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2020年6月27日 (土)

コロナ禍とエッセンシャルワーカーと肉体労働と賃金

 コロナウィルス関連で、よく使われるようになった言葉に「エッセンシャル・ワーカー(essential worker)」がある。日本語では「社会に必要不可欠な労働者」とか訳されているが、「人々が生きて暮らして行くためには欠くことができない職業に従事している人たち」という意味になる。

  たとえば、医療従事者を筆頭に、警察官や消防職員、電気や水道・ガスといったライフラインを担う人たち、食料品店で働く従業員、自宅まで必要なモノを運んでくれる物流サービス従事者・・・。こういった人たちは、自宅でテレワークで働くことができる人たちとは違い、感染するかもしれないリスクを冒して職場に出向き、仕事をやりとげなくてはいけない。場合によって、通常以上の長時間働くことも覚悟してなくてはいけない。

 日本の場合は、米国ニューヨークやイタリア、スペインのようなレベルの医療崩壊も起きなかった。死者数が少なかったということもあって、こういったエッセンシャルワーカーがパンデミックの中で働くことの危険性とか意義もあいまいなものになっている。だから、ありがたみを感じていない人も多い。それどころか、医療従事者の家族がイヤがらせを受けたり、観光業や外食産業といった休業せざるをえなくなった産業で解雇された従業員からは、「コロナのなかでも働けるだけマシ」とうらやましがられたりもする。

 だが、たとえば、米国では、4月初めに、米国国土安全保障省が、パンデミックのコントロールに必須とみられる職種を明らかにし、そのリストを発表している。そして、そのリストに基づき、トランプ大統領は、「国土安全保障省に指定された重要なインフラ産業で働いている人たちは、自分たちの通常業務を継続維持する特別な責任がある」と宣言している。つまり、ロックダウンで自宅から外出するのを禁止されている人たちとは異なり、あなたたちは、通常通り働き続けてくださいよと、ある意味、命令しているのだ。

 トランプ大統領を含め、多くの欧米諸国のトップは、コロナとの戦争という言葉をつかった。それでいけば、エッセシャルワーカーは、戦地で、しかも、前線に立って死を覚悟して戦ってくれと命令されているようなものだ

 だが、皮肉なことに、日本でも欧米でも、公務員や医療従事者以外の多くのエッセンシャルワーカーの平時のときの労働者としての地位は低い。低いという意味は、労働の価値が低く見られ、結果、低賃金だということだ。

 エッセンシャルワーカーに含まれている介護士や保育士の給与の低さは以前から問題になっているし、モノを自宅まで運んでくれる配達員や物流センターの従業員、それから、スーパーで働く店員にいたっては、最低賃金で働くバイトやパートも多い。

 低賃金で働く人が、緊急時になれば、命にかかわるかもしれないリスクの高い仕事をつづけることを求められる。たしかに、日本でも、企業が特別報奨金などを出してはいる。たとえば、ヤマト運輸は全従業員約22万人に一人当たり最大5万円の見舞金を5月に支給している。食料品スーパー「ライフ」も、「日々、厳しい条件で業務に取り組む人達へのお礼の意味を込めた」として、パートやアルバイトを含めた全従業員約4万人に総額約3億円の緊急特別感謝金を支給して話題になった。

 緊急時にはこういった特別手当をもらっても、エッセンシャルワーカーの多くは、平時に戻れば、感謝もされないし、賃金も低いままだ。それどころか、コロナのせいで不景気になったことを理由に解雇されたり、より一層の低賃金で我慢することをしいられるかもしれない。

 現代の経済学理論でいえば、商品やサービスの価格はユーザーが知覚する価値に基づく。そして、その価値は、その商品やサービスを使って得る満足感や快感(効用)が決めるといわれる。介護士、保育士、物流サービス従事者、スーパーの店員の価格、つまり賃金が安いのは、ユーザーである一般市民が知覚する価値が低いからだということなる。

