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2012年6月22日 (金)

最新メディア事情。ソーシャル・ローカル & 「アナログでもガンバってる」ダイレクトメール

 

飛ぶ鳥をも落とす勢いだったFacebookの株価にケチがついた。上場直前に自動車メーカーのGMが広告出稿をやめたと発表したこともあって、「はたして、Facebookには広告媒体としての価値があるかどうか?」という議論が沸騰。

2011年初めには、Facebookにサイトを出すFコマースに注目があつまった。だが、GAPとかデパートのノードストロームやJCペニーなどは、いったん開店してから「効果がなかった」といって閉店している。GAPなど560万人のファンがいたけれども、「自社ウェブサイトに誘導すればよいだけのこと。ユーザーにとっても使い勝手の悪いFコマースを開ける必要性がみあたらない」と言っている。

「Facebookは交際の場。バーでおしゃべりしている人たちにモノを売れるはずがない」という声もあがっている。

とはいえ、むろん、Facebookの価値が落ちたわけではない。ソーシャルメディアはまだ始まったばかり。広告を販売しているFacebook側も、購買しているスポンサー側も、どう利用すべきなのか手探り状態なのだ・・・という意見が多い。「なんといっても、TVには50年の歴史がある。ソーシャルメディアをメディアとしてどう利用すべきかは、いまだ実験段階にある」。

TVの番組つくりだって、最初はラジオ番組や劇場での芝居作りをそのままマネをすることから始めたのだから・・・。

いっときのブーム状態から、経験をへて新たな知見もえて、客観的に分析できるようになってきているということだろう。

あれほど騒がれたクチコミについても、「オンライン上のクチコミはオフライン上のつまり現実世界のクチコミとほとんど変わらない」という、「え~、なに、それ~!」と脱力したくなるような調査結果も出ている。

先に調査結果を明らかにすると、情報が共有される中央値の人数は、Facebookが9人、Twitterが5人。つまり、一時流行語にもなったインフルエンサー(影響者)の影響力はそれほどなかったということだ。(BuzzFeedやYahooによる調査)

もっとも、これは、日本でもベストセラーになった「スモールワールド・ネットワーク」の著者でコロンビア大学教授のダンカン・ワッツの主張するネットワーク理論では、以前から、いわれてきたことだ。つまり、現実世界の場合、情報は、情報源の本人の親しい友人、家族、仕事上の同僚という小さな近しいグループ内の多くの人たちにひろまるだけで終わることが多い。(つまり、顔を見知っていて直接言葉を交わすひとたちの集まりということ)。

ダンカン・ワッツは、ヤフーの主任研究員となり、ツイッター上での分析をとおして、オンライン上でも同じことが起こっている・・・と証明した(ワッツ氏は、この研究を発表したあとで、今年になってからヤフーを退職している)。

ワッツ氏の調査研究によれば、ツイッター上で多くのフォロワーをかかえる人やカリスマブロガーのようなインフルエンサーの発信した情報が多くのひとたちに拡散したとしても、その影響は一時的なもので流行にまではいたらないことがほとんどである。流行するかどうかは、1) オフラインの現実世界と同様に、偶然に左右される。また、2) YouTubeなどで人気動画を何百万人が視聴したりする現象が起こるのは、少し話題になった段階でTVのようなマス媒体がその事実を報道することによって発生している・・・のだそうです。

考えてみると、そうだよね。テクノロジーがいくら進化しても使っているのは人間。現実のオフラインの世界とオンラインの世界がまったく異なる別世界になるわけではない。

そういうわけで、「人間と人間が交わる場であるソーシャルメディアの使い方」として賛成したくなるのが、ソーシャル・ローカル(social-local)です。

ウォルマートはアメリカ本土だけで3800件ある各店舗ごとにブランドページを作成した。自分の住んでいる地域のウォルマート店舗のページをみれば、各店舗ごとのセール情報やサンプル配布情報、店舗内の地図というかレイアウト情報(自分がほしいものがどこにあるのか事前にチェックできる)。また、地域のイベント情報やニュースも掲載。客の質問にも答えることができる。

