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2011年1月23日 (日)

タイガーマスクと贈り物 (幸せを売るギフトビジネス)

 

 そろそろ下火になってきたようだが、昨年末から、「タイガーマスク現象」がマスコミをにぎわした。ランドセルや文具が届けられた児童擁護施設の数は、1月11日現在で90ヶ所以上にのぼるという。

 昨年12月25日に、群馬県の児童相談所にランドセル10個が届けられ、これが、TVニュースで放映されたことがきっかけとなった。

 素朴な疑問がある。

 現金だったら、ニュースでとりあげられただろうか?

 ランドセルの値段もピンキリだ。ニトリなら9900円から買える。TVでよく宣伝している「天使のはね」ブランドだと、下は20000円から上は60000円近いものまでいろいろある。伊達直人と名のるひとが、いくらのランドセルを贈ったかは知らない。が、1万から6万の真ん中をとって35000円だとして、35000円X10個=350000円。

 35万円の現金を伊達直人の名前でクリスマスに贈ったとしても、ニュースではとりあげなかっただろう。10個のランドセルは「絵になる(映像になる)」。TVニュース向きだから取り上げられたのだ。しかも、そこにはストーリーがある。

 ストーリーは、「孤児だった伊達直人がレスラーになリ、ファイトマネーを出身施設におくる」というマンガの原作の物語だけではない。このニュースを見た視聴者には、「新しいランドセルを背負ってうれしそうに小学校に入学する、親のいないつらい境遇にもかかわらず一生懸命生きている」子供たちの姿が目にうかぶ。こういった子供たちの姿を具体的にイメージすることができる。だから、ニュースをみた視聴者は、子供たちに共感をおぼえ、伊達直人がした行為に共鳴し、感情をうごかされ、「自分も同じことをしてあげたい!」という気持ちになる。

 実際のところ、寄付をうける施設としたら、現金がよいにきまっている。新聞記事のなかにも、「すでにランドセルを用意した子供もあり、一部は上級生にまわす」という説明があった。「何かを贈る前に、その施設に連絡して、いま、なにが必要かたしかめてから贈物をきめていただくのがよいと思います」とコメントしたNPO法人のひともいた。

 だが、寄付する人間にとっては、現金を贈ることで精神的満足感を得ることはむつかしい。お金がどういったふうに使われ、どういったふうに役立ったか具体的にイメージできない。赤い羽根共同募金とか歳末たすけあい募金とかにお金を寄付する気分にならないのは、そこに具体的なストーリーがなく、感情を喚起するものがないからだ。

 タイガーマスク現象をみて、「寄付したという実感を感じることが大切だとあらためて認識した」と書いている新聞記者もいました。「寄付を募る団体は、もっとマーケティングに力をいれるべきだ」とコメントしているひともいました。

 寄付白書2010年(日本ファンドレイジング協会発行)によると、個人が一年間に寄付している総額は日本では5455億円で、名目GDP比率0.12%。これに対してアメリカは2274億ドル(約19兆円)で比率は1.6%、英国99億ポンド(約1兆3000億円)で比率は0.68%となっている。

 寄付を募るためのマーケティング活動をするさいに、お金がどう使われるかを具体的に見せるPR活動も重要だが、まず第一にしなくてはいけないことは、寄付をするひとたちの心理を考えることだ。

 文化人類学では、贈り物は重要な研究テーマで、意識的であれ無意識的であれ、贈り物をするひとは、必ずなんらかの代償を求めているとされる。たとえば、クリスマスプレゼントは互いに贈りあって交換する。お歳暮でも、贈る人と受けとる人との上下関係によって、ある一定レベルのお返しをすることが期待されている。寄付の場合は、一方的に金銭や贈物をあげるようにみえますが、寄付するひとは、それによって、精神的な満足をえたい、優越感をえたい、罪悪感を減らしたい・・・等々のお返しを(意識していないとしても無意識のうちに)期待しているのです。

 なぜ、寄付をするかの理由には様々なものがある。そのうちのいくつかを挙げてみます。

  1. だれかの物語に感情をうごかされた
  2. だれかの人生を変えることが自分にもできると感じたい
  3. 共同体やグループとの絆(きずな)を感じたい
  4. 税金控除のために必要
  5. 寄付することはクールだ
  6. 自分の社会的地位やイメージを高めたい
  7. 自分が幸せだから、恩返しをしたい(そうしないと、ある意味、罪悪感を感じる)
  8. 指導者的立場というか、みなから尊敬されるような手本となりたい