 知覚する価値が低い理由はいくつかあげられる。たとえば・・・

 1番目の理由:誰でもできる仕事だとみなされている。スーパーの店員とか宅配便の配達は、やろうと思えば誰でもできるとみなされる。資格が必要な介護士や保育士ですらも、「忙しいから手伝ってはもらっているが、私だってやろうと思えばやれる」的な意識がある。介護士にいたっては、こういった職業に従事する人を見下す傾向すらある。私もヘルパーさんに助けられて自宅で介護をした経験があるが、多くのヘルパーが「お手伝いさん扱いする家族が多い」と嘆いていた。大阪健康福祉短大の川口教授は朝日新聞のインタビューで、「介護職に対して『簡単、単純、誰でもできる、学歴もいらないつまらない労働』という思い込みがあるように感じます。」と発言し、「介護職にリスペクトを」と訴えている。

 2番目の理由:賃金から労働価値を判断する。ユーザーである一般市民は、商品・サービスの価格を手がかりにその価値を判断するという逆方向の方法をとることが多い。だから、パートやアルバイトの仕事の価値を、その賃金から判断する。スーパーに行けば、求人募集の貼り紙に時給1000円と書かれている。それをみて、時給1000円の仕事をしている労働者だということで、店員の労働者としての価値を決める(そして、IT関連の仕事をしている人は高給をもらう。だから、IT関連の労働価値は高いと判断する)。

 労働を肉体労働と頭脳労働に分け、肉体労働は単純で下等、頭脳労働は複雑で上等とみなすのは、世界的に共通する価値観であり、長い歴史がある。そして、エッセンシャルワーカーの多くは単純な肉体労働だとみなされる。

 労働を肉体労働と頭脳労働に分けること自体、肉体労働をしている人は頭脳を使っていないとみなしていることになる。これは、肉体労働は奴隷にまかせ、ある程度のレベル以上の市民は高等な思索に時間をつかうという古代ギリシアの考え方と同じだ。20世紀初頭に、工場における労働作業の管理手法を考案したF.W.テイラーも同じように考えていた。

 彼は、「工場ではできるだけ多くのことを機械にまかせ、労働者には考えるということをしてもらいたくない」と繰り返し口にしたそうだ。テイラーの「科学的管理法」は、ベルトコンベア方式の動くアセンブリー工場に適した労働者を生み出すのに貢献し、自動車の大量生産を可能にした。

 日本では、米国型大量生産方式を基本とはしても、「工場労働者は頭脳を使わなくてもよい」という考え方は採用しなかった。結果、工場で働くブルーカラーと事務所でスーツを着て働くホワイトカラーとの身分格差は米国ほど明確にはならなかった。だが、ICT化が進む中、ITリタラシーの高い労働者は頭脳労働者で高報酬で上、そうでない労働者は肉体労働者で低報酬で下という価値観が定着してきた。

 しかし、今回のコロナウィルスによるパンデミックを経験するなか、そういった分け方になんとなく違和感を持つ人、疑問を持つ人が出てきたのではないかと思う。それは、パンデミックが、形のないもの(無形)を崇拝する風潮に「待った!」をかけ、形あるもの(有形)の存在意義にスポットライトをあてたからだろう。

 私たちが、PC等のIT機器を使って仕事をする労働者を高等だとみなすのは、実は、彼らがしている仕事が無形であり、その仕事の内容を見ることができないからだ。どういった仕事をしているのか、良い仕事をしているのかいないのか、そばで見ているだけでは判断できない。その点、形あるものを生み出す仕事をしている労働者の仕事は、判断しやすい。たとえば、技術がなければできない大工という仕事でも、結果としての仕上がりは、素人でも目にみえるからある程度判断でき意見も言える。介護士や保育士にしても同じことがいえる。

 人間は見ることができず、よって具体的に理解できないものを複雑で高等なものだと判断しやすい。

 だが、パンデミックによって、デジタルは複雑で高等、アナログは単純で下等という価値観が微妙に変わった。マスク、防護服、食料など、自分たちが生きていくために必要なものは形あるものばかりだ。たしかに、自粛でネットフリックスの会員やニンテンドーのゲーム「あつまれ どうぶつの森」の人気は世界的に増大した。だが、生存率を高めるためのエッセンシャル度からいったら、つまり、どちらかを選択しろといわれたら、ほとんどの人間が生きていくためにマスクや食料を選ぶだろう(ついでに言えば、「あつもり」ゲームをするためにはスイッチという有形のハードウエアが必要だ)。

