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2009年3月 2日 (月)

ノキア「ヴァーチュ」と不況下の価格戦略 

Stnd007sノキアの最高級ケータイ・ブランド「ヴァーチュ」銀座店が2月19日にオープンした。端末価格は最低でも67万円。最も高いので600万円・・・だとか24時間対応のコンシェルジェ・サービスが話題になっている。コンシェルジェといっても、ドコモのようにヒツジさんメールじゃなくて、人間のシツジ(執事)が電話口に出てくる。もっとも、2002年に欧米で発売されたときには、「こんな高いケータイを買うようなひとだったら、秘書とか部下とか召使とかいっぱいいて、レストランの予約だろうと奥さんに花を贈る手配だろうと何でもしてくれるはず」とコメントするアナリストもいた。でも、「ナイショの愛人に花を贈る手配は、自分でこっそりヴァーチュのシツジに電話する」こともできます。

 さっすが、金持ちのやることは違う。

 「日本は世界で最大の市場になるだろう」というヴァーチュ側のコメントはリップサービスかと思ったがそうでもないらしい。ファッションや時計などの高級製品における日本の市場規模は世界の18%を占め、アメリカについで第二位だそうだ(インターナショナル・ラグジュアリー・ビジネス・アソシエーション調査)。直営店としては19件目となる日本第一号店がオープンして最初の週末・・・来店客の9割は男性だったという。なぜか「時計好き」の遺伝子をもつ男性陣をひきつけることはできても、宝石好きの女性の間ではいまいち話題になっていないようだ。海外で発売されたときには、女優のグウィネス・パルトロウがまっさきに買い、歌手のジェニファー・ロペスは3つも持っている。マドンナやマライア・キャリーもファンだというウワサがありましたが・・・。

 ヴァーチュの売上は公表されていませんが、フィナンシャルタイムズの2008年6月の記事によると、世界市場で一年間に100万個から200万個売れているそうです。

 ノキアは、日本市場においては、フツーのケータイ端末の販売を2008年11月で終了している。海外では「ノキア、日本市場から撤退」と報道されたが、価格競争の厳しい日本の端末市場で利益率の低いあるいはほとんど利益の出ない端末を売っても仕方がない。それよりは、140万人いるという富裕層セグメントにターゲットを絞り、超高級端末を売るという賢い選択をしたわけだ。高級端末を取り扱っていれば、ノキアのブランドイメージや知名度は高いまま維持できる。そうすれば、いつか、また、日本の市場環境が変わったり、ノキアが革新的新商品の開発に成功したときにカムバックすることもできる。

 不確実な時代において、高級・高額品と低額品と両方の価格帯の商品をあわせ持つことは、企業の生存を左右する重要な選択だ。最近の決算発表で話題になった「不況でも利益を出した企業」の多くは、この「高低二段構え価格戦略」を採用している。

 たとえば、サントリーとマクドナルド・・・

 サントリーは低価格の第3のビール「金麦」をヒットさせた。また、2008年前半に他社がビールの価格を上げたときに、缶ビールは秋まで価格据え置きをして追随しなかった。これだけみると、サントリーは低価格戦略をとっているように思える。が、高額・高級ビール「ザ・プレミアム・モルツ」もヒットさせた。2008年、すべてのビール銘柄のなかで、前年対比で売上を伸ばしたのはサントリーの「ザ・プレミアム・モルツ」唯一つだけだ。21%の成長を達成している。佐治社長は「ブランド価値を高めるために、あえて積極的に広告費を投入した」と語っている。

 これは、アメリカの大恐慌やそれ以降の不況時に成長した企業が採用した戦略と同じだ。不況時に競合他社が広告宣伝費を削減するときに敢えて積極的に宣伝することによって、ブランドイメージを向上し市場シェアを増やす(マーケティングNOW第4回『大恐慌時代のマーケティング戦略』参照)。高級ビールの代名詞だったエビスの売上は2008年には9.7%減少している。このまま手をこまねいていたら、今回の不況が終わるころには、プレミアム・モルツに取って代わられてしまうことだろう。