 今回のタイガーマスク現象は1番目の「物語に感情をうごかされた」から、5番目の「寄付をすることはクール」に移って引き起こされた現象といえる。そして、一番最初にランドセルをクリスマスプレゼントした伊達直人さんは、 2番目の「自分は誰かの人生を変えることができると感じたい」と思ったのかもしれないし、7番目の「自分だけが幸せなことに罪の意識を感じ、少しでもおすそわけしたい」と思ったのかもしれない。

 4番目の税金控除に関しては、アメリカの寄付金額が多いのは、税金控除があるからだといわれる。日本でも、2011年度から、NPO法人などに寄付すると寄付金の半分ほどが所得税や住民税から控除される減税措置がとられるようになる(鳩山前首相が強く主張して実現した税制改正です。害を及ぼす以外なにもしなかった前首相のたったひとつの善行です)。だから、日本でも寄付活動が活発になるのではないかと期待されている。  

 「金持ちはケチだから金持ちなのだ」とよく言われるが、これはアメリカでも同じらしい。金持ちほど寄付しないことが調査で明らかになっている。所得でセグメントすると、年収10万ドル以上の層は、5万から10万の層よりも、寄付金の率が低くなる。たとえば、65歳以上で10万から20万ドルの年収のひとは、収入の1.5%を寄付する。が、5万から10万ドルのひとは、年収の4.2%も寄付するそうだ。

 だから、大金持ちには、税金控除以外にも、6番目の「自分の社会的地位やイメージを高める」とか、8番目の「指導者的立場に立ちたい」という名誉欲を刺激する必要がある。

 だが、日本では、個人が大金を寄付すると、やり方によって、売名行為だと非難されるリスクがある。良く言えば平等意識、悪く言えば横並び意識の高い日本では、余り目立つと、「出るクイはうたれる」でバッシングを受けることが多い。そもそも、金持ちであること自体が、妬まれる対象となる。目立たないほうが良いということになると、匿名で寄付するしかない。しかし、お金持ちが寄付をするのは、税金控除以外には、自分の社会的地位やリーダー的立場に立ちたいという欲求によることが多い。名誉欲のために寄付をするのだから、匿名でしていては、なんのために寄付しているのかわからない。

 寄付支援団体が、寄付金をふやしたいのなら、寄付を匿名でしないように社会の意識を変えることがまず必要だ。タイガーマスク現象に関して、「匿名での寄付は日本人特有の照れの文化の表れ」と説明されている。照れるという行為自体を、人類の進化の歴史からみれば、自分を謙虚にみせ、他意も野心もないことをみせ、まわりから特出しないようにみせる手段である。

 アメリカでは、お金持ちでなおかつ有名人、つまりセレブになると寄付をしなければいけない。そうでないと大衆やメディアから非難される。こういった海外の事情を紹介しながら、日本においても、金持ちが寄付をするのは社会的常識だという雰囲気をマスコミといっしょにつくりあげる。これが、まず、第一に必要なマーケティング活動だ。

 ギフト・ビジネスの話にうつります。

 といっても、お歳暮とかお中元とかいったフォーマルな贈り物ではない。これから成長が期待できる友人や家族間のカジュアルなパーソナルギフトだ。パーソナルカジュアルギフト市場は、2008年で前年比6.3%増の3.4兆円。不景気でお歳暮お中元のようなフォーマルギフトが減っているにもかかわらず順調だ(矢野経済研究所調べ)。

 内需拡大が叫ばれているが、すでにある程度の商品を持っている消費者の購買意欲は低いといわれる。だが、自分は必要なくても、他人にギフトをあげることはできる。ギフトをあげることで、精神的満足感を得ることができる。育ててくれた恩義を感じる両親に贈ることで罪悪感を減らしたり、友人との絆をつよくしたり、また、他人にあげることで幸せを感じることができる。

 アメリカの社会心理学の実験によると、自分のためにお金を使うことよりも、他人のためにお金を使ったほうがより幸せになるひとが多いそうだ。無差別抽出された一般市民600人の調査によると、ギフトや寄付により多くのお金を使うと、よりハッピーになることが明らかになった。つまり、贈り物と幸福とには相関関係があるということだ。また、46人の学生を2グループに分け、20ドルわたし、そのお金をその日のうちに、1)自分のために費やす、2)友人や家族のために費やすという異なる条件をつける。結果、友人や家族のためにお金を使ったグループのほうがより多くの幸福感を感じたということがわかっている。

