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2021年7月14日 (水)

ユニクロは「正義」をつらぬかなくてはいけないのか?

  正義なんて言葉を使うと、NHKの「サンデル教授の白熱教室」を思い出してしまうが、グローバル化が進むなか、企業経営者は、正義とか倫理とかいったことについて真剣に考えなくてはいけないようだ。

  グローバル企業が、コストを抑えるためにアジアの工場を使うことは、利益を最大化するための経営判断として当然のことだ。だが、そういった工場での労働環境が劣悪で、しかも、ビックリするくらいの低賃金となれば、その工場は搾取工場となる。児童を労働させているとなれば倫理的問題はより大きくなる。

  スポーツシューズやスポーツウェアで有名な米ナイキは、90年代からアジアの搾取工場や児童労働との関係が取りざたされ、97年には米国や英国の大学生たちが大規模な不買運動を展開し、売上もイメージも落ちた。同社はサプライヤーの労働環境や人権問題は他人事ではなく自分たちの責任でもあると認識を改め、当時600件以上あった現地工場の監査をするなど透明性に努め、CSR(企業の社会的責任Corporate Social Responsibility)活動の先端を行く企業というイメージを獲得するにいたった

  ナイキが悪徳企業からCSRのリーダーになるまでの経緯は、企業の社会的責任を教えてくれるケースススタディとしてよく紹介される。だが、90年代にナイキが直面した問題は、最近の新疆ウィグル自治区に関する問題に比べると単純で、簡単に解決できるものに思えてくる。当時、何が倫理的で、何が正義であるかを判断する価値観はひとつしかなかった。

  今回、H&Mやナイキ、ユニクロといった著名ファッションブランドが解決しなければいけない問題では、異なる価値観や世界観をもつステークホルダーがからんでくる。あちらを立てればこちらが立たずの関係だ。西欧社会における正義をつらぬこうとすれば、中国から「金を儲けるだけ儲けておいて、いまさら自分たちの倫理とか正義を押しつけてくるなんて虫がよすぎる」と非難される。

  中国の新疆ウィグル自治区問題(少数民族ウィグル人が強制労働させられているという人権問題)は複雑だ。

  新疆問題は、欧米メディアでは2016年くらいから報道されていた。が、2020年3月1日にオーストラリアの「豪戦略政策研究所/ASPI」が調査報告を発表することで、無視することができない公的問題となった。この報告書では、アップル、BMW, ソニーなど少なくとも83のグローバル企業が、ウィグル族を強制的に労働させている中国の工場と取引があったと名指しされた。このうち日本企業は14社で、ユニクロのファーストリテイリング、任天堂、良品計画などの名前があがっている。

  名指しされた多くの企業は、自社のサプライチェーンで発生している人権問題に懸念の意を表し、任天堂やソニーのように、強制労働が確認されたサプライヤーとの取引を一切停止すると発表する企業もあった。

  問題あるサプライヤーと取引を停止することですむなら話は簡単だ。だが、中国はサプライヤーが集積する国であるとともに、大規模な消費者市場を提供する国でもある。だから、複雑かつ難解な問題となる。

  今回、最も大きな被害を受けたのはスウェーデンのファッションブランドH&Mだろう。2020年9月、自社サイトで、新疆での強制労働に関する豪ASPIの報告に深い遺憾の意を表し、その地域の生産者から綿を買うのを止めると宣言した。そのときは、特に大きな問題にはならなかった。状況が変わったのは、21年になって、政治的要素が絡んできてからだ。

  1月になってトランプ前大統領が任期終了ギリギリのところで、この地域からの綿やそれを使った製品すべての輸入を全面禁止。そして、3月22日、EUに次いで、米国、英国、カナダが、ウイグル族への不当な扱いが人権侵害にあたるとして、中国当局者らへの制裁をそろって発表した。

  政治が絡むことによって、中国市場における不買運動が誘発される。

  2日後の24日に、共産党の青年組織「共産主義青年団」が、前述したH&Mが2020年9月に掲載した過去のステートメントを取り上げて不買運動を呼びかけた。「誤ったウワサを広めて新疆の綿を買わないという。それでいて中国で儲けようなんて、虫がよすぎる」。その数時間後にはナイキとかバーバリーもボイコットの対象とされた。