各ページは各店舗の担当者が編集する。ウォルマートは、2011年から、店舗からのネット売上は各店舗に割り当てる方針をとっているので、担当者や店長も真剣にページ編集をすることが期待されている。

ソーシャルメディアが人と人とが交わる場であるのなら、コミュニティ(共同体)を単位として人と人が交わる形が一番自然なのではないだろうか(スモールワールドのネットワーク理論にもあっているし・・・)? 地域のイベントやニュースを掲載し、地域の人たちをもまきこんで便利な情報ページだと思ってもらえるようになれば、そして、コミュニティ・ページだと思ってもらえるようになればしめたものだ。ウォルマートはソーシャルメディア上でのコメントやチャットの分析(テキストマイニング)もローカル単位でして、各店舗の販促や品ぞろえに利用することを考えている。

私ごとですが、80年代に「データベースマーケティングの実際」という本を出版したことがあります。そのとき、「テクノロジーの進化のおかげで企業はパーソナルなサービスの大量生産化ができるようになった」と書きました。その例として、昔の八百屋さんは、加藤さんが買い物にくると、加藤さんは二人暮らしで大根は一本つかいきれないと知っているので、「奥さん、半分に切るから買ってきな!」と声をかける。残りの半分は、いつも六時ごろ、帰宅途中に立ち寄る、これも二人暮らしの佐藤さんに売ればいい・・・と心づもりする。顧客データベースを構築すれば、昔のようなパーソナルなコミュニケーションを実現できるはず。

こう書きましたが、2000年に新版が出版されるときに訂正しました。なぜなら、当時のテクノロジーでは、昔の商売上手な八百屋さんのようなパーソナライゼーションはできないと思ったからです。

いま、ウォルマートはソーシャルメディアとGPS機能つきスマホのようなモバイル端末をつかって、これを実現しようとしています。そして、こういった試みを「バック・トゥー、ザ・フューチャー(Back to the Future)だ」と言っています。

さて、90年代から雨後の竹の子のように増殖しつづけているデジタルメディア(チャネル)。なかでも、ソーシャルメディアばかりに注目があつまっていますが、私などは、検索エンジンとかQRコードが誘導チャネルとしての確固たる地位を築いているほうが、大げさにいうと、なんだか感慨深いです。

でも、久しぶりに、ダイレクトメールについて書いてみます。

15世紀にグーテンベルグが印刷機を実用化して以来の古い古い媒体です。が、このダイレクトメールが、アメリカでは、最近ちょっと注目されています。ビジネス雑誌の「Forbes」にも、今年になって、「DMは恐竜みたいに思われているかもしれないけど、死んではいない。ぴんぴんしている」という記事がありました。

デジタルの世の中だからこそ、リアルに触って感じることができるDMに人気がでており、18歳から34歳の若い世代でさえも、マーケティング情報はオンラインではなくDMで受け取ることを選択しているという調査結果が紹介されている。また、B2Cにおいては、顧客の維持はむろんのこと新客獲得においても、DMのROI(投資利益率)はNo.1となっているという調査結果も紹介。紙の広告媒体はデジタルに比べて、感情に訴える力が強く、その分、記憶に残りやすい。また、デジタル媒体とはちがい、紙媒体上の情報は意識を集中して読まれているといった以前にブログに書いた調査結果も紹介されています

結局、マーケティングは差別化が大事なのだから。そして、人間の脳はいつも新しもの好きだから。

デジタルが新しければそれにすぐに飛びつく。が、世の中がデジタルばかりになると、それとは違うリアルな紙媒体が新鮮にみえてくる。だいたいにおいて、いつも新しい世代が交代で登場してくることを忘れてはいけない。ネットが普及したのがアメリカで1990年で日本で95年。モバイル端末が普及してから、もう10年余。デジタル世代には、紙媒体はある意味「新しい」のだ。

だから、いつもBack to the Future!

