マーケティング2010 Feed

2010年7月22日 (木)

顧客サービスをやりすぎると・・・(数字が教えてくれるザッポスの真実)

 都内某デパートの化粧品売り場でジュリークのハンドクリームを買おうとしたら、な、な、なんと! 売り場がなくなっていた。皮膚アレルギーが少しある私は、ハンドやボディクリームはジュリーク製品しか使わない。そして、オーストラリア産の自然化粧品はけっこうお高い。某デパートでは洋服も買うし、洋服を買うのは大好きだし、年間累計購買金額でいけば優良顧客セグメントに入っているほうだと思う。

 「なのに、売り場がなくなるというのに案内も来なかった!」とむかついても、フツーは、お店に文句を言ったりしない。メンドクサイし、ジュリークを売っているデパートは他にもある。ところが、この某デパートを出ようとしたら、出口のところにインフォメーションデスクがあり、そこに内線用電話機がドンと置いてあった。しかも、時間もあった。で、お客様相談室とかなんとかいう係りに電話をして苦情をいったら、化粧品売り場の責任者から電話をさせるという。

 で、その日、自宅に、その某責任者から電話がかかってきた。「売り場がなくなるというご案内は、ジュリーク製品の価格改定のおしらせといっしょに郵送いたしました」という。そんなDMがきていたかもしれないが、宣伝DMと思って、きちんと読まずに捨てたかもしれない。

 それは、まあ、どーでもよい。

 だけど、「お客様にご迷惑をおかけして申し訳ございません」とひたすら丁寧に謝る責任者と話していて、なんとなくムカツク。相手の話し方に何かが足りないと思うのだが、その理由もわからないまま、「あなたの話し方はマニュアルどおりだし、型どおりにあやまられても仕方がないから、もういいです」と電話を切ろうとしたら、(そこはちょっと感心したのだが)某責任者が食い下がって、「あのぉ、お客様、私の話し方のどこがいけないのでしょうか?」と聞いてきた。

 質問されて、私は、ハッと気がついた。

 なぜ、相手の応対に不満を感じているのかわかったのだ。

 聞いてみた。「この電話をかける前に、私のデータをご覧になりました?」「・・・・・・?」「私が、たとえば、化粧品売り場で他にどういった化粧品を買っているかとか、年齢がいくつくらいだとか、デパートで他にどういった売り場を利用しているかとか・・・・そういったデータをチェックしてから電話をかけてきたんでしょうか?」 「・・・・いいえ」

 もし、顧客データをチェックしていれば、某デパートの化粧品売り場で私が利用しているのはジュリークとシャネルだけで、しかも、ジュリークはボディー製品だけ、シャネルはメークアップ製品だけ・・・と、かなり、かたよった買い方をしていることがわかるはずだ。そうすれば、「うちで買ってくださっているのは、ジュリークとシャネルだけなんですね。そのジュリークの売り場がなくなってしまったのでは、お客様もお困りでしょうが、うちの化粧品売り場にとっても問題です」とか、もう少し、私という個人に関連性(レラバンス)の高いトークができたはず。そして、私がそのトークに反応して、ちょっとばかしうちとけた口調になったら、「XXXのハンドクリームはお使いになったことがありますか? ジュリークほどにはしっとり感はありませんが・・・」と他商品をすすめることもできる。

 頑固者の私は、そういったオススメにはのらないだろうけれど、少なくとも、マニュアルから離れたパーソナライズされた・・・とまでいかなくても、2人の人間がかわす会話らしいトークもできたはずだ。

 もちろん、すべては、化粧品売り場の責任者の責任ではない(彼女は彼女なりにけっこう奮闘していた)。たぶん、この某デパートは、売り場の人間が、「売り場にとって最低限必要な顧客データ」すらも直接チェックできないような旧近代的なシステムになっているのだろう。店舗小売業にはよくあることだ。そして、経営者たちは、データ活用のなさを批判されれば、自分たちを正当化するために、個人情報保護法を遵守しているからだと、的外れなことを口にする。

 ネット販売をふくめた通販企業で、苦情や質問の電話を受ける担当者は、まともな会話を成立させるのに必要なデータにはアクセスできるようになっている。だから、つっこんだ話しもできる。顧客データにもアクセスできない店舗販売員は、こういった通販企業のサービスに勝つことはできないだろう。

 結局、多くのデパートは、顧客データベースを蓄積保存しても、ポイントカードを発行するだけで終わっている。そのポイント・プログラムも、5%~10%の値引きをしている割には、顧客のロイヤルティを高めて顧客を囲い込むという本来の目的を達成する効果も果たせていないという惨めな状況で終わっている。せめて、蓄積したデータを分析してマーケティングに利用したら?といわれているが、それもない。それとも、購買客にカードをレシートといっしょに返すときに、「お客様、有難うございました」じゃなくて、「加藤様、有難うございました」とカード会員名を読み上げることで、お客様が「わっ、パーソナルなサービス!」と感激してくれるとでも思っているのだろうか?

 顧客サービスって、いったい何だろう?

 ・・・の話しを完結するために、もうひとつの過剰な顧客サービスについて考えてみます。

 顧客サービスのやりすぎ・・・といったら、アメリカの靴(中心の)ネット通販会社ザッポスの名前が頭に浮かぶ。ザッポスの顧客サービスについて、また、2009年にアマゾンに買収されたことについては、以前にも書いている。日本でもザッポスについては本など出版されているから、知っているひとも多いはず。1)返品するときも含めて送料は無料、2)買ったあと365日以内なら返品できる、3)嬉しいサプライズを提供するために、優良顧客には要望がなくても翌日配送をすることが多い、4)顧客とのパーソナルで感情的なつながり(Personal Emotional Connection)を築くために電話での会話を強調。コールセンターは年中無休の24時間体制、5)もちろん、一時間でも早く顧客に届けるために物流センターも24時間体制で年中無休。

 お金かかりそう~~!

 そのとおり。

 ザッポスは、驚くほど手厚い顧客サービスをウリにして、2000年の160万ドルから2008年に10億ドルを突破する急成長を達成している。だが、いつも、過剰な顧客サービスからくる(売上の割りに)高すぎる経費とキャッシュフローの問題に悩まされてきた。だいたいにおいて、2008年の返品率が37%! ということは、売上が10億ドルを達成した(正確には10億1400万ドル)とはいっても、返品を引いたら、6億3000万ドルということだ。しかも、優良顧客ほど返品率が高くて50%だという。ということは、ザッポスは、優良顧客が増えれば増えるほど、売上があがっても、返品率は限りなく50%に近づくってこと?

 2008年の純利益はわずか1%。たしかに、日本の小売業も利益率は非常に低く、2008年や2009年には損失を出している企業も多い。しかし、顧客サービスで急成長!ともてはやされている企業の純利益が1%は少なすぎないだろうか? (ちなみに、ほとんどの商品を仕入れているために粗利益率も低く、送料無料や迅速な配送で経費がかかっているアマゾンでも2009年の純利益は4%くらいだ。ついでに、日本の優良小売業であるファストリテイリングの2009年8月期の売上が6850億円で、純利益が7%だった。まあ、ユニクロは製造小売業だから粗利益率が高いのは当然だけれど・・・。もっとも、アメリカの靴ビジネスは粗利益率が高く43%もあるらしい)。

 「急成長!顧客サービスNo.1!2009年には働きたい会社フォーチュン100で23位!」ともてはやされているザッポスだが、2008年の後半にはキャッシュフローが悪化して、従業員の8%をリストラしている。(キャッシュフローの問題は人件費だけの問題ではない。他の靴通販に比べて、ザッポスは販売ブランド数やアイテム数の種類が多い。そして、迅速に配送できるために、在庫を多く抱えている。その在庫の買取りにお金がいるので、在庫を担保に、銀行から1億ドルの融資を受けていた。が、経済危機発生で、在庫価値が下がってきた)。銀行が融資を引き上げたら倒産するかも・・というところまでいっていたのだ。

 こういった財務問題があって、ビジネスを続けていくためにアマゾンに買ってもらうしかなかった。

 投資していたベンチャーキャピタル企業や銀行は、トニー・シェイCEOに「従業員や顧客をハッピーにすることに執心するのは、あんたの『社会的実験』だ」と言ったらしい(2010年に、シェイCEOは「ハピネスを届ける・・・」という本まで出版している)。8%の従業員をリストラしている企業が、企業文化もへったくれもないだろう。まずは、利益と現金を確保しろ・・・と言ったらしいけど、そりゃ、当然だよね。

 ここで、突然、1980年代にバック・ツー・ザ・フューチャーします。

 80年代に、多くの産業において市場の成長が鈍化するなか、新しい客を獲得することは、競合他社の顧客をうばうことであり、それだけ広告宣伝・販促費用がかかる(いまのケータイ市場と同じ)。よって、新規客獲得経費が高くなるなか、一度つかまえた客をなるべく長い間維持し、購買頻度や購買金額を高くしてもらうために、データベース・マーケティングという考え方が登場した。 顧客一人一人のデータを保存蓄積し、それに基づいてパーソナルなサービス(コミュニケーション)を提供することで、ロイヤルティを向上し、顧客が顧客である間に企業にもたらしてくれる利益、いわゆる「顧客の生涯価値」を向上するマーケティング手法だと紹介された。当時は、IT技術の発展により、パーソナルなサービスを大量生産することができるとさえ言われたものだ。

 90年代になって、ネットが登場するとともに121(ワン・ツー・ワン)マーケティングといわれたり、あるいは(ネーミングを変えたほうが、関連システムやソフトを売りやすいというIT業界の策略で)CRMという新しい名前で呼ばれるようになったりした。が、顧客の生涯価値を向上するという目的は、80年代のデータベース・マーケティングの考え方とほとんど変わらない。

 あれから30年たったいま、苦情質問をしてきた客のデータをチェックせずに対応しようという企業は、あいも変わらず存在する。そうかと思えば、ザッポスのように、ネット企業にもかかわらず、サイトのほとんどのページに電話番号を表示し、人間の介在を強調する。よって、質の高い顧客サービスを提供しようとすれば、人間をふんだんに使うしかないのだと主張している企業もいる。

 この二つの例は次元が違う。某デパートは、30年間言われ続けてきた「データに基づくマーケティング」や「パーソナルな顧客サービス」を無視しつづけてきた企業がいまだ存在することのひとつの例だ。そして、ザッポスは、これだけテクノロジーが発展しても、「質の高いサービスを大量生産化すること」は実現できていないことを明らかにしてくれる例だ。

 その一方で、(私を含めて)消費者は、80年代以降のサービスレベルの向上に慣れ、売り手企業への要求はますます上がるばかりである。

 なんだかねえ~、脱力。

 とどのつまり、売り手企業は、過去に学んだことを次の世代に伝えていくことができないのでしょうか? 同じようなことを繰り返していくのでしょうか?

 でも、まあ、結局は、こういった歴史的事実にめげない経営者が勝ち残っていくんですよね!

 たとえば、ザッポスのシェイCEO。彼は、「ハピネス」なんて言葉をやたら使うからといってオバカではまったくありません。物理的な商品を仕入れ販売している限りは、いまの過剰な顧客サービスを提供して利益率を上げるなんてことができないことはわかっています(親会社のアマゾンと物流センターを共有したり、アマゾンのシックスシグマ手法で効率をはかったとしても、商品単価から考えれば、純利益率は上がっても3%くらいでしょう)。シェイCEOの野心は、ザッポスブランドをプラットフォームにして、本当のサービス業に進出することのようです。ザッポスホテルとかザッポス航空・・・そういえば、以前、ヴァージンレコードから始まって、ヴァージン航空を創立した例もありました。

 小売業はサービス業に入れられますが、粗利益率や利益額が限られた物理的な商品を販売している限り、提供できるサービスも限られます。損益計算書を見ればわかることですが、いまのような過剰な顧客サービスを提供したければ、それに見合った対価を払ってもらえる本当の意味でのサービス業を始めるのが一番です。ザッポスホテルなんて、すぐにでも始められそうです。もっとも、私は、思うのです。「世界中にハピネスを届けたい」と、照れることもなく口にすることができるというシェイさんは、宗教ビジネスを始めるのが一番いい。写真で見るとわかるように、すでに、名僧の雰囲気を漂わせているし・・・。 宗教ビジネスは究極のサービス業です。

 で、靴のザッポスはどうなるのか? アマゾンが吸収して、過剰なサービスを高品質なサービスのレベルに変える(返品は1年ではなくて30日以内、それと電話番号は苦情質問受付ページにだけ掲載。ただし、返品のさいの配送費無料は続ける)。他タイプの商品よりも高いという粗利益率を考えれば、4~5%の純利益率を出すことくらいはできるのではないでしょうか?

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

参考文献:1.Tony Hsieh, Zappos's CEO on Going to Extremes for Customers, Harvard Business Review, July-August  for Customers, Harvard Business Review, July-August 20 Customers, Harvard Business Review, July-August 2010, 2.Tony Hsieh, Why I sold Zappos, Inc. June 1. 2010 , 3.Andria Cheng, Zappos, under Amazon, keeps its independent streak,  MarketWatch June 11, 2010,

Copyrights 2010 by Kazuko Rudy, All rights reserved.