  H&Mは、その日のうちに、「昨年9月のステートメントには、政治的意味合いはまったくなかった」というコメントを発表した。鎮静化をはかったつもりが、謝罪がなかったとして、ネット市民の怒りは余計増した。そして、翌日25日になって、華春瑩外務省報道官(ニュースでよく見かける女性報道官。もっとも、いまは、出世して報道局長だそうだ)が、「中国料理を食べるだけ食べておいて、そのあとで、料理が入っていた食器を割る外国企業は許されない」と発言した。(うまい表現だ。サブトン一枚!と思ったが、どうも、これは、2014年に、習近平国家主席が、党のイデオロジーに反対する者達を糾弾して「中国共産党の食べ物を食べておいて、共産党の調理ナベを割る行為は許されない」と言ったことにさかのぼるのではないかといわれている)。

  H&Mは、人気のネット通販サイトから締め出され、スマホの地図アプリで自社店舗の位置が表示されなくなり、いくつかのショッピングモールでは賃貸契約が打ち切られた。

  H&Mがターゲットにされたのは、スウェーデン政府と中国との政治的軋轢があるからだといわれる。2020年3月に、中国共産党が禁じる本を販売していたとして、スウェーデン国籍の香港の書店経営者が、懲役10年の判決を受けた。その後反中感情が広まり、スウェーデン政府は孔子学院を全廃し、ファーウェイを5G通信網から排除することを決めている

  H&Mは中国全土で505店舗を展開し、売上高は2020年に10億ドル。全世界での総売上の5%を占める。さすがに、政府ほど毅然とした態度はとれずに、21年3月31日に出した新しいステートメントでは、新疆については全く触れず、「当社は、中国においても他の地域と同じように、責任あるバイヤーでありたいと望んでいる」とか「私たちは、中国におけるお客様やビジネスパートナーの信頼と信用を再びえることができるように専念する」というあいまいなものだった。

  ナイキも、20年に、豪ASPIの調査報告を受けて、「ナイキは新疆ウィグル自治区産の原材料を使っていないし、サプライヤーもこの地域の縫製工場を使っていないことを確認している」というステートメントを発表した。この過去のステートメントに対して、21年3月になって、S NSで批判が起こり、中国の有名タレントがコマーシャル契約を打ち切る動きが続き、アリババが運営する天猫(Tモール)内ストアでの4月の売上は59%減となった。

  だが、ナイキはそういった動きに反応は示さず、20年に出したステートメントを削除したり訂正コメントを出したりもしていない。それでも、H&Mほどの攻撃を受けていない。

  ナイキと中国とは、創業者が1980年に中国を初訪問して以来の長いつきあいだ。中国のプロバスケットボール・リーグの設立や、高校バスケットボール部の設立にも金銭的サポートをしている。ナイキの広告予算のおかげで、中国のスポーツ市場やスポーツ団体は発展してきた。2022年北京オリンピックのスポンサーでもある。中国政府もあまりナイキとは問題をこじらせたくない気持ちがあるのだろう。

  世界のファッションブランドで、14億人をかかえる中国市場で問題を起しても平気な企業はいないだろう。しかし、なんといっても、中国市場で消費者からボイコットされて一番困るのはユニクロをかかえるファーストリテイリングだ。2020年度決算を見ても、国内ユニクロ事業の売上は8068億円なのに対して海外ユニクロ事業の売上は8439億円。その大半は中国だ。中国の売上が2022年には国内売上を抜くと予測するアナリストもいる。

  かたや、ナイキの2020年の売上シェアを見ると、北米41%、ヨーロッパ26%で、中国は19%となっている。不買運動で言えば、北米やヨーロッパでボイコットされる方がよほど怖い。H&Mも世界の国別市場シェアをみると、1位ドイツ26%、2位米国19%、3位英国10%、4位中国9%。H&Mにしても、中国の人権政策に賛同していると批判され、ヨーロッパや米国で不買運動を起こされたら一番困る。

