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2015年10月21日 (水)

多様性で生産性は上がるのか?・・・「男性が輝く社会」の実現

 

   「女性が輝く社会」とか、「一億総活躍社会」の実現がスローガンとして叫ばれている。女性や外国人の雇用・登用を促進するだけでなく、高齢者を雇用することも、職場の多様性の範疇に入れることができるはずだ。もちろん、転職者の中途採用は、ともすると「井のなかの蛙」になりやすい日本企業において、即効力をもつ多様性だ。

  が、ここでは、性の違いによる多様性に話をしぼり、多様性を進めることで生産性が上がるかどうかを考えてみたいと思います。

  日本人の、とくにホワイトカラーの生産性の低さについては常に指摘され、耳タコの感がある。とはいえ、基本となる事実を明確にしておくため、一応、よく紹介されるOECDの調査結果を並べます(耳タコの人は飛ばしてください)。

 2013年度のOECD34か国調査によると、一人当たりの労働生産性では、日本は22位で73,270ドル(758万円)。1位はルクセンブルグで127,930ドル、米国が3位で115,613ドル、ドイツが15位で86,385ドルとなっている。これを、時間当たりの労働生産性でみると、日本は20位で42.3ドル(4,272円)、1位のノルウェイは87.0ドル、4位の米国は65.7ドル、9位のドイツは60.2ドルとなっている。

  OECD2012年の調査にに基づく平均年間労働時間ランキングをみると、加盟国の平均は1765時間で、20位の日本は1745時間。1位のオランダは1381時間で、23位の米国は1790時間となっている。面白いのは、ドイツに「怠け者」よばわりされたギリシアが2000時間以上働いている。ドイツの平均労働時間は1400時間だが、時間当たりの生産性は、ギリシアより70%高い。

  ギリシア人は怠け者だと非難されたというニュースが流れた後で、「私が観察したかぎりギリシア人はよく働いている」という、ギリシアを訪問したり住んでいる日本人の反論が新聞やネットでよくみられるようになった。だが、ここではっきりしたことは、ドイツの「怠け者」の定義は、労働時間ではなく生産性だということ。

  ドイツ人の定義で行くと、日本人と韓国人(年間労働時間はギリシアより長く、OECD加盟国で1位となっている)も、怠け者の部類にはいるのかもしれない。

  経済学者ケインズは1930年に書いたエッセイ「孫のための経済の可能性」において、2030年までには、週15時間以上働く必要はなくなっているだろうと書いている。ということは年間一人当たり780時間ということなるから、1位のオランダですら、達成不可能な数字。ケインズの予測は当たらなかったわけだ。

 OECDの労働時間ランキングをみるかぎり、米国人はけっこうな仕事人間で、日本人より年間45時間多く働いていることになる。スタンフォード大学の経済学者が2014年に発表した研究によると、一週間の労働時間が50時間を超すと生産性が急激に低下し、55時間を超すと崖から落ちるように落下し、70時間働いている従業員は、50時間働いていたときと同じくらいしか生産していないことが明らかになっている。

  日本人の生産性の悪さについては、長く働くことが美徳とされる文化において、仕事がすんでも上司や先輩を残して先に退社はできない。だから、だらだらと長時間働くことになる。あるいは、また、家族よりも仕事を優先する価値観にあるといわれる。こういった企業文化や価値観は、高度成長時代のとくに製造業においてつくられたものだろう。製造業においては長時間働くことが、即、生産量につながる傾向が高い。だが、ホワイトカラーの場合は違う。

  長く働いたから革新的アイデアが生まれるわけでもない。

  リクルートワークス研究所の2012年度調査によると、日本の一般労働者の年間平均労働時間は2030時間でOECDの調査結果よりも多くなっている。、そのなかでもホワイトカラーの労働時間は2238時間。これを男女別にわけると、男性ホワイトカラーは2300時間、女性は2094時間となっている。

  最近・・・というか、この10年くらい、女性のほうが男性より元気がよく積極的だと評価する企業経営者が多い。社内結婚が多いという某会社の社長が、「イクメン大いに賛成。女性のほうが優秀だから、夫が家でイクメンして、奥さんのほうには早く職場に戻ってきてほしい」とコメントしていた。