 つまり、自分にはもう買いたい商品はなくても、他のひとに何かを買って贈ることで精神的満足をえてハッピーになる。そして、もらった相手は、お返しをすることが社会のおきてだ。だから、パーソナルギフト市場は成長が期待できる。

 ということで、パーソナルギフト先進国のアメリカの現状をちょっと紹介してみます。

 アメリカでは、めったやたらと贈物をする機会が多い。誕生日に結婚記念日。結婚式の前に花嫁の友人や家族が集まってパーティを開きプレゼントをあげ、結婚式にもまたあげる。赤ちゃんが誕生する前にも妊婦の友人や家族が集まってプレゼントをあげ、生まれたら、またプレゼント・・・・。しかし、ギフトが一番売れるのはやっぱりクリスマス。11月から12月の間に、個人消費の四分の一が費やされるお国柄だ。おもちゃ業界などは、クリスマスシーズンに年間売上の半分をかせぐ。

 プレゼントをめぐっては、贈る側と受けとる側の葛藤がある。受けとる側は圧倒的に現金がいい。だが、贈る側としては、現金では味気ない。他人のためにプレゼントを探すことが楽しみなひともいる。結果、アメリカでは、ギフトを返品して金券や他商品と交換するのは当然という慣習がある。レシートがあれば返品手続きが簡単にできるということで、わざわざギフトのなかにレシートをいれて贈るひともいる(店舗が、価格がバーコードで印字されていてわからないようなレシートを発行してくれる)。

 また、ネットや店舗は「ウィッシュリスト」というサービスを提供している(日本でもアマゾンが「ほしいものリスト」という名前で同じサービスを始めている)。たとえば、結婚するカップルが、ネット上やデパートでウィッシュリストをつくり、そこに、自分たちが欲しい商品のリストを掲載し、プレゼントをくれる予定のひとたちに、そのリストのなかから選んでほしいと依頼する。ほんとは現金がいいけど、どうしても品物をおくりたいというのなら、このリストのなかから選んでね・・・・というわけだ。

 なんだかプレゼントする気が失せる。が、アマゾンは、それよりもっと巧妙なやり方を考えているらしい。

 アマゾンサイトで友人にギフトを買ったとして、相手の友人はそのギフトが送られてくるまえに返品できるシステムだ。

 唖然!!

 もっとも、こういったシステムの特許をとったというだけで、いつどういった形で実行するかはわかっていない。特許の内容から推測すると・・・アマゾンはギフトの受取人に品物を送る前に、「誰々さんからこういった商品がギフトとして指定されました。あなたはこれを受け取りたいですか?それとも、同等価格の他の商品に交換したいか、場合によって、金額を足してより高いものを買うこともできますよ」とメールで通知する。ギフトの受取人は、このサービスによって、返品する手間が省ける。アマゾンだって配送料金がかからないぶん得をする。アマゾンはこのシステムの特許を2006年に申請してすでに許可がおりている・・・そうだ。(ただし、アメリカではギフトカードの利用が伸びていて、結果、クリスマスギフトの返品率が10年前の38%から13%(2009年)に下がっており、こういったサービスはもはや必要ない。だから、アマゾンは特許はとっても実行しないのでは?という声もあります)

 ここまでくると、贈るひとの精神的満足感は得られそうもない感じがします。ギフトを贈ることでハッピーになる・・・という心理学の実験結果もあてはまらないような気がします。実際、12月になると、クリスマスに誰に何を送るかのストレスで、頭痛がしたり睡眠障害に悩む人がいっきょに増えるそうです。

 いくら内需拡大に貢献するからといっても、家族、友人・知人に贈り物をするときは、自分が幸福を感じるくらいのレベルでやめておきましょう。まちがっても、ミクシィーやフェイスブックの「友人」全員にプレゼント・・・なんてことは考えないようにしましょうね。

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参考文献: 1.「始まる?寄附元年」 朝日新聞1/6/11、2.「覆面の善意は照れ隠し?」、日経新聞1/12/11, 3. Richard A. Friedman, Behind Each Donation, a Tangel of Reason,The New York Times, 11/14/05, 4. Amazon's Idea: Return the gift before you get it, msnbc.com, 12/29/10, 5.John Tierney, Yes, Money Can Buy Happiness, The New York Times, 3/20/08

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2011年1月 3日 (月)

フェイスブックはメディアなのか? (無料より高いものはない)

フェイスブックは果たしてメディアなのか?