  ファストリだって、ホームグラウンドである日本の消費者にボイコットされたら、かなり困る。新疆問題というか人権問題に少なくとも懸念の意を示さなくてはいけないと考えるだろう。だが、ファストリにとって幸運(?)なことに、日本の消費者はこういった問題には基本的に無関心だ。そして、米国やEUでの売上シェアはどちらも数%レベル。つまり、ファストリが一番神経を使わなくてはいけないのは中国の動向だ。

  もっとも、柳井CEOは、真にグローバル企業になるためには米国市場で何としても成功しなくてはいけないという思いが強いようだ。そういった意味で、21年5月に、米国に商品を輸出しようとしたら、米税関・国境取締局(CBP)に「ウィグル地域の綿を使用している」として綿シャツの輸入を差し止められたことは、やはり、ある意味ショックだっただろう。そして、つい最近、7月になって、スペインのインディテックス(ZARA)とともに、ファストリは新疆ウィグル自治区での人権侵害罪の隠匿の疑いでフランスの検察当局の捜査を受けた。

  ファストリ―の新疆問題についてのこれまでの対応を振り返ってみます

  2020年3月の豪ASPIの調査報告を受け、8月に、「ユニクロ製品のサプライヤーで新疆ウィグル地区に立地している工場はない、また、問題があると指摘された工場とは取引していない」とするステートメントを発表。その一方で、「人権問題を懸念する各種報告書や報道については認識しています」という表現にとどめた。同様に名指しされたH&Mやナイキが、取引の否定に加えて強制労働に関して「懸念」を表明するまで踏み込んだのとは対照的だった(とはいえ、H&Mはその後、そのステートメントをそっと削除し、新しく出されたコメントはあいまいなものだったから、結果的には、ファストリと変わらない)。

  それでも、ユニクロが「新疆地区のサプライヤーとは一切関係ない」と発表したということだけで、中国のSNSで西欧ブランドほどではないが批判され、アリババが運営するTモールでの4月の売上は5分の1以上減ったという。

  日本企業への不買運動が欧米企業ほどでないのは、日本政府が欧米政府ほどには中国を批判していないからだ。欧米が2020年3月にそろって中国制裁に踏み切った時に、日本は、「深刻な懸念」を表明しながらも、人権問題で制裁を課す規定がないとして、欧米とは足並みをそろえていない。

  ファストリの柳井CEOは、21年4月8日の決算会見で、「新疆ウイグル自治区から調達した綿花を使用しているか?」という記者の質問に対し、強制労働などの問題がある工場との取引はしていないと否定したうえで、「これは人権問題というよりも政治的問題」「政治的な質問にはノーコメント」と回答を控えた。

  そして、「政治的問題はノーコメント」ってことは、倫理よりは金儲けなのねと批判された。

  国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ナウ」事務局次長の佐藤弁護士は、「強制労働は国際的な人権上の問題であって『政治的』だから何も言わないという話ではない。説明しないことは特定民族への人権侵害の現状追認になってしまう・・・・経営者は市民社会に対して自らの価値観や哲学を含めて説明責任を果たしてほしい。そうしなければ、世界の投資家や消費者から批判を浴びることにつながるでしょう」と朝日新聞でのインタビューで語っている。

  たしかに、4月8日の決算会見での発言が報じられた後、翌9日の同社の株価は大きく値を下げ、終値は、前日比マイナス3090円の8万7890円だった。

  だが、反対に、柳井CEOが強制労働は倫理に反すると発言していたら株価は上がっただろうか? 中国でユニクロに対する不買運動が激しくなり、売上が下がり、結果、ユニクロの将来性への懸念が出てきて株価は大幅に下がったことだろう

  柳井CEOと同じ立場に立たされた経営者がいたとして、強制労働を人権侵害であり倫理に反するものだ個人的には思っていても、会社の将来がかかっている市場、売上が国内市場を上回るだろうと予測されている市場を危うくするような発言をする経営者がいるだろうか? 株主や従業員への責任ってものがある

  もっとも、柳井一族と資産管理会社でファストリの株式の大半を所有している。売上が激減して株価が安くなったときの株主への責任・・といっても説得力がない。が、従業員の雇用を守る責任はある。

  元中国大使宮本雄二氏は、「この問題は米中それぞれの正義がぶつかる価値観の問題だ。企業は政府と同じように考える必要はなく、したたかに生き抜かなければいけない」とコメントしている。まして、自分の国の政府があいまいな態度をとっているのに、一私企業がリスクをとるのはバカみたいだと思えてもくる。