 

 

2010年6月28日 (月)

スティーブ・ジョブズ氏にiBrainを設計してもらう

 未来学者アルビン・トフラーが、1970年に出版した本「未来への衝撃(Future Shock)」では、「情報オーバーロード(Information Overload)」という言葉が注目を集めました。膨大な情報が存在することによって、ものごとを理解して意思決定をすることがむつかしくなる・・・という意味合いで使われました。

 それから40年後の2010年、多くのビジネスマンやビジネスウーマンが、毎日、この「情報オーバーロード」と戦っています。彼らの多くにとっては、iPad、 iPhone 4、そして今秋発売予定のGoogleTVなどという新しいメディア端末は、頭痛の源。・・・「だって、メディア端末が増えるってことは、それだけチェックしなくてはいけない情報量が増えるってことじゃないか!」。

 厳密にいえば、iPadにしてもGoogle TVにしても、まったく新しい情報を発信しているというわけではない。すでに存在している情報が形を変えて発信されているだけの場合が多い。だが、紙媒体上では文章や写真だったものが動画に変形されて発信されれば、やっぱり、情報が増殖されたことになる。

 たとえば、雑誌「GQ」がiPadに配信され、表紙のレオナルド・ディカプリオが動いて喋れば、「まったく新しい情報だ。見てみなくちゃ!」ということになるでしょう。やっぱり・・・・。

 私たちは、1960年に比べて3倍の情報量を消費しているといわれる。そして、問題は数量だけではない。ケータイやeメール、ツイッター上でのツイート(つぶやき)・・・次から次へとたえまなく情報が(ゼロ価値のものから高価値のものまで玉石混交で)入ってくる。会議中や食事中なら無視すればよいのだが、私たちの脳は入ってくる情報を見ないことに苦痛を感じるようにできている(その理由は、また、後で・・・)。だから、ついチェックしてしまう。2010年6月6日のニューヨークタイムズは、こういった現象を「ノンストップ・インタラクティビティ」と呼び、人類が進化の歴史上、かつて経験したことがない環境の変化だと書いています。

 情報オーバーロードの環境のなかで、私たちは「自分が未だ知らない、だが、知っているべき情報がどこかに存在しているのではないか?」と常に不安を感じている。ですが、最近の神経科学(ニューロサイエンス)や進化心理学の研究によると、情報オーバーロードを作り出しているのは、iPadでもiPhoneでもなく、自分自身(自分の脳)かもしれないという疑問が出てきます。

 ・・・・ということで、脳と情報との関係についての「情報」です。

 まず、最初に知っておくべきことは、脳は、「新しい情報」が「チョコパフェ(ちなみに私の好物です)」と同じくらい大好きだということです。

 そもそも・・・脳には報酬系という神経回路があって、食べ物やセックスといった生存や繁殖に必要なごほうびを得ているとき、あるいは得ることができるかもしれないと考えるだけで、ドーパミンが放出され、ハイな興奮状態になります。報酬系に動機づけされることで、人間は食べ物や異性を熱心に探す行動を起こすのです。そして、食べ物や繁殖相手の異性を探すためには情報が役立ちます。森のどこにいけばバナナの木があるという情報を手に入れたら、おいしいバナナをゲットしたも同然です。その結果、脳の進化の歴史の途中で、情報自体が(認知的)報酬となり、こういった情報を手に入れたり、手に入れることができるかもしれないと期待するだけで、ドーパミンが放出されるようになったのです。

 脳が情報を報酬とみなすようになったのは、少なくとも4000万年以上前のことだと断言できます。なぜなら、そのころに、人間と進化的に枝別れたしたといわれるオマキザルを使った実験で、オマキザルも食べ物に関する情報を「報酬」と判断していることが明らかになったからです。サルに、飲み物がもらえる前にどのくらいの量の飲み物がもらえるか、コンピュータ・スクリーンに表示される色で判断できることを教えます。5日間くらいの訓練を受けているうちに、サルの脳は、飲み物がもらえるという期待でドーパミンを出すだけでなく、飲み物に関する情報を得る期待だけでもドーパミンを出すようになります。しかも、サルは、そういった情報をできるだけ早く見たいという欲求を示すようにさえなります。(早く見ようと見まいと、飲み物がもらえることに変わりはないし、もらえる飲み物の量にも変わりはないというのに・・)。

 こういった脳の進化の結果として、現代の私たちも、情報を知りたいという衝動(本能的欲求)を持っています。しかも、情報は誰よりも早く手に入れなくてはいけません(だって、バナナの位置情報を誰かに先に知られたら、そいつに全部食べられちゃうじゃん!)。だから、私たちは、なにをさしおいてもeメールをチェックする誘惑に抵抗できないのです。

 いま入ってきたメールや、ツイッターの刻々と展開するやりとりを常にチェックしていたいという衝動は、もうひとつ、他の理由で説明することもできます。

 いまあるチャンスや危機にすぐに対応することで生存率を高めてきた原始的衝動です。

 20万年前、私たちの祖先がアフリカの草原を、食べ物を求めて歩いているシーンを想像してみてください。いつ毒ヘビやサーベルタイガーが襲ってくるかわかりません。油断大敵、ヘビにトラ!! 目や耳に新しい刺激(視覚情報とか聴覚情報)が入ってきたら、その刺激に即反応して、すぐに逃げるとか戦うといった行動を起こさなくてはいけません。新しく入ってくる刺激には、いま何をしていようとも(会議中、食事中、企画書作成中)、すぐに対応しなくちゃ!と脳は反応してしまうのです。だから、「You got a mail」のチャイムが鳴ると条件反射的にクリックしてしまうのです。

 常に継続したクライシス状態です。

 いつ、新しい情報(ニュース)が入ってきても準備ができている警戒した状態において、脳内にはノルアドレナリンのようなストレス・ホルモンが放出されています。そのくせ、新しい情報(報酬)が入って来るかもしれないという期待でドーパミンも常時放出されたミニ興奮状態でもあります。こういった状態が習慣化すると、メールが来なかったりすると、つまらなさ、物足りなさを感じるようになってしまう。これが、ケータイやネット依存症の原因です。どちらにしても、ドーパミンとノルアドレナリンと両方の化学物質が放出された脳では、複雑な思考をすることがむつかしく、ひとつのものごとを熟考して意思決定することができなくなります。

 ロンドン大学が、ヒューレットパッカードの依頼によって調査研究したところ、仕事をしているときeメールやケータイ電話がかかってきて気が散ると、IQレベルが10ポイント落ちることがわかりました。大麻を吸ってハイな状態なときにはIQが4ポイント落ちます。eメールの悪影響は、ドラッグより2倍も高いのです!

 まさに、40年前に、アルビン・トフラーが予言したとおり。「余りに膨大な情報が存在することによって、ものごとを理解したり、意思決定をすることがむつかしく」なっているのです。

 ただし・・・・。どれだけ膨大な情報が存在しようとも、脳がそれを「いま、すぐ、手に入れたい!」と思わなければ、わたしたちはストレスを感じることもないし、理性的な意思決定をさまたげられることもないわけです。考えてみれば、Googleの情報選択基準というか重要度を判断する基準が「より多くのアクセス数やリンク数(ということはより多くのひとが関心を持っているということ)」で、人間の脳のランキング基準は「より新しいかどうか」です。こんな単純な選択基準では、古くても価値ある情報を探し出すためには、かなりの手間と時間が必要となります。だから、私たちは、常に、「情報におしつぶれそう!」といった不安感に襲われるのです。つまり、原始の環境で生存率を高めるために設計された脳の仕組みは、情報オーバーロードの環境ではストレスを高め、返って生存率を低くする結果をもたらしているのです。

 iBrainという言葉は、2008年に発売された本(注1)のタイトルとして使われました。この言葉を借りていえば、私の考えるiBrainは、情報社会において、本当に重要な情報を獲得するときにだけドーパミンを放出してくれるような脳で、かつマルチタスクを効率よく実行できる脳です。新しいメディア端末に適応する形で、脳がiBrainに進化していくことは可能なのでしょうか?

 ・・・この話はまだ続きます。でも、長くなるので次回に。

 最後に、iPadの人気の理由を、脳の進化の観点から考えてみます。

 すでに書きましたが、脳は新しい物が好きです。とくに、目新しいものが・・・。

 そうです。「目」が入りましたね。まさに、その言葉どおり。目に新しく映るものが脳は好きなのです。文書情報を処理する歴史はわずか5000年足らず。話し言葉情報ですら数万年の歴史です。脳は、言葉を処理するよりも、視覚情報を処理するほうがずっと上手なのです。もう一度、20万年前のアフリカの草原を歩く遠いご先祖様を思い浮かべてください。かれらは、自分たちを獲物とする肉食動物が草原のはるか彼方にいるのを見つけて、その時点で逃げることで生きのびてきたのです。同様に、緑の森のなかで小さな赤い果実を発見するために、他の哺乳類よりも色覚を発達させることによって(ヒトやサルは赤、青以外にも緑を加えた三原色の世界で生きています)、生存率を高めてきたのです。こういった脳の仕組みを受け継いできた現代の私たちも、文書情報よりもビジュアル情報の刺激に敏感なのです。まさに「百聞は一見にしかず」なのです。ビジュアルを強調して、その鮮やかで美しい画像でユーザーの心を捉えたiPadが、他のメディア端末よりも競争優位に立つことは当然のなりゆきなのです。

 アップルは、2007年に、「本能的に使いやすい」タッチスクリーン方式のiPhoneを開発したときに、心理学者や人類学者のアドバイスを得て、人間の本能を考慮したうえで製品をつくりあげました。心理学者+人類学者=進化心理学者です。アップルは、人間の進化の過程を考えながら、触覚の次は視覚にアピールすることで、世界の消費者の心をつかみました。

 ところで、米オバマ大統領は、5月に某大学の卒業式に出席し、社会に巣立つ卒業生を前にしたスピーチで、iPadのようなメディアが1年中24時間情報を発信し続けることを批判しました。しかも、その情報の質は疑わしい内容であることも多く、「情報はもはや我々に力や自由を与えてくれるものではなくなっている・・・これは、国家や民主主義にとっての新しい悩みのタネとなっている・・・」と嘆き、テックの人々の間で話題になりました(アップルだけ槍玉に挙げるのは不公平だと思ってか、iPad以外にもマイクロソフトのXboxやソニーのPlayStationの名前も、国家と民主主義の頭痛の原因として挙げられました)。

 しかし、質の悪い情報が普及するのは、私たちの脳の仕組みにも原因があるわけですから、メディア端末だけを責めても、「国家や民主主義」の健全さはたもてません。ここは、やはり、世界一のクリエイター(創造者)であるスティーブ・ジョブズさんにiBrainの設計を、お願いしてみるというのはどうでしょうか? (・・・ということで、この話は、次回に続きます)。

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

 

注: Gary Small and Gigi Vorgan, iBrain: Surviving the Technological Alteration of the Modern Mind, William Morro, 2008

参考文献: 1.Matt Richtel, Hooked on Gadgets, and Paying a Mental Price, The New York Times 6/6/10, 2.Michael Horsnell, Why Texting Harmas Your IQ, The  Times, 4/22/05, 3. Chadrick Lane, The Chemistry of Information Addiction,  Scientific American, 10/13/09, 4.Gary Small and Gigi Vorgan, Meet Your iBrain, Scientific American, Oct/Nov 2008

Copyright 2010 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

2010年5月23日 (日)

価格は企業のメッセージ

 いまさら価格について書くのも、「タイミングずれまくりという感はあります。高額品を買うひとたちが増えてきた・・・なんてウワサも耳にするようになったし、「成城石井」のように高額PBで成功している食品スーパーを特集する記事もあちこちに登場している。利益を無視した低価格に走る自殺行為もそろそろなくなるかもしれない。なのに、いまさら価格のことを書いてもなあ・・・・と思いましたけど、やっぱり書くことにしました。

 その理由は・・・・

  1. 世界的に景気が上向いてきたかもしれないという、そのときになってヨーロッパの経済不安。やっぱり、不確実な時代なんだ。これで、また、いったん上げた価格を下げるなんて愚行に走る企業も出てくるかも。景気サイクルを予測できない時代を乗り切るためには、価格に対してしっかりした戦略をもたなくてはいけない。価格は、企業にとって、国家における安全保障と同じくらい重要な問題のだ。ハトポッポみたいにブレてはいけないのだ。
  2. 経済産業省が4月21日に、(消費者が商品やサービスに何を求めているかという)消費者意識調査の結果を発表している。「リーマンショック以降、日本の消費者は(製品・サービスそのものへのこだわりではなく)低価格がこだわりのポイントになっているという一般論がよく聞かれる。が、果たして、消費者の購買意識の実像はどうなのか・・・・」という調査概要からもわかるように、デフレ懸念をもつ経済産業省がその傾向をくいとめることを目的に調査し発表した感がある。つまり、安売りしなくては売れないと思い込んでいる企業に、「それは大きな勘違いだよ。この調査結果をみてごらん」と、利益なき価格競争にストップをかける説得材料として調査をした・・・ともいえる。調査結果は、朝日新聞が「値引き、デフレ招く」という見出しで紹介したように、1)各製品とも平均価格で売られている場合、価格重視は約50%、2)平均価格より2割安くなると、価格重視は60%に上昇、3)平均価格よりも2割高くなると、価格重視は40%に減少・・・となっている。

 経済産業省は、この結果をふまえて、価格を下げると、消費者は更に価格を重視するようになり、際限なき価格競争におちいらざるをえなくなると結論づけている。つまり、企業の低価格戦略が、消費者の価格への意識を刺激して、デフレを加速させているということだ。なんだか、ちょっと、結論が先にきまっていて、それに従って構築された調査のような気がしないでもないけど・・・・。でも、まあ、結論は正しいと思うので、調査方法についてケチをつけるのは止めにしよう。