 マクドナルドは100円商品の低価格戦略だけで利益を上げるのに成功したわけではない。100円コーヒーやバーガーを揃える一方で、ダブルだと490円もするクォーターパウンダーも販売している。そして、重要なことは、高額品クォーターパウンダーを広告宣伝すればするほど、100円商品の割安感が出てくるということだ。

 ネスレも同じような戦略をとっている(小売とメーカーのバトルロワイヤル第7回、『ネスレはマシンで勝負する』参照)。ネスプレッソという高級・高額ブランド・コーヒーを広告宣伝することによって、コーヒーメーカーとしてのネスレのブランドイメージがあがり、ひいては、スーパーで販売しているネスカフェブランドの価値が上がる。よって、ネスカフェは安いPBに対抗できるし、小売店からの値下げ圧力に(ある程度)抵抗できる。

 不況時には高額品と低額品、両価格帯(場合によっては、中価格帯の商品を含めて高中低の3つの価格帯)の商品を売る必要がある。なぜなら・・・

  1. 従来から販売している高額品の売上が落ちたからといって、値下げをすれば、ブランドイメージが下がる。ブランドの知覚価値がいったん下がったら、景気が良くなったからといって値上げすることはできない。
  2. 高額品を愛用していた顧客のなかには、不況時の不安感から、あるいは本当に可処分所得が減ったことにより、愛用していた高額品に類似した価値をもちながらも値段の少し安い代替品を探すセグメントがある。このセグメントが競合他社に移っていかないように、少し値段の安い価格帯のものを発売する。こういったタイプの顧客は、景気がよくなると、また、高額品を買うようになる。だから、顧客の数が減ったからといって高額品の値段を下げることだけは絶対にしてはいけない(この例はハンドバッグとかその他のいわゆるブランド品をイメージしてください)。
  3. 低価格帯の商品を売らなくてはいけない状況になっった場合は、それに対抗するように高価格帯の商品も発売する。そうすれば、1)高価格帯の商品を広告宣伝することにより、低価格品の知覚価値を向上できる、2)結果、低価格帯の商品の割安感が出てくる、3)低価格商品をいくら売っても利益が少ないかほとんどない。それを利益性の高い高価格商品で補うことができる。

 P&Gは2009年2月に乳幼児用紙オムツで一枚当たりの価格が通常品より6割も高い高級紙オムツを発売した。オムツ市場は、2008年12月にユニチャームが実質値下げに踏み切り価格競争が厳しくなっている。高級品を出すことによって、1)P&Gのオムツのイメージが上がり、低価格品の値ごろ感が増す。また、2)よぎなく低価格品の値下げに踏み切ることにした場合でも、高級品が利益に貢献してくれる。

 このように、低額品と高額品と二つを揃えることにより、ブランドイメージ、知覚価値、割安感・・・などを戦略的に操作することができる。これが、不況のときに好況のときを考え、好況のときに不況のことを考える・・・つまり不確実な時代に合った価格戦略だ。グッド/ベター/ベスト(Good/Better/Best)の売り方は、19世紀末にカタログ販売を始めたシアーズが考案したものだという。日本でも、おすし屋さんでは、特上、上、並という売り方をしているが、これは、消費者心理を上手に利用した価格づけなのだ。

 消費者は価格と価値をそれぞれの絶対的値で比較して「割安」だとか「値ごろ」だとか判断しているわけではない。あくまで、他のなにかと比較してヒューリスティックに判断しているだけだ。比較対照となる参照価格は、「以前の価格」、「競合他社の価格」、「同じブランドの高中低の価格」・・・ということになる。企業は価格は市場が決めるもの、だから自分たちにはコントロールできないものだと思い込んでいるところがある。「値ごろ感」は消費者が感じる感覚だと思っているふしがある。

 とんでもない。

 「値ごろ」だと感じさせるのは、ある意味、マーケティングの技である。値ごろ感を感じさせるために、比較対照となる高価格帯の商品を強調したり、反対に低価格帯の商品を強調したりする。そして、いずれの場合も、高級品を広告宣伝することで、低価格品の知覚価値を向上させる。