  ビジネス誌「Economist」2021年4月の記事によると、「中国では外国製品への不買運動が頻繁に起きている。このため、外国企業はあるマニュアルに従って対処する。まずは謝罪、そして沈黙を守る。そして怒りが鎮まるのを待つ」。イタリアの高級ブランド「ドルチェ&ガッバーナ」は、2018年に、アジア系女性が箸でパスタやピツァを食べる(ユーモアともいえないくだらない)動画を流し、中国人を侮辱しているとして批判が殺到したときに、この手を使った。だが、今回は、謝罪するという選択はむずかしい。謝罪するということは、西欧社会が重要視する人権を否定したことになり、ホームグラウンドで非難を受ける。謝罪はできない。だから、そっとコメントを引っ込め沈黙を守る。

  今回の件においても、独アディダス、スペインのインデティックス(Zara)、スウェーデンのH&Mは、強制労働に対する自社方針が記載されているステートメントを人知れず静かに削除している。

  E(Environment環境)、S(Society 社会)、G(Governanceガバナンス)投資が注目されている。だが、ESG投資を重視する投資家にしても、倫理を主張する企業に賞賛は送っても、信念をつらぬくことで中国市場を失い売上を失うことになったら、味方にはなってくれないだろう。Eの環境については、世界最大の温室効果ガス排出国である米国と中国が積極的対策をとることに合意したことによって、世界的に同じ価値観が共有されたことになる。だが、Sの人権問題や人種問題は文化や価値観の違い、そこから倫理観も異なってくるので、投資家もあまり触れたくない領域だ。

  アジアを専門とする機関投資家やファンドマネジャーは、ESG、政治的リスク、中国の三つの整合性をとるのに四苦八苦しているのが現状だ。

  ファンドマネジャーは政治的コメントをして、中国から嫌われて、せっかく手に入れたライセンスを失ったりしたくはない。つまり、中国市場で金儲けをしたいのなら、中国政府やそこでのルールを批判してはいけない。ブランド企業と同じ選択を迫られている。だから、大半の投資家たちは沈黙を守る。彼らも、自分たちに金を預けている顧客や株主に最大の投資見返りを提供する責任がある。

  つまり、投資家だって、ブランド企業を倫理的ではないと批判することはできないのだ。

  ファストリは、2013年のバングラディッシュでの経験を経て(多くのファッションブランド品を縫製していた工場ビルが崩壊し1000人以上が死亡)、SEG経営の重要性を認識し、従来は企業秘密とされたユニクロブランドの生産を委託している主要工場(日本を含めたアジア7か国、計146の縫製工場)リストを2017年に公開し透明性を高めた。サプライヤーのモニタリングや監査にも取り組み、評価が低い企業との取引の縮小・停止もしている。

  2018年から企業の人権への取り組みを評価している企業人権ベンチマーク(CHRB:Corporate Human Rights Benchmark)」の2020年の採点結果をみると、ファストリは19.5(26点満点)で世界的にも4位、日本企業としてはNo.1に選ばれている。

  つまり、ファストリはサプライチェーンへの監視監督においては世界的にも優秀な企業だとみなされていたということだ。だが、どんなに万全な備えをしていたとしても、グローバル市場では想定外のことが起こる。

  ここからは、会社経営者が今回のような問題にぶつかった場合、どういった信念に基づいて、どういった行動をとることができるのか?・・・ということを考えてみたいと思います。

  柳井CEOがピーター・ドラッカーの信奉者であることは有名だ。「柳井正 わがドラッカー流経営論」という本を出しているくらいだ。ユニクロを発展させるなか、経営の指針としてドラッカーの本を何度も読み返したことで知られている。今回の難問において、ドラッカーは何か役に立つことを書いてくれているだろうか? 

