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2021年2月12日 (金)

コロナ対策と女性政治家と「男社会」と会食

  

  新型コロナウィルスによるパンデミック発生から約1年ということで、どの国の対策が一番効果的だったのかという調査がいくつか発表されている。各国のリーダーシップの品定めをしているようで、首相とか大統領にとっては気になるランキングだ。

  マスクをしない自由を主張する国民がいる民主主義国家よりも、中国のような強権的国家のほうがパンデミックを抑えやすいのではないかという意見がある。感染者数や死者数で世界をだんとつリードしている米国とか、ロックダウンを繰り返しているヨーロッパの大国をみていると、確かにそうかも・・と思えてくる。

  オーストラリアのシンクタンク「ロウィー研究所」が1月28日に発表した98か国ランキングでは、まとめとして、「小国(人口が1000万人以下くらいの国)のほうがパンデミックのような危機には機敏に対応できる。反対に、経済発展度とか政治体制は、言われているほどには成果には影響を与えていない」と述べている。ちなみに、この調査には「(機能不全に陥っている西側資本主義や民主主義より)我が国のような体制の方が優れている」と広報している中国は、公開データが少ないので分析対象から外されている。

  小国で、社会的にまとまっており、優れた制度(国家を統治・運営するために定められたきまりや仕組み)が存在する国が、パンデミックのような危機には成果をあげているという。まあ、当然といえば当然の結論だ。ちなみに、ランキング第1位のニュージーランドの人口は約500万人だ。   

  G7に属している先進国の中で人口1億人以上をかかえているのは米国と日本だけ。そう考えると日本の45位という順位は悪くないと思えてくる。ちなみに、日本の2.6倍の人口を持つ米国は94位で、日本の4割の人口しかない韓国は20位だ。人口規模が最も需要な変数だという説はなんとなくあっているように思える。

  各国のパンデミック政策の優劣を比べるときに、よく耳にする説がもう一つある。指導者が女性の国のほうがコロナ対策がうまくいっているというものだ。女性首相や女性総督が率いるニュージーランドや台湾は、コロナ対策で成功している例として、日本のメディアでもよく取り上げられる。ロウィー研究所のコロナ対策成果ランキングでは、ニュージーランドはすでに書いたように1位、台湾は3位だ。

  女性指導者がコロナ対策で良い結果を出している例としては、他にも、ノルウェイ(18位)、デンマーク(23位)、フィンランド(17位)、アイスランド(7位)などがあげられる。

  この通説は、コロナ対策がうまくいっている国をみると、「女性が首相や大統領をやっているところが多いじゃん」と気がつく・・・というだけのことで、それを裏付ける統計データがあるわけじゃないと思っていた。が、最近になって、きちんとした研究が英国の大学研究者によって発表されている。

  世界194か国を調査した結果だが、コロナ感染者数と死者数、この2点において、女性が指導者の国の方が良い結果を出している。指導者が男性の国の感染者数は平均26,333人なのに、指導者が女性の国の平均は16,806人。死者数は男性リーダー国で1,994人なのに、女性リーダー国は1,056人となっている。(調査につかったデータは2020年5月19日までのもの。また、194か国のうち女性を首脳に掲げる国は19か国しかないので、サンプルサイズの小ささを相殺するための統計処理もしている)。

  研究者は、「女性リーダーは男性リーダーに比べて、より素早く迷うことなく決断し行動した。彼女たちは、早い段階でこれは生死の問題だと結論づけ、経済がどうなるかに関係なくロックダウンをすることが必須だと断固決断した。それが実績につながっている」と語っている

  そして、ここからが大事なことだが、「よく、女性は男性と比べてリスクをとりたがらない、リスク回避の傾向が高いと評される。が、それは間違っている。たしかに、パンデミックにおいて、女性リーダーは生死にかかわる問題に関してはリスクを回避した。そして、男性リーダーは、経済に関する問題に関してリスクを回避しようとした。逆の観点からいえば、経済問題については、女性はリスクをとる決断をしたといえる。男性リーダーは、経済活動の影響を懸念して、国を閉鎖する決断ができなくてぐずぐず迷った・・・とする方が正しい」とした。

