マーケティング2010の2 Feed

2010年12月28日 (火)

オールド・メディアの逆襲(ハイボールとダイレクトメール)

「逆襲」って言葉は、ちょっと受けを狙ってるだけです。まあ「オールド・メディアの健闘」というところでしょうか。

 2010年はTVが健闘したのではないでしょうか。2010年7月~9月期の四半期決算によると、電通は大幅経常増益になった。その理由はテレビ広告が持ち直したからだ・・・と日経新聞は報告しています。

 TVが健闘している理由として、1)不景気で残業も減り、自宅で過ごすヒマな時間が多くなった、2)パソコンやケータイをしながらTVを見る・・・という「ながら視聴」が多くなった。 

実際、楽天リサーチの調査によると、10代~50代で「頻繁にながら視聴をしている」割合は平均して30.4%。ネットとTVは敵対関係ではなく協力関係にあるわけだ。たとえば、パソコンでネットを使った日のほうがテレビを見る時間も長い・・・という調査結果もあるくらいです(日本人の情報行動調査)。そして、10代はパソコンではなくケータイでネットを利用する傾向が高いわけですが、ケータイでネットを見る時間は一日66分。テレビの視聴時間はそれより多く110分を越している・・・そうです。

 調査というのは、自分が「こうであって欲しいなあ」と願う結果が出ている調査をついつい探してしまう。そういった行動経済学でいうところの「確証バイアス」を無視して、あえて、NECビッグローブのツイッターに関する調査を紹介します。2010年4月の調査で、ツイッターの主な利用者は20代~30代の会社員だが、書き込みが伸びるのは会社の終わった午後6時以降。そして、話題では、テレビ番組の話題が多い。結果、番組放送後の時間帯に投稿が増える。

 TVとツイッター(PCやケータイ)とは相性が良いという、もうひとつの調査結果です。

 まあ、調査結果はこれくらいにして。TVの威力を思い知らされたのは、やっぱり、ハイボールの復活。というか、ハイボールなんか知らなかった若い世代にとっては、ハイボール人気を誕生させたことでしょう。

 TV広告が始まったのは2009年2月から。もちろん、それ以前に、全国各地の飲み屋にハイボールのおいしい作り方とかを教授し、「角ハイボールタワー」という専用のサーバーをつくって買ってもらうといった、地道な営業努力がありました。でも、小雪のあのコマーシャルなくして、ハイボールはここまで人気を獲得することができたか? 2008年の時点で角ハイボールを取扱う店は約1万5000店、これが、2009年には6万店、2010年7月末には9万7000店を越えた。

 ハイボールは、日経新聞の2009年のヒット商品番付で西の前頭、2010年のヒット商品番付のフードビジネス部門で小結・・・・と二年続けてヒット商品となりました。

 ブランディングと認知度向上へのTVの威力はやっぱりすごい! 企業の明確な意志を伝達するメディアとしてのTVの力は、やっぱりすごい!・・・TV大好き人間の私としては、嬉しいニュースでした。

 次は、紙媒体の威力の話しです。

 リーマンショック後、コスト高ということで需要の落ちたダイレクトメール。このダイレクトメールの(デジタルメディアと比較した)威力を証明するために、神経科学のテクノロジーを利用した会社があります。英国の(日本郵便みたいな会社である)ロイヤルメールです。

 ロイヤルメールは、英国バンゴア大学に依頼して、人間の脳は広告メッセージをどう情報処理しているかを、デジタル媒体と紙媒体との違いで調べてもらいました。

 20人(男女10人ずつ、平均年齢30歳)の被験者にfMRI(機能的MRI)にはいってもらい、既存の広告をデジタル形式(スクリーンに表示される)と紙に印刷された形式と2種類見せ、脳の様子を観察した。

 胸梁膨大後部皮質だとか前頭前皮質内側部とか漢字だらけの部位名がだらだら羅列されているのを省いて簡単にいうと、まず、第一に、紙媒体は脳には「リアル」に具体的に知覚されている。当たり前といえば当たり前のコメントだけれども、「リアル」に知覚されていることは重要で、その結果として、感情が喚起され、感情がともなうがゆえに、記憶に関係する部位も活性化する。

 つまり、感情と記憶に関係する部位が、デジタル広告よりも、強く活性化される・・・ということらしい。

 しかもデフォルトネットワークである前頭前皮質側部や後帯状皮質が活性化して、喚起された感情情報を自己の思考、感情や記憶に関連づけようとしている。(これは、つまり、ブランディングや購買の動機付けに関連してくる・・・はずだ)。

 もうひとつ面白いことは、人間の脳は、スクリーン上のデジタル広告(ヴァーチャルイメージ)には、リアルなイメージに比べて、意識を集中しにくくできているらしい。

 だから、パソコンやケータイを使いながらTVを見る・・・といった「ながら見」をしてしまうのだろうか?

 いずれにしても、この実験結果だけをみると、紙媒体による広告(たとえばダイレクトメール)はeメールやウェブサイトにはない効力をもっていることになる。まあ、私的には賛成します。以前から、「ネット販売企業は、コストが安いからといってネット内だけで完結しようと決めつけないほうがよい。ハガキDMを使えば顧客の継続化をはかれる」と言っていましたから。

 ロイヤルメールの実験に関連して・・・・電子書籍と紙の書籍で、脳が情報をどう処理しているか調べてほしいですね。とくに、感情とか記憶。ロイヤルメールの実験でいけば、紙の書籍で読んだほうが、感情は喚起されるし記憶にも残るってことになります。これは、大きな問題で、教育現場ではiPadじゃなくて、これからもずっと紙の教科書を使ったほうが効果が高いということにならないでしょうか? 

 出版社さん、あるいは、大手本屋さん、一度、実験してみてください。思わしい結果が出なかったら発表しなくていいですから。

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参考文献: 1.「広告3社7~9がウ、電通・博報堂DYが増益】日本経済新聞11/11/20、2.「つぶやき」木曜午後10時最多」日経MJ5/12/10、3.「ネットは携帯で/TVも見るし・・・」 朝日新聞12/12/10、4、「サントリーハイボール、成功の秘訣」日経新聞電子版セクション12/08/10 5, Using Neuroscience to Understand the Role of Direct Mail, Millward Brown 6, www.mb-blog.com, The implications of neuroscience for marketers

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2010年12月25日 (土)

クロスメディアとソーシャルメディア・フォビア(ソーシャルメディア恐怖症)

 2010年はソーシャルメディアの年でしたね。

 Twitterで始まってFacebookで終わるって感じ。フェイスブック創業者のマック・ザッカーバーグは米タイム誌の「今年の人」に選ばれたし、フェイスブック創業のエピソードを映画化した「ソーシャルネットワーク」が新年早々日本でも公開されるし。

 ・・・ということでソーシャルメディアに関しての話題を2つ。

 最初は、クロスメディアについて。

 最近、某所で、クロスメディアについて講演することになって、「えっ、クロスメディアって何?」とあわてて調べてみたら、これが、よくわからない。複数のメディアを活用する販促活動なんて、昔からあったし・・・。それに、そういった意味で使うなら、クロスメディアというよりはクロスチャネルという言葉のほうが、英語圏では一般的な感じです。

 日本の某広告代理店は、複数のメディアのなかにソーシャルメディアをいれてクチコミを喚起するような販促活動の場合はとくに、クロスメディアという言葉を使っている(ようにみえる)。いずれにしても、言葉だけが先走りして中身が明確になっていないようなので、いろいろ調べて、次のような性格づけを(勝手に)してみました。

 まず、第一に、クロスメディアが注目されるようになったのは、複数のメディア(チャネル)を使用しなくてはやっていけないマーケティング環境になってきたからだ。(いまは、もう、メディアとチャネルの区別はなくなってしまいました)。