 フェイスブックはメディアである・・・・と言うのは、グーグルが検索サービス会社であると言うのと同じくらい、正しいようで正しくない。

 フェイスブックは、2010年4月に「オープングラフ」を発表しました。そのオープングラフ構想に対しては、

  1. 地球規模の「行動ターゲティング広告」が実現するかもしれないことへの驚異と脅威、この2つの感情がいりまじった意見があいついでいます。
  2. 当然のことながら、プライバシー侵害についての議論も続いています。

 オープングラフとは、フェイスブックの創業者でCEOのマーク・ザッカーバーグが2007年に造って発表し流行語にもなった「ソーシャル・グラフ」がオープンになったもの。・・・・ということで、まず、ソーシャル・グラフとは何かということから始めます。

 ソーシャルグラフは、オンライン上での個人の関係(リレーションシップ)を(ノードとエッジと呼ばれる線で)描いたグラフで、実社会のソーシャル・ネットワークのヴァーチャル版です。フェイスブックが提供するSNS(Social Networking Service)を利用するユーザー間のソーシャルネットワークは、ソーシャルグラフです。

★下の図は、6人の関係をノード(サークル)とエッジ(線)で表現したソーシャルグラフです(Wikipediaから引用

                            6n-graf
 オープングラフは、このソーシャルグラフをオープンにして、フェイスブック以外のサイトを含め、究極的には、ウェブ上のすべてに広げようというものです。つまり、「世界中の人間が、デジタルの世界においては、(フェイスブックが提供する)ひとつのプラットフォームでつながるようにする!」というものなのです。

 そのために、フェイスブックは新しいソフトウェア(ソーシャルプラグイン Plugin)を開発しました。フェースブックにつながりたいサイトは、この無料のソフトを使って、「いいね!」ボタン(Like Button)やログインボタンを自分たちのサイトに貼りつければ、それだけで、簡単に、フェイスブックとつながることができます。

 「つながる」ということは、たとえば・・・

  1. ユーザーにとっては・・・・フェイスブックのユーザーが「つながっているサイト」を訪問すれば、小さなウィンドウがポップアップして、友人の顔写真入りで、友人の誰がどのページにアクセスして、どの記事とか商品にどうコメントしているかの情報が表示される。また、ユーザーは自分のプロフィールデータを携帯して他のサイトを訪問しているようなものなので、商品を買うときに、住所・氏名などを新たに書き込む必要もない。
  2. 他のサイトにとっては・・・・初めての訪問者でも、フェイスブックから提供された情報をもとにパーソナライズされたサービスを提供することができる。よって売上が向上する。
  3. フェイスブックにとっては・・・・ユーザーが他のサイトで見たもの、買ったもの、コメントしたこと等々、すべての行動データを獲得することができる。こういった情報武装によって、ユーザーに最適化された広告を出すことができる。よってスポンサーに高い広告料金を請求することができ広告収入が向上する

 「ユーザーは、オープングラフによって、ウェブ上のどこにいっても、パーソナライズされたオンライン経験を楽しむことができる」とか、「ウェブ上をサーフィンしていて、面白そうな店があるので立ち寄ってみた。そしたら、そこに友人数人が来ていて、どの商品を買うとよいとか教えてくれるようなものだ」とか、いろんなコメントがある。

 広告に話をしぼると、フェイスブックのサイト内での広告は、他の大手サイトと比べて、CTR(クリック率)が低いことがわかっています。サイトを訪問するユーザーのクリック率は、平均して、0.04%くらいしかないといわれる。かたや、「犬、ドライフード」というキーワードで検索すれば「ペットフード」の広告が出てくるグーグルの場合は、検索したひとたちの8%が、最初に出てくる広告をクリックしているといわれる(そのぶん、グーグルの広告料金は高い)。

 フェイスブックとしては、ライバルに対抗して広告収入をふやすためには、サイトにアクセスしてきたユーザーに、1)他のサイトで、犬を購入したという情報をもとに、ドッグフードの広告を出す、2)そこに「いいね!ボタン」がついていて、クリックすると友人の一人が、「このお店の商品は他よりダントツ安い」とコメントしていた・・・・というようなパーソナライズされた広告を出そうというわけだ。