  企業経営者は「値ごろ感」という言葉をよく使う。そして、品質+価格=値ごろ感だという。だが、消費者には、価格と品質を論理的に比較して、いくらなら最適だという絶対的基準があるわけではない。同じような商品と比較して、高いとか低いとか判断しているだけなのだ。つまり、著名なナショナルブランドが300円なのに聞いたこともないブランドの商品が同じ値段なのは高すぎる・・・とか。先週は250円だった商品が、いまは200円になったから割安だ・・・・とか。消費者には参照する基準価格が必要なのだ。それがないと、安いのか高いのか判断できない。つまり、消費者の持っている「値ごろ感」は相対的な感覚で、とうふの値段だろうとレクサスの値段だろうと、いくらなら「値ごろ」だなんていえるような絶対尺度ではないのだ。

 だから、「顧客の声に耳をかたむける」ことなどしていたら、経済産業省の結論どおり、益なき価格競争に突入することになる。

 「値ごろ感」は顧客が決めるものではなく、(消費者の実態と無意識の心理を知った上で)売り手が決めるものなのだ。

 そして、売り手は、その値段が値ごろだと買い手が感じられるような状況や仕組みをつくってあげる。単純な例でいえば、たとえば、スーパー店舗でNBの洗剤のそばに低価格のPBの洗剤をおいて、PBの安さを強調する。ユニクロのジーンズの主力は3990円だった。だが、2月に新ブランドUJを発売して、2990円と1990円の2種類の価格の商品をそろえた。高中低3種類の商品を出すことで、懐具合の異なるすべての客にアピールできるはずだった。が、いざ、ふたを開けてみたら、価格帯ごとの差が消費者には伝わらず、低価格品の売上が予測を下回った。よって、2990円をなくし、3990円と1990円の2種類にして、違いをはっきりさせる戦略に変える予定だそうだ(日経MJ5/21/10)。

 昔から、すし屋やうなぎ屋では、松竹梅と価格が違う(もちろん中身も違うはず)メニューを提供することで、すべての顧客のニーズにこたえる戦術をとったものだ。比較できる対象をつくっているわけで、これによって、高いものはその高さが強調され(高いからおいしいはず!)、反対に低いものはその安さが強調される。結局は、両極端を避けて真ん中の値段のものが一番よく売れる・・・といったものだ。だが、ユニクロのジーンズの場合、高低だけのほうが、消費者にはその違いが明確に感じられた・・・ということ。こういったことはテストをしてみるのが一番。実際に発売してみて、悪ければすぐに変更するのがユニクロの強さのヒ・ミ・ツ。

 マクドナルドは高額品と低額品とをうまく使い分けている。100円バーガーとか100円コーヒーとかを揃えて安さをアピール。だが、これによって、単価が下がるのを避けるために、350円以上するクォーターパウンダーとか期間限定の高額品をメニューに加える。そして、TVコマーシャルでは高額品を強調することで、低価格ファストフード店のイメージを避ける。いずれにしても、マックにおいて、高額品は低額品があるからこそ、その価値を主張することができるし、低額品は高額品があるからこそ、安さを主張することができるのです。

 「訳あって安い」商品が人気です。皮が破けためんたいこ、脚が折れたカニ、生地に多少の痛みがある洋服・・・だから安いと説明すれば、もともと絶対基準がない消費者は、「ってことはお買い得なのね!」と納得するのです。売り手がウソをついているという意味ではなく、そういった状況を説明して、消費者に比較する、あるいは参照する基準をつくってあげる(この場合、比較する対象は、たとえば、脚の折れていないカニの値段になります)。そうすれば、消費者には安さが実感できるようになるのです。 

 西友が2008年に、他店のチラシに西友より安い同一商品が掲載されていれば、価格を安いほうにあわせますという「価格保証」の販促を開始した。これは、親会社のウォルマートが、アメリカで、ディスカウントストアとしての知名度がいきわたっていないころによくやっていた販促です。この手法は「うちはどこと比べても絶対安い!」 という売り手の自信が買い手に伝わるようにすることが目的です。こういったメッセージを耳にし目にする消費者は、あの店は安い店だと感じ取るのです。実際には、アメリカでも日本でも、値引きを求めてくる客数は非常に少ない。西友でも、実際に値引きをした例は、一日一店舗当たり10件程度。90年代後半に同じ価格保証サービスを実施したホームセンター大手のカインズも、このシステムを活用する客は少なかったといいます。実際にチラシを比較する消費者の数は少ないのです。それでも、こういったメッセージを継続して送り続ければ、あの店は安い店だというイメージが定着するようになるのです。

 ニトリは2008年5月に、「一度値下げした商品の売価を元に戻すことはありません」と宣言しました。これも、ニトリは景気とか他店との競争とか状況が変わることによって価格を下げたり上げたりする企業ではないことを、そして、自分たちは安い商品を継続して提供することを目標としていることを消費者にしらしめる自信あふれるメッセージなのです。これも、やはり、ウォルマートがディスカウントストアとしてのイメージを確立するために使った手法です。

 そろそろ本題に入ります。

 「不況時に独り勝ち」といわれている企業は、ある程度のレベルの品質の商品を安く提供しているということだけで、売れているわけではないのです。「安さ」を消費者が感じ取ることができるような仕組みや状況をきちんと作ったうえで、安い商品を提供している。だから、売れているのです。

 高額品を売っている企業は、それだけの努力をしているのでしょうか? 「訳あって安い」の実例はよく見ますが、「訳あって高い」と消費者にコミュニケーションする努力をしている企業はそれほど見られません。

 最近、モノ消費 vs コト消費の対比もよくとりあげられます。これも、消費者には購買選択に絶対基準がないことを示す良い例です。消費者はそのときどきの状況や文脈(たとえば、商品の紹介の仕方)によって、買う買わないの選択を変えるのです。だから、チョコレートが食べたければコンビニで明治の板チョコを買う(モノ消費)。だが、バレンタインというストーリーがあれば、一個数百円どころか数千円もするような生チョコを買うのです(コト消費)。節分の日に恵方を向いて食べれば吉が訪れるというストーリーがあれば、太巻きが売れる。今年などは、一本数千円もする高額品まで売りに出されたそうです。

 高額品を売っている企業は、不況で売れないと嘆く前に、こういったストーリーをつくる努力をしているのでしょうか? 低額品と並べることで高額品のよさが際立つような仕組みをつくっているのでしょうか?

 牛丼の吉野家が、米国産よりも仕入れ価格の安い豪州産を使うライバルが牛丼価格を値下げするなか、米国産にこだわるがゆえに380円を堅持。結果、280円の「すき屋」や320円の「松屋」に顧客をとられて、過去最悪の赤字を計上・・・という記事が4月初めに掲載されました。牛丼とはとんと縁のない私ですが(ただし、朝食の納豆定食は好きです)、吉野家が、BSE問題が発生したときに、牛丼販売を休止せざるをえなくなっても味の良い米国産にこだわったことで、消費者からも拍手喝さいを受けたことは覚えています。でも、その後の吉野家は、米国産へのこだわり、味の良いものを提供したいことへのこだわりを、消費者に充分コミュニケーションしてきたといえるでしょうか? 消費者に、そのメッセージを伝えるために、たとえば、2種類の価格帯の牛丼を販売することもできたはずです。米国産の牛丼には思い切って高価格をつけ、豪州産の牛丼にはライバル店より低い価格をつけて販売する。それにより、低価格だけにこだわる客も、おいしいものにこだわる客も(味の違いがわからない客だとしても、2種類の価格の商品を提供することで、高いほうがおいしいに違いないと感じるものです)・・・両方の客をひきつけることができ、単価も客数も下げずにすんだかもしれません。

 もし、米国産の牛丼の味は絶対においしいという自信があったのなら、こういった価格メッセージで、その自信を消費者に伝えることもできたのでは?

 ケータイ・メーカーの大手ノキアの日本市場における価格戦略は、「粋(いき)」だと思います。

 ノキアは2008年末に、これ以上、益のない低価格競争に巻き込まれていても仕方がないと日本のケータイ市場から撤退しました。しかし、間を置くことなく、2009年初めには、一台600万とか900万円とかする最高級ケータイブランド「ヴァーチュ」の直営店を開けました。これは非常に賢いビジネスのやり方だと思います。なぜなら、GDPで中国に抜かれようと、日本はまだまだ経済大国。将来、いつか、また、日本市場にケータイあるいはその他のモバイル端末で戻ってくるチャンスがあるはず。最高級ブランドをのこしておけば、ノキアのイメージや知名度はある程度保てます。げんに、つい最近も一台2000万円の蒔絵のケータイを発売して、マスコミで取り上げられました。世界でたった4台しかない限定品です。これはもう、売上を上げるとか何よりも、ストーリーを提供してTVや新聞雑誌で取り上げてもらう、つまり、PRのためにつくった製品です。日本の消費者に忘れられないように時々話題を提供して知名度やイメージを保ち、いつか、また、チャンスが出てきたら、他の製品を発売すればよいわけです。

 価格は企業のメッセージです。ですから、むやみに上げたり下げたりすることは、メッセージが常に変化して国民の信頼をすっかり失ってしまった首相と同じ運命をたどることになるのです。もともと、価格と品質との関係において絶対基準のない消費者にとって、価格がぶれるということは、品質がぶれることであり、その商品や売り手への信頼感を失うことにつながるのです。

 逆オークションということで有名になった古着ショップがあります。「ドンドンダウン」という名前の店は全国に27店舗あります。ここでは、毎週水曜日になると値段が1000円ずつ安くなります。客はそのことを知らされていますから、気に入った商品が見つかっても、もう一週間待てば、いま3000円のものが2000円になることもわかっています。だが、その間に、誰かに買われてしまうかもしれません。悩むところです。この値下げ方式には、「在庫になる前に売り切りたいから値下げしますよ。でも、少なくとも、いつ値下げするかお教えします。私たちはフェアな売り手なのです」・・・そういった売り手のメッセージが感じられる。顧客も納得できる値下げ方式です。

 安売りで有名になった企業は、低価格製品をつくる努力をしているだけではないのです。「お買い得商品が売られている」ことを消費者に感じ取ってもらう努力もしているのです。高額品を売っているデパートはむろんのこと、高額衣料品メーカー直営店舗、高いから客足がへったというレストランチェーン等々は、それだけの努力をしつくしたのでしょうか? 

 ヒジョーに疑問です。

 売れないことを高い価格だけのせいにしないでほしい・・・・。

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

参考文献: 1.西友の値引きどこまでOK? 日経MJ 12/12/08、2.激動ジーンズ攻防し烈、日経MJ 5/21/10

Copyright 2010 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

2010年4月29日 (木)

「物語」を紡げなければ経営者失格!

 「そのとき創業者は何と言ったか--。創業者の顔を知らない若手を集め、古株の役員が往時を語る。ファスナーの世界最大手のYKKがそんな試みを始めた」という記事を読みました(日経新聞3/22/10)。2009年度には6人の取締役が「社員との語らいの場」を各人2回ずつ計12回受け持ち、2010年度にはこれを30回程度に増やす計画だそうです。

 YKKのファスナーは世界市場の45%のシェアを持っていますが、「未開の市場に果敢に挑戦する企業風土が失われている」のではないかという危機感から、「一代でYKKの基礎をつくった創業者吉田忠雄の姿を見てきた自分たちの役割は、創業の理念を正しく次の世代に伝えることだ」と、役員たちは考えているそうです。

 この記事を読んで思ったことがあります。

 企業理念を「物語」として語れる企業は幸運だ。こういった企業には、創業者とか中興の祖とか呼ばれる人物がいて、このひとが言ったことやしたことを中心に物語をつむぐことができる。

 こういった人物が存在しない企業のホームページの多くには、企業理念の下にビジョンとかミッションとかバリューといった、ビジネススクールで使われている教科書から抜粋したような抽象的な言葉が並んでいる。そして、たとえば、「株主や顧客、取引先とともに成長しながらも・・・社会に貢献する」とか、「世界文化の進展に寄与する」とか、誰もが反対できないような立派な約束事が続くのです。しかし、こういった抽象的な言葉では株主はむろん社員の心さえも動かすことはできません。こういった企業の人事部長は、創業者が松下幸之助みたいな立志伝中の人なら、社員たちが一致団結して情熱をもって働くような企業風土や企業文化をつくることができるのになあ~~とうらやまく思っていることでしょう。

 でも、創業者が言った言葉を掲げるだけでは、社員の心や行動を変化させるほどの説得力はありません。

 人間の心を動かすには「物語」にする必要があるのです。

 たとえば、ホンダの社史で、「1980年1月に日本の自動車メーカーとして初めてアメリカで乗用車を現地生産する計画を発表、オハイオ州に工場を建設し、1982年11月に乗用車アコードの生産を開始した」と書かれていたとして、それは単なる歴史的事実を述べただけ。しかし、そこに、工場が完成したときに、「創業者の本田宗一郎が工場従業員と同じツナギ姿で登場し、1000人近くの工員一人一人と握手をした。自分たちにとっては『雲の上のひと』である創業者が、自分たちと同じツナギを着て現れ握手までしてくれたことに工員たちは痛く感動。外国企業への不安感がいっきょに消し去られ、労使関係がその後スムーズに進んだ」・・・と続けば物語になります。

 これに、もう少しオヒレをつけて、「宗一郎は、1981年に勲一等を授与されることになったとき、『技術者の正装は真っ白なツナギだ、だからオレはモーニングではなくツナギを着て皇居に参内する』と言う。いくらなんでも天皇陛下の前にツナギ姿では出られませんと、まわりが必死になって止めた」・・・というエピソードが続けば、これは、もう、企業理念を立派に伝える物語。どんな抽象的な言葉よりも感動を与えてくれる物語になっています。

 花王の尾崎社長は、「理念を社員の心に響かせるのは理念を具現化したストーリーを引用することが大切だ」と語っています(日経情報ストラテジー11/24/06)