全日本DM大賞という、優れたDMに与えられる賞がある。もう10年以上つづいているが、この数年、金賞をとっているのはソフトバンクモバイルとかグーグル。どちらも、ターゲットを絞った顧客セグメントに、受取人一人ひとりにパーソナライズされたDMを送っている。両社ともに、メッセージを送るだけならeメールで送れる。安いし。だが、あえて、紙媒体のDMを使っている。

日本企業は(ネット企業も含めて)顧客の維持を考えるならもっとDMをつかうべき。つかわない理由は、

  • 媒体コストが高い・・・・データ分析をしないから顧客の価値がわからない。顧客の価値が計算  できていないから、顧客の継続化に効果があるDMのコストを高いと思う。
  • マーケティング投資をしたくないからテストをしない・・・・だから、効果的なDMの作り方がわからない。へたなDMをつくるから十分なリスポンスがこないという悪循環。
  • つまり、一言でいえば、理解不足に経験不足。

ところで、Back to the Futureって、温故知新の反対で温新知故と訳してもよいのではないでしょうか?(でも、これは日本語訳なのかそれとも中国語訳なのか?)

New! 「ソクラテスはネットの無料に抗議する」を出版しました。内容については をクリックしてください

 

参考文献: 1. Duncan J. Watts, et al., Everyone's an Influencer: Qauntifying Influence on Twitter, WSDM'11 February 9-12, 2011, 2. Jon Steinberg, Jack Kranwczyk, How content is really shared: close friends, not influencers, AdvertingAge, 3/07/12, 3.Clara Shih, How Walmart is localizing its stores with Facebook, 5/17/2012, 4.  Steve Olenski, direct mail: alive and kicking, Forbes 11/3/12

Copyrights 2012 by Kazuko Rudy. All rghts reserved.

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コメント

Back to the Futureは中国語では「回到未来」です。
温新知故は中国人には通じませんでした。試してみました。漢文を知っている日本人お造語として普及させるのが良いでしょう。(笑い)
私は中国語通訳です。

猫のおかあさん
コメント、ありがとうございました。勉強になりました! ちなみに、映画の「Back to the Future」は中国では、回到未来」というタイトルで上映されたのでしょうか? 

最近アクセスしていなくて返事が遅れました。
映画「Back to the Future」は
「回到未来」の題名で香港、台湾では上映されたはずですが、中国大陸ではアメリカ映画週間でしか上映されなかったような記憶があります。
アメリカの80年代と50年代の対比は鎖国が開けたばかりの当時の中国人(今も?)には難しいでしょう。あのおもしろさはアメリカ文化どっぷりの日本人にはわかりますが。

Back to the Futureは「回到未来」で香港、台湾など中国語圏で上映されましたが、当時の中国大陸では「アメリカ映画週間」で公開された記憶があります。当時開放政策初期の中国の人たちにはアメリカの50年代と80年代の対比の面白さは理解できなかったと思います。アメリカ文化どっぷりの日本人の私は頓珍漢な友人の質問に!?でした。

猫のおかあさんへ
興味深い情報をありがとうございました。アメリカの50年代と80年代の対比の面白さはわからなかった・・・・というのは、聞いて初めて、なるほとなあと思いますね。日本人は、戦後、ずっとアメリカ文化を追いかけてましたから、わかりますけどね。いやあ、貴重な情報です。

ルディー和子さん?
返信を書いてくださっているのはご本人ですか?もしそうなら、嬉しいです。「売り方は類猿人が知っている」題名に魅かれて読ませて頂き、このサイトを覗き、上げ足とり致しました。ちなみに「クレイマークレイマー」「克萊默克萊默」(こちらは音訳が採用されています。)も全く当時の中国では理解されませんでした。あんな良い生活に何の不満があって可愛い子供を捨てるのか?最後の和解は復縁してよかったね。という理解になってしまいバックグランドの違いを思い知らされました。NYに移り住んだ中国人ルームメイトとは今は同じ土俵で話せるようになりました。

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