  1. メディアの増殖・・・・・新しいデジタルメディアが続々と登場。ブログ、ツイッター、そして検索エンジンまでメディア(チャネル)に数えられるようになった。ところが、これだけ多くのメディア(チャネル)があるというのに、そのなかで販売チャネルは2つだけ。サイト(ウェブサイトとかケータイサイト)と店舗だけ。電話も販売チャネルといえないことはないが(TVショッピングでは大半が電話で注文をとる)、電話は他のメディアの補助媒体としてつかわれているだけだから、厳密な意味では、販売チャネルには含まないことにする。よって、メディアの数がどれだけ増えようとも、どのメディアも、サイトと店舗の二大販売チャネルに客を誘導していくための誘導媒体だということになる。
  2. 客はどのタッチポイントで接触してくるかわからない・・・・・客は、場所と時間とそのときの好みによって、どのメディアにアクセスしてくるかわからない。どのメディアを接点(タッチポイント)としてこようとも、その客をメディアから次のメディアへと誘導して、コスト効率よく二大販売チャネルへと誘導しなくてはいけない。
  3. デジタルメディアは(eメールを除いて)受動的媒体、つまり、客がアクセスしてくるのを辛抱強く待つ受け身の媒体・・・・・ということは、企業は、どこかで、自ら客に積極的にアクセスする能動的媒体を使わなくてはいけないということだ。必然的に、受動的媒体と能動的媒体(TVのようなマス媒体、ダイレクトメール、eメール)を組み合わせる必要が出てくる。

 こういった事情により、複数のメディアを組み合わせる必要性が、以前よりも、ずっと増しているわけだ。

 企業は、客をメディアからメディアに移行させる過程において、買うという行動への動機づけがより強くなるように仕向けなくてはいけない。そのために、コミュニケーション内容(メッセージの次元)は、移行が進むとともに、客にとってよりパーソナルでより関連性(レラバンス)の高いものになリ、結果、より説得力の高いものに変わっていかなくてはいけない。

 そのためには、メディアごとに、より関連性高いデータが獲得できる仕組みづくりがなくてはいけない。

 そして、すべてのプロセスが、シングルメディアで実行したときに比べて、同じ効果をより低いコストで、あるいは同じコストでより高い効果を獲得できるものでなくてはいけない。つまり、より高いROIを達成しなくてはいけない。

 これがクロスメディア(クロスチャネル)だ。

 具体的な例として(B2Bの例となるが)、静岡のアルミ加工製品を製造するメーカーを紹介しよう(日経ネットマーケティング参照)。この会社は2006年に重要書類をいれるアルミケースをつくり、ターゲットだと考えられた金融サービス企業を中心にダイレクトメールで販促した。が、期待した結果が得られない。そこで、ウェブサイトの重要書類ケースのページにアクセスしてくる客をアクセス解析サービスを利用して調べてみた。結果、当初考えていた金融サービスではなく通信・運輸系企業が、個人情報保護に関連するキーワードで検索してサイトを訪問していたことがわかった。そこで、運輸・通信サービス会社200社余りに、「個人情報保護法」を見出しにつかったダイレクトメールを出したところ、それまで、0.5%の問い合わせ率だったものが10倍の5%になった。

 この例では、検索エンジン、サイト、DMとメディアが移行する仮定において、データが付加され、より関連性高いメッセージ内容に変更して、より説得力あるコミュニケーションが可能になった。

 クロスメディア・マーケティングを企画するときには、各メディアの特徴をいかしながら、客をメディアからメディアへと移行させるような筋書き(ストーリー)がなくてはいけない。

 そういった意味で紹介したいアメリカの自動車保険のクロスメディア・マーケティングがある。

 自動車保険会社のサイトにアクセスして、いくつかの質問に答えて見積もりを出してもらう。もちろん、その場で(サイト上で)見積もりはすぐに出るのだが、あえて、5分後にeメールで見積もりをお送りします・・・とする。なぜなら、サイトで見積もりを出して、客がその場で決められない場合、サイトのそのページは消えてしまう。客は、「他の会社の見積もりもチェックして、安かったら、また、このサイトに戻ってくればよい」なんて考えているかもしれないが、客の記憶などあてにならない。eメールなら、削除されても消えてしまうわけではない。削除リストをクリックして見ることができる。

 見積もりをDMで送ることもできるが数日かかってしまう。そのときには、もう、自動車保険への興味は失われているかもしれない。つまり、この場合、見積もりを提案するのは、サイトでもダメだし、DMでもダメ。eメールがもっとも適切なメディアだ。5分後に受け取ったeメールは、サイトと同じシンボルカラーとシンボル・イラストが目立つ非常にシンプルなもの。見積もりの数字と、あとは、申し込みはサイトへ、あるいは、電話で・・・というクリックボタンがついているだけ。企業としては、この場合、どちらかというと電話してくれたほうがいい。なぜなら、人間と話すことで客の信頼感や安心感が増し、また、疑問点を質問をしたうえで申し込みもできる。だから、注文確率が高くなる。

 次に、ソーシャルメディアを含めたクロスメディア・マーケティングを考えてみる。

 ソーシャルメディアが使われるとクチコミ効果・・・ということになって、、その効果は、ブログでの書き込み件数が何件、ツイッターでツイートされたのが何件といった数値で表されることがほとんどだ。こういった数値で販促の是非を判断する考え方には、ダイレクトマーケティングを経験した人間としてはあまり賛成できない。

 効果は、あくまで、注文や申し込み件数で判断するべき(そうするように努力すべき)。

 販促効果を書き込み内容や件数で判断するやり方は、マス広告の効果を算出する昔のやり方と基本的に変わらない。ブランドの認知度やイメージがどれだけ上がったかを、到達数とかアンケート調査などで出すのと、50歩100歩とまではいわないが、20歩100歩の違いだけで、基本的な考え方は同じだと思う。調査費用が要らないぶん安いかもしないが、かゆいところに手が届かない、どこかじれったい気分をともなう。

 最近アメリカではソーシャルメディアもROI化しようという傾向が高くなっているらしい。たとえば、500社を対象にした2009年の調査(StrongMail)によると、ソーシャルメディア・マーケティングを担当しているのはダイレクトマーケティング部門であるという答えが36%で最も多く、ついで、29%が複数の部門が担当、9%がPR部門が担当だと答えている。

 ソーシャルメディアのROI化には、それなりに、複雑なステップをふまなくてはいけない。

 たとえば、飛行機内でのネット接続サービスを提供している会社が、既存客に知人紹介キャンペーンのeメールを送った。知人一人を紹介するとサービスが一回分無料になる。そして、紹介された知人もサービスを申し込むと一回分無料になる。紹介方法は簡単で、eメールにある紹介ボタンを押すだけでよい。そうすると、既存個客専用のランディングページに飛ぶ。そのランディングページにツイッターとかフェースブックのシェアボタンがあるからそれをクリックして、知人を紹介する。紹介された知人には、「あなたの友達がお得情報をあなたに紹介したいそうです」とかいうメールが届く。で、そのリンクアドレスをクリックすると、知人専用のランディングページにとび、そこで申し込む・・・・・・結果、どの既存客が何名紹介し、そのうちの誰が実際に申し込んだかがわかる。よって、誰が一番のインフルエンサー(影響者)かもわかるし、ROIも明確になる。

 ちょっとややこしい。

 ソーシャルメディアのROI化は手間がかかる。

 だが、こういった仕掛けで、ソーシャルメディアのクチコミのROIを算出する経験をしてみると、ソーシャルメディアを恐がることもなくなるだろう。

 最近思うのだが、売り手企業はソーシャルメディアを・・・・ということはソーシャルメディアを使いこなしている消費者を恐がっている。ソーシャルメディア恐怖症と訳してもいいけど、ソーシャルメディア・フォビアのほうが、感覚的にぴったりだ。

 消費者を恐がってマーケティングができるのだろうか?

 自分たちが企画したストーリーと異なるクチコミ展開をしてしまう? では、マス媒体で広告していたとき、自分たちの期待どおりに消費者が反応してくれて成功した広告がどれだけあっただろうか? 