 アメリカの企業が従業員へのストーリーテリングに注目するようになったのは1970年代ごろからだろうか。靴のナイキは70年代後半には、ストーリーテリング・プログラムを始め、創業にかかわった陸上競技の元コーチや元選手たち3名のエピソードを中心とする物語を、「未来に渡すべき遺産」として新入社員に伝え始めた。こういったストーリーテリングは会社が大きくなり大企業病を患うようになったとき、また、会社が危機を迎えたとき、より重要となる。ナイキは、1997年に、開発途上国の工場で労働者を低賃金で働かせて搾取していると内外の批判にさらされるようになった。こういった困難な時期を乗り越えるためには、社員のチームワークや結束が必要となる。ナイキはストーリーテリングに再度注目。シニア役員がストーリーテラーとなり、企業が過去から受け継ぎ未来に託すべき遺産を、本部長クラスから店舗店員にいたるまで、すべての従業員に語ってきかせているそうです。

 「物語」は社員へのインターナルマーケティングに必要なだけではない。ヨーロッパの高級ブランドは、ブランドにまつわる「物語」を持っているがゆえに、数世紀にわたる数多くの危機を乗り越え生き延びてきている。

 私たち人間が「物語」形式に影響をうけやすい(説得されやすい)傾向があることを証明する実験があります。

  1. TVドラマのほうがニュースよりも説得力があることを証明したアメリカでの実験・・・18歳~25歳の女子大生の半分には、高校生が妊娠してしまったTVドラマを見せ、残りの半分には、十代の妊娠がもたらす問題を特集したニュース番組を見せた。実験前と実験2週間後に、なんらかの避妊手段を使うつもりがあるかどうかの調査をした。結果、ニュース番組を見た実験参加者には意図の変化はまったく見られなかった。が、ドラマをみた女性は、避妊手段を採用するつもりだと答える割合が高くなった。
  2. 物語を読んでいるときに脳がどのように反応しているかを、fMRI(機能的MRI)で調べる実験・・・小説を読んでいる読者は(とくに登場人物に感情移入している読者は)、登場人物が本の中で感じていることやしていることをまるで自分自身がしているかのような反応を脳のなかで起こしている。たとえば、主人公がクルマのハンドルを握ったという箇所では、読者の脳内の運動に関係する神経細胞が活性化し、主人公がまわりを見渡しているときには、目の動きをつかさどる神経細胞が活性化していた。読者は小説のなかでの出来事を、自分自身の出来事として経験しているわけだ。
  3. 今年後半に予定されている実験・・・事実をそのまま伝える新聞記事、ハリーポッターのような単純な小説、プルーストの「失われたときをもとめて」のような難解な小説を、実験参加者に読んでもらい、それぞれにおいて、読者の脳がどう反応しているかをfMRIで調べる。

 進化心理学者は、人間がなぜ物語を好むのかに非常に関心をもっています。いくつかの説があります。

  1. 現実世界へのシミュレーション・・・・パイロットが実際に飛行機を操縦するまえにフライト・シミュレーションを使って訓練するように、物語を聞いたり読んだりすることで、現実世界でどういった状況にどう対応するべきかの練習をしているという説。その根拠は、世界中どこにでも、大昔から伝わる神話とか民話というものがあり、そのほとんどが共通のテーマをもっている。たとえば、男女のロマンスは、交配相手を獲得するための試練と苦難のストーリー。英雄伝説は権力闘争や社会的地位獲得のストーリーといった具合。つまり、我々の祖先は、摂食、生殖、共同体における権力争い(共同体における人間関係)をテーマとした「物語」を聞いたり話したりすることによって生存するための適応能力を強化してきたのだ。
  2. 最初の「物語」はウワサ話・・・・人間の祖先である類人猿は300~400万年前に群れを作って暮らすようになったころからウワサ話が好きだった(といっても、当時は言葉はなく、非言語的コミュニケーションを使った)。ウワサ話は、誰が信頼できるやつで、誰がウソつきで、誰がケンカをしてはいけないやつで、誰が交配相手として最適か・・・・など、グループ内で生きていくために必要な情報を得る手段だった。ウワサ話は数十万年前に言葉が生まれることによって、より活発になり、いまでも、わたしたち人間はうわさ話が大好きだ。1997年の研究では、公共の場所における人々の会話の65%はウワサ話であり、その主要テーマは、その場にいない人物について批評する・・・ことだそうです。

 人間がそもそも言葉を話すようになったのは、他人を説得するためだったと言われます。共同体で社会生活を営むなか、他人に自分が望む言動をとってもらうように仕向けるために言葉を喋り始めた。ウワサ話を通じて、仲間をだまして食べ物を独り占めしたワルの評判をおとしめ、グループ全員でシカトして懲らしめるのもその一例です。そして、グループ全体でマンモスを狩るような大仕事をするためには、十年前に自らの命を犠牲にしてマンモスの足にヤリを突き刺した人物について物語形式で話すことが、聴衆の感情移入を誘い、グループの結束を固めるもっとも効果的な説得方法であることも発見したのです。

 世界中で歴史を越えて語り継がれてきたストーリーは、太古の昔の共同体で、誰もを魅了した人物のウワサ話から始まったのかもしれません。その人物に関するウワサを聞いたひとは、その人物に感情的にひきつけられ、彼のもとに集まり、彼の命令なら命がけの狩猟にも喜んで出かけていったことでしょう。そして、そういったウワサが他の共同体にまでひろがり、世代を超えて伝えられることによって、本田宗一郎の例のように物語として発展していったのです。

 豊かなエピソードをもった創業者や中興の祖を持たない企業はどうしたらよいのでしょうか?

 物語はフィクションです。新たにつくりあげればよいのです。・・・といって、まったくなかった出来事をでっちあげろと言っているのではありません。現場を探せば、エピソードは見つかるはず。たとえば、CRMで有名になったホテルのリッツカールトンや日本のディズニーランドの物語をつくっているのは、お客様が期待している以上の親切な行為をした現場の従業員のエピソードだ。

 ウソはダメでも物語りにするためにはある程度の脚色は必要だ。欧米の一流ブランドのストーリーには100%事実ではないエピソードがかなり含まれている。第二次大戦後のアメリカで生まれた高級化粧品会社の多くの創業者の生い立ちは、なぜか、ヨーロッパの貴族で戦火を逃れて新大陸にやってきた・・・ということになっている。本当は、貧しい移民の子だったにもかかわらず・・・。最近、シャネルの創業者ココ・シャネルの生涯をたどった映画が2本つくられ上映された。両方とも見たのですが、父親に捨てられ孤児院で育てられたこと以外は、かなり違った脚色になっていた。でも、どちらの映画が真実に近いかどうかは問題ではない。どちらの物語(映画)のココ・シャネルのほうがより多くの観客の共感を得られるか、つまり、より多くのファンをつくることができるかが重要なのです。

 人を魅了する物語には、必ずといっていいほど、人を魅了する人物が登場します。だから、企業やブランドを社員や顧客にとって魅力的なものにするためには、人間を登場させなくてはいけません。企業理念とかビジョンとかミッションとかブランド・プロミスとかブランド・アイデンティティ等々をきちんと決めることは、経営陣の考えを整理しまとめるために必要なことではあります。が、顧客や社員に情熱や思い入れを持ってもらうためには、つまり感情的に結びついてもらうためには、企業やブランドに人間性を持たせることが必要です。つまり、AさんBさんといった人物が登場する物語が、そういった抽象的概念を裏づけなくてはいけないのです。

 日本企業は、社員に対しても、あるいは、消費者に対してのブランディングにしても、物語づくりがあまり上手とはいえない気がします。感情的になるのをなんとなく照れくさく思う生真面目さ、それとも謙虚さの表れか? つくられた製品をみてくれれば、他製品との違いがわかるはず、フィクションなんて余分なものは必要ないという職人気質なのか? 

 しかし、「物語」がつくれないひとには説得力がないのです。だから、経営者失格なのであります。そして、そういった考えを読者の皆様に納得させることができなかったとしたら、ブログの筆者である私にも説得する能力がないということになるわけです。ですから、みなさま・・・ブログを読んで浮かんだ疑問などさっさと忘れ、「なるほど!ガッテン」してしまってください。

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

 

 

参考文献:1.「企業の理念、語らい継承」、日経新聞 3/22/10、 2.「業務革新を持続させるリーダーの条件」日経情報ストラテジー11/24/06、3. Eric Ransdell, The Nike Story? Just Tell It! Fast Company, Com. 12/19/07, 4.TV Drama Can Be More Persuasive Than News Program, Study Finds, ScienceDaily 2/11/10, 5. Jeffrey M.Zacks. et. al. Reading Stories Activates Neural Representations of Visual and Motor Experiences, Psychological Sicence Volume 20 No and Motor Experiences, Psychological Sicence  Volume 20 No. 8, 2009 , 6. Jeremy Hsu, The Secrets of Storytelling, Scientific American Mind, August/September 2008, 7.Patricia Cohen, Next Big Thing in English: Knowing They Know That You Know, The New York Times, 4/1/10 8. Frank T. McAndres, The Science of Gosship: Why We can't  Stop Ourselves, Scientific American , 10/1/08

Copyright 2010 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

2010年4月11日 (日)

フェースブックも楽天も「同じ釜の飯」は無料 

 春です! 4月です! 新入社員です!

 ・・・・というわけで、組織マネジメントについて書いてみたいと思います。

 NHKの「サラリーマンNEO」って番組見たことがありますか? 木曜夜。シーズン5が4月8日に始まったばかりです。この番組では、2005年から、「世界の社食」シリーズが放映されています。記念すべき第1回は、もちろんGoogle。だって、グーグルの社食は世界一グルメでしかも無料(タダ)。本社(Mountain View)に散在している18件のレストランは、伝統的アメリカ料理とかエスニック料理とかスシとか・・・テーマ別になっている。そのうえ、いつでも手軽にスナックやコーヒーを飲み食いできるコーヒーカウンターが、社内に40件以上もある。朝、昼、晩、いつでも好きなときに、料理本まで出している有名シェフ(グーグルの社食を調理しているから有名になった・・・ともいえるけど)がつくった食事をタダで食べられる。

 問題は経費。2009年には毎日18000食が提供されたというけど、その費用はいくら? 2007年にワシントンポストの記者が、一人一日10ドルとして一日当たり10万ドルは使っているだろうと計算している。 

 この莫大な経費が負担になって、2008年には、さすがのGoogleも無料社食を止めるのではないかというウワサが流れた。1)景気の悪化、それと、2)社員がグルメの誘惑に負けて体重過多になり健康も悪化・・・などとジョークまじりの(でも、マジに、新入社員はあっという間に5kgは太るらしい)ニュースが流れた。同じシリコンバレーの有名企業シスコが、ミネラルウォーターや清涼飲料水を無料で社員に提供する制度を、経費節約ということで、2008年に中止した(それまで年間2000万ドルかかっていた)。そういう背景もあって流れたウワサだが、グーグルに関しては、ただのゴシップで終わったようだ。

 不安定な経済環境にもめげず、2009年になって、Googleに負けないくらいのグルメ社食を無料提供し始めたのがFacebook。著名シェフをグーグルから引き抜いたくらいだ。

 シリコンバレーの企業が社食にこだわるのは、社員が長時間働くことを促すためだという声もある。長時間働かせるというのが搾取的に聞こえるなら、「従業員が仕事に集中できるようにするために会社ができることは何か?と考えたら無料でかつグルメな(高品質でバラエティに富んでいて飽きさせない)社食になった。もちろん、(従業員が食事をするために外出して帰ってくる時間を考えたら)生産性向上にも貢献する」とフェースブックの広報担当者は語っている。

 生産性の向上という観点からみると、工場をもつ製造業にとって社員食堂は大切。NHKサラリーマンNEOの「世界の社食」でも、中国の太陽電池メーカーの24時間フル稼働の工場では、8時間勤務は1食、12時間勤務だと2食がタダになる。インドのタタ自動車の工場でも食事は無料。日本でも、社員食堂を設置している企業は製造業が多い(2008年10月産労総合研究所調べによると、全国3000事業体のうち35.3%が社員食堂を設置。このうち、製造業57.0%で非製造業の23.4%よりかなり高くなっている)。

 生産性向上といっても、フェースブック、グーグル、そして日本では楽天とかソフトバンクのようなIT系サービス企業になると、どちらかというと、数字では表現しにくいアイデア創出とか創造性を促すために社食が利用されている。たとえば、フェースブックでは、エンジニアが集まって夜を徹してワイワイガヤガヤしながら、通常業務ではできない、何か新しいプログラムやプラットフォームを開発するハッカソン(hackarthon=hack《プログラムの開発・改良》 + marathon《マラソン》)を定期的に実行する。こんなとき、深夜3時でも夜食を食べたり、朝食を食べられる・・・と書くと、「だから社食は便利」と続く文章になってしまう。が、本質は、便宜性のよしあしよりも、仲間といっしょに飲んだり食べたりしながらワイワイガヤガヤするところからアイデアがひらめくということが大事なのだ。(もっとも、社員の大半が20代だからできる完徹だけどね)

 楽天も2007年に六本木ヒルズから品川楽天タワーに移ってから、社員食堂は握りずしのような一部メニューを除いて無料。楽天タワーには約2500人が勤務しており、一日計3100人が利用。日経MJは、昼食の食材費だけでも年間約2億円。人件費などをいれても約3億円かかっているのではないかと見積もっている。それでも、全社員3300人(2008年2月現在)に年間10万円支給するより社員の満足度は高いはずと判断したようだ・・・と書いている。