 実際には、当たり前の話だが、肉体労働にも頭脳労働が必要だ。機転のきく店員のほうが客から好感度をもたれるし、いまの配達員はIT機器をこなさなかったら効率よい働き方はできない。頭脳労働を精神労働ともいうが、介護士は歩行の困難な高齢者のトイレの世話をする肉体にもきつい仕事を求められる。そのうえ、要介護者の心(精神)をポジティブな状態に維持するために自分の感情をコントロールしなければいけない。介護士のような仕事は「感情労働」とも呼ばれる。

 介護士、看護師や店員のように患者や客と接する感情的ストレスの多い職種は、エッセンシャルワーカーに多く含まれる。

 このように、肉体労働に分類される職種の多くは、感情を含めた頭脳を必要とする。だが、反対に、肉体を必要としない頭脳労働というものは存在する。

 そう思ったのは、ハーバード大学のCenter of Ethicsが4月に発表した報告書「パンデミックに強い社会をつくるロードマップ」を読んだときだ。経済と健康との兼ね合いを考慮しながら8月までに米国がある程度の通常状態に戻るための道筋を明らかにしたもので、大規模なPCRテストとエッセンシャル度による労働者の分類が基本となっている。

 5月~6月には一日500万件という大規模のPCRテストをして、これを7月末までには2000万件に増やす。最初はまず、医療、電気・水道といったライフライン、警察消防、物流サービス、食品店販売員、電気・水道といったエッセンシャル度が一番高い「全労働者の40%に当たる人たち」にテストを実施する。テストをして陰性の人たちだけを職場に戻す。陽性者は隔離し、陰性になった時点で職場に戻す。これを繰り返すことによって、エッセンシャル度が一番高い40%の労働者が働く環境を安全なものとする。

 次いで、7月からは、エッセンシャル度が次に高いと思される職業に従事する「全労働者の30%の人たち」に同じことをする。そして、7月後半には、エッセンシャルではないが、自宅でビジネスを展開することができない美容院やレストランといった接客業にたずさわる「全労働者の10%に当たる人たち」にテストを実施し、労働者にも客にも安全な労働環境をつくる。

 そして、8月には、「全労働者の最後の20%に当たる人たち」、自宅でテレワークをする労働者にテストを実施して、職場に戻す。

 こうすれば、秋までは、アメリカはパンデミックに勝利をおさめ、かつ、経済的ダメージも最小限に抑えることができるというわけだ(今の状況をみれば、米政府がこの提言を完全無視していることは明らかだが・・・)。

 在宅勤務がつづいても仕事に支障が出ない「全労働者の20%にあたる人」は、100%の頭脳労働者だといえる(もちろん、IT機器を使うのに腕とか手は使うが、声で操作する方法もあるし・・・、一応、身体は必要ないとしておこう)。

 肉体労働者の多くは機械に代替されると巷では言われているが、実は、機械に代替されやすいのは、この、100%頭脳だけの頭脳労働者のほうだ。拙著「勤勉な国の悲しい生産性」に詳しく書いたが、最近は、今のアルゴリズム中心のAIの限界が指摘されるようになってきている。アルゴリズム中心のAIとそれを基本として制作されるロボットが、人間の肉体労働(感情労働を含めて)に代わることは、実際には予想以上にむずかしいことが明らかになってきたからだ。だが、頭脳労働者とAIは符号化された情報を使って仕事をしているということでは、基礎(ベース)が同じなので、互換しやすい。

 コロナ後もテレワークを継続して採用し続けると発表する日本企業が増えてきている。従業員のなかには、それを歓迎する人もいれば、やっぱり職場で同僚たちといっしょにワイワイガヤガヤ言いながら仕事する環境に戻りたいと考える人もいる。それは、職種にもよるし、通勤時間がどれだけかにもよるし、家庭の事情もあるだろうし、本人の性格にもよるだろう。ただ、企業側からみれば、週一回会議に出席すれば後は自宅でテレワークでやっていける仕事であれば、正社員である必要はない。契約社員、あるいはその他の雇用形態でよい。