   ドラッカーは、1954年に出版された「現代の経営」のなかで、「企業の目的の正しい定義はただ一つ。顧客を創造することだ」と言っている。「顧客の欲求と要求を満たすために、社会は企業に富みを創造する資源をゆだねている」とつづく。

  経営者は様々な問題にぶつかり決断を迫られたとき、「顧客にとって良いことは何なのか?」と考える。そうすれば、多くの場合、正しい答えをみつけることができる。だが、今回の問題は、そう簡単ではない。ファストリが中国の消費者(顧客)の不満を解消しようとすれば、欧米の顧客の不満を招くことになる。同じ顧客でも相矛盾する関係にある。

  「三方よし」といった江戸時代の近江商人の教えが最近注目を集めている。「三方よし」は「買い手よし、売り手よし、世間よし」と言われ、買い手も売り手も世間一般もみな満足するような商売をしなければ、継続的成功はないという意味だ。また、三方よしの商売でなければ倫理的でもないという考え方だ。

  ステークホルダー誰をも満足させる考え方がコーポレートガバナンスとして米国から輸入されているが、日本には昔からそういった考え方がある・・・そういった前置きで「三方よし」を紹介するビジネス誌の記事も多い。

  だが、この「三方よし」の考え方も、今回の問題では役に立たない。様々なステークホルダー誰をも満足させるためには、ステークホルダー全員が同じ価値観を共有している必要がある。

  江戸時代中期(18世紀半ば)の近江商人が広めたという「三方よし」の考え方は、当時、近江で普及が進んでいた浄土真宗の「自利利他」の教えにもとづくといわれる。

  商売の言葉に直せば、自分の儲けだけを考えず、利益を少しくらい減らしても客が買える値段にする。儲けた金は、橋を架けたり道路を修復して地域社会に貢献する。結果、リピート客が増えて、長期的継続的な商売ができる。自分を利することが他人を利することにつながる。

  「自利利他円満」という結果を得られるのは、同じ価値観に共感する社会に(調和を重んじる日本古来からの精神と仏教に基づく価値観に同調できる社会に)、すべてのステークホルダーが属していたからだ。

  異なる価値観をもつ国、文化、民族が混在するグローバル社会では、「三方よし」は通用しない。 

  日本では、大河ドラマの影響もあって、渋沢栄一著の「論語と算盤」関連の本が売れている。だが、渋沢栄一関連の本を読んでも、H&Mやファストリのトップ経営者の忸怩たる思いを解決することはできないだろう。

  企業は利益を追求するだけでなく、公益に貢献することも必要で、この二つを同時に実現しなければいけないという「道徳経済合一説」を唱えた渋沢栄一は、論語の教えを基本としてビジネスに倫理を取り入れようとした。ドラッカーは、いくつかの著書の中で、渋沢栄一を取り上げ、米国財閥創始者のロックフェラーやモルガンよりも早く、企業の倫理について説き実践した人物だとその偉業を讃えている。

  そのドラッカーは、渋沢栄一に影響されてか、あるいは独自の研究の成果からかは知らないが、「ビジネス倫理とは何か?」というエッセイのなかで、真に正しいと思えるビジネス倫理は孔子が教える「相互依存の倫理」であると指摘している(日本の経営者がドラッカーが好きなのは、ドラッカーの語る経営論に、自分たちの思想に浸透している儒教の匂いを感じることができるからかもしれない)。

  だが、残念ながら、渋沢栄一やドラッカーの教えは、ユニクロやH&Mの経営者に難問解決のカギは与えてくれないだろう。両偉人がビジネスにおける倫理を語るとき、今のグローバル化した世界を想像してはいない。渋沢栄一の時代はヨーロッパが、そして、ドラッカーの時代は米国が、世界の先進国として君臨しており、他の多くの国は、この先進国に経済的に追いつくことしか眼中になかった。キリスト教文化圏の価値観が基本的に国際ルールを決めていた。ドラッカーにしても、国際市場において、中国のような価値観や体制の違う国が、その価値観や体制を変えることなく(それどころか、さらに強化して)、米国に肩を並べる地位を得ることなど想定していない。

  だから、先人の叡智をたよって、ファストリの柳井CEOの悩みを解決することはできそうもない。

  今回の件で、「何百年たっても変わらないなあ」と改めて思い知ったことがあるので、ここからは、その点について書かせていただきます。

  商売は卑しいもの、つまり、金を儲けることは卑しいことだという考え方は、日本だけでなく世界でいにしえの昔から存在する。卑しいという言葉には、道徳的に非難されるべきという意味もあるから、商売は道徳的に非難されるべきものということだ。