  「優秀でなくて元気のない男性社員」が多いとしたら、それは、高度成長時代の製造業で構築された「男社会」の働き方が残っているからだ。日本の有給休暇日数の20日は他国に比べてそれほど少ないというわけではない。たしかに世界平均の25日よりは少ないし、スペインやフランスの30日とは大きな差がある。だが、米国の19日よりは多い。問題は有給休暇の消化日数が低いことだ。有給休暇をとるのを躊躇させる企業文化がある。

  こういった調査をしたオンライン旅行業者エクスペディアによると、「有給休暇をとるとき罪悪感を感じるか?」という質問に対しては日本人の26%が「はい」と答えている。これは、調査対象25カ国のなかでNo.1だ。

  男性は、「男は世帯主で働いて家族を養う責任がある」という「男の役割」を、子供のころから刷り込まれている。そのうえ、日本社会は雇用の流動性が低いから、会社をクビになったり左遷されては困るという恐怖心が高い。だから、同僚や上司とうまくやっていくこと、つまり同調することに過分に気を使うようになる。

   反対に、女性は、とくに若い女性には、仕事をやめても結婚するという選択肢がある。親と同居していれば可処分所得も高いので、旅行、観劇、趣味、外食、・・・・その他、好奇心に応じてさまざまな経験をする自由度も心の余裕もある。豊富で新鮮な体験をすればいろいろなアイデアも生まれてくる。

  男はこうあるべきで女はこうあるべき・・・といった男女の伝統的役割に関する刷り込みは、時代が変わっても、自分が思っている以上に心に頑固に残存している。

  たとえば、最近の例では、マンションデータ改ざんで旭化成の社長が涙を流して謝罪した場面が、TVで放送された。男性社長だから、「男が泣くなんてよほどのことだよなあ」とちょっと同情というか憐憫の情を抱く人もいるだろう。あれが女性社長だったら、「いいよなあ、女は。泣けば許されると思ってるんだろう」と非難めいた目で見るのは男性だけではない。「女は泣けばいいと言われるんだから、泣かないでよ」と働いている女性も思うことだろう。

  昔からある男女の役割に、男性も女性も束縛されているのだ。

   長時間労働をして、自分の生活の大半を職場で過ごす男性社員には、精神的余裕もないし、自分の会社以外の人達とつきあう時間の余裕もない。「井の中の蛙」になりやすい。男性社員が元気もなくアイデアも浮かばないのは当然だろう。

  だからといって、いくら多様化を進めても、雇用された女性が、男性と同じような働き方をするようになれば、結局、「元気で積極的で優秀な女性社員」が「元気なくアイデアも浮かばない」男性社員予備軍になるだけだ。

  日本企業の社員のモチベーションというか、仕事へのやる気が他国に比べて低いという調査結果がある。

   組織・人事コンサルティング会社のタワーズ・ワトソンは、社員の会社への自発的貢献意欲をエンゲージメントと呼んでいる。2014年の世界調査によると、日本企業でエンゲージメントレベルが高い社員は全体の21%(世界平均は40%、米国39%)、ある程度高い社員は11%(世界平均19%、米国27%)、低い社員は23%(世界平均は19%、米国14%)、非常に低い社員は45%(世界平均24%、米国20%)だった。

  たった一つの調査では納得できないという人達のために、もう一つ同じような調査結果を紹介します。

  米国の人事コンサルティング会社ケネクサ(Kenexa)は、エンゲージメントを「会社の成功に貢献しようとするモチベーションの高さや、会社の目標を達成するために努力しようとする意思の強さ」と定義している。この定義にしたがった調査の結果が2012年に発表されているが、世界各国の従業員エンゲージメント指数は、インドが77%で1位、米国が59%で5位、英国、ドイツ、フランスといった先進国も40%台後半であまり高くない。が、日本の社員のエンゲージメント指数はそれより低く最下位の31%だった。

  どちらの調査結果をみても、会社への忠誠心が高くマジメで一生懸命働くといわれた日本企業の社員のかつての姿は見られない。

  職場での多様性を進めることが、社員のモチベーションを高め生産性につながることになるのだろうか?