 コロナ禍は、企業にすれば、組織を見直すチャンスでもある。今後もつづく、いつ想定外の出来事が起こるかもしれない時代においては、組織は必要最低限の社員からなる無駄のない融通性の高い「(嫌いなカタカナ用語をあえて使えば)リーンでアジャイル」なものでなくてはいけない。

 社員の中には、そういった考え方は、悪いことではないと考える人もいることだろう。テレワークが可能にしてくれる時間から解放された働き方を好む社員であれば、契約社員になって、余裕があれば他の会社の仕事を引き受けてもいい。コロナ禍は社員の側も今後の生き方や働き方を考える契機になる。

 つまり、テレワークで自宅で仕事を続けていいと言われた社員は、それなりの将来の覚悟をもって、そういった働き方を選択すべきだし、会社としても、テレワーク社員を増やすと考えているのなら、会社組織の構造改革の一環として実行すべきだろう。

 テレワークを実際にやってみたら効率が落ちたと答えた従業員が66%いたという日本生産性本部の調査結果が出ている。もっとも、一番大きな課題が「職場に行かないと資料が見られない(49%)」、次いで、「通信環境の整備(45%)」「机など働く環境の整備(44%)」となっているので、まだ、テレワークをする環境やシステムが整っていないということだ。

 だが、ここで問題なのは、従業員や企業が、どういったタイプの生産性を求めているかを最初に明らかにしておく・・・ということだ。

 会社という組織で社員同士がコミュニケーションすることによって生まれる創造性を大切だと考えるグーグルとかアップルとかは、自宅勤務を奨励はしていない。グーグル創業者のエリック・シュミットは、コロナ後はオフィスが必要なくなるのではなく、反対に、ソーシャルディスタンスを守るために、一人当たりのスペースをより広くしたオフィスを作る必要があると発言している(ただし、通勤時間が長い社員のためにサテライトオフィスを設ける必要があるとも言っている)。

 ここからは、ちょっとおまけの余談です・・・

 「在宅勤務をずっと続けていいよ」といわれるのは、哲学的(?)に考えると、「あなたの身体はいらない、頭脳だけでよい」と言われているみたいで、ちょっと複雑な心境にならないだろうか? シュミットの場合は、頭脳は創造性を生むが、そのためにいくつかの頭脳が集まって議論したりしなくてはいけない、そのために身体が集合しなくてはいけないと考えていることになる(新著に書いたようにAIの身体性の問題がからんでくる)。

 最後に、おまけにもならない余談です。

 身体はいらない頭脳だけでよいということで思い出すのは、イギリスのSF作家H.G. ウェルズの小説「宇宙戦争」(1898)で描かれた火星人の姿だ。頭が大きく手足の細いタコのような火星人は、1982年に映画「E.T.」が大ヒットするまでは、典型的なエイリアンの姿形として漫画やイラストにつかわれた。

 タコに似た火星人は、IT機器を仕事相手とする頭脳労働者には理想的な姿形ではないだろうか? 手が8本あればキーボードやマウスを使うのに便利だし、IT機器の前で一日15時間座って働いても、肩もこらないし腰痛からも解放されそうだ。ついでにいえば、E.T.やウェルのズ火星人の目が異様に大きいのも、LEDスクリーンを凝視して目を酷使した結果ではないだろうか?

 タコは全身が頭脳だそうだ。タコの5億個の神経細胞(ニューロン)のうち3億5000万個以上が8本の触手にあり、8本の足が独自に意思決定できる「分散型」の神経系を有している。雑誌Newsweekによると、米国ワシントン大学の行動脳科学の研究者はタコが有する分散型の神経系を「知能の代替的モデル」と称し「地球さらには宇宙における認知の多様性についての理解をすすめるものだ」と考えている。「タコは地球上で我々が出会うことのできる<エイリアン>なのかもしれない」そうだ。

 19世紀に「タイムマシン」や「透明人間」といった作品も書いたH.G.ウェルズは、さすが、SF作家。遠い人類の未来を透視して、ICT化が進む中で効率性を求めれば、人類はタコのように進化(?)していくと考えたのかもしれない。