 当然のことながら、プライバシーへの懸念がある。オープングラフは個人情報の流出だと猛烈な反論もある。だが、フェイスブックは、1) 知人情報はユーザーだけに表示される、2)自分のプロフィールに公開したくない情報は書かなければいいと反論する。そして、他のサイトでの行動情報が自動的につつぬけになってしまうじゃないかという抗議に対しては、3)いやならオプトアウトすればいい・・・と答える。

 ここで問題なのは、オプトアウトをする・・・・ということだ。

 フェイスブックのユーザーは、フェイスブックが他サイトと情報を共有することに対して、ユーザーになった時点ですでに了承していることになっている。つまり、デフォルトで(初期設定でそうなっているので自動的に)オプトインしているということなのだ。

 ユーザーとして登録するときに登録ボタンをクリックすると、利用規約およびプライバシーポリシーに同意することになる。これは、ほとんどどこのネット企業でも同様なやり方をしている。そして、細かい字で書かれた利用規約とかプライバシーポリシーを読むひとなんてほとんどいないだろう。

 調査によると、フェイスブックのプライバシーポリシー(英語)の長さは、5830字(2004年には1004字だった。そして、ツイッターは現在でも1203字)。ニューヨークタイムズの記事によると、フェイスブックでは個人情報を第三者と共有しないようにするためには50もの設定をチェックしなくてはいけない。よって、オプトアウトするために必要な手続きは非常に煩雑なものになるそうだ。

 私自身は、マーケッターの一員として、他のサイトに自分のある程度の情報が流れることに目くじらは立てないつもりだ。だが、デフォルト(defoult)でオプトインになっているというネット業界のやり方には異議というか、原理的(?)コメントをいいたくなる。

 日経新聞に林紘一郎氏(情報セキュリティ大学院大学学長)が、グーグルの書籍の電子化に関して次のように書いてる。「・・・現行の著作権制度に従えば、書籍は事前に権利者の許諾を得ないと複製できないこと(つまりオプトイン)のが常識だが、(グーグルが)採った態度は許諾なしに膨大な複製を行ったあとで権利者団と和解するという、世間からみれば破天荒なものであった・・・」。つまり、「グーグルの行動様式は、オプトアウト(関係者の同意を得ないで処理を行い、異論がある場合には、退出できるオプションを用意しておけば許される)をデフォルト(初期設定)と考えるものである」。

 フェイスブックCEOのザッカーバーグは「ウェブの世界では、デフォルトがソーシャルである」といっている。この発想からいけば、初期設定が個人情報をオープンにすることになっていることは当然だ。

 グーグルは、「世界中の情報を誰もが簡単にアクセスできるようにする」ことが創業時からの目標だ。そして、フェイスブックは、「世界中の人間をつなげる」ことが今の目標のようだ。 

 すでに5億人集まっているから、そんな目標をたてる気にもなるんだろう。昔、人類皆兄弟なんてスローガンもあったし、DNA的には祖先は同じで、みんなつながっている。だが、誰もがつながりたいってわけでもないだろう。それに、皆兄弟だといっても何でも話す、つまり情報をオープンにしたいわけでもないだろう。(日本のオタクはアンチソーシャルがデフォルトのはずだし・・・・)。

 私が、たとえば、長渕剛のコンサートチケットをぴあで買ったとして、一ヵ月後にアマゾンのサイトを訪問したら、長渕のCDがレコメンドされたとしたら・・・・? あるいは、フェイスブックを訪問して、サイト内のアマゾンの広告をクリックしたら、長渕の歌声が流れてくる。その上、そばにある「いいね!ボタン」をクリックしたら、その曲が好きな友人の写真が飛び出てきて、「長渕の曲で、最近、はまってるのは~」なんて好きな曲を推薦してくれる・・・というものだったら。そしたら、買うか? うーん、うざいなと思いながらも、買ってしまうかも。

 あっと、ダメダメ。原理的に反対意見を書くのだった。

 一歩も五歩もゆずって、パーソナライズドされたオンライン経験には「意味ある」ものもあるとしよう。

 だが、そのために、わたしたちは何を犠牲にしているのか? 