 伝言ゲームで、「昨日、うちの犬が子犬を4匹生んだ。そのうち3匹がオスで、メスだけはもらい手が見つかった」と言うメッセージを順番に伝えていったとして、10人を経た時点で、すでに、最初の文章とは異なる内容になっていることだろう。

 炎上がこわい? だが、そのために、「クチコミ@係長」のような便利で手軽に使える分析ツールがある。おかしな兆候が出てきた時点で、早期に素早く対処できるはずだ。

 それまで消費者と直接対話したことがないメーカーが通信販売を始めたとき、コールセンターにかかってくる苦情に担当者が大きく動揺するのをみて、「ああ、消費者慣れしていないんだ」と思ったことがある。統計数字として、苦情5%と見ているときは、何事も感じなくても、具体的な言葉をじかに耳にすると、まるで、一人の人間の苦情が、顧客全体からの苦情であるかのように受け取る。これが10人くらいになると、注文した全体の割合いからいえばわずか0.01%でも、製品を改良しなくてはいけない・・・と言い始める。

 ソーシャルメディアでも同じような現象がみられる。ブログやツイッターで批判や悪口が書き込まれると、数がどんなに少なくても動揺する。人間は具体的な内容を見ると、統計的数字での判断ができなくなる。もちろん、こういった数字の推移をみて、早めに対処するタイミングを見逃さないことは重要だ。だが、悪意ある書き込みは必ずある。それが、大きくなることもある。そのとき、自分たちが提供しているサービスや商品が真正なものであるのなら、法的手段をとる覚悟で、断固たる態度で対処していく必要もある。とはいえ、大きな問題に発展した例をみると、企業の対応や販売している商品やサービスに誤りがあることが多い。

 アメリカでデルと同じくツイッターを積極的に利用して売上をあげていることで有名なベストバイ(家電量販店)のCEOは、「ソーシャルメディアで困った(危機的)経験をしたことはいっぱいあります。だからといって使うのを止めようと考えたことは一度もありません・・・・ソーシャルメディアを使って良い経験だけを楽しもうなんてことはできないのです。雨の日も天気の良い日もある。私は、ソーシャルメディアを使う利点は、欠点を上回ると確信しています」と語っています。

 いずれにしても、一番いけないのは、消費者を恐れること。そういった気持ちは、消費者に伝わる。そして、そういった、後ろめたそうな自信なさそうな態度や言動。それ自体が、うわさを広める結果となる。 1)つねにモニターをして、2)早めに危険な兆候を発見し、3)それに対処する基準がきちんとできているのなら(そして、一番大事なことだが、販売している商品やサービスにやましいことが何もないのなら)、ソーシャルメディアとそれを利用する消費者を恐れることは、害あっても益はない。

 今日は、ちょっと、生真面目すぎる内容でした。しかも、クリスマスだというのに(あっ、関係ないか)。少しは役立つことはあっても面白みのない内容だなと思って書いてましたから、読んでいる皆さまがたはもっと面白くなかったかも・・・・(ごめんなさい)。数日後に「フェイスブックはメディアなのか?」とか「オールドメディアの逆襲」とかを書くつもりです。紙媒体による広告はデジタル広告に比べて、記憶に残りやすいという実験も紹介します。

 2ヶ月近くも更新してませんでしたので、年末に3つの記事を書いて、それで、2010年に合計16本の記事を書いた。よって3週間に1つ書いたことにある・・・・なんて、年の瀬のどさくさにまぎれて帳尻あわせをしてしまおうという魂胆です。てへっ。

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参考文献: 1.「アクセス解析で製品への企業ニーズを把握」 日経ネットマーケティング2008.11、 2.Ryan Deutch, Social Media as a Direct Marketing Channel,destinationCRM.com、3.Best Buy's CEO on Learning to Love Social Media, Harvard Business Review December 2010.

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2010年10月20日 (水)

世界一悲観的になりやすい日本人、だ、けれども・・・

  女性ファッション雑誌「Domani (ドマーニ)11月号の新聞広告をご覧になりましたか? 「ありがとう! ニッポンの不況! おかげで私、成長しました--35歳、”華麗なる貧乏”でいこう!」という見出しで始まる広告です。

 年齢的にいって、残念ながら、私は明らかにこの雑誌のターゲット読者層ではありません。ですから、買うどころか立ち読みもしてませんので、中身はまったく知りません。でも、「不況を明るく取り扱っている」コピーが好きです。

 おりしも、トヨタ自動車社長が、「日本でものもづくりにこだわる」というメッセージを出しました。「国内の生産縮小をトヨタがやったら、この国はどうなってしまうんだという危機感がある。よほどのことがない限り、海外に持っていくことはしない」・・・・最近耳にする政治家発信のメッセージよりも、ずっとずっと国民の不安感をやわらげてくれるメッセージです。

  グローバルにビジネスを展開している外国企業のCEOが、「日本企業は悲観的すぎる」とよくコメントしている。たしかに、2009年末に実施された世界36カ国の中堅企業経営者調査でも(グラント・ソントン調べ)、自国の景気見通しを最も悲観しているのは日本の経営者。リーダーがこの有様では、90%の日本人が不安を感じていたとしても当然のことだろう(J.ウォルタートンプソンによる2009年末調査)。90%という数字も、世界13カ国のなかで最高だ。

 「不安」で「悲観的」な暗黒星雲に日本国はすっぽりおおわれてしまったようです。

 なぜ、日本人は、将来への不安感がこうも強いのだろうか? 少子化とか年金の問題は無視し、円高とか産業の空洞化とか雇用の問題も考えない。産業革命以降200年以上続いた西欧支配が終わろうとしているという歴史的かつ構造的問題も無視する。ここでは、あくまで、水が半分入っているコップを見て、「まだ半分ある」と楽観的に思えることと、「もう半分しかない」と悲観的に思えてしまうことについて考えてみます。

 日本人の多くが「水がもう半分しかない」と考える傾向が強いのは、どうやら、セロトニントランスポーター遺伝子S型を受け継いでいるひとの割合が世界で一番高いかららしいのです。

 セロトニンという化学物質(神経伝達物質)が脳内の各部位に一定レベル存在していれば、人間は安心感を覚え不安や恐怖の感情に襲われにくくなります。が、バランスがくずれると不安になり長期的に欠乏するとウツになりやすい。セロトニントランスポーターというたんぱく質が脳内のセロトニンのレベルを調整しているのですが、この情報がコード化された遺伝子にはL型とS型があり、L型遺伝子のほうがより多くのトランスポーターを生産します。よって、S型のセロトニントランスポータ遺伝子を両親より受け継いだひとたちは、L型を遺伝したひとたちよりも、不安を感じたりウツになる傾向が高い・・・・ということが1996年の実験で明らかにされました。

 この遺伝子は、(そのほうが一般受けするからでしょうが)、「不安遺伝子」とか、不安は恐怖の変形なので「恐怖遺伝子」といった名前でよく紹介されます。

 2009年に発表されたジャーナルでは、29カ国50135人の遺伝子調査の結果として、東アジア人はS型遺伝子をもっている割合が高くて70~80%。これに比べてヨーロッパ人は40~45%となっています。29カ国のなかで、S型遺伝子保有者の割合が一番高いのが日本で80.25%、ついで、韓国の79.45%、中国が75.2%となっている。アメリカ44.53%、英国43.98%、独国43.03%、スペイン46.75%、シンガポール71.24%、台湾70.57%。そして、一番低いのが南アフリカの27.79%となっています。

 人類皆兄弟で、20万年前頃にアフリカに住んでいた同じ先祖から始まったことはDNA研究によって証明されている。では、なぜ、東アジアとヨーロッパとでは、「不安遺伝子」保有者率がこれほどまで違っているのか?

 進化生物学では、生命体は環境に順応して、その環境において生存率や繁殖率を高める可能性が一番高いような特性や特質を選択し獲得していくようになるとする。その考え方で最近注目されているのが、遺伝とか文化とかは、互いに作用しあって進化してきたという説だ。

 その典型的例が、牛乳とそれを消化吸収する遺伝子の関係。つまり、ホニュウ類というのは、基本的に離乳期を過ぎると、母乳の消化吸収に必要だったラクターゼ(乳糖分解酵素)の生産を止めるようにプログラムされている。ところが、北ヨーロッパやアフリカにおいては、生存率を高めるために家畜を飼いそのミルクを飲むという長い歴史的習慣がある。その結果として、大人になっても、ラクターゼを生産しつづける遺伝子が存在する割合が高い。だが、東アジアやアメリカ先住民には、歴史的必要性がなく、結果、遺伝子を保有している割合が非常に低い。よって、日本人の多くは牛乳を飲むと、消化不良の症状を起こす。

 ミルクを飲むという文化的習慣が、乳糖を消化するのに必要な遺伝的性質を選択するようになったということだ。

 その観点でいけば、東アジア人で不安遺伝子の発生頻度が高いのも、ヨーロッパとの環境の違いで説明することができるはずだ。気候のちがい? 地質的違い? あるいは、文化的社会的違い?