 たしかにそうだろう。若手独身社員は朝食目当てに早く出勤するようになり遅刻が減った。また、他の社員と話す機会がふえた。めったに会えないトップ経営陣と会えるチャンスもある・・・等々。2005年ごろから、社食のメリットを見直す企業は多くなっている。

 たとえば、ソフトバンクは、無料ではないが、本社の巨大食堂は娯楽施設もありイベント用のスペースもある。東京湾の花火を見たり、福岡ホークスの野球をみんなで応援したり、社員がいっしょになってワイワイガヤガヤできるようにつくられている。リクルートも社内コミュニケーション促進を考えて、2008年に9年ぶりに社食を復活させた。

 昔からのことわざに「同じ釜の飯を食う」とあるように、「食事を分け合った」仲間は信頼できるのだ。もともと、英語で仲間とか会社という意味のcompanyの語源はラテン語でcum(と共に) panis(パン)、つまり、パンと共に(食事をしながら)という意味なのだ。信頼できる仲間になるには、まず、いっしょに食事をしなければいけないということだ。

売り方は類人猿が知っている」にも書いたが、人類の祖先である霊長類はもともとは果物とは葉っぱとか木の実を好んで食べた。だが、気候の寒冷化が進んだ結果として、森から出て、狩をして肉食をするようになる。肉は腐るから分かち合う必要が出てきた。また、狩は男のほうが上手にできるために、男が獲物をとり、それを、ある程度の期間持続的関係を持つ女や、その女との間にできた自分の子供に分配するようになる。つまり、食べ物を分け合う最小単位として「家族」が誕生したのだ。

 世界中のどの文化においても、一緒に食べることは、その集団に属しているという帰属意識を表している・・・と人類学者はいう。ということは、楽天の三木谷社長が、タワー13階にある社員食堂について「従業員は家族のようなもの。(だから)家にいるような居心地のよい空間にした」と語ったのは、まさに、的を射ていることになる。

 いっしょに食事を分け合って食べることで「家族」という集団の最小単位が生まれ、食卓での会話から伝説がつくられ(ひいおじいさんは、呉服屋の小僧の時代にタバコを我慢して貯めた金で土地を買った。それが、いまのXX不動産会社のはじまりだ)、ジョークが語り継がれ(製糖会社に勤めていたおじいさんの弟は、砂糖の売上をふやすために、コーヒーに砂糖を10個いれて、かきまわさないようして上澄みだけ飲んだ。甘くなりすぎるとか言っていた)、そして家族の価値観で外の世界を査定するようになる。 つまり、家族のアイデンティティや文化が構築されたということだ。

 企業のアイデンティティや文化も同じようにしてつくられる。だから、最近、社員食堂の重要性が再認識されているのだ。

 社員のチームワークを尊重する企業についての記事を読んでいると、たとえ、それが外国企業でも、「日本式チーム経営を採用している」と「日本式」とか「日本的」とか形容されることが、いまだに多い。しかし、現実的には、チームワークを促進するために様々な仕組みを工夫しているのは、いまは、日本よりも海外の企業のほうが多いかも? もともと、シリコンバレーには社員を大切にする伝統があった。1939年に設立されたヒューレット・パッカード社は50年代には、結婚したり子供が生まれた社員にギフトを贈ったり、無料のコーヒーやスナックを提供したり、家族も招待したピクニックを開催した。こういった社員のロイヤルティを啓発する方法は、H.P.Way(H.P方式)とよばれていた。社員が満足すれば生産性が向上するという考え方は、シリコンバレーの新興企業にも受継がれており、これがカジュアルフライデー(職場における階層の撤廃、官僚的雰囲気からの脱却を象徴)や、ストックオプション(IT企業に働くエンジニアは契約社員が多く、労働組合もなく、企業の提供する健康保険もなく、長時間働いても残業代はつかない。各自がある意味で起業家である)が生まれた背景にある。

 バブル景気とその後景気低迷が続き、日本企業が社員との家族的チームワーク構築を無視してきた間に、海外の企業に、お株をとられてしまった感がある。

 顧客志向のマーケティングで急激に伸びて話題になったザッポス(靴のネット販売から始まって・・・)のシャイCEOのインタビューを読むと、「えっ? もしかして、一昔前の日本人社長?!」と勘違いしてしまう。2009年に35歳だったシャイCEOは、自分の使命は従業員と顧客に幸福を広めることだと口にする人で、当然のことながら、社食は無料(ただし、フェースブックやグーグルのようなファンシーなものじゃない)。でも、彼は、仕事が終わったあと、社員をレストランやバーにつれていったりする。それは、彼お酒が好きだからというわけじゃなくて、「ボクは、社員が仲間同士つるんで仕事帰りに飲んだり食べたりする、そんな会社が好きなんだ」と言っている。社員が毎日出勤したくなるような会社、稼ぐためだけの仕事じゃなくて、楽しく仕事ができる会社をつくりたいと考えているのだそうだ。

 ザッポスでは、社員同士が仕事の流れでそのまま飲みにいったりするのを奨励するために、中間管理職のマネジャーは、自分たちの時間の10~20%は部下たちとそういったつきあいに使うようにという指示がでているほどだ。シャイCEOは企業文化はそういった職場の外でのつきあいで構築されると信じているらしい。日本では、仕事帰りに同僚と飲みに行くサラリーマンは仕事人間だとかいわれて批判されたが、シャイCEOに言わせれば、「仕事をするのが楽しくて、職場にいるのが楽しくて、毎日出勤したくなる会社をつくれば、みんなで食事にいったりするのは自然の流れだろう」ということになる。

 ザッポスの新入社員は会社の歴史について4週間続くコースを受ける。2週間の全体的訓練を受け、次いで2週間、コールセンターで顧客の電話を受ける。そして、最後に、ザッポスの企業文化に合わないと判断された者は、4週間分の時給総額と2000ドルを受け取って会社を辞めてもらう。(2005年に始めた制度で、当時は、会社を辞めるときにもらえる金額は100ドルだった)

 シャイCEOはアジア系アメリカ人なので、仏教思想などに深い関心があるのかもしれない。「ハピネスを伝える」なんて本まで出しているくらいだし。幸福の伝導師みたいでちょっと宗教がかっている。ザッポスは極端な例かもしれないが、社内チームワークを重要視する海外企業は多い。日本の高度成長が話題になった80年代ころから、日本式マネジメントについては、かなり徹底的に研究され、現在、会社をひきいているトップ経営陣は「日本的チームワーク経営」についてビジネススクールで学んでいるはず。だから、チームワークは日本の企業の特許だなんて古い考えはもう捨てたほうがよい。

 日本でもこの数年は、社員運動会とか独身寮の復活とかが叫ばれ、いまの若者の意識も変化して社内イベントへの参加意欲が高まっているといわれている。これには、いくつかの理由があると思う。たとえば・・・1) 以前にも書いたように世代が変わると前世代の悪が善になる。なぜなら、子供は親や祖父の世代に対してある種の反抗心をもって大人になる。よって、世代が交代することによって、かつて否定されたことがらが少し形を変えながらも再度よみがえる。また、2)どんなに良い社内イベントでも制度化・習慣化してしまい、経営陣にも社員にも、それに対しての情熱がなくなってしまえば、効力はなくなる。大切なことは、ワイワイガヤガヤなのだ。インターナルマーケティングといわれるように、熱意とか情熱、つまり、(いまの流行語でいえば)パッションを伴わない社員旅行や社員食堂は、企業文化構築を促すことにはつながらないということなのだ。

 ITサービス企業は離職率が高いとよくいわれる。だが、最近のネット関連の新興企業は個性(企業文化)も強い。ザッポスのような企業は、自分たちの企業文化に染まないひとは、辞めてもらったほうがいいと思っている。そして、いろんなノウハウをマスターしたあとに辞められるよりは早いほうがいい。だから、一ヶ月の査定期間が終わったところで、2000ドル払って辞めてもらう。このお金の意味は「きみは優秀だ。だけど、残念ながら僕らの会社の文化には馴染まない。採用できない理由は相性の問題だ。ごめんね」って、気持ちもこめられてるんだろうね。きっと。

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

 

参考文献: 1.社食、今どき事情「味見」、日経MJ 2/25/08、2.2万人が一体感味わう、日経新聞 2/01/10、3.社内行事の効用、日経ビジネス7/17/06 4.「一緒に食べる」の革命性、日経ビジネスオンライン2/5/09、5.教えてランチ特別編、asahi.com 11/01/07 6.Sara Kehaulami Goo, At Google, Hours are long but the consomme is free, The Washington Post 1/24/07, 7. Frances Dinkelspiel, With high-end meal perks, Facebook keeps up Valley tradition, The New York Times 12/25/09  8. Max Chafkins, The Zappos Way of Management Jake, Inc. 5/1/09

Copyright 2010 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

 

2010年3月23日 (火)

iPhone、iPad から iCar へ・・・・。

Stnd007sアップルがアメリカで4月3日、日本でも4月末にはiPadを発売する。今年1月にCEOスティーブ・ジョブズが製品発表して以来、さまざまなメディアで玄人素人(プロアマ)が批評をくりひろげている。

 2007年秋に発売され(そして、2009年末までに300万台販売したといわれる)アマゾンのキンドル(Kindle)と比較されることが多いために、日本では電子書籍用の端末だと紹介されるむきもあるようだ。が、ご存知の方はご存知のように(当たり前か・・・)、それは違います。iPadは書籍はむろん映画もダウンロードできるし、ウェブ・サーフィンもメールもできるマルチメディア端末です。が、そのなかでも、とくに・・・。

 アメリカでは、iPadは部数が減り息も絶え絶えになっている新聞や雑誌といったメディアを再生させるのではないかと期待されています。

 新聞「ニューヨーク・タイムズ」はiPad用のアプリを作成しました。たとえば、iPad画面に、ごくフツーの紙の新聞の体裁で第一面が表示される。トップニュースは「国民皆保険法案成立!」。大見出しと本文テキストが続き、そばに、オバマ大統領がインタビューに答えている写真が掲載されている。iPadでは、その写真をタッチすれば、動画になり、オバマ大統領の記者とのやりとりや法案が成立したときの議場の様子がTVニュースのように再現される。

 ニューヨークタイムズ担当者がプレゼンしているのを見て、デジャヴ(既視感)に襲われた。

 待てよ。こういった場面をどこかでも、以前に見たことがあるぞ。

 きっとSF映画で見たんだ・・・と思ったが、どの映画が思い出せない。でも、スティーブ・ジョブズがiPadを紹介するときに、「真にマジカルで革新的な製品」と語ったのを聞いて思い出した。

 マジカル(magical)=魔法。

 そうだ。ハリーポッターだ。

 ハリポタの魔法新聞だ。

 ハリポタ映画では、ハリーが紙の新聞を読んでいると、新聞に掲載されている写真の人物が突然動き出し喋り始めたりする。なんとなくこれに似ている。

 たしかに・・・。ネットの登場により、絶滅種とみなされるようになった新聞・雑誌は、iPadの動画と音によって蘇った感はある。スポーツ雑誌「スポーツ・イラストレイテッド」のiPad用のデモをみても、表紙が画面に表示されると、(その表紙にはアメフトでキックオフ寸前の選手の顔が大写しになっているのだが)、観客の歓声やタックルするとき体のぶつかる音が聞こえてきて迫力が増す。(雑誌や新聞の電子版でも音付きの動画はあった。ここでのミソは、フツー紙の新聞や雑誌のようレイアウトのなかでインタラクティブな操作ができることです)。

 iPadは「携帯メディア」だ。

 そして、むろん、電子書籍もダウンロードできる。だから、iPadが発売されたら、電子書籍端末に特化したキンドルは大きなダメージを受けるのではないかと懸念されている。もちろん、キンドルはアマゾンのジェフ・ベソスCEOが「情報のつかみどりではなく・・・本一冊をじっくり読むために作った」と言うとおり、文章テキストだけを考えてカラーではなく黒白、長時間読んでも目が疲れないように、また、リゾート地の明るい日光の下でも読めるように、パソコンやiPadに使われている液晶画面でなく、電子ペーパーをディスプレイ画面に使っている。新書版の大きさのキンドル2なら価格もiPadの半分だ。だから、電子書籍端末に特化して勝負できる。

 でも、キンドル・デラックスはiPadと値段がほとんど変わらないので、機能を比較されると弱いのでは?なんといってもアマゾンは、1995年に書籍のネット販売を始めてから15年間、取り扱い商品を数百万点にふやし、読者のフィードバック機能を充実し、中古品の第三者販売を始めるなど、ビジネスモデルにおいては革新を続けてきた企業だが、アップルと違って、ハードウェアを設計して制作する経験はほとんど無いのだから。

 日本では、2008年に電子書籍市場は464億円の規模になっているが、マンガが中心。マンガにはカラーや画面の大きいiPadのほうが適しているという説もあるが、マンガは大半がケータイで読まれているので、しいて新しい機器を買う必要などないのでは・・・? どちらにしても、コンテンツが問題で、アップルもキンドルも日本語ヴァージョンの書籍を出すには、日本の出版社と交渉をまとめなくてはいけない。

 しかし、基本的に、iTuneやケータイ電話によって、音楽のCD販売がデジタル配信システムに取って代わられたように、紙の本がデジタル配信に変わっていく流れを止めることはできないだろう。なんといっても、エコ的にもコスト的にも、デジタルのほうが良いわけだし、読者にとっても紙媒体として保存しておきたい本は限られている。