  何度もいうようだが、なんだかんだといっても、日本企業の中核は男性社員がつくる「男社会」にある。この男社会に女性が同調するようでは、多様性にはつながらない。

  だが、マジョリティの男性の「男社会」にマイノリティーの女性が融合され、男性の視点や観点でモノゴトを判断するようになるのは簡単なことだ。最近、それを実感したのは、安保法案の採決でもめた国会での出来事だ。野党の女性議員はピンクのハチマキをつけ会議場に入れないように通せんぼをし、排除しようとした自民党議員に「さわったらセクハラだ」と抵抗した。これは、すでに、自分達女性を男性の視線で見ているし、出来事を男性の観点から判断している。

  多様性は消え、男性議員と男性のように考える女性議員がいるだけだ。

  だから、男性社員自身がその働き方を変えなければ、女性社員を雇用・登用しても、真の多様性にはつながらない。

  最後に、性の違いによる多様性が生産性を上げることにつながっているか?という海外の調査があるのでご紹介します。

  MITの経済学者が、1995年~2002年の7年間、米国および海外に60件の事務所を開けているホワイトカラーからなる大手企業を調査しました。その結果報告には、「性別の多様性は職場の生産性を向上するのに貢献したが、従業員の満足度は低下した」と書かれています。男性ばかりとか女性ばかりといった同質性の高いオフィスほど、協力、信頼、そして職場における楽しさといったソーシャルキャピタル(社会関係資本)のレベルが高いと結論づけています。

  全員男性ばかり、全員女性ばかりのオフィスから男女半々くらいの職場に転換することにより、収益が41%向上したということで、これを、生産性が向上した根拠としています。研究者は、多様性があるということは、さまざまな技能や経験をもつことにつながり、それによって組織がより良く機能し、組織全体の集合的知識が高まるからだろうとしています。

  面白いことに、自分の働く職場が多様性をもつようになるという認識自体は従業員に満足感をもたらすが、実際にそういった職場で働いている従業員の満足度はかえって低くなる。つまり、会社が多様性を採用するというアイデアというか期待感は従業員をハッピーで協力的にさせるが、実際に多様性が普及して収益も上がっているオフィスでは、そういった満足感は低下するということです。

  自分が働いている企業が多様性を採用する・・・ということを認識する段階において、期待もあるのだろう。従業員はハッピーで協力的である。だが、実際の運用段階になると、従業員の満足度は落ちるようだ。

   実際、多くの女性上司は、「女性の部下は男性上司のほうが格が上だと考えて、女性上司の下で働くことをいやがる」と嘆いているという調査結果もある。また、論理的かつ理性的に自分の意見を述べると、男性上司の場合は「優秀でやり手」だと評価されるが、女性上司の場合は「冷たい」と評価されると苦情も言っています。こういった調査は、男女均等雇用法が日本より20年早く施行され、職場での男女平等が進んでいると思われる米国その他の先進国での調査結果なのだから、多様性ある職場で働くことのむつかしさを推測することができる。

  女性の輝く社会を促進するなかで、男性の輝き度がさらに落ちないことが肝心だ。女性がいくら輝いても、男性も輝かなければ多様性が職場の生産性をもたらすことはつながらないでしょう。そういった意味で、性別による多様性は、雇用の流動性を伴わない限り、生産性を向上するのには結びつかない・・・・と結論づけてもよいのではないかと思います。

  雇用の流動性を高めることで、男性社員を束縛感や不安から解放する(人間は選択肢が与えられることで自分が主導権をもっていると感じることができる)。中途採用の男性社員が増えることで、男性社員の働き方を変える。そういった多様性が促進されなければ、いくら女性や外国人を雇用・登用しても、革新的アイデア創出をふくめた生産性の向上はむつかしいのではないでしょうか?

 最後に宣伝です。

 最近出版しました「格差社会で金持ちこそが滅びる(講談社+α新書)」では、こういった内容をさらに具体的に書いています。ご興味がありましたら、読んでみてください。

参考文献:1.「世界に通ずる働き方に関する企業経営者の行動宣言」 経済同友会 2015年、2.竹井善明昭「世界でダントツ最下位!日本企業の社員のやる気はなぜこんなに低いのか?」ダイヤモンドオンライン 1/15/2013,3.Study:Workplace diversity ca help the bottom Line, Science Newsline Psychology, 10/6/2014, 4. Get a Life, The Economist, 9/24/2013, 5.Bob Sullivan, Memo to work martyrs: Long hours make you less productive, CNBC 1/26/2015

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