 消費者の買い控えが顕著になると、商品の値段を下げたくなるのは、経営者の本能的選択である。つまり、消費者がヒューリスティックに購買決断をしているとしたら、同じ人間である企業の意思決定者たちも、「安ければ売れるだろう!」あるいは「こんな時代には安くするしかない」とヒューリスティックに決断しているだけだ。

 買い控え問題を解くカギは低価格だけではないはずだ。 

 最初のノキアのケータイの話に戻ります。ノキアは新興国では電話をするだけの単機能の低額品を販売している。もっとも、インドで最も売れた機種は、目覚まし時計、ラジオや電卓、そして懐中電灯付きのものだ。電気の通じていない村、そして都市部でも停電が多いことを考えると懐中電灯機能付きのケータイは非常に便利なのだ。そして、重要なことは、こういった低価格の機種からヴァーチュのような高級品までを揃えることによって、消費者は自分の所得が増えるごとに機種を変えていくことができる。これはある意味、夢のあることだ。ヴァーチュを使っているセレブの記事を読むたびに、一般市民は憧れを感じ、自分もそれに近づきたい、あるいは近づいているという喜びを感じることができる。それが、ノキアのブランドイメージを上げ、ブランド価値を高める。そして、ノキアは顧客を長期にわたって維持していくことができる。

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参考文献: 1.「自分を捨て「新星」をはぐくむ」、日経ビジネス2008年12月22日・29日号、2.「宝飾ケータイ異次元に誘う」、日経MJ2/25/09  3. 「低・高額品の二段構え」日経MJ 1/12/09  4. The Origins of Vertu, The Economist, 2/20/03,  5.  Simon de Burton, Mobile Phones with a Swiss Twist, FT. com 6/13/08 6. How Did Nokia Succeed in the Indian Mobile Market, While Its Rivals Got Hung Up? 8/23/07 Knowledge@Wharton

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コメント

高低2段構えの価格戦略が、消費恐慌への処方だそうですね。
難しい「お題」なので、個人の感想をお許し下さい。
私は、心の中にある“上昇志向=羽振りの良い人間になりたい”という希求(本性)が、根源ではないかと考えます。(最近はやっている、脳の映像解析による心理学なら、実証できるかも知れません。)
現在は、労働環境が厳しいですが、“働く意義は、お金の為に働くのではない。夢の実現のために働くのです。”とはいえ、ほどほどに資金運用が出来なかったら、歯を食いしばるしかないです。
いつまでも続くわけではありませんが、運用資金が足りなければ、すごもり消費をするしかない。
サントリーさんの“プレミアム・モルツ”。私は運用資金が足りないので、第3のビールでもなく、焼酎のお湯割りです。
根性も卑しくなり、“プレミアム○○”と聞くと、反感すら覚えます。
私の買ったクルマ「トヨタ ブレイド」は、“ショートプレアム”がコピーです。
マスコミがネーミングされた、「富裕層マーケティング」憧れます。
面と向かって「富裕層である○○さんに贈ります」と言われても、怒り出す人はマレなへそ曲がりです。
だから、本当に高い高価格商品を買える人は、フームと言って購入し、買えない人は、“いつかはクラウン”“出来たらナポレオンを飲みたい”“いつかは、クイーンメリーで世界一周のクルーズ”といった、構造的格差心理は、永久不滅の原理です。
おっしゃる通り、ヒューリスティックに低価格だけを追求しても、冷え込んだ消費を盛り上げる事できず、高価格品訴求のチャンスですね。
私のこだわり商品のクルマでは、ホンダのオデッセイ。ジョージクルーニーさん演じる“良い車が好きだ。男ですから”。(もっとも、CM評論家の方は、ここまで言うのか?でした。)
オデッセイは、あまり売れてはいませんが(高価格)、ホンダフィット(低価格)は売れています。
トヨタさんは、プレミアムブランドだけを訴求する「レクサス」。かといって低価格トヨタブランドが売れた話は見えません。
有難うございました。

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