないかと思う。それは、パンデミックが、形のないもの(無形)を崇拝する風潮に「待った!」をかけ、形あるもの(有形)の存在意義にスポットライトをあてたからだろう。

 私たちが、PC等のIT機器を使って仕事をする労働者を高等だとみなすのは、実は、彼らがしている仕事が無形であり、その仕事の内容を見ることができないからだ。どういった仕事をしているのか、良い仕事をしているのかいないのか、そばで見ているだけでは判断できない。その点、形あるものを生み出す仕事をしている労働者の仕事は、判断しやすい。たとえば、技術がなければできない大工という仕事でも、結果としての仕上がりは、素人でも目にみえるからある程度判断でき意見も言える。介護士や保育士にしても同じことがいえる。

 人間は見ることができず、よって具体的に理解できないものを複雑で高等なものだと判断しやすい。

 だが、パンデミックによって、デジタルは複雑で高等、アナログは単純で下等という価値観が微妙に変わった。マスク、防護服、食料など、自分たちが生きていくために必要なものは形あるものばかりだ。たしかに、自粛でネットフリックスの会員やニンテンドーのゲーム「あつまれ どうぶつの森」の人気は世界的に増大した。だが、生存率を高めるためのエッセンシャル度からいったら、つまり、どちらかを選択しろといわれたら、ほとんどの人間が生きていくためにマスクや食料を選ぶだろう(ついでに言えば、「あつもり」ゲームをするためにはスイッチという有形のハードウエアが必要だ)。

 実際には、当たり前の話だが、肉体労働にも頭脳労働が必要だ。機転のきく店員のほうが客から好感度をもたれるし、いまの配達員はIT機器をこなさなかったら効率よい働き方はできない。頭脳労働を精神労働ともいうが、介護士は歩行の困難な高齢者のトイレの世話をする肉体にもきつい仕事を求められる。そのうえ、要介護者の心(精神)をポジティブな状態に維持するために自分の感情をコントロールしなければいけない。介護士のような仕事は「感情労働」とも呼ばれる。

 介護士、看護師や店員のように患者や客と接する感情的ストレスの多い職種は、エッセンシャルワーカーに多く含まれる。

 このように、肉体労働に分類される職種の多くは、感情を含めた頭脳を必要とする。だが、反対に、肉体を必要としない頭脳労働というものは存在する。

 そう思ったのは、ハーバード大学のCenter of Ethicsが4月に発表した報告書「パンデミックに強い社会をつくるロードマップ」を読んだときだ。経済と健康との兼ね合いを考慮しながら8月までに米国がある程度の通常状態に戻るための道筋を明らかにしたもので、大規模なPCRテストとエッセンシャル度による労働者の分類が基本となっている。

 5月~6月には一日500万件という大規模のPCRテストをして、これを7月末までには2000万件に増やす。最初はまず、医療、電気・水道といったライフライン、警察消防、物流サービス、食品店販売員、電気・水道といったエッセンシャル度が一番高い「全労働者の40%に当たる人たち」にテストを実施する。テストをして陰性の人たちだけを職場に戻す。陽性者は隔離し、陰性になった時点で職場に戻す。これを繰り返すことによって、エッセンシャル度が一番高い40%の労働者が働く環境を安全なものとする。

 次いで、7月からは、エッセンシャル度が次に高いと思される職業に従事する「全労働者の30%の人たち」に同じことをする。そして、7月後半には、エッセンシャルではないが、自宅でビジネスを展開することができない美容院やレストランといった接客業にたずさわる「全労働者の10%に当たる人たち」にテストを実施し、労働者にも客にも安全な労働環境をつくる。

 そして、8月には、「全労働者の最後の20%に当たる人たち」、自宅でテレワークをする労働者にテストを実施して、職場に戻す。

 こうすれば、秋までは、アメリカはパンデミックに勝利をおさめ、かつ、経済的ダメージも最小限に抑えることができるというわけだ(今の状況をみれば、米政府がこの提言を完全無視していることは明らかだが・・・)。

 在宅勤務がつづいても仕事に支障が出ない「全労働者の20%にあたる人」は、100%の頭脳労働者だといえる(もちろん、IT機器を使うのに腕とか手は使うが、声で操作する方法もあるし・・・、一応、身体は必要ないとしておこう)。

 肉体労働者の多くは機械に代替されると巷では言われているが、実は、機械に代替されやすいのは、この、100%頭脳だけの頭脳労働者のほうだ。拙著「勤勉な国の悲しい生産性」に詳しく書いたが、最近は、今のアルゴリズム中心のAIの限界が指摘されるようになってきている。アルゴリズム中心のAIとそれを基本として制作されるロボットが、人間の肉体労働(感情労働を含めて)に代わることは、実際には予想以上にむずかしいことが明らかになってきたからだ。だが、頭脳労働者とAIは符号化された情報を使って仕事をしているということでは、基礎(ベース)が同じなので、互換しやすい。