 これに関して、2008年から2009年にかけて、注目すべき論文があいついで発表された。その内容は・・・・東アジア地域では、マラリア、ハンセン病、発疹チフス、結核といった細菌やウィルスによる感染症に悩まされてきた歴史があり、それを防ぐためにヨーロッパの個人主義(Individualism)とは異なり、グループ内における協調性や自分たちのグループを中心に考え外者(そともの)を恐れる集産主義(Collectivism、ちなみに、この英語を集産主義と訳すのはおかしいと思う)が生まれた。つまり、外者(そともの)との接触を避けることで感染を防ぐ結果として、自分たちグループの伝統、調和、規則への服従が生まれ、外国人への恐怖感や偏見が生まれたのだ。

 S型の「不安遺伝子」をもつことは、ネガティブな情報に敏感に反応することを可能にしてくれる。だから、他人が気分を害したりするとすぐに察知できるし、また、人間関係において、そういった感情が生まれないように気を配ることができる。よって、グループ内の調和を保ちやすくなる。つまり、不安遺伝子は、感染症の多い地域で生存率や繁殖率を高めるために、個人よりもグループを優先する主義に順応しやすくするのに役立ち、結果、東アジア人にそういった遺伝子が自然選択されるようになったというわけだ。

 ネズミを使った実験では、不安や恐怖を感じやすい遺伝子を、世代を通じて自然選択的につくっていくことができることが証明されている。無差別に選択されたネズミたちを、隠れる場所のないオープンで電気がこうこうと輝く明るい箱にいれると、恐怖におびえて壁にへばりつくき排泄をくりかえすネズミもいれば、平気の平左でまわりを探検し始めるネズミもいる。大半のネズミはこの中間にある。怖がりのネズミ同士を10数回の世代で繰り返して繁殖させると、すべてのメンバーが不安度が高く恐怖を感じやすいメンバーばかりになる。つまり、不安遺伝子とか恐怖遺伝子がつくられたということだ。

 人間の場合も、ネズミと同じように、十数世代で恐怖遺伝子がつくられたとすると、昔はそんなに長生きしなかったが、長く見積もって人生50年として、私たちの祖先がアフリカから東アジアに移動してきて伝染病に悩まされてから500年ばかりで、恐怖遺伝子が作られたという計算になる。(あくまで人間もネズミも同じ条件下にあるとしての話だが・・・・)

 ああ、やっぱり日本人は不安遺伝子が多いから、悲観的になりやすいんだ・・・ときめつけるのはまだ早い。こういった遺伝子をもっていても、強いストレスを引き起こすような環境が加わらなければ、誰もが不安やうつ病になるというわけではない。たとえば、ニュージーランドやアメリカの実験では、不運や失敗を経験したあとにウツ状態に陥る率は、S型遺伝子をもっている被験者の場合は33%、L型遺伝子を持っている被験者の場合は17%となっている。反対にいえば、S型遺伝子をもっていてもその67%は、悲劇的体験をしてもウツにはならなかったということだ。

 それから、また、韓国企業の最近の活躍を考えてほしい。韓国は日本についで不安遺伝子を持つ人の割合が多い国だ(統計的誤差を考えたら、80.25%と79.45%の違いなんてほとんど無きに等しい)。なのに、日本企業がガラバゴスで内向きになっているのに、積極的にグローバル市場を開拓して成功を収めている。なぜだろう? サムスン電子や現代自動車のように、オーナー経営者が果敢な投資や事業展開をしかけているからだというのが定説だ。しかし、最近はサラリーマン社長ながら強いリーダーシップを発揮するCEOが目立ってきたともいわれる。その理由として挙げられるのが、1997年~98年のアジア経済危機だ。当時の韓国はIMFからの550億ドルに及ぶ融資を受けるかわりに「屈辱的」な条件を呑まなくてはいけなかった。国家の威信を傷つけられたと感じた国民は、「朝鮮戦争以来最大の国難」を経験したわけだ。しかし、IMFの条件に従うなかで、能力主義が進み、サラリーマン社長でありながらリーダーシップを発揮する経営者が多く登場するようになった。それが、現在、韓国がグローバル市場で業績を伸ばしている理由だという。

 振り返ってみれば、日本だって戦後のどん底状態からわずか20余年、1968年にはGDPでドイツを抜いて世界第二位の経済大国になっている。つまり、不安遺伝子をもっていても、どん底状態からはいあがることをさまたげはしないということだ。

 どん底だと、なぜ、不安遺伝子が邪魔しないのか? どん底ということは、失うものがないということ。失うものがないということは「損失回避性」が出てこないということだ。行動経済学の祖でノーベル経済学賞をもらった心理学者ダニエル・カーネマンは「人間はいまもっているものを失うことに恐れを感じます。たとえ失う可能性が低いとしても、可能性があるというだけで恐怖心を感じるのです。その恐怖心が論理的思考を妨げるのです」とコメントしている。日本は、なんといっても、裕福な国なのです。だから、今もっているものを失うことを恐れるのです。だから冒険ができない。だから現状維持になり新しい行動を起こすことができるなくなるのです。

 だから、いっそのこと「どん底まで落ちたほうがいい」という評論家もいます。

 日経ビジネスに、マッキンゼー日本支社長が「日本企業が抱える最大の問題は、経営者がリーダーシップを発揮しきれていないこと。日本の経営者は「カイゼン」は得意だが、変革を恐れる傾向にある」とコメントしています。

 シャープがアップルのiPadの類似商品を販売するのはいたしかたないとして、一流メーカーが化粧品やサプリメント市場で成功した新興中小企業のまねをして、とくにこれといった差別化もないままに化粧品やサプリメントを発売するのは、まさに、「損失回避性」のあらわれです。

 失うことを恐れる経営者は、リスクをとりなくないから模倣商品をつくる。模倣商品は既存商品の「カイゼン」です。自分ひとりで決断するのをさけて、「赤信号みんなで渡れば恐くない」式に合意で決めようとする。だから、欧米や韓国企業に比べて、経営のスピードが遅くなるのです。200余年続いた西欧支配の世界が終わろうとしている時代に、リスクをとらないからといって生き残れるチャンスがふえるわけではまったくないのに・・・。

 欧米のCEOの給料の多さが最近話題になりました。CEOはある意味、通常の意味での「能力」なんて必要ない。大手一流企業なら、経理、マーケティング、情報通信技術・・・どんな分野でもピカ一の専門家をかかえることができるはずだ。CEOに一番必要なのは、どんなに多くの問題をかかえていても、不安など一抹もないような元気な顔でいられる精神力と体力を持ち合わせていることだと思う。それは、この数年の日本の首相や、政権をとった民主党の閣僚の表情をみればわかる。首相や大臣になって数ヶ月もしないうちに、頬のこけたやつれた顔、疲労感漂う表情、一気に年老いた肌や増えた白髪・・・・こういった「疲労困憊」顔をしたひとたちが、何を言っても、国民は安心できません。一国のリーダーは、たとえ、心配事で夜は熟睡できず気分が晴れない日々がずっと続こうとも、ポーカーフェースを保ちユーモアを忘れない精神力と体力がなくてはいけないはずだ。そして、顔や言動にストレスを出さないことは、実はこれが一番むつかしいことで、それができる人なら給料が高くても問題ないだろう。

 売り手企業は明るくて元気なメッセージを送らなくてはいけません。心理学の実験で、店員が笑顔で応対すると、それを見た客も笑顔で応える傾向が高くなり、なおかつ売上も上がることが証明されている。不安そうな顔をした店員が売っているものなど買いたくない。サントリーは2008年に他社が広告費を削るなか、反対に広告費を増やして、高級ビール「プレミアムモルツ」をアピールした。その一方で、こんな時代に「贅沢」を前面に出すと消費者に反発をくらうんじゃないかと弱気になったエビスビールは、そのブランドスローガンを変えてしまい、結果、高級ビールの座をサントリーに譲ることとなった。 

 明るく元気にみえる企業と弱気で不安そうに見える企業と、あなたはどっちからモノを買いますか?