 ネットの登場によって、多くの情報が無料になった。「フリー/無料からお金を生み出す新戦略」という本も出版されている。「デジタルなものは無料になる、だが、企業は無料でサービスを提供しても、それでもお金儲けはできる」といったようなテーマで、ベストセラーにもなったらしい。だが、無料でビジネスは成り立たない。「人類皆友人か夫婦になれる(アメリカではSNSサービスで結婚するカップルが増えているらしい)」サービスを無料で提供している会社フェイスブックは、広告で収入を得なくてはいけない。

 そして、行動ターゲティング広告にすれば、広告収入は向上する。・・・というかライバルのグーグルにクリック率で追いつくことができる。そのためには、パーソナライズドされた情報が必要だ。

 グーグルやフェイスブックという企業が無料でサービスを提供して、その過程において、社会と摩擦を起こすことがあったとして、それは、結局は、サービスにお金を払わなくなった私たちが悪いのである。

 私たちは、無料で価値ある情報を得る結果として、自分自身の情報を提供しなくてはいけなくなっているのだ。

 欲しい情報と自分の個人情報と物々交換をしているようなものだ。

 無料(タダ)より高いものはない。昔からいうコトワザどおりなのだ。 

 ・・・・タイトル「フェイスブックはメディアなのか?」のテーマに戻します。

 フェイスブックは、いまは広告で収入を得ているから広告メディアかもしれません。が、フェイスブック・プラットフォームは、5億の人間のデータから構築されたプラットフォームです。現在は、北米とヨーロッパで全ユーザーの60%を占めていますが、シェア17.5%のアジアでのユーザーの増加率は15.3%で欧米の約2倍。また、アフリカのシェアは現在1.6%ですが、増加率は21%です。人口の多い国のユーザーの増加率か高いことを考えると、「すぐに10億に届く」というフェイスブックCEOのコメントは現実味をおびています。

 10億の人間のデータから構築されたプラットフォームを持つ会社がたんなる「広告メディア」で終わるはずがありません。きっと、新しいビジネスを考えていることでしょう。

 世界18カ国5万人のネットユーザーを調査した結果(HBR8月号)によると、日本は世界の異端児です。ソーシャルメディアを使ってネットワークを積極的に広げようとしている世界のなかで、日本はソーシャルメディアを限られた友人や知人とつながるために利用している傾向が高いそうです。

 そのせいか、フェイスブックの日本におけるユーザー数は約200万人といわれています。かたや、フェイスブックとは違いクローズドな方針をとってきているミクシィの登録者数は11月時点で2190万人です。

 しかし、こういった傾向がこれからも続くわけではないでしょう。日本と同じく国内SNSが強いといわれた韓国で、いまフェイスブックは73%という世界最速の勢いで伸びています。(10年7月現在で直近3ヶ月の成長率)。

 最後に話しのネタをひとつ。 フェイスブックは5億人というユーザー数からひとつの国家にたとえられます。たしかに、国民総背番号制も採用できず国民のデータの一元化のできていない日本国と比べれば、国家としてのインフラはよほど整備されているかもしれません。ネットの世界の憲法ともいうべき利用規約とプライバシー・ポリシーに関していえば、フェイスブックのものは5,830字からなると書きました。これは、4,543字からなるアメリカの憲法より長い。この点からも、フェイスブックはすでに国家の体をなしている・・・・って、これはジョークでしょうか?!

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 参考文献: 1. Gulbert Gates, Facebook Privacy: A Bewildering Tangle of Options, 5/12/10, The New York Times, 2.Facebook: One Social Graph to Rule Them All?, CBSNews, 4/2 Graph to Rule Them All?, CBSNews, 4/21/ to Rule Them All?, CBSNews, 4/21/10, 3. Zuckerberg: "We Are Building A Web Where The Default Is Social", The Washington Post, 4/21/10, 4. Facebook's outrageous privacy policy: By the numbers,5/17/10, The Week, 5.Is Facebook Trading Privacy for Profit?, RedOrbit News, 5/3/10, 6. Brad Stone, How Facebook sells your friends, Bloomberg Businessweek, 9/24/10, 7. 林紘一郎、経済教室「グーグル・ヤフー提携を考える」、日本経済新聞社11/17/10、8.Mapping the Social Internet, Harvard Business Review July-August 2010、9.「こうなる2011年」日経ネットマーケティング2011.1

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