  渋沢栄一は、金儲けだけを考える卑しい職業であると見下されていた商売に、倫理を取り入れようとした。

  政府の役人としてエリートコースを歩いていた渋沢だが、明治6年に、実業界に入ることを決心した。退官して商人になるという渋沢を、ともにエリートコースを歩いてきた友人が引きとめて「君も遠からず長官になれるし、大臣にもなれる。お互い官界に残って国のためにつくす身じゃないか。それなのに卑しむべき金銭に目がくらみ、官僚を止めて商人になるとは実に見損なった」と忠告した。この時、渋沢は、「金銭を扱う仕事がなぜ卑しいのか。君のように金銭を卑しむようでは、国家は成り立たない」と反論し、論語の教えにしたがって一生商売に生きようと決心したそうだ。

  近江商人が熱心に信じた浄土真宗は、金儲けを正当化することにおいて、16世紀に生まれたプロテスタントと同じ役割を果たした・・・米国の宗教学者ロバート・ベラーはそう指摘した。カトリックでは富を追求することは悪だと考えられていた。よって、金銭を扱う商売(ビジネス)は卑しいものだと考えられていた。だが、プロテスタントは、働くことは神に仕えることだとして金儲けにお墨付きを与えた。プロテスタントは、働く結果として富を得ることは神の恵みであり、一生懸命働いて富を得ることは道徳的でさえあると教えた。

 16世紀の宗教改革で、プロテスタントが生まれ広まったたことにより、堂々と富を蓄積することができるようになり、その結果、西欧に資本主義が生まれた。同じ役割を、日本では浄土真宗が果たしたというわけだ。

  18世紀に「自利利他」を実践した近江商人、19世紀に「道徳経済合一説」を実践した渋沢栄一。どちらも、金儲けをする卑しいとみなされた商人の志に倫理を取り入れた。しかし、その後、3世紀たった現代でも、企業や実業家は、あいかわらず、金儲け=卑しくて非道徳的であるという等式で非難される。

  2021年、ファストリ創業者の柳井正は、人権に関する見解を出さないことで「倫理より金儲けなのか」と非難された。フランスの検察当局にファストリやインデティックスを告訴した人権団体の弁護士は、「人権侵害することで利益を得ている企業の責任を追及する」と語っている。

  たしかに、倫理に反するやり方で金儲けをする企業や実業家の例は、世界中で後を絶たない。人間は、欲望(とくに金銭への欲望)を抑えることができず犯罪を犯し反道徳的な行動をとる。だから、カトリックは1500年以上もの間、金への欲望を悪とみて、金を儲ける行為(ビジネス)を倫理に反するとした。プロテスタントが金を儲けることを正当化することで資本主義が生まれた。そして、宗教とか共同体による制約がゆるくなるにつれ、結果として、人間の金銭に対する欲望は抑制されることなく強欲なレベルまでふくれあがってしまった。

  だが、欲望なくして資本主義は発展しなかったことも事実だ。

  金儲けを考える企業だから価値観や体制の違う国にもリスクをとって進出していく。1996年に「マクドナルド店舗がある国どうしが戦争をすることはない」という理論(?)が発表され話題になった。これは、マクドナルド店舗が存在する国どうしは国際紛争を解決するために戦争という手段はとらないという理論で、ピューリッツァー賞を受賞したこともある著名ジャーナリストが発表している。

  この理論は、ビッグマックを買うことができる中流階級が一定規模存在する国は、その繁栄度やグローバル度からみて、国際紛争を平和的に解決する・・・という考え方に基づいている。ただし、その後、イスラエル対レバノンとかロシア対グルジアの戦闘が勃発し、この理論は見事に粉砕した。

  企業は自社商品を買ってくれるかもしれない顧客がいると思えば、文化、政治体制、価値観の違いというリスクが存在しても、新しい市場の可能性と見て、あえて挑戦する。 

  たとえばマクドナルドは、ロシアがまだソビエト連邦だったころの1990年にモスクワに店舗を開けた。開店初日には5000人以上の市民がマックを食べるために行列を作ったという。ソビエト連邦が崩壊したのは、その1年後だ。マクドナルドは、同じ90年に、中国の経済特区に店舗を開け、92年には北京に700席もある世界最大の店舗を開け、初日には4万人の客が入ったという。