 米アマゾンは、キンドルの宣伝も兼ね、モダンホラー作家スティーヴン・キングに直接依頼して短編を書いてもらい、キンドル独占で配信した。出版社を通さないこの流れだと、1)紙代、印刷代、物流コストを省くことができる、よって、2)作家により多くのロイヤルティや前金を払うことができるし、3)読者への料金も低くできる。アマゾンが作家と直接取引きするようになれば、出版社の役割は大きく変わらざるをえなくなる。

 ここまできてなんなんですが・・・、出版とか書籍業界の将来を描くのは、このブログを書いた本来の目的ではないのです。

 実は、日経新聞で「技術経営論からみた電気自動車」という香川大学の柴田教授の記事を読んで以来、私の頭にちらついているのは、かじりかけのリンゴのマークがついたシルバーメタル色の自動車なのです。iCar(あるいはiAutoとかiViecle?)なのです。

 ハイブリッドではなく100%電気自動車になり、エンジンからモーターになると、(エンジン周りの部品数は自動車全体の30~40%を占めるので)全体で3万点もある部品が、その十分の一になるそうです。しかも、電池やモーターといった主要部品が電気系部品となり、それらをケーブルで連結すればよいので、主要部品間の相互依存関係が単純になる。よって、モジュール化が進む。つまり、設計思想がパソコンのようになり、デルやアップルがしているように、主要部品はOEMで調達し組み合わせるだけでよい。アップルはそのアセンブリーさえも中国の工場でしている。

 極端な言い方をすれば、デザイン・設計さえきちんとすれば、誰でも自動車がつくれるようになるのだ。げんに、2009年に日米よりいち早く(家庭用電源で充電できる)プラグイン電気自動車を発売した中国のBYD(リチウムイオン電池の製造では世界大手)のCEOは、「電気自動車だから新規参入企業でもトヨタやGMと競争できる」と語っている。伝統的なガソリン自動車を製造していなかったから、へんな先入観にとらわれていないぶん、また、伝統的製造工場を所有していないぶん、かえって、競争優位に立てるというわけだ。

 電気自動車では、クルマのデザイン上の制限が少なくなるという。従来のガソリン自動車では、大きく重いエンジンを設置する場所が自動的に決まってしまう。ガソリンをいれるタンクの設置場所もだいたい決まってしまう。電気自動車でエンジンにあたる重い部分は電池しかない。電池はたしかにかさばるし重いが、設置場所の制限はそれほどないし、縦に束ねたり一面に敷き詰めることもできる。

 パソコンのような設計思想。そして、デザイン上の制限が少なくなった・・・・といったら、やっぱり、アップルの出番ではないでしょうか? (スティーブ・ジョブズは少なくとも2008年にはメルセデス・ベンツに乗っていたらしい。このデータは、彼の電気自動車への関心度を予測する重要変数になりえるのでしょうか? クルマオンチの私には判断がつきかねます)。

 この提案はそれほどワイルドなものでもありません。アメリカのまあ有名な投資家が2009年にオバマ大統領宛の公開書簡で、「アメリカの自動車産業を救うのは、スティーブ・ジョブズだ・・」と書いているくらいですから。彼は、「自動車産業の将来はエレクトロニクスとソフトウェアだ・・・アメリカには、その分野で才能ある人材がたくさんいるはずだ」と説明しています。

 ところで、電気自動車のネックは電池にあります。ノートパソコンやケータイ電話に使うリチウムイオン電池に一番期待がかけられていますが、値段が高い。しかし、生産量がふえることによって、価格も2015年にはいまの半分、2020年にはいまの四分の一くらいになることが予測されている(いまは、電池の価格は1キロワット時当たり10万円前後)。電池のもうひとつの問題は、一回の充電で走れる距離が100キロから160キロくらいと短いこと。そして、フル充電に10時間前後、急速充電でも30分かかるという問題。そのうえ、ケータイやパソコンでオーバーヒートして発火する問題を起こしたりした安全性の問題もあります。

 それに関連して(ここでまたiPadに話が戻ります)、アップルはiPadの電池交換に新しい方針を採用することを発表しています。これまでのように、ユーザーが新しいバッテリーを購入して古いのと自分で交換するのではなく、アップルに使っているiPadそのものを送る。そうすれば、一週間以内に、アップルが新しい(というかきれいにした中古品)iPadを新しい電池入りで送り返してくれるそうです。もちろん、交換に出す前に、データは保存しておかなくてはいけません。リチウム電池の安全性を考えて、消費者に交換してもらうよりは、製品の点検もかねて電池は企業側で交換したほうがよいと判断したのだろう・・といわれています。

そこで、また、思ったのです。iCarの場合も(また、一口齧りのリンゴ・マークがついたクルマの話に戻ります)、充電に長時間かかるから短距離しか電気自動車は使えないというのではなく、長距離の場合は、途中でガソリンスタンドならぬApple Stationに立ち寄って、丸ごと新しいiCarに変えてもらう・・・ってえのはどうでしょうか? 「え~、じゃあ、車の中にある私物も一々入れ替えるの? めんどくさい~」という苦情を考えて、車の内部だけまるごとスライド方式で取り出して、新しい車に数分のうちにカチッと組み込むっていうのは? あるいは、充電済み電池とモーターをカートリッジ方式で入れ込むっていうのは? なんといっても、アップルは独創的なデザイン力に定評があるんだもの。きっと、魔法のようなクルマを設計してくれるのではないでしょうか?

  New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

 

参考文献: 1.EVが未来を変える、産経ニュース10/25/09、2, The Future's electric for auto industry but barriers may shortcircuit the sparks, says PwC, Pricewaterhouse Coopers 12/10/0 sparks, says PwC, Pricewaterhouse Coopers 12/10/09, 3. Norihiko Shirouzu, Technology Levels Playing Field in Race to Market Electric Car, The Wall Street Journal 1/12/09, 4.「活字のKindle」vs「マンガのiPad」 電子書籍端末の勝者は? 日経トレンディネット2/02/10、5.Alison Flood, Stephen King writes ebook horror story for new Kindle, Guardian.co.uk 2/10/09、6.技術経営論からみた電気自動車ーー香川大学教授 柴田友厚氏、日本経済新聞11/18/09, 6.  Adam Penenberg, Amazon Taps Its Innter Apple 7/01/09、7.電子書籍、日本でも普及?日経新聞3/16/10

 

Copyright 2010 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

 

 

 

2010年3月 7日 (日)

「若者」は本当に変わったのか?

Stnd007s最近、「若者」本が流行っている。「今の若者たちが以前とは変わった」ことについて書いてる本で、きちんとした調査にもとづいて今どきの若者像を明らかにしている本もあるし、ケータイ世代の若者たちの生活をルポルタージュ風に描写している本もある。

 調査も突撃ルポもしないナマケモノの私は、そういった本を読んで勉強するだけなのだが、数冊完読して、ふと気がついた。

 どうして、私たちは、若者たちのことがこれほどまでに気になるのか?

 この風潮はいまに始まったことではない。80年代初めには「新人類」という言葉が流行って、いまの「草食男子」に負けないくらいマスコミに騒がれた。この2つの新語ほどには注目されなくとも、その年の新入社員の特徴に「カーリング型」とか「エコバッグ型」とかニックネームをつけるのは毎年の恒例だ。また、ゆとり教育を受けた「ゆとり世代」とか、「バブル世代」「氷河期世代」とか、新しく社会に参加してくる世代に名称をつけて、その特徴を列挙するのも大好きだ。

 しかし・・・だ。

 マーケティングの観点からいえば、いまの日本の人口統計や消費支出を考えると、シニア層のほうが圧倒的に重要だ。電通が2000年に発表しているシニア市場の規模推計によると、2015年には、50歳以上の日本人の消費支出は日本人全体の消費支出の52%を占める。65歳以上に絞っても24.6%を占めると予測されている。

 2009年9月現在の人口統計をみても、持ち家率が85%になり子供もある程度独立して可処分所得も多くなり始めるヤングシニア(50歳~65歳の15歳の幅)の人口は総人口の21%。これは、若者(高校生の15歳から34歳までの20歳の幅)の22%とほとんど変わらない。だが、こういったヤングシニアやオールドシニア(総人口の23%)について書かれた本がベストセラーになることはないだろう。新しく年金をもらい始める60歳や65歳に、今年の新老人世代の特徴をうまく表現するニックネームをつけるなんて習慣も始まらないだろう。

 高校生が自分たちだけに通じるようにつくった新語(メアド、キャラ、マイミク、ガチ、マジ・・・)を使ってぺちゃくる会話が紹介されているページを物珍しげに読むことはあっても、60代後半の夫婦の、自分たちだけに通じる「あれ」とか「これ」が多頻度で登場する間(マ)の長い会話が紹介されているページを、あなたは興味を持って読むだろうか?

 女子大生がケータイ電話を3台持っていて、1台は親から支給されたもので料金は親持ち。2台目はカレシとの専用で親にナイショだから料金は自分で払う。3台目はケータイ費用を稼ぐためにバイトしているスナックのお客さんとの会話用・・・・・そういった女子大生の実態を読むのはちょっと面白い。だが、70代の老人がケータイを2台もっていて、そのうち1台は同居している息子夫婦にはナイショでつきあっている(デイケアセンターで知り合った)老女と話すためのケータイ・・・といったシニアの暮らしの実録を、あなたは、女子大生に対するのと同じくらいの関心をもって読むことができるだろうか?

 そういった本を、自分の今のビジネスに直結でもしない限り、お金を出して買うだろうか?

 「いまどきの老人は以前とは変わった」という本は、若者本ほどには売れないだろう。

 なぜなら、人間は・・・というか動物は・・・というか生物は、自分の親より上の世代には関心がもてないようにできているのだから。

 進化生物学者のリチャード・ドーキンスが主張するように、人間は(生物は)自分の遺伝子を後世に遺すようにプログラムされているわけで、結果、自分の遺伝子を後世に繋いでくれる子孫たちの世代の言動に非常に関心があるのだ。親が、子供の結婚を望み初孫を望むときに、「早く安心させておくれ」という言葉を使うのは、まさに、その言葉どおりの意味なのだ。自分の遺伝子が受け継がれたことに安心して、「これで、いつお迎えがきてもいい」とある意味本心でそう思うのだ。

 ・・・・ここで、やっと、「今の若者たちは本当に変わったのか?」の本題に移ります。

 親や祖父の世代が、「ちかごろの若者ときたら・・・」と嘆息まじりにグチるのは世の常だ。子供は(とくに男子は)親に(とくに父親に)反抗する形で育つ。よって、先行する世代の特徴への反動の結果として次ぎの世代がつくられる。だから、単純にいえば、保守的世代の後には革新的世代が、そして、革新的世代のあとには保守的世代が続く・・・・という説がある。そういった説に沿った調査で、アメリカには、1620年に英国からの移民が始まってから現在までの約400年の間に19の世代が存在している。が、それは4つの元型に分類することができ、それぞれが1回の例外を除いて同じ順番で続いている・・・・という研究も発表されている。つまり、Aタイプの世代の後にはBタイプが続き、Bタイプの後にはCタイプが、そしてその後にはDタイプの世代が続き、その後、またAタイプに戻り、前と同じサイクルが続くということだ。

 2009年に発表された米論文では、18歳から24歳のころに不況を経験することは、その世代の価値観や態度に生涯にわたる影響を与えることが調査で明らかにされている。いまの日本でも、経済的理由で大学進学をあきらめる18歳、あるいは、就職できない高卒や大卒の若者が多い。彼らの生涯にわたる価値観や態度は、こういった経験によってつくられる・・・わけだ。

 上の2つの研究をまとめると、新しい世代は15歳くらいまでには、親の世代への反動の結果としての特徴をはぐくむようになり、そして、18歳から24歳の時期にどういった景気サイクルに直面したかによって、その後の生涯にわたる価値観や態度、ライフスタイルをつくりあげる・・・・ということになる。

 考えてみると、現在30歳のシニアの若者は、1992年にバブルが崩壊したあとの1998年に高校を卒業している。30歳以下の若者たちは、バブル崩壊以降、20年にわたる景気低迷の中で(2002年から5年ほど続いたいわゆるイザナミ景気は好況感なき景気といわれる)、18歳から24歳を過ごしている。一方で、その若者たちに先行する上の世代は、高度成長時代やバブル景気に大学進学や就活を経験してきている。そういったイケイケ世代が、今の若者たちをみて、「元気がない」とか「保守的だ」とか「消費に積極的でなくて貯金に熱心だ」と、自分たちが若かったころと比較して思うのは当然だろう。

 ブランドを買わない、ブランドに関心がない・・・と言うけれど、たしか、バブルのころの若者たちは、その上の世代に、「日本人は10代20代の若者が高級ブランドを平気で買う。こんなことは欧米先進国では見られない。欧米では、自分の金で買えるようになる本当の意味での大人になって、初めて、高級ブランドを買う。日本も、もっと成熟した大人の文化を・・・・」と批判されたのではなかったのか? 上の世代に批判された世代が、いま、「最近の若者はブランドを買わない」とか「貯金が好き」と不思議がるのは、ちょっとおかしい。大学生はむろんのこと、社会人になったばかりの若者が安いモノを買うのは当たり前。将来のことを考えて貯金するのも当たり前。ある意味、これでやっと、「欧米先進国」の若者たちのライフスタイルや価値観に近づいた。いまの日本の若者は「大人」になったもんだ・・・・と誉めるべきところだろう。

 男が甘いものを食べるようになったと騒がれているようだが、これも、おかしい。男は・・・というか人間はもともと砂糖は大好物なのだ。人間の脳はどの臓器よりも多くのエネルギーを消費し、その主要なエネルギー源はぶどう糖。砂糖は分子構造が単純で、食べると小腸で消化吸収され、成分のぶどう糖は数十秒後には血液を介して脳にすばやく供給される。日本には甘いものを好きなのは男らしくないという文化的制約が存在していたから(そういった文化的制約がないアメリカでは、男は朝から甘いものを食べる)、「オレは甘いものが好きだ」と公言しなかっただけだ。昔から、家では、母親や奥さんが買いおきしていた甘いものを家族といっしょに食べていた。