  たしかに・・・。

  日本でも、安倍政権にしても菅政権にしても、世論調査によれば、コロナ対策への国民の評価はあまりよくない。どちらも、緊急事態宣言を出すのが遅いと批判され、Go to Travelよりもコロナ対策だろうと批判された。二つの決断はどちらも、研究論文に書かれたような「経済へのリスクを回避しようとした男性リーダー」の典型的傾向を示している。

  世界166か国が参加しているIPU(Inter-Parliamentary Union,列国議会同盟)が、 110か国の国会議員272人から回答を得たアンケート調査では、積極的に取り組む政策課題に男女で違いがあることが明らかになっている。男性が、外交、経済、教育といった課題に積極的だったのに対し、女性は、性の平等、地域社会、家族などの課題に重点を置く傾向が高い。こういった調査結果からも、男性が経済を重視して経済リスクを回避しようとするのに対して、女性が一般市民の暮らしを重視して生死のリスクを回避しようとする傾向が高いということが納得できる。

  コロナは、一般市民の生活、暮らしに密接した問題だ。だからこそ、安倍や菅政権の、男性指導者と彼らの男性を中心とした側近が考え出した対策や、その対策を国民にアピールするコミュニケーションそのものが、私たち一般市民には、どこか感覚的にずれたものに思えたのは当然の成り行きだといえる。

  一定以上の年齢の男性政治家の毎日は、専業主婦がいて家事や子育てなど家庭のことは(場合によっては選挙区の後援者の応対を含めて)すべてをまかせることで成り立ってきた暮らしだ。若い政治家のなかで、家事や育児にも積極的に参加している男性であれば、休校にすることが育児にどういった影響を与えるかすぐに理解できただろう。安倍元首相を支えたブレインの中に、家事に積極的に参加していてスーパーやドラックストアで日常的に買い物をし、一般人の暮らしぶりを肌で感じている人がいれば、あの時にマスクを配布することの良し悪しを判断することができただろう。我慢して自粛生活をおくっている一般市民に、自宅で犬とくつろいでいる首相の動画は、自粛を進めるどころか反感を買うことになる可能性も想像できたことだろう。

  いやいや、こういった理屈では説明しがたい。要は、政治家と側近として周りにいる役人たちが、いかにどっぷりと「男社会」につかっており、外の一般人の考えることや感じることを想像することができなくなっているか・・・ということだろう。KYで空気を読まないというよりは、吸っている空気が違う。どこか感覚的にずれていると批判されたのも当然だ。

  つまり、首相やその周辺の閣僚や役人たちは、政府が「働き方改革」で一生懸命強調していた「多様性」などなく、全員がいわゆる「男社会」という単一社会にはまりこんでいるということだ。

  女性が首相や大統領になっている国は、それだけ、多様化が進んでいるということだろう。つまり、女性が指導者になれる政治環境では、様々な経歴を持った政治家や官僚や役人がいるということだ。それが、コロナ対策に有効に働いた。

  ニューヨークタイムズ新聞も「女性に率いられた国のコロナ対策は(男性指導者の国よりも)なぜよかったのか?」という記事のなかで、「集団思考を避け盲点をつくらないようにするためには、多様な経歴や専門性を持つメンバーが集まって主要な決断をしなければいけない。だが、男性が率いる政権は、たとえば英国のように、首相が選んだアドバイザーに主に依存しており、外部の専門家からの異議に耳を傾けるチャネルをほとんど持っていない」と書いている。

  なんだか、日本の政権のことを言っているようではないか。

  最近、もっぱら話題になっている「会食」の実態から推測するに、政治の世界には会食でつながる「男社会」が色濃く残っているようだ。

  たとえば、菅首相を例にとると、11月27日から12月16日までの三週間で、ホテルの宴会場での会食を含めて45回会食をしたと報道されている。この3週間は西村経済再生相が「勝負の3週間」として、集中的な感染拡大防止を呼びかけたていた期間だ。この中で、問題となったのが、12月14日の8人でのステーキ会食(このとき、菅首相は、もう一つの会食とかけもちしている)。国民には自粛を要請しておいて、自分たちは会食しても大丈夫というのはおかしいだろうと批判された。