 

参考文献 1.Department of Homeland Security: List of Essential Industries, 2 Transcript: Eric Schmidt on "Face the Nation" 、CBS News 5/10/20. 3 「介護職にリスペトを」朝日新聞6/3/20 4.「在宅、生産性向上探る」日経新聞6/21/20, 5.Roadmap to Pandemic Resilience, Center For Ethics At Harvard University 4/4/20,6.「タコは地球上で会えるエイリアン」Newsweek7/1/19

2020年6月 4日 (木)

新刊「勤勉な国の悲しい生産性」、出版しました

 

  

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 タイトルから、「また、生産性の話? もうあきたよ」と思われるかもしれませんが、第一章で「生産性向上は時代錯誤」と主張して、それで、生産性の話は基本的に終わりです。じゃあ、なぜ、生産性なんて言葉をタイトルに使ったかといえば、(良いタイトルが思い浮かばなかったということもありますが)日本経済の問題や日本企業の問題は低い生産性にある・・・とする考え方を否定したかったからです。今の日本企業は、生産性向上!の名のもとに、従業員という最も重要な企業資産の価値を上げる努力をまったくと言っていいほどしていません。

 本書を書き終わって印刷が始まる少し前にコロナウィルスが世界を席巻するようになりました。そして、私たちは、人間を含めて形あるもの(物質的存在)の(デジタルと比較しての)意義とか価値にあらためて気づかされました。一般メディアではコロナの影響でデジタル化が一気に進むと主張しています。確かに、デジタル化は急速に進むし、進まなければいけませんが、それは、あくまで物質的存在を助けるというか補完する形でなければ期待するような結果はもたらさないはずです。本書では、身体性をもったAIとか、日本人の労働者としての特徴を歴史的かつ人類学的観点から明らかにし、日本のものづくりのグローバル市場での差別化についても書いています

 下に、本書の「はじめに」と「目次」を掲載いたしました。ご一読いただき、もし、興味をもっていただけましたら、手に取って読んでいただければ嬉しいかぎりです。

「勤勉な国の悲しい生産性」注文サイトへ

はじめに

 2019年は、いまのアルゴリズム中心のAIへの過信が挫折を味わった年です。早ければ2020年には、自動車の完全自動運転が実現するとしていた企業家や研究者の予測が修正されました。修正といっても、2020年が 30 年に延びるといったような問題では ありません。完全自動運転がどのくらい先に実現するのか予測すらできないと、研究者たちは素直に認めました。アルゴリズム中心のAI研究だけでは、人間の知能を超えることはできないということが明白になったのです。

 同じような理由で(つまり、いまのAIの限界が明らかになったことで)、機械(AIやロボット)が人間にとって代わる代替率は大幅に下方修正されました。日本では、 20 年以内に労働人口の 49 %がAIやロボットに代替されると予測され、センセーションを巻き 起こしましたが、いまでは、その数字が正しいと思っている研究者はほとんどいません。2016年にOECDが発表した7%のほうが正しいとみなされています。

 スポーツ用品メーカーのアディダスが、2016年に建設したドイツのスマートファクトリーは 19 年に閉鎖され、靴の製造は中国とベトナムに戻されました。米国のテスラのロ ボットによる100%自動工場もうまく稼働せず、イーロン・マスクCEOは「人間というものを過小評価していた」と自分の誤りを認めました

  つまり、企業は、これからも、機械ではなく人間である従業員に頼らざるをえないことが明らかになったのです。

 そういった状況において、いまの日本企業は従業員という最も重要な企業資産の価値を上げる努力をまったくといっていいほどしていません。その結果が、日本の従業員の会社へのエンゲージメント率は世界平均の半分しかない。異常に低いレベルです。なのに、「日本人は自己肯定感が低いからそうなるんだ」などと都合よく解釈し、対策を考えない経営者が多すぎます。

 バブル崩壊後の 20 ~ 30 年、ICT化を進めることなく、非正規の安い労働力と正規社員 の長時間労働で乗り切ろうとした経営者は、従業員を「機械」代わりに使ってきたと批判されても仕方がない。働き方改革の目標を「生産性向上」としているのは、「人間」を「機械」とみているからでしょう。働き方改革に不満をもつ従業員が多いのも当然です。