 少子化、年金、雇用、円高、ひいては政治の不安定さ・・・モノが売れない理由を数え上げればきりがない。こういった基本的問題が解決しなければ、経済の活性化ははかれない。だが、こういった問題が解決するまで、モノが売れないままにしておくつもりなのか? 損を出してまで安売り商品を販売し、リスクの少ない模倣商品を作り続けるつもりなのか? いま、日本の売り手企業がすぐにできることは、日本の消費者が抱えている不安感をもう少し「他の先進国並み」に減少してあげることだ。そして、それは、今日からでもできる。

 なぜなら、気分は、結局は、脳内に分布している化学物質(神経伝達物資)のブレンドの問題なのだから。

 経験したことはありませんか? 憂鬱な気分が一本の映画をみたら飛んでいってしまったこと。ショッピングモールで子供のモノだけ買って返ろうとしたら、広場でコンサートをしていた。そこで、音楽をきいたら、なんか楽しい気分になって、結局、自分の洋服まで買ってしまった。脳内の化学物質の内容がちょっとしたきっかけで変わったのです。女性雑誌が「不況もいいじゃん!」といえば、働く女性たちもなんとなくそんな気になるし、トヨタの社長が「日本でのものづくりにこだわる」と宣言すれば、中小企業の社長さんたちも「そうだ、自分も頑張ろう!」と理屈ではなく、なんとなく元気になるのです。

 今年のクリスマスは明るく行きましょう! お店に入るとサンタが迎えてくれる(経費削減したいなら、メタボでお腹の出た部長がサンタさんになればいい。貧困層への遠慮があるなら、売上が上がった分の5%を寄附すると宣言すればいい)。街にはクリスマスソングが流れ、ライトアップが輝く。

 いえいえ、クリスマスまで待てません 秋から冬にかけては、太陽の照る時間がだんだん少なくなり、季節性ウツにかかる人が多くなるといいます。東京タワーや通天閣をライトアップしましょう。乳ガンや糖尿病撲滅運動の一環として東京タワーをピンクやブルーにライトアップするイベントがあります。日本のいくつかの企業が集まって、全国のタワーや建築物をライトアップして、「自分たちはリスクを恐れない!損をしてまで安売りはしない!模倣商品もつくらない!」と力強く宣言してほしいです。

 ベネッセコーポレーションは大学受験生に「攻める宣誓」をさせています。受験生はいつの時代でも不安です。第一志望をどこにするかで迷います。親の経済的理由から浪人できない。だから70%の確率で第一志望に合格するといわれても、30%が恐くてリスクをとるかどうか迷うのです。そんなとき、やさしい言葉よりも、強い命令口調のメッセージのほうが効果があります。2008年ごろの「攻める宣誓」のサイトにはこう書かれていました・・・・「第一志望にいこう。守りに入っていないか、限界を決めていないか、流されていないか、迷っていないか。大丈夫強気でいこう!」そして、自分の夢を宣言させます。

 企業も宣言してください。自分たちの夢を語って、それを実現するためにリスクを恐れないと宣言してください。企業が強くて明るいメッセージを送ることが、日本の消費者たちを元気にするのです。国民を元気づけるのは本来なら政治家の仕事でしょう。でも、多くの先進国において政治家はその任務に失敗しています。企業は消費者に広告メッセージを送ります。でも、いまは、商品一つ一つの広告メッセージを送ってその商品が売れたか売れないかで一喜一憂する状況ではないでしょう。いまは、消費者にお金を使って消費する(自分へ投資する)ことへの安心感を感じてもらうことが最重要課題です。そのためのメッセージを送る。著名な企業いくつかがメッセージを送り、それがTVのワイドショーやNHKのニュースで紹介されるくらい注目される。きっと、日本を元気づけることができる。

 バカみたい・・・と思うかもしれません。でも、なぜか、心はちょっとしたきっかけで元気になるのです。

 たかが脳内物質、でも、されど脳内物質なのです。

 日銀の白川総裁が10月21日付け朝日新聞で「ゼロ金利政策の真相」ということで長いインタビューに答えています。むつかしい金融政策について語ったあと、最後に、こうコメントしています・・・「最近の日本社会を見ていると、気分の持ちようも大事だと思う。すべてを否定的に考える気分の持ちよう自体が経済の成長力を落としている面もある。過度の悲観論は一掃したほうがいい」

 たかが脳内物質、されど脳内物質なのです。

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 参考文献: 1.Joan Y. _Chiao & Katherine D. Blizinsky, Culture -gene coevolution of individualism-collectivism and the sertoninn transporter gene, Proc. R. Soc.B, 10/28/09, 2. Corey L. Fincher, et.at., Pathogen prevalence predicts human cross-cultural variability in individualism/collectivism, Proc. R. Soc. B, 2/26/08, 3.Turhan Canli, The Character Code, Scientivic American Mind Feb/March 2008 4. 韓国企業に新風、日本経済新聞 10/4/10、5.創造的破壊で日本は再起、日経ビジネス10/4/10 5. よみがえるバブルの夜、日経MJ 9/17/10

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2010年9月14日 (火)

デフレ下のフラッシュ・マーケティング(数の魔術)

  いやですねえ。「デフレーション下のフラッシュ・マーケティング」なんてカタカナだらけのタイトル。でも、「通貨収縮下の閃光型販売促進」というのも中国語みたいですしね。

 最近、フラッシュ・マーケティングという言葉をよく目にします。フラッシュ(Flash)というのは「瞬間的」といった意味で、店舗ではフラッシュ・セールスという販促手法は昔から使われていました。お店が開店する10時から11時までの1時間だけ、ワゴン上の「ハンドバッグが1000円!売り切れ次第終了」とアナウンスすれば、顧客はいま買わないと損をしたような気になって、ついつい衝動買いしてしまう。

 ネットでは、そのリアルタイム性(適切なタイミングで緊急性が強調できる)を最大限利用して、たとえば、衣料品販売サイトが朝9時に会員客にメールを送り、「今日の12時からXYブランドの20%割引セールを開始。商品数が限られているので完売次第終了・・・」と告知して、お昼休みに突入次第すぐにサイトにアクセスしなくては損するような気持ちにさせる。

 こういったフラッシュ・マーケティングの代表格(?)として登場したのが、割引クーポンの共同購入サービス。専用サイトで、たとえば、エステサロンの通常1万円のコースだが、24時間以内に50人集まれば、5割引で5000円の割引クーポンを買うことができる・・と告知する。24時間以内に50人集まらない場合には、この取引は成立しない。だから、このクーポンが欲しいひとは、メールやツイッター、その他のソーシャルメディアを使って、友人、知人、赤の他人に告知する。結果、50人以上集まって取引が成立すれば、消費者は大幅に割安な商品やサービスをゲットでき、共同購入サービスを提供する企業は、売上の何割かをスポンサー(たとえば、エステサロン)から手数料として受け取る。スポンサーは、宣伝広告費をかけずに多くの見込み客を獲得することができる(そのうちの何割がリピートしてくれるかは別にして)。

 割引クーポン共同サービスの元祖といわれる米グルーポン(Group+Coupon=Groupon)は2008年11月の創業後、わずか7ヶ月で黒字転換した(売上の50%をスポンサーから手数料としてもらっているそうだから、ある意味、当然)。2010年の売上は5億ドルを越えると予測されている。このペースで成長を続けると、グルーポンは創業2年で売上10億ドルに到達するのではないか? そうなると、ネット・ベンチャー企業のなかでは、10億ドル達成最短スピード記録となると雑誌「フォーブス」は書いている。

 ちなみに、著名ネット・ベンチャー企業が創立後売上10億ドル達成にかかった年数を順に並べると・・・・1994年創立のアマゾンや1998年創立のグーグルは5年、1976年創立のアップルは8年、1984年創立のデルは9年かかっている。

 グルーポンのビジネスモデルは、短期間のうちに巨大な利益を計上できる。が、台頭するソーシャルメディアをうまく利用しているという以外、そのアイデアには新しい要素はほとんどない。共同購入システムについては、日本でも、ネットプライスドットコムが2000年から、商品の購入申し込みをする人数が多くなればなるほど価格が安くなっていく手法を展開していた。また、割引クーポンでは、リクルートの無料クーポン情報誌「ホットペッパー」が2002年ころには大人気を得ていた。