  これだけ批判があっても、なおかつ、会食は政治家にとって必要だと食い下がる議員が多い。自民党だけではない。野党の議員も同じことを言っている。1月6日、国会議員の会食にルールを設けようと与野党議員がいっしょになって提案した。言い出しっぺの自民党議員は。「国会議員が全く人と会わないというのは無理がある」という理由で、「人数は4人以下、午後8時以降は控える」というルールに基づく会食に理解を求めた。しかし、日本医師会会長の「国会議員が模範を示して」というしごくまっとうな反対意見にあい、ルール作りは取りやめた。

  なぜ、これほどの批判を受けても、まだ、政治家は会食にこだわるのか?

  ひと昔ではなく三昔前までは、「料亭政治」とか「夜の国会議事堂」といわれるものがあって、政治は料亭で会食しながら秘密裡に決まるものだといわれた。よく使われたのが赤坂の料亭。誰と会ったか知られたくない場合は、表向きの会食用と秘密の会食用と2つ部屋を取る。そして、表向きの会食をしている途中でトイレに行くふりをして部屋を出て、別の部屋で待っていた本来の相手と密談し、また、表向きの部屋に戻っていくという段取りだ(半沢直樹のドラマにも、こんな場面が時々登場したなあ・・)。「料亭政治」は、1988年に発覚したリクルート事件がきっかけとなり、自民党の世代交代が進み、政治改革も進んだため、終わりをつげた。

  だが、代わりにホテルが使われるようになった。自民党の世代交代が進み、料亭の和食よりもホテルでの高級フレンチや中華とかが好まれるようになったからかと思ったが、どうもそうではない。ホテルだと出入口がいくつかあるので、誰と会ったか秘密にしやすいからだという。

  話があるのなら日中堂々とミーティングすればよいだろうと思うが、それでは、内密の話ができない。あるいは、また、特に議題があるわけではなく、情報を得たいということもある。雑談の中で、相手の腹を探る。お酒が入れば、口が軽くなり喋ってくれる人もいることだろう。そして、相手から情報をもらったら、次にはお返しということで、こちらからも情報を提供する(ということは、また、会食するということだ)。根回しというのもある。飲んだり食べたりしながら世間話のなかで、こちらの意志をそれとなく伝え、賛成してもらえるかどうか相手の言動でそれとなく確かめる。

  こういったように、裏で内密に物事の大筋が決められるから、会議を開くときには、何が話し合われ誰と誰が賛成するかなど内容も結果もわかっている。いま俄然注目を集めている森会長は、年齢からいっても、「料亭政治」の経験も十分あるはず。もう結果が決まっている建前だけの会議になれているのだろう。だから、会議で発言が多かったり長かったりするのは時間の無駄に思えた。それで、「女性がメンバーだと会議が長くなる」という言葉が飛び出した。

  女性は「男社会」のメンバーではないから、事前の情報交換とか根回しからははずされている。状況が呑み込めてないので、(森会長にしてみたら無駄な)質問をしたり意見を言ったりする。

  こじつけ過ぎかもしれないが、こう考えるとつじつまが合う。

  政治の世界で女性が「男社会」に入れないのは当然だろう。毎晩のように仕事で会食しなければ仕事がまわらないのであれば、家族がいる女性、特に育児をする女性は政治家の仕事は続けられない。

  「女性と政治」をテーマにした「1万人女性意識調査」が2020年11月に実施されている。そのなかで、「女性の政界進出が進まない原因はなにか?」という質問の答えをみると、1位は議員活動と家庭生活の両立の難しさ(35%)、2位は政治は男のものという世の中の価値観(34%)、3位は女性政治家や女性政治家志望者を育てる環境の未成熟さ(33%)、4位は男は外で仕事、女は家事育児という性別役割分担意識(31%)とつづく。