 江崎グリコが職場に100円菓子の入った専用ボックスを設置して購入者は代金をボックスに入れればOKの置き菓子システム「オフィスグリコ」を始めたのは2002年。2008年の売上は30億円で、利用者の7割が男性とか。が、ここで、男が甘いものを食べ始めた!と早合点をしてはいけない。昔、オフィスでは休暇帰りとか出張帰りにお土産を買ってくる習慣があり、3時のおやつどきになると毎日のように自分のデスクの上に地方のお菓子が置かれていたものだ。だが、泊まりの出張が少なくなったいま、配給されるお菓子の数は激変しているという(オフィスグリコの売上は、1月の第2週にぐっと落ちる。お正月に帰省した人が土産のお菓子を持ち帰るからだ)。昔は、また、お茶くみ専用の女子社員がいて、部長が「お菓子でも買ってきてみんなに配って」とか言ってお金を渡す習慣もあった。だが、お茶くみ専用の女子社員がいなくなったいま、そんなお茶の時間もなくなった・・・という。

 つまり、男性は自分でお菓子を買わなくてはならなくなったのだ。だから、置き菓子を買うし、コンビニで甘いものを買うようにもなった。男も甘いものは昔から食べていた。違ってきたのは、自分で購買しなくてはいけなくなったことだ。だから、男とスイーツの関係が以前よりも目立つようになった。

 ・・・・こんなにふうに、「いまどきの若者の特徴」の多くは、経済的理由とか文化的制約、習慣の変化などで説明できる。が、ただひとつ、説明のつかない特徴があり、それは、若者が根本的に変わったかもしれないことを意味している。

 いまの若者は「異性との交際に興味がなくなってきた」という。この特徴は、景気サイクルや文化的制約や習慣の変化では説明できない。リチャード・ドーキンスを再度引用すれば、人間は(生物は)次ぎの世代を残すために生まれてきているのだ。異性に関心がなくなり、セックスをしなくなれば、当然のこと、子孫は生まれなくなる。異性との交際に無関心ということが事実なら、いまの若者たちは生物の(人類の)本能を持っていないことになる。これぞ、まさしく、本当の意味での「新人類」の登場だ。そして、新人類は絶滅の道をたどる運命にある。

 歴史人口学を専門とする鬼頭宏教授によると、日本が人口減少社会に入るのは、歴史上、4度目のことだそうだ。

  1. 縄文後半(気温が下がり食糧が減少。ピーク時には26万人あった人口が8万人まで減少)
  2. 平安時代中・後期(人口が増えない状態)
  3. 江戸時代中・後期 (人口が増えない状態)
  4. 現在(幕末に3200万人だった人口は明治時代から一貫して増え続ける。が、2005年から減少し始める)  

 比較経済史専門の川勝平太教授の説によると、人口が増大する時期は新しい文化やシステムが導入され、男性の労働力が価値を持つ荒々しい時代(たとえば、江戸前期の都市建設や明治時代の富国強兵から戦後の重工業産業推進政策)。反対に、人口が減少する時代は平和で文化が成熟する時代(たとえば平安中期の女流文学の隆盛、江戸時代中期からの町人文化の成熟)。人口減少時代にはハードよりもソフトの発展。産業でいえば、工業からサービス産業への転換。よって女性の役割が大きくなる・・・・そうです。

 その説にそえば、ひとあたりがよくて繊細な草食系男子は、今の時代、サービス産業中心の時代への適応化現象のひとつだということもできる。最近、本当に思うのです。男性店員の態度のよいこと! 電気やガスの修理の男性だって、無愛想でつっけんどんだった昔に比べたら本当に愛嬌がある。

 って、話がそれましたが・・・・、たしかに、人口が減少しているいま現在、文化が成熟しているといえないわけではない。東京はミシュランガイドブックの星の数の合計が世界一多い都市。つまり食文化は成熟しているってこと。それに、アニメやオタク文化に原宿や渋谷発信のカワイイ・ファッション。

 問題は、再び、男らしさが求められる荒々しい時代がやってきて、人口が増加に転じるかどうか?ってことですね。あるいは、これまでの歴史を塗り変え、女性が活躍する平和な時代においても人口が増加するような新しい現象が生まれるかどうか?ってことですね。

 どちらにしても、今日はここまで・・・。こんなに長いブログ、書くほうも疲れましたが、読むほうも、ほんとにどうも「お疲れさま~」でした。

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

 

参考文献:1.川勝平太「女性の活躍で人口減克服」、日本経済新聞 4/17/09 2.亀頭宏「減少期に文明は成熟、女性の役割大きく」、日経新聞01/07/10、 3.「タバコ代わり、男性、息抜き」日経新聞 2/1/09, 4.Paola Giuliano, Antonio Spilimbergo、The long-lasting effects of the economic crisis、VOX 9/25/09

Copyright 2010 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

 

 

2010年1月24日 (日)

アバクロと草食系男子

 

 昨年末からお正月にかけて2つの新聞記事が目につきました。

  1. 米国のカジュアル(でも、値段はちょっと高めの)ラグジュアリー・カジュアル衣料品チェーン「アバクロンビー&フィッチ(通称アバクロ)」のアジア1号店となる旗艦店が、昨年12月15日、銀座6丁目に開店した。アバクロのシンボルともなっているシャツから胸をはだけた、ないしは、シャツなど身につけていない半裸のイケメン・ストアモデル(店員のことをストアモデルと呼ぶ)も勢ぞろい。初日は、(最近の新規開店ではおきまりのようになっている風景だが)閉店まで行列ができた。
  2. 1月11日に成人式をむかえる男女1300人にネット調査をしたところ(マクロミル調べ)、男性の53.9%が自分のことを草食男子だと「思う」「どちらかというとそう思う」と答えた。自分は肉食系女子だと思うと答えた女性は11.8%。 男女ともに、恋愛に関しては50%強が「消極的」「どちらかというと消極的」と答えた。

 この2つの記事の間に、どういった関係があるのか? 男性肉体美のセクシーさを売り物にしたようなアバクロと、異性とのセックスに関心がないといわれている草食系男子との間には、「無関係」という関係しかないようにみえる。ところが、実は、この2つの間には、(週刊誌的な書き方をすれば)衝撃的な共通点がひそんでいたのだ!

 アバクロ店内でひときわ目立つのは、半裸の男どもが運動会をやっている大壁画(ちゃかしてごめんなさい。きっと、紀元前のギリシアで全裸の男たちがスポーツを競った古代オリンピックをイメージしてるんだよね)。こういった店舗の内装や、半裸の男性モデルがやたらと登場するカタログ(ネットでも見られます)から、アバクロンビーは「メトロセクシャル(Metrosexual)」のイメージそのものだとマーク・シンプソンは書いている。

 マーク・シンプソンは英国の一風変わったジャーナリスト。彼が、1994年に造語したメトロセクシャルという言葉は、2002年にアメリカで注目をあびるようになり、しばらくの間流行語になっていた。

 日本では、メトロセクシャルとは「都会(メトロ)に住み、女性のようにファッションやスキンケアに関心をもつ洗練されたライフスタイルの男性」といったような意味合いで紹介されている。が、これは、この言葉が造られた背景をまったく無視したものだ。マーク・シンプソンは、メトロセクシャルの代表的人物として、当時人気絶頂だったデビッド・ベッカムを例に挙げた。それは、彼がイケメンだとかセクシーだとかいった単純な理由ではなく、彼が、男性的(マッチョ)であるということはどういうことか?・・・という欧米のそれまでの基準を、公共の場で破った最初の有名人だからだ。

 ベッカムは、2002年に、男のなかの男であるべきサッカー選手が絶対してはいけないタブーを破り、ゲイ雑誌のグラビアに登場し、インタビューでも、「自分はストレートだけど、ゲイのアイコンと呼ばれることは嬉しい。他人から憧れの目で見られるのは大好きで、それが女性だろうと男性だろうとかまわない」と答えている。ベッカムは爪にピンク色のマニキュアを塗ったり、巻きスカートをはいて公共の場に登場した。また、奥さんのビクトリアが、「彼は私の下着をつけることが好きなの」などとも発言している。

 メトロセクシャルという言葉を造ったマーク・シンプソンによれば、メトロセクシャルな男は、異性ではなくて自分自身を一番愛している。ナルシストであり自意識過剰。だから、自分の外見やファッションに強い関心を持つ。こういった性向は元来はホモセクシャルのものであったが、ストレートの男性もこういった性向を示すようになった・・・・と書いている。 

 男女両方の憧れの対象となりたいと言うデビッド・ベッカムは、男性的とか女性的とかいう境界線を超え、「女みたい」と従来から言われてきたようなことでも、自分が好きなら平気でする。その結果として、メトロセクシャルの代表格として選ばれたのです

 当時、英国のマーケティングリサーチ会社が市場調査をしたところ、女性用に開発したスキンケア化粧品の10~15%を男性が自分のために買っていることがわかった。このセグメントをさらに詳しく調査したところ、ナルシズムやファッション意識が高いことに加えて、より優しく穏やかで、より繊細で、より家庭的で、仕事での競争や出世にはあまり関心がないことを発見した。(ここらで、やっと、日本の草食系男子との共通点が見えてきた)。

銀座のアバクロ店を訪れたゲイのひとが、ここはゲイのための店か!と喜んだという。また、女性客のなかには、女性専用の男性ストリッパーの店か?!と、これも喜んだという。ゲイの男性も女性も引き寄せる。だが、アバクロが具現化していることの本質は、欧米の若い世代にみられるナルシズムの世界なのだ

 さて、ここで、マーケティングNOW15(2009年10月12日)に書いた「宝島社女性誌とナルシズム」の記事を読んでいただきたいのです。その記事では、異性をひきつけるためではなく、同性の目を意識してお洒落する日本の若い女性たちのナルシズムについて書きました。そして、異性とのセックスに余り関心がないという要素だけでひとくくりされている「草食系男子」のなかにも、欧米のメトロセクシャルに共通するナルシストたちが存在すること。また、自信を喪失したナルシストたちはオタク化しやすい・・・ということも書きました。

 つまり、1万年くらいの間に構築された異なる社会や文化の枠組みによって、世界の各地域での表面的な違いはあっても、いまの新しい世代にナルシズムや自意識過剰な傾向がみられることは、先進国に共通しているようなのです。

 自己愛(ナルシズム)が余りに強くて異性に無関心になる。そしてまた、セックスそのものに無関心であるがゆえに、異性に無関心になる。

 英国の2009年の調査では、18才~59才の男性の15%がセックスに興味がないと答えています。これは10年前にくらべて40%の増大だそうです。男性が異性への関心をなくしている理由のひとつに、社会における男女平等の考え方がひろまったからだという説があります。

 進化の歴史をたどってみると、人類は過去20万年以上(いや、その前の類人猿の時代からいえば過去数百万年以上)、男女の役割は異なっていました。女は妊娠して子供を生み独立できるまで育てる。そういった役割を果たしてもらうために、男は、食べ物や安全を提供する。食糧や安全を継続して提供することができる「強い」男は、自分の遺伝子を遺すチャンスをそれだけ増やすことができる。人間に一番近い親戚の野生のチンパンジーの群れでの行動を観察して、メスに肉をプレゼントするオスは、他のオスよりも2倍も多くセックスしてもらえることがわかっています。これが、人類の数十万年の歴史の99.9%以上の期間において、男女の間で公平だとみなされたギブ&テークの関係だったのです。

 だが、日本でも1985年に男女均等雇用法がつくられ、欧米先進国ではそれよりも早く、女性が社会に進出した。結果、アメリカでは共稼ぎ夫婦の3分の1において、妻のほうが夫よりも多くの給料をもらっているのです。男からしてみると、そういった現状を、理性ではOKと思ってはいても、何十万年、いや類人猿の時代からいえば何百万年続いた、「男は女を養い守る強い存在でなくてはいけない。そして、強い男に守られる女は弱いもの」という本能がNOと拒否します。そういった本能が理想とする従順な女性は、ネット上では見つかっても、現実には存在しない。だから、アメリカでも、男性の25%がセックスに関心がないという調査結果が出ているそうです。

 いまの男女の役割に本能が適応していないのは女性も同じです。家の掃除や皿洗い、料理、みんな平等に手伝ってもらいたいと思いながら、本能的に、「男は男性的じゃなければセクシーじゃない」とも思ってしまうのです。職場では男女平等を主張しながらも、割り勘デートとか、クリスマスにプレゼントをくれない相手にうんざりしてしまうのです。

 いまの若い男性は、家庭で強い存在にある母親をみて育ち、学校でも多くの女性教員に教えられて育ち、男女平等をリアルに体験してきた世代です。なのに、なぜ、食事をこっちが払わなくてはいけないのか? なぜ、男がプレゼントをあげなくてはいけないのか? と思うわけです。

 高級ブランドを買うメトロセクシャルな男性たちは、2008年の経済危機以降、影をひそめました。しかし、自分の女性的側面を表に出すことをためらわない男性は、欧米でも日本でもふえてきています。女性の社会進出が進むとともに、男性は昔の意味で「男性的(マッチョ)」である必要はなくなっているのです。男が強くなった女には性的魅力を感じないと戸惑っているのと同じように、女もフェミニンな面を隠さない男を優しくてよいとは思いながらも心がときめかないのに、やっぱりちょっと戸惑っているのです。

 こういった男女間のちぐはぐな関係は 進化の歴史上における適応問題だとする考え方があります。男女ともに、新しい役割に適応していないことが、セックスへの無関心、そして結婚しない男女が増大し少子化が進む理由なのです。新しい世代は、新しい男女の関係に、果たして適応できるのか? できるとして、どのくらいの時間がかかるのか? その間に、異性間の交配回数が減り、人類は自分たちの遺伝子を遺すことができなくなり、滅亡に追いやられるのでしょうか? それとも、SF映画にあるように、互いに惹かれあうことがなくても子孫を産むことができるように、精子と卵子を人工的に交配するような制度を採用せざるをえなくなるのでしょうか?