 リクルートは、紙媒体がふるわなくなってからサイト上でクーポン発行をしていたのだから、グルーポンのビジネスモデルを考えつくことができる環境にはいたはずだ。・・・・・て、まあ、後知恵で言うのはたやすい。結局のところ、過去の成功体験とかすでにできあがった組織やシステムをいったん壊して新しいアイデアを採用することは、ある意味、自分自身を否定することになるから、なかなかできない。

 もっとも、グルーポンの未来は、明るいようで、けっこう暗い。

 なぜなら、非常にまねしやすいビジネスモデルだから。すでに、アメリカでは200件、海外では500件(そのうち中国で100件)の類似したサイトが登場している。日本でも9月現在で39件の類似サイトがあり(朝日新聞9/7/10)、そのなかには、リクルートが7月に始めた「ポンパレード」もある。

 模倣されやすいということは競争が厳しいものになるということで、競争が激しくなれば、クーポン割引率を他より高くする、希少価値ある内容にする、あるいは手数料を低くする・・・ということになる。いまですら50~70%の高い割引率なのにこれより高くする。あるいはスポンサーに請求する手数料を低くするということになれば利益率は低くなる。また、希少価値ある内容にするためには、各地域の名品・珍品を探したり、高級レストランの承諾を得るために交渉したりする営業マンが必要だ。

グルーポンがシカゴで創業した当時には7人の営業マンが毎日100件電話してスポンサーを探したらしい。2010年のいまでは、本社に250人の営業マンと70人のコピーライターがいて、消費者を魅了するような企画と告知の仕方に「足」と「知恵」を使っているという。それでも、各地域ごとの楽しい企画を探り出すには、地域のことがよくわかっている人間が必要だ。こういったことが、この新しいビジネスモデルがいまの収益性を保ちながら成長発展するのを妨げる要因となる。

 グルーポンは、この障害を、海外の、あるいは、各地域の小さな共同購入サイトを買収することで乗り越えようしている。げんに、日本に進出するにあたっては、同業の日本企業「クーポッド」を買収した。グルーポンの社長は日経MJのインタビューに答えて、「グルーポンは街のガイドでもある。街で何が面白いか、最高の物やサービスについて情報を提供し、消費者が街を発見する手伝いをする。そのため販売するクーポンの対象は調査して厳選する」

  まさに、日本のリクルートがホットペッパーを通じて、リアル店舗との交渉で学んだノウハウのはずだ。このノウハウを活かせば、「最も成長の速い企業」などまったくこわくない。でも、そのリクルートの「ポンパレード」はサイトを空けた初日からつまづいてしまっている。某レストランの1万円のコースを50%割引の5000円とするクーポンを販売したのだが、このコースの内容が通常4800円のコースと同じだと苦情が出たのだ。「テーブルにバラをちりばめたり、写真撮影、フルーツがつくなど特別サービス」が付いているから5200円余分にいただきます・・・・はないだろうと批判された。

 やっぱり、企画内容を調査して厳選して、それを消費者を魅了するように伝えるためには、営業マンとライターに人件費がかかる。それがこのビジネスモデルの弱点です。

 そういった意味で、早く大手になって、全国ベースの有名店と組むことができれば、収益性の高いビジネスが可能だ。グルーポンは最近になって、全国ベースの衣料品大手チェーンGapの25ドルで50ドルの買い物ができるクーポンを販売。全国で同じクーポンを発売したのは、これが初めてだ。一日で44万1000枚売って、(通常の取引どおり50%の手数料を得ているとしたら)グルーポンは5500万ドルもの収入を得たはずだ。しかも、金券を安く売るということは、企画に頭を悩ますこともない。ただし、スポンサー企業が、あとで分析して、こういった形で獲得した新規客の大半がバーゲンハンターで、通常の値段ではリピート購買をしてくれないということが判明すれば、二度とは採用してくれないだろう。

 デフレの話に移ります。

 2008年の金融危機以降、米国やEUでは一時デフレ傾向になったりもしたのですが、いまは反対にインフレかともいわれたりして、1990年代後半から10年近くもデフレ状態にあるのは日本だけ。経済学者の間では、金融政策だとか財政政策だとか、あるいは、輸出依存の日本経済はもともとデフレ体質にある・・・とかいろんな議論があるようですが、ド素人の私にはわかりませーん。ただ、ひとつ、日本だけデフレが長期にわたって続いている要因のひとつとして「デフレ期待が生まれてしまった」とする説があったので、それについて書いてみたいと思います。

 経済学者さんたちはわざと難解な言葉を使っているのではないかと疑いたくなりますが、「デフレ期待」というは「デフレ慣れしてしまった」というわかりやすい言葉に変えることができます。つまり、デフレが当分の間続くと企業も消費者も、つまり日本人全体が考えるようになってしまった。だから、企業は投資をせずに貯金にまわし、消費者も消費せずに貯金にまわす。

 そして、最初は10%割引でも感激したのが、いまでは、そのくらいの割引くらいでは動こうとはしない。もう少し待てばもっと安くなると消費者は思っているわけです。そこに、共同購入サービスが登場して、50%だとか70%の割引がされるようになると、20%や30%ではばからしくて買う気も起こらなくなる。

 話しはまた少し飛んで、経済学に「マネー・イルージョン(貨幣錯覚、money illusion)」という考え方があります。20世紀初頭にケインズが作った言葉で、1928年にはアービン・フィッシャーがこの言葉をタイトルして一冊の本も書いています。

 人間はお金を、実質値ではなくて名目値で判断するというもので、たとえば、賃金が2%下げられると嫌な気分になるが、賃金が2%あげられれば、そのときのインフレ率が4%だとしてもハッピーになるというものです。伝統的経済学でいうところの合理的な経済人なら、インフレ率を加味して、名目賃金は2%上がったとしても実質賃金は2%下がったことになる。だから、最初の会社提案と同じように嫌な気分になるべきだ。でも、大半のフツーの人間はそうは思わないということです。同じように、デフレで物価が下がったのだから、給料もそれだけ下げてもいいだろうとか、給料は前年と同じでも上げたようなものだ・・・などどいう論理は通じない。人間は、給料が下がれば、不安になって、消費をせずに貯金をするようになってしまうわけです。

 実質値でなく名目値で判断するということを、もっとわかりやすく書き直すと、人間は持っているお金がどれだけの物を買うことができるかではなくて、お金の額(数字)だけで、お金そのものの価値を判断しているということです。つまり、そもそも、お金そのものには何の価値もなかったはずなのに、長い間使っている間に、その金額(数字)の大きさで嬉しくなったり嫌気がさしたりするようになっているということです。

 2009年に、ドイツの経済学者と神経科学者が協力してfMRIを使って実験をし、マネー・イリュージョンを起こしているのは、脳の前頭前野腹内側部vmPFC(Ventromedial Prefrontal Cortex)にあると発表しました。ここは、論理的思考の中核となる前頭前野のなかで報酬系とつながっているところで、報酬度がどのくらいあるか期待(予測)していると考えれられています。実験では、まず最初に、24人の被験者が、一定の仕事をして賃金を獲得し、そのお金を使ってカタログから商品を購買します。次に、賃金が50%増になりますが、その分、カタログに掲載されている商品も50%値上がりします。被験者には、最初から2つの異なる状況を説明して、名目賃金とか実質賃金とかも説明して、実質的には2つの状況において実質賃金に変わりはないことも理解してもらったうえで、fMRIを使って実験をしました。

 そして、5回実験をくりかえしても、賃金(名目賃金)が高いほうが、vmPFCは活性化したのです。

 行動経済学では、マネーイリュージョンは、ひとつの情報だけをキュー(手がかり)として判断する便利で簡単な意思決定方法であるヒューリスティクスのひとつだとみなされています。そして、名目賃金だけに注目して、それが上がれば(大きくなれば)よしと判断しているのがvmPFCだというわけです。つまり、論理的には「わかっちゃいるけど」、実感として「大きいことは良いことだ」と脳は判断しているわけです。