  中国の顧客が一番気に入ったのは、店舗の清潔さ衛生状態の良さだったという。そして、マック店舗の清潔さが、その後の中国のレストランが目指すべき基準となった。少なくとも、こういった点においては、同じ価値観を共有するようになったわけだ。

  金儲けの可能性があれば新しい市場を開拓する企業がいる。だからグローバル化が進む。その過程で、さまざまな問題が生まれはするが、価値観や文化は部分的ではあるが徐々に同質化する。企業がグローバル化を進めるのは金もうけという本能に動機づけられているとはいえ、その結果として、世界が共有する価値観や文化が少しずつ増えることも、また事実であろう。
 
  
不買運動にあったり、倫理はないのかと非難されても、金儲けを考える企業だからこそ価値観や体制が違う国でも成功しようと努力する。元中国大使宮本雄二氏は、前述したように、「企業はしたたかに生き抜かなければいけない」とコメントした。「したたかに」という言葉は、企業の実感とはビミョ―に違うのではないか。たぶん、「辛抱強く」とか「粘り強く」といった言葉のほうが現実と合っていると思う。

  14億の市場を前にして、世界の多くの企業は「謝罪して、沈黙を守り、怒りが鎮まるのを待つ」。謝罪が不適切な場合は、「沈黙して、怒りが鎮まるのを待つ」という対応をするしかない。この態度を卑しい(道徳に反する)と思う人もいるだろう。だが、たとえ卑しいと軽蔑されても、大半のグローバル企業は辛抱して我慢する。

  だから、ファストリを批判しようとは思わない。ただ、一つ、考えたことはあります。

  2021年3月12日、ユニクロは(消費税引上げによる価格表示方法の変更に関連して)全商品を約9%値下げした。2016年以来5年ぶりの値下げだそうだ。ただでさえ安いユニクロが値下げすれば、他の衣料品メーカーにも影響を与えるだろう。そして、その影響は、世界のどこかの下請け工場のそのまた下の孫請け工場の賃金に及ぶかもしれない。

  消費者は「安くなってよかった!」と思わずに、その商品の長い長いサプライチェーンの先に、(あまり長くて日本の企業が実態を把握できていないかもしれない)搾取工場や児童労働や強制労働がある可能性も考えてほしい。

  20年以上もデフレ傾向がつづく日本の物価は、諸外国と比べても、もう充分安い(もっとも賃金も上がっていないのは問題だが・・)。消費者は質に見合った適正な価格を支払うことを心がけなくてはいけない。倫理的価格でモノを買うことで、世界のどこかの末端の生産者が適正な環境で適正な賃金で働くことができる。消費者である自分ができることは「倫理的消費」だ・・・と、自戒することで長い長い話を終わりにさせていただきます。

 

                                                     

参考文献:1.Why are china’s consumers threatening to boycott H&M and other brands, The New York Times 4/6/21, 2.Maoists in China, given new life, attack dissent, The New York Times, 6/4/15、3.「もう隠しません、ユニクロが工場リスト公開」日経ビジネス3/1/17, 4. How Nike Figured Out China, TIME 10/17/04, 5. 「政治的経済安保 米中のはざまで/ウィグル問題で対立、日本の対応は」朝日新聞 5/23/21, 6.「人権とビジネス企業の在り方は」朝日新聞 5/1/21, 7.「株、人権でも選別の芽」日経新聞4/17/21, 8.「企業広告は政治を語るべきか」日経新聞5/23/21. 9,Investors’ quiet conundrum: balancing China with ESG, Asian Investor 5/4/21,10, Focus on human rights a challenge in China, Pensions&Investments 4.19,21、11.「人権対応 二歩企業鈍く」西日本新聞社 2/22/21, 12, Fashion Retailers Face Inquiry Over Suspected Ties to Forced Labor in China, The New York Times, 7/2/21、13.ルディー和子「勤勉な国の悲しい生産性」日本実業出版社、14.道添進「今こそ名著 論語と算盤」日本能率協会マネジメントセンター、15.「人権対立、揺れる日本企業」朝日新聞4/25/21

 

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