 組織には「2:6:2の法則」がみられ、優秀な社員が 20 %、普通の社員が 60 %、働か ない無気力な社員 20 %といわれます。欧米では、 20 %の優秀な社員を世界中から集め、こ こに集中的に投資する傾向が強い。だが、日本の特徴は、 60 %の「普通の社員」の教養や 勤勉さ、そしてたぶん倫理観のレベルも、他国の「普通の社員」より高いことにあります。

 人間は「感情」で動きます。感情が喚起されれば倍の力だって発揮することができます。

 働き方改革において重要なことは、この 60 %の「普通の社員」の感情を喚起すること、会 社の理念や目標に「感動」し、「共感」を抱いてもらうことです。そのためには、まず、従業員の行動心理を分析しなくてはいけません。

 本書では、歴史を振り返り、日本の労働者の時間に対する意識、組織に対する意識、人間関係に対する意識、仕事に対する意識を、広範囲にわたる調査、研究、文献の助けを借りて考えてみました。そこに浮かびあがってきた日本人の働き方には、いくつかの特徴があります。たとえば、マクロよりミクロに先に注意がいってしまうとか、結果よりも過程を大事にするとか……。「日本人はおおよそのところでよい仕事でも、完璧に仕上げようとする」と生産性が低いことに関連して批判されます。でも、欠点は裏を返せば長所にもなる。そういった働き手の特徴を生かすことで、グローバル市場における差別化に成功することもできます。

 また、従業員がなぜそういった行動をとるのか、その心理を説明してくれる歴史的要因を知れば、従業員が満足してくれる働き方改革を考えることができます。日本人は神代の時代から「調和」と「均衡」を好む傾向がみられると、世界の神話を分析した心理学者は解説します。対立や混沌さ(カオス)を嫌う性向がイノベーションの妨げとなっているかもしれません。そう考えれば、イノベーションを生みやすい工夫や仕組みをつくることもできます。

 本書で展開される経営者批判はときに辛辣になりすぎているかもしれません。でも、評論家的観点からではなく、従業員目線で書いたつもりです。従業員は経営陣のことをよくみています。そして、彼らの批判は当たっていることが多いのです。経営陣は、従業員との一方通行ではなく双方向のコミュニケーションにもっと時間をさくべきです。

 第5章では、アルゴリズム中心のAIだけでなく身体性をもったAIの研究が進まなければ、機械は人間には近づくことができないことを説明します。それに関連して、身体を使う労働の重要性や、日本人の性向にあった「ものづくり」手法は、グローバル市場での差別化の中核になりうることも書きました。

 新型コロナウイルスが猛威をふるうなか、グローバルのサプライチェーンの弱さが露呈しました。ものがなくては、人間は生きていけません。マスクから電子部品まで、ある程度国内で生産量を確保しなくてはいけないものがあることを実感できました。「ものづくり」の伝統は、そして熟練した技は、市場での差別化に貢献する貴重な日本の財産だと再確認させられました。

 新型コロナウイルスがパンデミックと認定されたのは、本書の印刷が始まる直前でした。第二次世界大戦後最大の不景気に突入するということで、すでに非正規社員を中心とする従業員の解雇が始まっています。しかし、ウイルス騒ぎの前でも後でも、日本社会の人手不足は変わりません。想定外の出来事が起こりやすい 21 世紀の不安定な社会において、景 気がよくなるのをじっと待って、その間は給料も上げず人も削減するという、戦略とは呼べない戦略をこれからもつづけるつもりなのでしょうか?