 これはマーケティングのひとつのヒントになります。

 たとえば、家電のエコポイント。これは、購入額の5%とリサイクル相当分をポイントとして購入者に付与して、次の製品購入時に使えるようにする制度として始まったわけですが、5%割引とか8%割引とか書くよりは、エコポイント7000点とか10000点と書いたほうが、よりお得な気がします。vmPFCが大きいほうが良いのだ!と感じているのでしょう。宝くじだって、一等一億円のほうが(たとえ、当選確率が1000万分の1から一億万分の1に落ちたとしても)に当選一等5000万円よりも、ずっとずっと魅力的に思えるのです。

 これは、コピーライティングのヒントになりますが、また、デフレ慣れすればするほどデフレ地獄(まあ、デフレスパイラルというかっこいい言葉もありますが)に陥る理由でもあります。数のイリュージョンです。数の魔力です。

 この数のイリュージョンから、売り手企業はどうやって抜け出したらよいのか? そこらへんを、神経経済学の実験を調べながら、次回は書いてみたいと思っています。それも、なるべく早く・・・。

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参考文献: 11. Christopher Steiner, Meet The Fastest Growing Company Ever, Forbes 8/12/10  2.格安クーポンサイト好調、朝日新聞 9/7/10, 3.クーポン共同購入の米グルーポン、日経MJ,9/6/10, 4.Bernd Weber,et.al., The Medial Prefrontal Cortex Exhibits Money Illusion, PNAS  March 31, 2009, 5. Inflation felt to be not so bad as a wage cut, EurekAlert 3/23/09

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2010年8月15日 (日)

不安な時代にGoogle TV?

 もうすぐ秋・・・(って、この暑さ! 秋だって自分の出番を忘れてしまう)

 でも、まあ、この間、しおからトンボも飛んでたし。

 秋になると、インターネットTVと呼ぶべきか、あるいは、大型スクリーン多機能端末と呼ぶべきか・・・まあ、呼び名なんてどっちでもいーけど、Google TVが発売される。5月20日の新商品発表のとき、Googleの担当者が「アメリカ人は毎日5時間もTVを見るんだ」とさかんに強調していたように、アメリカではTV回帰が起きている。だから、Google TVの発売はタイミング的にも絶妙だと担当者は言いたいわけです。

 ニールセンの調査によれば(2009年四半期)、アメリカ人は一週間に35時間もTVをみている(過去最高だった2008年より1%増)。同じような傾向は日本でも見られ、スカバーJSATの調査によると(2010年1月ネット調査)、回答者の50%が家でTVを見る時間がふえたと答えている。英国でも、TVの視聴時間は1993年以降で最大となっているそうだ。

 90年代にインターネットが普及するとともに、TV・雑誌・新聞といったマスメディアは衰退の一途をたどってきたはず。なのに、なぜ・・・? 理由としては2つ挙げられる。

    1. 不景気というか不安から「巣ごもり」しているからヒマ

アメリカでも日本でも、働き盛りの30代のTV視聴時間がふえている。 2010年になってからの東京首都圏での調査によると、一日当たりの平均TV視聴時間は、M1層(男性20~34歳)で2時間25分、F1層(女性20~34歳)で3時間4分となっている。休日はどちらも3時間半以上。M1、F1ともに「自宅で一番長い時間していること」は「TV番組を見ること」が「ネットを使う」を越えてトップに輝いた。 

    1. 「ながら見」が多くなった

日本のメディア調査では、回答者の46%がTVを見ながらメールをしていると答え、44%がTVを見ながらネットをしていると答えている(デロイトトーマツコンサルティング調査2010年3月)。アメリカでも、ニールセン調査で、インターネットとTVを同時に利用する時間は前年に比べて35%増という結果になっている。

楽天やZOZOTOWNがTVコマーシャルでセールの宣伝をしたり、アメリカで家電量販店のベストバイがツイッターのアカウントをフォローするようにTVで宣伝したりするのは、まさに、この「ながら見」の風潮を考えたうえでのことだろう。

 不景気や不確実な社会に不安を感じて「巣ごもり」しているひとたちは、いわゆる(伝統的な意味での)「オタク」ではない。パソコンやケータイさえあれば何時間でも一人で過ごせるタイプではない。自宅で一人で過ごす時間が長くなると淋しくなる。誰かとつながりたくなる。これが、不安な時代に、ツイッターやフェースブックのようなソーシャルメディアが伸びる理由のひとつだ。しかし、パソコンやケータイを通じてのソーシャルメディアでの交際は、基本的に文章(テキスト)ベースだ。音がない。映像がない。パソコンやケータイでメールを送ったり投稿(ツイート)しているとき、人の話し声や笑い声が聞こえてくる。目をあげると、部屋の反対側に置いてあるTVでバラエティー番組が進行中。ソーシャルメディアとは違った形で、自分と社会とのつながりを感じることができる。安心感が増す。

 友人や家族にも見放されたような疎外感を味わっているときや、自分がどーしよーうもない人間だと自己否定の気分に陥っているときに、好きなTV番組を見ると淋しくなくなる・・・という心理学の調査結果が2009年に発表されている。それによると、落ち込んでいるときでも、好きなドラマの登場人物や番組のパーソナリティが、友人の代用の役割を果たし、視聴者の感情的ニーズを満たしてくれるらしい。

 つまり、視聴者は、音声や映像で聴覚と視覚を刺激するTVを通じて、画面上の人間と疑似友人関係を結ぶことができるらしい。それによって疎外感がうすらぐ。そういった意味で、TVもネットも見られるGoogle TVは、不確実で不安ないまの社会にぴったり? 少なくとも、「ながら見」族には最適なメディア端末だと期待されているようだ。

 とはいえ、これまでも、TVとネットの結合はいろいろ試されてきたが成功していない。ウェブサイト、TV放送、ビデオ、ソーシャルメディア・・・なんでも、ひとつに集めれば便利でよいというものでもない。「淋しいからながら見」の心理を分析すれば、端末が2つに分かれているからこそ、淋しい気持ちが軽減される・・・ともいえる。目の前のパソコンを通じて特定の友人とつながりながらも、ふっと目をあげれば、自分が属している社会を映し出しているTVがある。それが全部ひとつのスクリーンに集中されることは、機能的には便利だけれど、心理的には大きな違いがあるんじゃないかなあ~。端末が二つ以上あるから「ながら見」で、ひとつにまとめられたら、もう「ながら見」ではない。それは、「マルチタスキング」になる。

 「ながら見族」のなかには、淋しいから「ながら見」をするわけではなく、ただ単に「パソコンが次ぎのタスクに移るのを待っているのが退屈だから。数秒間の無為な時間がいやだからTVを横目で見る」という「無為を無駄な時間だとして嫌う」というひとたちもいます。こーゆーひとたちは、当然、マルチタスク機能をもったメディア端末が好みです。マルチタスクといっても奥が深いらしく、「iPadの欠点はマルチタスクができないこと」だとか、「iPhone4ではマルチタスクが可能になった。うれしい」とかいったコメントに反論して、「バッカだなあ。おめーら、マルチタスクの意味もわかんねーのか。iPadはむろん、いままでのiPhoneだってバックグラウンドでいくつかのプロセスを処理してるんだ。だからウェブサーフィンしながら音楽を聴いたりメールを受け取ったりできるんじゃねーか。これが、マルチタスクじゃなくて、何がマルチタスクなんだ!」という意見もあるようです。・・・・・ま、ど素人の私にはよくわかりやせんがね(ホタルノヒカリの干物女のまね)。

 そのど素人の私が(ネット上の)巷の意見を読んで気がついたのは、「画面がスプリットされていないとマルチタスクって実感がしない」と考える人が圧倒的に多いことです。これが、ユーザーの本音というか心理なんでしょうね。裏でマルチタスキングをしていても実感がわかない。画面の小さいケータイは仕方ないとして、ある程度の大きさの画面になったら、2つとか3つとか分かれてほしい。だから、iPadでは、すでに、画面を2分割してくれるアプリが登場しています(秋には、たぶん「実感できるマルチタスキング」を実現する新ヴァージョンが発売されるはずだというのに。待つのがいやなんでしょうね)。