 コロナ後もテレワークを継続して採用し続けると発表する日本企業が増えてきている。従業員のなかには、それを歓迎する人もいれば、やっぱり職場で同僚たちといっしょにワイワイガヤガヤ言いながら仕事する環境に戻りたいと考える人もいる。それは、職種にもよるし、通勤時間がどれだけかにもよるし、家庭の事情もあるだろうし、本人の性格にもよるだろう。ただ、企業側からみれば、週一回会議に出席すれば後は自宅でテレワークでやっていける仕事であれば、正社員である必要はない。契約社員、あるいはその他の雇用形態でよい。

 コロナ禍は、企業にすれば、組織を見直すチャンスでもある。今後もつづく、いつ想定外の出来事が起こるかもしれない時代においては、組織は必要最低限の社員からなる無駄のない融通性の高い「(嫌いなカタカナ用語をあえて使えば)リーンでアジャイル」なものでなくてはいけない。

 社員の中には、そういった考え方は、悪いことではないと考える人もいることだろう。テレワークが可能にしてくれる時間から解放された働き方を好む社員であれば、契約社員になって、余裕があれば他の会社の仕事を引き受けてもいい。コロナ禍は社員の側も今後の生き方や働き方を考える契機になる。

 つまり、テレワークで自宅で仕事を続けていいと言われた社員は、それなりの将来の覚悟をもって、そういった働き方を選択すべきだし、会社としても、テレワーク社員を増やすと考えているのなら、会社組織の構造改革の一環として実行すべきだろう。

 テレワークを実際にやってみたら効率が落ちたと答えた従業員が66%いたという日本生産性本部の調査結果が出ている。もっとも、一番大きな課題が「職場に行かないと資料が見られない(49%)」、次いで、「通信環境の整備(45%)」「机など働く環境の整備(44%)」となっているので、まだ、テレワークをする環境やシステムが整っていないということだ。

 だが、ここで問題なのは、従業員や企業が、どういったタイプの生産性を求めているかを最初に明らかにしておく・・・ということだ。

 会社という組織で社員同士がコミュニケーションすることによって生まれる創造性を大切だと考えるグーグルとかアップルとかは、自宅勤務を奨励はしていない。グーグル創業者のエリック・シュミットは、コロナ後はオフィスが必要なくなるのではなく、反対に、ソーシャルディスタンスを守るために、一人当たりのスペースをより広くしたオフィスを作る必要があると発言している(ただし、通勤時間が長い社員のためにサテライトオフィスを設ける必要があるとも言っている)。

 ここからは、ちょっとおまけの余談です・・・

 「在宅勤務をずっと続けていいよ」といわれるのは、哲学的(?)に考えると、「あなたの身体はいらない、頭脳だけでよい」と言われているみたいで、ちょっと複雑な心境にならないだろうか? シュミットの場合は、頭脳は創造性を生むが、そのためにいくつかの頭脳が集まって議論したりしなくてはいけない、そのために身体が集合しなくてはいけないと考えていることになる(新著に書いたようにAIの身体性の問題がからんでくる)。

 最後に、おまけにもならない余談です。

 身体はいらない頭脳だけでよいということで思い出すのは、イギリスのSF作家H.G. ウェルズの小説「宇宙戦争」(1898)で描かれた火星人の姿だ。頭が大きく手足の細いタコのような火星人は、1982年に映画「E.T.」が大ヒットするまでは、典型的なエイリアンの姿形として漫画やイラストにつかわれた。

 タコに似た火星人は、IT機器を仕事相手とする頭脳労働者には理想的な姿形ではないだろうか? 手が8本あればキーボードやマウスを使うのに便利だし、IT機器の前で一日15時間座って働いても、肩もこらないし腰痛からも解放されそうだ。ついでにいえば、E.T.やウェルのズ火星人の目が異様に大きいのも、LEDスクリーンを凝視して目を酷使した結果ではないだろうか?

 タコは全身が頭脳だそうだ。タコの5億個の神経細胞(ニューロン)のうち3億5000万個以上が8本の触手にあり、8本の足が独自に意思決定できる「分散型」の神経系を有している。雑誌Newsweekによると、米国ワシントン大学の行動脳科学の研究者はタコが有する分散型の神経系を「知能の代替的モデル」と称し「地球さらには宇宙における認知の多様性についての理解をすすめるものだ」と考えている。「タコは地球上で我々が出会うことのできる<エイリアン>なのかもしれない」そうだ。

 19世紀に「タイムマシン」や「透明人間」といった作品も書いたH.G.ウェルズは、さすが、SF作家。遠い人類の未来を透視して、ICT化が進む中で効率性を求めれば、人類はタコのように進化(?)していくと考えたのかもしれない。

 

参考文献 1.Department of Homeland Security: List of Essential Industries, 2 Transcript: Eric Schmidt on "Face the Nation" 、CBS News 5/10/20. 3 「介護職にリスペトを」朝日新聞6/3/20 4.「在宅、生産性向上探る」日経新聞6/21/20, 5.Roadmap to Pandemic Resilience, Center For Ethics At Harvard University 4/4/20,6.「タコは地球上で会えるエイリアン」Newsweek7/1/19

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