 青臭いといわれるかもしれませんが、私は、人間はその気になれば倍の力を出すことができると信じています。同じ夢やヴィジョンを共有する仲間といっしょなら、1・5倍も2倍も大きな力を発揮することができます。

 いま、働く日本人は自信を失っています。デジタル一辺倒の世の中で、人間が本来もっている力を信じることができなくなっています。マスクCEOの言葉を借りれば、経営陣も従業員も「人間というものを過小評価」しています。

 拙著を読んでくださったみなさまが、「感動」や「共感」の助けを借りて、パンデミック後のグローバル市場での試練を乗り越えられることを切に願っております。

      

 目次

第1章「生産性向上!」は時代錯誤

  • うんざりする「生産性向上!」のスローガン
  • 経営陣への不信感が強い従業員
  • 賃上げと値上げの決断を避けてきた経営者
  • 労働者よりも消費者であることを選んだ日本人
  • 消費者が受け入れたヤマトの値上げ
  • 労働者の心理を考えない日本企業
  • ハイデイ日高の1万円ベースアップ
  • GDPは 20 世紀の遺物
  • デジタル経済を把握できないGDP
  • 新しいGDPをつくる
  • 「デジタル」は「電気」ほど生産性に貢献していない
  • 「生産性」は主観的なもの
  • 経済学で生産性を考えるのはもうやめる

COLUMN  ヤマト創業者と労働組合  

 第2章 「時短」ではなく、「時間」からの解放感

  • 資本主義の歴史は時計の歴史
  • 江戸時代の日本人は怠け者だった!
  • 時計が時間意識を変えた
  • 時計が産業革命を準備した
  • 時計をもつ者が労働を支配する
  • 時計が神様になった
  • 時計の歴史は生産性の歴史
  • 時間からの解放が幸せ感を呼ぶ
  • 自己決定が幸福感をもたらす
  • 味の素が7時間労働を中止した理由
  • イノベーションはカオスから生まれるというのは本当か?

COLUMN  働き方改革あれこれ  

 第3章「調和」と「不公平感」がつくる会社組織

  • 日本人は「集団主義」ではない
  • 自己利益を追求するための同調
  • 神代の時代から空気を読んでいた日本人
  • 対立を避ける日本ではイノベーションは生まれにくい
  • 和をもって貴しとなす
  • 「憲法十七条」は現代のガバナンス・コード
  • 現代の若者にもみられる調和精神
  • 日本一社員が幸せな会社のアイデア創造術
  • 公平をもたらさない昇進制度
  • 日本では金持ちが嫌われる
  • ねたみがあるから格差感の低い日本
  • ねたみを気にしていたらイノベーションは生まれない

COLUMN  従業員のエンゲージメント率が低いのは「飽きるから」  

 第4章 日本人は「勤勉DNA」をもっているのか?

  • 欧米人は労働を苦役と考えるというのは本当か?
  • 日本人は労働を楽しむDNAをもっているのか?
  • 稼いだ金を消費しなければ資本はつくれる
  • プロテスタントと浄土真宗
  • 近江商人のコーポレート・ガバナンス「三方よし」
  • 世間の目を気にする(関係性を重視する)
  • 勤勉革命と産業革命の違い
  • 資本節約・労働集約型の「はやぶさ」プロジェクト
  • 「はたらく」は誰かのために働くこと
  • 米国の倫理なき資本主義
  • 宗教の代わりに税金でレシプロシティを実現する

COLUMN 「楽しく働く」前澤社長と「週100時間労働」のテスラCEO  

 第5章 AIが人間から奪う仕事は( 49 %ではなくて)わずか7%

  • 身体をもたない古きよき時代のAI
  • 古典的AIと身体性AIの違い
  • 脳無しロボットでも歩くことはできる
  • 頭脳労働は死亡リスク 40 %増
  • フィンランドの動く学校( School on the move )
  • 早期引退したがる若者たち
  • AIに代替される職業はわずか7%
  • 「ものづくり」を勧める五つの理由
  • 日本人は手先が器用というのは本当か?
  • 人間の手を模倣するロボットハンドをつくるのはむずかしい
  • 大学卒の大工が働く会社
  • マクロではなくミクロの視点から見る傾向
  • アディダスのスマートファクトリーからの撤退
  • 日本のデジタルものづくり

 最終章 経営者の仕事は社員に夢を見させること!

❶ 従業員第一主義

❷就業スタイルのパーソナライゼーション

❸ 会社の存在意義

❹自立し、自律しなければならない従業員

❺ 経営決断と功利主義