  この調査結果をみても、政治の世界に根強く残っている「男社会」が、女性政治家誕生の障害になっていることがわかる。。

  その結果が日本の女性議員比率の低さだ。毎年のように話題になるランキングに、「列国議会同盟」(IPU)の調査結果がある。各国の国会下院(日本は衆議院)での女性議員の割合を見ると、日本は9.9%で、世界191カ国中165位(2020年1月現在)。当然のことながら、G7など先進国の中ではもっとも低い。

  女性議員をふやそうとしているようだが、そのためには、まず、男性議員の多様化を進めた方が早い。伝統的な「男社会」を作り、それを良しとする男性議員が大半をしめていれば、多勢に無勢。女性議員が仕事を続け、出世しようと思えば、「男社会」のメンバーとなり男性化するしかない。結局、多様性がなくなってしまう。

  同じことは私企業にもいえる。

  多様性が効果を発揮する組織にしたい場合、もっとも即効力があるのは、男性社員の多様化をまず進めることだ。日本企業の中核となっている男性社員は高校や大学を卒業して入社。そのまま、同じような人達に囲まれて同じ組織文化の中で年月を重ねる。中間管理職以上になると、政治の世界ほどではないが、それなりに「男社会」ができてしまっている。そこに、女性や外国人が数%の割合でまじっても、自分たちの異なる観点や考え方を活かすことができないままで終わってしまう。家事や育児、あるいは、その他の様々な経験を経てきた男性社員がいることで初めて、女性や外国人がもたらす多様性が効果を発揮するようになる。

  最後に・・・前述した英国の大学研究者が発表した論文で、女性リーダーがコロナ対策に成功した理由として、もう一つ、挙げられていたのは、彼女たちのコミュニケーション能力だ。「女性リーダーは、謙虚さと共感性をもって、国民に自粛の必要性を訴えた。人々の行動を変容させることにおいて、こういった女性が持つ特性が役にたった」と説明された。

  だが、ここで、謙虚さと共感力は女性特有の資質だと言ったら、これこそ差別になってしまう。男性にも、そういった特性を備えている人はいる(というか、女性でも謙虚さや共感性を備えていない人はいる)。日本でも、コロナ対策が「頼りになる」と評され、支持率が急増した男性知事や男性市長がいる。この人たちが発信したコミュニケーションの多くは、わかりやすく明瞭で(謙虚さがもたらすもの)、コロナによる弊害を自分事としてとらえている(共感性)ことが感じられる内容や語り口だった。だから、市民や県民の信頼を得ることができたのだろう。

  大臣や首相まで登りつめた人達にコミュニケーション能力がないはずがない。他人を説得することで仲間や支持者を集めることに成功した人達だ。だが、考えてみると、会食を通じて特定少数の人たちと話す技術や、自分と同じ「男社会」というグループに属している人たちを説得するためのコミュニケーション技術は、不特定多数の国民を説得するスピーチには通用しないかもしれない。

  (ここで、「通用していない」と断定したら、筆者の私こそ謙虚さがないといわれそうなので、やめておきます)。

 

 

 

参考文献:1.Why are women-led nations doing better with covid-19?, The New York Times 8/13/20, 2. Female-led countries handled coronavirus better, study suggets, The Guardian, 8/12/20, 3. Why the traits of Female leadership are better geared for the global pandemic, 10/11/20, 4.Supriya Garikipait and Uma Kambhampati, Leading the Fight Against the Pandemic: Does Genter Really Matter? University of Liverpool 5. Corona Performance Index by Lowy Institute,6.1万人女性意識調査第二回「女性と政治」、日本財団2020年12月 7.「勝負の三週間、首相はグルメ三昧 コロナ第3波の猛威の中、会食40会超」Yahooニュース、12/21/20 8.francis fukuyama, The thing that determines acountry's resistance to the coronavirus, The Atlantic 3/30/20