 未来の話はさておき、こういった新しい現象の結果、男性用身だしなみ製品が売れるようになる。が、女性をナンパ(この言葉も死語の運命にあります)するのに必要な自動車が売れなくなる。男女ともに、一人で旅行、一人でコンサートや演劇鑑賞。もっと新しいところで、ストレートな男同士が2人で海外旅行に出かけるといった目新しい消費現象が見られるようになる。しかし、やっぱり、異性の目を意識して異性をひきつけるためにする消費のほうが、ナルシストが自分のためにする消費よりは、金額が高くなるのではないでしょうか?

 皆さま方のコメント、お待ちしております。

 ここで、宣伝です。この記事のテーマをより深く理解するためには、日経プレミア新書「売り方は類人猿が知っている」の第4章を読まなくてはいけません。買ってください。1章くらいすぐに読めるだろうと、本屋で立ち読みなどしないように・・・。やってみるとわかりますが、新書版を立ち読みするのって、けっこうツライものがあります。

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

 

参考文献: 1.「自分は草食男子」5割超 新成人は恋愛に臆病」 産経ニュース1/10/10, 2.Why UK men are losing interest in sex? TopNews Health 02/10/09, 2. Mark Simpson, Meet the Metrosexual, Salon. com. 07 Simpson, Meet the Metrosexual, Salon. com. 07/22/02, 3. Who are the Metrosexual? Louis A. Berman, NARTH 03/09/08

Copyright 2010 by Kazuko Rudy. All rights reserved.

 

 

 

 

 

2010年1月 3日 (日)

Twitter(ツイッター)はクチコミ媒体ではない。

 

 Twitterはソーシャルメディアではない・・・というタイトルにしようかとも思い迷いました。というのは、ツイッターのユーザーは、じつは、それほどソーシャル(社交的・・人が互いに交わる)ではないのです。

 ツイッター創立者の一人であるエヴァン・ウィルアムズ自身こう言っています・・・「ツイッターはもともとは放送媒体に近いものとして設計されました。一件のメッセージを発信すれば、それが全員に配信される。自分も自分が関心あるメッセージだけを選んで受信することができる。特定の人物や特定のメッセージにだけ返信できる機能がつくようになった(つまり、双方向性あるコミュニケーションができるようになったのは)、ツイッターに人気が出てからのことです」。

2008年から2009年にかけて利用者数が1000%以上増加(ニールセン調べ)という驚異的数字が発表されるとともに、ツイッターの利用実態があいつで調査された。そして、クチコミ媒体というイメージが強いツイッターだが、意外にも、その特徴は、「昔ながらのマス媒体的性格」にあることが明らかにされたのです。

 たとえば、ハーバード大学の学生が2009年5月に無作為抽出した300,542名のユーザーの利用実態を調べたところ・・・

  1. 投稿メッセージの90%以上は上位10%のヘビーユーザーが発信しているもので、これは、他のソーシャルメディアにおいて、上位10%がメッセージの30%を投稿しているのに比べると、かなり偏っている。
  2. 利用者一人当たりの「生涯」における投稿数の中央値はわずか1回。ツイッター利用者の半分以上が74日ごとに1回以下しか投稿していないことになる。  *ところで、投稿する(tweet)ことを日本では「つぶやく」と訳しているのはなぜ? Tweetの本来の意味は小鳥が鳴くとかさえずること。「つぶやく」というからオタクっぽいイメージになるのでは?

 いずれにしても・・・調査結果が明らかにしてくれたことは、ツイッター流行におくれまいと一応登録はしてみたが、実際には利用していないひとが多いこと。その証拠に、ニールセンの調査によると、2008年1年間において、ある月のツイッター利用者が、次ぎの月に戻ってくる率は30%以下、つまりリピート率が下がっている傾向がみられました。

 ヒューレットパッカード研究所の調査結果では、他のソーシャルメディアに比べると、ツイッターは1対1の双方向コミュニケーション・ネットワークというよりは、1対多数の一方通行の発信サービスであることが、より強く浮き彫りにされました。調査した309,740名のうち、誰かをフォローするだけのひとや、反対にフォローされるだけのひとが圧倒的に多く、特定の相手とダイレクトメッセージのやりとりをする「友人」と呼べる関係は非常に少ないのです。ヒューレットパッカードの調査では、特定の人に最低2回メッセージを発信した場合に、この相手を「友人」とみなしました(つまり、メッセージを互いにやり取りしているわけでもない。通常なら友人とも呼べない関係をあえて友人と定義した)。それでも、この「友人」の数をフォローしている数で割ると平均して0.13で中央値は0.04.つまり、フォローしている人数にくらべて友人の数は1人以下で極端に低いことになるのです。

 この調査結果をふまえて、ヒューレットパッカード研究所は、「ソーシャルメディアはクチコミの研究に適した媒体だと考える傾向があるようだが、少なくとも、ツイッターにおいては、二人の人間にリンクがあったとしても、必ずしも二人の間に相互作用があるわけではない」と結論づけている。

 たしかに、アメリカで、ツイッターをマーケティングに利用して成功した実例を見てみると、どの企業もツイッターをマス媒体のように使っている。

 たとえば、世界第2位のPCメーカーのデルと、米大手家電量販店のベストバイ。

 デルは2007年にツイッターにアカウント(DellOutlet)を登録し、過去2年間で650万ドルの売上を上げ、フォロワー(デルをフォローしているユーザー)の数は60万人(2009年6月現在)で、最もフォロワーの多いアカウント上位100のひとつだ。そりゃそうだろう。デルは2週間に6~10回投稿して(投稿と訳したけれど、tweetしていること。これを「つぶやき」と訳したらおかしいよね?)、その大半がクーポン付きかセールスサイトにリンク付けされている。そして、こういったオファーの半分くらいがフォロワーだけへの特別オファーなのだ。

 デルがしていることは、一方方向的に特典つきメッセージを流し、それに引き寄せられたフォロワーが反応して購買する。DMやeメールの使い方と変わらない。違うところは、たった一件のメッセージ発信で、一瞬のうちにグローバルに到達でき、リスポンスを獲得することもできる。しかも、DMに比べたら経費がかからない。

 案外知らない人も多いようだが、Twitterは現在までのところ、アカウントを登録する企業から登録料を徴収したり、そのアカウントから売上をあげても1円も手数料をとっていない。実際のところ、Twitterは収入のほとんどない企業なのだ。ベンチャー投資家たちから集めた5500万ドルのうちまだ使われていない数百万ドルをよりどころに存続している会社なのだ。どういったビジネスモデルを採用して売上を獲得するのか・・・「まだ考慮中」だと創業者たちは言っている。そのうち、デルのような販売活動に従事している企業から売上の何%かを徴集するようになるだろう・・と推測されているが・・・。

 他のソーシャルメディアであるフェースブックとかミクシーもツイッターに類似したサービスを登録者に提供するようになっている。だが、企業が料金その他の制約なしに販売活動に従事できるのは、ツイッターだけ。どうりで人気が集中するはずだ。

 ベストバイは顧客サービスにツイッターを利用している。2009年6月からTVCMで、質問とか苦情とかあったらツイッターのアカウントに返信してくれと宣伝し、4ヶ月間で2万件の質問に答えている。こういったフォロワーのメッセージに答えているのはベストバイの2500人余の店員たち。オンライン顧客サービスを、店舗店員が時間があるときに提供していることになる。

 デルでは100人の従業員が投稿(tweet)に従事しているという。通常の仕事時間の20%を投稿に使うとして、100人の従業員の給料合計の20%、つまり、1年間に50万ドルを投稿作業に費やしていることになる。よって、投資の見返りは1300%になると計算したジャーナリストもいる。ベストバイでも、ツイッターを顧客サービスに利用することにより、コールセンターの人員削減にどのくらい貢献しているのか計算したうえでやっているのだろう。

 ツイッターだけでなく、他のソーシャルメディアでも、1)実際に利用しているのは少数派。つまり、ソーシャルメディアは思っていたほどソーシャルではないということだ。よって、一時話題になったようなクチコミマーケティングへの利用を夢想するよりは、リアルタイムに大規模ターゲットに広告メッセージを送ってリスポンスを獲得したり、顧客へのサービスを提供する場だとわりきったほうがよい、2)デルやベストバイの例からもわかるように、常にアップデートしてオンライン上で生存していくためには、人件費がかかる。非常に労働集約的なサービスだ。従業員の手のあいたときに投稿(tweet)してもらうというけれども、実際問題として、従業員の時間の管理や動機付けなどむつかしい問題がある・・・といった意見がよく聞かれるようになってきている。

 最後に、ソーシャルメディアにおける「友人」に関して、ちょっと面白いエピソードを・・・。

 日本でもオックスフォード英語辞典で有名なオックスフォード大学出版局が、2009年の「今年の言葉」としてunfriendを選んだ。そして、Unfriendは動詞として使われ、「フェースブックのようなソーシャルネットワーキングサイトにおいて、誰かを『友人』から削除すること」と定義した。

 Unfriendという言葉はdefriendとともに、ソーシャルメディア利用者の間では2004年ごろからすでに使われていました。が、この言葉を有名にしたは、米バーガーキングです。2009年1月に大きなサイズが売り物のワッパー・ハンバーガーの販促に「ワッパーの生け贄(犠牲)」キャンペーンを始めた。フェースブック上での友人のうち10人との関係を絶てば、ワッパー1個が無料で食べられるという、前代未聞のキャンペーン。開始して10日間で234000人の犠牲者リストが集まったところで(ということは、23400人がワッパー無料クーポンをもらうために友人たちを犠牲にしたわけだ)、フェースブックの異議申し立てで、あえなく終了。

 クチコミを拡大したかったのだろう。バーガーキングは、友人リストから削除された元友人たちにまで、「あなたは誰々さんの友人リストから削除されました」と通知を送ったのだ。「ハンバーガー1個、正確には10分の1個より価値無しと仕分けされた」元友人たちが猛然と抗議し、フェースブックはプライバシーの侵害にあたるとしてキャンペーンを即時中止するように要請した。

 このキャンペーンは、ソーシャルメディア上の友人とは何か? 友人との関係を絶つ(unfriend)ときの正しいマナーとか何か? やりとりなどまったくない相手で、自分だって友人などとは思ってもいない相手なのに、unfriendされると、自分でも驚くくらい心が傷つくものだ・・とか様々な議論を誘発しました。

 このエピソードですぐに思い浮かんだのが、映画「二十世紀少年」(私は漫画は読んでません。映画ヴァージョンしか知りません)。「二十世紀少年」では、「ともだち」に絶交されることは、ともだちの一味に殺されること。日本の中高生などでは、友人リストから削除されたことで自殺するケースもある。オンライン上でも、絶交される(unfriend)ことは、非常に感情的な経験だということが明らかになった。バーガーキングは、「数百人の友人リストを整理する良いチャンスを提供しようとしただけだ」とキャンペーンの正当化をしながらも、人間関係はたとえデジタルな関係でもデリケートなものだといまさらながら驚いたようだ。

 前述したヒューレットパッカード研究所の調査によると、ツイッターでどれだけフォロウィーが増えても、友人の数はある一定のレベルで止まってしまう。人類学者のロビン・ダンバーの主張する150人のレベルを超えることはないようなのだ(150人の制約についての詳細は、12月に発売した拙著「売り方は類人猿が知っている」を読んでください・・・と、ここでさりげなく新刊書の宣伝をする。えっ? 『さりげなく』じゃなくて『あからさま』だって?)。

 言葉が生まれることによって、友人・知人の数は150人に増えた。そして、ソーシャルメディアのような「ソーシャル・ソフトウェア」が登場したことによって、ロビン・ダンバーの150人の制約を越えることができるのではないか? という期待もあった。だが、いまのところは、そうはいっていないようだ。テクノロジーは発達しても、人間の脳がそれに適応していないということらしい。

 実に面白い~(「ガリレオ」の福山雅治ふうに独りごちてみる)

 突然ですが、2010年です。新しい年が明けました。

 不確実な時代を「強い心」で乗り越えましょう!

 皆様の2010年が素晴らしい年になりますように!!!

 New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

 

参考文献: 1.Douglas Quenqua, Friends, Until I delete you, The New York Times 1/29/09, 2. Clare Baldwin, Twitter helps Dell rake in sales, Reuters 6/12/ 09, 3. Gne Markes, Beware Social Media Marketing Myths, BusinessWeek 5/26/09, 4. Bill Heil and Mikolai Piskorski, New Twitter Research: Men Follow Men and Nobody Tweets, The Conversation 6/1/09, 5. Saul Hansell, Best Buy Plans a Very Twittery Christmas, The New York Times 10/1/09, 6.Kit Eaton, Twitter Really Works: Makes $6.5 Million in Sales for Dell, Fast Company 12/8/09, 7.Bernardo A. Huberman, et al., Social networks that matter: Twitter under the microscope, First Monday, vol 14, no.1-5 January 2009

 

Copyright 2009 by Kazuko Rudy. All rights reserved.