 ここから、マルチタスクとiBrainの話しへと突入していきます

 6月に「スティーブ・ジョブズ氏にiBrainを設計してもらおう」にも書いたように、わたしたちの脳はマルチタスクを得意としていません。

 ここで、きっと、ちゃちゃが入ると思います。「他の人は知らないけど、ボクは(私は)同時に2つくらいのことは平気でできるよ」・・・・それは、たんなる思い込みです。たしかに、歩きながら会話をすることは、あまり複雑な内容の話でない限り、可能です。それは、歩くという作業が無意識のうちにできる自動的(機械的)タイプのタスク(作業)だからです。それでも、議論が白熱してきたら(ということは、話すというタスクに注意が集中する)、早足で目的に向かって歩くことがむつかしくなるでしょう。文章を読んでその意味するところを理解するという意識を集中させなくてはいけないようなタスクが組み合わされると、たとえもうひとつのタスクが自動的なものでも、同時にすることはむつかしくなります。

 論より証拠。次のテストを受けてみてください。

  1. 赤、緑、青、黄、緑、赤、青 (漢字を読み上げる)
  2.  (漢字の色を読み上げる)

 2番目のタスクのほうが時間がかかるはずです。それどころか、間違った色の名を読み上げてしまうかもしれません。単語を読む作業は脳にとってはほとんど自動的タスクとなっています。が、2番目のタスクでは、単語の意味と色とが合致していないために、判断する作業に意識を集中しなくてはいけないので時間がかかるのです。

 このテストは米心理学者J.R.ストループが1935年に編み出したもので、この場合のように、ひとつのタスク(色を判断する)を実行するのには意識を集中しなくてはいけないのだが、そのためには、無意識の機械的タスク(字句を読む)を抑制しなくてはいけない。だが、そうすること、つまり自動的タスクを無視することがむつかしくて、結果、作業時間が遅くなる現象をストループ効果と呼びます。これが、脳のマルチタスキングに関する初期の研究です。

 その後の研究で、注意を集中しなくてはいけないタスクを2つ以上、同時にしようとすることは不可能だと、多くの心理学者や神経学者が考えています。同時にしていると思っていても、実際には交互に注意を払うようにしている。だから、時間が余分にかかるのです。たとえば、

 大阪大学大学院人間科学研究所の実験では、クルマを運転していて、前方を見ていて歩行者が飛びだしてきたときの反応時間は0.7秒。カーナビ画面で地名をチェックしてから視線を切り替えて2秒後に歩行者が飛び出てきた場合では0.9秒。視線を切り替えてから5秒くらい経過してからでないと、反応時間は0.7秒には戻らない。でも、実験をした心理学者(篠原一光)によると、「注意能力が落ちていることを(本人は)自覚していない」そうです。

 大学生を対象にしたアメリカでの実験では、レポートを書くことと、eメールをチェックする2つのタスクを実行させる。が、Aグループではレポートを書き終ってからメールをチェックさせ、Bグループでは交互に実行させたところ、Bグループは作業完了にAグループの1.5倍も時間がかかりました。

 本を読んでそこから有益な情報を獲得したり、それを自分がすでに持っている情報と関連づけて、新たなアイデアを創造したりする作業をするには、そのタスクだけに専念する時間がある程度持続する必要があります。メールをチェックしたり、ツイートを読んだり、テレビを横目で眺めたりしていては、シングルタスクに集中することはできません。集中力を必要とする作業をメールや電話で中断されると、もともとのタスクの流れに戻るには20分くらいかかるという調査結果もあります。

 自分の脳はいくつかのタスクを同時にやろうとすると効率や創造性が落ちる。なのに、私たちは、なぜこうもマルチタスクできるメディア端末が好きなのでしょうか?

  1. 便利・・・・たしかに。
  2. 無為な時間を我慢できない・・・「マルチタスクだと、少し時間がかかるタスクを実行している間は、他のアプリケーションに切り替えればよい。イライラしながら待つ必要がない」といった意見が多い。最近気がついたのですが、人間ってIT機器相手だとやけに短気になりますよね。
  3. 退屈・・・・これは、画面が2つ以上に分轄されて、実際に自分の目でマルチタスキングしているのを見たいという願望にも関係している。「ケータイのような小さな画面ならシングルタスクも耐えられるけど、iPadくらいの画面になったらちょっと・・・。大画面が無駄な感じがする」という意見も多い。
  4. マルチタスクを使いこなしていると、なんだか、自分の能力が高いような気がしてくる・・・・これって、グローバル企業の社員で、海外をいったりきたりして、実際には時差ぼけで頭があまり働いていないはずなのに、昨日ニューヨーク、今日上海っていうアクティブな行動をしているってことで、自分をやり手のビジネスマンだと錯覚しているのと似ていると思いませんか? 時差ボケした頭で正しい意思決定ができるとは思えない。 同じように、マルチタスクは脳に負担をかけ、創造性をそこなっているというのに、IPadを手のひらや指先で操作して次から次へとタスクを変えている自分が、なんだか偉く見えてくる。
  5. iBrainの記事で書いたように、脳は新しい刺激(情報)が大好物で、すぐに飛びつくのです。だから、レポートを書いていても、メールが着たらすぐにチェックし、だれか自分のブログにコメントしていないか常に気になるのです。私たちの脳は、マルチタスキングの能力が備わっていないくせに、マルチタスクしたがるのです。

 こういった流れになってくると、マルチタスキングを促すiPhone4、今秋発売予定の新ヴァージョンのiPadやGoogleTVなどが、よってたかって、私たちを「おバカ」にしてしまうのではないか? きちんとした作業に神経を集中できない中途半端な人間にしてしまうのではないか? という結論になってしまう。実際、新しいメディア端末への批判や懸念を口にする評論家は少なくありません。が、そういった批判に、ハーバード大学の心理学者(日本でも進化心理学関連の本がいくつか出版されている)スティーブン・ピンカーは、6月10日付けの「ニューヨークタイムズ」で反論しています。その内容を私流にまとめてみると・・・

「いつの時代でも、新聞とかTVとか新しいメディアが登場するたびに、一般市民のブレインパワーやモラルを堕落させるものだ非難されてきた。パワーポイントのような電子技術や検索エンジンなども、インテリジェンスを貶め、表面的知識をすくいとるだけで深みを探求する努力を放棄させる。そして、ツイッターは注意力が持続できる時間を短縮してしまうと槍玉に挙げられ非難されてきた。しかし、過去を振り返って考えてみてほしい。TVが登場して以降、、科学の進歩は止まっているだろうか? 哲学、歴史、文化を批判し評論するインテリジェンスは落ちてきているだろうか?」

 たしかに・・・、日本でも、TVが普及した1950年代半ばに、大宅荘一っていう社会評論家が「一億総白痴化」って批判したこともあったっけ。だけど、TV大好き人間の私としては、この意見にはまったく賛成できまっせん!

 いつの時代でも、新しいものは大人に批判される。だから、スティーブ・ピンカーは、いつの時代にも通用するアドバイスを書いている。

 「何かひとつのことを達成しようとするなら、自己管理しかない。なにかに集中するためには、メールやツイッターをオフにする。食事をするときにはケータイを持たない。自己管理できない人間は、メディア端末があろうとなかろうと、神経を集中する必要があるタスクを完成することはできないはずだ。メディア端末のせいにするのはおかしい。 それは、ダイエットできない人間が、新しいタイプのデザートが次から次へと登場することさえなければ、ダイエットに成功することができるのに・・・と嘆くのと同じだ」

 たしかに正論ですけどね。でも、正論すぎて、役立つアドバイスにはなりません。大半の人間は自己管理できないから、世の中にはダイエット本があふれるているわけで。「わかっちゃいるけど、やめられなくて」、つい、動画をみたり、メールをチェックしたりするんです。私も自分の自己管理能力を信用していないから、チョコレートは家には絶対買い置きしません! それから、ケータイのメールアドレスは誰にも教えてません(って、なんじゃこりゃ?!・・・・太陽のほえろのジーパン刑事のまね)

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参考文献: 1.「ながら作業で注意不足」、日経新聞 9/25/2006、2.「若者は”テレビ離れ”していない」、cnet Japan、3, Klaus Manhart, The Limits of Multitasking, Scientific American Mind 2004, 4,Steven Pinker, Mind Over Mass Media, The New York Times, 6/10/2010, 5, Flonnuala Butler, Imaginary Friends, Scientific American, 7/28/09, 7,Brandon Keim, Multitasking Muddles Brains, Even When the Computer Is Off, Wired Science, 8/24/09

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